2009年1月26日 (月)
2009年1月25日 (日)
初めてのつながり
金曜日(23日)は、18時から、
林精研労組の青年部の学習会に。
2月に広島の原爆の碑めぐりに行くそうで、
そのプレ学習会でした。
参加は4名でしたが、
林の青年部でお話をするのは初めて。
貴重なつながりができたと思います。
「1人ひとりにおきたこと-原爆と被爆者への想像力」
ということで、約50分、話をさせていただきました。
内容は、以前、倉敷医療生協労組の「みんなの学校」で
話したものをベースにしました(こちら)。
学習会後、40分ほど感想交流しましたが、
やはり、被爆者の「心の傷」の話や、
爆心直下となった島外科の話、
医療従事者にとってのこの問題への接近の仕方などが
印象に残ったようであります。
あと、なにより平和運動は「継続することが大事」
ということも強調しました。
今後、学習会や企画も積極的にやっていこうという
話にもなり、少しでも力になれたのかなと思います
。
2009年1月22日 (木)
やっぱりYes We Can!?
きのう(21日)の晩は、福祉保育労岡山支部の
執行委員会へ。いつもの学習会でした。
会場は岡山市のA保育園。参加は8名でした。
保育園といえば!
やはり絵本がたくさん。
おー宝の山だ。
きのうは、A保育園の方が、
なんと、あったかいお蕎麦を
つくってくれていました。
組合といえば、お弁当、という
イメージが強いだけに、
こうした手づくり料理は、
心も体もあったまりました。
野菜もたっぷりで、
おいしかったです
。
学習会は、「2009年、チェンジのとき」という題で、
まあ岡山医療生協労組の春闘学習会の内容と
8割かぶっていましたが、
今すすめられようとしている、保育制度の大改悪
(直接契約制度、最低基準の引き下げなど)に
ついてもふれながら、
「構造改革路線」のゆきづまりと保育とのかかわりも
話をしてみました。
さいごはやっぱり、
「私たちの『夜明け』は必ずくる!-Yes We Can!」
でしめてみました(笑)
学習会あとの感想交流や議論を聞いていても、
数年前とは大きく変わってきた姿勢があります。
それは、
「職場だけの狭いところにとこまらず、どんどん外へ出ていこう」
「組合のない職場で働く仲間のことも視野に入れて」
ということです。
たいへんなお仕事のなかでのがんばりに、本当に励まされます。
今後の前進に期待大です。
2009年1月21日 (水)
2009年1月20日 (火)
今年もはじまった
きのう(19日)から、岡山医療生協労組の
昼休み春闘学習会がはじまりました。
今週と来週は、28日をのぞいて平日昼間は
毎日学習会です。たいへんだー。
2月も何回か行かねばならないようです。
きのうは、30分の学習会を
3ラウンド。
入れかわり立ち代わり、
合計で約70名ほどだったでしょうか。
おつかさまです。
「09春闘-いま、チェンジのとき」と題して、
春闘をめぐる情勢と、課題について話をしています。
やはり春闘の勝負どころは、どれだけ
現場の切実な「生の声」「痛みの声」を
多くの人に届けられるか。
それは現場にいる人にしかできないことです。
医療崩壊、介護崩壊の「危機」が叫ばれている今だからこそ、
「Yes We Can!」の精神で、
課題に突進していってほしいと思います。
そういえば、今日はオバマさんの就任式だなぁ。
アメリカも、変わらざるをえない、時代です。
2009年1月15日 (木)
日常活動について
きのう(14日)は、18時から、
岡山医療生協労組の執行委員会前段学習会。
30分ほどで、労働組合の日常活動というテーマで
話をしてきました。
まあようするに、日々の地道な諸活動の総体の
ことを「日常活動」というわけですが。
職場での相談活動、要求討議、
定期的な会議、機関紙やニュースの発行、
専門部の確立、学習教育活動、
などなど・・・。
とくに、機関紙の重要性についてのことろが、
興味深かったようでありました
。
県内でも、自治労連の各市職労は日刊で
ニュースが出ていて、そんなことも紹介したので。
2009年1月 8日 (木)
09年春闘の情勢
きのうは、18時から、岡山医療生協労組の
執行委員会の前段学習会。
30分間、「09年春闘をめぐる情勢」を話しました。
始まる前の風景。
まだ人がいない。
今年の春闘は、なんといっても国政をめぐっての
たたかいと深く結びついたものになります。
第2次補正予算、09年度予算、
派遣法改正、後期高齢者医療制度、介護保険見直しなど、
大きなたたかいが目白押しです。
そうした情勢のなか、たたかいを前進させるポイントは、
やはり「当事者の生の声」「切実な思い」をどれだけ
政治家や行政、マスコミ、そして市民に届けられるか、
ということではないか、と強調しました。
さまざまな違いを乗り越えて、幅広い共同をどれだけ
構築できるか。
医療崩壊、医師・看護師不足、介護・福祉分野の充実は、
外交とか税制に比べて、一致できる幅が大きいと思います。
医療や福祉の現場の「生の声」を多くの人に届けると同時に、
多くの国民・労働者の「痛みの声」を聞き取る春闘にしよう、
と呼びかけました。
あと、話のなかでも少しふれたのですが、
三菱自動車水島製作所が、さらに大規模な「非正規切り」を
行なうと昨日発表しました。
今日の山陽新聞から。
(朝日新聞でも1面トップの報道でした)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三菱自水島、900人以上新たに削減
乗用車ラインの夜勤を廃止し生産縮小
三菱自動車(東京)の主力生産拠点、水島製作所(倉敷市
水島海岸通)が派遣・期間従業員900人以上を新たに削減
することが7日、分かった。世界的な販売不振による生産縮
小を受け、昨年12月末までに契約更新しなかった約250人
を含め1000人を超える人員削減に踏み切る。
同社によると、2本ある同製作所乗用車ラインで午後4時4
5分―午前1時45分の夜勤をなくし、午前6時半―午後3時
半の1勤務体制に絞るのに伴い、乗用車担当の非正規従業
員らの契約更新を3月末までに順次打ち切る。減産対応で停
止中の乗用車ラインが今年初稼働する12日から運用する。
現時点で約1150人いる非正規従業員の大半が削減され
る見込み。
同製作所は「急激な販売の落ち込みに対応するため人員削
減せざるを得ないが、配置転換なども検討して削減幅を小さく
する努力を続ける」としている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
たしかに、三菱自動車の経営は他の自動車会社にくらべると、
厳しいものがある(それは労働者の責任ではないが)。
「2009年国民春闘白書」(学習の友社)で、内部留保を見ると、
自動車関連ではただ1社だけ、マイナスとなっていた。
ただ、08年3月決算では、857億円の経常利益となっている。
非正規労働者を今すぐ首きりしなければならない状況なのだろうか。
ほんとうに、最後の最後の、最後の手段、とは思えない。
さらに、こうした「非正規切り」は、残った正社員の
モチベーションを間違いなく低下させる。
企業としての社会的責任も放棄すれば、長い目でみても、
かならずその企業は衰退すると思う。
そして、水島関連の大企業の減産は、地域の下請け企業に
もろに影響している。
私の知り合いの女性が事務職として勤めている、
ある金属部品関係の会社では、昨年秋から仕事が激減し、
その彼女は、「掃除ばかりしている」と行っていた。
しかし、従業員の生活を守るために、その会社の社長は、
自宅を担保に借金をして、「これで1年半は従業員の
賃金はなんとかする」と歯をくいしばってがんばっているそうだ。
そしてその社長は無給で働いている。
大企業の経営者は、中小企業のこうした
「従業員の生活を守る努力」を真摯に受けとめてほしい。
半年のあいだに、1000人以上が首をきられるなんて、
ほんとうに許せない。
また、三菱の労働組合はなにをやっているのだろうか。
雇用問題は、25日投票の倉敷市議選の
最大の争点のひとつになる、と思う。
09年春闘は、かつてない情勢のもとで、
たたかわれる。
2008年12月28日 (日)
主要政党をくらべる
金曜日(26日)は、民青同盟岡山県委員会での
総選挙学習会2回目。
この日のテーマは、「主要政党の政策と実績」でした。
参加は前回と同じく5名。
しかし、メンバーは
3人が新しい参加者。
なかなか短時間では話せないテーマでしたが、
国会の役割と衆議院選挙の重要性、
小選挙区制度により、虚構の多数を得ている問題などを
説明したあと、
「政党をみる観点のいくつか」を示しました(これがすべてではないが)。 やっていることが全然違います。
◇日本の現状をどう分析しているか
*おかしい(病んだ)社会の原因をどうみて、どういう処方箋を描くのか
◇政党の活動資金はどこに依拠しているか
*それは、「誰のために政治をするのか」ということに大きく影響する
◇首尾一貫しているか
*信頼関係の基礎は、ウソをつかない、裏切らないこと。
言葉と行動の一致。
◇女性議員の割合はどれだけか
*国民の半数は女性。女性の声が政治に反映されるかどうか。
その後、主要政党である、
自民党、公明党、民主党、社民党、共産党の順で
話をしました。
私も各党の「綱領」などをじっくり読むのは
初めてで、勉強になりました。
一番感じたことは、自民党・公明党は、
「綱領」に書いてることと、実際の行動がほとんど
一致していないということ。
とくに公明党「綱領」。いろいろとツッコミどころのある
文章ではあるけれでも、それでも、せめて、この「綱領」の、
「人間主義」の精神に立ち戻れ、と言いたい。
参加者は、こうした学習は初めてだったようで、
質問も活発に出されたように思います。
来年は衆議院選挙の年。
政治を語る力を飛躍させたい一年です。
2008年12月20日 (土)
青年の総選挙学習会
きのう(19日)の晩は、
民青同盟岡山県委員会での学習会でした。
「総選挙に向けて、定期的に学習をしていき
たいので、力をかせ」という要請なのであります。
ということで、きのうは、第1回目として、
「金融・景気・雇用」というテーマで行ないました。
参加は5名でした。
今日のお昼の時点では、「今日は2人」と
聞いていたので、
準備もさぼって『学習の友』の1月号を使って
ざっくばらんにやろうかと思っていたら、
予想外に人がきたので、準備不足を反省いたしました。
すみませんでした(涙)。
で、この総選挙学習会では、
青年たちの疑問や問題意識の交流を
重視したいということで、
私のしゃべる時間は30分。あとの60分は
ざっくばらんな交流ということで進めていく形式です。
きのうも、自己紹介や、
最近感じていることなどをたっぷり交流したあと、
私がいまの情勢の特徴、
そのなかでの民青同盟の役割と魅力を
思いつくまま話をしてみました。
それにしても、話を聞いていて、
いまの青年の置かれている環境は、
ほんとうに胸が痛むものでした。
深刻です。でも、希望もあります。
「今は夜明け前の情勢だ」ということを、
自信をもって語っていきたいと思います。
2008年12月15日 (月)
医労連青年部定期大会
12日(金)の晩は、19時から、
岡山県医労連の青年部定期大会の
前段学習会として、40分弱、話をしてきました。
やるなら今しなねえ!
というスローガン(?)が。
参加は大人ふくめて
20数名でした。
内容は、このまえの「みんなの学校」の4回目と
かなり重複するのですが、
労働組合の歴史の話で、
1968年の新潟県立病院でたたかわれた
ニッパチ闘争(夜勤制限闘争)のことを、
『夜明けがくる-立ち上がる看護婦たち』
(新潟県職員労働組合編、労働旬報社、1968年)
を紹介しながら語ってみました。
木村栄子さんの死とか、
7時間におよんだ団体交渉のところとか、
この本、読んでるだけで胸にくるものがあって、
話している最中もやばかったです。
あぶなくつまってしまうところでした。
医療労働者の誇り、
患者さんの命を守るたたかいを、青年のみなさんに
ぜひ受けついでもらいたいと切望します。
そして、「青年部にしかできないこと」を、
思いっきり、やっていってほしいと思います。
2008年12月 3日 (水)
権利学習の強化を
今日(3日)は、岡山医療生協労組の
中央委員会の前段学習で、18時から30分間、
「権利学習のための観点」というテーマで
話をしてきました(写真をとるのを忘れた)。
権利の土台には人権があること、
日本国憲法の基本人権の中身、
27条の「勤労条件の法定主義」のこと、
労働基準法は、「人たるに値する生活」(1条)のための
最低限のルールであることを強調し、
労基法のいくつか内容も紹介しながら、
権利学習の強化を訴えました。
また、医療労働者にとっての権利学習の
意味についても、少し付け加えて話をしました。
医療現場はほんとうに長時間労働が蔓延し、
労基法での大原則である「1日8時間」が形骸化している
感じがしています。
患者さんや利用者さんのいのちや人権を守るためにも、
自らの労働に誇りをもつためにも、
権利学習をもっともっとしてほしいと思います。
2008年12月 2日 (火)
2008年11月26日 (水)
青年部って?
きのう(25日)の晩は、倉敷医療生協労組の
みんなの学校の4回目(最終回)でした。
テーマは、
「労働者と労働組合の視点-要求?団結?青年部?」でした。
参加は4名。
残念ながら最終回も
だいたい同じメンバーでした(笑)
でも、声かけをしての結果
ですので、おつかれさまです。
講義では、労働組合の社会的役割や、
青年部とはそもそもどんなものか、という
話がメインになりました。
講義終了後は、いろいろ組合活動の
状況や苦労が話し合われ、
今後の「みんなの学校」の方向性についても
少し検討しました。
ともあれ、学習の場が継続的に必要、ということでは
認識は一致しています。地道にがんばりましょう。
参加されたみなさん、おつかれさまでした。
以下、講義の概要です。
一。あたりまえすぎる存在だから、見えないことがある
1。『おぼえていろよ、おおきな木』(佐野洋子)
◇あたりまえの存在ほど、ありがたみが見えにくい。
否定面ばかりが目につく。
◇署名はあるわ、集会はあるわ、団体交渉、会議、そして毎月
天引きされる組合費…
*「おぼえていろよ!」と切り倒す前に
*もし、労働組合がなかったら、どうですか?
2。労働組合を「つくる」って?
◇*『仲間がいるからがんばれる』(『学習の友』95年1月号)より
二。では、労働組合とは、そもそもなんでしょうか
1。その役割
◇人間らしく生きるため、人間らしく働くため
*資本主義社会のなかで、資本家(経営者)と、労働者は、
お互いの存在がなければお互いが存在できない関係に
あるが、利害は本質的に対立する関係にある。
*そして、労働者は、資本家と比べれば、圧倒的に立場が弱い
→自分たちの生活、労働条件の向上、仕事の質の向上の
ために“たたかう”組織。これが出発点であり、基礎となる。
◇労働組合の役割を考えるとき
*1人称の幸福(人間らしさ)追求-自分
*2人称の幸福(人間らしさ)追求-家族や友人、知人、職場の仲間
*3人称の幸福(人間らしさ)追求
-知らない人だけど、同じ人間、同じ労働者
「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする
権利は、これを保障する」
(日本国憲法第3章「国民の権利と義務」のなかの第28条)
→日本国憲法は21条で「結社の自由」が保障されている。そして
さらに、労働組合だけに、28条でこうした「特権」があたえられて
いる。なぜか?
→他人のために自分の時間をつかうのは、“自分の時間が奪わ
れる”ことか?
→他人の不幸せを“ほっとけない”と思える感性。人間や労働組合
の本質。
2。“ことば”への理解
◇「組合用語」をあらためて考える
*だんけつ?
*ようきゅう
*だんこー?
*さ、さ、さ、産別統一闘争?????
三。では、青年部って?
1。青年部が、青年部らしくあるためには…
「私たちは、どんなことにしろ、そのものの意味を知らなけ
れば、それを大切にしたり愛したりすることは出来ない。現
実を理解しなければ、それを愛し、そこに働きかけてゆく人
間の歴代の努力のうけつぎ手として今日生きているよろこ
びや感動を味わうことも出来ない。知は愛の母、というレオ
ナルド・ダ・ヴィンチの言葉は真実にふれている。現実を知
るということと、現実はこんなものだと分るということとは全く
別である。こんなものなら、どうして現実はこんなものとして
しか現れないか、こんなものである現実に飽かず何故人間
は営々と努力しているか、そこにまでふれて理解しなければ
なるまい。周囲の世相が急流のように迅(はや)ければ迅い
ほど、私たちの知識や理解力は深められなければ、やって
行けなくなって来ていると思う」
(宮本百合子「若い娘の倫理」)
*青年部は、“労働組合の”青年部、ということに大事な意味がある
2。労働組合青年部の役割をいくつか整理すると
◇青年職員の労働条件、人間らしい生活のために行動する。青年
職員のなかで、あてにし、あてにされる関係をつくりだす。要求実現。
◇徹底的に「学ぶ」。労働組合のこと。主権者として成長する学習。
専門職としてのレベルアップ。しかし、仕事の学習は別にして、社
会のしくみとか平和問題とか、労働組合の学習は、自然発生的に
は青年の「要求」とはなりにくい。意識的に持ち込む。
◇自分の職場だけでなく、青年労働者全体を視野に入れ、人間が
大切にされる社会や平和の実現のために組織の力を発揮し、団
結(新しい力を生みだす)をひろげていく。
【青年部が輝くための基礎的活動】
*青年職員の不満や悩み、願いを「聞く力」「受信する力」
*そしてそれを「要求」へと高める力
・「聞く力」の基礎は調査活動(労働時間や有休チェック、パワハラ
チェック、「やりたいこと」「仕事の悩み」なんでも書いてアンケート
など。ときには直接調査も)
・労働条件や社会的課題に対しての「願い」。専門職集団としての
要求も。
・ほんねトークを意識的につくりだす
◇レク活動の位置づけについて
*「集まる」ことの大切さ。敷居が低い。肩ひじはらない交流。
*ただし、レク活動に比重が傾きすぎると、逆に結集が広がらない
◇労働組合運動に、新しい文化を創りだす青年部に
*いつの時代でも、新しい文化をつくりだす中心は、若い世代
*労働組合運動も人間集団の集まりである以上、広い意味での
文化が発生する。先達の歴史を受けつぎつつ、新しい活動のあ
り方、スタイル、外見を創りだすことが、多くの青年の感性に響
く活動となり、共感の幅が広がる。
さいごに:「納得と共感」、そして「感動」が、青年部を輝かせる力
以上。
2008年11月17日 (月)
変化とつながり
金曜日(14日)は、倉敷医療生協労組の
みんなの学校(2期目)の3回目。
参加は4名と少なかったですが、中心メンバーと
いろいろ今後についての話もできて良かったかと。
テーマは「変化とつながり-木を見て、森を見失わず」です。
つまりは弁証法の話なのですが、
いつも講義構成に悩まされます。修行不足です。
それだけ弁証法は奥が深くて、学ぶ範囲も広い。
唯物論はスパッと言えるんですけどね。
以下、講義の概要です。
一。ものごとは、どういうあり方をしているか
1。動いている
◇法則がある
◇物質は、運動している
*物質とは。私たちの意識とは独立に存在し、私たちの感覚の
源をなし、感覚を手がかりとして、認識できるもののこと。自然、
人間、社会も物質。
*物質の存在形態として、“つねに動いている”ということを確認
しておきたい。
*あるものが運動しているということは、そのものがそのもので
ありながら、同時にそのものでなくなっていくということ。自分も
他人も、職場も社会も。
◇「どうせ…」という言葉に象徴される私たちの認識
*しかし、私たちは、ものごとを固定的にみたり、変化しないもの
と決めつけることが多くある。「どうせ○○だから」という具合に。
◇そして、「今までこうだったから…、こうだろう」(経験の絶対化)と
いう見方も。
*自分や他人の過去の経験を、時、所、条件からきりはなして
固定化し、その尺度ですべてをはかろうとする(ラクだから)。
しかし、現実は新しい要素を付け加えながら、つねに変化している。
*『生きるってすばらしいね』(望月春江、日本看護協会出版会)から
・脳死宣告を受けた女性とその家族の体験
・「病院の中の医師たちの機械的ともいえる言葉」
・「当分変化はおきません」「偶然でしょう」
◇運動・変化・発展と連関の法則をあきらかにした理論が、弁証法
といわれるもの。
*ドイツの哲学者ヘーゲルが弁証法の哲学者としては有名
2。変化、発展の法則
◇量と質
【質とは何か】
*あるものを他のものから区別して、そのものたらしめている本
質的な諸性質の総体のこと。つまり、「これはどんなものか?」
と問われたときに、「これこれこんなものだ」と答える、その「こ
れこれ」の全体がその事物の質。
【量とは何か】
*ある事物、あるいはそれを構成している諸要素のあり方を、程
度の面からしめすもののこと。「多い・少ない」「大きい・小さい」
「長い・短い」「重い・軽い」「広い・狭い」「遠い・近い」「早い・遅い」
「深い・浅い」などなど。つまり、「どれだけあるか?」と問われて、
「これこれだけある」と答える、その「これこれ」が、事物の量にあ
たる。
【質と量のつながり】
*質と量はバラバラにきりはなされて存在できるものではない。つ
ねに結びついて存在している。つまり、ある質にはかならず一定
の範囲の量が対応している。
・ものづくりの量と質
・一流のスポーツ選手の「質」は、必ず、並外れた練習「量」と結び
ついている。
*たとえ事物の量が変わっても、それが一定の範囲をこえないう
ちは、事物の質は変わらない。しかし、量の変化が一定の限度
をこえると、それは事物の質をも変える。
*たとえば、「薬」の質は、かならずその「量」と結びついている。適
切な「量」と結びつかない「薬」は、「薬」ではなくなる。まったく効果
のないものになってしまったり、逆に人間にとって「害毒」になる。
*あるいは、「いい看護」をするための「質」を問題にするときにも、
「量」の問題と切り離せない。たとえば、働く時間が極端に長かっ
たりすれば、それは看護師の疲労をもたらし、看護の質に影響す
る。また、「何人の患者さんを、何人の体制でみる」という人数の
問題も、看護の質に関わってくることは明らか。「いい看護をする」
という質を問う場合には、必ず量の側面も問題にしなければならない。
◇量の変化が、質の変化に転化する(発展)
*ものごとの発展は、まずものごと内部の量の変化からはじまる。
それはすぐにものごとの質を変えはせず、したがってなかなか表
面には目立たない。ゆっくりと、長期間、こうした状態での変化が
進行していく。
*そして、それがある段階に達したとき、飛躍的なかたちで質の変
化がひきおこされる。これが、ものごとの発展過程の法則的すじ道。
*したがって、私たちは、めだたない量の変化をけっして軽視しては
ならない。そのつみかさねが、やがて質の変化をひきおこす。
・自分の変化、自分がいる環境の変化
・みんなの学校の量と質
・労働組合を強くするために
3。肯定をふくんだ前進的な否定-「○か×か」「黒か白か」ではなく
◇発展の原動力としての弁証法的矛盾・・・対立物の統一と闘争
*資本家と労働者
*自分のなかの矛盾
*他人のなかの矛盾
*労働組合の発展の原動力とは?
◇発展とは、古い質が、新しい、よりいっそう高度な質に変化すること。
*そのさい、古い質は「否定」される。しかしそれは、古い質のなか
にあった、積極的な内容、未来につながる要素を肯定し、新しい
ものに引き継ぐという「否定」となる。ものごとを全面的に否定して
しまうと、発展はない。
*ものごとを断面的にきりとって、その瞬間において黒白をつける
ことはできるが、変化というのは、うねうねと黒も白もふくみつつ続
くものであり、その中途半端さを洞察する力を身につけることも大事。
・ものごとを評価するとき、総括するとき
・人の成長
二。つながりのなかで見る
1。連関(つながり)を認識する
◇物質的なつながり
*そのものがまったく独立して存在しているということはない
◇働く人びととのつながり
◇1人ひとりは、いろんな「顔」をもつ
◇人間への見方
*医学の進歩も、個々の身体部位の研究蓄積の成果だが、トー
タルで患者をつかむ見方の後退。「連関と相互作用の無限にか
らみ合った姿」が1人の人間。社会も同じ。
*民医連医療の生命観
2。時間的なつながり、比較のなかでみる
◇たとえば、日本の医療・福祉問題で考える
*過去の医療・福祉政策はどうだったのか
・老人医療が無料だった時代、その要因は何か?
