2009年1月16日 (金)

たくさんの自分と一貫した自分

最近読み終えた本。
なんか最近、本を読む集中力が弱っている。
まだ正月ボケが続いているのかもしれない。

『21世紀に語りつぐ社会保障運動』
 (篠崎次男編著・小川栄二・松島京共編、あけび書房、2006年)


若い世代に語りつぎたい社会保障運動論として
つくられた本。
ただ、1章ごとの字数が限られているため、
学びごたえ、読みごたえとしてはイマイチの印象。

取り上げられているのは、
小児マヒワクチン獲得運動、朝日訴訟、
老人医療費無料化運動、沢内村、
森永砒素ミルク中毒事件、被爆者の医療問題。

老人医療費無料化運動の記述のなかに、京都の蜷川知事の
話が紹介されていたが、とても面白く興味深い。
『小説 蜷川虎三』という本があるらしい。これは読んでみたい。



『生涯人間発達論』(服部祥子、医学書院、2000年)

精神医学者の立場をベースに、
人間の一生涯を8つの区分にわけ、それぞれの段階の
発達の普遍的で一般的な特徴を明らかにしようとしたもの。
まあ、医学書の部類に入ります。

かなりの飛ばし読みだったけど、
2080年までを人生の射程においている
私にとっては(本気です)、
やはり最後の段階の「成人後期」(65歳~)が
いちばん興味深く読めた。
そして最後の事例の元校長先生の話は泣けた。

日野原重明さんが立ち上げた「新老人の会」は
75歳からなので、まだまだ65歳で「後期」と定義
づけるのはどうかと思いましたが、まあ一般的には
そうなんだろうと思う。
50歳~65歳を「成熟期」としている点は、
そのとおりだと思う。
50代ですかね、やっぱり。あと16年か…。


青年期のところで説明されていた、
「自我同一性」という概念は、いま大事な問題だと思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 自我同一性とは、自分自身が独自のもので、内的不変性
と連続性を維持する能力(心理学的意味での個人の自我)
とその感覚(自信)のことをいう。人間は各自「私は○○であ
る」と自分の名前を言いあらわすとともに、「△△家の息子」
「日本国民としての自分」「日本人としての自分」「女性として
の自分」「看護師としての自分」というように、家族、国籍、民
族、性別、職業等からみた自分をたくさんもっている。そして
他者や社会や歴史と相互にかかわりながら生きる中で、たく
さんの自分を時や場所に応じて使い分けたり秩序づけたりす
る。しかも同時に、ひとりの人間として多面的な自分を統合し、
一貫した自分という存在を確認しながら生きる。これが同一
性である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「自分自身が独自のもの」というのは、
プラスに働けば、自己肯定感につながる感覚となる。

ただ、今の日本では、独自性が大きく個性的な
ひとりひとりの人間を消耗品的なモノ扱いにし、
簡単に「すげ替える」行為がまかりとおっている。
(「非正規切り」だけの問題ではなく、いろいろな分野で)


他者や社会とつながることで、「たくさんの自分」をつくる
ことは、苦しく悩むこともあるが、喜び、生きがいにつながる。
そして、未来に向かっては「一貫した自分」という
ことを確認しながら生きられること。

大事な問題である。





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2008年12月24日 (水)

絶望を希望にかえること

最近読み終えた本。
結局、「住まい」学習はまだ継続しています。


『アラスカ 風のような物語』(星野道夫、小学館文庫、1999年)

寒さ大嫌いの私は絶対に行こうとは思わないけれど、
アラスカの大自然、動物たちの生きる姿は
やはりスゴイなと思う。
写真が多く、ゆったりとした気分で読めます。


『若者たちに「住まい」を!-格差社会の住宅問題』
        (日本住宅会議編、岩波ブックレット744、2008年)


まさに今の情勢にふさわしいタイトル。
4人の筆者が、若ものと住まいをめぐっての、
現状、課題、政策について述べています。

とくに第4章の「若者の住宅問題をどう解決するか」は、
若者の住宅政策の貧困と、打開の方向が
提案されていて、勉強になります。


『地場工務店とともに-健康住宅普及への途』
                   (山本里見、東信堂、2006年)


シリーズ刊行している、居住福祉ブックレットの6。

オール電化住宅が、健康に及ぼす良い影響に驚きました。
見方ががらっと変わりました。

「地場工務店は予防医学の町医者」という著者の、
すばらしい勉強熱心さに敬服します。
家を建てるなら、良質な地場工務店がおすすめか!?


『子どもの道くさ』(水月昭道、東信堂、2006年)

居住福祉ブックレットの7。

子どもの道くさ(小学生対象)に、本格的に
科学の光があたりました! そのことにまず感動。

著者は、子どもの道くさを実際に調査・研究し、
「道くさの型」を9つに分類しています。
子どもの道くさの意義を発達過程のなかで
とらえ、その意義を語ります。

そして、
「子どもの健全な発達には、彼らがまちで健全に道くさを
展開できるということが大事なのである。子どもの道くさを
可能とし、それを許す地域の環境があることが、子どもの
発達を支える居住福祉環境となっている」と強調します。

子どもを巻き込む犯罪が報道されるなか、
「管理・規制」を強める大人社会。
著者はその弊害点を指摘し、
解決するための方策も提案しています。

何より、「あー、それそれ、やってたなー」と
自分が小学生の気分に戻れる道くさ紹介が面白い。

大人になったみなさんの、「道くさ観」が一変すること
間違いありません。


『精神科医がめざす近隣力再建』(中澤正夫、東信堂、2006年)

居住福祉ブックレット10。

近所づきあいや、子どもの集団遊びがなくなった現代社会の
「住まい方」について精神科医の立場から考察をしています。

近所づきあい、私もほとんどできていません…。


『住むことは生きること-鳥取県西部地震と住宅再建支援』
                     (片山善博、東信堂、2006年)


居住福祉ブックレット11。

2002年6月に鳥取で行なわれた、
日本居住福祉学会主催「第1回・居住福祉推進フォーラム」
での、片山鳥取知事(当時)の講演とシンポジウムをまとめたもの。

とても、とても感動しました。

鳥取西部地震が起きたのは2000年10月6日。
翌日から被害調査に現地に入った片山知事は、
「災害にあった人たちに本当に必要なものは何だろうか、
何を求めているのか、一番大切なものは何か」ということを
把握しようと考えました。

そして住民にたいする聞き取りなどでわかったこと、それは、
「今後ここにちゃんと住み続けることができるのか」という
「いい知れぬ不安」だったと言います。


その時、分かったのです。住宅というものが、被災地を
復旧する一番のキーワードなんだと
。道路とか河川、橋
だとかの災害復旧も大きな柱としてもちろん当面の課題
ですが、今回の災害の復興には、住宅を建て直す、これ
を復興、復旧することこそが最大の仕事なのだと、その時
私は直感したのです」


また、役場の女性職員が、目の前の被災者さんの生活を救えない
無力感に涙を流し、その話を聞いていた片山知事も思わず涙した話は、
行政の長としての使命感のようなものを感じさせてくれます。

その後、片山知事は、
全壊した家には上限300万円、修繕には上限150万円の
支援ということを、地震の10日後には発表します。
日本では、前例のない住宅再建への公的な支援でした。

阪神大震災のときでも、「住宅は私有財産だから」という
理由で、直接支援の制度はついにできませんでした。
鳥取のこうした対応に、国は当初ものすごい反対をしたそうです。
しかし、片山知事は、
「人が住み続けられる地域を守ることは、
きわめてパブリック(公的)なこと」と言い切ります。

また、
災害復興に当たって何が一番重要かと問われれば、もう
迷わず、それは出来る限り元通りにしてあげること、元通り
に近づけてあげること、このことに尽きると思います。

 よく大火があったり、地震があると、この際だから今まで
出来なかった街づくりをしようと、区画整理をしたり再開発を
したりしがちですが、私は、それは間違っていると思います。
 …復興というのは、100年後、200年後の人のためにする
んじゃないのです。
災害復興は目の前で被害に遭った、今、
ここにいる本当に困窮を極めている、泣いている、その一人
ひとりのお年寄り、住民の皆さん、そういう人たちのために
するべきであって、100年後や200年後の人のためじゃな
いのです
。その辺が都市計画や街づくりと災害復興を混同
して考えがちなのです」

とも強調します。

阪神大震災の復興計画との違いを痛感しました。
鳥取の場合には、地震後の孤独死や自殺は
1件もなかったそうです。
つまり行政の姿勢の問題です。雲泥の差です。
それを学べる本でもありました。

さいごに、興味深かった話を紹介します。
「住宅再建支援」を発表してからの、人びとの反応です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 住宅再建支援の発表を受けて、事態がずいぶん変わっ
てきたからです。被災地にすごく元気が出てきたのです。
 それまで、これから自分たちはどうなるのかと不安にから
れていた被災者たちに、何か元気が蘇ってきたのです。
 <行政がそこまで手助けしてくれるんなら、自分たちも、
さぁこれから頑張ろうじゃぁないか>という意欲が湧いてき
たわけです。
 後で聞いた話ですが、現地でずっとメンタルケアをして
いただいている、精神科のチームのお医者さんから、
 「
とにかく住宅再建支援のメッセージを発したことが、
最大のメンタルケアでした

 とおっしゃっていただきました。
 「ああ、そういう効果があったのかなぁ」
 と私は思いました。
 災害で皆が不安な時は、大げさではなく、絶望しかねない
のです。絶望するかもしれない人たちがいっぱいいるんです。
 
その絶望を希望に変えるということ。これが災害の復興に
あたっては、ずいぶん大切なことだな、と私はその時に知り
ました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今年もあと1週間。
雇用情勢は最悪の事態となっています。
派遣や非正規労働者が大量に首を切られ、
「いい知れぬ不安」をもっています。
「うつ病」が増えているともいわれています。

政治が今しなければならないこと、
それは「けっしてあなたたちを見捨てません」というメッセージを
送ることだと思います。具体的政策をたずさえて。

「絶望を希望に変えること」、
それが政治の責任ではないでしょうか。





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2008年12月19日 (金)

リーダーシップ論

きのう(18日)、相方が家に持って帰ってきた
『看護実践の科学』(看護の科学社)という雑誌の
1月号を、ドラマ「風のガーデン」をみながら、読んでいたbook

特集は、
看護の変革期 いま求められるリーダーシップ」である。

看護という仕事は、いうまでもなく集団労働である。
そして、高い目的意識性、使命感を必要とする。
あるいみ、私たちの運動体とよく似ている。
したがって、看護の人づくり、集団づくり、リーダーシップ論は、
たいへん参考になる、と私は思っている。

ということで、いつもこの雑誌には目を通している。

総論「組織の発展に寄与できるリーダー像」(江幡恵子)
から、いくつか抜粋。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

リーダーシップとはリードすること、つまり「目的を実現する
ために、個人や集団を動機づけてあるべき方向へ向かわ
せるための影響力の行使」ということだといわれている。
つまりどれだけ人を巻き込む力があるかということであり、
そのとき必要なのは「どこへ」「何のために」「何を目指して」
というビジョンが明示されていること、必要な人々にその
ビジョンの意味をきちんと伝えていく力があることである。
変革的リーダーシップ理論においても、
リーダーに最も重要
な要素は、リーダーの掲げるビジョンである
としている。この
ビジョンなしにリーダシップは語れないのである。


特に新しいやり方をとり入れたり、組織改革などの大きな
変化を起こす場合や新しい問題に対して、関係者はやろうと
することに不安を抱くのが普通である。リーダーが多面的な
配慮をし、
自分の言葉でビジョンをどこまで明確に説得できる
かが決めて手になる
。その意味では、リーダーには高度な
コミュニケーションスキルと説得力が必要になる。


リーダーにとってコミュニケーションは優先順位の高い仕事
である
。コミュニケーション不足やエラーは直接業務に支障
をきたし、スタッフのモチベーション低下やチーム内の沈滞
ムードの要因にもある。逆に良好なコミュニケーションであ
ればチームは活気づき、スタッフは生き生きと働き、仕事の
質も効率も上がるだろう。


うまくいかないのは当然であると言いわけができてしまうよう
な問題を成功に導くには、やる人の強い意欲や高い使命感
のようなものが必要になる。つまり動機づけ(モチベーション)
が成果の鍵を握ることになる。
部下への動機づけはリーダー
の重要な責務である
。ただし対象とする人の特性や仕事の質
によって有効な動機づけの方法や内容は異なってくる。


リーダーの資質とは、「早い段階で大きな試練にぶつかり、
リスクを取り、その失敗や成功から学んだ体験を持つ者と
いうことであり、リーダーの育成には困難でもやりがいのある
仕事を任せることが重要である」

失敗に対して寛容になること、失敗から学ばないことに対して
厳格になること



リーダーを育てる環境としては、管理者は部下を信頼し、「人
は自ら育つ」という前提でスタッフにかかわる、つまり
権利委譲
すること
が重要であり、任された仕事を安心してのびのびと実
践できる環境を整えることが重要である。つまり、スタッフ個々
の自立と自律を支援することがリーダーの育成には必要であり、
リーダーは次のリーダーを育成する必要がある


「変革型組織」とは、1人のカリスマ的リーダーが短期的な変革
を行なう組織ではなく、次々と変革型リーダーが生み出され、
常に変革が起こっている組織のことをいう。そしてそこには
チー
ム意識をもち、自分の頭で考え行動する意欲の高い積極的な
部下を育てるリーダーシップ
が存在するのである。


組織のリーダーはまさに文化の創造者である。新しい管理者に
替わったときに、何だか組織の雰囲気が変わったとか、前の
やり方と変わったと感じることがあるだろう。それはリーダーの
交代によって組織文化が変わったためである。
リーダーは自ら
の価値観をもって、組織の方針を言葉や行動でメンバーに伝え
る役割を果たしている


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


もちろん、一般論として、こうしたことを言うのはたやすい。
問題は、実践、なのである。

学習運動も、例外ではない(涙)。
がんばろう。自戒をこめて。


ところで、集団やリーダーシップに関わって、
おもしろそうな看護関係の本を、また1冊買ってしまった。

お正月にでも読もうと思う。




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2008年12月17日 (水)

ルリユールおじさん

今年は絵本を集めるぞ!と思っていたけど、
結局7~8冊しか買うことができなかった。

もちろん、買った絵本はどれもイイ。
大人こそ読むべき内容のものである。

最近、そんな絵本に、また出会った。
『ルリユールおじさん』(いせひでこ作、理論社、2006年)である。

舞台はパリ。
木や植物が大好きな少女と、
「ルリユール」と呼ばれる本の製本、装幀を
手仕事で行なう職人(アルチザン)のおじさんとの
出会いとふれあい。

少女の大好きな植物図鑑が、とうとうこわれてしまった。
本屋には、新しい図鑑がたくさんあったが、
少女は、「この本をなおしたい」と、
街の人にたずねながら、おじさんのところへたどりつく。


20081216122109
 そこで、出会った、
 「おじさん」の
 数々の手仕事。
 再生されていく本。

 2人のやりとりが
 やさしく、ふんわりと
 していて、いい。

その「おじさん」も、父の手仕事をみて育った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「名をのこさなくてもいい、ぼうず、いい手をもて」

「とうさんの手は魔法の手だね」


修復され、じょうぶに装丁されるたびに、
本は、またあたらしいいのちを生きる。

本には大事な知識や物語や人生や歴史が
いっぱいつまっている。
それらをわすれないように、未来にむかって
伝えていくのがルリユールの仕事なんだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ひと言ひと言が、とても包容力のある言葉で
つづれてている絵本である。

そして、生まれかわった、「わたしだけの本」。


20081216122003

 その本の表紙には、
 少女の大好きな
 アカシアの木。

 そして少女の名前。



さいごのページも、なんともいえず感動的。

人間の手仕事のすばらしさ。
「手は魔法」。ほんとにそう思える。

そして本を通じて「伝わるもの」…。



おすすめですshine





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2008年12月12日 (金)

爆弾よりも住宅を!

最近読み終えた本。
「住まい」本です。とりあえず、書いときます。

で、学習協の会報では、本を1冊ずつ紹介する形で
書きましたが、ブログでは、この問題を連載の形で、
さらに広く深く考えて書こうかなと思っています。
ただし、来年なります(笑)。年末は余裕がありません。

では、とりあえず読んだものを。


『住宅貧乏物語』(早川和男、岩波新書、1979年)

『住居医学(Ⅱ)』(筏義人・吉田修、米田出版、2008年)

『日本の住まい変わる家族-居住福祉から居住文化へ』
            (袖井孝子、ミネルヴァ書房、2002年)

『すまい考今学-現代日本住宅史』(西川夘三、彰国社、1989年)

『人は住むためにいかに闘ってきたか-〔新装版〕欧米住宅物語〕
                      (早川和男、東信堂、2005年)

『居住福祉学と人間-「いのちと住まい」の学問ばなし』
      (早川和男・野口定久・武川正吾編、三五館、2002年)

『居住福祉資源発見の旅-新しい福祉空間、懐かしい癒しの場』
(早川和男、居住福祉ブックレット①・東信堂、2006年)



このほかに、エンゲルスの『住宅問題』(全集⑱)も、
ざっと目を通し、いくつか視点をもらいました。

あと、『若者たちに「住まい」を!-格差社会の住宅問題』
(日本住宅会議編、岩波ブックレット、12月9日刊行)は、
今日手に入れたので、週末に読もうと思います。

まだ「住まい」本で読みたいものが結構ありますが、
うーん、来年のミニ講座の勉強も始めないと
恐ろしいことになるので、悩ましいところです。

しかし、「派遣切り」「人員削減」が大規模に行なわれている
なかで、この問題はがぜん、クローズアップされてきたように
思いますし、そうさせなければなりません。

「住まいは基本的人権、福祉の基礎」です。
公的なセーフティーネットが必要です。
そのためには、人々のたたかいが必要です。

1989年の10月7日、アメリカの首都ワシントンで、
「住宅デモ」という行動が、96団体の幅広い共同で、
なんと25万人の参加で行われたそうです。

そのときに住宅デモの最大のスローガンは、
爆弾よりも住宅を!」。

集会に参加したワシントンDCの市長は、
「1年に3000億ドルもの大金を防衛費に費やすのでは
なく、それをホームレスの人びと、高齢者、知恵遅れの
子どもたち、そしてすべてのアメリカ人に分配すべきだ」
と発言したそうです。
     
(以上は、『人は住むためにいかに闘ってきたか』による)

あたらないミサイル防衛の実験に何十億も使うのであれば、
グアムの米軍住宅建設に2800億円(1戸あたり8,000万円)も
使う税金があれば
(『思いやり予算と米軍天国』による)
まともな「住まい」を国民すべてに保障すべきです!

ちなみに、
11日、厚生労働省は、寮から追い出される派遣労働者にたしての
住居・生活支援を発表したようです。
たたかいが生み出した成果の1歩です。

この問題はまだまだこだわっていきたいと思います。




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2008年11月29日 (土)

ことばへの信頼

最近読み終えた本。

『子どもとことばの世界-実践から捉えた乳幼児のことばと自我の育ち』
                      (今井和子、ミネルヴァ書房、1996年)


子どもの発達とか、保育とか、子育て本は、好きで読む。
私にとっては癒し本になっている。
この本も、そんな軽い気持ちで読んだけど、
学ぶところが非常に多かった。

とくに、子どもの発達をことばのかかわりの中で
考えているところが特徴であり、興味深いところ。


「子どもが未知のことばを獲得し語彙(ごい)を豊かにして
いくことは、まさにその子のイメージの世界が豊かになって
いくこと、つまりは、イメージを創る力が育っていくことであ
るのかもしれない」(61P)


「子どもは、おとなのことばを聞きながら、自分と人とが、
ことばによってつながれていることを実感し、ことばへの
信頼を育み、自分を語ってくれるおとなへの信頼を深め
ていきます。そういう意味ではことばへの信頼は、人へ
の信頼につながるのだと思っています」(66P)


「過去、現在から未来へ、時の流れの中で自分が一貫し
た自分であることを自覚できるようになってくると、子ども
たちは、自分の未来(明日)にむけての自分の考え(つも
り)をことばで表現し、そのことばにむかって自分の行為
を方向づけていくようになります」(
72P)


昨年の漢字が「偽」であったり、
振り込め詐欺の氾濫であったり、
極めつけは麻生首相の言葉(思想)の貧困。

ことばへの信頼は、人や社会への信頼につながる。
私たち大人の、「ことば」が問われているのだ。


『いまこそ「資本論」』(嶋崇、朝日新書、2008年)

最近、マルクスや資本論に関わる本を、
一般の書店で見かける機会が多くなった。
これもその1冊。で、パラパラと読んでみて、
面白そうだったので買ってみた。

で、非常にまじめな本である。
資本論を誰にでもわかりやすく解説していきたい、
という思いは伝わってくる。
学習運動も、学ぶべき姿勢である。

「ん?」という箇所があったり、
変革のための書物であるという観点が弱かったり、
資本論への見方がせまいところもあるが、
読んで損はない、と思う。

全三部を新書1冊でかけぬける。
うーむ、ある意味すごい。


『何があっても生きてろよ。』(西谷昇一、サンマーク出版、2008年)

これも本屋で見つけたもの。
期待したほどフィットしなかったけど、
共感できる部分もたくさん。

著書は、代々木ゼミナールの英語教師。
たしかに、こんな講師だったら、人気あるだろうなぁ。


『講座「家族・私有財産および国家の起源」入門』
                (不破哲三、新日本出版社、1983年)

来年のミニ講座の予習。
古典そのものは読んでいたが、こちらはまだだった。

25年前の著書であるので、
その当時の認識の限界がちらほらと。
しかし、面白い。

そして、学ばねばならないものが
恐ろしくあることを認識。やばい。

こうして、自分の「無知さかげん」を自覚するのが、
学習のひとつの側面、だと思う。
知れば知るほど、「知らないこと」が増えていく。
だから、やめられないのだ。





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2008年11月13日 (木)

『名作の戦争論』

私の「あこがれの人」の一人、
川田忠明さん(日本平和委員会常任理事)の最新刊、
『名作の戦争論』(新日本出版社)が今月出版されました。

さっそく読んで見たところ、
今年の読んだ本のなかで、『寡黙なる巨人』(多田富雄)と
同じぐらいの刺激と感化を受けました。
ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思います。


川田さんは、戦後60年の2005年、
69期岡山労働学校と16期倉敷労働学校で、
連続して「戦争を『想像する力』、平和を『創造する力』」
というテーマで記念講演をしていただいたときに、
初めてお会いしました(それ以来会う機会は残念ながらない)。
移動の車の中で、いろいろとお話ができたり、
特別に10人程度での交流会をもうけたときに、
川田さんご自身のお話をいろいろうかがって、
「めっちゃ賢い人」「文化性豊かな人」という強烈な印象をもち、
憧れの気持ちをもったのをよく覚えています。

さらに、サッカー観戦や、クラシック音楽を聞くことなど、
私との共通点があったことも、とても嬉しい出来事でした。

ところが、ところが、この本を読んでみると、
川田さんのアートへの造詣や洞察力は、まったく
けた外れであることを認識しました。

さらに、私が
「運動におけるサイエンスとアート」と
表現して、
問題意識をもっている課題についても、
本書は多くの示唆をあたえてくれました。

「同時に大切なことは、それらの作品によりそうだけではなく、
私たちの活動においても美を意識することである。むろん行
動や主張の中身が第一義的に吟味されなければいけないこ
とはいうまでもない。だがそれを包む外見に、私たちはもっと
鋭敏であってもようはずだと、自戒をこめて強調したい。
どこ
まで遠くの人々に、どれだけ多くの人々に、そのメッセージを
届けることができるかは、その外見の魅力に少なくない部分
が左右されるからである

 問題は、そうした戦術的な面だけにとどまらない。運動とい
うものが人間の集団的作業であり、ゆるやかではあるが一
定のコミュニティーを形成するものであるだけに、そこには、
広い意味での文化が発生する。各国の運動が、それぞれに
異なる外見をもつのは、その文化的差異にもとづくものだ。
それゆえ、
私たちは自らの運動の文化をどのように創造する
のかに、より多くの関心と労力をはらってもよいのではないだ
ろうか

 本書は、そうした議論と検討の必要性を間接的に主張して
いるのである」(「『まえがき』として」より)

「誰もが曲のメッセージ以前に、その格好よさにひきつけら
れている。しかし、ここが非常に大事な点だと私は思う。
メッ
セージは、その外形において、これを受け止める側を感性
的に引き付ける力を持たなければならない
からだ。アートと
して、それだけの水準をもっていなければならない。しかも
この曲のカッコよさは、表面を磨き上げたスマートさではなく、
この現実世界とつながったところで火花を散らしている彼ら
のメッセージが装うべき、必然的な形態なのであ
る。『この
メッセージは大事だから、みんなで歌いましょう』だけではな
く、『カッコイイと思ったけど、実は中身はこうなのか』といった
心の捕え方
が、巨大な広がりを創っていくうえでは重要だと
思う」(「対抗する叫びの魅力」より)


本書は、さまざまな芸術作品のなかに、
その作者の意識的、あるいは無意識的なメッセージ、
あるいはその時代と格闘している姿を洞察しています。

こうした中身自体が、相当面白いうえに(かなり内容レベルは高い)、
川田さんの人間性が垣間見れ、本当に興奮しながら読みました。
そして、それぞれの作品への多少の知識や見聞があれば、
より感銘をもって受けとめることができます。

欲をいえば、たくさんの若い人に読んでもらいたい
内容なので、難しい漢字にはもっとルビがあればよかったかな。
私も読めない字が結構ありました(笑)。



もっともっと芸術文化に貪欲に生きようと、
思いをあらたにしました。





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2008年11月12日 (水)

『上田対談集』メモ(下)

『上田耕一郎対談集』(大月書店)メモ、つづき。


「『では
民主連合政府はいつできますか』という質問が
くると、『あなたがたが、あなたがたの職場や学校、町
や村で多数を結集できたときです』とぼくはいうんです

自覚的民主勢力がいるところでまず多数をとるぐらい
にならないと民主連合政府などできっこないんですね。
そういう意味でもこれは共同の事業であり、国民の政
府なんだということです」(40P)

「それぞれの人が、どこで政治にぶつかるかというと、
生活がちがうようにぶつかり方もさまざまです。たとえ
ば砂川の農民が基地拡張問題にぶつかると、あれだ
けの闘争をやりました。自分の生活と社会や政治が
どんなに密接につながっているかということを知るの
は、体験と勉強なんだけれども、そこのつながり方と
いうのが、実際の生活のなかでは幕におおわれてい
てわかりにくくなっています。
その幕を自分でとったり、
人がとってくれたり、幕をとらざるをえない事件にぶつ
かったりということで青年の目ざめがすすんでゆく
。そ
の機会が今の社会は非常に多いといえます」(84P)

「まわりの人たちの多数を獲得するというけど、これは
たいへんですね。一人ひとりの人間は、それぞれの歴
史をもち、それぞれの思想をもち、それぞれの家庭を
もち、希望をもっているわけだから、
そういう個性をもっ
た、それぞれの人の思想を変えるという仕事は、それ
こそこちらも真剣にとりくまないとできないことです

 民青は勉強しないとか、民青にはいるとどうも大学も
落ちそうだとか、これではだれも民青へきませんね(笑)。
民青にはいると政治的な視野がひろくなるし、人間的に
も信頼があり、幅がひろくなる、たたかいの先頭に立っ
て立派に活動するだけでなく、勉強もできる、知識も深
いと、やっぱりああいう人間にならなきゃいかんという
ふうに、民青の活動をすすめていくことが大切だと思い
ます。(中略)労働組合運動でも、そういう政治闘争でも、 
それから生活を守る問題でも、仕事をするうえでも、み
んなに信頼される活動家にならないと、ほんとうに一人
ひとりの人を変える仕事はできません。
 ですからそういう仕事の先頭にたつわれわれは、なか
なかかたいへんなことになる。勉強もしなきゃならないし、
たたかわなければならない。しかし、同時にわれわれだ
けの仕事じゃなくて、いまの世の中が大きく変わってき
つつあるし、いろんな矛盾があわられているわけだから、
その一つひとつの問題を深くとらえて、はじめにいった
ように、それぞれの青年の生活の目標や生きがいが、
じつは日本を変える仕事とむすびついているということ
を、ことばじゃなくて、深くわからせる仕事ですね。そう
いう厚みのある闘争をぜひ組織していってほしいと思
います(117~118P)

ほんとうに言論と思想の力が必要で大事です。現在
の革新統一戦線をつくる、民主連合政府をつくる、日
本の世の中を変えるとかいうのも、けっきょくはやはり
言論と思想の力、理論の力、そういうものを主体とした
運動が媒体になるでしょう。その媒体が、やっぱり『赤
旗』というわけです」(237P)

「視聴覚の媒体機関というのは活字よりも即効性があ
る。しかし
私たちの理論を、体系的にわかっていただく
というためには、どうしても活字媒体でなければなりま
せん
。私たちは、これを基本にすえたいと思います」(239P)

マルクス、エンゲルスのいろんな文献を読んでいくと
ぼくが少なくともそれまでに読んだ、いろんな哲学書や
思想書と比べて、
人間に対する要求がいちばんきびし
いのです
。とにかく、その社会の矛盾を科学的に分析
し、見つめて、それを実際に変革するためにたたかう
ことを、人間に要請する理論、哲学であるわけです

そういうことは、いろいろといままで若い頭で読んだ本
と比べて、いちばん要求するものも高いし、いちばん
包括的な理論だと、抗しがたい力でつよく印象づけら
れました」(245P)





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2008年11月11日 (火)

『上田対談集』メモ(上)

数日前、自宅の本棚の中から、
『上田耕一郎対談集』(大月書店、1974年)をみつけたflair

まったく別の本を探していたのだけれど、
たまたま目に入り、「おっ」と手に取った。
上田さんの著書は古いものをのぞけば、
たぶんだいたい読んでいるのだけれど、
これは読んでいない本であった。

もう30年以上前の本である。
そして、私の生まれた年に出版されている(笑)。
かなり幅広い方々との対談集である。
これは読まねばなるまいと思い、さっそく読んでみる。

すると、面白い面白い。
まだ参議院議員になる前で、
赤旗編集局長と政策委員長を兼務するという
今から考えるととんでもないことだけど、
その時期のうえこーさんの元気っぷりが炸裂していた。

あと、「民主連合政府」の話題が多かった。
なるほどこういう雰囲気だったのか、と思った。


重要と思ったところに線を引きながら読んだのだけど、
そのなかから主なものをメモしておきたい。


前後の文脈も大事なのですが、
とくに解説なしでメモしていきます。



「ぼくは戦争中、カントばかり読んでいて、『純粋理性批判』を
ドイツ語で読んだり、カントの倫理学関係の本なども相当あ
さって読みました。なぜ、よくもわかりもしないのに、カント哲学
に打ち込んでいったかとうと、ひとつは、思索することの厳密さ
というものがあって、正確なものを求めていた気持に合ったの
ですね。もうひとつは、
きわめて倫理的なんですよ、彼の哲学
は。
当時、戦争の問題と自分の問題を考えると、最後は認識
の問題よりも生き方の問題であり、倫理の問題になってきた
んですね」(8P)

「『自然弁証法』では、自然は実在であるということからはじま
るでしょう。われわれ理科の学生というのは、実験するとき、
自然を実在だと思わなければ実験できないわけですよ。しか
し、哲学を考えるときは、そういうこととは別のことを考えてい
る。ところが
『自然弁証法』というのは、まことにきっぱり、自然
は実在であるという。ぼくは観念論の認識論をやっていたから、
なにが実在であるか、わからなかったけれども、とにかく、疑う
ことのできない真理に触れているのだという感じがありました
」(8P)

「そういう市民運動というのは、当時のとりくみとしては珍しい
ものだったし、成果も大きかったんだけれども、それを理論的
にまとめて、どこかに発表するとかいう仕事をしなかった。やっ
ぱり、それをしないと全体の運動にならない。
運動の経験とい
うのは、本当にそのなかから教訓を引き出して一般化する、
理論化する必要があります。それではじめて全体の教訓、財
産になるわけで、進んだ経験をどこかでやっていても、ただそ
れだけだったら、それだけのことに終わっちゃうわけですね
」(23P)

「論争というのは真剣勝負でね、書いたことにはすべて責任を
とらなければならないし、誤ったことを書けばかならずやられる
しね。
深く、多面的に考えぬくことになる。鍛えられますよ。だか
ら、いいことだと思いますね。論争というのは
」(24P)

「ぼくが感じていることの一つは、
創造的な理論活動ということ
になれば、どんな問題でも新しい問題と格闘しなければ意味
がないということ
ですね。そうしてはじめて、つぎこんだエネル
ギーが、マルクス主義の理論戦線に、小さな石であってもつけ
加えることになり、小さな前進であっても運動に貢献することに
なるわけですから」(26P)

「もう一つ理論活動の問題でいつも考えることの一つは、
問題
の系譜を自分のものにすること
です。レーニンが、理論家とい
うのはその問題の系譜をよく知っていることが非常に大事なん
だと言っているのがあるんですよ。
その系譜のなかではじめて
その問題に接近する態度と方法もわかるし、歴史的なパース
ぺクティブも出てくる、問題の重さというものもつかまえられる

だから、政策活動でも、理論問題でも、ある新しい問題があっ
たときに、それは今までのマルクス主義の理論史や運動史、
広くいえば国際的にも、それから日本の運動史、理論史のな
かで、どういう理論的、あるいは実践的系譜をもっていたかと
いうことをまず調べますね」(26P)

「ぼく個人の場合をいうと、
自分が感じるもの、考えるもの、疑
問をいだくもの、これを非常に大事にしなければならないと思う。
自分が感じたものを主観的に大事にするというのではなくて、
それが、ある客観性がある場合、それを追求する責任がある
ということです
。ただ、そういうアンテナや触覚が正しいもので
あるかどうか、運動の要請にこたえたものであるかどうかという
ことが問題ですが、そういう人間が、たとえばきみのいったよう
な、大衆の生活にも、運動の局面にもいつも敏感に理解もし、
感じもできる立場に身を置いていないと、正しいアンテナが働か
なくなる。それから、党本部のなかだけで仕事をしていると、よ
ほど自覚をしていないと一般の人たちの思想や感情と離れる
危険もある(笑)」(27P)

「教育も問題では、『科学と思想』四号の吉野源三郎さんと堀尾
輝久さんの対談の中で“なるほど”と思ったことの一つなんです
けど、国民の学習権というのは、具体的には子どもと青年の権
利のこと、おとなとはちがった子ども、古い世代をのりこえる新
しい世代の権利を保障することだというんですね。教育は次の
世代をにないうる人々をつくることでしょう。今の世代を乗りこえ
る人間にならなけりゃならん。そうだとすると、
本当の意味での
国民の教育権、学習権とは、前の世代を乗りこえうるような能
力を、新しい世代が身につける権利でもあるわけです
。もしもそ
れを古い世代が自分の枠のなかにこどもの教育を押しこめるこ
とがあれば、それはこどもの権利を侵害することであり社会の
発展そのものを押しとどめることにほかならないという問題にな
るわけで、深い問題だなと思いましたね。
 たしかにおとな、古い世代が新しい世代を教育するのだけれ
ども、
教育とは、われわれを乗りこえる力を新しい世代にもって
もらうことなんだというするどい自覚をもって
、それこそ民主主義
的ナ教育をやらないと世の中は発展しない」(35P)



明日はメモの(下)。





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2008年11月 5日 (水)

不勉強だから…か。

最近読み終えた本。

『社会進歩と女性』(不破哲三、新婦人内日本共産党後援会、2008年)

とっても勉強になったのですが、
一番印象に残ったのは、冒頭で不破さんが、
新婦人の方々から何べんも講師依頼があったが、
「不勉強の分野なので」と断わり続けていた、ということ。

お、お、お、お・・・。
そういう理由で講演を断わっていたら、
私なんてどこでもしゃべれませんよ(笑)。
不勉強だらけですよ。
不破さんの「不勉強だから」というレベルって・・・。

(しゃべったことが活字になる人の言葉の重みですけど)

おまけに、集中的に勉強した、とあるけど、
それがどのような量と質の勉強だったのか…。
私の常識をはるかに越える気がしています。

どんな問題、分野についても、
「根本的に事につうじる努力」という姿勢を、
あらためて学ばせていただいたように思います。



『学びあう 女と男の日本史』(歴史教育者協議会編、大月書店、2001年)

歴史を学ぶというのは、非常にリアルで
面白いなと、あらためて。

固定観念として持っていたものが
いろいろと崩されました。
中世では夫婦別姓も一般的だったとか、
すし職人はもともと女性の職業だったとか。

「性別による労働編成は、時代によって変わるし、
その意味づけも変化する。性別分業は、あくまでも
社会的に決められることであって、『女のほうがも
ともと~だから』とか、『男のほうがもともと体力が
あるから』といった要因で決まるものではない」(73P)
ということが、リアルな歴史研究から実感できます。

時代によって、おかれている立場によって、
家族のあり方、男女の役割、恋愛の姿、
いろいろ違うという点が、ほんとうに興味深いです。

近代、現代の女性たちのたたかいの姿も、
ぜひ知ってもらいたい事実です。



『女性白書2008』(日本婦人団体連合会編、ほるぷ出版、2008年)

これまた、たいへん勉強になりました。
資料もめちゃめちゃ豊富で使える!

「働く貧困層」といった場合、その多くは女性なんですよね。
その点をもっと強調しなければと改めて再確認。

不破さんの本を読んで、この問題での視点が
しっかりしていたので、相乗効果で理解が深まりました。

あらためて驚いたのは、出産前に働いていた女性の
なんと7割が出産を機に退職しているという事実。
先進国で飛びぬけたM字型雇用。
ルールなき資本主義をあらためて、女性も男性も
働きやすい職場環境にすることが、この問題の解決への道です。

私もよく知っている三宅良子さん(DCI日本支部副代表)も、
執筆者の1人として参加されています。

子どもの権利条約にかかわる内容ですが、日本政府の対応にアゼン。
この問題にかぎらず、国連の勧告を無視する、適当に対応する
日本政府の態度には、心底頭にきます。大人でないですよ。


余談。最後の「2007年の年表」を読んでいたら、
こんな面白い記事が。

7月6日
「米アリゾナ大学などの研究チームが行った、アメリカと
メキシコの大学生計400人を対象にした調査(1998年~
2004年、17歳~29歳の大学生の女性210人、男性186人
の日常会話を、2~10日間録音)
で、『女性は男性より
おしゃべりだ』という俗説に反し、日常会話で発する言葉
の数ではほとんど差がないことが分かる
。同日付の米科
学誌サイエンスに発表」

「俗説」におかされている私には、にわかにこれは信じがたい!(笑)
私の経験にもとづくと、女性のほうがおしゃべりです(一般的には)。
日本でも同じ調査を誰かにしてもらいたい(笑)。




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2008年10月30日 (木)

快適、「慰安婦」、命、古典

最近読み終えた本。

『快適職場のつくり方-イジメ、ストレス、メンタル不全をただす』
                     (阿部眞雄、学習の友社、2008年)


産業医の先生が書かれた
「快適職場のつくり方実践編」的な本。

いろいろ参考になったのですが、
労働組合の人にたくさん読んでもらいたいなぁ。


『女子大生と学ぼう 「慰安婦」問題』
 (神戸女学院大学石川康宏ゼミナール編、日本機関紙出版センター、2008年)


中学生でもわかるように非常に平易に
書かれています。あっという間に読めます。

「慰安婦」問題の入門書としても、
活用できると思います。
学生さんたちの、「知ってもらいたい」という熱意が伝わってきます。


『長さではない 命の豊かさ』(日野原重明、朝日文庫、2007年)

半分以上はこれまでの日野原さんの著書を読んで
知っていた内容でしたが、新しく知った言葉や内容もたくさん。
この人はほんとうに博識です。

日野原さんは、「命の大切さ」を教える教育は多いが、
その命の「使い方」(=時間の使い方)、については
子どもたちは教えられていない、といいます。

寿命とは、自分の人生の持ち時間。
その時間をどう使うかで、時間の質が決まってくる。
そして、「人のために自分の時間を使う」ことこそ、
「時間の生きた使い方」と強調します。

「働くということ」の考察もたいへん共感できる内容です。

新聞連載の短い文章を1冊にまとめたもので、
読みやすさもバツグンです。


『古典への招待 中巻』(不破哲三、新日本出版社、2008年)

こういうのを読んでると、古典の世界に
どっぷりひたりたくなるのですが、
なかなか時間がさけません(涙)。

一番面白かったのは、『フランスにおける内乱』の
国家機構の問題ですかねー。
パリコミューン、勉強してみたい。

エンゲルスの『自然の弁証法』もすごく興味があります。
これは少し手を出してみようかな。




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2008年10月20日 (月)

脳・湯川・請願・温泉

最近読み終えた本。

『脳を活かす仕事術』(茂木健一郎、PHP、2008年)

そうだ、そうだと思いながら読み進める。
なかでも、「根拠なき自信」や「楽観主義」の
効果については、激しく共感。

私もよく、
「その根拠のない自信はどこから来るのか?」
と人から言われるもので。
自分でもスーパー楽観主義者と思っています。
まわりは、ハラハラするみたいですけどね。
私の性格で各方面にご迷惑をおかけしています(笑)。


『目に見えないもの』(湯川秀樹、講談社学術文庫、1976年)

ノーベル賞が話題にあがっているのもあり、
本屋で目に飛び込んできたので買ってしまった。

湯川さんの世界観の確かさに敬服しました。
専門バカでない、広く豊かな知性がすごい。


『請願権』(渡辺久丸、新日本出版社、1995年)

あまり注目されることは少ないですが、
日本国憲法の16条には、「請願権」というものが
規定されています。

その請願権の歴史的流れと、
今日的課題を提起している本。
ちょっと専門的な内容が多くてたいへんでしたが、
勉強になりました。

明治憲法下での、臣民の請願権の内容について
初めて知りました。
国民に主権がないもとでの請願は、文字通り
「請い願う」ものであるだけで、国家機関には、
それを実務的に受理するだけで、国政に生かす
義務や回答責任などはなかったそうです。

明治憲法下の「請願令」という法律では、
天皇への直訴の禁止や(直願したものは1年以下の懲役)、
請願方法の規制などもあり、かなり制限的なもの。

著者は、日本国憲法で主権が国民となった
もとでの請願権について、それを参政権のひとつとして
位置づけることが大切であることを強調されていますが、
ほんとうにそのとおりだと思いました。

ちなみに日本国憲法16条は、こうなっています。

「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は
規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に
請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる
差別待遇も受けない」

「その他の事項」という言葉が入っているために、
請願の対象領域はきわめて広く、無限定的なものと
解釈されています。
また、請願の方法については、「平穏に」請願する
ことのみを規定しており、制限的な規定もありません。


請願権を活用して、じゃんじゃん
お上に物申しましょう!


『南九州温泉めぐりといろいろ体験』(銀色夏生、幻冬舎文庫、2008年)

最近はまったく遊びにいけれていないので、
本の中だけでも旅に出ようかと。
やっぱり九州はいいとこだ。

温泉に行きたくなったー。
山にも登りたくなったー。
年末、そして来年いくぞー。





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2008年10月 6日 (月)

難民にメガネを

最近読みえ終えた本。

『見えた 笑った-難民にメガネを 金井昭雄物語』
                (綱島洋一、柏艪社、2007年)


北海道を中心に店舗をかまえる老舗メガネ屋が、
世界の難民のところへ出かけていき、
無料で眼検診をし、メガネを贈る活動をしている。

その中心となっている金井昭雄会長を軸に、
難民への“視力支援”をルポしている本。

わたし、何度も涙が出ました。
こんなすばらしい企業があるんだなぁと思って。

難民支援と言えば、「食料や衣服、住居、衛生、教育」などが
浮かびますが、視力など目の問題で悩む人も多いという
ことを知りました。「見える喜び」を支援するステキなお話です。

軍事でない、こんな、日本にしかできない援助を、
一企業だけでなく、もっとたくさんの企業が、
そして日本政府が本気でやるならば、どんなに大きな
ことができるだろうか。国際貢献の姿を考える材料にもなる本です。

金井昭雄さんは、著書のなかで、
企業は利益を生み続けなければならない。さらに
肝心なことは、その利益をどう生かすかである、
と私は考えている
」と書いているそうです。

金井さんは、その活動が国際的にも高く評価され、
2006年に国連難民高等弁務官事務所の「ナンセン賞」を
受講しています。

詳しくは、富士メガネのHP、

「富士メガネの社会貢献」にあります。



『憲法二十四条 今、家族のあり方を考える』
                    (植野妙実子、明石書店、2005年)


「活憲教室」に関連する勉強です。
24条はいろいろ解釈があるんあだなぁ。
それが社会の前進にともなって変わってくるところも面白い。


『格差社会を生きる-男と女の新ジャンダー論』
                   (杉井静子、かもがわ出版、2008年)

こちらも関連する学習。
「あーそんなところにも男女差別の
形態があるのかー」と知ったことがいくつか。
それにしてもジェンダーの呪縛は根が深いね。

以下、関係ありそうでない話。

DVの話で、夫が妻に、
「誰のおかげで食ってると思ってるんだ」
「お前の料理が下手だ」
「生きている価値がない女だ」
という言葉の暴力を使う話が出てきたが、

私も試しにDVをしてみようと、相方に、
「誰のおかげで食ってると思ってるんだ!」
「お前の料理は・・・」
と使ってみたけれど、

「私のおかげで食べていけてる」(相方の方が収入が多い)
「私は料理が上手だからねー」(事実)

と、見事に撃破された。
よかったよかった(笑)。
・・・なんのこっちゃ。




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2008年9月30日 (火)

教えるとは 希望を語ること

おととい~きのう、の関東出張は、とてもとても刺激の
多い2日間でした。ということで、詳細はまた。

とりあえず、移動中に読み終えた本。

『フランスの起床ラッパ』
     (ルイ・アラゴン著・大島博光訳、新日本文庫、1980年)


ナチス占領下、フランスの抵抗運動に参加した
詩人、ルイ・アラゴンの詩集。

~~~~~~~~~~~~~
もし もう一度 行けとなら
わたしはまた この道を行こう

ひとつの声 牢獄より起こり
明日の日を告げる
~~~~~~~~~~~~~

で始まる「責苦のなかで歌ったもののバラード」。

そして、

~~~~~~~~~~~~~
教えるとは 希望を語ること
学ぶとは 誠実を胸にきざむこと

かれらはなおも苦難のなかで
その大学をふたたび開いた
フランスのまんなかクレルモンに
~~~~~~~~~~~~~

というフレーズで有名な
「ストラスブール大学の歌」。

いいですなぁ。


『言魂』(石牟礼道子・多田富雄、藤原書房、2008年)


水俣病を見つづけ、文学作品として
送り出してきた(読んだことはないけど)石牟礼さんと、
免疫学者で、01年に脳梗塞により半身不随となった
多田富雄さんの往復書簡。

お2人の、お互いへのこまやかな心遣いが
非常にすばらしい。
こういう手紙を書ける人間に、はたしてなれるであろうか?
生命、現代社会、能のことなどが、豊かに語られています。


『ちゃんと学ぼう!憲法①』(歴史教育者協議会編、青木書店、2008年)
『ちゃんと学ぼう!憲法②』( 〃)


2日から始まる労働学校「活憲教室」のために読んだ本。
①の巻頭の文章をなにげに読んでいて、
「すごい説得力のある文章だなぁ。誰だろこれ」と
思って、ちゃんと最初のページを見てみると、
「小森陽一」とあった。納得しました(笑)。

小森さんは、憲法を学ぶ5つの観点を述べており、
その最後に、「言葉の学習と教育」という点を強調していた。

「この国の世界と歴史的経緯のなかで、一つひとつの言葉が、
どのように使われ機能させられてきたか、ということをしっかり
ふまえることによって、それを現在において『主権者』として
行使することができるのです。
 しかし、そうした言葉の意味や概念を、歪めたり、ごまかした
り、まちがった解釈でねじまげたりする人たちのまやかしと、
つねに正面から対峙しながら、
言葉の正確な歴史的意味を
明らかにしていく
、日常的実践が必要なのです。
 したがって憲法を学習し教育することは、きわめて文学的な
営みでもあるわけです。日本近代文学研究者である私が、
憲法について積極的に発言を続けている大きな理由はここに
あります。
憲法を学習し教育すること、それは人間が言葉を
操る生物であるための実践なのです



①は、条文の意味と現代社会との結びつき編。
②は、教師の方々の憲法授業・実践紹介編です。

どちらもたいへん参考になりました。
さっそく労働学校に活かせればと思います。




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2008年9月27日 (土)

明日、あさっては関東へ

最近読み終えた本。
9月はあまり本を読めませんでした。うーむbearing

明日28日~29日の関東出張の電車のなかで、
読書に励もうと思います。


『いのちの文化史』(立川昭二、新潮選書、2000年)

ソワニエの最後の授業で紹介した本。

亡くなった方にたいして、
「息をひきとる」という言葉があります。
「引きとる」というのは、「手もとに受け取る」
「もとに戻る」「引き継ぐ」という意味があり、
亡くなった人の「いのち」は消滅するものでも
断絶するものでもなく、残された人々や後の世に
引き継がれていくという考え方がこの言葉の
意味なのだそうです。なるほど、と思いました。

江戸の武士には「介護休暇制度」があったこと、
「散歩」の語源は奈良時代の薬学用語など、
目からウロコの学びが満載の本です。


『日本国憲法は「時代遅れ」か?-九条が武力紛争に挑む』
               (松竹伸幸編著、学習の友社、2008年)


いまごろ読んだのか、と怒られそうですが、
はい、いまごろ読みました。

2日の講演会でこの本を売ります。
松竹さんの他の著書は新岡山書籍さんが売ります!
問題は、参加人数なんですけどね…。


『平和のために人権を-人道犯罪に挑んだ国連の60年』
                     (松竹伸幸、文理閣、2007年)


学んだこと、励まされたこと、確信がもてたこと、
いっぱいありすぎて困ってしまいます。

人類は確実に進歩していますね
。世界の人びとのたたかいで。
だから私は長生きしたいのです。
人類がどういう世界をこれからつくりだしていくのか。

ソ連の崩壊が国連の人権への取り組みを
活性化させることになったという面も、なるほど納得。

人道問題が主題ですが、日本の人権問題を考える
うえでも参考になります。


『カラシニコフⅡ』(松本仁一、朝日文庫、2008年)

カラシニコフとは、旧ソ連の設計技師カラシニコフが
開発した自動小銃のこと。
扱いやすく、壊れにくい。軽いので少年少女兵にも使える。
30発入りの弾倉を装着できる。
途上国を中心に世界中に氾濫し、総計は1億丁とも言われている。
アフリカでも、アフガンでも、イラクでも、
紛争の影の主役は、この銃である。

「Ⅰ」は、ハードカバーで3年ほど前に読んだ。
表紙の、子どもにしか見えない少年兵が
AK(カラシニコフ自動小銃のこと)をもっている
写真が衝撃的だった(本の内容も)。

「Ⅱ」は最近文庫になったもの。
「Ⅰ」はアフリカ中心のルポだったが、
「Ⅱ」は南米(コロンビアなど)やパキスタン、イラクなどにも
取材をすすめている。

小型武器削減の努力の困難さを実感するが、
日本はこの分野でも、世界をリードしなければならない。
その役割が日本にはある。


『憲法に生かす思想の言葉』(辻井喬、新日本出版社、2008年)

言葉の重要性をあらためてかみしめる。
辻井さんの最近の講演や論考をまとめた1冊。

宮本百合子さんの話が興味深かった。
やはり、いつか小説を読んでみなければ、と自覚する。

「敵を味方にする言葉の力」も、肝に銘じたい。
選挙だからね~、いままさに。


  「
とても大事なのは、敵を味方にする力、これは人間の
  最も美しい法則であると私は思っています。そのために
  は、相手の心に届く言葉を持たなければならない。これ
  は相当難しいことです
。私は、本当の敵は今、私たちに
  見えている敵のおそらく1000分の1以下だ、そう思って
  います。それなのに、味方になるはずの人がとらえられ
  てしまっている。人権と平和、そういう大事なことを言う勢
  力が、選挙のたびに少しずつ減っていくというのは、これ
  はやはり、かなり私たちの方に責任があるのではないか。
  また、相手の心に届く言葉を持つためには、話しかける
  相手の本当の願いを受けとれる力がこちらにないといけ
  ない」(169P)


「言葉」と「思想性」の話も興味深かったですが、
まだまだ実感的に理解できるレベルでは私は
ありません。もっと文学も読まなきゃなぁ。




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2008年9月 4日 (木)

『いのちの初夜』(下)

北条民雄『いのちの初夜』に心を揺さぶられた
藤野高明さん。

その藤野さんと『いのちの初夜』の出会いと
結びつきに感動を受けた作家がいます。
ノンフィクション作家の柳田邦男さんです。
(民俗学者の柳田国男さんではありません)

柳田さんは、北条民雄の壮絶な一生を
えがいた『火花』(高山文彦、角川文庫)の「解説」で
藤野さんのことを紹介しています。
柳田邦男、『「人生の答」の出し方』所収、新潮文庫

文庫本にして約6ページをさいて、藤野さんのことを
紹介しているのですが、ここでは全部載せられ
ないので、はしおって紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 そのエピソードは、最近、戦前生まれの私と
同じ世代で唯々(ただただ)驚愕するばかりの
人生を歩んだ一人の重度障害者の手記を読ん
で知ったものだ。死に向き合って書かれた一
遍の文学作品がこれほどまでに人の人生に
決定的な影響を与えるのかと、「書くこと」と「読
むこと」の繋がりの重みを、その手記からいま
さらながら感じたのだ。
 一遍の文学作品とは、北条民雄の「いのちの
初夜」だった。
 そして、一人の障害者とは、大阪市に住む六
十代半ばの藤野高明氏だ。
 (中略)
 決定的な転機をもたらしたのは、開眼手術を
試みるために入院していた大阪の病院での一
人の看護師Kさんとの出会いだった。Kさんは
街や野山の風景を見ることも本を読むこともで
きない藤野青年を可哀そうに思い、勤務時間
外に病室でいろいろな本を読んでくれた。その
一冊が北条民雄の「いのちの初夜」だった。
 (中略)
 藤野青年は病院で友達になった盲学校の先
生から点字を習った。はじめは点字の書かれた
紙に唇をあてても、ただザラザラと感じるだけで、
点字を解読することは全くできなかった。それで
も倦(う)むことなく練習を続けると、断片的なが
ら文字を拾うことができるようになり、さらに訓練
を続けると、文字が連なって言葉になり、文章と
なって理解できるようになった。
その時のことを、
最近の藤野氏は手記のなかで、「継続は力でし
た」「文字の獲得は光の獲得でした」と書いてい
る。何と力強くすばらしい言葉だろうと、私は打
ち震えるほど感動して読んだ

 (中略)
 一冊の本が一人の人生の決定的影響を与え
たというエピソードは多い。だが、「いのちの初
夜」が重度障害者ゆえに感覚的にも精神的にも
十三年間も深い闇の底で逼塞(ひっそく)を強い
られていた一人の若者を、突然「光の獲得」と
自ら言い切るほどの方向へ再生させる力を発
したこのエピソードほど、言葉の力の凄さを
感じた例を、私は他には知らない


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ところで、藤野さんは、
2年前、71期岡山労働学校の記念講演で、
岡山にお呼びした経験があります。

約80名の参加でしたが、、参加者一同、
感動をもって藤野さんのお話を聞きました。

参加者の感想を、2人だけ、ここで紹介します。

「高等学校で講師をしております。大先輩の
お話、心にひびくところがたくさんありました。
勉強できることの喜びを感じました。日々勉強
ですし、学びたいと思えば、簡単なことですよ
ね。本当にためになるお話でした。今日の出
会いを感謝します。ありがとうございました」
                   (24歳、女性)

「だんだん声が大きくなるとおっしゃっている
のを聞いて、すごい熱い方なんだろうなと最初
に感じました。感性にひびく言葉がすごいと
思いました。出会えたことに感動してしまい…
あまり書けません。たくさんの気持ち、言葉を
学べたことがうれしかったです」
                   (21歳、女性)

話の内容とともに、「こんなすごい人に出会えた
喜び」を、私をふくめ、参加者はみな、感じた
講演会になりました。



また、藤野さんは、目が見えないので、
自分の記憶だけをたよりに言葉を発します。
『未来につなぐいのち』(クリエイツかもがわ)の
なかでも、講演にのぞむ気持ちを書いておられ
るのですが、

「一時間ないしそれを超える講演は、たやすい
ことではありません。…予(あらかじ)め用意し
た原稿を時どき唇で確かめながらという訳に
は行かないのですから、
前もってよほど準備を
しなければ、安心してマイクの前に立てないの
です。
話し始める前にはいつも胸がドキドキす
るのです
」(37~38P)

これはずいぶん昔の藤野さんの文章ですが、
「原稿を確認できない」という点では、いまも
変わりありません。自分の記憶だけを頼りに、
講演をされるのです。

でも、一度藤野さんの講演を聞いたことがある
人は驚いたと思いますが、次々と出てくる言葉
の密度と正確さは、ほんとうにすごいのです。

全国集会の講演では、約1時間半の時間なの
で、ご自身の血のにじむような努力の話などは、
たぶん、あまりおしゃべりにならないと思います。
でも、なにより、藤野さんの歩んできた人生その
ものの熱が、言葉にのって、私たちにビンビン
届く、と思います。

前にすすもうとすると、“とうせんぼ”のように
壁があらわれた。それを乗り越えることができ
たのは、人と時代にめぐまれたからです


という藤野さん。


11月24日、倉敷芸文館で、
ご一緒に藤野さんと学びあいましょう。





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2008年9月 3日 (水)

『いのちの初夜』(上)

『いのちの初夜』(北条民雄、角川文庫、1955年)
を読み終えました。

1937年に、24歳の若さで亡くなった、北条民雄。
いまでいうハンセン病患者でした(当時はらい病と言った)。

病気とたたかいながら、療養所での
入院、生活体験を数々の作品として
発表した若き作家でした。

当時、ハンセン病(らい病)は
治癒が困難な病気でした。
発症すれば世間から隔離された、
療養所での生活がまっていました。

そのリアルな描写は、私たちの想像をこえます。
そして、希望を断ち切られたなかで、
患者たちがみせる「いのち」への感覚…。

本書は短編をまとめたものですが、
さいごの「吹雪の産声」という短編に、
末期症状の矢内という患者と、その近くの病室で
新しい生命がいまにも誕生するということを
対比的に描いた描写が印象深かったです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「矢内、生まれるよ」
と私は力をこめて言った。彼はちょっと瞼(まぶた)を
伏せるようにして、また大きく見開くと、
「うまれる、ねえ」
とかすかに言った。今にも呼吸のと絶えそうな力の
無い声であったが、その内部に潜まっている無量の
感懐は力強いまでに私の胸に迫った。死んで行く
彼のいのちが、生まれ出ようともがいている新しい
いのちにむかって放電する火花が、その刹那私にも
はっきりと感じられた。
いのちは、ねえ、いのちはつながってるんだ、よ。
のむら君
」 と彼はまた言った。
                        (233P)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


なぜ、この本を読んだかといえば、
全国学習交流集会in倉敷での、
3日目記念講演の講師、藤野高明さんと、
この本が、深いつながりがあるからです。


藤野さんは、7歳のとき、不発弾の爆発により、
両目と両腕を失い、13年間の不就学(盲学校に
行けなかった)の時期を過ごします。
「手のない少年に点字は無理だ」と、
当時の盲学校は判断してしまったのです。

その藤野さんが、点字を獲得するきっかけと
なったのが、ハンセン病患者の方々との出会い、
だったのです。

「とくに私の心底を強打し全身の勇気をふる
い起こしてくれたのは、北条民雄の『いのち
の初夜』であった。
人間の肉体が生きながら
にして崩壊しつづけていく状況の中で、生命
現象の極限をきわめぬこうとする登場人物
たちの生きることへの執着と人生そのものに
対する真の楽天主義とに、私は身内のわな
なくようなはげしい感動を覚えた

(藤野高明『あの夏の朝から』、一光社、
                 1978年、61P)