・社会保障の歴史を学べば、現代政治がみえる
*日本のような先進国の医療・福祉政策はどうか?
・各国の事情、その歴史的・政治的背景は
3。「変わらない」「孤立している」ものの見方は、誰にとって都合がいいか。
「形而上学の見かたは、…私たちがともすれば木を見て森を見
失いがちになるところから生じてくるものですが、ここで注意する
必要があるのは、それが政治や経済の上で支配的な地位につ
いているものの利益と結びついてくるということです。つまり、木
だけを見て森を見させないこと、現状をどこまでも安定した本質
的に不変のものであるかのように思わせることは、かれらにとっ
てつごうのいいことなのです」
(労働者教育協会編『新・働くものの学習基礎講座1哲学』
学習の友社、1998年)
◇「無関心」「あきらめ」「バラバラ」であれば…
*人びとが手をつないで、行動することを恐れる支配者層
*自己責任論は、連帯と共同を破壊する
*部分をみせて、全体から遠ざける
◇しかし、本質的なものは、時代をこえて伝わる
*蟹工船ブーム(たたかい、連帯、生き方)
*つながれば、元気がでる
さいごに:弁証法的なものの見方をどんな場合でも貫くのは、非常に難しい。
だからこそ、不断の学習が必要。
以上。
2008年11月10日 (月)
いつものオルガで
土曜日(8日)は、午後、
生協労組中四国地連労働学校で講義。
会場はオルガ会館。
中四国から、単組の役員メンバーが
集まって1日みっちり学ぶ講座です。
私は、午後の3つの分科会うち、初級編で、
労働組合とはなんぞや、という話でした。
11名が参加。役員暦を聞くと、
1年~3年目が半数でした。
メモをとりながら聞いてくださる
人もたくさんいて、学ぶ姿勢が
すばらしいなと思いました。
「みなさんが職場で『語れる』ようになるのが、
今日の学習会の目的です」と切り出して、
休憩をはさんで90分間、労働組合とは、と、
働く人びとの現状、について話をしました。
いつも以上にわき道が多くなった話でしたが、
それはそれで面白く聞いていただいたみたいでした。
最後の質問で、広島からの参加者が、
友人が勤めているところの労働組合では、
政党支持(民主党)の強制がキツクて、それが嫌で
労働組合にかかわりたくない、という話を聞いたが、
どうなのか、と聞かれました。
連合加盟の製造業の大企業の労働組合の
話でしたが、大事な問題だと思いました。
「政党からの独立」が労働組合の
大原則であり、政党支持の強制は不団結を生み、
労働者の最大の力である「数」を結集できない
ということになる、てな話をしてみました。
2008年11月 1日 (土)
哲学はおもしろい
きのう(31日)の晩は、倉敷医療生協労組の
みんなの学校の第2回目。
参加は5名と浮上しませんでしたが、
なかなか濃厚な学習会となりました。
きのうのテーマは、
「サラバ、決めつけ・先入観-ものの見方の出発点」。
私のお気に入りの絵本、
「わたし」も使ってみました。
話のあとの討論では、いろいろと
面白い論議ができたと思います。
「事実をどうみるか」「情報のとりかた」
「変化に気づく感性」「人の見方」などなど。
『慰安婦』本も2冊売れました。
以下、講義の概要です。
一。最近読んだものから
1。週刊東洋経済『医療破壊』特集(11月1日付)
◇特集内容もすごいが、「編集部から」のひと言に注目したい
*「物事を直視することからしか解決方法を探れません」
「あくまで現実にこだわり続けます」(風間さん)
2。日本軍「慰安婦」問題をめぐって
◇「事実を知る機会を失ってしまうと、考えることすらできなくなって
しまいます」(『女子大生と学ぼう 「慰安婦問題」』あとがき)
3。私(私たち)の認識は、ほんとうに対象の真の姿をとらえているのか?
◇つねに自分の五感で生の現実をつかみ、考え続ける
◇他人のつかんだ事実や考えた理論を貪欲に吸収する
*ただし、すべてを鵜呑みにするのでなく
二。なぜ、決めつけや先入観が入り込むのか
1。「先入観という便利なメガネ」(臨床心理士・土屋由美さん-資料参照)
◇人間の認識過程で「こうじゃないかなぁ」と“あたり”をつける
◇「どうせ変わらない」と考えれば、何も努力を必要としない
2。たとえば、まわりの「人」をどう見るのか
◇血液型性格判断の話-ソワニエ看護学校での、ある学生さんの経験
◇ウワサ話-「判断材料のひとつ」程度に
◇その人の24時間を知っているわけではない。「いろいろな顔」は知らない。
*絵本『わたし』
◇相手を「変化する」対象としてとらえる感性
3。労働組合や医療生協(職場)にたいして、決めつけや先入観は
ありませんか?
三。ものの見方をミガクために
1。哲学の基本概念をごく簡単につかむ-ものの見方の出発点
◇2つの世界観の対立
*物資を根源的なものとする立場=唯物論
*意識(精神)を根源的なものとする立場=観念論
*どちらが大切かということではない
物質とは:私たちの意識とは独立に存在し、私たちの感覚の源を
なし、感覚を手がかりとして、認識できるもののこと
意識とは:物質である脳の働き。意識の内容は、外の世界の反映。
◇唯物論とは、ものごとの「事実」から出発するものの見方のこと
◇ものごとの原因をきちんとつかむ
2。関心のウイングをひろげる
◇人間、好きな人や対象に対しては関心をもつもの
*自分の子ども、好きな人、好きな芸能人
*好きな街、自然、風景
◇ふだん関心がむかないような人や対象を「観察」してみるトレーニング
が必要!
*その際にも、「偏見や決めつけ」に注意を!
◇こうした学習会は、関心を広げる最良の場
さいごに:事実をつかむためには努力(時間や労力)が必要
そして、事実から遠ざけようとする人たちによって、
私たちの無知は利用される
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そういえば、航空自衛隊のトップが
とんでもない論文を書いていたことが判明しました。
「歴史の事実」や「真実」と向き合わない人びとが、
この国のそういう立場にいる。恐ろしいことです。
真実を広げるために、学習運動もがんばります。
2008年10月24日 (金)
またもナイチンゲール
きのう(23日)の午後は、
岡山協立病院の看護師3年目研修で、
「ナイチンゲールの生きた時代背景」
~ナイチンゲールから引き継ぐもの~
というテーマで話をしてきました。
休憩時間の風景。
つっぷして寝る参加者。
全体では10名ほどの
参加でした。
休憩をはさんで90分間、
ナイチンゲールの生きた19世紀のイギリスの話、
上流階級に生まれたナイチンゲールが看護師になるまで、
そしてナイチンゲールの生命観について、
あれこれしゃべってきました。
でも、現役の看護師さんて、
ナイチンゲールほとんど勉強しないんですよねー。
民医連だからこんな研修をやってるようなもので。
もっとナイチンゲールを学ぶ意義について
広げていきたいですなぁ。
2008年10月23日 (木)
主権者としての責任
きのう(22日)の晩は、福祉保育労岡山支部の
執行委員会へ。
前回からG気っ子保育園の人たちも参加していて、
わいわいとにぎやかです。
参加は最終的には
12名ほどでした。
学びたい要望として“平和について”という
おそろしく漠然としたテーマをいただいたので、
コレ幸いと、日本軍「慰安婦」問題を切り口に、
「この国の主権者としての私たちの責任」を
語ってみました。
話のベースにしたのは、もう2年ほど前の
労働学校でのこの講義でしたが、
つけくわえて私たちの戦後責任の問題や、
おぼっちゃま麻生くんのこの問題への
態度についても話をしました。
そんでもって、最近出版されたばかりの、
『女子大生と学ぼう 「慰安婦」問題』
(神戸女学院大学石川康宏ゼミナール編、日本機関紙出版センター)
も実物を紹介して、宣伝してきました(何冊か持っていけばよかった…)。
なにせ、この本をつくったゼミのお2人には、
昨年の74期岡山労働学校入学式で講演して
もらっているので(こちら)。
話の最初に、
「今日は重たい話しですが、ぜひ知ってもらいたいので」
と断わってすすめましたが、
みなさん真剣に聞いていただき、
きちんと受けとめていただいたようです。
質問もいろいろと出されましたが、
「当時10代で、あれから60年以上経っているということは・・・」
という声があり、
「そうです、元『慰安婦』の方は、毎年のように亡くなられて
います。もう時間がないのです。私たちが謝る政府を
つくらなければ、謝る機会はもうありません」
という話にもなりました。
きのうは水曜日でしたので、
韓国の日本大使館では、いつものように
水曜集会が行われているだろうことも、
話をしてみました。
2008年10月15日 (水)
みんなの学校 2期スタート
きのう(14日)の晩、倉敷医療生協労組の
青年部が中心となっている「みんなの学校」の
2期目がスタートしました。
今期のテーマは「ものの見方と人間らしさ」です。
きのうの第1回の参加者は残念ながら4名と
少なかったのですが、
それはそれで中身の濃い話になり、
とても面白かったです。
横断幕を
とってみた。
きのうの講義は、「働くことを哲学する-人間らしさとは」
という内容でした。
まあ、そういう人数でしたので、
1時間半のうち、1時間は「働くこと」を
めぐっての交流・雑談になりました。
それぞれなぜその仕事を選んだのか?
働くなかでの模索や悩みなども出され、
かなり良い交流になったのではないかと思います。
で、残り30分で、
社会的な視野からの「働くこと」について
話をしてみました。
「いままで考えもしなかったことだった」
「視野が広くなった」という感想でした。
以下、講義の概要です。
一。あなたにとって、「働くこと」とは?
◇職業選択の自由(憲法22条)がもたらした「新たな問い」
二。その商品(サービス)の向こうに-社会を支える無数の人びと
1。私たちの生活は、無数の人びとの労働によって支えられている
◇『いっぽんの鉛筆のむこうに』(谷川俊太郎文ほか、福音館書店)
◇しかし、それはなかなか目に見えない
(「食」などは目に見えたほうが良い)
◇たとえば、今日1日の生活を想像してみよう
*朝、顔を洗うために「水」を使う。その水はどうして自宅までやってきた?
*朝ごはんやお昼ご飯、その食材はいったいどんな人がつくったのか?
*電気は誰が? ガスは誰が? 着てる服は? 靴は?
*自転車は、バスは、バイクは、車は? 信号機は? 看板は?
*机は、イスは、紙は、パソコンは?
*病院の建物は? 医療器械・器具は?
「君が生きてゆく上に必要な、いろいろな物をさぐって見ると、みん
な、そのために数えきれないほどたくさんの人が働いていたことが
わかる。それでいながら、その人たちは、君から見ると、全く見ず
知らずの人ばかりだ。この事を、君は、へんだなあと感じたね。
広い世間のことだから、誰も彼も知り合いになるなどということは、
もちろん、出来ることじゃあない。しかし、君の食べるもの、君の着
るもの、君の住む家、・・・すべて君にとってなくてはならないものを
作り出すために、実際に骨を折ってくれた人々と、そのおかげで生
きている君とが、どこまでも赤の他人だとしたら、たしかに君の感じ
たとおり、へんなことにちがいない」
(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』、岩波文庫)
◇「私」の生活を支えている人びと(つまりお世話になっている人)の
生活を想像する
*たとえば、お米。たとえば、携帯電話。たとえばコーヒー。
*生活はどうか? 病気にかかりやすい環境か? 働き方はどうか?
2。働くことの喜びを奪うもの
◇働くことは、もっとも人間らしい営みであるはず・・・
*働くことは、①自分や家族の生活を支える、②他人(社会)の生活や
仕事を支える、喜びを増やす、③自分の能力が高まる、④働くことを
通じて結ばれる豊かな出会い・人間関係、⑤自分や社会の未来を創
造していくこと…など、多面的な「喜び」がある。
*しかし、働き方は、社会のありようによって規定される
◇いまは資本主義社会
*その大きな特徴は、ほとんどの労働生産物が『商品』として生産され
るということにある。
*商品とは、簡単に言えば、他人に売るためにつくるもの
*昔は商品経済は部分的だった(つまり大方のものは自給自足していた)
*分業の発達→専門性の高まり→さまざまな自由の拡大
◇資本主義社会の宿命
*人びとの無数のつながりは、商品やサービスの「売買」という形で
つながれ、つくられている。
*「売る」「買う」ことが、第1の目的になりやすい生産関係ということ。
*会社の利益が最優先され、働く人の命や健康は後回しになりやすい。
*しかし、実際に社会を動かしているのは、働く人びと
・「社会の主役は誰か」をイタリアのゼネラルストライキにみる
さいごに-「寿命」とは何かについての、日野原重明さんの言葉から
「わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間をけずっていくという
のとはまるで反対に、寿命という大きなからっぽのうつわのなかに、
せいいっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。・・・時
間というには、ただのいれものにすぎません。そこにきみがなにをつ
めこむかで、時間の中身、つまり時間の質がきまります」
「寿命というわたしにあたえられた時間を、自分のためだけにつか
うのではなく、すこしでもほかの人のためにつかう人間になれるよう
にと、私は努力しています。なぜなら、ほかの人のために時間をつ
かえたとき、時間はいちばん生きてくるからです。時間のつかいばえ
があったといえるからです」
『十歳のきみへ-九十五歳のわたしから』より
(日野原重明、冨山房インターナショナル、2006年)
以上。
「みんなの学校」今後の予定は、
第2回 10月31日(金)「サラバ、決めつけ・先入観-ものの見方の出発点」
第3回 11月14日(金)「変化とつながり-木を見て、森を見失わず」
第4回 11月25日(火)「労働者と労働組合の視点-要求?団結?青年部?」
となっています。
2008年10月 8日 (水)
憲法はまだまだ…
浸透していません
。
きのう(7日)は、朝8時半から、
林病院の4年目職員研修で憲法の講義。
参加は13名でした。
朝っぱらから、わけもわからず憲法の
話を聞くのも大変だなーと思い、
「なんで職員研修で憲法のことを学ぶのだと
思いますか?」と質問してみた。
が、4人あてたけど、まったく答えられず。
押し黙ったままだった。
医療労働者と憲法の関係が
見えていないのだと思う。
で、最初に「憲法で大事だと思う条文は?」と、
小さな紙に3つ条文を選んで書いてもらった。
そしたら的確な答えが集まって、
いろいろ講義の話題がふくらんだ。
よかったよかった。
80分間、休憩を1回はさんでのお話でした。
午後1時半からは、
岡山医療生協高島支部の「くらしの学校」という
連続講座の3回目で「憲法」のお話。
毎週水曜日にくらしや社会情勢に関わる問題を
学んでいるそうです。すばらしい。
コミュニティーハウスの、
こんな畳のお部屋でした。
参加は10名でした。
こちらは午前中以上にざっくばらんに進めてみました。
同じく、「大事だと思う条文を3つ選んでください」と
やってみました。ただしこちらは、「9条と25条以外で」という
条件をつけた。
「憲法をまともに読んだのは初めてだわぁ」という人も、
悩みながら書いてくれていました。
それをもとに、いろいろ話をしてみました。
こちらが予想もしない条文を書いてくれる人もいて、
なかなか緊張感があって面白いです。
後半は、9条や25条の話もして、
こちらは休憩をはさんで90分。
質問も活発に出て、よかったと思います。
こんな感じの学習会は、とっても楽しいです。
きのうの2つの学習会をしてみて、
まだまだ憲法は読まれていない、
ということがわかりました。
引き続き憲法学習を広げるために頑張ります。
2008年9月24日 (水)
昼も夜も、労働組合とは
きょう(24日)は、まず生協労組おかやまの
パート部会新入組合員研修に。
11時から、コープ院庄の店舗内の
会議室でということで頭にインプットされて
いたのですが、私が向かってしまった先は
同じ津山市内にあるコープ林田店。
以前2回ほどここで学習会をしていたので、
完全にこっちだと思い込んでました。
経験による「思い込み」は恐ろしい・・・。
間違いに気づいて、すぐさま院庄店へ向かう。
スタートには間に合ったのでありました。
あー、あせった。
午前と午後の2回コース。
「労働組合とは」という
お話でした。
1時間話をしました。
そして晩は、久々の福祉保育労の
執行委員会へ。会場はA保育園。
この日は、
私が3年間かかわって
きたなかでは一番の活気!
17~18名はいました。
こちらも「労働組合とは」という話でした。
今日は、新しい組合員さんがたくさん参加してくれ、
またG気っ子保育園という新しく福祉保育労に
加盟してくれた組合員さんも参加してくれて、
前半はちょっとした歓迎会ということになりました。
生協労組と同じ題名の話でしたが、
中身はかなり違うもので、
95年1月号の『学習の友』を使い、民間の保育園で
労働組合をつくった方の手記を読み合わせ、
子どもの成長を保障する専門職としての
保育士の労働条件の問題についても話をしました。
最後に、いまの保育の危機と、労働組合の役割に
ついて話をしてみました。
感想交流では、みなさん貴重な感想を述べられていました。
少しはお役にたてたようでありました。
福祉保育労では、いま、ある民間保育園から
労働相談があり、近々組合結成につなげていく
話がすすんでいるという報告もありました。
「組合結成!」…わくわくする響きです。
地道な学習活動が力になれば、
これほど嬉しいことはありません。
楽しみです
。
2008年9月21日 (日)
看護師卒後研修講座で…
きのう(20日)は、岡山民医連の
看護師卒後研修講座で、
「ナイチンゲールから学ぶもの」と
いうテーマで話をしてきました。
半年にわたって7回の講座があり、
2~5年目ぐらいの看護師さんたちが、
民医連の看護師として
ひとまわり成長しようという講座。
その3回目の講座だったようです。
参加は20名でした。
「なぜ看護師でもない私がナイチンゲールを?」
という疑問やとまどいは最後までつきまといましたが、
大好きなナイチンゲールのことを
思いっきり話し(休憩はさんで2時間半もしゃべった)、
私にとっては嬉しい時間でした(笑)。
しかし、案の定、臨床現場と結び付けての
話しなどできないわけで、
イマイチ反応がよくわかりませんでした。
どうだったんでしょ。
以下、おおまかな枠組みのみ、紹介します。
一。なぜ私がナイチンゲールか
1。きっかけ-ソワニエ看護学校での「読書日記」
2。「読書日記」で紹介した本の一覧
3。「読書日記」をつうじて私が学んだこと
二。看護であること
1。どのような「手と目(看)」の持ち主か
2。羅針盤としてのナイチンゲール
三。ナイチンゲールの生きた時代
1。当時のイギリス社会
2。ナイチンゲールが看護師になるまで
四。ナイチンゲールから何を受けつぐのか
1。視野の広さ、あきらめない看護
2。看護の危機とナイチンゲール
さいごに:ナイチンゲールからのメッセージ
以上。
講義準備で、ソワニエでの3年間の
「読書日記」の一覧をつくってみて、
紹介したのですが、どれも学ぶところの
多い本だったので、あらためてここで紹介します。
興味のある方は、ぜひ。
【ソワニエの授業「読書日記」で紹介した本一覧(59冊)】
<2006年ー22冊>
『看護学生物語-わが青春に悔いあり』(江川晴、集英社文庫、1999年)
『キラリ看護』(川島みどり、医学書院、1993年)
『ナイチンゲール看護論・入門』(金井一薫、現代社白鳳選書、1993年)
『ナイチンゲール言葉集』(薄井坦子、現代社白鳳選書、1995年)
『看護覚え書ー改訳6版』(ナイチンゲール著、現代社、2000年)
『ナイチンゲール』(長島伸一、岩波ジュニア新書、1993年)
『がんばらない』(鎌田實、集英社文庫、2003年)
『佐久病院ナース物語ーだから私は看護が好き』(山田明美、あけび書房、1997年)
『生きるってすばらしいね-植物状態からの脱出』(望月春江、日本看護協会、1981年)
『赤ひげ診療譚』(山本周五郎、新潮文庫、1964年)
『病院で死ぬということ』(山崎章朗、主婦の友社、1990年)
『「死の医学」への日記』(柳田邦男、新潮文庫、1999年)
『ベットサイドのユーモア学』(柏木哲夫、メディカ出版、2005年)
『自宅で迎える幸せな最期』(押川真喜子、文藝春秋、2005年)
『千の風にいやされて』(佐保美恵子、講談社、2004年)
『フロレンス・ナイチンゲールの生涯(上・下)』(セシム・ウーダム・スミス、現代社、1981年)
『木もれ日の病棟から』(宮内美沙子、角川文庫、2000年)
『からだことば』(立川昭二、早川書房、2000年)
『ともに考える看護論』(川島みどり、医学書院、1973年)
『育てる喜びありがとう』(川島みどり、看護の科学社、2002年)
『ベットサイドからケアの質を問う』(吉田恵子・川島みどり、看護の科学社、1997)
『犠牲ーサクリファイス』(柳田邦男、文藝春秋、1995年)
<2007年-21冊>
『生きることの質』(日野原重明著、岩波書店、1993年)
『いのちの授業-がんと闘った大瀬校長の六年間』(神奈川新聞報道部、新潮社、2005年)
『話ことばの看護論-ターミナルにいあわせて』(徳永進、看護の科学社、1988年)
『心のくすり箱』(徳永進、岩波現代文庫、2005年)
『小さな勇士たち-小児病棟ふれあい日記』(NHK「こども」プロジェクト、NHK出版、2003年)
『ナースの広場』(徳永進、関西看護出版、2005年)
『医師としてできること、できなかったこと』(細谷亮太、講談社+α文庫、2003年)
『小児病棟の四季』(細谷亮太、岩波現代文庫、2002年)
『命のノート-ぼくたち、わたしたちの「命」についての12のお話』(細谷亮太、講談社、2006年)
『いつもいいことさがし』(細谷亮太、暮らしの手帖社、2005年)
『新訂 看護観察と判断』(川島みどり、看護の科学社、1999年)
『看護婦ががんになって』(小笠原信之・土橋律子、日本評論社、2000年)
『生と死の美術館』(立川昭二、岩波書店、2003年)
『未来につなぐいのち』(藤野高明、クリエイツかもがわ、2007年)
『十歳のきみへ-九十五歳のわたしから』(日野原重明、冨山房インターナショナル、2006年)
『私が人生の旅で学んだこと』(日野原重明、集英社、2005年)
『赤ちゃん 成長の不思議な道のり』(安川美杉、NHK出版、2007年)
『すべてのいのちが愛おしい』(柳澤桂子、集英社文庫、2007年)
『世界にたったひとつ 君の命のこと』(奥本大三郎、世界文化社、2007年)
『痛みの声を聴け』(外須美夫、克誠堂出版、2005年)
『歩き続けて看護』(川島みどり、医学書院、2000年)
<2008年-16冊>
『紙屋克子 看護の心そして技術』(NHK「課外授業ようこそ先輩」、KTC中央出版、2001年)
『新訂 キラリ看護』(川島みどり、医学書院、2008年)
『看護を語ることの意味~“ナラティブ”に生きて』(川島みどり、看護の科学社、2007年)
『寡黙なる巨人』(多田富雄、集英社、2007年)
『沖縄が長寿でなくなる日』(沖縄タイムス「長寿」取材班編、岩波書店、2004年)
『看護のなかの死』(寺本松野、日本看護協会出版会、1985年)
『老いるもよしー臨床のなかの出会い』(徳永進、岩波書店、2005年)
『ナイチンゲール 神話と真実』(ヒュー・スモール著、田中京子訳、みすず書房、2003年)
『コード・グリーン(危険信号)』(ダナ・べス・ワインバーグ著、日本看護協会出版会、2004年)
『医者が泣くということ』(細谷亮太著、角川書店、2007年)
『ママでなくてよかったよ』(森下純子著、朝日文庫、2003年)
『シスター寺本松野ーその看護と教育』(日本看護協会出版会、2003年)
『凛として看護』(久松シソノ著・川島みどり編、春秋社、2005年)
『野の道往診』(徳永進、NHK出版、2005年)
『看護の危機ー人間を守るための戦略』(和泉成子監訳、ライフサポート社、2008年)
『いのちの文化史』(立川昭二、新潮選書、2000年)
2008年9月 5日 (金)
15回の授業が終了~
今日の午後は、ソワニエ看護専門学校の
15回目の授業。今年最後の授業でした。
読書日記では、『いのちの文化史』という本を紹介。
「いのち観」と「いのち感」の違い、
「息を引きとる」の意味、
石川啄木の詩などを紹介し、
「いのちへの感性」を磨いてほしい、
ということを最後に訴えました。
講義では、
先週出された質問にいろいろと答えつつ、
憲法と法律の違い、
「主権者として成長するために」という
視点で憲法の中身の話をしました。
やはり憲法はなかなかとっつきにくい
部分もあったようですが、
いくらかでも刺激を受けてもらえていたら、
嬉しいな、と思います。
さいごの授業が終わり、あとはレポート提出で
単位認定となりますが、
今日の学生さんの感想文は、最後ということもあり、
みんないろいろ書いてくれていました。
とても嬉しかったし、励みになりました。
やっぱり気を抜かず頑張ってきてよかったなぁと、
あらためて感じたり。
この3年間でがっつり学んで、
プロの看護師として、
そして感性豊かな人間として、
成長していってもらいたい、と思います、
ある学生さんが、
感想文の裏に、
こんなものを
書いてくれていた。
すんごく嬉しい
のですが、
これって授業中に
書いてたんだ
よね…たぶん(笑)
2008年8月29日 (金)
やはり読むことから
今日の午後は、ソワニエ看護専門学校での
14回目の講義。夏休みが明けて、
あと残り1回、いよいよ今年も最後です。
「読書日記」では、
『看護の危機-人間を守るための戦略』を紹介。
今日の世界的な「看護の危機」と
それを乗り越える方向性についておさえ、
ナイチンゲールの実践と言葉から、いろいろと
考えていきました。
本講義では、「主権者として生きる-憲法の理念を土台に」
というテーマで、今日は主に前文と3章部分を学びました。
やはり憲法自体、学生は読みなれておらず、
苦戦していたようでありました。まず読むことからですかね。
次回も憲法の話ですが、
今日の感想文でいろいろと来週につながる
質問が出たので、それもふまえて、
最後を締めくくりたいと思います。
2008年8月28日 (木)
社会保障のあゆみ
きのう(27日)の午後、
ひだまりの里病院(民医連加盟)の
職員学習会に行ってきました。
はじまる前の風景。
最終的には
60名近くの参加
だったそうです。
14時半から1時間、
社会保障の歴史が主題でした。
民医連がつくった『明日をひらく社会保障』という
テキストの全体連続学習会の2回目ということです。
テキストのⅢ章~Ⅵ章をもとに、私なりの
話をつけくわえて、話をしてみました。
が、もともと専門外なので、
にわか勉強でした、はい。
でも、自分自身のレベルアップには
確実になったと思います。
25条の歴史的背景についての
認識が明確になりました。
範囲自体がなかなか膨大だったので、
内容もかなり大胆に省略しながら、
そして早口にもなったと思います。
日本の社会保障のあゆみの部分は、
地元岡山のたたかい、朝日訴訟に
力を入れて話をしました。
以下、講義の概要です。
一。世界における社会保障の歩み(Ⅳ章)
1。社会保障の出発点-最初の生活保障の形態「救貧法」
◇1601年の「エリザベス救貧法」(テキスト91P「注」参照)など
*きわめて不十分な内容ながら、働けない労働者への救済
(まだ「人権」という観点ではなく、支配階級からの「おめぐ
み」という特徴)。
2。労働者の増大・資本主義の発展とともに
◇生産手段から切り離された「労働者」とは?