「わたしが点字の蝕読に挑戦するきっかけに
なったのは、入院先の病院の看護婦さんに
読んでもらった北条民雄の『いのちの初夜』
でした。北条民雄自身、ハンセン病を病み、
幾つかの作品を成した人ですが、
重症のハン
セン病患者の中には、視力と同時に手指を
なくし、そのために唇や舌先を使って点字を
読む人がいることを知るに及びました
。わた
しは、そのような壮絶な事実をなかなか信じる
ことができませんでした。しかし、やがてひょっ
とすると、このわたしにも、それなら唇で点字
が読めるようになるかもしれないと考えるよう
になりました」
(藤野高明『未来につなぐいのち』、
     クリエイツかもがわ、2007年、16P)


重度の障がい者としての苦悶の日々を送っていた
藤野さんに、この本がどんなに力を与えたかが、
少しわかったような気がします。
「この描写を藤野さんは、どう感じたろう…」という
ことを常に念頭において、本書を読みました。

たとえば、『いのちの初夜』のなかの
「癩家族(らいかぞく)」という短編の中から。

「これが俺の世界か、これが俺に与えられて
いるただひとつの人生か、と彼は呟(つぶや)く。
一人の人にとって、その人に与えられた人生は
ただひとつである、というこの規定が、彼には
堪(たま)らないものに思えた
。一人の人間は
あくまでもただ一本の道をしか歩くことができない、
同時に二本の道を歩くことは絶対に許されていな
い、彼はこれを恐怖の念なしには考えることが
できなかった」(157P)


藤野さんは、北条民雄の文学作品から、
さまざまなものを受け取ったのです。
そして、それを生きる力に変えていきました。



(まだ書きたいことがたくさんあるのですが、
今日は時間がないので、明日に続く)




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2008年8月26日 (火)

看護の危機、日中「漢字」

最近読み終えた本。

『看護の危機-人間を守るための戦略』
  (和泉成子監訳・早野真佐子訳、ライフサポート社、2008年)


ソワニエ読書日記15冊目。
今週、来週とで、いよいよ最後の授業となる。

世界的な看護研究者、識者たちが、
「看護の危機」について分析、解決への道を提起する。

私は、ナイチンゲール看護は、はたして、
この世界的な「看護の危機」に、どう有効性を
発揮しうるか? という問題意識で読む。
(この本にはナイチンゲールはまったく登場しないけど)

監訳者の和泉さんが、危機を乗り越えるための
執筆者たちの戦略を簡潔にまとめているが、それは、

①看護の価値の明確化と社会への提言
②看護の健全な労働環境の確保
③次世代を担う看護師の育成

に大別されるという。

ナイチンゲールは、まさにこの3つの分野を
最初に開拓した人。やっぱりすごい。



『NHK知るを楽しむ 歴史に好奇心
 8月 日中二千年漢字のつきあい 9月 「水滸伝」から中国史を読む』
                               (NHK出版、2008年)

オリンピック開催月だから、
中国関連の特集なのだと思うけど、
「漢字」「水滸伝」のどちらの特集も
とても興味深く読みました。

とくに、日中の「漢字」をとおしての
つきあいは目からウロコでした。

こんなにお互いの歴史的結びつきが
深く、相乗的な関係なのに。
それなのに、ああ、
最近の中国バッシングはすさまじい。

歴史的な視点も必要ですね。




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2008年8月 8日 (金)

現実逃避…

夏バテか・・・。体がだるだるです。
仕事への集中力もまったく衰弱。
そういうときは、とりあえず本読んでます。
ま、現実逃避ですね。

ということで、最近読み終えた本。


『ファルク・ピンゲル 和解のための歴史教科書』
    (ファルク・ピンゲル+近藤孝弘、NHK出版、2008年)


「NHK 未来への提言」という
BSの番組を本にしているシリーズ。

世界中の教科書を収集している
「ゲオルク・エッカート国際教科書研究所」という
ところが、ドイツにあるらしい。
そこの副所長の方へのインタビュー本。

「なるほど」と思うところが多い。

ドイツとポーランドの歴史教科書対話。
ドイツとフランス。
旧ユーゴスラビア諸国での教科書対話。
東アジアにたいする認識と提言も。

「違いを強調するのではなく、共通点を見い出す」
という姿勢が大事。結局、長い時間がかかるけど、
交流と対話の積み重ねが、大事だということ。


『覇権なき世界を求めて-アジア、憲法、「慰安婦」』
            (石川康宏、新日本出版社、2008年)


元となっている論文は、たぶんすべて
読んでいるのだけれど、かなりの加筆がされている。

それだけ、情勢の進展、
世界の構造変化の流れが速い、
ということなのでしょう。

それにしても、あれだけの激務をこなしながら、
こうして本を仕上げられるワルモノ先生の力には、
いつも敬服いたします。

倉敷集会の記念講演がいまから楽しみです!
(私は裏方なので聞けないかもしれませんが…)


『GNH-もうひとつの<豊かさ>へ、10人の提案』
            (辻信一編著、大月書店、2008年)

「H」とはハッピー、つまり幸福。
「GNH」とは「国民総幸福」という造語です。

それぞれの「豊かさ論」がなかなか面白かったけれど、
なんかしっくりこない部分も。
「変えていくための道筋」があいまいで、
「価値観を変える」ところが強調されすぎな気も。

それぞれの提言を読んでいて、
『資本論』にその答えがあるんじゃないかなー、
と思いながらページをめくっていたら、
最後のダグラス・ラミスさんがマルクスのことを
語っていて、「おお!」と思いました。
マルクスの「労働論」のところが
ちょっと違うんじゃないか、と思ったけれど。

共通しているのは、
「豊かさ」とは、カネや経済成長じゃない、ということ。
西本郁子さんの「時間」の論考もおもしろい。



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2008年8月 5日 (火)

夜明けがくる

『夜明けがくる-立ち上がる看護婦たち』
   (新潟県職員労働組合編、労働旬報社、1968年)
を読み終える。

一気に読んだ。
涙、涙、である。

看護婦の「2人夜勤」体制、「月8日以内」の夜勤制限を求めた、
歴史的たたかいの生々しいドキュメント記録である。

(勝利のわずか3か月後に出版されている)

冒頭の木村栄子さんの死は、読むのが苦しい。
2人目の子どもの出産時の死。
無制限の夜勤は、「異常分娩」をもたらし、
看護師の命をも、奪うものであった。

「木村さん、あなたがいまそこに眠っていることを、
私たちはどうしても信ずることができません。
 ・・・看護婦が仕事をしながら2人目を生むという
ことが、どんなに大変なことか。そのことをいま、
あなたが語りかけているようでなりません。あなた
が看護婦になられて15年、人の寝るときにおきて
働く生活が、どれだけあなたの身体をむしばんで
いたことか。
 
私たちはあなたに誓います。必ず夜勤を制限させ、
看護婦の職業を、何人子供を生んでも勤められる
職業として確立することを。
 私たちはあなたの死を無駄にしません。
安らかに
眠ってください」  (労組分会長の弔辞)

新潟県立病院(17の病院)における看護婦夜勤制限の
たたかいは、こうした現実を土台にして、はじまった。


この新潟発の「ニッパチ」獲得実力闘争は、
豊かな教訓を残してくれているように思う。

指導部と組合員の関係性。
団体交渉のあり方。
仲間を信頼することの尊さ。
たたかいの主人公は誰なのか…。

労働組合が独自に「2人夜勤、月8日以内」という
「勤務表」をつくり、実力行使で夜勤制限を勝ちとるという
独創的なたたかいもすごい。
そして、「空白」穴埋めの支援も感動的だ。
県内の他の病院、県外からも支援の手があがり、
「組合ダイヤ」は見事完成。
ストライキは患者さんに迷惑がかかるが、この実力行使は、
逆に患者さんに喜ばれるものであった。
歴史的な「組合勤務表」に入る日、看護婦たちは、
2人になったら、患者さんに「どんな看護」をするか
(1人夜勤ではできなかったこと)を、びっしりとメモ書きし、
夜勤に入ったという(涙)。

また、1968年2月10~11日の看護婦大集会、
21日の7時間におよぶ歴史的な団体交渉は
圧巻である。ふるえるほど胸をうつ。
現場の「真実の声」をつきつけることの力。
団結とは、こういうものなんだと教えてくれる。

その団体交渉を、誌にして掲載した
横山さんの文章を紹介。

≪私たちこそ医療の守り手≫

1968年2月21日
新潟県病院事業管理者、病院局長室
すすり泣きの声がもれ
沈黙がつづいた
ある看護婦は訴えた
1000たらずの未熟児を
苦労して2500にまでしたが
人不足のもたらすラッパのみで
死なせてしまったと
屈強な男達まで
目がしらをおさえてはなさない
ただひとり
表情をかえない男がいた
その名は井村繁樹
新潟県が福祉県なら
誰より、涙を流してよいはずの
その男の肩書は
新潟県病院管理者、病院局長
そして「制度が」「基準では」と
くりかえす
日本の医療を
写真にとれば
この光景が写るだろう
日本の政治が
そこにくっきり写っている
次々と訴える医療事故
これに答える「制度」と「基準」

いつしか夜勤のつらさ忘れ
患者のことだけを訴える
白衣の勇者がそこにいた
われらは必ず勝利して
必ず患者を守るのだ…




そして、実力ダイヤの行使から3日目、
世論の圧倒的支持を背景に、知事の判断もあり、
「2人夜勤、月8日以内」の措置をとらせる全面勝利を
勝ちとったのです。

新しいたたかいは、新しい言葉を生む」という
フレーズも、とても共感します。
「ニッパチ」も、まさにこのたたかいから
生まれた言葉です。

勝利から2か月後、新潟の勝利を報告し、
全国に広げるための活動者会議の席で、
新潟の代表はこう報告したそうです(一部)。

「どうして豆腐が石に勝ったのか、そのわけを、私たちは
こう考えています。
 
だれもが否定できない医療破壊の事実の前に立って、
人間的な怒りをかきたてたこと、病院の看護婦でなく、患
者の看護婦としてそれを告発してたたかったこと。仲間を
信頼し、組合を信頼し、患者を信頼してたたかえば、豆腐
が石に勝つことが出来るんだと確信しました

 また吉田病院のある患者は、次のような手紙をよせて
います。
 ・・・それまで、リンゲルなど点滴や検査のため、朝4時
ころから起こされていましたが、2人夜勤に入ったとき(闘
争)、それが6時ころになり、気も休まり眠れました。何と
いっても2人の看護婦さんがいて夜でも安心していられま
した。看護婦さんが私たちを守ってくれる。看護婦さんの
力づよさを感じました・・・。
 
だれが医療の破壊者であり、だれが医療の守り手であ
るか、それが県民と患者に示されたとき、私たちは勝利
したのです




私は長らく、この新潟の「ニッパチ」闘争をもっと詳しく
知りたいと思っていたので、読んでとてもすっきりました。
そして、その後、新潟のたたかいが、どのようにして
全国に広がっていったのかを今度は知りたいと、
新たな問題意識がめばえました。

現代に通じる教訓が満載。
紹介しきれません。
あらゆる労働運動に生かせるものです。
そして、看護師さんにこそ、ぜひ読んでほしい。

ただ、40年前の本なので、
古本(ネットでどうぞ)でしか手に入りません!
でも、ぜひ一読を!



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2008年8月 2日 (土)

彫師・ナイチンゲール

最近読み終えた本。


『消えた女』(藤沢周平、新潮文庫、1983年)

『漆黒の霧の中で』(藤沢周平、新潮文庫、1986年)

『ささやく河』(藤沢周平、新潮文庫、1988年)


いずれも、「彫師伊之助捕物覚え」というシリーズ。
現代でいうと探偵物secret
元岡っ引の伊之助という彫師が主人公。
純粋に楽しめました!


『仕事の悩み解決しよう! トラブル@メール相談』
  (笠山尚人・中田進・林萬太郎・平井哲史、新日本出版社、2007年)


高知へいく電車の中で読んだもの。
こんな本を出版する必要のない日本に、早くしたいものです。



『統計学者としてのナイチンゲール』(多尾清子、医学書院、1991年)

ナイチンゲールは、たんなる看護師ではありません。
もちろん、「看護」を創出した人ですが、
病院建築家でもあり、すぐれた教育者・管理者でもあり、
多くの著述を残した著述家でもあり、
そして、卓越した統計学者でもあったのです。

ナイチンゲールは、ケトレという社会統計学者に
師事し、統計をもちいて、衛生改革や病院の問題点を
みごとにあぶりだすという、能力をもっていました。
もともと数字が大好きで、数学教師をめざそうと
思った時期もあったそうです。

「統計はなんのためにあるのか」という基本命題を、
ナイチンゲールは教えてくれているように思います。
私たちも、グラフや表などを使って、わかりやすく
問題点やものごとの本質を見抜くという手法をもちいます。
それはなにより、目の前の現実を変えるためにこそ、
だと思います。

「ナイチンゲールの統計学的思考とその方法論は、
鋭い観察によって事実を提示するとともに、その
問題点を明確にし、その結果、論理が導き出される
という手法である。これは、正に科学的方法論その
ものであり、彼女の考案した死亡率や、平均入院
日数の計算方式は、現在の医療統計学にそのまま
使われており、これらは100年以上もその優れた
先見性を示し続けているのである」(35P)




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2008年7月16日 (水)

「シーツの道」に涙

最近読み終えた本。

『小林多喜二 時代への挑戦』(不破哲三、新日本出版社、2008年)

私は、なにをかくそう、小林多喜二は『蟹工船』しか
読んだことがない。
だいいち、プロレタリア文学自体がいまだ縁遠い存在だ。

それは、高校時代に尊敬していた現代国語の
先生が「プロレタリア文学は純粋に文学に徹しきれない
ところがある」というようなことを話してたのが印象に
残っているからだった。「そんなものなのかなぁ」と思った。

私に読書の面白さを教えてくれたのは、間違いなく
この先生で、授業もとても面白くて、大好きだった。
だからよけいに、プロレタリア文学には手を出さない
自分がいた。

それは、いまだに変わらない。
ただ、その先生も「『蟹工船』ぐらいは読んで
おくように」と言っていた。それはおぼえている。

その『蟹工船』が今、驚く売り上げをしめし、
小林多喜二は旬である。

前置きが長くなった・・・。
そんな私なので、小林多喜二の作品はまったく
ノータッチ。「多喜二を歴史のなかで読む」と
言われても、作品がイメージできないので、
「へぇ」、と思うしかなかった。
でも、多喜二のやさしさや、人としての真摯さ、
時代と格闘し、常に今の自分を乗り越えていこうとする
姿勢は、率直にすごいなぁ、と思う。


『憲法九条、あしたを変える-小田実の志を受けついで』
               (岩波ブックレットNo.731、2008年)


2008年3月に行われた九条の会講演会の
講演録。呼びかけ人の方々が、それぞれに
小田実さんのことを語っていた。

でも、私は、べ平連のこと、小田実さんの
著書も、よく知らない。だから、イマイチよくわからない。

三木睦子さんのシンプルだけど、わかりやすい言葉に、
一番共感します。


『野の道往診』(徳永進、NHK出版、2005年)

ソワニエ読書日記14冊目。

いつもながら、この徳永先生の感性は、
心底「すごい」と思う。

NHK「きょうの健康」に連載されたものを
まとめたもの。読みやすい、おもしろい。
いろいろと教えられる。

この本は、いろいろな「道」がでてくる。
その着眼点が徳永先生らしい。

野の花診療所での結婚式、
「シーツの道」の話は、涙がでた。
いいなぁ、こんな診療所。




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2008年7月11日 (金)

久しぶりの読書記録

最近読み終えた本。

最近、どうも理論書を読めていない気がする。
やばいやばい。



『シスター寺本松野-その看護と教育』
    (聖母女子短期大学同窓会・小玉香津子・寺本松野、
                    日本看護協会出版会、
2003年)

ソワニエ「読書日記」の12冊目。


以前紹介した『看護のなかの死』の著者、
寺本松野さんの
教え子たちが中心に、
「寺本看護」や「シスターの人間性」

ついて掘り起こし、その意味を考えている1冊。


これはすごい本です。
やっぱりこの人は
すごい看護師。
『看護のなかの死』では、出会った患者
さんやその死、
ターミナルケアが本の主題でしたが、この
本は、
寺本さんの教え子たちが、それぞれに非常に
リアル
で具体的な思い出や経験を語っていて
30人ほどがそれ
ぞれの寺本松野を語っています)、
寺本さんの「看護の心」
がより立体的に
浮かびあがってくる感覚でした。

読んだあ
との感動的な余韻、
看護という仕事の“すごさ”“すばらしさ”を実感できます。

寺本さんは、ナイチンゲール看護にも精通し、
とくに『生活援助』という基本看護を徹底的に
重視されていました。あと、環境整備も。
寺本さんの清拭やベッドメーキングの
神業的(「魔法」「マジック」という表現も)すごさも、
口々に語られます。


プロとしての厳しさと責任、看護師としての生活態度、
患者さんへの深い愛情、人間的感性の豊かさ、
患者さんの立場に徹底して立つ姿勢、
「痛み」への想像力、観察力と洞察力、判断力・決断力、
つねに学習を怠らない姿勢、ユーモア、
教えられることがたくさんあります。


本の最後に、2001年7月20日に行われた、
フローレンス・ナイチンゲール記章受賞記念講演
「質問の価値-私への3つの質問」(寺本松野)が

収録されていますが、
これも心をうつ言葉にあふれ
ています。

「大事な患者さん達と共に生きること。ある時、
私はこう聞かれました。『今日のあなたを育てた

のは家庭教育ですか学校の教育ですか、宗教
です
か?』。その時、私はすぐ答えることができ
まし
た。『私を育てたのは病院達です。病気の
人達が
私を育てたんです』」
という寺本さんの言葉が、印象に残っています。


『チベット問題とは何か-現場からの中国少数民族問題』
                (大西広、かもがわ出版、2008年)


今月はじめの学習会のために読んだ本。
知らないことだらけ。
しかし、中国政府の少数民族政策は、
じつは手厚かったというのは、発見でした。

いよいよ来月はオリンピック。
さて、どうなるでしょうか。
無事に成功することを祈ります。


『ビルマとミャンマーのあいだ-微笑の国と軍事政権』
                 (瀬川正仁、凱風社、2007年)


これも、学習会のために読んだ本。
すごく面白かったです。
ビルマ(ミャンマー)の雰囲気がよくわかります。

言論・表現の自由のなさでは、北朝鮮なみですが、
みんな「軍事政権は嫌い」というところは、
北朝鮮と少し違うところでしょうか。
あと、多民族国家、多宗教国家だったんですねぇ。
知りませんでした。


『おしえて、ぼくらが持ってる働く権利』
 (清水直子著、首都圏青年ユニオン監修、合同出版、2008年)


この手の本のなかでは、
一番分かりやすく、実践的。
4コマ漫画が良い。

なにより、リアルな相談活動にもとづいているので、
とても説得力があります。
学校の教科書でこういう本を使うべきですね。


『凛として看護』(久松シソノ著・川島みどり編、春秋社、2005年)

ソワニエ「読書日記」の13冊目。

著者の久松シソノさんの紹介。1924年、長崎市で生まれる。

看護婦として長崎医科大付属病院で働いているときに
原子爆弾
の投下にあい、直後から永井隆博士とともに
救護活動にあたっ
た。長年にわたり看護の仕事を続け、
定年後も平和の語り部として戦争の悲惨を訴え続けている。
2005年、第40回フローレンス・ナイチンゲール記章受賞。


長崎で被爆したとき、まだ22歳だったにもかかわらず、
婦長
として仕事をされていたそうです。
同僚や仲間が亡くなる中で
の献身的な救護活動は、
ほんとうにすごい。
永井隆さんは、長
崎ではとても有名な方ですが、
永井さんの存在も久松さんにとっ

とても大きかったことがわかります。


平和の尊さ、命の尊さを、この経験をつうじて痛切に
実感された久松さんは、被爆者として平和の語り部として、
いまも奮闘をされています。被爆者が「あの日」の体験を
語るということは、とても難しく、心の傷を開くものでもあります。
しかし、「原爆をなくすため」「平和を次の世代に」という
久松さんの思いの強さが、その行動の原動力となっています。



『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(吉田守男、朝日文庫、2002年)

戦争問題や沖縄での私の師匠、あきやんさんに
教えられて読んだ本。

京都や鎌倉、奈良へ、空襲がなかったのは、
貴重な歴史的文化財の保護のための
アメリカの配慮だった、というイメージが
やはり根強く残っていますし、私も先入観で
そういうことだろうと思っていました(倉敷なんかも)。

しかし!
京都は、原爆投下の都市候補の一番目にあげられ、
終戦まで一貫して投下目標として狙われていたのです。
それを裏付ける根拠も、リアルに示されていました。
背筋が寒くなりました。

鎌倉や奈良も、アメリカのリストの順番が単に
低かったというだけで(人口などの理由)、
終戦までに順番がまわってこなかったという
だけのこと。

それにしても、アメリカの空襲計画はじつに
綿密で計画的。
とにかく衝撃な事実が多かったです(書ききれない)。

ある意味一番驚いたのは、
広島、長崎に原爆が投下された直後から、
新潟では「次は新潟に投下される」という
予知・推測がたてられ(それまで空襲が
なかった都市に原爆が落ちたという推測から)、
市内から市民を非難する政策がとられ、
8月12日には、市民の9割が中心部から避難を
していたという事実。
(実際、新潟は途中まで候補地のひとつでした)
そんなことがあったとは・・・。


とにかく驚くことの多い本でした。
いやはや。


『指揮官たちの特攻』(城山三郎、新潮文庫、2004年)

城山さんの本をもう少し読もうと思って、
吟味して選んだ本だったけど、
うーむ、もうひとつ。

なんでもうひとつなのかは、整理できないけど。


『少女パレアナ』(エレナ・ポーター、村岡花子訳、角川文庫、1986年)

先月、細谷亮太さんの本を読んでいて知った本。
これは感動しました。最後は泣けました。

どんなことにも“喜び”や“いいこと”をさがす
ゲームをする少女パレアナは11歳。
その少女が、まわりの人びとを次々と変えていく
さまは、本当に感動的です。

「気のもちよう次第」という主観的観念論とも
とられてしまう部分もあるかもしれませんが、
いや、これはそうではありません。

“いいこと探し”は努力の積み重ねで
見えてくるものであり、それは人間関係において
とても重要で、大切な姿勢…。

私たちの運動も、“いつもいいことさがし”で
いきたいものです。

この小説は、今回一番のオススメですかね。


『組織を強くする 技術の伝え方』
          (畑村洋太郎、講談社現代新書、2006年)

これもなかなか面白かったです。

学習運動なんかは、まさにこうした技術を
伝えるプロ集団にならなければいけない、と思います。

いままで考えていたことが、言語化され、
整理できたと思います。やはり一番重要なのは、
伝える側が、相手の立場にたっているかどうか、
ということなのでしょう。

私も、学習会などでは、参加者の構成、年齢、
職種、問題意識、学習会の時間帯などによって、
いろいろ伝え方に工夫をしています。

正しいことならば、つねに相手に届くかといったら、
そうではないのです。





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2008年6月19日 (木)

苅田アサノさん!

最近読み終えた本。

『午後の居場所で』(落合恵子、朝日文庫、2003年)

朝日新聞でのエッセイ連載をまとめたもの。
肩ひじはらずに読める文章は、やっぱりイイ。


『日本の軍隊-兵士たちの近代史』(吉田裕、岩波新書、2002年)

学びたい内容とは違ったのですが、
これはこれで面白かった。

「日本軍」の特質は、歴史の中で
さまざまな要素が折り重なってつくられたのだなぁ、
と思いました。
「社会との関わりのなかでの軍隊」という問題意識は、
現在の自衛隊にも言えると思う。
じっさい、今そういう本を読んでいるところ。


『ママでなくてよかったよ』(森下純子、朝日文庫、2003年)

ソワニエ読書日記11冊目。

6歳で小児がんが発病し、8歳で亡くなった
重信(しげのぶ)くんと、そのお母さん(著者)の闘病記。

つらい。
がん治療の苦しさが痛いほど伝わってくる。
抗がん剤、放射線、手術・・・。想像をこえる辛さだと思う。
そして、親の心の痛みも。

一番苦しいはずの重信くんの、まわりへの
思いやりや気づかいは、ただただ、涙なのであります。
8歳で亡くなった彼が残してくれたものは、
きっと多くの人の心の中に、生き続けると思います。


『希望と勇気、この一つのもの』(澤地久枝、岩波ブックレット、2008年)

岩波ブックレットが25周年(たしか)とやらで、
装丁が真っ白になってました。

澤地さんの「私のかかげる小さな旗」は、
ますます、強く、高くひらめいているように思います。

五味川純平さんとお仕事されていたんですね。
知りませんでした。


『女性革命家たちの生涯』(広井暢子、新日本出版社、1989年)

来月早々に、とある「語るつどい」をすることになり、
モチベーションを上げて行こうと、
自宅の本棚で「何かよいものは・・・」と探していたら
目に入った本(いつ買っていたのかは不明)。

戦前生まれの女性革命家たち(13人の方が紹介されています)。
その多くは、天皇制権力の弾圧によって
命を奪われる。まだ、20代、30代だ。

どの先輩も、科学的社会主義の
学習への気合いがハンパでない。
この時代の特徴といってしまえばそれまでだが、
見習うことが多い。

科学的社会主義の理論と出会い、
共産党員として、人々の命と生活、幸福のために
生涯を生き抜いた先輩たちから学ぶもの…。

あまり好きな言葉ではないが、
“不屈さ”ということなのかなぁ。
はっきりいって自分にはない…。
すぐ曲がる、妥協する(涙)。


一番印象に残ったのは、やはり地元岡山、
苅田(かんだ)アサノさんだった。

名前は聞いたことはあったが、
この人はすごい!
地主(当時は権力的地位にある)の出身で、
お嬢さんでありながら、
「人間の真の力、真の努力の価値が知りたい」(女学校のときの作文)
と、ロシア文学から科学的社会主義の理論へと飛躍して
いった経過が書かれている。

宮本百合子さんとの交流や、
婦人運動との関わりも書かれていた。
1949年の総選挙で岡山1区から2回目の出馬をし、
見事当選。岡山では初の共産党の国会議員となる。

苅田アサノさんも津山出身である。
朝日茂さんも津山出身だ。
片山潜も久米南町だ。
じつは革新のすばらしい伝統が岡山にはある…!