*「労働力」を資本家に売る以外に生活の手段がない人びとの増大
「資本主義が発展してくると、失業と貧困、病気やケガの
多発、労働災害の発生なども広がってきました。賃金労
働者は、自分自身の労働力を雇用主に売り、賃金を得て、
それで生活しなければなりません。しかし、傷病、障害、
高齢、失業などによって、自分の労働力を売る可能性を
失った労働者は、生きていくことができません」(テキスト92P)
*19世紀当時(イギリス)、雇用主(資本家)は、労働者の生活
や健康などには無関心だった
「住民の健康は国民的資本のきわめて重要な要素である
にもかかわらず、遺憾ながらわれわれは、資本家たちが
この宝を保存し大切にする用意がまったくないことを認め
ざるをえない」(『タイムズ』 1861年11月5日)
「多くの工場、倉庫、授産所、作業所などの現状から、なん
と数知れぬほどの病気や死や悲惨が生み出されているこ
とであろう。・・・人びとは酒の力を借りなければ仕事をやり
おおせず、それが彼らの健康のレベルを下げ、身持ちを崩
させ、刻々と、早過ぎる墓場行きへと駆り立てる。雇用者が
これらを配慮することは稀である。労働者たちととり交わし
た雇用契約書には、健康的な作業室などという条項はどこ
にもない。雇用者は賃金を支払うことが雇用契約上の自分
たち側の責務のすべてであると考えている。そしてこの賃金
と引き換えに、男女の労働者たちは労働と健康と、そして生
命を提供しなければならないのである」
(F・ナイチンゲール『看護覚え書』「換気と保温」より、
1860年、現代社)
◇病気、ケガ、そして失業。「労働力」を失った労働者は、生きる
すべをなくした。
*自己責任主義。「すべり台社会」(「もやい」の湯浅誠さん)その
ものだった。
*労働者たちは、自己防衛策として「共済組織」を自主的につく
りだしていった(自分たちの賃金を少しずつだしあって。しかし、
「自己負担」であることに変わりはない)
3。労働運動の発展、たたかいの中から生まれた生存権思想・
社会保障制度
◇国家が基本的人権を支える責任がある
*病気やケガ、失業などは、個人責任ではなく、大きな背景と
して資本主義制度の仕組み(資本家どうしの激しい競争の弊
害)そのものによって生み出されるという考え方。
「労働者は、失業、貧困、疾病などの発生が自然法則であ
るとか、個人の責任であるという資本家からの思想攻撃に
たいし、失業、貧困などの基本的な原因は資本主義制度
そのものにあることをつねに明らかにし、ここから、それら
の場合の生活保障について資本家とその国家が責任をも
つことをつよく要求してたたかってきた。
また労働者は社会の富を生み出しているにもかかわらず、
傷病、老齢、障害、そして失業などの場合にあらかじめ備
えることができないほどの低賃金しか受けていないことから、
労働者が資本家と国の負担で社会保障を受けるのは当然
の権利だと主張してたたかってきている」
(柴田嘉彦『世界の社会保障』新日本出版社、1996年)
◇たたかいの成果としての社会保障制度
*労働者は、労働組合をつくり、経済闘争とともに、政治闘争へ
とたたかいを発展させる
・ストライキなどのたたかいの増大、労働者政党の議会進出など
「現実的には、社会保障制度は、…国家独占資本主義の立
場からの政策の推進と、これに反対する、労働者・国民の立
場(生存権の実現、全面的な生活保障の確立をめざす)から
の闘争との相互の力関係のなかでその内容が決定されてき
ている」(柴田・前掲書)
*社会保険(保険料を主要な財源にする-ただし労働者の負担
が相変わらず大きい)
*社会扶助(国、地方公共団体の税収入による一般財源からの
支出、つまり公的負担)
*支配階級の体制維持のための「譲歩」としての側面-ムチとアメ
「社会保険と社会扶助は、資本家階級がすでに弾圧の方法
だけでは労働運動とたたかえなくなり、結局のところ自己の
完全な支配権を維持するという目的のために、個々の譲歩
をする戦術に移行することを余儀なくされた段階で実現した」
(柴田・前掲書)
「労働者・国民のたえまない闘争のなかで、給付内容の引上
げ、保険対象事由の新設、増加、適用者の規模の範囲の拡
大、雇主と国による費用負担割合の増加、保険業務の管理
への被保険者の参加など、1歩1歩、改善の成果をあげなが
ら、社会保険は多くの国で普及するようになった」
「社会扶助は、救貧制度に比べ、より広範な対象者に、権利
としての性格をもった給付をおこなう、1歩前進した制度だと
いえる」(柴田・前掲書)
*1917年のロシア革命
*ILO(国際労働機関)の創設
*ドイツのワイマール憲法→ファシズムの台頭により消滅
*アメリカのニューディール政策(テキスト95P「注」)
・1929年の世界恐慌-失業、飢餓、病気、欠乏、貧困・・・。
大混乱に。
・労働運動の激増、たたかいの発展
・資本主義国で初めての社会保障法の成立へ(1935年)
*イギリス「べヴァリッジ報告」(1942年)
・世界に影響をおよぼした社会保障制度の骨格プラン
・制度としての社会保障が体系化され、内容も一定程度、明確に
・「ゆりかごから墓場まで」
*世界人権宣言(1948年)
二。日本国憲法と社会保障の理念(Ⅲ章)
1。人類のたたかいの成果を受けついで
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多
年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利
は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、
侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」
(97条)
2。13条、25条、土台としての「平和的生存権」
◇13条-「個人の尊重」「生命、自由、幸福追求」
◇生存権としての25条
「戦後憲法の輝かしい25条は、高野岩三郎たちがたどって
きた歴史(ワイマール憲法の流れ-長久)と、GHQ内のニュ
ーディーラーたちがその夢を託して日本にやってきた道とが
合流するところで生まれた…25条は、その意味で、文字通
り世界史的産物であった」
(二宮厚美『憲法25条+9条の新福祉国家』かもがわ出版、2005年)
*その先駆性
◇前文の平和的生存権、そして9条「戦争放棄・戦力放棄」
*戦争国家としてのナチスドイツによる社会保障攻撃(ワイマ
ール憲法下で勝ちとられた諸制度を戦争の資金調達などの
目的に利用)は、戦争・ファシズムが、社会保障とまったく対
立することを示した典型。日本も同様な歴史(テキスト108P)。
9条と25条は一体。
◇国家が基本的人権を支える=社会権の規定
*25条、26条、27条、28条
3。憲法を読むためには想像力が必要
「多数派の側にいる人間が憲法を理解するためには、常に
弱者に対するイマジネーションを働かせる必要があります」
「強者と弱者は、常に立場が入れ替わる可能性があります。
・・・そういう可能性に対するイマジネーションを持っていない
と、憲法はいつまでたっても他人事で終わってしまいます」
(伊藤真『高校生からわかる 日本国憲法の論点』
トランスビュー、2005年)
三。日本の社会保障のあゆみ(Ⅴ章)-朝日訴訟を中心に
1。第2次世界大戦終了までのあゆみ(テキスト102~109P 省略)
◇基本的に社会保障としてはきわめて不十分な制度
*明治以降の急激な資本主義化と支配階級の弾圧の強さ、
対外侵略戦争へ
2。敗戦後-日本国憲法の制定
◇1946年に憲法が公布(47年施行)
◇占領初期の段階で、社会保障制度の骨格が整う
(テキスト110~112P)
*しかし、これはいわば「上からの改革」で、「権利をたたかい
とる」という主体性の獲得は、「朝日訴訟」という大国民運動
の登場をまつこととなる。
3。朝日訴訟-社会保障闘争のあけぼの
◇1957年に「朝日訴訟」開始(朝日訴訟とは-テキスト114~115P)
◇1958年には、労働組合(総評など)を中心に、「中央社会保障推
進協議会(中央社保協)」が結成される(今年で結成50周年)。
◇以下は、『人間裁判-朝日茂の手記』(大月書店、2004年)より
「私は、(これだ! これをやらなければならない。泣きねいりし
ていては、いつまでたっても救われない)と心の中で叫んだ。い
ままで、どんなに多くの人びとが法律のことを知らないために、
低い生活保護基準に苦しめられ、そのまま泣きねいりしたこと
であろう。私たちの療友も、古い田舎の慣習にとらわれたり、
家の面子(めんつ)にこだわったり、虚栄のため、受けられる
保護も受けず、また、受けたとしても、ただ、お上からのお恵
みとして受け取り、民主憲法で保障された当然の権利として考
えていた人は少なかったのではなかろうか」 (朝日茂手記)
「私の怒りは、決して私1人だけの怒りではない。多くの貧しい
人びと、低い賃金で酷使されている労働者の人びと、失業した
人びと、貧しい農漁村の人びと、この人びとはみんな私と同じ
ように怒っているはずだ。600円が1000円に引き上げられずと
も、あるいは、なんとか個人的に解決する方法がないとはいえ
ないが、こんなことをしていてはいつまでたっても、貧しい人び
と、弱い人びとは浮かばれない。生活と権利を守ることは、口
先だけでいくらいっても守れるものではないのだ。闘うよりほか
に、私たちの生きる道はないのだ」 (朝日茂手記)
「政府は、軍国主義復活、核武装へと、着々と安保体制を遂
行し、ごまかしの社会保障、医療合理化による低医療費政策
を強引におしすすめている。
…池田自民党のはなやかな経済成長のかげに、われわれ
被保護者には矛盾のトゲが痛いほどささっている。社会保障
の拡充などというのは選挙のときだけで、まさに弱い病人は
早く死ねという政治なのだ。
こんなことをあれこれ寝ながら考えていると書かずにいられ
なくなり、ついつい起き上がって訴えの手紙を書きつづけるの
が常であった。まわりの人びとは、『朝日さんはそんなにせん
でも、じっと寝とりゃあいいのに』と心配してくれるが、私はどう
してもやらずにはいられない。重症者の、せめてりんごの1つ
も食べさせてほしいという、このささやかな願いが、いまだに認
められないでいるのだ。『こんなバカな話があるだろうか-』こ
の怒りが、私の残り少ない生命の炎をかきたてている」
(朝日茂手記)
「憲法を暮らしに生かす運動は、憲法の諸条項・人権とそれ
に違反する現実とのギャップがあからさまになるとき、その
ズレのなかから国民的高揚を迎える…。朝日訴訟の場合に
は、一方での憲法で保障された文化的最低限の生活保障
原則と、他方での非人間的な劣悪きわまる生活保護基準の
現実、この両者間のあまりの落差・矛盾・ズレが憲法を暮ら
しに生かす運動に火をつけたのである。21世紀の社会保障
運動はこの運動視点に学び、一方での高まる権利水準、他
方での劣悪・貧困な無権利的生活の現実、この両者のギャッ
プに着眼した権利保障運動に取り組んでいかなければなら
ない。朝日訴訟が示した社会保障運動の力の源泉は、この
点にあると考えられる」
(二宮厚美「朝日訴訟が現代に問うもの」)
「生粋の庶民といってよい朝日茂さんが、なにゆえに、歴史
上数ある英雄も顔負けの勇気と果敢な意志、不撓不屈の粘
りをもって、その短い後半生を『権利は闘いとるもの』という
理念に捧げたのか。その力の源は、要するに、一方での人
間らしく生きる権利にたいする深い洞察と、他方での『合法的
殺人』と呼ぶべき非人間的な生活を強いる国家権力に対する
怒り、この二つに求められる。朝日さんは、普遍的人権に対
する洞察と確信が非人間的生活を強制する権力と衝突し、そ
こに発する火花を生きる力として50年の人生を生き抜いた。
これは、21世紀に生きる一人ひとりの個人が、いかにして生
きるべきかを問うときに、一つのヒントを提示するものにほか
ならない」 (二宮厚美、前掲)
◇1審判決(1960年10月、浅沼判決)
*25条の具体的権利性を明確に述べた
*「最低限度の水準は決して予算の有無によって決定される
ものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである」
◇朝日訴訟の運動形態も、学ぶべき宝がたくさんある
*個人的たたかいから、組織的たたかいへ
「どうして個人の力のみで闘えようか。組織の支援なしには、
とうてい勝つことはできなかったであろう」(朝日茂手記)
*労働者階級も、「自分たちのたたかい」として全面支援
4。その後の社会保障運動の経過は省略しますが…
「現実的には、社会保障制度は、…国家独占資本主義の立
場からの政策の推進と、これに反対する、労働者・国民の立
場(生存権の実現、全面的な生活保障の確立をめざす)から
の闘争との相互の力関係のなかでその内容が決定されてき
ている」(柴田・前掲書)
…という原則的な法則はかわっていない。
◇労働運動、革新自治体の発展による社会保障の前進
(老人医療の無料化など)
◇80年代以降の臨調「行革」路線による社会保障への攻撃、後退
四。わが国の社会保障のあらましと特徴(Ⅵ章)
◇各自、読んでいただいて、制度に強くなってください。
◇EU(とくに北欧など)の社会保障の理念と制度は、参考になる
ので、ぜひ詳しい学習を
さいごに:「医療者としてのプロ」になるとともに、患者さんや自分の
人権を守る「主権者としてのプロ」として成長することの大切さ。
「自分自身の幸せ」と「他者あるいは社会全体の幸せ」を
重ねあわせて。
以上。
2008年8月25日 (月)
愛知労働学校で
おととい(23日)は、
第101期愛知労働学校で話をしました。
新幹線で移動。18時、愛知労働会館に到着。
愛知を訪れるのは、本当に久しぶり。
労働会館も、なつかしい風景でした。
で、私は労働学校基礎教室の、
なんと最終講義を担当したのでありました。
基礎教室のテーマが、
「本当の真実はどこにある?」というもので、
これまで、貧困と格差、医療、環境、
スピリチュアル、労働問題、食品、平和など、
多彩なテーマで「真実」を学んできた受講生のみなさん。
そして、さいごの講義のテーマは、
「本当の真実はここにある-未来を創るのは私たち!」
というものでした。
なんとも漠然としたテーマで、
何を話そうか悩みましたが、
今後の学習や活動のヒントになるような話が
できればと思い、準備してみました。
教室風景。
若い人が
真剣に
学んでいます。
もちろん、11月の全国集会の宣伝も
がっつりしました。
愛知からも、たくさんの参加をお待ちしています。
講義のあとは、グループ討論に私も参加し、
みなさんの面白い意見やや議論を聞いて
勉強しました。
21時に終了したあとは、
愛知学習協のS田事務局長や
常任理事の方々と懇親会へ。
愛知といえば、
琉球王国(笑)。
お久しぶりの
出会いもありました。
なつかしい雰囲気。
泡盛も久しぶりに
飲んだ気がします。
来月の沖縄が
いまから楽しみ!
学習運動や労働運動など、
あれこれ話をして、
23時に懇親会はお開き。
即座に名古屋駅に移動し、
23時半の深夜高速バスに乗って、
朝7時に岡山駅に帰ってきたので
ありました。
労働学校チュターのみなさん、
愛知学習協のみなさん、
いろいろとお世話になりました。
ありがとうございました!
講義の概要は、以下。
一。真実をつかむために
1。あふれる情報のなかで
◇自分の頭で考え、疑い、読みとき、学ぶ力を
*『オッリペッカ・ヘイノネン 「学力世界一」がもたらすもの』
(NHK出版、2007年)
*29歳でフィンランドの教育大臣となり、現在の「学力世界一」
の基盤をつくる、中心的な役割を担った人の言葉。
「今日の世界では何もかもが目まぐるしく変わり、周囲に膨大
な量の情報があふれています。変化に適応し生き抜くために
は自分で自分を導いていかなければなりません。自分自身を
知らなければなりませんし、自分の内面から新しいことを学ぼ
うというモチベーションが生まれなければなりません。
人びとが自ら学ぶ力が必要なのです。新しい出来事に対応
する能力、将来思わぬ問題が起きたときにそれを解決する能
力が重要です。その能力を養うためには学ぶ力を身につけな
ければなりません。他者と協力する力や他国とコミュニケーシ
ョンをとる力も求められ、言葉の教育も重要です」
「頭に知識を流しこむだけではなく、どのように学ぶか、どのよ
うに自分の頭を使って考えるかを学ぶということ…。
…教師たちはたんに事実を学ぶだけでなく、事実のさらに向
こうを見ることの大切さを教えてくれました。なぜそうなるのか、
なぜこれを学ぶのか。これもモチベーションの問題につながっ
てきます。というのは、モチベーションは『なぜ?』という疑問か
ら生まれるからです。
変化の少ない安定した社会では、物事のありようを自ずと学
ぶことができます。しかし、変化のスピードが激しい社会では、
なぜそのような状態なのか、ほかの可能性もありうるのではな
いか、ということを絶えず考え続けなければならないのです」
*ヘイノネン氏は、「すべての基本は読解力を高めること」と述
べている。フィンランド人は、世界一読書好きといわれ、国民
の77%が毎日平均1時間読書をしている。図書館利用率も
世界一。
2。たしかなメガネ(羅針盤)が必要
◇「先入観という便利なメガネ」
(臨床心理士・土屋由美さん-資料参照)
*私たちの、「他人や職場、社会への判断(見当や認識)」は、
対象の真の姿を反映しているか?つねにチェックが必要。
*変化に気づく力。変化を読み取ろうとする意識。
◇たしかなメガネを求めて
「世界をあるがままのゆたかさでとらえうるような、そんな目を
私たちはもちたい。ゆがんだ眼鏡は、世界をゆがんで見せる。
私たちは、ちゃんとした眼鏡がほしい。哲学への要求がそこか
らはじまる。・・・ちゃんとした眼鏡をかけたことのある人は知っ
ていよう、はじめてそれをかけたときのことを。それまで、木の
葉はぼうっとかすんで見えていた。木とはそんなものだと思っ
ていた。が、眼鏡をかけたとたんに、木の葉の一枚一枚が、し
たたる緑とあざやかな輪郭をもって目にとびこんできた。世界
がそのあるがままの新鮮さで私たちに迫ってくる、そんな眼鏡
を求めて、私たちは哲学にむかうのである」
(高田求『人間の未来への哲学』青木書店、1977年)
*学習運動が得意とする基礎理論(哲学、経済、社会発展の理論)
を学ぶ重要性
*たとえば、賃金の「本質」とは?
二。真実を広げるために
1。国民支配のグーとパーとたたかう
◇力(経済権力・立法権力・警察権力)による支配
*政党ビラをマンションに配っただけで有罪
*歴史的にはマスコミの右傾化政策(マスコミ労働者・労働組合へ
の弾圧など)
◇イデオロギーによる包みこみ
*強固な自己責任論包囲網、公務員攻撃も
*国家財政は大変ですよ、企業が倒産しますよ、国際競争に負け
ますよ
*いざ選挙のときには、周到な世論誘導
2。サイエンスとアート
◇サイエンス・・・科学的判断、分析
*事実と根拠にもとづいた分析・判断
*労働組合の果たす役割、情勢の特徴、科学的な政策・たたかい
の方針
「わかるけど、やる気がしない、行く気がしない」をどう考えるか
・認識論の問題・・・「わかってない」(本当には納得してない)と
いう問題
・感性(五感)での共感という問題
◇アート・・・伝える力、生み出す力の総合力
*「理性」と「五感」に響かせる
*情報受信・伝達力、チラシやニュースづくり、ホームページ・ブログ
*言葉で勝負する。相手に伝わる言葉かどうか。
*オルグ力(話し方、聞き方、空間、時間)、会議力、事務所力
*仲間の存在、ヒューマニズム=微温(あたたかさ)
3。「学びあう場」「語りあう場」を1つひとつ、大切につくろう!