が、「岡山のすごい先輩」のことを
知っている若い人はほとんどいないだろう。
もっと学んで、私も語れるようにならなければ。


あと、野坂参三さんの妻の野坂竜さんの
ことも書かれていたけど、
参三氏は、妻にも党への裏切りのことを隠して
いたのだろうか…。気になるぅぅ。


『時代を開く党づくり』(浜野忠夫、新日本出版社、2008年)

モチベーションアップ作戦2冊目。

浜野さんの経験話以外は、
ほぼ学んできたことばかりだったが、
改めてどういう角度から「語る」かな~と
材料をいただいた感じ。

あと、襟(えり)をただしてがんばろ! と思いました(笑)。




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2008年6月10日 (火)

ソワニエ本多し

最近読み終えた本。

この時期はどうしても
ソワニエ本の比重が多くなる。
どれも有意義な学びが得られるので
いいのだけれど。

『老いるもよし-臨床のなかの出会い』(徳永進、岩波書店、2005年)

ソワニエ「読書日記」7冊目。

大好きな徳永医師の本。
この人のすごいところは、
患者さんとのなにげないやりとりや日常のなかに、
「大切な意味のあること」を見いだす力、だと思う。

平易な文章で読みやすく、
さわやかな気分になる1冊。
なにより、「老いるもよし」という、
本のタイトルがいいじゃないですか。
後期高齢者医療制度と正反対です。



『ナイチンゲール 神話と真実』
       (ヒュー・スモール、田中京子訳、みすず書房、2003年)


ソワニエ「読書日記」8冊目。

先日も紹介したが、
ナイチンゲールが、自らの過ちとどう向き合ったのか、
その後の人生をどう生きたか、を追及した1冊。

川島みどりさんが、「事故論(過誤論)のモデルとなる」
と指摘しているが、まったく同感。学ぶところが多い。

全体的に、「この著者はナイチンゲール嫌いなんかなぁ」と
思える雰囲気をかもしだしているが、
ナイチンゲールの2通の手紙を根拠に、大胆な推測を
している部分は、説得的だ。

ナイチンゲールの伝記ものは、
ほぼずべて「100%賛美型」なので、
これはこれで、なかなか刺激があったと思うけど。

ナイチンゲールも「歴史のなかで読む」という
読み方をせねばならない。


『コード・グリーン 利益重視の病院と看護の崩壊劇』
 (ダナ・べス・ワインバーグ、勝原裕美子訳、日本看護協会出版会、2004年)


ソワニエ「読書日記」9冊目。

マグネット・ホスピタル(医療従事者が集まってくる病院)の

1つで、世界的にも有名で、ボストンにある、
ベス・イスラエル・ディーコネス病院の看護の
崩壊劇の過程を、若い社会学者が聞き取り、調査をし、
分析・評価したもので、米国の医療政策の失敗を明らかにしている。


著名な院長と看護部長を退職させ、
ビジネス・コンサルタントに経営の実権を握らせたことで、
あっという間に医療・看護の質が低下し、
有能な誇り高い医師や看護師が辞めて
しまった経緯がリアルにわかる。


率直な感想は、「こんなにも簡単に看護が崩壊するのか」
というもの。
利益重視の病院経営の波が看護に押し寄せるとき
(看護部の地位低下、ケアの主体性の後退、看護師の
人員不足など)、
看護師の「働く喜び、誇り」をたやすく奪い去るということ。
それが「燃え尽き症候群」となり、離職率の上昇に
つながっていく。
看護師不足、地域医療の崩壊と言われている日本の
医療情勢を考えれば、これは遠いアメリカの話ではなく、
まさしく日本の「看護の危機」に警鐘をならす
1冊。


『医者が泣くということ』(細谷亮太、角川書店、2007年)

ソワニエ「読書日記」10冊目。

尊敬する小児科医。「小児がん」の専門医です。
細谷亮太さんの本はたぶん5冊目。

今週と来週の授業は、この細谷先生の
NHK教育の番組のビデオを見ます。
昨年7月に放映されたものです。

なんと、今年の7月にまた再放送されるみたいです。
近づいたら「見ようぜ!」の宣伝したいと思います。

この本は、日記風エッセイで、読みやすく、
激務をこなされている細谷先生の仕事や日常の
生活のことなどがわかる貴重な1冊。
毎年の四国お遍路の旅日記も、とても面白い。


『自衛隊の国際貢献は憲法九条で-国連平和維持軍を統括した男の結論』
                      (伊勢崎賢治、かもがわ出版、2008年)


PKOとか、武装解除とか、
はっきりって今まであいまいなイメージしか
もっていなかったが、
これは非常にリアルに紛争地域の現場で
起きていることや、パワーバランスなどがわかる。

憲法9条をもつ日本は、アフガニスタンなどで、
「美しい誤解」(非暴力の中立的イメージ)という特長をもち、
「日本のやつの言うことなら」と信用されるという。
日本にしかできない役割とは。問題提起の1冊。

九条を使って、日本にしかできない
戦略的な外交を展開することが、21世紀の
おおきな課題。貴重な現場からの声。

それにしても、自衛隊って、
つくづく不思議な軍隊だと思う。
自衛隊の勉強も少ししてみたい。


『そうか、もう君はいないのか』(城山三郎、新潮社、2008年)

作家、城山三郎と、その妻との
出会いから別れまで。

引き込まれるように、2時間で一気に読む。
ほんとうにステキなカップルだったんだな、と思う。
最後は泣けた。

城山さんの小説も、何冊か読んでみようかなぁ。





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2008年5月26日 (月)

オススメは『活憲の時代』

最近読み終えた本。

『看護のなかの死』(寺本松野、日本看護協会出版会、1985年)

ソワニエ読書日記6冊目。

看護師、寺本松野の代表的著作。
いまも、ターミナルケア(終末期看護)の“はしり”として
読み継がれている名著であります。
(そんなことはモチロン知らなかったけど)

しっとりとした文体のなかに、
人間が人間を看護する意味の尊さとすごさが
にじみでてきます。

人間の“死”と向きあいながら、何を考え、
何を思い、何を学んだのか。
シスター寺本の謙虚な姿勢は、とても胸をうたれます。

でもやっぱり、“死”はつらい。
読んでいて、何度もうるっとくる本です。



『日本人の目から見たチベット通史』(小松原弘、東京図書出版会、2005年)

福祉保育労の学習会で
チベット問題をしたときに、参考にした本。
松竹伸幸さんのブログで知りました。

チベットの文化や歴史は、
まったく無知でありましたので、
知らないことばかりでした。

複雑な歴史と民族問題をかかえる
地域ということだけは、よくわかりました。



『活憲の時代-コスタリカから9条へ』
         (伊藤千尋講演集①、シネ・フロント社、2008年)


『シネ・フロント』という映画雑誌(相方がとっている)に
掲載された伊藤千尋さん(朝日新聞記者)の講演録を
まとめたもの。

雑誌掲載のときも読んでいたので、
復習という感じではあったのですが、
この人の講演は、ほんと元気になります。
「ぼくもやるぞーっ」って感じに。

これからますます、憲法は“使う時代”に
なります。また、そうしなければなりません。

『白バラの祈り』、『シッコ』に関わる講演も、
勇気をもつことにたいして、背中をポンポンと押される
気分になります。
ぜひ、一読をオススメします。



『永遠英和のために』(カント、池内紀訳、集英社、2007年)

カントの有名な平和のための考察と提言。
その新訳です。
18世紀に書かれたとは思えない先見性。

カントって、ドイツ古典哲学の人で、
物自体がどうしたこうしたという話や(観念論のお話)、
太陽系が塵から生まれたということを
提唱した人、というイメージがあり、
じつに色んな顔をもっているんだナーと、
すごく興味がわいてきました。





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2008年5月13日 (火)

他人・長寿・崖っぷち

最近読み終えた本。


『他人の中のわたし-精神科医のノートから』
             (中沢正夫、ちくま文庫、1995年)


お気に入りの中沢先生の本。
患者さんとのやりとり、人生模様(?)をていねいに
描いている本で、とても読みやすい。
友人である椎名誠さんの解説つき。


『沖縄が長寿でなくなる日-<食、健康、生き方>を見つめなおす』
           (沖縄タイムス「長寿」取材班編、岩波書店、2004年)


ソワニエ「読書日記」の5冊目。

沖縄の働き盛り男性の死亡率は全国最悪。
男性の平均寿命はかつて全国1位だったが、
いまは急落し、2000年には26位。
食の欧米化(とくにアメリカ型ファーストフード)。外食率の高さ。
とくに40~50代は、全国平均の約2倍の肥満者。
たばこや飲酒への寛容さ。それによる健康悪化。

失業率は全国平均の約2倍。
借金問題で裁判所とかかわった沖縄県民は約1万3000人。
県民100人に1人は深刻な借金問題をかかえている。
農業経営の厳しさから、農家の自殺も多発。
自殺者の割合は、全国で10番目。
福祉や介護の社会的基盤の弱さ。


「癒しの島」と宣伝され、
沖縄ブームは今も過熱する一方だ(私もその1人だが)。
美しい海や自然、「おばぁ」のやさしい笑顔がイメージづけされ、
「あたたかく、やさしい、癒しの島」の現実は、
イメージとはまったく異なる一面をもっている。

加えて、「長寿県」としてもクローズアップされる
沖縄だが、その「長寿」を支えてきたものは
いったい何なのか、これからの具体的課題まで
ふみこんで考える内容になっています。

米軍基地の居座りと経済問題は切り離せないし、
沖縄の現実はじつに複雑な側面をもっている。

気楽に「沖縄移住が夢だ」なんていえないよな~。

目次を紹介。
 第1章「食は、いま」
 第2章「生活習慣の変化」
 第3章「本当に癒しの島か」
 第4章「ゼロからの復興」
 第5章「お年寄りは幸せ?」
 第6章「新しい生き方」



『崖っぷちに立つあなたへ』(落合恵子、岩波ジュニア新書、2008年)

4月に出版されたばかりの
落合さんの最新刊。

内容は、落合さんの青年期の自分史。
親と子、家族、母子家庭での苦労を中心に、
しっとりした文体で綴ります。

相変わらず読みやすい。
そして、「はじめに」でいきなり涙腺がゆるむ。
落合さんのお母さんも、すごい人です。


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2008年5月 8日 (木)

『寡黙なる巨人』

ときどき、“ものすごい本”に出くわす時がある、
たんに「勉強になった」「これは良書だ」という
評価をするのもはばかれる、
圧倒的な迫力で胸に迫ってくる本だ。

『寡黙なる巨人』(多田富雄、集英社、2007年)

は、そういう本だった。
「読んでほしい」というのが、一番の感想である。

私のヤボな解説は最小限にして、
引用を中心に紹介することにしたい。

著者は、世界的な免疫学者の多田富雄さん。

1934年生まれ。千葉大医学部卒。
若くして免
疫学で世界的な業績を上げ、東大教授に。
国際免
疫学会連合会会長もつとめ、
世界をかけめぐり
仕事をするかたわら、
能や鼓を楽しむ文化人でも
あった。

その多田さんに、まったくい思いもかけぬ人生

転機が襲いかかった。2001年5月2日、脳
梗塞。
それから、多田さんの苦闘の日々が始まっ
た。


以下、本より引用。小見出しは本の小見出し。

発端その前夜
「私にとって忘れられない恐ろしいことが起こったのは、
満67歳の誕生日を迎えてまもなくのことだった」


死の国からの生還

「もう大丈夫、と声をかけようとしたが、なぜか声が出な
かった。なぜだろうと思う暇もなく、私は自分の右手が動
かないのに気づいた。右手だけではない。右足も、右半
身のすべてが麻痺している。嘘のようなことだが、それが
現実だった。
 
訴えようとしても言葉にならない。叫ぼうとしても声が出
ない。そのときの恐怖は何ものにも比較できない。

 
・・・私は頼りないうめき声で助けを求め、身もだえする
ほかなかった。これは大変なことになってしまったと思った
が、訴える術(すべ)がなかった。どうなることか、考えが
まとまらず、私は声にならない声ですすり泣くしかなかった」



多田さんは、脳梗塞により、
右半身麻痺と言語障害が残った。


地獄の始まり

「私はまもなく、今まで何気なくやっていたことができなく
なっていることに気づいた。たとえば唾(つば)を飲み込
むこと。医師に『ごくんと唾を飲み込んでください』などと
いわれても飲むことができない。その
ごくんができない
だ。だがら涎(よだれ)がとめどなく流れる。いつもだらし
なく涎をたらしている。
 
咳払いすることもできない。喉の奥に痰(たん)のような
ものが絡んでも、咳払いして排出することが不可能だった。
 
・・・うがいをすることもできない。水を飲み込まずに口に
含んだままにすることができないから、歯磨きをしても口
をすすげない。あるとき水を口に含んだとたん、目の前が
真っ白になって激しく咳き込んだ。
 
・・・嚥下がうまくいかないとは、どんな苦しみなのかは、
障害をもった人しかわかるまい。痰が絡んでも出せない
のは、地獄の苦しみなのだ

 
一例をあげよう。まず水が一滴も飲めないのだ。喉がか
らからに渇いても、水を飲むことができない。湿ったもので
喉を潤すこともできない。医師からは注意されていたが、
ある朝不用意に水を飲もうとした。そのとたん激しくむせ、
頭が真っ白になった。驚いたことに
私は数㏄の水に溺れた
 
水だけではない。己の唾液でむせるのだ。不用意に唾を
飲むことはできない。失敗すれば激しく咳き込み、後まで胸
のあたりに痰が絡む。そればかりか肺炎の危険がある」


つらい日常

「私のように日の当たるところを歩いてきたものは、逆境に
は弱い。何もかも心を萎(な)えさせる。妻が席をはずして
一人になると、涙が止まらなかった。感情失禁ということもあ
って、よく泣いた。不安で気が違いそうになることもあった

夜半に目覚めて、よじれて動かない右手右足を長いこと動か
そうと試み、どうしても動かないと知ってひそかに泣き続けた
こともあった」


多田さんは、あまりの辛さに、何度も「死」を意識する。
しかし、「死の誘惑」から救ってくれたのは、
妻や家族・友人たちの支えだった、と書いている。



沈黙の世界

「一言も言葉をしゃべれないまま、2か月をこの病院で過ごし
た。初めは、そのうち声くらいは出るだろうと思って高をくくっ
ていたが、それは完全な間違いであることがわかった。3週
目ごろから、言語の訓練が始まった。
 
母音に始まり、マ行の練習、そんな簡単なことができない
ので、私は絶望した。発音では鏡を見ながら練習する。
初め
て鏡を見せられて、私はあっと息を飲んだ。これが私なので
あろうか。鏡に映っているのは、ゆがんだ無表情の老人の顔
だった。

 
右半分は死人のように無表情で、左半分はゆがんで下品に
引きつれている。表情を作ろうとすれば、ますますゆがみはひ
どくなった。顔はだらしなく涎をたらし、苦しげにあえいでいた。
これが私の顔か。
 
・・・びっくりして発音の練習どころではなかった。それは恐怖
に近かった


二週間後

ある日のこと、麻痺していた右足の親指が、ぴくりと動いた
予期しなかったことで、半信半疑だった。何度か試しているうち
にまた動かなくなった。かすかな頼りない動きであったが、初め
ての自発運動だったので、私は妻と何度も確かめ合って、喜び
の涙を流した。
 
自分の中で何かが生まれている感じだ。それはあまりに不確
かで頼りなかったが。希望の曖昧な形が現わてきたような気が
した。とにかく何かが出現しようとしていた」


鈍重な巨人

「私の手足の麻痺が、脳の神経細胞の死によるもので決して
元に戻ることがないくらいのことは、良く理解していた。麻痺と
ともに何かが消え去るのだ。普通の意味で回復なんてあり得
ない。神経細胞の再生医学は今進んでいる先端医療の一つ
であるが、まだ臨床医学に応用されるまでは進んでいない。
神経細胞が死んだら再生することなんかあり得ない。
 
もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したから
ではない。それは新たに創り出されるものだ
。もし私が声を取
り戻して、私の声帯を使って言葉を発したとして、それは私の
声だろうか。そうではあるまい。私が1歩を踏み出すとしたら、
それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。
もし万が一、私の右手が動いて何かを摑むんだとしたら、それ
は私ではない何者かが摑むのだ。
 
私はかすかに動いた右足の親指を眺めながら、これを動か
している人間はどんなやつだろうとひそかに思った。
得体の知
れない何かが生まれている
。もしそうだとすれば、そいつに会
ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。
 
新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱々しく鈍重(どんじゅう)
だが、彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているよう
に感じた。私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のよう
に思われた



自分のなかに、「新しい人間」(多田さんはそれを『巨人』と
名づけた)が出現してくる、という感覚は、実際に多田
さんのような体験をした人でないと、わからない、と思う。
また、医学者であった多田さんだからこそ、こうした
自分の体験や感情を、豊かな知識と筆力で表現できている。
私は、読みながら何度も、そうした描写に唸(うな)った。



訓練開始

私は、ここで初めてリハビリは科学であることを理解した。漫
然と訓練を重ねるのとまったく違う。実際の経験によって作り
出され、その積み重ねの上に理論を構築した、貴重な医学な
のだ。私が医学生のころはなかった新しい学問である。
 
科学といったとのは、たとえばどの動作にはどの筋肉が有効
な収縮をするのか、麻痺し
筋肉に、どうすれば刺激を入れるこ
とができるかを、解剖学的、生理学的な知識をもとに
徹底的に
解明する。使えない筋肉はどの筋肉か、それを代償できる筋肉
はどれか。それ
を有効に使う方法、などの知識が要求される。
たとえば麻痺側ではなくて、反対側の運動を
起こさせることに
よって、麻痺した筋肉に予想を超えた運動を誘発したりする。
 
優秀な療法士は、合理的な指導や科学的な裏づけをもとに、
あらゆるトリックを駆使して、不可能だった運動を可能にする。
目的を知悉(ちしつ)した、熱意のある訓練が必要なのだ」


ただ、多田さんは発症後、病院を3つ渡り歩いており、
1つ目と2つ目の病院では、リハビリ医学の水準と
設備がまったく不十分だったことも記している。
3つめの病院で、多田さんはリハビリのもつ科学性を
はじめて実感したという。
病院によってこうも違うのか、と、私も思わざるえなかった。



初めての1歩

「平行棒の間ではなんとか移動することができたが、そこから
出るともう駄目だった。右足は伸びずに、左足一本で立ってい
る。これでは支え無しには立てない。
 
・・・こんなことでは歩けない。毎日同じことの繰り返しに、絶
望しかけたときのことだ。もう訓練を始めて1ヶ月半もたった
頃である。金沢でいわれた半年の期限は過ぎてしまった。
 
しかしその日は違っていた。いつものように、平行棒の間で
もがいて立ち上がろうとすると、不思議な力が私を貫いた
。大
臀筋(だいでんきん)が緊張して、突然右脚が伸びた。そう思
う間もなく、大腿四頭筋も腓腹筋(ひふくきん)もピンと張り切っ
て、床を蹴っていた。
ゆっくりと、1歩を踏み出し、そして歩い
。私が半年振りで、自分の足で地上を歩いた1歩であった。
 
あの巨人が目覚めたのだ。あの鈍重な巨人が、ようやく1歩
歩き出したのだ。涙が両眼にあふれて、何も見えなくなった


歩くということ

「なぜ歩くということにこうもこだわるのだろうか。自分は障害
者である。どうしても車椅子からは自由になれない。そうだとし
たら、歩けなくてもいいではないか。もう半年も1歩も歩かずに
生きてきた。歩くのを諦めたって生きていける。
 
苦しいリハビリを毎日しなくても、ほかに快適な生き方があ
るはずだ。電動車椅子に乗って動けばいいのだ、と思う人も
いると思うが、そうではないのだ。
どんなに苦しくても、みんな
リハビリに精を出して歩く訓練をしている。なぜだろうか

 
それは人間というものが歩く動物であるからだ。直立二足
歩行という独自の移動法を発見した人類にとっては、歩くと
いうことは特別の意味を持っている。
 
四百万年前人類とチンパンジーが分かれたとき、人は二
足歩行という移動方法を選んだ。それによって重い脳を支
え、両手を自由に使えるようになった。この2つの活動は

いに相乗的に働き進化を加速させた。歩くというのは人
間の
条件なのだ。
 
・・・その証拠に車椅子で町へ出かけてみよう。すべては

間が立った目線から眺めるようにできている。マーケッ
トへ
行っても、飾られた商品は車椅子からは見えにくい。
下に並
べられた魅力のないものばかりが眼に入る。町では
人の顔
さえも見る機会がない。
 
ある日散歩の途中、交差点で信号待ちをしているとき、
ため
しに支えてもらい立たせてもらった。立って眺めた
町の風景が、
車椅子で見るのと、なんと違って見えたこ
とか。私は立ったま
ま、その懐かしい風景に見入った」

「何よりも、頭で考えなければ歩けない。どの筋肉を使ってい
るか、姿勢は教えられたようにまっすぐか。右に曲がっていな
いか。背筋は伸びているか。うつむいていないか。いちいち自
分で考えながら修正する。考えないで歩けば、足が絡んだり
倒れたりする。反射で自動的にできそうなことが、無意識では
できない。
歩くという何気ない作業が、こんなにも複雑な手続き
で行われていることを初めて知った

 
人間は幼児のとき何度も倒れながら直立歩行を学ぶ。立ち
上がるだけでも、脚の沢山の
筋肉のみならず、重心をとり平
衡感覚を全身の筋に覚えさせる大変な学習だ。だからその後
は、複雑な手続きを意識しないでも歩けるようになる。随意運
動を指令するのは大脳だが、脳梗塞ではその指令を出す大
脳皮質の運動野が傷害されることが多い。運動の細かなス
キルは、小脳に記憶として刻みつけられるが、それがやられ
るともっと重大な障害が起こる」


湯島の梅

「こうして重度の障害者としての生活が始まった。それは発作
前とは全く違う営みである。違う人が生まれたのだ
。もう前の
自分に返ることはない。私は半身麻痺と言語障害を抱えて、
新しい人として誕生したのだ。
 
・・・私は思い出した。金沢の夕日の光景に、突然私が感じた
巨人の姿は、確実に動き出している。それはまだ20歩も満足
には歩けないが、朝起きて初めて背筋を伸ばすとき、そして杖
に持ち替えて体をゆっくりと立ち上がらせるとき、そしておぼつ
かない1歩を踏み出すとき、私は新しい人間が私の中に生ま
れつつあるのを感じている。
のろまで醜い巨人だけれど、彼
は確かにこの世に生を受けた
。この様子では、なかなか育た
ないだろう。
 
それでもいいのだ。私は私の中に生まれたこの巨人と、今
後一生つき合い続け、対話し、互いに育てあうほかはない。私
は自分の中の他者に、こうつぶやく。
何をやっても思い通りに
は動かない鈍重な巨人、言葉もしゃべれないでいつも片隅に
孤独にいる寡黙な巨人、さあ、君と一緒に生きてゆこう
。これ
から娑婆(しゃば)ではどんな困難が待っているかわからない。
でも、どんな運命も一緒に耐えてゆこう。私たちは1人にして2
人、分割不可能な結合双生児なのだから。そして君と一緒に
これから経験する世界は、2人にとって好奇心に満ちた冒険の
世界なのだと。
 
妻が、1人でうなづいている私に、そっと彼女のショールをか
けてくれた。そうだ、もう1人同行してくれるものがいるではない
か。さあ生きようと私は思った」

以上が、本の前半の手記「寡黙なる巨人」より。


回復する生命-その2
「入院中は毎日のスケジュールに従っていればよかっ
たが、
退院後のリハビリはつらい。週4日、雨の日も
雪の日も、妻
に車椅子を押させて病院に通う。そして
強制的な機能訓練
だ。
 
私は一生懸命やっているつもりだが、なかなか歩け
るよう
にはならない。こんな苦しいリハビリの訓練を
続けるのは何
故だろうかと、時々考える。リハビリなんかやめて、電動車
椅子にバリアーフリーの部屋、介護保険などを使って、安楽
に暮らせばいいではないか。
 
でも私はそうはしないつもりである。いくらつらくても、私は
リハビリを楽しみにしている
。週に4日間、歩行訓練と言語
機能回復のために、病院に通うのが日課になった。私にも
家人にも大変な負担だ。
そんなことをしても、目立ってよくな
る気配は見えない。エンドレスの、不毛の努力をなぜ続けて
いるか

 
その理由を書こう。
 
私には、麻痺が起こってからわかったことがあった。自分
では気づいていなかったが、脳梗塞の発作のずっと前から、
私には衰弱の兆候があったのだ。自分では健康だと信じて
いたが、本当はそうではなかった。安易な生活に慣れ、単
に習慣的に過ごしていたに過ぎなかったのではないか。何
より生きているという実感があっただろうか。
 
元気だというだけで、生命そのものは衰弱していた。毎日
の予定に忙殺され、そんなことは忘れていただけだ。発作は
その延長線上にあった

 
それが死線を越えた今では、生きることに精いっぱいだ。
もとの体には戻らないが、毎日のリハビリ訓練を待つ心が
ある。
体は回復しないが、生命は回復しているという思いが
私にはある
。いや、体だって、生死を彷徨っていたころに比
べれば少しはよくなっている。
 
今日はサ行の構音が幾分聞き取れたと言語聴覚士が言っ
たとか、今週は麻痺した右の大臀筋に力がはいっていたと
理学療法士にほめられたとか、些細なことが新しい喜びな
のだ。
リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが、
私は生命力の回復、生きる実感の回復だと思う

 
まだ1人で立っていることさえままならないが、目に見えな
い何かが体に充ちてきている
。目に見える障害の改善は望
めない。でも、何かが確実に回復していると感じる。
どうもそ
れは、長年失っていた生命感、生きている実感らしい

 
・・・私の場合は、脳神経が侵されたのである。症状はよく
なるはずはない。毎年咲く花とは違う。でも長年失っていた
生命力が見えない速度で充実し、回復しようとしているのを
感じている。そんな力は、皮肉なことに体が丈夫なころには
感じることはなかった。
 
つらいリハビリに汗を流し、痛む関節に歯を食いしばりな
がら、私はそれを楽しんでいる。失望を繰り返しながらも、体
に徐々に充ちてくる生命の力をいとおしんで、毎日の訓練を
楽しんでいる」


こうして、リハビリに生きる力と人間としての
尊厳を感じとった多田さんだったが、
2006年、長期リハビリの日数制限という
診療報酬改悪が。



憂しと見し世ぞ

「それなのに小泉改革は、無情にもこうした障害者のリハビ
リを、最長でも180日に制限する『診療報酬改定』を2006
年に開始した。改革の名を借りた医療の制限である。・・・都
立病院などでは約7割の患者が治療を打ち切られた。リハ
ビリを打ち切られた患者の中には、機能が落ちて寝たきり
になり、実際に命を落とした人もいる。
多くの障害を負った
患者が、希望を失い、『再チャレンジ』を諦めざるを得ないと
いう非常事態に陥った。

 
私は新聞に投書したり、総合雑誌に書いたりして、この非
人間的暴挙を告発した。社会では最弱者の、障害を持った
患者が窮地に陥っていることを訴えた。同じ苦しみを実感し
ていた関西のリハビリ科の医師グループと、『リハビリテー
ション診療報酬改定を考える会』を作って、反対の署名を集
めることになった。
 
・・・ところが、受け取った厚労省は何の反応も示さなかっ
た。48万の国民の声は無視されたのである。
 
・・・長期にわたるリハビリを、なんとしても介護保険に強制
的に追いやろうとする厚労省の魂胆に、私は深い疑問と不
安をもっている。
 
・・・これは立派な国家犯罪である。私はまだまだ闘わなけ
ればならない

こうして私の中に生まれた『巨人』は、いつの間にか、政府
と渡り合うまで育ってくれた
。死ぬことばかり考えて、生きる
のを恐れていたころとは違う。
今は何も恐れるものはない。
命がけなら、私にもできることはあるだろう。厚労省に44万
人の署名を持って乗り込んだのだ。失うものは何もない

 
『巨人』は、相変わらず動作は鈍いし、歩くこともできない。
原稿を書くのも人の十倍の時間がかかる。まだ声は数音節
しか続かないし、発音は不明瞭だ。日常生活では相変わら
ず口数の少ない『寡黙なる巨人』に過ぎない。
 
でも私は彼を信じている。重度の障害を持ち、声も発せず、
社会の中では最弱者となったおかげで、私は強い発言力を
持つ『巨人』になったのだ。言葉はしゃべれないが、皮肉に
も言葉の力を使って生きるのだ

 
・・・今、厚労省の役人に負けてはいられない。これも弱者
の人権を護る戦いなのだ
。私は自分の中の『巨人』にこう語
りかける。今しばらくの辛抱だ。これまでの苦痛に比べたら、
何ほどのことがあろう。戦え。怒れ。のた打ち回れ。『寡黙
なる巨人』は声で答えることはできないが、心に深くうなずく
ものがあった」



いま、多田さんは、
後期高齢者医療制度についても
激しい闘志をもち、
「言葉の力」で、たたかいを挑んでいる。

「怒りに身が震えます。体さえ動けば1300万人の後期高
齢者と、その予備軍を結集し、『老兵連』を集めて反乱を
起こしたいぐらい。力はないが数はあるぞとデモしたい。
言い換えで誤魔化されるほど、後期高齢者は落ちぶれて
はいない」(『毎日新聞4月11日夕刊)


このすさまじい闘志を、
私たちはしっかり受けとめなければ、と思う。


長くなりました。



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2008年5月 1日 (木)

思考の冒険に、いざ!

最近読み終えた本。

『免疫の意味論』(多田富雄、青土社、1993年)

免疫学からみた、「自己」と「非自己」とは…。
その観点が新鮮でした。

人間の免疫機能の精巧さとそのネットワーク、
多様性に心底驚く。

が、全体として医学書的な雰囲気で、
(著者ははかなりやさしく書いているつもりだと思うが)
かなり難易度の高い本でありました。
すでに15年前の本でもあるので、最新の免疫に関する
理論を知りたいとも思いました。

ところで、世界的な免疫学者の多田さんですが、
2001年に脳梗塞で倒れ、重度の障害者に。
そのリハビリ記である『寡黙なる巨人』という本を
いま読んでいる最中なのですが、これは、
はっきり言ってものすごい本です。また後日紹介します。


『赤ちゃんの手とまなざし-ことばを生みだす進化の道すじ』
                    (竹下秀子、岩波書店、2001年)


簡単にいうと、
類人猿(チンパンジーやオラウータンなど)の赤ちゃんと、
人間の赤ちゃんの発達過程の比較研究によって、
人間の赤ちゃんの発達の特性を探っている本です。

いろいろと面白い発見がありました。

まず、人間の赤ちゃんが、類人猿の赤ちゃんよりも
得意な(発達が早い)姿勢があります。
それは、“あおむけ”と“おすわり”です。

“あおむけ”の利点は、
他者との対話的なコミュニケーションが可能になること、
「見られ-見る」という関係が成り立つことで、
他者の顔を識別したり、表情で気分を読みとったりする
ことが可能になります。
また、アイコンタクトしながら言語をかわしたり、
物を媒介にしたコミュニケーションの多様性が、
言語発達に関係するらしいです。

これに対して類人猿は、母親への「しがみつき」は
早くから発達します。つまりずっと母親に抱きついて
過ごすわけですが、これでは、母親と「目と目をあわす」
機会が少ないのです。また、手も自由になりません。

“あおむけ”姿勢や“おすわり”の得意な
人間の赤ちゃんは、手を使う自由と機会が拡大します。

“あおむけ”姿勢は、早くから、親から遊びのおもちゃを
与えられたり、“おすわり”は、より2本の腕を意識的に
使いながら、物をいじくることを覚え、1歳ごろからは、
それを道具として使いはじめることができるそうです。

人間は、生まれてからほぼ1年たつと、
 ・直立2足で歩く
 ・物を道具として使い始める
 ・言葉でコミュニケーションするようになる
という発達が見られます。

これらの行動は、いずれも人間と他の動物を峻別する
特性だと考えられているのですが、そのいずれもが
1歳代に発達してくるそうです。

人類進化数百万年の過程を、
赤ちゃんは、生後1年で“かけぬける”わけです。
すごいね…。


『新訂 キラリ看護』(川島みどり、医学書院、2008年)

ソワニエ用「読書日記」、2冊目。

93年に出版されたものの新訂版です。
旧版も2年前に読んでいますが、
新しくいろいろ補筆されています。

看護入門書として、ベストセラーの1冊であり、
すぐれた看護哲学の本でもあります。


『看護を語ることの意味-“ナラティブ”に生きて』
              (川島みどり、看護の科学社、2007年)


ソワニエ用「読書日記」、3冊目。

川島さんの本は、知的刺激が随所に得られるので、
ほんとうに得した気分になります。

「看護への情熱」がほとばしり出る本です。
私たちの運動へ生かせる共通性も
たくさんあるのですが
(「技能の技術化」「実践の言語化」という話など)、
メチャ長くなるのでやめておきます。


『生命(いのち)の感受性』(落合恵子、岩波書店、1995年)

気分転換のために読んだ1冊。
日記風のエッセイです。

やはり、この人の文章、好きだなー。
しなやかで、さわやかで、しっとりで。

共感した言葉。

「自らの感受性と論理性・・・。このふたつ、まったく別もの
のように、andで結んで語ることに、わたしは抵抗がある。
感受性と論理性は分かち難く結ばれた同根の枝ではない
かと思う。あるいは、1枚の葉の表と裏。いや、そうではな
い。もっと密接なもの、もっと重なり合ったものだと思う」

「この感受性と論理性が、『一体化したもの』を磨き、水や
りをし、さらに深めていく・・・。そんな作業を、わたしはわた
しの加齢の時と呼びたいし、そう呼べるような暮らしかたを
したい。丁寧に、けれどラジカルに」


『古典への招待 上巻』(不破哲三、新日本出版社、2008年)

「月刊学習」の連載時も目を通していたが、
雑誌連載は、あいだ、ひと月のスパンが空いてしまうので、
前号までの流れはスッパリ忘れてしまっていて、
1話完結型の読み方になりがちだった。

が、こうして1冊にまとめてもらって、
いろんな注なども加筆されているので、
一気に読むと、文献ごとのつながりや、
マルクス、エンゲルスの理論形成
(上巻では“疾風怒濤の発展”という色合いが強い)
の流れが頭にスッと入ってきて、
とても勉強になった。

ほんとうなら、紹介されている古典をわきに置いて、
文献にあたりながら読めばいいのだけれど・・・。
いつの日か(笑)、「歴史のなかで読む」という読み方を
実際に自分でもやってみたいと思うが、
いまはとりあえずその力量がない。

“革命三部作”もじつは読んだことがない。
パラパラとめくったことはあるけど。
まだまだ未開の領域である。

そういえば、さっき紹介した落合恵子さんの
本の中に、
まだ読んでいない本がたくさんあるということは、思考の
冒険のための未知の地が、わたしのために用意されてい
ることだ
」 というフレーズがあった。

まだまだ未踏の地ばかりの「古典への旅」。
30代のうちに大旅行へ出かけるぞ、
という野望をもたなければ。



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2008年4月16日 (水)

元旦から『宣言』かぁー

最近読み終えた本。
それぞれ読んだ理由はそれなりにあるのだが、
いつものように系統性まったくなし。


『芸術論ノート』(永井潔、新日本出版社、1970年)


文章をどうしてここまで難しく書くのか
わからないが、かなり読みづらかった。

「形」の認識から、美的感情や芸術は生まれたということ、
その形も、道具や生産物という、人間がつくりだした「形」が
出発点だったことなど、確認したかったことは、確認できました。


『心やさしきネパール-精神科医も癒されたトレッキング紀行』
                  (中沢正夫、山と渓谷社、1996年)


ネパール行きたい気持ちが
ふくれあがりました!