◇私たちから力を奪うもの、そして力を与えてくれるもの
「何が起きているかを正確に伝えるはずのメディアが口をつ
ぐんでいるならば、表現の自由が侵されているその状態に
おかしいと声を上げ、健全なメディアを育て直す、それも私
たち国民の責任なのだ。人間が『いのち』ではなく『商品』と
して扱われるのであれば、奪われた日本国憲法25条を取
り戻すまで、声を上げ続けなければならない。
この世界を動かす大資本の力はあまりに大きく、私たちの
想像力を超えている。だがその力学を理解することで、目に
映る世界は今までとはまったく違う姿を現すはずだ。戦うべ
き敵がわかれば戦略も立てられる、とエピローグで紹介した
ビリー牧師は言う。大切なのはその敵を決して間違えないこ
とだ。
無知や無関心は『変えられないのでは』という恐怖を生み、
いつしか無力感となって私たちから力を奪う。だが目を伏せ
て口をつぐんだ時、私たちは初めて負けるのだ。そして大人
が自ら舞台をおりた時が、子どもたちにとっての絶望の始ま
りになる。
現状が辛いほど私たちは試される。だが、取材を通じて得
た沢山の人との出会いが、私の中にある『民衆の力』を信じ
る気持ちを強くし、気づかせる。あきらめさえしなければ、次
世代に手渡せるものは限りなく尊いということに」
(『ルポ 貧困大国アメリカ』堤未果、岩波新書、2008年)
◇手をつなぐ(結ぶ)、手から学ぶ-連帯・団結をひろげて
*社会的連帯を創りだすのは、私たち自身
*絵本『てとてとてとて』(浜田桂子、福音館書店、2002年)
「なきそうになっている ひとの てを りょうてでそっと つつむ。『そ
ばに いるからね。げんきになってね』って ては つたえてくれる」
「あくしゅする。てと てを にぎって むきあって。はじめてあっても
ともだちになれそう」
「けんかしてても なかなおりできそう…」
「てと てを つなぐ。だいすきな ひとと。わくわく どきどき うれしいよ」
「てと てを つなぐ。だいすきな ひとと。わくわく うきうき うれしいよ」
「てと てと てと てと てを つなぐ。ちからが むくむく わいてくる。
ぜったいまけるな エイエイオー!」
「てと てと てと てと てと てと てとてと みんなで みんなで てを
つなぐ。うれしい きもちが つながるよ。たのしい きもちが ふくら
むよ。どんちゃか パーティー それ おどれ!」
◇職場や地域、労働組合のなかに「学びあい、語り合う場」を!
◇労働学校は、「学びあい、語りあう」ことのできる、かけがえのない場
さいごに:11月22~24日は、全国学習交流集会in倉敷へ!(宣伝)
手をつなぎ、学びあうビックな場です。
以上。
2008年8月14日 (木)
靖国神社って…
きのう(13日)の晩は、
倉敷医療生協労組青年部の学習会で
水島協同病院へ。
はじまる前に労組の事務所へ寄ると、
「全国集会への目標を決めたよ!」と
うれしーい報告。
倉敷医療生協労組として、
1日目50人、2日目30人、3日目50人の
目標で取り組みをするのとことです!
わーい。石川先生も、尾崎さんも、ここでは
大人気ですので、やる気まんまんの様子でした。
ありがとうございます
。
さて、学習会ですが、
参加は5名と少なかったのですが、
「靖国神社ってどんな神社?」というテーマで
がっつり学習しました。
こんなテーマで学習会をしたいという
青年たちの真剣なまなざしが嬉しかったです。
講義のあとも、いろいろと質問が出て、
とてもよい学習会になったのではないかと思います。
人数が少なかったので、
写真も控えめに・・・。
では、以下、レジュメです。
このテーマで話をするのは、
これまでに何度もあったのですが、
内容はあまり進歩してないですね…。
一。靖国神社とは
1。靖国神社の概略
◇「空からマップ」
◇「合祀」とは何か
2。その歴史
◇国家神道の成立
*国家神道とは
・他の宗教の上に君臨する事実上の国教(「天皇教」とも言える)
・その他の宗教の、信教の自由や、思想および良心の自由は
徹底的に弾圧された
・国家神道がおよぼした影響は、教育・文化・思想・軍事に
いたるまで、計り知れないものがある。
◇1869年(明治2年)「東京招魂社」として創建
→1879年「靖国神社」に
*陸・海軍省が所管する「国家機関」としての靖国神社
*総合的な軍事施設としての性格
・付属施設としての遊就館(1881年竣工)、国防館(1934年開館)
は、日本で唯一の総合的な公開の国立軍事博物館であった。
刀剣の陳列場としては日本最大であり、祭神となった戦死者
の遺品、戦利品の兵器、各種の兵器の発達を歴史的にしめ
す展示など、国民にたいする軍事的啓蒙施設として大きな役
割を果たした。
3。死者の選別
◇天皇のために死んだ人のみ-合祀のための厳格な基準
*何よりも天皇に忠誠をつくして死んだ、という基準。「軍の要請
に基づいての戦闘参加」「国家総動員法に基づく徴用」「国民
義勇隊の隊員でその任務に従事中」など。
*軍人であっても、自殺したり、敵前逃亡して死んだ人は
入れられない。
*日本国内の民間人戦没者の大多数、空襲や原爆で亡くなった
人も当然入っていない。
4。その役割をみる
◇福沢諭吉が靖国提唱!?
*日清戦争直後(1895年)に福沢諭吉の書いた「戦死者の大祭
典を挙行すべし」
<簡単に内容を要約すると>
・日清戦争に勝利し、がい旋将兵は爵位・勲章を与えられ栄光
に包まれているが、戦死した将兵や遺族には国家は冷たかった。
・家族を失って悲嘆の涙にくれる人びとを放置していたのでは、
次にアジアで戦争をする時に、国家のために命を捨てても戦う
という兵士の精神を調達できない。
・兵士・国民が満足するには、「名誉ある死」として讃えられなけ
ればならない。
・帝国の首都東京に、全国戦死者の遺族を招待して、天皇自ら
が祭主となって、死者の功績を褒め称え、その魂を顕彰する
勅語を下すことが必要である。
・つまり、戦争で死ぬことを「幸福」と感じさせることが肝心なのだ。
◇「死んで靖国で会おう」が合言葉に
*「天皇陛下のため」「お国のため」に戦死すれば、「神」として靖
国神社に祀られる。それが、最大の光栄とされた。「九段で会お
う」が兵士の合言葉に。
◇靖国の精神-国民感情を国家が収奪する
*「感涙座談会」「軍国の母を訪ねて」にみる遺族感情
*戦争推進の精神的支柱として
「これらの言葉には、天皇の神社・靖国がその絶頂期に果た
した精神的機能、すなわち、単に男たちを『護国の英霊』たる
べく動機づけるだけでなく、『靖国の妻』、『靖国の母』、『靖国
の遺児』など女性や子どもたちも含めた、『国民』の生と死の
意味そのものを吸収しつくす機能が典型的に表現されている」
(高橋哲哉『靖国問題』、ちくま新書)
*感情の錬金術
「戦死者を出した遺族の感情は、ただ人間としてのかぎりでは
悲しみでしかありえないだろう…ところが、その悲しみが国家
的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。
悲しみから喜びへ。不幸から幸福へ。まるで錬金術によるかの
ように、『遺族感情』が180度逆のものに変わってしまうのである」
(高橋哲哉、前掲書)
*国家は、遺族の「悲しみ」さえ奪った
「戦時中は、自分の肉親が理不尽に途中で生を断絶させられ
た場合、妻であっても母であっても、あるいは兄弟であっても、
公的な言説空間だけでなく、私的な言説空間でも、悲しみや怒
りを露にすることを奪われていた。遺族は、感情を抑圧させら
れていたわけです。『名誉の戦死』『誉の戦死』は悲しみや怒り
を回収する言説でした。あるいは喜びに転化させるということ
だった」
(田中伸尚『現代思想』8月号「討議・<靖国>で問われているもの」)
◇昭和天皇は、1929年の4月に山東出兵による戦没者合祀の
臨時大祭で初めて靖国神社を参拝して以後、45年4月まで、
20回参拝している。
5。戦後はどうなったか
◇GHQの「神道指令」(1945年12月15日)
・政府などの公的機関による神社神道に対する援助の禁止、
公立学校における神道教育の禁止、公務員の公的資格で
の神社参拝などの禁止、を求めたもの。
◇靖国神社は、単立の宗教法人に
*合祀は続ける-厚生省が戦死者名簿を集約、靖国神社に
提供していた
*現在の合祀数は約246万6千柱
◇A級戦犯の合祀(1978年)によって外交問題に発展する
*A級戦犯とは、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)にお
いて、「平和に対する罪」、すなわち侵略戦争を指導した罪の
ゆえに被告とされた28名のこと。このうち、東条英機元首相、
板垣征四郎元陸軍大将など14名が靖国神社に合祀された。
二。靖国問題①-日本の戦争をどうとらえるのか
1。靖国神社はどう主張するのか
◇靖国神社の二つの使命
(靖国神社が編集・発行している『遊就館図録-靖国神社』より)
①「英霊」の「顕彰(=ほめたたえる)」
*靖国神社は、戦没者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設
②「英霊が生まれた時代である近現代史の真実を明らかにすること」
◇靖国神社がいう、近現代史の「真実」とは
*『自存自衛』-欧米ロシアの列強にせまられ、やむなく始めた
戦争だった
*『アジア諸国の解放』-戦後、アジア諸国は欧米の植民地を脱し、
独立した
2。大切なのは、殺された側の感情-日本はアジアで何をしたのか
◇日本軍戦死者たちの参加した戦争は、アジアにどれほどの死と
被害をもたらしたのか
*2000万人以上の死者、アジア人蔑視からくる残虐性
*別紙資料参照
◇「遊就館」にかけているもの
*傷つけ、殺された側-アジアの人びとの視点
◇アジアの人びとは、首相の靖国参拝をどうみるか
三。靖国問題②-個人の思想及び良心、信教の自由への侵害
1。戦後も、遺族の意志とは無関係に合祀
◇仏教徒・菅原龍憲さんの合祀取り下げ願い
*映画「靖国」にも登場されています
◇他宗教の人も、朝鮮・台湾の人も、「遺族の意志」に関係なく
合祀を行う靖国神社
◇日本国憲法19条「思想および良心の自由」、20条「信教の
自由」の侵害
*厚生省(当時)は、戦没者の名簿を、一宗教法人である
靖国神社に提供し続けた
「国家と個人の関係の中で、個人がどう生きるかを自分で
決めるということは、戦後の人びとが獲得してきた生き方で
す。信教の自由や政教分離原則はその核です。それがい
きなり国家権力によっていわば『拉致』された」
(田中伸尚『現代思想』8月号)
「私は、ここに靖国の本質が出ていると思います。本当は、
遺族のことなんて関係ないんですよ。遺族の追悼感情なん
て全く無視している。本当に遺族の追悼のため、遺族の追
悼感情を満たすためであれば、遺族がやめたい、自分の
やり方でやりたいと言ったときに、取り下げるのが宗教法
人としては当然でしょう。信者が離れたいときに宗教団体
が許さないということになったら、人権問題です。なぜ靖国
だけが認められるのか。結局、『国家のため』に祀るから
でしょう。徹頭徹尾『国家のため』に祀るわけであって、遺
族のことは関係ない。靖国に祀ってほしいと思っている遺
族はたまたま国家の意志と一致しているだけです」
(高橋哲哉『現代思想』8月号)
2。「政教分離」原則
◇侵略戦争の反省としての政教分離
*日本国憲法20条3項
「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動
もしてはならない」
*二度と国家が個人の心に入り込み、侵すことのないように
という縛り
四。靖国問題をめぐる情勢 そういえば、先日、映画『靖国』観ました。
1。小泉首相の6年連続参拝
◇自衛隊の海外派兵(インド洋、イラク)
*自衛隊員の「戦死」の可能性という背景も
*「戦争をする国」づくり
◇アジア諸国との外交問題に発展
*とくに中国、韓国との外交関係を冷やした
◇外務大臣(当時)・麻生太郎は…
*06年1月28日に名古屋市内で行った講演で
「英霊の方からしてみると、天皇陛下のために『万歳』と言った
んであって『総理万歳』と言った人はゼロ。だったら天皇陛下
の参拝が一番なんだ」
*その講演後「遊就館の展示は中国から見れば問題があるのでは」
との質問に対し…「中国が言えば言うだけ、行かざるを得なくなる。
『たばこ吸うな』と言われたら吸いたくなるのと同じだ」
2。靖国派「期待の星」安倍首相の登場と撃沈
◇小泉首相の靖国神社参拝についての安倍氏のコメント
「(国家を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、
国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国
家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかというこ
とですね」(『この国を守る決意』)と当然視。
*靖国神社崇敬奉賛会主催の公開シンポジウム(2004年11
月27日)にも出席し、「小泉総理の意志を、次のリーダーも
その次のリーダーもしっかりと受け継いでいくことが大切で
ある」と述べている。
◇天皇制、侵略戦争について(首相になる前の発言)
「日本国民は、天皇とともに歴史と自然を紡いできたんです」
「日本の歴史がひとつのタペストリーだとすると、その中心に一本
通っている糸はやはり天皇だと思うのです」(『安倍晋三対論集』)
「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある。学問的に
確定しているとはいえない」
「さきの大戦をどのように定義づけるかということは政府の仕事
ではない。歴史家の判断に待つべきではないか」
(2006年2月16日、衆院予算委員会)
◇追いつめられた靖国史観派-世界の構造変化が背景に
*安倍政権は、靖国派勢力で内閣を固めたにもかかわらず、
最初の外遊先に、「歴史問題」での謝罪を目的とした中国と
韓国を選ばずにはおれなかった。
*「慰安婦」問題での本音発言は米国から圧力がかかり、
「おわび」連発
*安倍政権は07年夏の参議院選挙で歴史的大敗
*後継には、麻生太郎より靖国色が薄い福田康夫氏を選ばざる
をえなかった
*その背景には世界の急速な構造変化(東アジア情勢の発展)
≪参考文献『覇権なき世界を求めて-アジア、憲法、「慰安婦」』
石川康宏、新日本出版社、2008年)
◇福田首相
*福田首相も、「日本会議議連」「改憲議連」「靖国議連」に所属。
*「任期中は靖国参拝はしない」と言っているが、2002年までは
毎年参拝していた。2001年8月15日、小泉首相(当時)が参拝し
たとき、官房長官として随行。参拝批判にたいして、「小泉首相
の信教の自由だ」と擁護。
*ちなみに、安倍前首相が官房副長官当時「核兵器使用は違憲
ではない」と発言したのに対して、核保有について「(憲法に)持
ってはいけないと書いていない。私個人の理屈から言えば持て
るだろう」と官房長官記者会見で発言(02年5月31日)。
3。和解のために-私たちにできること
◇国民が侵略戦争を肯定する政治家を選ばない
*世界構造の変化によって、靖国派が本音をいえない、行動でき
ない状況になっているが、根本的には、そういう政治家を日本の
国民が選ばない「賢さ」が必要。
*「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて
行動し」(憲法前文)
◇私たちの歴史を学ぶ努力の水準を引き上げる
*東アジアには、複雑で政治的な問題が山積
*解決には、長い時間が必要
*対話と討論、交流をつみかさねて
*私たち1人ひとりが、歴史を学ぶ努力をする
・先入観、決めつけでなく、事実から出発する
・被害者、加害者の話を直接聞く、直接歴史の現場に行って
みることも重要
【靖国問題での参考文献】
『靖国神社』(大江志乃夫、岩波新書、1986年)
『靖国の戦後史』(田中伸尚、岩波新書、2002年)
『Q&A もっと知りたい靖国神社』
(歴史教育者協会編、大月書店、2002年)
『靖国問題』(高橋哲哉、ちくま新書、2005年)
『現代思想』05年8月号-特集・靖国問題
『国家と犠牲』(高橋哲哉、NHKブックス、2005年)
『靖国問題と日本のアジア外交』(松竹伸幸、大月書店、2006年)
『フィールドワーク 靖国神社・遊就館』
(東京の戦争遺跡を歩く会、平和文化、2006年)
『「靖国」という問題』(高橋哲哉・田中伸尚、金曜日、2006年)
以上。
思ったよりかはイマイチでしたが、
十分観る価値はある映画だと思いました。
遺族の意志と関係なく、死者を「拉致」している
神社であることが、よくわかります。
2008年7月28日 (月)
四国の学習交流集会へ
週末(26~27日)は、高知へ。
第10回、四国ブロック働くものの学習交流集会in高知
でありました。
26日(土)、
特急南風に乗って高知駅に11時半に到着。
駅構内のレストランでカレーを食べ、
12時に駅前集合のバスに乗って会場へ。
着いたのは、国民宿舎土佐。
すんばらしく景色のよい場所でありました。
でも、学習会会場は、
ぎゅうぎゅう詰め。
机もなく、学習会としては
キビシイ条件。
しかも暑かったようです。
話す側の力量がするどく
問われたのであります。
13時半から集会がスタート。
参加は約80名ほどでした。
この集会は、四国の県労連と学習協が共催し、
毎年各県が持ち回りで、
四国各県からさまざまな労働者が参加。
今回は高知が開催県ということで、
参加の主体は高知でした。
オープニングでおもしろい寸劇をみて、
14時から日亜化学の青年たちのたたかいの報告が。
これはすごかった。ぐいぐいと胸にきました。
15時少し前から、私のお話。
「人間らしく働きたい」というテーマでした。
憲法にこめられている人間らしさへのヒント、
資本主義社会における労働のあり方などを説明したあと、
現在の働き方をめぐっての情勢の話をしてみました。
が!
自分でふりかえってみて、
いまいち参加者とかみあってなかったかなーと反省。
「ああすればよかった、こうすればよかった」と、
久しぶりに大きな落ち込み気分を味わったのでありました。
どよーん![]()
でも、倉敷の全国集会は最後に宣伝!
瀬戸大橋を渡って、岡山に大挙して参加して
いただくことを期待しています!
学習会のあとは、分散会。
夜は大交流会。愛媛県労連のTさんがおとなりに。
また、高知のかげ茶さんや、平和委員会のM繁さんとも
いろいろ話をすることができ、楽しかったのであります。
その後は214号室での自主交流会。
高知の看護師さん(元高知労連青年部長)と沖縄話で意気投合。
また、高知県ろーれんずの大宴会とあいなったのでありました。
高知人気質は、やっぱりすごいなー。岡山にこの雰囲気はない。
私は中途でこっそりと抜けて、
24時ぐらいには就寝…。
27日(日)は、
9時から学習会第2弾、「憲法ひとかじり」。
伊藤真さんのビデオや、9条世界会議の報告、
名古屋高裁判決などの意義について学んだのであります。
会場から
外をながめる。
うーむ、青い。
11時半には全体が終了。
13時前に高知駅に到着。
いそいそとおみやげを買って、
南風に乗り込み、岡山へ帰ったのでありました。
高知県学習協のI上さん、お世話になりました。
ありがとうございました。
2008年7月18日 (金)
夏休み前 最後の授業
今日の午後は、ソワニエ看護専門学校での
13回目の講義。
学生さんにとっては、明日から夏休み、
私の講義が最後の授業だったようでした。
最初、「夏休みにしかできないことをやろうっ」と、
「旅に出よう」なんて言ってしまいましたが、
バイトや課題でなかなか大変なんですよね、実際は
。
でも、旅
をしてほしいな、と思います。
貴重な時間なんですから。
「読書日記」では、徳永進さんの『野の道往診』を紹介。
最初、ちょっと騒がしかったのですが、
だんだんと静かに・・・これは本の内容がよいからか・・・と
思ってたけれど、ふと教室をみわたすと、
静かになった理由は、しゃべっていた人が寝た
からでした(笑)
でも、3分の2ぐらいは聞いてくれていた、と思う(たぶん)。
最近の学生はすごくて、寝ながら講義を聞くという
技術をもっているので、寝てると思っていても、
じつはちゃんと聞いていたとか、あるんですよね(笑)。
ここ2日間、テストが続いていて、
相当みなさん寝不足だったこともあったようです。
おつかれさま。
講義では、前々回、前回に出された意見や
質問などに答え、
ほぼそれで時間をつかってしまいましたー。
感想文は、とても泣かせることを
書いてくれる学生さんも結構いて、
この4か月間の苦闘もムダでなかったと
思ったのでありました
。
夏休み明けに、
あと2回講義をしますが、
内容は、「主権者としていかに成長するか」。
憲法を素材に、考えたいと思います
。
2008年7月 5日 (土)
フラフラでしたが
きのう(4日)は、午前中、
岡山医療生協の平和サークル“おりづる”の
総会が操山の里山センターであり、
講演に行ってきました。
医療生協の
組合員さんでつくっている
平和サークルです。
きのうの参加は
25名ほどだったでしょうか。
テーマは「海外派兵恒久法について」という
ことでした。
最初、“おりづる”というサークルの名前が
いいな、と思ったので、佐々木禎子(さだこ)さんの
ことについて話をしてみました。
学習会では、海外派兵恒久法の内容と背景、
また、この間の情勢の大きな変化として
名古屋高裁での歴史的な判決が出たので、
その内容を紹介しました。
*航空自衛隊のイラクでの活動は9条1項に違反すること。
*憲法前文の平和的生存権は、基本的人権の基底的権利
であり、具体的権利性があること。
このスバラシク画期的な判決は、もっと広げなくてはなりません。
しかも、裁判では負けたのに中身では大勝利!
おかげで国は上告できずに判決が確定!
裁判官の勇気と英知に乾杯
!
あとは、軍事費の問題、軍事と環境の問題、
憲法どおりの日本をつくろう、という話をしました。
さいごに、澤地久枝さんの「私のかかげる小さな旗」という
決意を紹介し、
「1人ひとりがゆるがない平和の旗をかかげましょう!」
ということをしゃべってみました。
質問やら感想やらもいくつか出て、答えてみました。
それにしても、里山センターのまわりは、緑深く
、
別世界のように気持ちのよい空間でありました。
1日ぼーっとしたいなぁ。
午後は、ソワニエ看護専門学校で12回目の講義。
2週続けて全員出席。
読書日記は『凛として看護』という本を紹介しました。
22歳のときに長崎で被爆し救護活動に奔走した、
久松シソノさんという看護師の方の本です。
いまは平和の語り部として
貴重な活動をされています(また詳しく紹介します)。
それに関連して、「原爆と医療従事者」という
ミニ補講をしてみました。
ミニ補講といいながら、授業の半分をつかったんですけどね。
原爆による「死」と、医療従事者として戦争に
どう向き合うのか、という話をしてみました。
本講義では、
ものの見方の2回目で、
「運動・変化をとらえる」視点の問題について
話をしてみました。
前日、久しぶりに家に帰るのが日付をまたぎ、
なんと2時!
きのうは、夜も、とある「語るつどい」でディープな話を
したので、もー、たいへんでした。
ソワニエの時点でかなりフラフラでした![]()
でも、無事に1日終わった。
安堵、安堵。
2008年7月 3日 (木)
世界の人権!?