死ぬまでに、世界最高峰の山脈の
峰々を眺めてみたい。すごいんだろーなぁ。


『紙屋克子 看護の心 そして技術』
 (NHK「課外事業 ようこそ先輩」制作グループ+KTC中央出版編、
                            KTC中央出版、2001年)


「看護・医療」読書日記、今年の1冊目。

私もたまにみるNHKの「課外授業 ようこそ先輩」に、
看護師、紙屋克子さん(現筑波大学教授、専門は看護学)が出演。
北海道の母校で、「看護とは」「看護の心と技術」について
子どもたちと学びあう。

指一本で体位を変えてしまう技術に
まずビックリする。
紙屋さんの看護師としてプロ意識もすばらしい。
新人時代に、意識障害をわずらった患者さんの
家族から投げかけられた、
「これでは助けてもらったことにならない!」の言葉が、
看護の役割と独自性を考える出発点になった、という
話も教訓的。

「無関心ゲーム」「おじいさん・おばあさんへの聞き取りの宿題」
など、参考になるところもたくさん。


『手仕事の日本』(柳宗悦、岩波文庫、1985年)


民藝運動(みんげい)の創立者、柳宗悦さんの
日本の手仕事探訪記、ですね。

日本に残る、名もない職人たちによる「手仕事」の
数々を教えてくれています。
ずいぶんまえの著作ですので、
ここに描かれている「手仕事」でなくなってしまった
ものもたくさんあるんだろうと思います。

「元来我国を『手の国』と呼んでもよいくらいだと思い
ます。国民の手の器用さは誰も気付くところでありま
す。手という文字をどんなに沢山用いているかを見て
もよく分かります。『上手』とか『下手』とかいう言葉は、
直ちに手の技を語ります。『手堅い』とか『手並みがよ
い』とか、『手柄を立てる』とか、『手本にする』とか皆
手に因(ちな)んだ言い方であります。『手腕がある』
といえば力量のある意味であります。それ故『腕利(う
できき)』とか『腕揃(うでぞろい)』などという言葉も現
れてきます。それに日本語では『読み手』、『書き手』、
『聞き手』、『騎(の)り手』などの如く、ほとんど凡(す
べ)ての動詞に『手』の字を添えて、人の働きを示し
ますから、手に因(ちな)む文字は大変な数に上りま
す。
 そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接
に心と繋がれていることであります。機械には心があ
りません。これが手仕事に不思議な働きを起こさせる
所以(ゆえん)だと思います。手はただ動くのではなく、
いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、
働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするの
であります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を
与える原因であると思われます。それ故手仕事は一
面に心の仕事だと申してもよいでありましょう」


『観の眼 見の眼-服部文男随想集』
『思想の巨人を偲ぶ-服部文男追悼集』
        (服部文男先生の思い出を語る会、2008年)


先日亡くなられた、経済学者・社会思想家の
服部文男さん(東北大学名誉教授)の随想集と追悼集。

いつも思うのだが、一流の人は、
どうしてこんなに謙虚なのだろうか。
思想の『巨人』にふさわしい、服部先生の
あれこれを学ぶことができました。
語学力もすごかったんですね。


印象に残った(ビビッた)話をふたつ。

追悼集で、友寄英隆さんが、
「もうだいぶ以前に先生からいただいたお手紙の
なかで、
毎年、元旦には朝一番で『共産党宣言』
などの基本文献を読み直して、気分を新たにして
から、一年の仕事をはじめるのを習慣にしている

おっしゃられたことがありました」と書いていたこと。

・・・本物の共産主義者ですねshine


これも追悼集のなかから、鈴木英實さんの文章。

「趣味は『六法全書の間違いを指摘して、出版社
より図書券の謝礼を戴くこと』という言葉の緻密さ
厳密さ。ただ重箱のすみをつつくのではなく、その
中に重大な誤り、問題が潜んでいること、それを
手ほどきを受けた中で教えられました」

言葉の緻密さ厳密さ。
性格がいいかげんな私の課題です。
服部先生の姿勢から、少しでも学んでいきたいと思います。





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2008年4月 2日 (水)

孫三郎・独創・感性

最近読み終えた本。


『わしの眼は十年先が見える-大原孫三郎の生涯』
                (城山三郎、飛鳥新社、1994年)


全国集会が行われる倉敷のアピール力向上の
ために読んだ本。倉敷の街といえば、大原家。
大原家といえば、やはりこの人、大原孫三郎(1880~1943)。

しかし、この大原孫三郎に、著書はない。
城山三郎氏のこの伝記風小説をとりあえず読むことに。

これは、おもしろい!
かなり事実にそくした本でもある感じなので、
いろいろと勉強になった。

父が社長だった倉敷紡績を、孫三郎が引き継いだのは
27歳のとき。それ以降、驚くべきバイタリティと
行動力で、会社経営を発展させると同時に、
多くの社会的事業への貢献をする。

日本の資本主義の歴史のなかで、
稀有な資本家であったことは間違いない。

大原美術館や大原社研、倉敷中央病院の
創設などは有名だが、ほかにも
知らなかったことがたくさんあった。

へぇ!と思ったのは、
1932年、満州事変調査のために来日した
リットン調査団の一部団員が大原美術館を
訪れ、エル・グレコをはじめとする名画の数々が
展示されているのに仰天し、このことが、
「クラシキ」の名を広め、戦争のさいに、
世界的美術品を焼いてはならぬと、倉敷は爆撃目標から
はずされたらしい、ということ。

また、1907年、岡山に師団が設置され、倉敷へも
一個連隊が配置される動きとなった。
町では、金が落ちることにもなるからと、
受け入れ派が大勢を占めた。
これにたいし孫三郎は、まだ30歳にもなっていなかったが、
若い女子工員を大勢預かる身として、
「町の風紀をみだすおそれがある」と、はげしく反対した。
結局、孫三郎の強固な反対を前に、町は受け入れを断念、
軍隊をもたない町となった。そのことも、空襲を免れた
一因としてあるかもしれないという。

たしかに、倉敷に空襲の被害はなかった。
岡山や水島はあったのに。
そうした理由を考えると、なるほど、合点がゆく。
あの古い街並みが焼かれずにすんだのも、
孫三郎の隠れた貢献、ということでしょうか。

大原美術館の名画の数々は、
児島虎次郎がヨーロッパで買い集めたもの。
それもすべて大原家のお金で。
「絵を買ってよし。金は送る」と孫三郎。太っ腹である。
もともと大原家では孫三郎の父の代から、
同郷の有望な若者たちに奨学資金を援助していた。
その一人が画家の児島虎次郎だったのだ。

また、自分の工場の女工たちの
労働環境を気づかい、さまざまな改善の手をうつ一方、
職場環境の専門的研究をすすめるために、
労働科学研究所をつくった話も有名である。

とにかく、大原孫三郎が残した
業績や精神は、いまも輝いている、といえるだろう。
いや、いまだからこそ、こうした孫三郎の
企業人としての社会的責任、社会還元の姿勢から、
学ぶことは多いはずだ。

とても元気の出る学びとなった。
そして、おおいに刺激を受けた。


さいごに蛇足(これは本とは関係ナイ)。
憲法25条はGHQ案にはなかった純日本製
であることはわりと知られているが、
その25条を憲法制定国会(1946年)の
小委員会で入れさせる役割を果たした
社会党の代議士の1人が、森戸辰男だった。
じつはその森戸辰男は、大原社研の研究員で、
大原社研の資金援助でドイツ留学をして、
ワイマール憲法やソ連憲法を学んできたらしい。

また、大原社研の初代所長は、高野岩三郎であり、
彼は、鈴木安蔵とともに、GHQに影響をあたえた
草案をつくった憲法研究会の中心メンバーだった
ことも、付け加えておきたい。

大原社研研究員の森戸が25条を生む役割の
一端を担ったこと、そして、戦後、この25条に
命を吹き込んだたたかいが、岡山で起こった
「朝日訴訟」であることを考えると、
25条への岡山の貢献はナカナカのもの!
(若干無理がある?)
というか、岡山県人は、それを自覚せねばいけません!
25条は、岡山なんだ!(笑)


『独創の方法』(井尻正二、玉川大学出版部、1976年)


6月号の『学習の友』に書く原稿を考える
素材として読んだ本。
井尻さんは、古生物学、歯学、地質学が専門。
著書は膨大な数がある。

前半はかなりのメクリ読み。
後半がためになった。

ちなみに、
「独創を生み出すには」をまとめると、こういうことである。

①まず実践、である。

 「実践を媒介にした科学以前の経験の蓄積が、独創の
 基礎ともなり、底辺ともなるのである。そのために、若い
 年代のときに、豊かな自然や広い社会の経験をつみ、
 この基礎と底辺を拡大するように心がけることが絶対に
 必要である」

②すべての基礎は感覚(感性)である。

 感性にもいろいろある。
 「感性とは、感覚器官を通して客体を反映し、感覚器官を
 通して反応(作用)する思惟能力である」
 この種の感性は、遺伝的、自然的基礎に由来する。
 こちらは、どちらかといえば、受動的な感性である。

 第2に、
 「社会的な、人間的な感性」というものがある。
 こちらは、能動的な感性といえる。
 「社会を構成し、生産労働をする人間に、歴史的に
 きずきあげられてきた感受能力」ということ。

 これらの感性は、科学の基礎となり、
 独創の契機となる。
 そして、これらの感性は、「鍛える」ことができる。

③しごきに耐える。

 「私は独創力も人間的な努力で身につけることが
 できると確信している。そしてその第一は、『しごき
 に耐えること』、すなわち『訓練をいとわないこと』に
 あると思われる」

 独創につながる訓練の意義について。
 「科学にしても、芸術にしても、はたまたどんな職業に
 しても、その道の先輩たちがきずいてきた成果を伝承
 することなしには、何事も成立しないし、発展しない、
 ということである。そして、このような先人がもつ知識・
 技術・蓄積などを体得するためには、やはりそれ相当
 の訓練が必要である」
 「このような訓練によって、私たちの思考と反応が条件
 づけられる」

④量から質へ。

 「自分の専攻するテーマに関係のある資料を、標本で
 も、文献でもなんでもいい徹底的にあさって勉強するこ
 とは、まさに量から質への転化として、独創をよびおこ
 すゆえんである」

 「こうした資料の蓄積は、頭の中でも行うことが必要だ
 と思われる。それには、できるだけたくさんの文献を
 読むことと、四六時中、問題のテーマを考え続けること
 -たえず、そのテーマに関心をよせていること-が大
 切になってくる」

⑤否定的精神。

 「実践の問題にしろ、感性の問題にしろ、しごきの問題
 にしろ、その背後に“なにくそ”という否定的精神がそな
 わっていなければ、その機能を十分に発揮することは
 できないと思う」

 「私は否定的精神の『否定』という言葉の意味をつぎの
 ように解している。(ⅰ)まず否定はたんなる破壊やもの
 ごとを無にするような否定ではなく、制限つきの否定であ
 る。(ⅱ)つぎにそれは、プラスの側面を保持する(肯定
 する)という否定でなくてはならない。(ⅲ)そして最後に、
 その否定によって、ものごとがその命脈にそって一段と
 発展するような否定でなくてはならない、ということである」

⑥根本は思想である。

 「思想というものは、当面するすべての事件や経験を、
 統一的に、体系的に考え、かつ解決していく力の源で
 あって、このような力が逆流すると、新しい組織づくり、
 新しい発掘法の考案、その結果としての新しい発見、
 新しい仮説の発想といったぐあいに、すべての独創に
 結びつくものである」


以上、私が線をひっぱった所を中心に、
書いてみました。参考になりましたか?
さて、この学びが活きるかどうか。
それはまだ、自分にもわからない(笑)。


『井尻正二選集 7 随想-感性と思想』(大月書店、1982年) 


感性とは何か?を考えるために
買ったのだけれど、あまりそういうことについて
書かれてはおらず。がっくり。

が、思わぬところで「おお!」となる。
それは、「ヒトの手のふしぎ」という短い文章だ。

最近、私は「手」にこだわっている。
人間の手は、人間らしさを学ぶ格好の
材料である、と思っている。
それは、ほんとうに、いろんな意味として。

でもって、「手」にまつわる話に飛びつくのが
最近の私なのであります。

たとえば、
相方が購読している『看護実践の科学』という雑誌がある。
(相方は看護師ではありません)
私も時間があるときにチラチラとながめている。
とても学ぶことが多いからである。
で、『看護実践の科学』4月号に、講演のお知らせで、
川島みどりさんが、
「手からはじまる看護-ふれる手 いやす手 あいだをつなぐ手」
というテーマで話をするというのが載っていた。
これはかなり興味津々である。聞いてみたい。
そんでもって、これをヒントに、
「手からはじまる労働組合論」を、考えようとたくらんでいる。
これは、おもしろいよ(自画自賛)。

以上は横道話だが、
井尻さんの文章に戻ると、
「人間の手はなぜ5本なのか」という問題は、
3億年も前に由来している、という話。
(40年前の研究到達なので、今は違うかもしれませんが)

また、ヒトとサルの手の違いには、「なるほどぉ!!」と
興奮しました。やはり人間の手はすばらしい。

・・・という、目的以外の学びに
出会えた本でありました。

「教育とは、まず感動をあたえること」という
井尻さんの信念にも、共感しました。




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2008年3月23日 (日)

ウフフ…とかヤヤヤ…とか

最近読み終えた本。

近ごろの忙しさは異常である。
本がなかなか読めないとストレスがたまるのだ。
ウオォォォー(発狂)。


『労働組合の視点』(槙野理啓、学習の友社、2008年)

60ページというコンパクトな分量のわりに、
中身はゴージャス! わかりやすい!

普及せねば、普及。
友社なんだから、仕事だゾ。


『労働ビックバン-これ以上、使い捨てにされていいのか』
             (牧野富夫編著、新日本出版社、2007年)


週末の学習会の材料づくりに読んだ本。
レジュメつくらんと、レジュメ。
ウオォォォー(ふたたび発狂)。


『諸行有情-精神科医のつぶやき』(中沢正夫、新日本出版社、1994年)

さいきんすっかりお気に入りの中沢先生の本。
ピッタリくるのは、私と性格が似ているからかも。
いいかげんなところが(笑)。

中沢さんの文章表現力は、すごく勉強になる。
とくに、カタカナの使い方がうまい。
さっそく、ちょこちょこ真似てしている。

この本についての著者の説明・・・。

「ちょっと拾ったいい話や、5~6人しか知らない
面白い話、ひとり悦にいっている主張、平凡だが
生きていてよかったナという話を書き綴った本も
あってよいと思った、―というわけなので、
ウフフ…
とかヤヤヤ…とか、あほ!とかつぶやきながら笑っ
て読んで
、読み終わったらすばやくテレビのスイッ
チをいれ、浦和レッズはしょうがないな、何とかな
らないか・・・などと叫んでください」

とのこと。

ほんとうにこのとおり、気軽に読める。
いつも寝る前に少しずつ読んでいたのだけれど、
たまに「ふふっ」とか笑ったりしながら読んで
たので、相方に白い目でみられましたよ(笑)。

もちろん、ヘーとか、ホーとか、
勉強になる話もたくさん。

さて、次の中沢本、どれを読もうかしら。
ネパールかな。


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2008年3月13日 (木)

ストレス「善玉」論

最近読み終えた本。
まったく系統性なし。


    ,
『信じぬものは救われる』(香山リカ×菊池誠、かもがわ出版、2008年)


「いろんな人と話していて必ず話題になるのは、
江原さんは、いったいどれぐらい意図的にやって
いるかということ。みんな知りたいと思っている。
ウソ発見器とか付けてみたいです『誰にも言わな
いから、本当はどう、ちょっと言ってみて』って聞い
てみたい」


世の中の世相をキャッチする力に抜きん出た、
精神科医の香山リカさんと、『水からの伝言』問題を
きっかけに、ニセ科学への警鐘をならす物理学者・
菊池誠さんの、テンポよい対談本です。


だます人、だまされる側の人びとの、立場や精神
構造にスポットをあて大きな社会背景も視野に、
オカルト、スピリチュアル、ニセ科学、単純思考
などが、幅広く語られます。


そうか、江原啓之のあのガタイは計算的なもの
なのかもなぁと、妙に納得したり。
頭から否定するのではないスタンスにも共感。


血液型性格判断、マイナスイオンなど、信じる人が
多い、根深い問題も語られ、おもしろい。


「知識は役に立つとかだけでなく、多分、考えを
自由にしてくれるとか、幅を広げてくれるとかいう
ことが理解できればいいですよね」(香山)

「格差社会とかワーキングプアとかいう現実がある
ときに、あきらめてしまわないために必要なのは、
やっぱり知識でしょう」(菊池)

最後は市民運動への注文も。


『原爆災害-ヒロシマ・ナガサキ』
 (広島市・長崎市 原爆災害誌編集委員会編、岩波現代文庫、2005年)


まだまだ知らないことが多くあるなぁと実感。
淡々と事実を叙述するスタイルで、
証言はあまり出てこないが、その分、
原爆被害の実態を冷静に多面的に検証している。


『毀(こわ)された「日本の食」を取り戻す』
                 (滝澤昭義、筑摩書房、2007年)


だいたい知っていることが多く、
知的刺激は少なかったのですが、
あらためて、日本の食の問題を
整理しなおしました。

「日本の伝統文化に誇りを」といっている
自民党の政治家連中が、
日本人のすぐれた伝統文化である
「日本の食」と、「日本人の命」をアメリカや
外国に売り渡すという恐ろしさ。

お米ダイスキ、日本の食文化ダイスキの
私としては、ほんとうに許せん!!


『ストレス「善玉」論』(中沢正夫、岩波現代文庫、2008年)

これはスマッシュヒットの1冊!


著者は、先日の読書日記でも紹介した、
『ヒバクシャの心の傷を追って』(岩波書店)の、
中沢正夫さん。民医連の精神科医の方です。

『ヒバクシャ…』を読み、巻末にあった著者紹介や
ネット検索で、中沢さんには他にも読みごたえの
ありそうな本がわんさかあることを知りました。

さっそく6冊ほどめぼしをつけて購入。
読み始めています。

この『ストレス「善玉」論』は、すばらしくおもしろい!

何より、中沢さんの文章は、読んでいて楽しい。
そして、洞察は深くて、思考は柔軟。

中身は、現代人、とくに職場をめぐるストレスへの
対処法、思考法なのですが、
ひと言でいえば、まさに弁証法、なのですよ。

それは、ぜひ読んでみてください、としか言えないのですが。

紹介したい内容が多すぎるときは、
とりあえず、目次のみの紹介、とします(笑)。


第1章 ストレス「悪」論の時代
 ストレスについて書くことはストレスである
 私のストレス「病」暦
 体が泣く時代なのだ
 ストレスは悪玉なのではない
 ストレス下で症状を呈す人のほうが正常なのである
 ストレス弱者論はなぜ出てくるか
 “いなす”しかない
 まとめと蛇足

第2章 ストレス国の住人たち
 1.恐怖のトイレ人「類」考
 2.「やさしさ」について
   ある離婚
   やさしさと弱さ
   家出する親たち
   娘も新人類
   「真」人類考
 3.主婦と住居と狂気と
 4.蒸発願望について

第3章 精神科医“初老”日記
 1.中年期危機について
 2.私のノイローゼ
 3.「老い」への身づくろい
 4.わくら葉の夏

第4章 心の安定装置
 1.「正常な心」についての極私的定義
 2.性格に良し悪しはない
 3.心の安定装置について
 4.“好き嫌い”に理由はない
 5.読者への5つの追伸
   自惚れのすすめ
   新「親馬鹿」のすすめ
   「思いきりの悪さ」のすすめ
   病むことのすすめ
   反骨のすすめ

第5章 安心のための十ヵ条
 1.逃げられるだけ逃げよ

 2.浮気せよ
 3.時々、自分にきびしく
 4.グチをいえる人を二人つくる
 5.いつも悪いほうの結果を予測しておく
 6.自分の生活のくせ、パターンを分析しておく
 7.八方ふさがり「一歩」をつく
 8.不利のなかの「有利さ」を「待つこと」
 9.もう1人の自分をつくる
 10.もう既にストレス症状がでている人のために

補遺 職場の同僚が潰れたとき、復帰してくるとき
 1.同僚が潰れそうなとき
 2.休まれてしまったとき職場でなすべきこと
 3.回復して出てくる人の迎え方
 4.もとのペースに戻すまでの期間の長い援助
 5.事例から学ぶべきこと



ある意味でのいいかげんさをもつこと、
中途半端さに意味をもつ力、
原則的だからこそ柔軟な発想が可能。

いろんなことを教えられる本です。
職場の矛盾につぶされそうな労働者のみなさん、
忙しい活動家のみなさん、
深刻になる前に、ぜひ一読を。




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2008年2月29日 (金)

「果てしない痛み」

最近読み終えた本。
今日は書きたいことが山ほどあります。
ので、長くなります。最初に表明しておきます(笑)。


『NHK知るを楽しむ 人生の歩き方
 2月「野村克也 逆転の発想」 3月「石川文洋 戦場を撮る・人間を撮る」』
                                (NHK出版、2008年)


本屋でたまたま見つけたもの。
野村克也と石川文洋という、
「1冊で2度おいしい」中身にひかれた。
石川文洋さんの分は、これからの放映予定となっている。

文洋さんも良かったのですが、
やっぱりノムさんのほうが印象深く残りました。
少年時代の極貧生活。
プロ野球に入るまでの苦労や、
南海に入団してからのエピソードの数々も
すばらしくおもしろい。

また、解説者になってから、
「さまざまな分野の本を読むようになった」という。

「評論をやるには一定の判断基準が必要になる。
そのためには
知識の幅を広げて、自分なりの思想、
哲学を持たなければならない
と思った」

思想や哲学をもつには、「知識の幅を広げる」こと。
野球専門ではあかんということです。共感!

そして、ID野球について。

「つまりは『頭を使って野球をしろ』ということなんです。
たとえばピッチングならば、
目的意識のない球は投げ
るなということ
。…我々が入った頃は『気合いだ、根性
だ!』っていう精神論の時代でしたからね(笑)特別な
根拠もなく、何となく投げていたことが多かったように
思います…キャッチャーには『根拠のないサインは出
すな。こういう理由があるから内角、こういう場面だか
ら変化球と、根拠をもったサインを一球一球積み重ね
ていけ』と厳しく指示することにしています」

これは、私たちの活動にも言えることだと思う。
目的意識のない会議、根拠のない課題提起、
つまり「なんとなく」「今までやってたから」というケースが
多すぎるような気がします。

最後のページの野村哲学も良い。

「野球人である前に一人の人間としてどう生きるか、
が重要ですからね。『人間はなぜ生まれてくるのか、
何のために生まれてくるのか、考えたことあるか?』
なんて質問を選手たちに投げ掛けることもあるんで
すよ。・・・選手たちに考えさせるんですよ。野球は
やっぱり『人』。団体競技でチーム最優先であること
は前提としてありますが、そのためには個人ひとり
ひとりの生き方や価値観が大切になってくる。自分
がどう生きるべきかを考えれば、野球観もおのずと
変わってくるはずですよ」


『きのこ雲の下から、明日へ』(斉藤とも子、ゆいぽおと、2005年)

原爆小頭症。
母親の胎内で被爆した、もっとも若い被爆者です。
1945年8月の時点で、3か月とか、5か月だった小さな命。
原爆による放射線は、容赦なくその小さな体を貫きました。

特徴は、出産時とても小さく、成長は遅く、
知的障害をもっていること。

原爆による障害であることは明らかであるにも
かかわらず、原爆が「うつる」と言われた時代、
障がい者への差別や偏見もあった時代です。
20年間にわたり、原爆小頭症の子どもたちのことは
おおやけになりませんでした。

1965年6月に、作家の山代巴さんらの「広島研究の会」が
9名の原爆小頭症児をみつけだし、同じ痛みをもつ親子が
初めて集うことになりました。

「きのこ会」という会が生まれたのです。

「きのこ雲の下に生まれた子どもたち。たとえそうで
あっても、落ち葉を押しのける『きのこ』のように、す
くすくと逞しく育ってほしい…」
という思いがこめられた名前です。

井上ひさしさんの『父と暮らせば』のお芝居で、
美津江役を演じた斉藤とも子さんが、原爆小頭症と出会い、
自らの使命として、「きのこ会」の歩みと、その家族の
40年を綴った1冊です。

私自身、こうした人たちの存在は、
これまでまったく知りませんでした。
いや、どこかで文字として読んだかもしれまでんが、
記憶にとどまることはなかったのです。

しかし、この本を読み、
あらためて原爆のことについて考え、
向きあうこととなりました。

きのこ会の家族の人生や生活が丹念に
書かれています。
そして、あらためて感じたこと…。

それは、被爆者の方々の人生や生き方から、
私たちはとても多くのことを学ばされる、ということ。

原爆は、“人間らしさ”とはもっとも対極にある、
「悪魔の兵器」と呼ばれるものです。
その原爆とのたたかいを一生宿命づけられた
人びとの苦悩や、それでも前を向いて生き続ける姿。

“人間”を押しつぶすものとのたたかいのなかに、
人間らしさ、の本質がにじみ出てくるのではないでしょうか。
それをしっかり受けとめたいと思います。

また、エピローグでの、斉藤さんの最後の言葉。

「きのこ会が遺してくれたもの。
いのちをかけ、身をもって示してくれた、
原爆が人間に与える、果てしない痛み。
そして、人は人によって、生かされるのだということ」

来月の倉敷医療生協労組での、
「みんなの学校」4回目の講義のために
読んだ本ですが、この「果てしない痛み」が、
講義の、ひとつのキーワードになると思います。
そして、もう一つの柱は、被爆者の人生やたたかいから
学ぶこと。講義のイメージが、ほぼ固まりました。


『朽ちていった命-被曝治療83日間の記録』
       (NHK「東海村臨海事故」取材班、新潮文庫、2006年)


1999年9月30日。
茨城県東海村で起こった臨界事故。

ウラン燃料の加工作業を行っていた、
大内さんと篠原さんは、中性子線をまともに
あび、被曝。

被曝量が8シーベルトをこえた場合の死亡率は100%。
大内さんの被曝量は20シーベルト前後だったという。

83日後に大内さんが亡くなるまでの、
壮絶なたたかいを追ったドキュメント。

東大病院で、現代医学の総力をかけ、
集団的な治療体制をもってしても、
放射線に貫かれ朽ちてゆく、
人体を再生することはできなかった。

驚いたのは、被曝後6日目、顕微鏡に
写しだされた大内さんの染色体写真(本に写真がのっている)。

まったくバラバラに破壊されているのだ。
染色体がバラバラに破壊されるということは、
今後新しい細胞がつくられないことを意味している。
被曝した瞬間、大内さんの体は、「生命の設計図」を
失ってしまっていたのだ。

血液を専門として20年になる、平井医師にとっても、
大内さんの染色体は、
これまでの知識と経験をはるかに超えるものだったという。

「病気が起きて、状況が徐々に悪くなっていくのでは
ないんですね。放射線被曝の場合、たった零コンマ
何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる。
ふつうの病気のように血液とか肺とかそれぞれの検
査値だけが異常になるのではなく、全身すべての検
査値が刻々と悪化の一途をたどり、ダメージを受けて
いくんです」

3年ほど前に読
んだ、『原爆投下・10秒の衝撃』(NHK出版)
という本を思い出し、ひっぱり出してみた。

原爆が爆発するまえ、
0秒から100万分の1秒のあいだに、
猛烈な核分裂により、「中性子の雨」が、
爆心地付近の人々に、ふりそそいだという。

中性子は大内さんのケースのように、
染色体をこなごなに破壊する。
家の中にいてもダメで、日本家屋は中性子を
半分ほどしかさえぎらないという。

「この中性子こそが、原爆の最初の攻撃の矢となった。
中性子は人体に多大なダメージを与える。中性子は
あらゆる物質を通り抜け、地上に達し、あらゆるものを
突き抜ける。家の中にいても、避けることはできない。
また、中性子は、空気や水、土などあらゆる物質の
原子核にぶつかり、核反応を引き起こし、新たな放射
線を生み出す」
人々が原爆の閃光を見る前に爆弾から放たれた放
射線は、爆心地の人々に死の刻印を押した

               (『原爆投下・10秒の衝撃』)

「あの日」。熱線や爆風の以前に、
広島の爆心地の人々は、中性子という
「人間の生命」そのものを粉々に破壊する
放射線をあび、死を運命づけられた。

その意味が、大内さんの染色体の写真を
みて、本当に恐ろしいイメージとして浮かびあがってきた。

大内さんは、被曝後、最初の数日は、
看護師さんや医師ともコミュニケーションがとれ、
元気に会話もできた。
しかし、「死の刻印」を押された大内さんの体は、
すさまじい勢いで朽ちてゆく。
さまざまな治療がほどこされるが、それも焼け石に水、
という状態となる。

放射線のおそろしさを、これほどリアルに実感できる本は
おそらくないだろう。

巻末に「解説」の一文を寄せている
柳田邦男さんは、こう書いている。

「私にとっては、核兵器による被爆も原発事故による被曝も、
同じ視野の中にあった。その経過の中で、私は大量の放射
線が人間にもたらすものについて、わかったつもりになって
いた。そのわかったつもりを打ち砕かれたのが、本書によっ
てだった。
 ・・・大内氏の体内では、放射線被曝の瞬間に、細胞を秩
序立てて再生してゆく“生命の設計図”を秘めた染色体が、
専門家の知識と経験をはるかに超えるほどのひどさで、め
ちゃくちゃに破壊されていた。
 ・・・最先端の薬や技術を総動員しても、あらゆる臓器、組
織、機能が総崩れになっていくのを食い止めることができな
い。その凄まじい病態・病状の記述に私は息を呑むと同時
に、ハッと気がつくことがあったのだ。
 ・・・
大内氏の83日間の凄絶な闘いのディテール(細部)を
知った上で、原爆被爆者たちの病状の記述を読み返したと
き、簡潔な医学的記述の向こう側にあった重症被爆者たち
1人1人の死に至るまでの、むごいとしか言いようのないプ
ロセスが、突如物凄いリアリティをもって見えてきた


広島や長崎の爆心地付近で奇跡的に助かった
人びとに、「死の刻印」は容赦なかった。
大内さんのように最初は元気に歩けたり、話ができていた
人が、急に嘔吐や下痢をしはじめ、あっというまに亡くなってゆく。

核兵器・放射能の恐ろしさを、これでもかと、思い知らされる1冊だった。
なお、直接的な放射線被曝の他に、
放射性物質を体内に取り込む内部被曝の問題については、
『内部被曝の脅威』(ちくま新書)をぜひ読んでほしい。


『全員勝ったで!-原爆症近畿訴訟の全面勝訴を全国に』
    (原爆症認定近畿訴訟弁護団、かもがわブックレット、2006年)


原爆症認定集団訴訟の問題について
整理がつき、よくわかります。

放射線影響研究所の前進がABCCだったとは。
そして、その放影研のデータや論拠をもとに、
厚生労働省が被爆症認定を行い、
被爆者をバッサバッサと切りすてる・・・。
なんなんだ!この国は!