きのう(2日)は、倉敷医療生協の 社会権規約の第3回報告書を2006年6月末までに
くらしき診療所&歯科の職員学習会があり、
14時から行ってきました。
ここでの学習会は
3度目です。
参加は20名ほど
だったでしょうか。
「チベット問題とミャンマーの問題が知りたい」
という職員さんの声があり、
世界の人権状況もふくめて話をしてほしいという、
なんとも難しい要請だったのですが、
「世界の人権、日本の人権」というテーマで、1時間ちょっと、
またもやにわか勉強でしゃべってしまいました。
チベット問題は、『チベット問題とは何か』(大西広、かもがわ出版)の
助けをかりて、ほぼその線で話をしてみました。
ビルマ(ミャンマー)の問題は、
あまり詳しくはしゃべれなかったのですが、
それなりにできたのではないかと思います。
後半は、国際人権法や日本国憲法の先進性について
話をしてみました。
もちろんこちらも素人話なのですが、
この部分のみ概要を紹介いたします。
間違っている部分があれば、誰か教えてください。
自分自身はとても勉強になりました。
久しぶりに世界人権宣言を読みました。
以下。
三。世界の人権と日本国憲法
1。世界の人権を考える起点と国際人権法
◇世界人権宣言(1948年)
*詩人の谷川俊太郎さんが、子ども向けの訳をつくっている
(資料参照)
◇この到達からみて、現在の世界は人権問題で満ちている
◇世界人権宣言や、国連憲章などをベースに、「国際人権法」が
整備されてきている
*国際人権法は、国籍の違いなく地球上のすべての人間の
尊厳を守ることを目的として、つくられている。いわば、人類
社会のルール、となるもの。
*国際人権法の主要条約と呼ばれるものは、以下。
・自由権規約(「市民的及び政治的権利に関する国際規約」、1966年)
・社会権規約(「経済的、社会的及び文化的権利にかんする国際規約」、
1966年)
・人種差別撤廃条約(1965年)
・女性差別撤廃条約(1979年)
・子どもの権利条約(1989年)
・拷問等禁止条約(1984年)
・移住労働者権利保護条約(1990年)
*このほか、難民条約、人身売買禁止条約、奴隷制廃止条約なども
重要。
*2006年12月に国連で採択された障害者権利条約。日本は批准に
向け準備中。
*このように、国際人権法は、「権利別」というより、「主体別」に人権
保障の中身を確定することが多い。日本は、7つの主要条約のうち、
移住労働者に関する条約をのぞけば、すべて入っている。
*国際人権法は、人類社会の変化に応じて絶えざる進化を遂げている。
2。日本国憲法の開放性・柔軟性、そして先進性
◇日本国憲法98条2項
*国際人権法の進化の結果が、そのまま国内秩序に編入される
体制を、日本国憲法はとっている。
*優先順位は、「憲法」→「条約」→「法律」となるらしい。
*裁判で、国際人権法にもとづいた判例も出てきている
◇また、そもそも日本国憲法の人権規定は、世界的にみても先進的なもの
*前文の「平和的生存権」は特筆すべきもの。
*自由権、社会権もかなり包括的にカバーしている。
*理想に燃えていた人びとが憲法をつくった(制定過程はドラマチック)
*13条と98条2項は「ドラえもんのポケット」(国際法学者の阿部浩己さん)
*しかし、日本国内の人権状況は、はっきり言ってヒドイことになっている
・後期高齢者医療制度、働く貧困層、障害者自立支援法、ビラ配りした
だけで逮捕・・・
・国連に怒られている(資料参照)
3。「活憲」の時代へ
◇権利を知ること、使うこと
◇朝日訴訟の教訓-「権利はたたかいとるもの」(朝日茂さん)
「生粋の庶民といってよい朝日茂さんが、なにゆえに、歴史上数
ある英雄も顔負けの勇気と果敢な意志、不撓不屈の粘りをもって、
その短い後半生を『権利は闘いとるもの』という理念に捧げたの
か。その力の源は、要するに、一方での人間らしく生きる権利に
たいする深い洞察と、他方での『合法的殺人』と呼ぶべき非人間
的な生活を強いる国家権力に対する怒り、この二つに求められ
る。朝日さんは、普遍的人権に対する洞察と確信が非人間的生
活を強制する権力と衝突し、そこに発する火花を生きる力として
50年の人生を生き抜いた。これは、21世紀に生きる一人ひとり
の個人が、いかにして生きるべきかを問うときに、一つのヒントを
提示するものにほかならない」
(二宮厚美「朝日訴訟が現代に問うもの」、『人間裁判』所収)
◇コスタリカでは、「活憲」があたり前に行われている
*人口約400万のコスタリカで、年間12,000人が「違憲訴訟」を
起こすという。
*大統領に勝利した大学生など
◇憲法前文の精神で真の国際貢献を
「わたしたちは、平和をまもろうとつとめる国際社会、この世界
から、圧政や隷属、抑圧や不寛容を永久になくそうとつとめて
いる国際社会で、尊敬されるわたしたちになりたいと思います」
(池田香代子訳)
*第2次世界大戦後、63年間、直接の戦争には参加してこな
かった唯一の先進国としての“ブランド”(ただしアジア諸国に
ついては、侵略戦争の戦後責任の問題がある)。
*経済力もある。「お金」は、使いようによって、人を救う絶大な
力をもつ。
さいごに:事実を知ること、権利を使うこと
以上。
最後に全国集会in倉敷の宣伝もしてきました。
ところで、準備するにあたって、
提出せよと国連の社会権規約委員会から勧告されている
日本政府だけれど、いまだ提出していないのはなぜか?
と疑問に思い、外務省に電話して聞いたら、
「作業が膨大なため」というのが担当者の答えだった。
「ほんとかなぁ」と疑りたくなる。
2001年の総括所見でかなりこっぴどく怒られているし、
後期高齢者医療制度や障害者自立支援法など、
基本的人権の側面からみて重大な問題が起きている
ので、できるだけ遅らせようとしているのでは?と思ったけど、
疑りすぎですかね? 遅れている事実は確かなんだけど。
学習会のあとは、結構質問が出されて、
「さすが倉敷!」と思いました。
2008年6月29日 (日)
メイトアルバイトさん
きのう(28日)は、生協労組おかやまの
メイトアルバイト学習交流会が
久米センター(たぶん津山市)であり、
行ってきました。
岡山から車で1時間20分ほどだったでしょうか。
初めて来たところでありました。
11時から、全労連制作の「いまそこユニオン」の
DVDを見て、それから私が話す、という形式でした。
参加はメイトアルバイトさん7名と
労組専従の方3名の計10名。
メイトアルバイトさんとは、商品の戸別配達などを担う、
週に2日の短時間労働者のみなさん。
しかし、契約は2日でも、欠員があればそれ以上働いたり、
賃金が貴重な生活費の一部になっている人も多いそうです。
生協労組おかやまでは、
5年前までは、アルバイトの加盟はたった1人だけでしたが、
ここ3か月ほどで、組織拡大運動にとりくみ、
一気に50人近い仲間をむかえています。
団体交渉での発言、組織拡大を力にして、
時給アップなど、要求実現で大きく前進をしています。
全国的にも進んだ取り組みをしている労働組合です。
で、加盟した人たちを対象に、学習と交流会を
もつことになり、きのうの企画となったということです。
私は、「知っておきたい!労働組合の基礎知識」
といういつもの感じのテーマでしたが、
パートのみなさんとはまた少し雇用形態が違う
メイトアルバイトさんということで、内容を考えてみました。
お昼休憩の様子。
昼食をいただきながら、
とある面白い
ビデオをみる。
7月にも笠岡方面で同じ学習交流会をします。
2008年6月27日 (金)
今日は朝日新聞にキレた
きょう(27日)の午後は、ソワニエ看護専門学校で
11回目の講義。気温が暑くて体はバテバテでした。
読書日記は、『シスター寺本松野-その看護と教育』
という、すごい本を紹介しました。
また、前々回に出された学生さんからの2つの質問
について答えてみました![]()
2つ目の質問に答えるときに、
マルクスの「職業選択にさいしての一青年の考察」の
有名な部分を紹介したのですが、
質問をしてくれた学生さんが感想文で、
「マルクスの言葉が胸に刺さりました」と書いてくれていました。
よかった。
本講義では、「ものの見方(1)」という、えらくシンプルな
テーマで、事実から出発すること、原因を考える姿勢、
先入観・決めつけとたたかう努力を強調しました。
ひとつの例として血液型性格判断をとりあげたのですが、
感想文などを読むとかなりインパクト
が
あったようでありました。
ほんとーにこれは根深い問題です。
早くやめましょう、こんなことは。
が、しかし!
今日の朝日新聞の政治面で、「ポスト小沢」がどうした
こうしたという記事があって、民主党の幹部5人ぐらいの
紹介があったのですが、
「データ」として7つぐらいの項目があって、
「趣味」「座右の銘」「カラオケで歌う曲」などはまだ
わかりますが、なんと「血液型」が紹介されていました。
朝日新聞のレベルはそこまで落ちたかと
がっくり
きました。女性週刊誌じゃないんですよ!
血液型がその人を判断するなんの材料になるんですか。
こんな非科学的なことを堂々と載せる朝日新聞の
見識を今日は(も?)はっきりと疑いました。
*人間の性格をたった4つに分けれるのでしょうか
*人間は生まれてから死ぬまで、性格は「同じ」なのでしょうか。
「性格」は変わるものだし、そのときは血液型も変わるのですか?
・・・つまりここにあるのは、とても貧困・単純な「人間観」。
*だいたい、もし血液型と性格に因果関係があるのだったら、
それが科学的に証明されているのだったら、なぜ小学校の
教科書に書いていないのでしょうか。
「なんとも不思議なことであるが、ろくに観察もしないで、
あるいはまったく観察ぬきで、あるいは少しでも世間の
経験と突き合わせてみればとっくの昔に嘘とわかってい
るはずの“ことわざ”や“格言”の類などに頼って、人び
とは判断を下しているのである」
(F・ナイチンゲール『看護覚え書』13章「病人の観察」より)
というような、ナイチンゲールやヘンダーソン、
川島みどりさんの言葉を講義で紹介して、
「科学的なものの見方を」と補足しました。
最後に、「観察力」「感性」をきたえる
トレーニングの努力について話してみました。
2008年6月26日 (木)
軍事と環境の視点
きのう(25日)も、過密な忙しさでした…。
18時からは、
岡山医療生協労組の中央委員会で
30分間の平和学習の講師に行ってきました。
(写真とるの忘れた)
「平和運動の課題と労働組合」という内容。
軍事と環境、という視点に反響があったみたいです。
あと、90式戦車などの軍事費浪費に、知らなかった人は
唖然とし、「信じられない…」とつぶやいていました。
以下、レジュメです。
一。平和運動の課題と労働組合
1。平和運動は、“こなす”課題ではない
◇戦後63年・・・1年1年が、貴重な橋渡しの時期
*戦争体験者、被爆者の減少
*日本と世界の平和を創造する力をもった、主権者として
成長するために
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会にお
いて、名誉ある地位を占めたいと思ふ」(憲法前文)
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の
不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(12条)
◇戦後の平和運動の教訓と成果
*戦争の違法化…人々のたたかいの結果
*みたび、原爆投下を許していない・・・日本の平和運動の先進性
*憲法9条を変えさせていない…安保闘争、「9条の会」の運動など
・結果、自衛隊を直接他国の戦争に参加させていない(表面上は)
*世界は九条を選び始めている
・今年5月、史上初めての「九条世界会議」の成功
*63年間戦争に参加してこなかった日本のブランドが、地域紛争
解決の力に
2。労働組合がなぜ平和運動に取り組むのか
◇労働組合は、基本的人権・ヒューマニズムの担い手
*「人たるに値する生活」(労働基準法第1条)をもっとも破壊する
ものが戦争
*平和のうちに生きることは基本的人権
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
(日本国憲法前文)
◇憲法の理念を実現する役割
*憲法の下書きをつくったGHQ(連合国軍総司令部)が労働組合
に期待したこと
◇私たちの暮らしと戦争
*世界の軍事費は年間1兆2040億ドル(約140兆円‐06年)
*日本の軍事費は年間約5兆円。根拠のない米軍への思いやり
予算は毎年約2000億円。毎年の社会保障抑制額とほぼ同額。
*労働者が生み出した富(お金)が、武器や戦争に使われている
*戦争で破壊されるのは、命だけでなく、労働者がつくりだした
モノやネットワーク
*エコに反する軍事エネルギー。そして環境破壊。
・イラク戦争開戦直後、イラク領内に展開した米軍が使用した
燃料は1日5.7万キロリットル。大阪府の1日のCO2排出量に
匹敵。爆弾が発生させるCO2も。
・軍事関係による年間CO2排出量は、年間7.9億トン。これ
は、排出量6位のドイツを上回る量。兵器は、環境への配慮
は二の次で開発されている。
・90式戦車の燃費はリッター200~300m、戦闘機に至っては、
1分間飛ぶごとに908ℓの燃料を消費、約8時間飛ぶだけで日
本人が生涯に排出するCO2を出す
・モノと人を破壊し、森林を壊し、汚染物を出す。戦争は最悪の
環境破壊。
*軍事費に使うお金を、環境政策や、医療・福祉・教育にまわ
せば、どれだけのことができるだろう。どれだけ、人びとの笑
顔が増えるだろう。
二。当面の平和運動の課題
◇原爆症認定訴訟
*情勢は山場。被爆者の苦しみへの想像力を。
◇核兵器廃絶
*岡山県内の平和行進。7月16日~26日。どこかに半日でも参加を。
*8月の世界大会に職場から多くの仲間を送り出そう。
現地で学ぶことの多さ。
◇岡山空襲の継承
*6月29日
◇日本の侵略戦争の学び
*問題はまだ山積み
◇海外派兵恒久法の阻止
*自衛隊の海外派兵を永久化する法律。今年中に形としてまとめ、
来年の通常国会に提出される見込み。
◇横須賀への原子力空母配備反対。
*首都圏3000万人の命が危険に。事故が起きれば、首都圏は人の
住めない死の街に。
◇他にもたくさんありますが・・・
◇学習することを常に土台に
*課題だけ押しつけると、反発を受ける。納得と共感が大事。
さいごに:1人ひとりができることを
あさのあつこさん(児童文学者)のメッセージ
「憲法九条が変えられれば、私の息子たちが徴兵される
可能性だってあるわけです。でも、私たちは日々の生活
に流されて、あまりそういうことを考えなくなっている。正直
いって、どうしたらいいかを考えるのはものすごくエネル
ギーがいりますよね。反戦デモに参加するのだってエネ
ルギーがいるし、すぐ結果がみえるわけでもない。それな
ら黙っていたほうが楽じゃないかと思う。
でもそういうことの積み重ねの結果が、今なのかもしれ
ません。毎日普通に生活している私たちが少しずつ動い
ていかないと恐ろしいことになると思うんです。いろんな人
と本音で話しながら、何ができるかを手探りしていきたい
と思っています」 (「しんぶん赤旗」05.2.25付)
以上。
2008年6月24日 (火)
憲法違反です!
今日(24日)の午後は、
林病院の職員2年目研修の学習会に。
「憲法を学んで使う-活憲の時代」という
ことで、休憩をはさんで90分間話をしてきました。
休憩時間の様子。
30名弱の参加でした。
新しくなっていた
集会室にびっくり。
前は暗くてキタナイ
ところでしたから。
憲法そのものの話をするのは久しぶり
だったのですが、
少し情勢が落ちついてきているので、
以前なら自民党の新憲法草案の説明や
改憲をめぐる情勢を後半必ず入れていたのですが、
「主権者として成長するために、憲法を使おう!」と
いうことに比重をおいて話をしてみました。
とくに憲法の3章の説明に力を入れてみました。
また、林病院の労働組合は、オープンで、
最近組織率も下がっていて、
いろいろ困難も多いと聞いていたので、
28条のところの説明で、
「労働組合に入っていない人は憲法違反です!
すぐそこに事務所がありますから、すぐに行ってくださいっ」
と力をこめてアピールしてみました(笑)
9条の話では、日本の侵略戦争とその反省の
うえにたっての9条の意味について語りました。
あと軍事費の問題も。
さいごに、
あさのあつこさん、日野原重明さんの言葉を
紹介して終わりました。
2008年6月20日 (金)
子どもの命みつめて(下)
今日(20日)の午後は、ソワニエ看護専門学校で
10回目の講義。
「読書日記」は『ママでなくてよかったよ』。
また、ビデオを見る前に、
絵本、『わすれられないおくりもの』を読み、
あれこれ説明しました。
で、今日は小児科医・細谷亮太さんの
「子どもの命みつめて」(「人生の歩き方」という番組)の
3回目「親の悲しみと向き合う」と、
4回目「サヨナラの向こうに」を見ました。
はじめて教室内を
こっそり撮影(笑)
ビデオをみる
学生さんたち。
今回も、学生さんには
学ぶことが多かったようでありました。
感想文もよかったのですが、
今日は時間がないので割愛。
次回と次々回は、
一応「ものの見方(哲学)」なんですが、
さて、何をしゃべろうかな~。
2008年6月14日 (土)
子どもの命みつめて(上)
きのう(13日)の午後は、
ソワニエ看護専門学校での9回目の講義。
「読書日記」は、
細谷亮太さんの、『医者が泣くということ』。
ついでに、私が細谷先生(聖路加国際病院小児科部長)を
なぜ知ったか、何に感銘を受けたか、
昨年の「読書日記」で読んだ細谷さんの4冊の本、
そして、細谷さんが「医者が泣くということ」について
どう考えているか、について紹介しました。
細谷先生はこう言います、
「私が小児科医を続けることができたのは、これらの
子どもたちが、死ぬことを通じて『生きる意味』を教え
てくれたからだと思います。子どもたちとサヨナラする
たびに、私はボロボロ泣いてきました。それは、人が
生きることの意味を私たちに教えてくれるからです。
ありがたいことだと思います。悲しくて、つらいサヨナ
ラ…。だから私は、これからも泣くでしょう。泣かなくな
ったとき。それは、私が小児科医をやめるときです」
(『NHK知るを楽しむ 人生の歩き方』07年6・7月テキスト)
講義後半では、
昨年7月にNHK教育で放映された番組(←こちら)の、
1回目「治せない病との出会い」と
2回目「病と闘う子どもたち」をビデオで見ました。
ビデオは私が自宅で録画したものです。
何度見ても涙が出てくる内容で、
細谷先生の語るひと言ひと言が、
とても心に届き、考えさせられます。
学生さんたちも、
とても感銘を受けていたようでありました。
涙をぬぐっていた人も何人もいたようです。
感想文を紹介します。
「今日のビデオは本当に涙が止まりませんでした。
細谷先生の最後の言葉『人間てすばらしい』という
言葉が心に残っています。最近無差別殺人などの
ニュースが多いなか、1人の『命』について考えさせ
られました。『命』に向かう仕事につく予定ですが、
1人1人の命の重さを尊重できる人間でありたいと
思います」
「人の死に接する。とても重いこと。できれば接した
くない。たとえ病気の人でも、それはその一時のこ
とであって欲しい。でも人間は必ず死ぬ。一生懸命
生きる。出会いを大切に。全力で人と接する」
「ビデオを観て、小さい子供に死ということを伝える
のは難しいことなのに、細谷さんは上手に伝えてい
て、すごいなと思いました。自分が看護師になったと
き、きっと最初は細谷さんと同じで、患者さんが亡く
なった時にショックを受けると思います。だけど、患
者さんを少しでも元気にさせることのできる看護師に
なりたいと思いました。次も早く観たいです」
「細谷さんののような医師はすばらしいと思った。今
日のビデオを見て泣いてしまった。死を受けとめる
のは子供も大人も同じように悲しくて、さみしいもの
だと感じたし、命の尊さを知りました」
「医療従事者を目指す者として、私も、細谷亮太さん
のように、患者さんやその家族から、たくさんの事を
学ぼうとする姿勢を大切にしていきたいと思いました。
そして、今日の授業で、細谷亮太さんは、尊敬する
人物の1人となりました」
「今日のビデオを見て、細谷さんのファンになりまし
た。僕は、医者ではないが、看護師になるうえでの
目標になる人だと思った。僕も患者さんと接するうえ
で、3人称じゃなく、2、5人称ぐらいの距離で看護で
きたらいいと思う」
「細谷先生の一言、一言が、心に響きました。本当
に多忙な毎日の中でも、患者さんと接する時間を、
人生の長い時間の中での“ある時間”と大切に思え
ることは、とても重要なことだと思います。医療従事
者として、人として大切なことは何か、人を想い人の
為に泣くことができることって、患者さんや家族に
本当に伝わるんだなと痛切に感じました。これから、
自分が看護師になっても、このような気持ちを忘れ
ないでいたいし、このような先生に巡り合いたいと
思います」
「私は、看護師になったら小児科で働きたいと思っ
ていました。でも、小児科は子どもが好きだからとか
いう軽い気持ちではできないと思った。治って退院
できる子もいれば、退院できずそのまま亡くなる子
どもだっている。その時に、私はその現実を受け入
れられるのかと考えさせられた」
「子どもの命をみつめて、子どもと向き合ってきた
細谷さんに感動しました。話を聞いて胸がいっぱい
になりました。子どもが思うことは、素直で、とても
心が優しいのだと、ビデオを見て思った」
「泣いてばかりでは何もできません。でも悲しい時
は悲しいと泣ける人間になりたいと思います。
ビデオは、色々と考えさせられる内容だった。内容
は難しくないのに、頭の中に色々な考えや思いが
でてきて、上手くまとめることができません。来週の
ビデオが早く見たいです」
「正直、ビデオを見ている間はずっと泣いていまし
た。素平くんと司くんの、お互いがお互いに対する
気遣いがすごく優しくて胸にジーンときました。もし
自分が司くんだったら、素平くんの死を受け入れら
れるか分からないです」
「ビデオを見て涙が出そうになりました。小さい子ど
もたちなのに・・・まだまだこれからなのに・・・と思い
ました。でも死んで残された周りの人たちは、その
ことで学ぶことがたくさんあるのだと思いました」
次週は、番組の3回目と4回目をみます。
・・・このブログでも何回も書いてきたと思いますが、
本当に、こうした「医療や看護」の学びと出会う
ことで、私の生命観、人生観、幸福感は、
より幅広く、豊かなものになりました。
とくに、この細谷先生との
出会い(実際にお会いしたことはないですが)は、
「生きていることの“あたりまえ”」が、じつは
本当に幸せなことなんだ、ということを教えてくれた
ものであったと思います。
あと間違いなく、以前より、涙もろくなりました(笑)。
すぐ泣いてしまいます。
でも、泣けなくなったら、そのほうが悲しいですよね。
2008年6月 6日 (金)
ナイチンゲールの偉大さ
今日は(6日)午後から、ソワニエ看護専門学校へ。
8回目の講義は、『君たちはどう生きるか』を
使っての最後の授業でした。
読書日記は、
『コード・グリーン』という本と、
『ナイチンゲール 神話と真実』という
2冊を紹介しました(またブログで紹介します)。
講義内容は、労働学校でも先日やった、
コペル君の苦しみ、の話です。
でもって、そのことを話をしたあと、
関連させるかたちで、
ナイチンゲールがいかに「人間らしい苦痛」に
向きあったか、ということを語ってみました。
以下は、その部分のレジュメです。
引用がほとんどですが・・・。
三。ナイチンゲールの偉大さ-長久の私論
1。偉大な看護師であったと同時に、偉大な人間だった、なぜか?
◇人間らしい苦痛に、向きあい続けた人
◇ナイチンゲールの人生における苦闘
①看護師になること自体が、たたかいだった-別紙資料参照
*こうありたい自分と、現実のギャップ
*けっして、あきらめなかった
②クリミア戦争の検証のなかで
ー自らの過ちと向きあい、真実を広げようと奮闘した
*『ナイチンゲール 神話と真実』から
・事故(過誤)論のモデルとなる(川島みどりさんの指摘)
「ナイチンゲールは、スクタリの彼女の病院で亡くなる兵士
のあまりの多さについて、軍司令部の無能さと非常さが物
資の補給を滞らせ、そのため極度の栄養失調と疲労困憊
のすえ、手遅れとなって搬送されてきたためであると、かた
く信じていた。戦後になってこれを実証しようとして、統計学
者のウィリアム・ファーとの共同作業を始めたのだったが、
25,000人の兵士のうちの18,000人を死なせた主な原因は彼
女がそれまで確信していたこととは異なって、兵舎病院の
過密さと不衛生な状況が病気を蔓延させ死者を増やしたと
の結論を得た。しかも、最も死者の多かったのがスクタリ
の彼女の病院であり、初歩的な衛生事項の注意を怠った
がための惨事であった事実を認めることは、政府や軍当
局を激しく非難し、彼女に敵意を持つ管理者たちを批判し
た理由そのものを、自ら否定しなければならないことに通じ
る。
クリミアから帰還した彼女が、国民的支持や賞賛の蔭で、
しばらくのあいだひっそりと沈黙を守ったことは、戦時救護
の疲労からの心身の不調と、何よりも彼女の謙虚さゆえと
する向きもあろう。しかし実際は、真実を知って虚脱状態に
なるほどの衝撃と屈辱に耐えていたナイチンゲールがいた。
学ぶべきはその先である。彼女は、知り得た事実-異常な
死亡率の要因-をできるだけ多くの人々に知らせることで、
再び同質の過ちの反復を避けようと強く決意したのであった。
のみならず、女王や政治家を巻き込んだ隠蔽工作に対して、
『真実の公開』への闘いを挑み、歴史的事実を後世に残す
ために文字通り生命をすり減らす思いで立ち向かったので
ある。そうすることによって、自らの責任をとろうとした。この
ことこそまさに、今、わが国の医療界が直面している事故や
過誤の事実公開、情報開示への教訓でなくて何であろう」
「小さな失敗でも、率直にこれを認めることは勇気の要る
ことである。まして、いまや英国民の栄誉としてのナイチン
ゲールであったから、自分の患者たちの多くが、自分の否
定し続けてきた原因で死んだことを認めざるを得なかった
苦悩は想像にあまりある。しかし、彼女は多くの兵士らの
死に報いるために、失敗の教訓を限りなく活かしてその後
の人生を生きたと思う。心身ともによい状態でなかった十年
にしぼってみても、その仕事の多様さと質の高さに驚くが、
『人間のために何事かをなし得た人々は、今も昔も極めて
人間らしさの激しくきつい人々、その情熱も知力も意志もひ
としおつよい人々ではなかったのだろうか』という宮本の分
析したナイチンゲール像が浮き彫りになって迫ってくる。
失敗の教訓を活かした一つは、『病院覚え書-第1版
1858年』の執筆である。これは、英国の病院における死亡
率の高さの真の要因を探るため、統計学と帰納的推理を
用いて分析した結果、死亡率に影響する条件として、立地
条件の悪さに加えて衛生状態の欠陥があるといい、『ひと
つ屋根のもとに多数の病人が密集』『ベッドひとつあたりの
空間の不足』『換気の不足』『光線の不足』の四点を挙げて
いる。なかでも多数の患者を詰め込んだ病院におけるすさ
まじい死亡率の例として、スクタリの病院で5人のうち2人が
亡くなったことを示しながら、比較対象としてのクリミアのテ
ント病院では、整った建物も毛布もなく食物や薬品まで不
足していたのに、死亡率はスクタリの半分であったとして、
過密現象がいかに危険かを述べている。そして、『たとえ
どんなに小規模病院であろうと、このように恐ろしい生命
無視の事態をもたらす構造上の欠陥や管理の誤りを繰り
返さないようにしたい』と述べている」
(『神話と真実』より、
川島みどり「21世紀-ナイチンゲール像への接近」)
*ナイチンゲールの『病院覚え書』は、病院の建築(病棟の
設計、立地条件、衛生環境、換気、ベット配置、空間の広
さ、など)とはどうあるべきか、を示した、世界で初めての
著作。この流れは『看護覚え書』(1859年)にもつながっている。
2。ナイチンゲールのメッセージ
「私たちに私たちの苦しみをお与えください、心をこめて私
たちは天に向かって叫びます-無関心よりも苦しみをくだ
さい-と。無からは何も生まれませんが、苦しみからは癒
しがもたらされます。麻痺よりも苦痛のほうがずっとましで
す。努力すること100回、そして波にのまれてもよいのです。
そうすれば人は新しい世界を発見するでしょう。磯辺に無
為に立ちつくすよりも新世界への道を先触れしながら波に
のまれて死んだほうが10倍もよいのです」
「満足しないこと自身、ひとつの与えられた特権といえない
でしょうか? そのとおりです。あなたの種族、人類のため
に苦しむのは、ひとつの特権です-それは、救世主や殉
教者たちだけのものではなくいつの時代でも多くの人々に
担わされてきた特権なのです」
(F・ナインチンゲール『思索への示唆』、カサンドラより)
*患者さんの「人間らしい苦痛」を想像する力
「この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対の
もの、すなわち、自分自身は決して感じたことのない他人
の感情のただ中へ自己を投入する能力を、これほど必要
とする仕事はほかに存在しないのである」
(F・ナイチンゲール『看護覚え書』、補章「看護婦とは何か」より)
*「進歩」し続けようとする強い意志
「もう一つの危険。それは固定化してしまって進歩しないこ
とである。『進歩のない組織でもちこたえたものはない。』
われわれは未来に向かって歩いているだろうか。それとも
過去へ向かって? われわれは進歩しているだろうか、そ
れとも型にはまってきているのだろうか? われわれは看
護の未開の文明の入口をやっとまたいだばかりであること
を忘れまい。まだなすべきことがたくさんある。平凡な型に
はまることはすまい」(『病人の看護と健康を守る看護』)
これは、ナイチンゲール73歳のときの文章です。
彼女の、“情熱を持ち続ける力と能力”には、
脱帽するしかありません。
以上。
準備していくなかで思ったこと。
ナイチンゲールが、自らの過ちと向きあい、
乗り越えていった姿は、
晩年のレーニンの経済政策の転換とダブって
みえました。
いままでの自分の仕事を大胆に見直し、
誤りを直視し、乗り越えていく力。
偉大な仕事をした人の特徴なのであろう。
ナイチンゲールの偉大さを、
また別の角度から学べた講義だった。
2008年5月30日 (金)
同じ年なんですよっ
今日(30日)の午後は、ソワニエ看護専門学校へ。
7回目の講義。
今週のハードな仕事が影響し、かなりヘロヘロでした。
が、学生さんは真剣に聞いてくれていました。
ありがたや・・・。
読書日記では、
私の尊敬する医師の1人である、
鳥取の、「野の花診療所」の徳永進さんの
『老いるもよし』という本を紹介。
また、その本の中に出てきた絵本、
『おぼえていろよおおきな木』(佐野洋子)を
使いながら、「あたりまえにそこにある」
「あたりまえにそこにいる」「あたりまえに○○ができる」
ということの意味と大切さを考えてみました。
学生さんはしっかりと
受けとめたようでありました。
本講義は、『君たちはどう生きるか』の4章部分。
浦川君の豆腐屋にコペル君がお見舞にいく話です。
それにちなんで、
「貧困と健康」についてつっこんで話をしてみました。
『健康格差社会』(近藤克則)の話とか、
『学習の友』4月号歯科の先生が書いた
「歯の健康格差」の話とか。
あと、ナイチンゲールの『看護覚え書』の言葉を紹介。
生活環境や労働環境を視野に入れる大切さについて述べました。
「貧しい縫製工や印刷工、その他こういった職業の
人びとが生活のために働く場所は・・・」
「(居住について)貧しい労働者たちは、およそこれ
以上の過密状態は想像できないほどぎゅうぎゅうに
詰め込まれている」
「このような場所で、しかも無理な姿勢、運動不足、
短い食事時間と栄養不足、長時間にわたる過酷な
労働、不潔な空気といった状況下にあって、彼らの
大多数が胸部疾患、それもたいていは肺結核で若
死するという事実は、これはいったい不思議といえ
るであろうか? それに加えて、これらの作業には
暴飲という悪い習慣が共通して見られる。人びとは
酒の力を借りなければ仕事をやりおおせず、それが
彼らの健康のレベルを下げ、身持ちを崩させ、刻々
と、早過ぎる墓場行きへと駆り立てる。雇用者がこ
れらを考慮することは稀である」
(『看護覚え書』1章、「換気と保温」)
授業では言いませんでしたが、
こうしたナイチンゲールの叙述や観点は、
エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』と
共通していることに気づきます。
おまけに、ナイチンゲールとエンゲルスは、
ともに1820年生まれ。同い年なんです!
すごいでしょ。
授業では、日本の長時間労働が、いかにヨーロッパと
比べて異常か、その長時間労働が健康におよぼす
影響などについても話をしてみました。
あと、「ものを生みだす働きの尊さ」について、
最後に強調して終わりました。
学生さんの感想文は、どれもたいへん
おもしろい。疲れはこれでふっとぶ
のであります。
2008年5月23日 (金)
実行すべし。すべし。
今日(23日)の午後は、
ソワニエ看護専門学校の第6講義。
本日も41名全員出席。
講義前半は、読書日記の紹介。
『看護のなかの死』という本でした(またブログでも紹介します)。
これは、すごく反応が大きかった。
今年のこれまでで、一番だと思います。
学生のみなさん、『読みたい』と思ったら、
すぐ実行すべし。期待しています。
本講義の内容は、
『君たちはどう生きるか』の第3章。
コペル君が、「粉ミルクの秘密」から、
「人間分子、網目の法則」を発見するところです。
目には見えないが、無数の人びとと、
つながりあい、支え合いながら、「社会」「私」は
成り立っている。
「モノ」の背景に、どんな人びとの仕事や生活が
あるのか。それを想像することの意味。
社会を「支えている多くの人」たちの、
命と健康を「支える」のが、看護労働の役割の
ひとつですよ、てなことを話してみました。
2008年5月21日 (水)
にわか勉強で
今日(21日)は、晩、
福祉保育労岡山支部の執行委員会へ。
会場は岡山市内の
K保育園。
11名の参加でした。
初参加の人も2名。
今日の学習会のテーマは、なんと、
「チベット問題と北京オリンピック」でありました。
2か月前、A保育園のO原先生から、
「この問題を詳しく知りたいので」ということで要望があり、
にわか勉強してみました。
で、にわか勉強なりに、話をしてみました。
内容はにわか勉強なので(しつこい?)、
控えさせていただきます(笑)。
が、やはりこの問題は、
中国側の問題が大きいと学んであらためて痛感した
しだいであります。歴史的にも、今日的にも。
それを乗り越える、中国の人びとの底ヂカラを期待します。
あと、オリンピックの精神についても少し
勉強しましたが、これはなかなか面白かったです。
終わったあとの質問では、
「独立と自治はどう違うのか?」
「1国2制度とは何か?」
というするどい質問が出ました。
たしかにイメージがつきにくい問題かもしれませんね。
学習会終了後は、いつもの会議に。
各分会の状況や問題が交流され、
貴重な情報収集となりました。
そうか、あの旭川荘でも、
職員募集してもこない状況になっているのかぁ。
福祉、介護、保育は、慢性的な人不足時代に
突入しています。労働条件が悪すぎるのです。
国がお金をかけないからです。
あと、来月の定期大会で、
新執行委員長にA保育園のMさんが
選ばれることになりそうです!
いよいよ世代交代です。すばらしい。
また、組織拡大の意識も強まっている感じです。
私も側面から応援したいと思います。
2008年5月16日 (金)
子どもの貧困問題を
今日(16日)の午後は、ソワニエ看護専門学校へ。
5回目の今日は、
『君たちはどう生きるか』の第2章を中心に。
読書日記では、『沖縄が長寿でなくなる日』を紹介。
「平均寿命」の都道府県格差、そして世界の平均寿命
なども見ながら、いろいろと考えていきました。
沖縄の厳しい現実は、やはりほとんど知られていません。
講義後半では、
浦川君「油揚事件」をつうじて、ちょっと強引に、
「子どもの貧困」問題を考えてみました。
今週読んだ週刊東洋経済の「子ども格差」を
さっそく活用。
子どもを大切にしない国になっている。
親の貧困が、世代をこえて子どもの人生に直結している。
シングルマザーの現状、保育や学童保育、
あまりに高い学費問題なども見ていきました。
しかし、あまり手ごたえは感じず…。
(感想文はまずまずなのだが)
悩む日々であります。
2008年5月 9日 (金)
がんばれ現役労働者
おととい、きのう、きょうと、
岡山医療生協労組の昼休み学習会で
東中央病院へ行ってきました。
30分弱で「後期高齢者医療制度・ナースウェーブ」
について話すという恐ろしい仕事をやってきました。
時間が時間なので、後期高齢者医療制度のことは、
多田富雄さんの怒りの言葉(毎日新聞4月11日)を紹介することに
主眼をおきました。
また今日は、その昼休み学習会を
13時ちょうどに切り上げ、
ソワニエ看護専門学校での4回目の講義が
13時10分からという綱渡り連続講師でした。
ソワニエでは、
きのう紹介した多田さんの『寡黙なる巨人』を、
授業の半分を使って紹介。
学生さんはみな、大きな刺激を受けたようでした。
本授業では、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)の
1回目。コペル君の名前の由来がわかるところでした。
しかし、授業が終わってから
「先生の声は子守唄のように聞えるわぁ」と、
ある学生から言われ、心で泣いたのでありました。
午後の授業ということもありますが、
やはりさらなる修練が必要なようです。がんばらねば。
もちろん、良い感想を伝えてくれる学生さんもいるのですが。
ところで、『寡黙なる巨人』は、
東中央病院の学習会のときに、
「読んだ人いますか?」と聞くと、誰一人、手をあげる
人はいませんでした。3回で100名近い参加者でしたが。
療法士さんもふくめ。
逆に、ソワニエでは、「この本は1度読んだことがあります」
という学生さんが1人(しかも18歳)。
また、「じつは友人に連休中にかりた本で、読もうと思う」
という学生さんが1人。
これにはビックリしました。
現役労働者のみなさん、
学生さんに遅れをとっていますよ!
がんばってください!
2008年5月 2日 (金)
100万回ですよ
今日(2日)は、午後から、
ソワニエ看護専門学校の3回目の講義。
冒頭に「読書日記」を紹介。
そして今日はなんと、
絵本、『100万回生きたねこ』(佐野洋子・講談社)を
読んで、
「“100万回生きたねこ”を読むとく」という
とんでもない(笑)内容の授業でした。
2週間前の講義の最後で、この絵本を読んでもらい、
小課題を出しました。
①なぜ“ねこ”は100万回も生き返ったのか?
②なぜ“ねこ”は、最後、生き返らなかったのか?
③絵本を読んでの感想や気づいたこと、疑問に思ったこと。
という3つの課題をだし、
先週までに提出してもらい、
それをもとに授業をすすめるという方式でした。
各自が書いたものを、すべての人が
見て共有できるように、書き写したものを全員に
配りました。
予想できたことですが、
学生さんたちが出してきた課題を読んで、
私もこの絵本の読み方が、より豊かになりました。
なかには「これはすごい“気づき”だ!」とヒザを
たたいて喜んだ内容もありました。
授業では、
*いろんな状況・感情を読みとく力
*寿命とは?
*人間にとって“過去”のもつ意味
というポイントで、話をすすめていきました。
講義の感想文を読むと、1冊の絵本なのに、
人によって受けとり方、感じ方がこんなにも違うことに
驚いた、という意見が圧倒的。
人と意見を交し合うという経験が圧倒的に少ない
世代だからでしょうか。かなり新鮮だったようです。
では、私のレジュメの部分のみ、以下ご紹介します。
三。この絵本を通じて、考えたいこと
1。いろんな状況・感情を読みとく力
◇読む人の「年齢・経験・環境」によって、受けとるものが違ってくる絵本
*読み手の想像力を広げてくれる中身
◇質問にたいしての「正解」はありません(そういう絵本ではない)。
*ただし、1回読んだだけで、「スラスラ書いた」人は、
注意してください。
*逆に、ウンウンとうなって考えた人は、これからもその姿勢を
大事にしてください。
◇たとえば、設問①への答えも、それぞれ共通点もあれば、まったく
違う受けとめ方や、違う角度から考えた人もいます。
◇さらに、いろいろな「気づき」も
◇ナイチンゲールのきびしい指摘(『看護覚え書』15章「補章」より)
「この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対のもの、
すなわち、自分自身はけっして感じたことのない他人の感情の
ただなかへ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事は
ほかに存在しないのである」
「看護婦のまさに基本は、患者が何を感じているかを、患者にた
いへんな思いをして言わせることなく、患者の表情に現われるあ
らゆる変化から読みとることができることなのである」
「患者の顔に現われるあらゆる変化、態度のあらゆる変化、声
の変化のすべてについて、その意味を理解すべきなのである。
また看護婦は、これらのことについて、自分ほどよく理解してい
る者はほかにはないと確信が持てるようになるまで、これらに
ついて探るべきなのである。間違いを犯すこともあろうが、そう
している間に彼女は良い看護婦に育っていくのである。一方、
患者の表情や様子を何ひとつ観察しようとしない看護婦や、ま
た何か変化がありはしないかと思いもしないような看護婦は、ま
るでこわれやすい陶磁器の管理をしているようなもので、何も得
られない道を歩みつづけ、けっして看護婦にはなれないであろう」
◇感性はきたえるもの
「私はいつも少女時代に読んだ『赤毛のアン』を思い出します。
グリーンゲーブルズの叔母さんの家で過ごすアンが、見るもの
聞くものすべてに驚き、感激します。またなにごとにも『なぜ?
どうして?』と不思議がり、多感な少女として成長していくのです
が、あのアンのような想像力と好奇心をずっと持ち続けたいと、
もう七十歳をすぎた今もいつも思っています。
でも、ただ心がけるだけでは、感性は鍛えられません。日常
出合う事象のすべてを、漠然と見たり聞いたりするのではなく、
その底にあるものを感じとり、意味を見いだすような習性を身
につけてほしいと思います。そして言葉に表現しましょう。
…看護師という職業は、…実に多様な人を相手にしています。
複雑な人々の気持ちに直接かかわらなくてはならないのです。
見たり感じたりしたことを、ありのままの言葉によって表現する
訓練をしておかないと、相手の気持ちを想像する力も萎えてし
まうのです。なぜなら、想像も言葉によっているのですから」
(川島みどり『新訂 キラリ看護』)
2。「寿命とは何か」(日野原重明さんの考えに学ぶ)
◇『十歳のきみへ-九十五歳のわたしから』より
(日野原重明、冨山房インターナショナル、2006年)
「わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間をけずっていくと
いうのとはまるで反対に、寿命という大きなからっぽのうつわの
なかに、せいいっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメー
ジです」
「時間というには、ただのいれものにすぎません。そこにきみ
がなにをつめこむかで、時間の中身、つまり時間の質がきま
ります。きみがきみらしく、いきいきと過ごせば、その時間はま
るできみにいのちをふきこまれたように生きてくるのです。
時間を生かすということは、うらを返せば、死んでいる時間と
いうものもあるということでしょうね。いのちをふきこまれないか
ぎり、時間は、またその積み重ねである年齢は、死んでいるも
同然だということです」
「なにもしなくても、人はだれでも年をとっていきます。からだは
どんどん成長して、おとなの外見になり、やがては老いて、ちょ
っとこわいですけれど、いつの日か死をむかえます。それは誰
もが共通してたどる道です。そこに時間が流れています。
ただし、その道をどんなふうに歩いていくか、時間のなかにな
にをつめこんでいくかは、1人ひとりちがいます。ここに、きみに
いのちをふきこまれて生きてくる時間と、むだに過ごして死んだ
も同然の時間とがあるわけです。
・・・そして、できることなら、寿命というわたしにあたえられた時
間を、自分のためだけにつかうのではなく、すこしでもほかの人
のためにつかう人間になれるようにと、私は努力しています。な
ぜなら、ほかの人のために時間をつかえたとき、時間はいちば
ん生きてくるからです。時間のつかいばえがあったといえるから
です」
3。“ねこ”にとって、「100万回生きたという、“過去”」のもつ意味
◇過去は、現在の生き方によって、その意味を変えてくる
*なぜ「おれは100万回も・・・」と言わなくなったのか。人生の量と質。
*最後に初めて心から泣いたねこが、感じたこと。(長久の想像)
以上。
来週からは、5回にわけて、
『君たちはどう生きるか』をテキストに、
またコペル君との旅をはじめます。
2008年4月30日 (水)
2008年4月28日 (月)
2008年4月24日 (木)
メーデー学習つづく
きのう(23日)のお昼は、
岡山医療生協労組のメーデー学習会に。
参加は40名ほど。
おつかれさまです。
労組執行委員長のY田さんが、
後期高齢者医療制度のことを15分で、
私がメーデーと看護師のたたかいの歴史を
20分(!)で話をするという構成でした。
私も冒頭に、3日前のニュースで山形県の
58歳の息子さんが87歳のお母さんを首をしめて
殺し、自分も首吊り自殺をした事件を話しました。
その息子さんは、「生きることに疲れた」と遺書に残し、
最近、後期高齢者医療制度で年金から天引きされて
生活が苦しいこと、医療費が高くて今後の見通しが
もてないことを、近所の方に相談をしていたそうです。
この国では、医療制度が人を殺しています。
自分を生んでくれた母親を自分の手で…。
どんなに苦しく、辛かったでしょうか。
絶対に許せません。
たぶん私、かなーり怒りながらしゃべってました。
楽しくなんて語れません。
あと、看護師のたたかいの歴史も
話をするついでに、ナイチンゲールの以下の言葉も
紹介してみました。
「看護のような仕事においては、忙しくてもう頭も手もいっぱいと
いったときに、…真剣な目標を心の中にもっていないとなれば、
-たとえうわべは隣人に尽くしているように見えても-決して彼
らのためにも…尽くしてはいず、もっぱら自分のためだけで終
わっているといった事態が、いともたやすく起こりうるものです」
(F・ナイチンゲール『看護婦と見習生への書簡(1)』1872年)
「真剣な目標」をささえるのは、
命を守り支える医療従事者としてのプロ意識、
そして、あたたかく鋭い感性、だと思います。
医療従事者のみなさんの、心からのたたかいを、
私はほんとうに期待しています。
そして、今日(24日)のお昼は、
倉敷医療生協労組のメーデー学習会でした。
2回目で、健寿協同病院の会議室でした。
始まる前の様子。
参加は20名ほど。
みなさん熱心に聞いていただきました。
メーデー、多くの人の参加で声をあげていきましょう!
2008年4月23日 (水)
阿波根昌鴻さんのすごさ
きのう(22日)の晩は、ふたたび倉敷医療生協労組へ。
みんなの学校の6回目。カリキュラムの最後でした。
参加は7名。
どの参加者も
とっても学習意欲が
高いのが特徴です。
きのうのテーマは、
「命どぅ宝・沖縄反戦の心-阿波根昌鴻のたたかいに学ぶ」
でした。
2005年に伊江島に行ったとき、
阿波根昌鴻さんの本を読み、
ヌチドゥタカラの家(反戦平和資料館)に入り、
受けた衝撃は、今も忘れることはできません。
私のこだわりの人です。
講義では、沖縄の戦後の苦難の歴史と、
伊江島の農民や、阿波根さんのたたかいと
思想にふれるものとしました。
感想文を読むと、
阿波根さんの言葉やたたかいの姿勢は、
やはり相当なインパクトがあったようです。
また、沖縄の歴史を知らなかったこと、
これからも学び続けたいし、
一緒に学ぶ仲間がいる心強さを感じる、
平和を実現していくために、
関心を持ち続け、自分のできることを
していきたい、と。
どの青年も、本当に素晴らしい感性と
学ぶ姿勢をもっていると思いました。
最後のみなさんの発言を聞いていて、
かなーり感動した私でした。
とくに、労組青年部長Mさんの
「これまで学習というと、しかたなくやっている
という感じだったけど、この学習会に参加する
ようになって、知らないことっていっぱいあるんだな
と思ったし、まず学習からはじめないと、と思った」
という発言は、びっくりしたのと、感激したとの。
終了後、主催者の1人であるKくんから、
「せっかくこういう機会をもったのだから、
今後につなげていきたい。これからの
ことを相談する場を今日決めよう」と突然の提案があり、
5月に、学習会に参加したメンバーで集まって、
今後の活動や学習の方向性について
考えることになりました。すばらしい!!