被爆者を先頭にしたたたかいのなかで、
「新しい基準」がつくられようとしていますが、
まだまだたたかいは続くことが予想されます。

被爆者は、原爆・核兵器とたたかいながら、
この国ともたたかわなければならない。
憤りを感じる。


『ヒバクシャの心の傷を追って』(中澤正夫、岩波書店、2007年)


私は、2005年の8月に、
広島・長崎の世界大会に行き、9日間をとおして、
現地を歩き回り、また文献も読みあさった。

そのとき、被爆者の人びとの手記もたくさん読んだ。
何度も涙がでた。そして、被爆者の「心の痛み」についても
ある程度理解していたつもりでいた。

が、この本は、そうした私の浅い理解に
痛烈なパンチをあびせかけた。

「果てしない痛み」の意味が、ぼんやり見えてきた。

実際は見ているはずなのに、記憶を封じ込めている
「記憶の欠損」。
「見捨て体験」「感情の麻痺」という“心の傷”も、
手記や文献などを読んで知ってはいたが、
それがどういう精神的な立体構造のなかで起こって
くるのかということについて、この本では深く掘り下げている。

著者は、精神科医。
精神分野の著書もたくさんある。
その著者が、これまでの先行研究を土台に、
ヒバクシャの心の傷の変化に焦点をあて、
追っている。

読むのはかなりしんどい。
とくに3章の「見捨て体験とその記憶の再現」は、
ずっと泣きっぱなしで本を読んでいた。

心の傷は、もちろん人それぞれ違いがあるが、
特徴的な共通性もある、という。
しかも、月日がたつにつれ、
微妙に内容が変化し続けている。

最初は、PTSDにつきものの「フラッシュバック」であり、
「あの日」の情景が浮び上がってくる。
次第に、「自分が助けられなかった、見捨てた人びと」
という個人的なエピソードが加わる。
そして、人の死や苦しみを見ても「何も感じなかった」という
感情麻痺から、「自分が生きていることの罪」の意識が
強くなる、という。それは無意識の自己防衛でもあったのだが。

そして、被爆者が今、当面しているのは、
「生きていることの罪」意識よりも、
「ここまで生き残ったことの意味」を問う作業だという。

また、「サイレント・マジョリティ」。
今も原爆の体験を語れない多くの被爆者の存在の
なかにこそ、心の被害の本質がある
、と指摘している。

被爆者の心の傷は、緩和されることはなく、
より深化している。
私たちが、その「心の傷」を本当のところで
理解することは、難しいかもしれない。

が、著者の中澤さんのように、
その「心の傷」に寄り添うことはできるはずだ。

そして、運動をし続けること。
それが私にできることだと思う。



・・・うーむ、何を整理したいのか、
自分でもわからなくなってきた。
まだ、学んだことを消化しきれていない。
とりあえず、このへんで終わりにしときます。

「みんなの学校」4回目の講義までに、
なんとかまとめる作業をしたいと思う。



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2008年2月14日 (木)

とにかく、むちゃくちゃだ

最近読み終えた本。
雇用破壊、貧困問題です。
どれも、もうちょっと早く読んでおくべきでした。



『偽装請負-格差社会の労働現場』
           (朝日新聞特別報道チーム、朝日新書、2007年)


キャノンや松下などの大企業に
おける偽装請負の実態にせまったもの。
企業名をガンガン出して、
記者集団が問題を追及していきます。
いい仕事をしてます。応援したい。

偽装請負の問題点も整理できて、有益でした。



『雇用融解-これが新しい「日本型雇用」なのか』
                 (風間直樹、東洋経済新報社、2007年)


これも、若い記者(私よりも若い)のすばらしい仕事。
頭がさがりました。

派遣や偽装請負、個人請負、外国人研修生、
正社員の雇用実態にせまっています。
もちろん企業の実名入りで。

また、堤未果さんの『貧困大国アメリカ』に登場する
アメリカの貧困ビジネスと共通したことが起きていることも実感。
たとえば、日本一雇用情勢の厳しい青森の人を
ターゲットにした請負業界の人集め戦略など。

そーいえば、この前新聞広告みてたら、
『週刊東洋経済』が、「売り上げ伸び率NO.1週刊誌」って
書いてたな~。最近いい企画連発してるもんな~。

『学習の友』も「売り上げ伸び率NO.1月刊誌」をめざし……。
どりーむ、かむ、とぅるー、ですよ! 言うのは自由です(笑)。
『主婦の友』も休刊になるみたいですけど。
明日はわが身か?名前が似てるし(笑)。
・・・蛇足でした。



『公共サービスが崩れてゆく-民営化の果てに』
             (藤田和恵、かもがわブックレット、2008年)


藤田和恵さんの本は、読むしかないでしょ。

なぜなら、前著、『民営化という名の労働破壊』(大月書店)を
読んだときに、巻末に著者のメルアドが書いてあったので、
読後の感想を送ってみたら、本人から直接お返事があって、
とても感激したことを覚えていますもので。
はい、個人的な理由です。

こんどのこの著書も、藤田さんらしい視点(あたたかい)と
迫り方で、さまざまな公共の労働現場の実態を
明らかにしています。

まだまだ公務職場への偏見をもっている人は
たくさんいますので、ぜひ読まれることをオススメします。

(ワラセンセイ、これが今度の講義のネタ本に
なりますので、よろしくお願いいたします)



『もうガマンできない!-広がる貧困』
       (宇都宮健児・猪股正・湯浅誠編、明石書店、2007年)


『貧困襲来』(湯浅誠、山吹書店、2007年)


私の貧困問題への認識はじつに中途半端であったと、
痛切に反省させられました。

貧困の最前線で奮闘されている方々の
実践と深い認識に学ばされること大でありました。

とくに湯浅さんの本は、
貧困問題を語ろうと思えば必読です。

さて、この学びが、
来週の講義に生きればよいのですが…。



以上、今回は読んでいて楽しい本は
1冊もありませんでした…。

いのちや人の尊厳がズタズタにされ、
使い捨てにされるのを見るのは、
もうイヤダぁぁ!! 苦しいよ。



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2008年2月 1日 (金)

イチ押し-堤未果・最新刊

最近読み終えた本。

『自然体のつくり方』(齋藤孝、角川文庫、2007年)

齋藤さんの本を読むのは久しぶり。
最近だされているものにはビビッとこなかったんですが、
これはなんとなく「読んでみようかな」と思いました。

「レスポンスする身体づくり」ということが、主題。
つまり、他者との距離関係をつかみ、
会話やコミュニケーションを発展させる技、ということ。

齋藤さんは、「無反応な冷たいからだが増えている」
という危機感をもっていています。
つまり、あいさつをしても、まったく反応がなかったり、
うなずきなどの応答のサインができない身体になっている、と。

私も、人前で話をする機会があるので、
この「応答のあるなし」ということには、敏感です。
うなずきながら自分の話を聞いてくれる人がいれば、
しゃべる側は励まされ、さらなるエネルギーが
わいてくるものです。

また、「アイコンタクトの技化」というのも、
興味深く読みました。
目をあわせるって、やっぱ恥ずかしいですからね~。


『フューチャリスト宣言』(梅田望夫・茂木健一郎、ちくま新書、2007年)

個々の部分での異論や「保留」はありますが、
この本全体をつらぬく思想(未来志向)には、
とてもとても共感しました。

「未来は予想するものではなく、創り出すものである。
そして、未来に明るさを託すということは、すなわち、
私たち人間自身を信頼するということである」

私のブログの方向性も間違っていなかったんだなと、
確信がもてました。もっともっと書くぞ~。


『虚像(メディア)の砦』(真山仁、講談社文庫、2007年)

久しぶりに、なにか小説を読みたくなり、
本屋をぶらついていて、手にとったもの。

去年ハマッタ、NHKの土曜ドラマ『ハゲタカ』の
原作者の小説なので、「はずれはないだろう」と
思ったのですが、やっぱり「あたり」でした。

今度の舞台はズバリ「テレビ業界」。
イラクでの日本人人質事件や、最近のお笑い番組を
題材にしながら、巨大メディアの実相にせまる力作でした。

視点がきちんとしていて、しかも小説としても
おもしろいので、一気に読めます。
テレビの腐敗はまったくすごいものですが、
その再生に情熱をもつ人びとも、存在するのです。

が、この小説にかぎっていえば、
『ハゲタカ』のような、ドラマ化は絶対にないでしょう。
山崎豊子ばりのえぐり方ですから。

もしこの小説がドラマ化されたならば、
それは、本当にテレビという巨大メディアが
真の意味で再生したとき、だと思います。


『ルポ 貧困大国アメリカ』(堤未果、岩波新書、2008年)

「いつでるのかな~」と待ち続けた、
堤未果さんの最新刊。期待どおりの内容でありました。

日本の5年先をゆく、といわれるアメリカの貧困実態。
それはもう、ほんとうにすさまじい。
そして、つくられた貧困層をターゲットにした、
「貧困ビジネス」の跋扈(ばっこ)。

民営化された戦争に、そうした貧困層の若者が
吸収されていく実態もリアルに伝わります。

しかし、堤さんは、市場原理主義の大きな構造に対抗し、
連帯をはじめた人びとの姿にもスポットをあてます。


そして、民主主義には二種類ある、と提示しています。

ひとつは、“経済重視型の民主主義”。
 そこでは、利益や利便性に価値がおかれ、
 国民1人ひとりは、消費者や捨て駒として扱われる。

もうひとつは、“
いのちをものさしにした民主主義”。
 環境や人権、人間らしい暮らしに光をあて、1人ひとりが
 健やかに幸せに生きられる社会を作り出すこと。
 国民は個人の顔や生きてきた歴史、尊厳を持った「いのち」
 として扱われる。


「あとがき」には、堤さんの人間性がかいまみれ、
そのかたい決意は、
私たちの背筋をピンと伸ばすに違いありません。

他にもたくさん学んだことはあるのですが、
それは、今後のいろいろな講義で紹介して
いくことにしたい、と思います。

いまイチ押しのジャーナリストの、イチ押しの新書です。


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2008年1月21日 (月)

「新・労組コース」は良い

最近読み終えた本。

勤労者通信大学「新・労組コース」(非売品)

これから募集をしなければならない勤通大のテキスト。
金曜日に届いたので、さっそく週末読んでみました。

予想以上に読みやすく、学びやすくなっていました。
これは自信をもって押し出していけそうです。
イラストもGOOD! 受講料12,000円です。
労働組合運動にかかわっているみなさん、
ぜひまわりの仲間と受講してくださいね。


『理不尽社会に言葉の力を-ソノ一言オカシクナイデスカ?』
                 (小森陽一、新日本出版社、2007年)


言葉は両刃のヤイバ。
それを自覚しながら、とくに組織者は
言葉を磨かなければいけませんね。


『戦後日本は戦争をしてきた』
        (姜尚中・小森陽一、角川oneテーマ21、2007年)


2人とも、知識が幅広い。
とくに、小森陽一は専門外なのに。


『墜-沖縄・大学占領の一週間』(白川タクト、新日本出版社、2007年)

沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件(2004年)を
いろんな角度から掘り下げた1冊。

あらためて、沖縄に陣取っている米軍の
すさまじい治外法権ぶりがわかります。

あの壁、もう撤去されちゃったんだよねー。
大学側にしたら、たしかに「アブナイ大学」と見られて、
学生がこなくなるという死活問題なんだろうけど…。



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2008年1月 9日 (水)

マッカーサーの二千日

旅行中は結局あまり本は読めず。

『反デューリング論』は上巻のみ読了。
10年ぶりぐらいに読みましたが、
前回(はじめて)読んだときは「難しいなぁ」という
印象が強く残ったのですが(線もあまりひいていない)、
今回はガンガン線をひきまくりました。
少しは成長しているということかもしれません。

いま下巻を読んでいるところです。


あとは、
『マッカーサーの二千日』(袖井林二郎、中公文庫、1979年)
を読みました。

戦後初期のGHQによる占領政策が、
日本社会の方向性を深く規定したという事実。
その中心にいたのが、ダグラス・マッカーサー。
彼の「個性」が良い面でも悪い面でも、
そうした日本のあり方を方向づける
要素のひとつになったといえそうです。

読み物としてもなかなか面白いですが、
若干、断定・決めつけが強いところも。

お父ちゃんも軍人でフィリピンに関わりが
あったとは知りませんでした。



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2007年12月18日 (火)

物語を語ること

最近読み終えた本。

『変貌する財界-日本経団連の分析』
           (佐々木憲昭編著、新日本出版社、2007年)


政治をカネで買収しつつ、政府の政策決定に深く関与し、
ワーキングプアを大量に生み出す。
法人税率を引き下げ、その負担を国民へと転嫁し、
憲法改悪までもくわだてる。

『財界』とはいったい何者か。

その実態にせまり、過去からの変遷に
焦点をあてて分析した力作。

日米の多国籍企業が「共同」して
利益を追求するということになっている。
現在の財界の分析なくして、
日本改革の方向性の確かさは育たないと痛感。


『反米大陸-中南米がアメリカにつきつけるNO!』
               (伊藤千尋、集英社新書、2007年)


今月出たばかりの新刊。
現在の中南米のダイナミックな動きについて書いて
あると思って読み始めたら、
じつは中南米の現代史が中心だった。

アメリカのとんでもない政権転覆の謀略、民主的な運動つぶし、
クーデーター支援、暗殺につぐ暗殺、その中核を担う軍人教育、
などなど、驚くことばかり。恐ろしい。
アメリカ国民は、自国の歴史についてどう学んでいるのだろう。
おそらく、まったく教えられていないに違いない。

「アメリカと中南米の歴史から、私たちが学ぶべきものは、
すこぶる今日的な課題なのだ」
という最後の締めくくりの言葉に納得する。


『診療室にきた赤ずきん-物語療法の世界』
                 (大平健、新潮文庫、2004年)

精神科医である著者が、
診療所に来る患者にたいして、
「赤ずきん」や「三ねんねたろう」などの
「物語」を語る。

「ももたろう」や「3びきのこぶた」など、
「こんな読み方ができるのか!」と、目からウロコの連続である。

人は、誰でも「自分の物語」をもっている。
人生自体が、一つのストーリーともいえる。

そして、自分以外の「物語」を、自分とを重ねあわせ、
喜んだり、悲しんだり、共感したりする。
そして、明日への力とする。

「映画」や「小説」や「お芝居」を見るのは、
まさに「物語」に出会うことを
求める人の欲求があるからだろう。

これは、学習運動にもヒントとなることだ、とも思う。
労働運動や政治革新の運動、そして学習運動も、
「人がつくり、つないできた」ものだ。
当然そこに、人びとのつくりだす「物語」がある。

その「物語」を若い世代へと語り伝えることが、
いま重要になっているのではないか、と思う。

…少し本の紹介からはずれたが、
この本はすばらしく面白く、いろんなことを教えてくれる。
しかも362円+税と、コーヒー1杯のお値段。

みなさん、はっきりいって、この本は買いですよ!!
だまされたと思って読んでみてください。



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2007年12月12日 (水)

著作集読み終える

最近読み終えた本。

『ナイチンゲール著作集 第三巻』(現代社、1977年)

ついに、著作集読み終えました!
ナイチンゲールの巨大な思想と実践に、
ただただ、たちつくすのみです。

本書に収められているのは、
 *インド駐在陸軍の衛生(1863年)
 *インドにおける生と死(1874年)
 *思索への示唆(1860年)
 *アグネス・ジョーンズをしのんで(1871年)
 *看護婦と見習生への書簡(1872~1900年)


「思索への示唆」はまったくの哲学論文です。
ナイチンゲールは哲学者でもあるのです。
難しかったけど。

この中で必読はやはり「看護婦と見習生への書簡」でしょう。
ナイチンゲール看護学校(世界で初の看護学校)の
学生へ、ナイチンゲールが送った手紙集です。
「看護とは」「看護婦とは」を縦横無尽に語っています。


本書で印象に残った言葉。

「私たちに私たちの苦しみをください、心をこめて
私たちは天に向かって叫びます―
無関心よりも
苦しみをください
―と。無からは何も生まれませ
んが、苦しみからは癒しがもたらされます。麻痺
よりも苦痛のほうがずっとましです。
努力すること
100回、そして波にのまれてもよいのです。そう
すれば人は新しい世界を発見するでしょう
。磯辺
に無為に立ちつくすよりよりも、新世界への道を
先触れしながら波にのまれて死んだほうが10倍
もよいのです」(『思索への示唆』)

…天性の実践家であったナイチンゲールらしい叫びです。


満足しないこと自身、ひとつの与えられた特権と
いえないでしょうか?
 そのとおりです。あなたの
種族、人類のために苦しむのは、ひとつの特権で
す―それは、救世主や殉教者たちだけのもので
はなくいつの時代でも多くの人々に担わされてき
た特権なのです」(同上)

…深い。


私たちは、今年は昨年よりいくらかは高慢心が弱
くなりました、とほんのお世辞にでも自分に対してい
えるでしょうか?
 1872年には、高慢にならないよう
に精いっぱいの努力をしたでしょうか。それは自分
でわかることでしょう。1873年になって、私たちの高
慢心はさらに弱くなりましたか。何か特別に頭をひね
って考えるほどのこともないことですが―私はごく当
たり前のことをお尋ねしているからです―
いったい私
たちの高慢心というものは自分の無知と正比例して
いるとは思いませんか? なぜなら、本当に何かを
知っている人は、かえって自分の知っていることがほ
んのわずかでしかないことを、よく知っているものだ
からです
」(『看護婦と見習生への書簡(2)』)

…2007年は、高慢にならないように精一杯努力したか。
2008年は2007年より、高慢心が弱くなったと言いたい。
(自戒をこめて)


新しい年のくるたびに、私たちひとりひとりは、自分
のあり方を『棚おろし』して吟味してみようではありま
せんか
。そうして常に、自分の看護のありようを、良
心の計りにかけてみようではありませんか。…
優れ
た看護婦というものは、自分の看護婦としての生命
が終わるまで、自分の看護を“吟味”し、また新しい
ものを学び続けるものなのです

 この新年の『棚おろし』の方法としては、つぎのよう
に自分に問いかけてみようではありませんか。『自分
はこの仕事を選んだときの心の動機を今でも保ち続
けているだろうか? 自分はこの仕事をたんに毎日
過ぎればそれでよいものと考えてはいないだろうか?
自分は今でもこの仕事を神に与えられた仕事だと思
っているだろうか? たんなる惰性によってではなく、
自分のためや名誉のためでもなく、引具をつけられた
家畜のように、他の人がしているから“仕方がないか
ら”自分もするというのでもなく、本当に“他の人々の
幸せのために”日常の仕事にひたすら励んでいるだ
ろうか?』」(『看護婦と見習生への書簡(6)』)

…新年に、自分のあり方を棚おろしして、吟味する。
08年元旦、しっかり考えてみよっと。

「他の人々の幸せのために」はもちろんその通りです。
が、それが行き過ぎると自分を追いつめかねないので
注意が必要。自分も大切に!


とにかく、ナイチンゲールは人類史上、まれにみる
偉大な女性であったことは、間違いありません。
こんな学びに出会えて、ほんとうに幸せです。



『チュニジア 旅の記憶』(高田京子、彩流社、1992年)

『地中海浪漫-イベリア半島からモロッコ、チュニジアへ』
                  (滝口鉄夫、新評論、1997年)

だんだんチュニジアの雰囲気がわかってきました。
でも、アラビア語はまったくわからん!

あいさつ程度はできるように、にわか勉強します。


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2007年11月27日 (火)

カルタゴ・ナイチンゲール

最近読み終えた本。

『カルタゴ興亡史-ある国家の一生』(松谷健二、中公文庫、2002年)

チュニジア旅の予習。
約700年間続き、古代ローマに跡形もなく滅ぼされた
カルタゴという国家の歴史を学べる1冊。

カルタゴは、現在のチュニジアの首都、チュニスのすぐ北東に位置し、
地中海の交易の中心に位置したこともあり、長い間栄えた。
が、古代ローマとのポエニ戦争の結果、滅ぼされた。
名将、ハンニバルが有名。

本書は、カルタゴの歴史を簡潔にまとめてあるのだけれど、
著者が歴史家ではないためか、どうも緻密さと読ませる力に
不十分さがあるように思う。
が、おおよその雰囲気は学べたと思う。


『ナイチンゲール著作集 第二巻』(現代社、1974年)

著作集の2冊目。

本書に収められているのは、
 *救貧院病院における看護(1867年)
 *貧しい病人のための看護(1876年)
 *病院と患者(1880年)
 *看護婦の訓練と病人の看護(1882年)
 *病人の看護と健康を守る看護(1893年)
 *町や村での健康教育(1894年)
 *病院覚え書(1863年)


当時のイギリスの「貧しい人」の代表格はやはり「労働者」。
ナイチンゲールも、しっかりとそのことを射程に入れています。

「労働者を雇用するものはすべて、
働く人の健康のために
備えをする義務がある」(『救貧院病院における看護』)

「仕事場についていえば、
労働者は健康が唯一の資本で
あることを忘れてはならない
。そして働く場に清浄な空気を
確保する方法を考え出し、それを実現するよう互いに理解
し合うことが必要である
。清浄な空気は健康を保つうえに
主要な作用を及ぼすもののひとつであるからである。
これ
は≪おそらくは≫『労働組合』いやストライキにも匹敵する
価値あるものであろう
」(『病人の健康を守る看護』)


また、ナイチンゲールのほとばしる情熱が感じられる文章も。

「もう一つの危険。それは固定化してしまって進歩しないこ
とである。『進歩のない組織でもちこたえたものはない。』
われわれは未来に向かって歩いているだろうか。それとも
過去へ向かって? 
われわれは進歩しているだろうか、そ
れとも型にはまってきているのだろうか?
 われわれは看
護の未開の文明の入口をやっとまたいだばかりであること
を忘れまい。
まだなすべきことがたくさんある。平凡な型に
はまることはすまい」(『病人の看護と健康を守る看護』)

これは、ナイチンゲール73歳のときの文章である。
彼女の、“情熱を持ち続ける力と能力”には、脱帽するしかない。



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2007年11月20日 (火)

大人こそ絵本を読もう

最近読み終えた本。

『子どもの力は学び合ってこそ育つ-金森学級38年の教え』
               (金森俊朗、角川oneテーマ21、2007年)


金森先生の最新刊。
やはり、学ぶことのすこぶる多い人です。
小学校教諭を今年春に定年退職され、
いまは講演会や執筆活動に忙しいご様子。

しかし、身分的に軽くなったため、
かなりはっきりと国の教育政策について
その間違いや問題点を述べられているので、
その点が本書の特徴にもなっています。

金森先生の教育実践は、
学習教育運動にとっても、たいへん参考に
なる部分が多く、ぜひ読んでもらいたい1冊です。


『大人が絵本に涙する時』(柳田邦男、平凡社、2006年)

「大人こそ絵本を読もう」と、柳田さんは近年
語り広める活動をされていて、
この本でも、約80冊の絵本が紹介されています。

どれもこれも、「読んでみたい」と思わされました。

「絵本という表現ジャンルは、実は子どもだけのもの
ではなく、年齢や世代を超えて共有できるものなのだ。
ユーモア、機智、悲しみ、別れ、思いやり、心のつな
がり、支え合い、愛、心の持ち方、生き方など、人間
として生きるうえで大事なものを、深く考えさせられる。

お説教や道徳教育の類のものではない。
洗練された
簡潔な文章と絵と肉声(朗読)の共振によって、物語
の世界が立体感をもって創り出される
。ゆっくりと読
み、くり返し読むことによって、あたかも水彩絵具の
色が紙の上にじわーっと広がり浸(し)みていくように、
心の中の気づきや共感や納得感が湧いてくる」

各地の「絵本の読み聞かせ」グループとの交流も
ふれられていて、「絵本の力」を感じる1冊です。


『絵本屋の日曜日』(落合恵子、岩波書店、2006年)

子どもの本の専門店をはじめて、30年以上経つという
著者の、絵本エッセイ。

こちらは約100冊の絵本が紹介されています。
柳田さんの紹介したものとダブっているのは少しだけ。
落合さん紹介の絵本も「読んでみたい」ものだらけ。

来年は絵本への出費が確実に増えそうです。
おーこわ。

それにしても、落合さんの文章は絶品。うまい。
読んでいて楽しいし、リラックスできるし、共感できる。
こんな文章を書けるようになりたいなぁ。

おすすめの1冊です。
あの人にプレゼントしよーかなー。


『チュニジアの七日間』(不破哲三、新日本出版社、2004年)

年末年始のチュニジアに向け読んだ1冊。
赤旗連載のときに読んではいたけど、
あらためて「ここに行く」という意識で再読してみると
興味が広がることばかり。

他にもネットでチュニジア関連の本を探してみたけど、
あまり多くないですね。とりあえず3冊注文しましたが。

魅力的な国であることは間違いありません。
楽しみ~!

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2007年11月14日 (水)

哲学する心

最近読み終えた本。

『哲学する心』(梅原猛、講談社学術文庫、2002年)

もとになった単行本は1968年刊。
労教協の二見さんに「これなかなかおもしろいよ」と
以前紹介され、買っておいた。

内容は面白い考察もありますが、
いろいろと異議反論も。
でも、

「外界と自己との絶えざる対話、そしてその対話の
なかに、モノローグではないわれわれの現実哲学が
育っていくのであろう」(23P)

という哲学者のあり方については、まったく同感です。

九条の会の呼びかけ人の一人でもある梅原さんですが、
その人となりを知れる本でもありました。
今の梅原さんは現在80をこえていますが、
これを書いたのは40代前半、そう考えると、やはり
なかなかすごいお人であります。


『ナイチンゲール著作集 第一巻』(現代社、1975年)

来月、とんでもない講義を引き受けてしまったため、
さらなるナイチンゲールの学習に取り組むことに。
以前少し読み始めていた著作集にふたたび向かいます。

全三巻のナイチンゲール著作集ですが、
この第一巻には、

「カイゼルスウェルト学園によせて」(1851年)
「女性による陸軍病院の看護」(1858年)
「看護覚え書」(1860年)
「インドの病院における看護」(1865年)

が収められています。
ナイチンゲールの初期の著作が多いです。


学ぶことはもちろんたくさんあったのですが、
「看護」という仕事を社会的地位に押しあげるための
彼女の奮闘は、まったく人類史に刻まれる偉業といえます。

とくにナイチンゲールは、自ら世界ではじめて看護学校を
設立し、看護婦を育てられる看護婦の育成に力を注ぎました。

「人材は創り出されなければならない。どれほど類まれな
力量の持主であっても、これを三カ月、六カ月、あるいは
12カ月くらいではどうにもできるものでもない。
ゆるぎのな
い基礎を固めるためには、根強い、熱意のこもった数年
間が必要なのである
」(女性による陸軍病院の看護)

学習運動も、この熱意に学ばねばならない。



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2007年11月 9日 (金)

労働法を考える!