6月21日には、福山のホロコースト記念館に
平和学習をする「特別授業」をすることにも
なっています。
倉敷医療生協労組の青年たちは、
これからも走り続けます!
では、以下、講義の概要です。
はじめに:沖縄が、ほんとうの『癒しの島』になるために
一。苦難の現代史-沖縄のあゆみ
1。沖縄戦
◇「国体護持」のための「捨て石」としての沖縄
◇20万人以上の死者(約半数が一般住民。米軍も1万数千人の死者)
鉄の暴風、軍民一体の地上戦、日本兵による住民虐殺
防衛隊・学徒隊の悲劇、「集団自決」、戦争マラリア
2。日本から切り離された沖縄
◇沖縄住民の戦後は、16か所の収容所から出発。米軍は自由に
基地を整備した。
*白地図に線を引くように広大な軍用地を接収
・例えば嘉手納基地は、日本軍がつくった中飛行場を約40倍に
拡大したもの
◇そして、北緯30度以南は日本から切り離される
*1946年1月29日、連合国総司令部(GHQ)「若干の外郭地域を
政治上行政上日本から分離することに関する覚書」を出す。北緯
30度以南の南西諸島を日本から分離することを明らかにした。
「沖縄諸島は、われわれの天然の国境である。米国が沖縄を
保有することにつき日本人の反対があるとは思えない。なぜ
なら沖縄人は日本人ではなく、また日本人は戦争を放棄した
からである。沖縄に米軍の空軍を置くことは日本にとって重大
な意義があり、あきらかに日本の安全に対する保障となろう」
(46年6月27日のマッカーサー発言)
*1947年5月3日、日本国憲法施行
・北緯30度以南は、憲法は適用されない地域だった
*平和憲法は、沖縄の犠牲のうえに築かれた、と言える
◇49年の中国革命の成功により、沖縄の恒久的な軍事基地建設が
はじまる
*アメリカ議会は50年度に、5千数百万ドルの本格的な沖縄基地
建設予算を組む
*50年6月、朝鮮戦争がはじまる
◇サンフランシスコ講和条約第3条
*1951年9月8日、対日講和条約が調印される
(同じ日、安保条約も調印)
【3条】日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び
大東諸島を含む。)、孀婦(そふ)岩の南の南方諸島(小笠
原群島、西ノ島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及
び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度
の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる
提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決され
るまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住
民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一
部を行使する権利を有するものとする。
*1952年4月28日、対日講和条約、安保条約が発効
・沖縄が、無期限に、日本から切り離された日
・日本国憲法がおよばず、核の自由もちこみ、軍事最優先のもと
におかれた沖縄。
*太平洋の「カナメ石」として
◇銃剣とブルドーザーによる土地接収(基地拡大)
*沖縄支配の合法的根拠を得たとする米軍は、徹底した軍事優先
政策と反共政策をふりかざし、軍用地の強制接収や政治的弾圧
を強行していく。
*住民の抵抗を武力で排除しての基地拡張建設-土地の強制接収
*沖縄の無期限保有の意思を示すアメリカ
・53年11月ニクソン副大統領
「共産主義の脅威あるかぎり、アメリカは沖縄を保有する」
・アイゼンハワー大統領54年の一般教書演説
「沖縄のわれわれの基地を無期限に保有するつもりである」
◇島ぐるみ闘争
*56年6月「プライス勧告」
・プライス委員会報告書は、沖縄基地が、①制約なき核兵器基地
として、②アジア各地の地域的紛争に対処する米極東戦略の拠
点として、③日本やフィリピンの親米政権が倒れた場合のよりど
ころとしてきわめて重要であることを強調し、軍用地政策を含む
従来の米軍の占領統治を基本的に正しいものとした。
*島ぐるみのたたかい
・プライス勧告の全文が沖縄に届いた6月20日、全沖縄64市町
村のうち56の市町村でいっせいに市町村住民大会が開かれる。
これらの大会には、16万から40万の民衆(全人口の20%~
50%)が参加したと言われている。
・6月25日には全県規模の住民大会が那覇とゴザ(現沖縄市)の
二つの市で開催され、それぞれ10万と5万の民衆が参加した。
*反戦地主のたたかい
3。苦難のたたかい-復帰運動
◇沖縄の人びとの壮絶な復帰運動
◇ベトナム戦争への「加担者」に
◇「平和憲法のもとへ」-復帰の現実は「安保条約のもとへ」だった
*米軍基地の永続化と引きかえの「祖国復帰」-1972年5月15日
*それは、「平和憲法」ではなく、「安保体制」の中へ沖縄をしばり
つけるものであったと言えないか。
4。安保条約の集中点『沖縄』-21世紀も続く基地押しつけ
◇安保条約の実感の「差」-沖縄を想像する力を
*岡山にとっての安保
*沖縄にとっての安保
・米軍基地、騒音、米軍による事件・事故、基地経済、米軍への
特権「地位協定」、アメリカの戦争への加担
*これだけの犠牲を強いてきた沖縄に、私たちがどう連帯し、関心
を持ち続けていくのか。沖縄へ行ったことのない人は、ぜひ沖縄
へ行って、自分の目と耳と肌で、沖縄の「傷み」を感じてきてほしい。
*憲法を守ることができても、安保があるかぎり、沖縄の現実は変
わらない。
二。伊江島・阿波根昌鴻のたたかいから学ぶもの
1。伊江島とそのあゆみ
◇沖縄の縮図・伊江島
≪1943年 7月≫ 日本軍が伊江島飛行場建設をはじめる
(村民多数動員)
≪44年10月10日≫ はじめての米軍空襲(村民40名死亡)
≪45年3月上旬≫ 完成目前の飛行場の破壊命令が出る
≪45年4月16日≫ 米軍上陸。戦車80台、兵1000人。
≪45年4月21日≫ 米軍、伊江島の占領を宣言。村民の死者
約1500名、日本軍の戦死約2000名。
米軍の戦死約300名。
≪45年5月≫ 戦死や集団自決、自爆から生き残った島民2100人
は慶良間島へ強制移送され、米軍は伊江島に新た
な飛行場や施設を建設。
≪47年3月≫ 伊江島民に帰島の許可があり帰村開始。しかし、
伊江島には緑はなく、村や家屋一軒もなく、あるの
は縦横に走る自動車道路と無数の米軍施設だった。
村民は仮テント生活を余儀なくされる。
≪47年8月6日≫ 波止場で米軍爆弾処理船LCTが事故を起こし
爆発。渡し舟の村民多数をまきぞえに。死者
102人、負傷者73人。
≪50年4月≫ 復金による住宅建設はじまる。
≪53年7月≫ 米軍が理由を騙して真謝区の土地調査。
≪54年6月20日≫ 米軍、工事着工。4戸を立退かせた。工事
終了と同時に爆撃演習開始。
≪54年8月20日≫ 米軍、射撃場拡張を通告。これには、真謝区
の全部と西崎区142戸のうち74戸がふくまれる。
≪55年3月11日≫ 米兵300名。三隻の大型上陸用舟艇で伊江島
に上陸。
≪55年3月12日≫ 真謝部落で米軍測量開始。
≪55年3月13日≫ 住民は、上陸した米軍部隊との交渉に見切りを
つけ、8名の地主代表が朝から那覇の琉球政府
にかけつけて座り込み陳情を開始。
≪55年3月14日≫ 米軍、農家・家屋に対し強制破壊。この夜から、
米軍の張った13枚のテント幕舎生活がはじまる
(77名収容)。
≪55年3月15日≫ 測量をほぼ終了。鉄柵をはりめぐらす。
≪55年4月30日≫ 伊江中学運動場で土地返還要求村民大会。柵
の撤去、演習中止、損害賠償を決議。
≪55年5月9日≫ 米軍、爆撃演習再開。
≪55年7月21日≫ 真謝区民大会。部落全体が、生きる為、また世
間に実情を訴えるために乞食となることを決定。
沖縄本島を横断する乞食行進が開始される。
56年の2月までこの行進は続く。
以後、米軍と農民のたたかいは続く。伊江島の創造的なたた
かいの記録は、阿波根昌鴻さんの著書『米軍と農民』(岩波新
書)に詳しい。農民の不屈のたたかいで、伊江島の軍用地は、
最初島の63%であったものを、約27%に後退させた。
◇阿波根昌鴻さんとは
*1903年、沖縄本島の上本部村(現・本部町)に生まれる。
1925年、移民募集に応じてキューバ、のちにペルーにわ
たり、1934年帰国。京都一燈園に西田天香氏を訪ねた後、
伊江島に住む。1945年沖縄戦で一人息子を失い、戦禍を
まのあたりにして、反戦平和のために闘うことを決意。米軍
占領下の伊江島の土地闘争では常に先頭に立った。復帰
後も、一貫して軍用地契約に応じない反戦地主として闘い、
84年に建設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を主
宰して、反戦平和の実践を続けた。2002年3月21日没。
2。長久が学んだこと
◇「平和の武器は学習である」
*学習し続けた人
「わしらは、いろいろな人に援助してもらいながら闘いの中で
学びました。そして闘いがすすむ中で、勉強することが闘いの
大事な一部であることを確信し、もっときちんとした勉強が必
要であると考えるようになっていった。それで61年、『人材養
成有志会』というものをつくって、東京にある中央労働学院と
いう学校に、村の青年たちをおくって勉強してきてもらうことに
したのであります。復帰までに、合計15、6人の青年が行き
ましたかね。
ところで、この活動は、わしにとっても大きな意味をもつこと
になりました。帰ってきた青年に、わしの考え方は観念的だと
批判されたりして、だんだん話があわなくなった。これはいか
ないと思って、今度はわし自身が学校に行ってみようと思った
のであります。66年ですから、わしは63歳でした。勉強に行
って、びっくりしましたことがいくつもありましたよ。たとえば、
賃金論というものを教えられた。昔の教育では、貧乏というの
は、その人が悪いか、または祖先に悪い人がいたためだとい
われて、疑ったことがなかったのに、そうでないことがわかった。
いろいろなことがわかった。いろいろなことがわかっていく、と
いうのは実に大きな楽しみであります。先生のいわれることは
全部ノートしました。そのときのノートは31冊あります」(『命こそ宝』)
◇反戦運動の姿勢
*相手のことを考える闘い
「道理をもって相手を説得する、決して責めているだけではい
けない、相手の立場に立って相手も幸せにする、そういう考え
方でなければならない」(『命こそ宝』)
*辺野古のたたかいに受けつがれている『非暴力』の闘い
3。阿波根さんの言葉(主に、岩波新書『命こそ宝』より)
◇沖縄戦を体験して、また戦争について
「一体この子どもたちに、この老人たちに何の罪があったとい
うのか、どんな悪魔であっても戦争ほどひどいことはできない、
どんな地獄であっても戦場には及ばない、そう思わずにはい
られなかった」
「わしは、一人息子が沖縄で死んだ・・・なぜわしが、これほど
平和運動に熱心に取り組んでいるのかといえば、何よりこの
体験である。地球ともかえられない、たった一人の息子を戦
争でとられて殺された。その何物にもかえられない息子を失っ
た親としての痛苦の思い、これが基本にある」
「つい最近のことですが、戦争で父親を亡くした親子が泊り込
みで、わしのところに来ました。その人は、私たちも戦争で親
を亡くしたが、何十年もたったことであり、諦めるしかない、諦
めが肝心だ、いつまでも戦争のことを考えているのはどうか、
という。
わしはこう答えました。あの戦争が最後でもう終わりというこ
とであれば、これは早く忘れた方が自分のためになる。しかし
いま、これまで以上の軍備をし、演習をし、沖縄県民はいろい
ろな事件や事故にあって、ひどい目にあっている。戦争で死の
うが、演習で死のうが、かけがえのない人ひとりの命であるこ
とにかわりはない。戦争をするための準備と演習のために殺
され、死んでゆくということがなくなるまで、戦争の悲惨さをい
いつづけ、平和のために行動を実践しつづけなければならな
い。しかも、今度戦争が起きたとしたら、核で地球は全滅。わ
しらの時代はともかく、次に生まれてくる子どもたちのために、
地球を破滅させるようなことをさせてはいかない。すべて命、
命あってのことなんだ。命より大事なものは無いんだ。その命
が戦争によって、こんなにも奪われてしまった。もう二度とこん
なことがあってはいかない-
この親子に話したことは、戦後ずっと考えてきたことでありま
した。そして、わしが反戦資料館をつくろうと思った心の底にあ
る思いであります」
「人類の不幸のすべては、戦争準備と戦争が作るものである
戦争さえなければ、人類に貧しさも犯罪も争いも不幸も無い
ことを確信しております
戦争(殺し合い、奪い合って、瞞し合って生きる人間のこと。)
平和(助け合って、ゆずり合って、教え合って、共に生きる
人間のこと。)」
◇反戦平和資料館について
「いまあるほとんどの資料館はどこでも、戦争は残酷だ、も
う二度としてはいけないといっておりますが、その残酷な戦
争は誰がどうしてつくったのかということに、まったくふれていない」
「戦争はどこが始めたかということからはじめて、戦争の残酷
さと、戦争の結果からくる悲劇を展示しようと思いました。さら
にそのためには教育のこと、戦争準備のこと、戦争をおこし
た『英雄』たちの悲劇のこと、ここまでさかのぼって展示しなけ
れば、本当の反戦資料館にはならない、そう考えるようになっ
ていった」
「なぜ身障者の人たちのための里をつくろうと思ったか。それ
は、平和と福祉は深く関連していると思っておったからであります」
◇土地を守るたたかいを通して
「土地をとり返すための闘いを続ける中で、わしらはいろい
ろなことを学び、考えました。米軍の中にはいい人もおる。
赤ちゃんにミルクを飲ますやさしい人もおる。それなのに、
なぜわしらの土地を強奪するというひどいことをするのか。
これは戦争があるからである。戦争が人を変えてしまう。
そして基地は、その準備をするためのものだ。基地が撤去
されるまでは、戦争のことを忘れてしまうことはできない。わ
しらの土地を守る闘いは、戦争をやめさせ平和をつくること
につながる、またつながらなければいかない。そう確信する
ようになった」
「基地からくる『こぼれ金』に頼らないと村の経済が成り立た
ないというのは、長い目でみればいいはずがない、そんない
びつな経済は経済としても不健康で危険なことであります。
それだけでなく、何でも金を優先させる考えは人の心を毒し
てしまいます」
「わしらの平和運動は、沖縄から基地を無くしても終わらない。
日本の平和憲法を、世界中で実現させて、世界中の武器を
全部なくす。そして、地球上の資源を、地球上の生き物が、
平等にバランス良く分け合って、生きてゆけるような社会に
するまでは、平和運動はやめられない」
◇米軍にたいして
「わしらには米軍に悪口をいう権利はないし、資格もない。
米軍が沖縄、そしてこの伊江島にきたのは戦争があった
からですよ。その戦争はだれが起こしたか。日本が起こし
た。戦争がなければ米軍は来ていない。日本が米軍は沖
縄に来て下さい、伊江島に来て下さい、そういったのと同じ
である。わしらは日本人としての責任がある、そう思ってお
ります。だから悪口はいわない。そういう闘い方はしない。
わしらは『鬼畜』ではない、人間である。人間として闘いを
やるのだ」
「自分たちの目的は基地撤去であり、土地をとりもどすこと
です。喧嘩することではない。だから、銃剣を持って来る人
の立場も考える。この兵隊たちは命令に従うしかない人た
ちで、可哀そうだという同情心がなければいかない」
「軍事力を強化する国は、国民を苦しめる悪い国であります。
それに武器に頼って生きる人間より不幸な人間はおりませ
ん。・・・基地はアメリカ国民のためにもならない、もちろん私
たちのためにもならない、このことを確信している」
「アメリカ人と話し合う時には、いつもキリストを前に出して方
がいい。キリストの後にかくれていると、キリストが闘ってくれ
る。私たちは三〇年あまり闘っているが、アメリカの上の人か
ら、間違っていると言われたことは一度もない。またアメリカ
人にこんな事を言ったことがある。『日米安保条約は日独軍
事同盟より危険だ。こんな条約を結んで恥ずかしいとは思わ
ないか。どちらが正しいか裁判でためしてみよう。アメリカか
らキリストをつれて来なさい。私たちはインドからお釈迦様を
つれて来る』」
「私たちは米軍に土地を取られ、米軍とたたかってきました
が、そのときもそれ以後も、他を責めない、長所と交わる、
友と友、人と人、国と国、不義を正し、ソ連とも、アメリカとも
仲良く、ゆずり合って、助け合って共に生きる、その実践の
なかに真の平和と真の人間の幸福はあると確信いたし、そ
の実践に努めてきました。
私たちが戦争と米軍との闘いで学んだことは、武器の力に
頼って生きる人間の限りない不幸と、良心に頼って生きる人
間の限りない幸福であります。そこで平和運動とは、幸福の
人が不幸の人に幸福の道を教え、導いてあげることであると
確信を持つようになりました。米軍との三十余年の闘いで、
米国民の不利不幸になることはやらないように努めてきまし
た。私たちが闘わなければならないのは、戦争をやりたがっ
ているアメリカと日本の、人間の顔をした悪魔に対してであり
ます」
◇人生観・世界観
「土地は魔法使いのようだよ。同じ土にいろんな種をまくとい
ろんな命を育ててくれる。命はぐくむ土地を、人殺しの練習の
ためには使わせない。土地は万年。金は一時」
「この伊江島はね、海も動いているし、生きておる。こうして木
を見ていますとね、風は三味線ですよ。静かな三味線をひくと、
木の枝はみな、クミウルイ(組み踊り)する。あれは王様の前
で踊るおどりですね。三味線という風が力強く吹くと、沖縄の
カチャーシー、庶民の元気踊り。そして、木によって、踊り方が
みな違う。木の葉が大きい木の踊り、木の葉の小さい木の踊
り、みな違う。それも見事。
天を見たらですね、雲がどんどん動いて、いろいろなかたち
に変わる。舟になったり、ライオンになったり。それもまた見事。
何でも生かしていかなければならない。戦争がない平和の島
をどうしてもつくっていかなければならない。わたしはそう強く
思っております」
さいごに:「みんなの学校」全6回を終えるにあたって
*平和運動は、継続性こそが求められる
*学ぶことと、仲間の存在が必要
*ぜひまた学習の機会を、労働組合らしさの発揮を
以上。
2008年4月18日 (金)
やはりここでも“手”
今日(18日)は、午後から
ソワニエ看護専門学校で2回目の講義。
41名全員出席でした。
「人間の手のふしぎ」ということで、
先日の福祉保育労でしゃべったことと、
ほぼ同じような話をしました。
最後の「看護と『手』」のところだけ、
紹介します。
感想文をみると、まずまずだったかなーと
思いますが、やはりソワニエは修行の場ですな。
なかなか「うまくいったナー」という実感がもてません。
では、以下。
四。看護と「手」
1。どのような手(人間性・感性)をもった看護師か
「しかし病人の世話をするには建物だけあればよいのであ
ろうか? そこには心と手、訓練されて熟練した手が必要
である。大英帝国のどの救貧院でもまたその他の病院でも、
当然そのような手と心の持主によって看護がなされるべき
である」
(F・ナイチンゲール『アグネス・ジョーンズをしのんで』)
「教育の仕事は別として、世の中で看護ほどに、その仕事
において『自分が何を為しうるか』が、『自分はどのような人
間であるか』にかかっている職は、ほかにないからです」
(F・ナイチンゲール『看護婦と見習生への書簡〔1〕』)
◇3年間のソワニエでの学びで、ぜひ人間性と感性を磨いてほしい
2。「手当て」が医や看護の原点
◇美術作品から
*「エヒテルナッハ福音聖句集」
*カリエール「病気の子ども」
*ピカソ「科学と恩寵(おんちょう)」
◇看護師が手を使わなくなった!?
「夫の入院中、夫の手に触れた看護師さんは一人もいませ
んでした。強い気性の夫でしたが、末期には、痛いくらいに
私の手をぎゅっと握りしめていました。先人たちが築いてき
た有形、無形の看護実践、その人の生きる力や、自然治癒
力を引き出す要素があるはずなのに、それが忘れさられて
います。
手は、サーモスタット無しに常温を保てます。こんな有力な
武器はありません。手を当てただけでアセスメントできます。
・・・脈を3本の指で診ると、脈の緊張の度合いで血圧が高い
か低いかもわかるし、早さもわかる、皮膚がしめっているか、
乾いているかもわかり、脱水状態も把握できる。胸に手を当
てれば、ゼイ鳴のある、なし、ゼイ鳴がなくても動いているの
は触っただけでもわかります。観察の武器として、モニター以
上に複数の情報をキャッチでき、自分の意志で使えます。さ
すったり、揉んだり、なでたり、つかんだり 叩いたり、抱きし
めたり、いろいろなことができるのが手です。看護師たちはこ
の有用な手をどうして使わないのかと思います。なぜ機械を
介在させるのでしょう」
(川島みどり「IT化時代 今だからこそ看護の原点に」、
『医療労働』№500)
以上。
来週は講義はお休みで、
次回は5月2日です。
2008年4月17日 (木)
手から考える
きのう(16日)は、福祉保育労岡山支部の
執行委員会へ。恒例の学習会です。
会場は、ちょっといつもと違い、
岡山市のA保育園の近くの喫茶店。
かなりなごやかな雰囲気で。
参加者は10名。
この4月にA保育園に
就職した保育士さんも
参加してくれました。
うれしー。
きのうは、「手を考える、手から考える」
というテーマで、初めて「手」をテーマにした
話をしてみました(明日もソワニエでするのだが)。
「労働組合と『手』」の話も、初めて。
まだまだ抽象的な話も多く、発展途上ですが。
福祉・保育労働者にとっても「手」は
仕事に直接に関わる重要なテーマで、
講義はなかなか評判が良かったようです。
感想交流では、それぞれの方から、
子どもの発達と手の関係、
障がい者の手の使い方など、
「なるほどなぁ」という貴重な話がたくさん聞けて、
とても学ぶことが多かったです。さすがプロ。
もっと『手』については深めていきたいと思います。
では、以下、講義の概要です。
一。人間の手の働き
1。絵本『てをみてごらん』(中村牧江さく・林健造え、PHP)
てをみてごらん
きみのてと ともだちのて
あくしゅをすれば もうなかよしだ
あかちゃんのては いつもあまえている
きみが おこっているとき ても おこっている
かんがえているときは こんなかんじ
だいじな やくそく
みんなでなにかをきめるとき
うまくいったら やったあ!
ほかには どんなこと?
はるは そっと うけとめる
なつは めずらしい おきゃくさま
あきは いっぱいみつけて わけてあげる
ふゆは いっしょに あたろうよ
きみのては いまなにをしているの
それから なにをするの
「手は表情豊かです。たとえ言葉で何も言わなくても、
手の動きやかたちで、喜怒哀楽、やさしさ、拒絶など、
人の気持ちをこまやかに表現していることをご存じでし
たか?