『労働法を考える-この国で人間を取り戻すために』
            (脇田滋、新日本出版社、2007年)
を読み終えました。

私自身、問題意識としてもっていたものを、
目のさめるような明快さで指摘されています。

労働運動に関わる人、いや、まじめにこの国のあり方を
考え、活動している人すべてに読んでもらいたい本です。

あらためて、世界的にみて、日本の労働者をめぐる「非常識」を
自覚できますし、現状批判だけでなく、これから先の運動課題を
明確に提起している点も、本書のすばらしいところです。

こうした内容を、学習運動としても広く普及していくことが
大きな課題だとあらためて自覚。具体化していきたい。

韓国の労働運動のことも、もっと学ぶ必要があると思いました。
また、学生アルバイトへの権利普及も大切な課題ですなぁ。

「一人の痛みは全体の痛み」を、ほんとうに、
労働運動、そしてこの国全体のスローガンにしたいと思いました。


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2007年11月 6日 (火)

気分が重くなる…

最近読み終えた本。

『なるほど!これが韓国か-名言・流行語・造語で知る現代史』
                 (李泳采・韓興鉄、朝日新聞社、2006年)


韓国現代史講義のために読んだ最後の本。
7代の大統領ごとに、時代を反映する言葉を紹介しながら、
韓国現代史をつづった1冊。

読みものとしても、大変おもしろい内容でした。
映画やドラマの紹介もたくさんあって、参考になります。


『沖縄戦の真実と歪曲』(大城将保、高文研、2007年)

『証言・沖縄戦-戦場の光景』(石原昌家、青木書店、1984年)

これにて沖縄戦文献の読了は打ち切り。
あとは講義準備です。

しかし、沖縄戦を学べば学ぶほど、気分が重くなる…。

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2007年10月27日 (土)

鉄血勤皇隊&超力作

最近読み終えた本。

『鉄血勤皇隊』(大田昌秀、ひるぎ社、1977年)

元沖縄県知事の大田さんは、
沖縄戦時、「鉄血勤皇隊」と呼ばれた学徒動員で、
壕と壕のあいだの通信任務などに従事しました。

いわば、戦闘補助員ともいえる存在で、
「ひめゆり」「白梅」などの女性学徒の男版です。

一学徒の、生々しい沖縄戦記録です。
すさまじいとしか言いようがない。

皇民化教育を徹底してたたきこまれていた
生粋の軍国少年であった大田さんの
心のゆれが、なんともいえず、悲しい。

知事時代、米兵による少女暴行事件抗議の大集会で、
「ひとりの少女を守れなかった私の責任」を語った
大田さんの心中、くやしさが、これを読み、
理解できたように思います。


『沖縄戦と民衆』(林博史、大月書店、2001年)

値段(5600円+税)に見合った、
目が覚めるような力作でした。買っといてよかったぁ。

これまでいろいろな沖縄戦の本を読んできましたし、
個人の沖縄戦体験記もできるだけ知ろうと努力してきましたが、
その学んできたことが、ガシっと整理された気がします。

膨大な研究蓄積と、著者のするどい問題意識の結果、
簡潔に、わかりやすく沖縄戦の全体像を流れとして
つかめました。

私も盲点だった、「防衛隊」のことも、よくわかりました。

2週間後の「沖縄戦講義」まで
あと何冊読めるかわかりませんが、
これで見通しがつきました。
よかった、よかった。

「あとがき」でふれられていた、
「なぜ沖縄戦の研究にこだわるのか」という
著者の姿勢に、とても感銘を受けました。



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2007年10月15日 (月)

新自由主義・保育の底力

週末に読み終えた本。

『新自由主義の犯罪-「属国ニッポン」経済版2』
              (大門実紀史、新日本出版社、2007年)


前著に続いて、とても読みやすく、わかりやすい。
また、著者のはげしい怒りが伝わってくる。

第2章「人間はコスト」の、
“千の風になって-母のおもい”のところの手紙は、
涙がでました。青年をモノ扱いする大企業、派遣企業は、
ほんとうに許せない。その告発の書でもあります。

古典的な自由主義の“自由”と、
いまの新自由主義の“自由”は、
その主体がまったく違う、という話は、なるほど、と納得でした。


『保育の底力-子どもを大切にするためにミニマム・エッセンス』
                   (浅井春夫、新日本出版社、2007年)

あさって、久しぶりに福祉保育労の学習会に
行くので、そのために読んだ本。

今日の子育て・保育をめぐるさまざまな課題、
子どもの権利条約のこと、
「保育の質」とは何か、
国の子育て・保育政策の問題点、
保育者・保育集団に求められること、

など、かなり現在の子育て・保育の諸課題を
網羅的に追求した内容になっています。
かなり勉強になりました。



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2007年10月10日 (水)

地球憲法9条は近い!?

『5大陸20人が語り尽くす憲法9条』
       (グローバル9条キャンペーン編、かもがわ出版、2007年)

を読み終えました。

私たちは必然的に内側から9条をみることが多いのですが、
こうして、外側から9条をみることの大切さを感じます。

それぞれ各国のおかれた状況によっても、

また9条のとらえ方が違うのがおもしろい。

それにしても、チャールズ・オーバービー博士の言っていた、
「地球憲法第9条」が実現する時代は、そう遠くないかもしれないし、
ぜひ実現したい、と思いました。

感動的な言葉にもたくさん出会える本です。

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2007年10月 7日 (日)

沖縄戦にも手をつけはじめる

最近読み終えた本。

『歩きつづけて看護』(川島みどり、医学書院、2000年)

ソワニエの最後の授業のときに紹介した本。
川島みどりさんの「日本戦後看護史論」ともいうべき本か。

戦後、日本は連合国の占領化にあったため、
アメリカ看護の影響を色濃く受けたこと。

「看護とは何か」を自ら研究・
実践してきた看護師たちの歴史。

看護師の人権をめぐってのたたかい、
労働条件をめぐってのたたかい。

看護の役割の多様性と広がり。
それを担ったパイオニアたちの歩み。

戦争と看護。沖縄の看護。

などなど、かなり内容は多岐にわたっている。


「60年の病院統一スト」や「ニッパチ闘争」などは、
いつ学んでも、ジーンとくるものがある。

看護学生たちにも、
この先輩たちの苦闘の歴史をしっかり受け継ぎ、
いつも「前を向いて歩きつづける看護師」になってほしい、と思う。



『「集団自決」を心に刻んで-一沖縄キリスト者からの精神史』
                      (金城重明、高文研、1995年)

『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕-国内が戦場になったとき』
                   (石原昌家、集英社新書、2000年)


今度の労働学校講義に向けての学び。
これまでも沖縄戦に関する文献はある程度読んできているが、

①沖縄戦の無数の悲劇の実相
②今日における沖縄戦の教訓とは何か
③歴史を伝え教えることをめぐっての対決

ということが主な眼目になるのかと思う。

沖縄戦の教訓として、
「軍隊は国民を守らなかった」というものがある。
これは、まぎれもない事実だった。

が、もう少しこれを今日的に引きつけて
教訓化する作業をしたいと思う。
「憲法9条のもとでの自衛隊のあり方」と
国民意識などを考えながら・・・。

でも、あまり時間がない! 急がなくっちゃ。


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2007年10月 5日 (金)

「学力世界一」の哲学

きのうの入学式の興奮からか、昨晩はほとんど寝れず…。
こんなことは数年に1度しかない。
だいたい寝ようと思ってその体制に入れば、
20分以内で、寝てしまう私なのに。

おかげで、すでに夕方からは仕事の効率が落ち始めている。
日曜日の学習会の準備も、「過去の遺産」でなんとかつじつまを
あわせようと・・・・・・イカン!こんなことでは。

ということで、急きょ、新しい刺激を注入しました。

『オッリペッカ・ヘイノネン 「学力世界一」がもたらすもの』
         (オッリペッカ・ヘイノネン+佐藤学、NHK出版、2007年)

を読みました。

以前NHKのBSだったと思うけど、
この本のもとになった番組「NHK未来への提言」をみて、
とても刺激的だったことを覚えている。


29歳でフィンランドの教育大臣となり、
現在の「学力世界一」の基盤をつくった中心的な
役割を担った、ヘイノネン氏へのインタビュー。


やはり、この人の語る内容は、
哲学そものです。ひと言ひと言が、深い。


その、ヘイノネン氏が語る「21世紀に求められる力」とは何か。


「今日の世界では何もかもが目まぐるしく変わり、周囲に
膨大な量の情報があふれています。変化に適応し生き
抜くためには自分で自分を導いていかなければなりませ
ん。自分自身を知らなければなりませんし、自分の内面
から新しいことを学ぼうというモチベーションが生まれな
ければなりません。
 
人びとが自ら学ぶ力が必要なのです。新しい出来事に
対応する能力、将来思わぬ問題が起きたときにそれを解
決する能力が重要です。その能力を養うためには学ぶ力
を身につけなければなりません。他者と協力する力や他
国とコミュニケーションをとる力も求められ、言葉の教育も
重要です」


他にも、
学校や校長、教師に大幅に権限を委譲し、
教師集団の自主性を引き出し、教育の質の向上を
はかったこと。

教育の機会均等の平等は絶対に必要な基盤で
あること、などを強調されています。

まったく、日本の教育と180℃方向性が違います。



それにしても、国民の77%が、
毎日平均1時間読書をしているというから、
フィンランドはすごい国ですな。

たぶん日本はその逆で、
33%ぐらいかも…(あくまで印象です)。


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2007年9月26日 (水)

朝鮮戦争・土・釈迦内

最近読み終えた本。

『史実で語る朝鮮戦争協力の全容』(山崎静雄、本の泉社、1998年)

朝鮮戦争のさい、アメリカは日本のモノと人を総動員して
戦争に協力させたという事実があります。

占領時代の歴史の暗部だけに、
なかなか資料が少なく、またまとまった研究もないそうで、
貴重な本だと思います。

 もくじ

 第1章 アメリカの介入
 第2章 日本政府の選択とねらい
 第3章 朝鮮戦争協力の実施体制
 第4章 分野別調達状況
 第5章 戦争地域に出動した日本海運
 第6章 米軍の出撃と兵站ささえた国鉄の輸送協力
 第7章 傷病兵治療と日赤看護婦動員
 第8章 関係地方自治体の状況
 第9章 朝鮮上陸作戦を保障した機雷掃海


驚きの事実がたくさんあったのですが、
確認できることは、米軍(国連軍)は日本の協力がなければ、
朝鮮戦争をたたかうことはできなかった、ということです。

また、1950年10月17日、
国連軍の元山上陸作戦のさい、日本の掃海部隊が
朝鮮半島が目と鼻の先にある元山周辺水域の
機雷掃海に動員され、1隻が機雷に接触、沈没。
25歳の青年が亡くなっています。

すでに平和憲法が施行されていた日本で、
戦争に動員され、命を奪われた人がいるということです。

この事実を、重く受け止めたいと思います。


『土を喰う日々-わが精進十二ヵ月』(水上勉、新潮文庫、1982年)

読んでみたいと思っていた本。

水上勉さんが1年間、軽井沢の自宅(?)の畑でとれた
野菜などを中心に精進料理を自ら調理、食した記録エッセイ。

やっぱり、人間は、土から離れてはアカン、と思いました。
そして、春夏秋冬、もっと季節を五感で感じる生活を送りたい。

たいへんだとは思うけど、あこがれの生活です。
どんな食材でも、その命のエネルギーをいただいている、
という感覚を大事にしたいです。



『釈迦内柩唄』(水上勉、新日本出版社、2007年)

お芝居を観て、すぐに読みました。
有馬さんのひとり芝居の情景を思い浮かべながら、
言葉をかみしめました。

さいごのコスモス畑の話が好きです。



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2007年9月19日 (水)

痛みに連帯する

『痛みの声を聴け-文化や文学のなかの痛みを通して考える』
         (外須美夫、克誠堂出版、2005年)
を読み終えました。

著者は麻酔科専門医。

とりあえず目次。

   序章 痛みを考える
   1章 痛みと文化
   2章 19世紀の痛み 
   3章 病苦の中の痛みの声-結核の痛み
   4章 病苦の中の痛みの声-がんの痛み
   5章 病苦の中の痛みの声-慢性の痛み
   6章 痛みの向こう
   7章 現代社会における痛み
最終章 痛みが扉を開く


直接には、ソワニエの「読書日記」のために読んだ本ですが、
現代社会を「痛み」を通して、あれこれ考えました。


「痛みが結ばれる時、痛みは無駄でなくなる。痛みの壁は
想像する力によって越えられる。
痛みの向こうに、痛みに
連帯する未来の人間性への希望が見えてくる


「若者たちが暴力に逆らって痛みのネットを結び、痛みを
共有することを期待する。
若者たちが他人の弱みを笑う
のではなく、自分の弱みを笑えるようになることを期待す
。そうなれば、痛みが結ばれ、希望が生まれる」

10月に始まる岡山労働学校「日本の戦争教室」を
念頭に置きながら、これらの言葉を読みました。
(格差と貧困の問題も)

元「慰安婦」たちの「痛み」。
アジアの人びとの「痛み」。
朝鮮半島の「痛み」。
沖縄戦の「痛み」。
日本軍兵士の「痛み」。


他人の「痛み」から自分を遠ざけることはできる。
が、「痛み」を知ることで、見えてくる未来もある。



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2007年9月14日 (金)

反空爆の思想

最近読み終えた本。

『反空爆の思想』(吉田敏浩、NHKブックス、2006年)

とりあえず目次。

 第1章 空爆による死と痛みをめぐって
 第2章 空爆の歴史、その傷を通して見つめる
 第3章 日本も空爆の加害者だった時代
 第4章 航空宇宙戦力と破壊と殺傷
 第5章 「やむをえない犠牲」論を解体する
 第6章 他者の痛みをどのように考えるか

戦争における空爆の歴史はおよそ100年。
その歴史の検証と、
空爆加害者と空爆被害者の間の圧倒的な距離・隔たり、
それがもたらす結果について考察している本です。

著者は、その「距離・隔たり」を7つに分類しています。
 ①空間的距離・隔たり
 ②心理的距離・隔たり
 ③身体的距離・隔たり
 ④政治経済的距離・隔たり
 ⑤科学技術的距離・隔たり
 ⑥差別意識的距離・隔たり
 ⑦情報的距離・隔たり


さまざまな要素の「距離・隔たり」が、「空爆」という
非人間的な行為を可能にします。
7つの分類のなかでもっとも大きな要素となるのが、
やはり「空間的距離・隔たり」であると、私は思います。

日中戦争時の重慶爆撃のことを描いた『戦略爆撃の思想』(前田哲夫)
という本から引用がされていましたが、それを紹介します。

「空中にある者からは、さらに殺人の感覚は欠落した。
苦痛に
ゆがむ顔も、助けを求める声も、肉の焦げる臭いも、機上の
兵士たちには一切伝わらなかった
。知覚を極端に欠いた戦争、
行為とその結果におけるはなはだしい落差をもつ殺戮
がそこ
にはあった。
 …空からの殺戮につきまとう『目撃の不在』と『感覚の消滅』
という要素は、同時に、行為者の回心の機会をも閉ざしてしま
う作用をもつ。南京大虐殺に従事した兵士なら、罪の意識に
さいなまれないにせよ、一生ほどけそうにない『光景』や『手ご
たえ』をもっているに違いない。これに対し、重慶爆撃に参加し
兵士の記憶に残る感触といえば、爆弾投下装置を作動させ
るさいの『腕一本の感触』と立ち昇る土煙の印象にすぎない

対日都市空襲に従事したB29のパイロットや広島に原爆を
投下したポール・チベッツ大佐と同様、重慶に大量死をもたら
した日本人もまた、行為の結果から疎外されていた。だから
南京の意味が問われるようには、決して重慶は語られてこな
かった」

この「戦争の現場」からの「距離」という問題は、
私たちがイラクやアフガニスタンなどで起こされている
戦争への感覚と共通するものと言えます。

被害者からすれば私たちは明らかに加害者な
わけですが、この圧倒的な「距離・隔たり」が、
その意識をもつことを困難にしているように思います。


『いのちはなぜ大切なのか』(小澤竹俊、ちくまプリマー新書、2007年)

「命の大切さ」についてどう伝えるのか。
なかなか難しい問題ですが、
これまでの「定説」の死角を問うている本、と言えると思います。
もちろん「定説」に共感しつつです。

ホスピス医の著者ならではの視点がなかなか参考になりました。

自己肯定感には2つある、と指摘されています。
 ①自分のことを
とてもよい、と思えるか
 ②自分は
これでよい、という考え方

これも、なるほど、と思いました。


『物語の役割』(小川洋子、ちくまプリマー新書、2007年)

『博士の愛した数式』の原作者が、
人はなぜ物語が必要なのか、について語っている本。

「もし他所の星から来た生物が、本を読んでいる人間を見たら
どう思うだろう、と私は想像することがあります。小さな箱型の
紙の束を手に、ただじっと座っているだけで、あるいは寝転がっ
ているだけで、時折、一枚紙がめくられる以外変化はなく、ただ
静かに時間が過ぎてゆく。いくら辛抱強く待っていても、何か新
しい製品が生み出されるわけでもない。一体何の得があって人
間たちはこんな地味な営みをしているのか? きっとそんなふう
に首を傾げるのではないでしょうか。
 
その時人間の心がどれほど劇的に揺さぶられているか、それ
は目には見えません。効果を数字によって測ることも不可能で
す。だからこそかけがえがないのだ、自分が自分であるための
大切な証明になるのだ、ということを、くどいくらいに繰り返し語
っているのが本書です」(まえがき)

これも、なるほど、と思いました。

さらっと楽しめながら読める本です。


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2007年9月 6日 (木)

韓国・命・玉砕・同世代

最近読み終えた本。

『ソウルの人民軍-朝鮮戦争下に生きた歴史学者の日記』
       (金聖七著、李男徳・舘野晢訳、社会評論社、1996年)


朝鮮戦争時、ソウルにいた大学教授が書いていた日記。
当時の人びとの動静やチマタの雰囲気がよくわかる。
貴重な内側からの朝鮮戦争の記録。

「夜中に爆音の音で目を覚まし、ことのほか明るい夜明けの
空を見上げながら横になっていると、40代にさしかかろうと
する男の頬に、いつしか涙が滲んでくる。民族の将来を考え
ると慟哭したくなる。同族間の争いに外国勢が加わって、我
が祖国はもはや恐ろしい殺戮と破壊の修羅場と化している。
今この瞬間にも、どれほどたくさんの同胞が死んだり無一文
になったり、またどれほど多くの家が壊されたり、焼かれたり
しているのだろうか」(1950年9月1日の日記より)


『光州事件で読む現代韓国』(真鍋裕子、平凡社、2000年)

1980年5月に韓国の光州で起こった韓国民主化闘争の
象徴的な事件。民主化がすすむなかで、この事件に対する
歴史的評価も変わってきているそうです。

文体がどうも生理的にあわなかったので、後半はほとんど
ナナメ読みでした。


『世界にたったひとつ 君の命のこと』(奥本大三郎、世界文化社、2007年)

日本のファーブルと言われる、日本昆虫協会会長の著者が、
平易な言葉でいのちについて語る本。30分もあれば読めます。

最近こういう本を読むことが多くなって、
虫も殺せなくなってしまいました(笑)。
蚊をぺシッとたたき殺しても、「ああ、38億年が…」
とヘンなことを考えてしまう自分がいます。

この本で、あらためて「そーだなー」と思ったのですが、
「痛い」と感じるということは、私たちの体が自分を
守ろうとするからこそなんだということ。だいじな感覚なんですね。


『総員玉砕せよ!』(水木しげる、講談社文庫、1995年)

最近NHKでドラマ化されたので知ったのですが、
原作はずいぶん古いんですね。

90%は事実、という、日本軍の玉砕戦の
非合理性、非人間性を描いたもの。
これも漫画なので、すぐに読めます。


『同じ世代を生きて』
        (水上勉・不破哲三 往復書簡、新日本出版社、2007年)

いろいろ興味深く読めたんですが、
加藤剛さんの不破さん宛ての手紙に感動しました。
やっぱ文化人は違いますな。

やっぱり人との出会いは、人生のおもしろさの中心だな、
と思います。さわやかな気持ちになれる1冊でした。


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2007年8月30日 (木)

なぜ朝鮮が分断なのか

最近読み終えた本。

『NHKスペシャル 朝鮮戦争 分断38度戦の真実を追う』
         (饗庭孝典・NHK取材班、日本放送出版協会、1990年)

『秘史 朝鮮戦争』(I.F.ストーン・内山敏訳、青木書店、1966年)



朝鮮戦争の全体像をたしかめる。
が、この2冊には、朝鮮の人びとの姿が出てこなかった。
朝鮮戦争当時の内側の空気が知りたい。
150万人の朝鮮の人びとが亡くなっているのだ。

また朝鮮戦争と日本のかかわりでいうと、
次のようなことが確認できると思う。

①朝鮮の南北分断は、遠因として日本の植民地支配に原因があること
②朝鮮戦争の際、アメリカの出撃基地として日本が使われたこと
③朝鮮戦争の際、国内の治安対策として、警察予備隊が創設されたこと
④日本もさまざまな形で戦争に参戦していること
⑤いわるゆ「朝鮮特需」により、経済復興が急速にすすんだこと

他にも、朝鮮戦争の最中にサンフランシスコ講和条約が結ばれ、
安保体制も確立している。その関係性も考えたい。

いずれにせよ、朝鮮の人びとに、
「日本はなんという国か」と思われてもしょうがない。


ギックッときた、シカゴ大学のカミングス教授の言葉。

「ある日、私のクラスの生徒が手を上げて、どうして朝鮮は
1945年に分割されたのか、
なぜ日本はドイツのように分
割されなかったのか
、と質問した。私はたいていの場合、
生徒の質問にはすぐに答えられるのだが、そのときは言葉
を失ってしまった。なぜなら、アメリカ人として、第二次世界
大戦で日本と戦った国の人間として考えると、その方が“正
当な”解決策であったのだ。日本人はこんなことは聞きたく
はないと思うが、
朝鮮よりも日本を分割する方が正当な処
置であったはずだ

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2007年8月23日 (木)

学習運動のブランドとは?

『資生堂ブランド』(川島蓉子、アスペクト、2007年)を読み終えました。

最初の方はおもしろく読んでいたのですが、中盤、後半と、
イマイチ考察が深まってない印象があり残念でしたが、
「学習運動のブランドとは?それを磨き高めるには?」という
問題意識をもちながら読むと結構いろいろ考えるところがありました。

ちなみに、
資生堂における「ブランドの定義」というのがあるので、ご紹介します。

 ①会社やブランドについて、
歴史や物語があること
 ②
研究や技術の蓄積があること
 ③
高品質でそれにふさわしい価格設定であること
 ④
人から人へ手渡しされるものであること
 ⑤ブランドのポジションを高めるために、
マーケティングが厳しい
   自己規制
を行っていること
 ⑥創業者、あるいは
経営者の人間性が見えること
 ⑦
伝統を大切にしながら、絶えざる革新を行うバイタリティがあること
 ⑧世界的であること

これをふまえ、あれこれ考え中です。


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2007年8月21日 (火)

必死に学ぶ韓国現代史

最近読み終えた本。

今度の岡山労働学校で無謀にも、
「韓国現代史」なる講義をすることに
なったので、これから積み上げ作業が必要だぁ。

『これならわかる韓国・朝鮮の歴史Q&A』(三橋広夫著、大月書店、2002年)

『日本の植民地支配-肯定・賛美論を検証する』
           (水野直樹・藤永壯・駒込武 編、岩波ブックレット、2001年)

『一気にわかる朝鮮半島-日本・韓国・北朝鮮の近現代関係史』
                            (鄭銀淑、池田書店、2004年)

『検証 日韓会談』(高崎宗司、岩波新書、1996年)

じつに複雑な歴史と戦後の歩み。
これをどう整理して、生き生きと伝えるか。難しい。

もっと内側の、生々しいものを読みたい。
次は、朝鮮戦争について学ぼうと思います。

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2007年8月14日 (火)

七人の侍と日本の戦争

最近読み終えた本。


『黒澤明と「七人の侍」』(都築政昭、朝日文庫、2006年)

黒澤明の代表作で、世界の映画人に多大な
影響をあたえた、『七人の侍』。

私も大好きな映画で、ビデオですが、3回ほど見ました。

その『七人の侍』の制作エピソードが
映画のストーリー展開の順に明らかにされています。

ものづくり職人のこだわり、プロ意識には脱帽の連続です。
『七人の侍』、もう1度新たに加わった視点もふくめ、
観てみようと思います。

やはり、日本映画の最高傑作と言える映画、だと思いました。


『総点検 日本の戦争はなんだったか』(吉岡吉典、新日本出版社、2007年)

雑誌連載のときからちょろちょろ眺めてはいたけれど、
まとめて学んでみると、いろいろ頭の整理になりました。

にしても、きってんさんの資料・原典にあたる努力はすごい。
政府や軍部の発言や方針そのものから、日本の侵略性を
語らせているからこそ、こんなにも説得力があるのだろう。

これも、「職人仕事」と言えるかもしれない。


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2007年8月 8日 (水)

旅行中に読んだ本

夏休み旅行中に読んだ本。
内容は軽め、重さも軽い文庫本を中心に読みました。


『めだかの列島』(今井美沙子、筑摩書房、1977年)

私の訪れた五島列島の福江島の人びとの
生活を書き綴ったもの。

作者自身が福江島の出身で、
戦後すぐの五島の人びとの暮らしや風景がよくわかる1冊。
貧しいからこそ、人びとが助け合う姿に、とても胸熱くなりました。


『星の王子さま』(サン=テクジュペリ・河野万里子訳、新潮文庫、2006年)

名作だが、じつは読んだことがなかった。
独特の世界感、独特の文体が、おもしろい。

感性に訴える力をもった本ですな。


『すべてのいのちが愛おしい-生命科学者からのメッセージ』
                      (柳澤桂子、集英社文庫、2007年)


「孫への手紙」という形をとりつつ、
いのちの不思議や自然世界の魅力を語っている本。
生命科学入門書、ともいえる。

「世の中は驚嘆するものに満ちているのである。それらのことは、
気づかずに見過ごされてしまうが、ちょっと足をゆるめる気持ち
のゆとりがあれば、いつでも見つけることができるものだった」
                              (「おわりに」より)
いま子どもたちと一緒に、自分や他人のいのち、
自然や生き物について、こうやって語り合うことが
ほんとうに必要だと思う。

世界や自分のいのちは、本当に奇跡的で、
魅力あふれたものなのだから。


『となりの韓国人-傾向と対策』(黒田福美、講談社文庫、2006年)

20年以上韓国と関わってきた女優の「韓国人論」。
題名がイマイチだと思うし、「○○人はこうだ」と決めつけることも
好きではないのだけれど、そんな要素を差し引いたとしても、
十分読む価値のある1冊。なんてったって、おもしろい。

韓国にまつわる本はたくさんあると思うけれど、
韓国の人びとの生活や文化、考え方をこれだけ生き生きと
描いているものは、他にないのではないだろうか。

しっかりとした歴史認識をもっている点にも共感。
韓国の徴兵制事情のところも興味津々で読める。


『夜消える』(藤沢周平、文春文庫、1994年)

わたしが読む時代小説といったら、
池波正太郎か、藤沢周平ぐらいなもの。

で、池波正太郎の作品はほとんど読んでしまったので、
いまは藤沢周平を読みすすんでいる(といってもまだ10数冊だけど)。

相変わらずの藤沢ワールド。いいね、やっぱり。


『行かずに死ねるか!-世界9万5000km自転車ひとり旅』
                      (石田ゆうすけ、幻冬舎文庫、2007年)

期 間   7年5ヶ月
走行距離   9万4494km 
訪問国数   87ヶ国
パンク回数  184回
スポーク折れ 34回
チェーン切れ 8回
使用タイヤ  37本

とてつもないスケールの自転車世界一周旅。
内容もおもしろすぎる。やっぱり旅本は旅の最中に読むべしですね。
チャリダー仲間たちとの友情も驚きだし、
旅を通じての自己の内面的成長も共感できる。

ゆく先々での人との出会い、
波乱万丈の出来事の数々・・・。

あーもっと旅したい。
こんなスケールの旅は自分には無理だけど、
「世界を見てみたい」という思いは共通。

行かずに死ねるか!
・・・ほんとにそうだ。

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2007年7月24日 (火)

BC級戦犯裁判

最近読み終えた本。

『あなたは「三光作戦」を知っていますか』
              (坂倉清・高柳美知子、新日本出版社、2007年)


中国、華北地域で行われた日本軍の儘滅掃討作戦。
中国側ではこれを「三光作戦」と呼んだ。
「殺しつくす・奪いつくす・焼きつくす」である。

その掃討作戦に参加した兵士の記録。
文字も大きく、多くの漢字にルビがついているので、
中高生向けなのだろう。
もちろん、大人にも読んでもらいたい。


『BC級戦犯裁判』(林博史、岩波新書、2005年)

恥ずかしながら、数年前まで、私は、
「A級戦犯は、A級だから、一番罪が重い戦犯で、
B級・C級は、それよりは軽い戦争犯罪が裁かれた」
という勝手なイメージを持っていた。

また、もう10年以上前になるだろうか、
所ジョージが主演したテレビドラマ『私は貝になりたい』を見て、
「B・C級戦犯は、そんなに罪のなかった下級兵士も裁かれることがあった、
不条理な裁判」という、これまた事実と違うイメージを持っていた。
(実際は、二等兵が戦犯裁判で死刑になったという事実はない)

本書を読み、BC級裁判の意義と、多くの問題点、
自分自身のあいまいな認識がかなりスッキリ整理されると同時に、
まだまだ学ばなければならない問題が山ほどあることを自覚。
引用文献をとりあえず読んでいこうと思う。

あらためて、日本が戦後、自分自身の戦争犯罪、侵略戦争と
向きあえてこなかった弱点が、今日の日本社会を深いところで
規定している要素の一つであることを、考えざるをえなかった。

たいへん収穫の多い1冊でした。


『希望の教室-金森学級からのメッセージ』(金森俊朗、角川書店、2005年)

お気に入りの金森俊朗先生の1冊。
この3月、ついに小学校教諭を退職。
ホームページなどを見ると、講演活動が忙しいようです。
ぜひ一度、生の講演を聞いてみたい。

目次だけ紹介しておきます。

はじめに-キャッチャーであれ
  第1章-友と自分は網のようにつながっている<トラブルの解決>
  第2章-人間にだって羽がある<チョウの一生>
  第3章-<ドキュメント>種よ、ありがとう<生き続ける種の知恵>
  第4章-稲は人の足音を聞いて育つ<田んぼの学び>
  第5章-見えないものを見る、聞えないものを聴く<数学と読書>
  第6章-働く大人たちは疲れている<仕事の取材>
  第7章-私は、どこから、どうやって、今、ここに?<私の誕生>
   終章-きらめきの少年期

金森先生の教育実践は、ほんとうに学ぶことが多い。
ぜひ、これからも多くの本を世に出してもらいたいと思う。
お待ちしています。

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2007年7月17日 (火)

シフト、シフト。

最近読み終えた本。

『十歳のきみへ-九十五歳のわたしから』
           
(日野原重明、冨山房インターナショナル、2006年)