本書は、紙でつくった繊細な手のイラストによって、手
が表現するさまざまな思いや役割に気づかせてくれる
絵本です。
仲良しになる握手、おかあさんの手に甘えて包まれる
赤ちゃんの手、おこったときにぎゅっとにぎった手、何か
を考えているときの手、約束のゆびきり、じゃんけんの
ぐー・ちょき・ぱー、「やったー!」のブイサイン、花びらを
そっと受け止める手、トンボがとまる手、どんぐりを集め
てだれかと分け合う手、四葉のクローバーをつまむ手、
それをだれかに渡す手、たき火にかざす手…など、ふだ
んは気にもとめない自分の手や人の手に出合えます」
(出版社ホームページ「解説」より)
2。人間の手はどんな働きをするか
◇人間の手の働きあれこれ
「書く」「打つ」「つかむ」「なげる」「ぶつける」「ひっぱる」
「むしる」「はじく」「つまむ」「おす」「むすぶ」「ふれる」
「なでる」「抱く」「つつむ」「かきむしる」「さわる」「ひく」
「さぐる」「にぎる」「さす」「すくう」・・・
*また、手は「熱い」「硬い」「痛い」「形」など、たくさんの情報
を脳へ伝える
*「道具」を使って何かに働きかける-労働が人間らしさをつくった
*相手に物を渡したり、相手から受けとったりする、つまり手が
「他者との媒介」に。
◇手にまつわる言葉ー日本語は「手」をたくさん使っている
*運転手、選手、助手、歌手、騎手、働き手、聞き手、やり手、
手先、名手、相手、担い手、受け手、なり手・・・。「手」という言
葉がそのまま人間をあらわすものとして使われていることにも、
人間にとっての「手の重要性」があらわれている。
*「手をぬく」「手伝い」「手をやく」「手がでる」「手ざわり」「手さぐり」
「上手・下手」「手堅い」「手本にする」「手柄」・・・
二。手と心ー人間性や感性
1。絵本『わたしの手はおだやかです』
(アマンダ・ハーン文、マリナ・サゴナ絵、谷川俊太郎訳)
これがわたしの手
わたしだけのたいせつな手
つみとる ことが できます
だきしめることも
なげることが できます
しっかりつかむことも
ふせぐことも
じぶんの 手のこと わかっているかな?
手は わたしが いなければ なにも できません
手は わたしが してほしい ことを してくれます
あそびたいときは つくったり つかんだり かくしたり
はたらくときは たたいたり かいたり かぞえたり
それはどれも わたしが えらんだこと
わたしは えらびません・・・
ぬすむこと おしのけること きずつけること
ひったくること こわすこと
わたしはすき かわいがるのが なでるのが
くすぐるのが わけあうのが わたしの手で
だから わたしの 手は おだやかです
「ふだん私たちはあまり意識せずに手を使っています。で
も気がついてみると、手にかかわる言葉はいっぱいありま
す。『手当て』『手伝い』『手に入れる』『手を抜く』『手を焼く』
などなど、あげ始めるときりがありません。からだの一部で
ある手は、人間のさまざまな行為のたとえにもなっていて、
手は使い方ひとつで良くもなれば悪くもなるのだということを、
この絵本は教えてくれます」(谷川俊太郎)
2。手と心
◇赤ちゃんや子どもの手の動作や運動から、こころの発達を知る
ことができる
◇手仕事と内面
「そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と
繋がれていることであります。機械には心がありません。こ
れが手仕事に不思議な働きを起こさせる所以(ゆえん)だと
思います。手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えて
いて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、ま
た道徳を守らせたりするのであります」
(『手仕事の日本』柳宗悦、岩波文庫、1985年)
三。「手」から考える労働組合
1。手渡され、手に入れ、手渡す-過去から現在、そして未来へ
◇労働組合そのものが、先人たちのたたかいがつくりだしたもの
*つくり出すエネルギーの大きさ、なぜそこまでして労働組合が
必要だったのか
*人間らしい働き方、人間らしい生活をもとめて
-あきらめなかった人びと
◇労働組合は、いまや基本的人権の重要な1つ
*日本国憲法28条に保障されている
*信じて託された権利
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の
多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの
権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に
対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの
である」(97条)
◇私たちのいまある(手に入れている)権利や働き方は、こうし
た先輩たちのたたかいの成果
◇それを、未来の仲間に手渡す責任が、私たちにはある
*より充実したバトンとして手渡したい
2。手をつなぐ(結ぶ)-団結をひろげて
◇手をつなぐことの意味
*人間だけが手をつなぐ
*あたたかさ・ぬくもり(微温)-ヒューマニズムの原点
◇人類は集団で助けあって労働・生活し、進歩してきた
*人間には、いろんな能力があって、補いあいながら、社会を
つくってきた
*「勝ち組・負け組み」「自己責任」は、人間の孤立
◇「他人の痛み」をほっとけないという感覚を大事に-手をつなごう!
*職場の仲間と、地域の人びとと、同じ思いをもつ福祉・保育労
働者と、よりより社会をめざす日本中の人びとと、そして同じ世
界に生きる人類と。
*団結の「結ぶ」の意味。「夢をむすぶ」「実をむすぶ」「結実」。
「むす」という動詞は「生す」と書く。「結ぶ」ことは、「生まれる」
こと。ちなみに「団」は、「かたまり」という意味。
3。1人ひとりが、学び手に、そして労働組合の担い手に
◇たたかう相手はだれかを見極めるために、学習を
◇労働組合の主人公は、1人ひとり
*自分や職場の可能性を引き出す組織
*自分の仕事に誇りと喜びを育てるために
*貧困や差別、社会的苦しみを解決していくために
以上。
2008年4月11日 (金)
3年目に入りました
今日(11日)は午後から
ソワニエ看護専門学校へ。
3年目の「人間関係論Ⅱ」の授業が
本日からスタートです(全15回)。
今年はいったい
どんな驚きや
どんな学びが
待っていることでしょう。
ワクワクですな。
今年の1年生は
41名と、昨年よりかなり
多く、教室いっぱいでした。
1回目の今日は、時間フルに使っての
自己紹介でした。
私のと、学生さんのと。
今年も年齢バラバラ、経歴バラバラ、
出身バラバラ、趣味バラバラの
多彩な学生が集まったようであります。
男子学生は9名でした。
自己紹介では、
出身、趣味、好きなTV、好きなスポーツ、
好きな音楽、好きな映画・本、好きな人物、
リラックスタイム、最近気になるニュース、
旅行ここに行った、行ってみたい所。
という項目を用紙に書いてもらい、
いろいろと交流をしました。
いや、今年もとっても面白かったです。
来週からが、楽しみです。
来週は、「人間の手」の話をする予定です。
「看護・医療」読書日記もまた再開です。
がんばります。
2008年4月 9日 (水)
世界は動いている、のだ。
きのうは、倉敷医療生協労組・みんなの学校の
5回目でした。
参加は9名と復活!
初参加も2名。
みなさんの感想も
しっかりしたものでした。
きのうは、
「イラク戦争と21世紀の世界-平和運動の大きな流れ」
ということで、かなーりスケールのでかいお話でした。
世界の大きな流れをしっかりつかんでおくことは、
とーっても大事なことです。
日本だけ見いていると、あるいは、「今」だけ
みていると、悲観的な気持ちになりますが、
視野広く、歴史的にものごとをみることで、
自分たちの立ち位置がわかり、活動のエネルギーの
ひとつになると思います。
では、以下、講義の概要です(やはり長いですが)
一。イラク戦争をめぐって-平和運動の新しいウェーブ
1。戦争はとめられなかったが
◇国連での徹底した議論
*国連の安全保障理事会で、これから起きそうな戦争をめ
ぐって、支持するか支持しないかを、最後まで論争が行わ
れたのは、国連の歴史上はじめて。
・朝鮮戦争は国連軍が出動、ベトナム戦争でも国連は
事実上無力だった
*最後には、アメリカは国連での敗北を事実上認め、安保理
での採決をあきらめて、国連のお墨付きをえないまま戦争を
はじめるという道に追い込まれた。
「イラク攻撃をめぐっては、アメリカが事実上、孤立している。
かつてアメリカが、これほど孤立したまま戦争に踏み切る例
はない。これほど多くの同盟国から、これほど強硬に反対さ
れたこともない。世界中でこれほど多くの反発や怒り、不信を
招いたこともない。まだ一発の銃弾も打ち込まれていないの
に、である」
(アメリカの代表的週刊誌『ニューズウィーク』、開戦前の論評)
2。世界の政府を動かした背景-人びとのたたかい
◇イラク戦争開戦前に起こった世界反戦統一行動
(2003年2月15日が最大)
◇2002年11月にイタリアのフィレンツェで行われた第1回欧州
社会フォーラム
*閉幕行事として行われたイラク戦争反対のデモ・集会に、イタ
リアを中心に全欧州から100万人が結集した。
*そこで、2003年2月15日に欧州でイラク戦争反対の統一行動
が呼びかけられ、それが世界的に広がり、世界統一行動が準備
される。
◇03年1月18日、アメリカのワシントンで50万人のデモ
◇03年2月15日、何らかの集会やデモが行われた国
*アルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、ブラジル、
カナダ、チリ、クロアチア、キューバ、キプロス、チェコ、デンマーク、
エクアドル、エジプト、エストニア、フィリピン、フィンランド、フランス、
ドイツ、ジャマイカ、日本、ギリシャ、グアテマラ、ハイチ、香港、
ホンジュラス、ケニア、イギリス、アイスランド、インド、インドネシア、
イラク、アイルランド、イスラエル、イタリア、レバノン、リトアニア、
ルクセンブルク、マケドニア、マレーシア、マルタ、モロッコ、
メキシコ、ニュージーランド、ノルウェー、オランダ、パキスタン、
パレスチナ、ペルー、ポーランド、プエルトリコ、ポルトガル、
ドミニカ、レユニオン、ロシア、ルワンダ、南アフリカ、スペイン、
スロベニア、韓国、スコットランド、シリア、スウェーデン、スイス、
タイ、東チモール、トルコ、ウクライナ、ウルグアイ、ハンガリー、
アメリカ、ベネズエラ、ブルガリア
(以上73か国、1000万人以上が参加)
*欧州では政府が米政権支持を表明しているイギリス、スペイン、
イタリアで、15日のデモ参加者がいずれも主催者発表で予想を
大きく上回った。ロンドン200万人、マドリード200万人、バルセ
ロナ150万人、ローマ300万人など、いずれも過去の記録を塗
り替える行動になった。同夜フランスのテレビ・ニュースは「地平
線のかなたの至る所でデモが繰り広げられました。これが世界の
世論です。ブッシュ米大統領はますます孤立を深めています」と画
期的な盛り上がりを報じた。
*その他の主な欧州都市のデモ参加者数はベルリン50万人、
パリ25万人、アテネ10万人、ウィーン3万人、ブリュッセル8万人、
アムステルダム7万人、オスロ6万人、ストックホルム2万5千人、
コペンハーゲン1万人、ダブリン10万人、ベルン4万人など。
各国では首都以外でもデモが行われた。
◇3月15日には、イタリアのミラノで70万のデモ
◇3月20日に戦争がはじまると、22日にはスペインで100万、ロン
ドンで100万のデモ、30日にはインドのコルタカで60万のデモ、
4月12日にはスペインで50万、イタリアで50万のデモ。
◇アメリカの覇権にたいする「もうひとつのスーパーパワー」
(米紙ニューヨーク・タイムズ評)の出現。
◇これまでにない新しい動き-NATO同盟国、中東イスラム諸国など
*NATO同盟国の戦争反対-フランスやドイツを先頭に
「国際社会、国連安保理によって容認されないいっさいの軍事行
動は不当、不法である」「私は(イラク戦争を)認めなかったし、今
後とも認めない」「単独で戦争することはできるが、単独で平和を
つくることはもっとはるかに困難だ」「総じて賢明さというのは、国
際的なルールを持ち、それを守ることだ。これが私の立場だ」
(エビアンサミット終了後の仏シラク大統領の記者会見)
・その背景には、圧倒的な戦争反対の国民世論
【ドイツ】
*「ばかげた戦争はやめて」「戦争ノー」。力強い唱和や「わたした
ちは勝利する」の歌声が気温三度のベルリンの曇り空に響いた。
米国がイラク戦争を開始した3月20日、ドイツの高校生たちが各
地で抗議デモをおこなった。
*ベルリンのウンターデンリンデン通りを行進していたステファン君
(16)は「まともな理由もなく多くの人を殺すなんてだめだ。こうやっ
て一つ一つのデモが重なっていけば大きな力を持つと思う」と話し
た。20日正午にデモに参加した高校生はベルリンで2万人、ミュン
ヘンで5千人、ケルンで2千人を超えた。ドイツでは夕方にかけ、
全国各地で約三百の反戦集会が行われた。
【トルコ】
*03年3月1日。イラクへの地上軍侵攻の出撃基地にトルコ領を
使わせろとの米軍の要求を、トルコ国会が拒否。トルコは半世紀
前から北大西洋条約機構(NATO)に加盟している米国の軍事
同盟国。しかも総額で150億ドルの“緊急”援助を見返りにした
要請を断わってのことだった。
*トルコの拒否によって、イラクの北と南からバグダッドを挟み撃ち
する米軍戦略が挫折し、攻撃開始が数週間遅れた。4万人の米
兵と装備をトルコ(近海)に待機させ、病院もつくった米軍だが、
それが議会拒否で引き揚げることになった。莫大(ばくだい)な経
費の損失、時間のロス。
*国会審議中に連日の国会包囲行動。国会が米国の要求を拒否
した日、議会外で5万人集会。イラク戦争反対が国民の9割だっ
た世論が、アメリカの圧力をはねのける力となった。どの政党も基
本的にはアメリカ支持だった姿勢を変えさせた。
【エジプト】
*エジプトではデモや集会は原則禁止。1981年の故サダト大統
領暗殺事件以来、非常事態令が続いている。そのカイロで、初
めての本格的な反戦集会があったのは03年1月18日。世界
30数カ国で行われた国際行動に呼応したものだった。この時の
参加者は約1000人で、警戒の治安部隊の方が多い状況だった。
*しかし、これ以降は回を重ねるごとに参加者が増え続け、2月
末には全国から集まった15万人がカイロ国立競技場を埋め尽
くした。「集会に参加して分かったのは、唯一のスーパーパワー
(超大国)といわれる米国の力は実際には弱くて、世界でわきお
こった戦争反対の声の力こそスーパーパワーだということでした。
特に米政府が『アラブ全体を民主化する』なんていいだしてから
は、こんな道理のない戦争をたくらむ米国こそ民主化が必要じゃ
ないかって、さらに力が入りました」。一連の集会に参加してきた
という女性、ヘイバ・ノウェルディンさん(23)はこう言った。
*このエネルギーは、当初デモを弾圧していた政府を動かす。3月
5日には政府与党が加わった集会が開催され、参加者は100
万人にふくれあがった。開戦前後には、大学教授などの知識人
グループが相次いで戦争反対の声明を発表し、その流れはエジ
プトの裁判官組合にまで広がった。
【イエメン】
*アラビア半島南端のイエメン各地でも、3月15日、対イラク戦
争に反対するデモが行われ、数十万人が参加。与党の国民全
体会議やイスラム団体、労働組合などが呼びかけた。首都サヌ
アのデモ参加者は「イラク侵略は自由への侵略だ」「戦争と内政
干渉反対」などと訴え、市内を約三時間にわたって行進。
*同デモではアルイリヤニ・イエメン大統領補佐官が「イラク攻撃
と同国への内政干渉は人類への侵略。戦争を拒否し、平和的
解決を望む国連安保理の多数派が体現する国際秩序に制限を
加えるものでもある」と訴え、米国などを批判した。アルアハマル
国会議長も声明で、イラク攻撃はイラクのみに向けられたもので
はないとし、戦争阻止でアラブ指導者が協調するよう訴えた。
【パキスタン】
*イスラムの古都ラホールのメーンストリートは、米英軍による対
イラク戦争での破壊、殺りくにたいする人々の怒りに満ちた。3
月23日、イスラム教政党で野党の統一行動評議会(MMA)が
呼びかけた反戦集会には参加者15万人と同国最大規模となっ
た。「燃えるバグダッドをテレビで見た。怒りでいっぱいだ。イス
ラム教徒が殺される」。バイクのエンジン修理で生計をたてるハ
ビブラさん(62)が話した。「日本も戦争でアメリカに原爆を落と
されただろう。アメリカが一番ひどい」。宗教学校マドラサで学ぶ
サーフラー君(16)は「自分の意志で来た。先生が行けといった
わけじゃない。アメリカはテロリストだ。ミサイルを次々撃ってい
る。アメリカとたたかうのはイスラム教徒の務めだ」と言った。プ
ラカードには「石油と血。どっちに価値があるのか」「新しい世界
秩序。アメリカ対世界」などの文字が目についた。
*国連安保理の非常任理事国パキスタンは、一方で米国の「対
テロ戦争同盟国」。イラク問題でも米国寄りの態度が米国から
は期待されていた。しかし、ジャマリ首相はこの間、「戦争を支持
するのは非常に難しい」と発言。11日の緊急閣議では、国民に
受け入れられない決議案を支持すべきでないと一致。カスリ外
相は22日の会見で「重要なのは国連安保理がイラクの人々の
苦しみを早く終えるようにすることだ」と指摘。開戦の20日には
ジャマリ首相が、国連安保理の戦争終結努力を求めた。
【チリ】
*南米チリ。同国の首都サンティアゴ市内で3月15日、イラクへ
の武力行使に反対する数千人規模のデモが行われた。参加者
は「戦争ノー」とスペイン語と英語で書かれた巨大な横断幕を先
頭に市内の大通りを行進。主催者の代表が大統領府に立ち寄
り、米国による「対イラク攻撃を断固拒否する」と表明したラゴス
大統領あての書簡を手渡した。
*デモに参加した与党民主主義党のヒラルディ党首は、安保理で
は「戦争を意味するいかなる決議にも反対する」よう政府に呼び
かけた。世論調査ではチリ国民の83%がイラクへの武力行使
に反対していた。
【メキシコ】
*メキシコ市内では03年3月15日、イラクへの武力行使に反対
し、平和的な解決を求める平和コンサートやデモが行われ、計
3万人が参加。デモ参加者は「ブッシュ、よく聞け。メキシコは戦
争に反対だ」などのシュプレヒコールを繰り返した。「戦争反対」
と書き込んだメキシコ国旗をまとって行進していた大学院生の
ロシオ・セレナさん(27)は、「政府は紛争の平和的解決を原則
とする憲法にしたがって戦争反対の投票をすべきです。フォック
ス大統領がこの立場を最後まで貫くよう私たち国民がさらに圧
力をかけていきたい」と語った。
◇人びとのたたかいが、政府の戦争反対の姿勢を支える、
また戦争支持の方針を変えさせる力となった。21世紀の
新しい世界秩序、平和のルールをつくる力は、1人ひとり
の声、行動、そしてその結集にあることを鮮やかに示した
のが、イラク戦争をめぐる世界のたたかいだった。
3。イラク戦争支持政権の選挙での敗北、派兵部隊の撤退
-アメリカの孤立
◇選挙による「イラク戦争ノー」
*04年にスペイン、06年にイタリア、07年にオーストラリアで、
アメリカとともにイラク戦争を支持、推進してきた政権が選挙
で敗北、政権を失った。政権交代はしなかったが、オランダ、
デンマークでも選挙での審判を契機にイラクから自国軍を撤
退せざるをえなかった。イギリス、アメリカなどでは、与党が
選挙で敗北。
*戦争を推進する政治を、国民世論が許さない、ひっくりかえ
す力を持っている。
*アメリカ主導のイラク駐留多国籍軍=有志連合は崩壊状態。
最大39か国が参加した多国籍軍は現在21か国に参加が半
減。駐留継続国の中でも撤退・削減を予定・計画している国
が多数。「多国籍」とはいえ、いまや兵力の約93%は米兵で、
実態は米軍そのもの。
◇ふくらむ戦費、増える米兵死者
-アメリカ国内でも「イラク戦争は間違いだった」
*アフガンへの報復戦争とイラクへの侵略戦争=「対テロ戦争」
の戦費としてすでに69兆円が支出。今後10年間続いた場合、
その戦費は274兆円に達するという試算も(米議会予算局)。
*米兵の死者はすでに4000人をこえる。帰還者のPTSDも深刻。
07年の陸軍現役兵士の自殺者は121人。これまで90年、91年
と並んで最高レベルだった06年より20%増。アフガン戦争が始
まった01年以来ではほぼ一直線に増えている。一方、自殺未遂
や自傷者の数は07年が2,100人で、イラク戦争開始前の02年
の350人と比べて6倍にも。
*アメリカ国内でも「あの戦争は間違いだった」の世論の高まり
4。膨大なイラク民間人死者、「対テロ戦争」でテロは逆に激増
◇戦争はいっそう激しくなっている
*米軍は07年の1年間に1447回、1日に4回の割合で空爆を実
施。06年の229回の6倍にも(米紙ワシントン・ポスト報道)。
◇イラク民間人の死者、国の崩壊
*「イラク・ボディ・カウント」によると、9万人弱。15万人(イラク保
健省と世界保健機関の調査)、65万人(英医学誌)、100万人(英
世論調査機関ORB)という推定もある。
*イラク難民・避難民はなお、シリアに150万人、ヨルダンに75万
人。国民の約3分の1の800万人が緊急援助を必要とし、7割の
国民がきれいな飲料水を供給されていない。失業は昨年末の
時点で50%に達しているとみられ、電気が家庭に届くのは1日
に数時間、まったく届かない地域もあるという。
◇テロの増加
・・・2003年に世界で起きたテロは208件→2006年には14,338件。
二。世界は、動いている。
1。軍事同盟の崩壊へ
◇第二次世界大戦後、米ソ2つの大国が、軍事同盟をはりめぐら
せた「冷戦体制」へ
*アメリカ側はNATOを頂点に、21の軍事同盟
*ソ連はワルシャワ条約機構を筆頭に14の軍事同盟
◇世界の軍事同盟網の解体、機能不全、弱体化
【東南アジア条約機構(SEATO)】
1954年、アメリカが中心となってイギリス、フランス、オーストラ
リア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、パキスタンの8か国が
調印した東南アジア防衛条約にもとづく軍事同盟。1975年、
アメリカが後押しした南ベトナム政権の敗北によって、事実上崩
壊。1977年に解散。
【中央条約機構(CENTO)】
もとは、1955年に発足した中東条約機構(バクダッド条約機構、
トルコ、イラク、イギリス、イランが加盟、アメリカがオブザーバー
として参加)。1959年にイラクが脱退したため、本部をトルコの
首都アンカラに移し、中央条約機構と改称。1979年1月のイラ
ン革命で、アメリカが後押ししたパフラヴィ王朝が崩壊したため、
同年9月に解体。
【米州相互援助条約(リオ条約)】
1947年9月に調印、翌年発行したアメリカと中南米諸国をふく
む軍事同盟。「米州の一国にたいするいかなる国による武力攻
撃も、米州のすべての国にたいする攻撃とみなし」、加盟各国は
攻撃にたいして共同して対処する(第3条)と定め、アメリカが中
南米やカリブ海地域に軍事介入する口実にされた。しかし、89
年のアメリカのパナマ侵略批判の決議を採択し機能停止状態に。
2001年9月には、メキシコが脱退を表明し、最近手続きを完了。
【オーストラリア・ニュージーランド・米国相互安全保障条約(ANZUS)】
1951年9月に締結されたオーストラリア、ニュージーランド、米
国の3か国間の相互安全保障条約。1984年、ニュージーランド
で、労働党のロンギ政権が成立し、米国の核搭載艦船の入港を
認めない「非核政策」をとったため、アメリカがニュージーランドに
たいする防衛義務の停止を発表。3か国の軍事同盟としては
機能していない。
【北大西洋条約機構(NATO)】
イラク戦争にさいして、フランス、ドイツ、カナダ、ベルギーなどの
一連の主要国が反対し、分裂状態に。最近、シュレーダー独首
相は、「NATOは戦略上の協議の場ではもはやない」と指摘し、
米欧関係の改革について抜本的な見直しを提起。シラク仏大統
領もこれへの支持を表明するなど、この軍事同盟のあり方につ
いて、根













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