日野原重明さん(聖路加国際病院名誉院長)の、いま、
子どもたちに伝えたいことがギュッとつまっている本。
年をかさねるごとに、人間の魅力と可能性を広げて

いる日野原さんの言葉は、一つひとつが、とても説得
力のあるものです。


目次 1.寿命ってなんだ
    
2.人間はすごい
    
3.十歳だったころの私
    
4.家族のなかで育まれること
    
5.きみに託したいこと
    
あとがき…この本を読んでくれたきみと、きみのお父さんとお母さんへ


「80歳を過ぎたあたりからすこし様子が変わってきました。
いそがしさには変わりがないというより、むしろ火がついた
ように感じられることもあるくらいですが、
いままでまるで気
づくことのなかった新しい楽しみを、わたしはこの年齢になっ
て発見したのです


「ふしぎなもので、当のわたしにしてみるといつの間にか94
をこえてしまったように思えるのです。野球の試合ならよう
やく4回戦か5回戦目をむかえたような感覚で、さあ後半も力
を入れていくぞと気合いを入れているような感じがする
のです」


「わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間をけずっていくと
いうのとはまるで反対に、寿命という大きなからっぽのうつわの
なかに、せいいっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメー
ジです


「時間というには、ただのいれものにすぎません。そこにきみ
がなにをつめこむかで、時間の中身、つまり時間の質がきま
ります。きみがきみらしく、いきいきと過ごせば、その時間は
まるできみにいのちをふきこまれたように生きてくるのです」


「寿命というわたしにあたえられた時間を、自分のためだけ
につかうのではなく、すこ
しでもほかの人のためにつかう人間
になれるようにと、私は努力しています。なぜなら、
ほかの人
のために時間をつかえたとき、時間はいちばん生きてくる
から
です。時間のつ
かいばえがあったといえるからです」

言葉を使う医師、日野原さんのやさしく熱いエネルギーが感じられる1冊。



『私が人生の旅で学んだこと』(日野原重明、集英社、2005年)

「私はこの本で、私という人間をつくってきた93年間の自分の
人生を振り返りながら、今という時代に伝えたいメッセージを書
こうと思います。私に医療という道を歩ませてくれた人たちとの
出会い。医療活動をするなかで私が考えてきたこと、実行して
きたこと。そして、未来を担い、この地球という惑星で生きてい
く人たちに伝えたいこと…。
 
人生とは未知の自分に挑戦することだと思いながら、私は自
分の人生を歩んできました。私のその生き方が、少しでもみな
さんの参考になれば、私にとってこれほど幸せなことはありませ
ん」(「まえがきに代えて」より)


医師になりたいという気持ちを芽生えさせてくれた、幼い頃のあ
る医師との出会い。そして、いまの日野原医学の原点となった、
オスラー医師との出会い。「人生にとっていちばん大事なのは、
出会いです」と語る日野原さん。先人たちの歩みや業績を、広
く深く学び吸収しながら、歩んできたことがわかる1冊。


「私が医療関係者に言い続けているのは、医学的な知識とテク
ノロジーを病む人に使う医療には、患者さん一人ひとりの特性に
応じて言葉や態度でアプローチする、
病む人間へのタッチの技
(アート)が必要だということ
です。…患者さんに触れるタイミング
を考え、言葉を練り、患者を理解するためにどの程度の時間を
かけたらいいかを考えることは、知識やテクノロジーではなく、絵
筆のタッチ、ピアノのタッチと同じような、医や看護の技なのです」


「私は医学生や看護学生に『できるだけ本をたくさん読みなさい。
それも医学書ではなく、小説や詩やノンフィクションを』
と勧めます。
こうした本は、人間の生きていく苦しみや病気の苦しみような“四
苦八苦”を取上げています。それを書いているのは、小説家や宗
教家、詩人などの感受性のするどい人たちですから、著作を通し
てさまざまな“経験”をし、患者さんの“苦”を感知する感性を磨くこ
とができると思うのです」

この言葉は、「活動家」にも共通する提言、と受けとめたいと思います。



『赤ちゃん  成長の不思議な道のり』(安川美杉、NHK出版、2007年)

2006年10月に放送されたNHKスペシャル「赤ちゃん 成長の不
思議な道のり」をもとに、取材時のエピソードや番組で紹介しきれな
かった内容をまじえてまとめた1冊。


赤ちゃんの成長過程を探ることが、とりもなおさず、私たち自身の
成り立ちを探り、人間とは何かという永遠の謎を探ること


「そこからわかってきたことは、赤ちゃんは単純な白紙のような存在
でもなければ、大人のミニチュア版でもないということだ。赤ちゃん
には、自分の環境に適応し、人間として成長していくための特別な
能力が備わっている
。ときに、その能力は大人以上に発揮される
といってよい」


「赤ちゃん」への見方が大きく変わること間違いなし。
すごいよ、人間の赤ちゃんは。


とりあえず目次を書いておきます。

【第1章 赤ちゃんの秘められた能力-赤ちゃんは環境を探っている】
 
・脳のはたらき
 ・周りを探る「自発運動」
 ・世界を探る赤ちゃんの力

【第2章 成長の第2のステップ-環境に適した能力を伸ばす】
 
脳内ネットワークの構築プロセス
 ・自分の体をコントロールするまで
 ・顔の認知の発達

【第3章 成長から見る「人間らしさ」とは】
 ・手が自由になった人間
 ・言葉を身につけるまで



『NHKアナウンサーの はなす きく よむ-実践新社会人編』
                           (NHK出版、2006年)
『NHKアナウンサーの はなす きく よむ-声の力を活かして編』
                           (NHK出版、2007年)


かなりのナナメ読みだったのですが、参考になる部分も。

「世代を超えてきく」というところは、そうだそうだと思いながら読みました。

「『最近の若い者は』などと若者の流行や考えを見下す
ような気持ちがあっては、もちろん世代の壁は乗り越え
られません。
 若い人から話を聞くことで、『今の動き』を知ることが
できる。そして何より、何かに打ち込む、頑張っている
若者に接すると、こちらまでエネルギーをもらいます。
 弊害になるのは『決め付け』です。若い人たちの流行、
文化、価値観、考え方を、頭から『理解できない』『つい
ていけない』と思い込んでいませんか。
 
『最近の○○はわからん』というのをよく耳にしますが、
『わからない』のか、『わかろうとしていない』のか、これは
大きな違いです。

 また『今の若者は○○だ』とか『○○な傾向にある』とい
うように、
世代をひとくくりにして、皆こうだと決め付けるの
もよくありません
。『自分の時はこうだった』と鼻にかける
ような気持ちを持ってもいけません」

「私が意識した
のは、『ギャップを楽しむ』という事です。自
分の頃と比べて、その違いに愕然とするのでなく、驚きを
楽しむくらいの気持ちで接してきました。
 若い人たちの柔らかい発想からは『新しい流行』『新しい
ことば』が次々に生まれます。
 『ついていけない』という事を苦痛にするのではなく、やは
りここも『知らない世界を垣間見ようという興味』をもつこと
です」

「ギャップを楽しむ気持ちで、若者の傾向を知ろうとする。
会話の中で、初めて知った事に驚き、考え方に感心する。

相手を認め敬う気持ちを示す事で、若い人たちも心を開い
て打ち解けてくれます」

「高い壁、分厚い壁を感じたとしても、嫌がらず、歩み寄る
気持ちがあれば乗り越える事ができます。それほど『面倒
くさい事』でも『難しい事』でもありません。
 逆に、
壁があるから面白いのではないでしょうか…壁を
越えてみたらいろいろな発見がありますよ」



さて、これからは
ソワニエの授業がしばしお休みとなるため、「医療・看護」本から離れ、
「日本の戦争」本などにシフトしていこうと思っとります。


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2007年7月 4日 (水)

DNAからみた憲法前文

最近読み終えた本。
時間がないので、くわしい紹介はできませんが。

『看護婦ががんになって』(小笠原信之・土橋律子、日本評論社、2000年)

患者の立場になって、はじめて気づくことの数々。
こうした先輩の苦闘の実践を、しっかり受け継ぎ、学びあうことが大事。


『生と死の美術館』(立川昭二、岩波書店、2003年)

古今東西、人間の生・老・病・死について、人々は考え、
表現してきた。
54の絵画や美術作品をとおして、現代にも通じる問題を考える。

江戸の街が、くすり屋だらけだったとは、知らなかった。


『未来につなぐいのち』(藤野高明、クリエイツかもがわ、2007年)

昨年の5月、71期岡山労働学校の記念講演に
お招きした藤野さんの、待望の著書。
「障害は個性ではない」というのは、そのとおりだと思う。
深く学べる1冊。


『日本人になった祖先たち-DNAから解明するその多元的構造』
                    (篠田謙一、NHKブックス、2007年)


それにしても、ここまでわかるもんなんですね。
そのことにびっくりしました。人間の進歩はすごいよ。

また、私たちが日常使う、「○○のDNAを受け継いでる」
「ものづくりのDNA」というような使い方は、間違いであることも
わかりました。これからは使わないようにします(笑)。

さいごのさいごの言葉も紹介。

 「私たちはかつて、『恒久の平和を念願し、人間相互の関係を
 支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する
 諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持
 しようと決意した』と宣言したことがあります。それから60年以
 上が経って、この考え方が時代に合わないと考える人が増えて
 きたように思えます。しかし、私たちの持つDNAを研究してみる
 と、そもそも人類の持つDNAの違いはごくわずかであること、
 そしてその成立の経過から私たちの持つDNAは、ほとんどが
 東アジアの人々に共有されていることがわかりました。人類700
 万年の歴史から見ればほんの少し前に分かれた世界中の人々
 や、
同じ遺伝子を持ち、DNAから見れば親戚関係の集団である
 アジアの人々に、公正や信義を重んじることを期待することは
 間違いではないはずです
。DNAを用いた人類の由来に関する
 研究は、この日本国憲法前文の精神の正しさを生物学の立場
 から保証しているように思えます。
これからの私たちの社会の
 あり方は、この精神を否定するところからではなく、ここから出
 発し、平和な世界を構築することが求められているのではない
 でしょうか」


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2007年6月23日 (土)

日本を蝕む病

最近読み終えた本。

『新訂 看護観察と判断』(川島みどり、看護の科学社、1999年)

これまた大変勉強になりました。
井尻正二が出てくるとは思いませんでした。
さすがです、川島さん。

「労働者」「仲間」をありのままにとらえることの難しさ、
を教えてくれる本でもあります。

以下、本より引用。

  
偏見は、生涯を通してたたかわねばならない問題である。
  如何にして曲解した観察がなされるかを理解すれば、偏見
  は少なくなるだろうし、繰り返し自己分析を行うことによって、
  より少なくすることは可能かも知れない。しかし、残念ながら
  我々はみな、一度は偏見に陥るものである」
            
(V・ヘンダーソン『看護の原理と実際Ⅱ』)

  
ありのままの患者像を観察によって得ようとすることの難し
  さを自覚することから、真の観察は始まる
といってよい。観察
  のつど『今、私の知覚していることは、対象の姿を真に反映し
  ているであろうか』と、自問することを忘れてはならない」
              
(川島みどり『新訂 看護観察と判断』)

  
「真面目であるがゆえの思いこみや、偏った、狭い見方につ
  いては、絶えず克服する努力を怠ってはならない。
一生懸命
  に相手のことを気遣い、なんとか力になりたいと願うあまりの
  善意ではあっても、独り善がりのきめつけをしてはいないだろ
  うか
。自己の価値観にのみとらわれて、相手の人生観や生き
  方を否定していることはないか」             (同上)

  
「直感とよばれる人間の精神活動は、これを一種の洗練され
  た感性の働きであるとみることができる。しかも
直感は、対象
  の漠然とした、ばらばらな印象を受けとる受動的な能力として
  感性の働きではなくて、人間の肉体的な、精神的な全経験お
  よび、全能力が集約された感性の働きであって、そのなかに、
  判断力、類推力、抽象力などといった悟性や理性の働きも圧
  縮した形でふくんでいる能動的な感性の働きである

                          (井尻正二『科学論』)

  
「受動的な感性は、動物的で遺伝的な本来その個人にそなわ
  ったものであるが、
能動的な感性は、社会的・人間的なもので
  ある。したがって、ある程度トレーニングによっても、その能力
  を高めることは可能である
。美しいものを見て感動したり、音
  楽や芸術に触れ、スポーツや登山で汗を流すことも、感性を豊
  かにするトレーニングになる。
人間が生活の過程で感じる『喜・
  怒・哀・楽』の反応すべてが、感性をきたえ直感の能力を強める

  のである」        (川島みどり『新訂 看護観察と判断』)

  
「看護は人間を相手の仕事である。対象となる人々の、個々の
  背景に応じて形成された感じ方も一様ではない。それだけに、
  
多様で多面的な人間の感じ方に接近するための基礎となる学
  習もしなければならない。…そのためにも、
専門的知識を吸収
  することはもとより、文学作品などを通して、人間の心の動きや
  感情、さまざまな人生の過ごし方や人生観についても意欲的に
  学ぶようにしたい
。…看護婦自身の生き方や、生活の仕方その
  ものが、看護婦の感性に及ぼす影響を十分理解して、意欲的
  に生活のもろもろの事象をも刺激にしていく必要がある。
気づき
  のアンテナの感度をよくする努力
は、看護観察の基本であるか
  らである」                           (同上)


『成果主義とメンタルヘルス』(天笠崇、新日本出版、2007年)

成果主義システムとメンタルヘルス悪化の因果関係を
追求したもの。著者は医師であり、科学的な実証方で
問題にせまっていきます。
大企業のおよそ9割になんらかの形で導入されている
という成果主義。そりゃ、うつ病は増えますよ。


『「慰安婦」と心はひとつ-女子大生はたたかう』
           (石川康宏ゼミナール編、かもがわ出版、2007年)


6月に出た新刊。
石川ゼミ3冊目の本ですが、
1冊目、2冊目とはまた違う角度、内容の本であり、
そこのところに唸ってしまいました。

学生の座談会は必読。とくに活動家の諸先輩の
みなさんに読んでもらいたいと思いました。

松竹伸幸さんて、今かもがわ出版にいるんですか!?
知らなかった…。同姓同名じゃないわな…。


『ワーキングプア-日本を蝕む病』
     (NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班・編、ポプラ社、2007年)


これもこの6月の新刊。
昨年7月の「ワーキングプア」、12月の「ワーキングプアⅡ」の
取材班やキャスターが、番組作りの動機や、
番組では取り上げられなかったエピソードなどもふくめ、
書かれている、貴重な本。

番組づくりの議論を重ねて、確認したことは、
「日本国憲法をひとつの指針にすること」
ということ
ちゃんと据えられていたそうです。
それも番組で語ってほしかったですが。

 「実は
取材はしたものの放送には結びつかなかったものも
 数多くあった
その一つが『オンコールワーカー』と呼ばれる
 日雇いの労働者
だった。…携帯一本で派遣会社からの連
 絡を受けて仕事を請け負う日雇いの労働者。最近、若者を
 中心に急増している。わたしたちが取材した35歳の女性も
 7,8社の派遣会社に登録し、携帯電話で連絡を受けては、
 徹夜で倉庫の仕分け作業をしていた。
  …日雇いなので会社では名前も覚えてもらえず、友人も
 ほとんどいない。技能もまったく身に付かないまま年齢を重
 ねている。『将来の夢はなんですか』という記者の問いかけ
 に対し、彼女は
『私のスペアなんていくらでもいるのですよね』
 とだけ答えた。『彼女の居場所はなく、人間の尊厳まで奪わ
 れてしまっていくように感じられた』と記者はその実感を話し
 た」

 「『ただ普通の暮しがしたい』としぼりだすような声で話した児
 童擁護施設の子ども。『自助努力が足りないのでしょうか』と
 涙を流して訴えたダブルワークの母親。『ワーキングプア』の
 問題をどうすれば解決できるのか、すべての国民に保障され
 ているはずの憲法25条の生存権の精神をどうすれば現実の
 ものとすることができるのか。
わたしたち取材班は、いま新た
 な取材を始めている


続編の取材も始まっているようです。
制作者の真摯な姿勢と、「伝えたいこと」が伝わってきます。

ぜひ一読を。

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2007年6月16日 (土)

青い光が見えたから

最近読み終えた本。

『青い光が見えたから-16歳のフィンランド留学記』
                   (高橋絵理香、講談社、2007年)


とっても感動的な本です。一気に読みました。

フィンランドの学校風景や教育理念にも感銘しますが、
なにより高橋さん(今年23歳)の勇気と努力、
「自分らしさ」を取り戻していく姿が、印象的です。

ムーミンの国にあこがれ、たったひとりでフィンランドの高校へ留学。
片言しかできないフィンランド語、誰も知らない土地、文化の違い・・・。
多くの壁を試行錯誤しながら乗りこえていく絵理香さん。

1年目から4年目の、学校での集合写真が章の頭に掲載されて
いるのですが、3年間でほんとうに別人のように表情が違います。

エピローグの一部、を引用します。

 「見失ってしまった自分というものに区切りをつけ、生まれ変わる
 ような覚悟でフィンランドに来た頃の私は、自分の身以外何も持ち
 あわせていなかった。そんな私にフィンランドが思いもよらず与え
 てくれたのは、いつの間にか失くしてしまっていた『自分本来の姿
 をした自分』だった。私もまた、ここで出会ったたくさんの人々によ
 って、心を救われていたのだ」


『いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう!-政治を変えるのは、あなたです』
                  (石川康宏、日本機関紙出版センター、2007年)

昨年12月の講演をもとにしたブックレット。
現在の「この国の姿」「情勢」がわかりやすく、テンポよく語られていく。

なんでこんなにわかりやすいのだろうか。
研究、研究。

労働学校の運営委員や受講生、
学習協役員にも、読んでもらわなければ。


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2007年6月13日 (水)

細谷医師の本、4冊。

最近読み終えた本たち。

まずは、聖路加国際病院の小児科部長、
細谷亮太さんの著書を4冊まとめて読みました。

『医師としてできること、できなかったこと』 
                (細谷亮太、講談社+α文庫、2003年)

『小児病棟の四季』(細谷亮太、岩波現代文庫、2002年)

『命のノート-ぼくたち、わたしたちの「命」について12のお話』
                      (細谷亮太、講談社、2006年)

『いつもいいことさがし-小児科医が見た日本の子どもたちおとなたち』
                     (細谷亮太、暮らしの手帖社、2005年)


本のすばらしさは、フツーに生きていれば絶対に出会えそうもない、
「すぐれた人」との「出会い」をつくりだせること。

また、出会ってしまいました。
教えられることが本当に多かった…。

小児ガンが専門の細谷先生。
子どもの「死」と関わり続け、また子ども自身の生きる力から
多くのことを学び、「いのち」の尊さについて、
私たちに語りかけてくれています。

涙、共感、感銘、笑い、驚き、喜び、悲しみ…
人間の豊かさを、あらためて実感できます。
どの本もオススメです。ほんとに。


『生きさせろ!-難民化する若者たち』(雨宮処凛、太田出版、2007年)

なるほど、こういう人だったのですか。
文章から、えらいエネルギーを感じます。怒りの。
現代の若者は、「生きること」すら奪われている状況にある、
まずは「生きさせろ!」という明快な主張。

読む価値は十分、あると思います。
よく調べているし。


『この時代に生きること、働くこと』(中村佑・島本慈子、岩波ブックレット、2007年)

『戦争で死ぬ、ということ』(岩波新書)の著者、
島本さんの最新メッセージ。勉強になりました。

そうなんですよ、非正規労働者は「声をあげることが困難」な
状況に客観的に置かれているんですよ。
正規は正規でいまターゲットにされている。

職場で「もの言えぬ労働者」をつくりだせば、
「世の中にものを言う」なんて難しいわな、たしかに。
支配は安泰、ということですか。

キーワードは、やはり、想像力。
想像するには、知性が必要です。
そして、選挙では、誰にもじゃまされず、1票入れれますゾ。


『アジアの平和を九条の心で-「九条の会」憲法セミナー』
             (加藤周一・澤地久枝・辻井喬、九条の会、2007年)


06年11月に九条の会が行った「憲法セミナー」を
まとめたブックレット。
しかし、あまり収穫なし。残念。


『「資本論」綱要・「資本論」書評』
          (エンゲルス・川鍋正敏訳、新日本出版、2000年)

なるほどー。たしかに見事な要約ぶり、そして書評の数々。
エンゲルスの七変化ぶり、面白い。さすがです。

「綱要」のところでは、「協業」「分業とマニュファクチュア」「機械と大工業」
のところがあらためてスッキリした感じです。人間の労働ってすごいなー。


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2007年6月 4日 (月)

その「生き様」とは

『伝記 世界を変えた人々⑤ ナイチンゲール』
         (パム・ブラウン著・茅野美ど里訳、偕成社、1991年)

を、あっというまに読み終えました。
日野原重明さんの「ナイチンゲールと日本の看護」の解説つき。
ナイチンゲールの伝記ものは4冊目か。

今週、ナイチンゲールが看護師になるまでの苦闘の日々とその努力を
講義するという無謀なチャレンジをします。

この人のあまりに巨大な業績に深々と頭を下げながら、
とりあえず、その「生き様」を語ってみたいと思います。

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2007年5月30日 (水)

建築に夢をみた

最近読み終えた本。

『NHK人間講座 建築に夢をみた』(安藤忠雄、日本放送出版会、2000年)

世界的な建築家、安藤忠雄が、一般市民向けに
建築の哲学と夢を語ったもの。

とりあえず目次。
 ①住まい
 ②集まって住む
 ③広場
 ④都市Ⅰ‐20世紀の夢
 ⑤都市Ⅱ‐都市に生きる
 ⑥都市Ⅲ-都市の記憶
 ⑦コラボレーション
 ⑧場をつくる
 ⑨復興から
 ⑩庭園
 ⑪つくりながら考える

世界中の建築を見聞した著者が、建築にこめられた人びとの“夢”を
わかりやすく語っていて、とても興味深い。そして、奥深い。

世界中の歴史ある街並みや建築物、
この本に紹介されている建物を見てまわりたい!

・・・しかし、いったい、いつその夢はかなうことやら。
やはり100歳まで絶対に生きねばならない。

 「建築におけるコラボレーションには、大きな可能性が秘められている
 ように思えます。
互いの意志のぶつかり合いが必然となる故に、絶え
 ず他者との緊張関係を余儀なくされるコラボレーションは、いってみれ
 ば闘いです
。そこでは、よりよいものを互いに求め、ひたすら対話を積
 み重ねていかねばなりません
から、非常に疲れるし、時間もかかる
 
しかし、このとき生じる摩擦が大きければ大きいほど、積み重ねられる
 対話が多ければ多いほど、その結果生まれる作品には奥深い魅力が
 生まれてくるのです
。そのときの緊張関係が、作品にある種の強さを
 与えるのです」(108P)

 これは、まさに弁証法であり、
 私たちの運動にも共通する真理、だと思います。


『ここがヘンだよ日本の選挙』
    (小沢隆一・志田なや子・小松浩・井口秀作、学習の友社、2007年)

なぜかこの本を使っての学習会を
来週しなければならなくなってしまった。

ぜんぜん素人なんだけどなー。困った。

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2007年5月23日 (水)

楽しむことには頑なに

最近読み終えた本。


『心のくすり箱』(徳永進、岩波現代文庫、2005年)

徳永進医師の本、2冊目。
にじみでる人間性に学ぶこと多し。
看護師の「足浴」のエピソードが印象的。


『ナースの広場』(徳永進、関西看護出版、2005年)

徳永本、3冊目。
看護師の集まりでよく講演をするという著者が、
会場でいろいろな質問をナースにして、メモを書いてもらう。
5年間で集まったメモが3000枚。
そのメモを次々と紹介しながら、看護という仕事を
看護師の目線で語っていきます。

これはいい。
これまで読んだ看護本のなかでもトップクラスです。


『患者さんの笑顔が見たい』(三上満・小林功、かもがわ出版、2007年)

変えられる前の、教育基本法が生きている学校。
千葉にある東葛看護専門学校のフォト・ドキュメント。

ステキな学校です。
教育的実践もすばらしい。


『小さな勇士たち-小児病棟ふれあい日記』
              (NHK「こども」プロジェクト、NHK出版、2003年)


聖路加国際病院の小児科を1年間取材した
NHKスペシャルを本にしたもの。

週末、東京へ行く新幹線のなかで読んでいたのですが、
涙をこらえるのに必死でした。家で読んでたら号泣でした。

子どもの死は悲しい。でも、ステキな3つの実話です。


『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(香山リカ、幻冬舎新書、2006年)

観念論的世界観とその現代的表れ。
日本資本主義の現局面を色濃く反映している。
まさに土台と上部構造


これを乗りこえるのは、なかなか容易ではないなー。
江原啓之の番組、一度じっくり見てみるかな・・・。


『わたくしの旅』(池波正太郎、講談社文庫、2007年)

著者の「旅」に関するエッセイを再編集したもの。
池波正太郎のエッセイを読むは、何年ぶりだろうか。

この「軽快さ」がたまらなくここちよい。
新幹線の中でニタニタしながら読んでました。
あー、一人旅したくなってきた。

小島香さんという文芸編集者の「あとがき」には・・・

「いま、手もとに1枚の写真がある。スナップらしく、茶褐色の野の
風景が収められているその左辺に手漕ぎの舟が狭い川に浮いて
いて、手足を温める毛布があり、50代後半の池波さんと心の利い
た若い友人たちが乗っている。早春だろうか、晩秋だろうか、寒さ
の中で田園を娯しんでいるありさまが写っている。写真の中の池
波さんは、小説からも締切りからもほど遠いところに居るふうで、
舟の隅には籠があり、洋風のピクニックの弁当が少し見える。
 新聞、週刊誌、月刊誌の連載を持
っていてこの余裕である。『小
説現代』の担当編集者だった私が、『梅安、梅安を書いてください』
と申し上げてもなかなか書かなかった池波さんは、しかし、多忙な
なかでこんな“旅”を楽しんでいた。
 
楽しみことには頑なだったのである

私も、楽しむことには頑(かたく)な、でありたいと思います。


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2007年5月16日 (水)

『経済』から2つの論文

雑誌『経済』6月号の2つの論文を読みました。

「“人間らしい生活”の条件とは」(暉峻淑子)はよかった。
相変わらずこの人の文章は小気味いいです。

『豊かさの条件』(岩波新書)に書いていたらしいですが(忘れていた)、
ドイツには全国失業者同盟という組織があるそうです。

以下論文から引用。

「アパートの住民の1人が失業したときアパートの人たちが
心配して、この人は放っておくとアルコール中毒や引きこも
りになってしまうから、ハイキングに行くときには彼を誘おう
とか、スープを多く作りすぎたからどうぞ食べてくださいともっ
て行って、誰となくその失業者を支援するのです。それがし
だいに広がって全国失業者同盟ができたのです。そこに市
民は1ユーロ(約150円)ずつ、失業者のために寄付してい
ます。
日本の労働組合は、失業者のためにはほとんど何も
していない。パートのためにでさえ、やっとこのごろ少し動き
出したくらいです。
ヨーロッパの労働組合は、失業者たちが
会議をするときに労働組合の建物をただで使わせています
し、大きな集会でもするというと、ビラをつくる費用も全部、
労働組合が出しています


ヨーロッパの労働運動のことを、もっと深く学ばなければ
ならないと自覚しました。

と、ここまで書いてきて、『豊かさの条件』が手元にあったので、
パラパラと見てみました。たしかに書いてありました。
そして、こう指摘しています。

失業者が増えれば、労働市場は買い手の思うままになり、
正規社員はパートに置き換えられ、労働条件も悪化する。
つまり、失業者問題は全労働者の問題なのだ
。労働組合の
弱体化は健全な社会の対抗力を弱め、人間としての生活の
価値を衰退させていく。
 
ドイツの労働組合はEU全体の労働者にも働きかけて、共
通のルール作りを積み上げつつある。ドイツの企業が南米
に新工場を作ったときにも、そこで働く労働者の労働条件を
引き上げるために、現地の労働組合と協力して成功した

賃金はその国のレベルを基準とするものの、医療保険、休
暇、職業災害などの社会保険制度はドイツの制度に準じて
いる」

日本の多国籍企業がアジアへの資本進出を
している現状で、日本の労働者は、アジアの
労働者と競争するのではなく、ともに労働組合を
つくってたたかうという選択をしなければならいのです。

アジアの労働者、団結せよ!


もうひとつ読んだ論文は、
「安倍教育再生会議と私たちの教育改革」(佐貫浩)

数多くいる教育関係の学者の中でも、
佐貫さんは私が一番信頼できる学者です。
会ったことはありませんが(笑)。

この論文では、
教育再生会議の役割についての認識がクリアになりました。

「教育再生会議の性格とは、安倍首相の新自由主義と国家主義
の教育改革を、如何なるバランスで推進していくかの調整(統制派=
国家主義派と規制改革派の対立の調整)を、あたかも教育改革を
めぐる国民的な対立を議論し合意を探求するように演出しつつ、
図っていくことであろう。もとより今日では、統制派と規制改革派は、
敵対的でないというよりも、相互補完的な関係であることを、両者
共に了解している」


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2007年5月11日 (金)

話ことばの看護論

最近読んだ本。

『人の痛みを感じる国家』(柳田邦男、新潮社、2007年)

柳田邦男の最新刊。
期待したわりには、そうでもありませんでした。

あまり線ひっぱりませんでした。


『話しことばの看護論-ターミナルにいあわせて』
                   (徳永進、看護の科学社、1988年)

その柳田さんの、他の本でちょくちょく紹介されるのが、
この徳永進さん。医師です。

いやー、かなり学べました。大収穫です。

この本は徳永さんの講演3本をもとにしていて、
「話し言葉」で書かれているので、読みやすいし、
内容もほとんどは患者さんとのやりとりのことなので、
理屈っぽくなくて、とてもいいです。

一気に徳永さんのファンになりました。

去年から医療・看護・いのち系の本をたくさん読んでいるのですが、
確実に、私の人間の幅というか、受容力を、広げてくれています。
それが仕事にもじわじわと生きています。

医療や看護の「ケア」の本質は、つまり人間関係の本質と
一緒だ、ということなんだと思います。


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2007年5月 7日 (月)

大瀬校長・いのちの授業

最近読み終えた本。

『いのちの授業-がんと闘った大瀬校長の六年間』
                 (神奈川新聞報道部、新潮社、2005年)


 強く心ゆさぶられた本。

 1998年に新設された、神奈川県茅ヶ崎市の浜之郷小学校の
校長として赴任した大瀬敏昭さん。学校、教育改革のために、
強いリーダーシップを発揮して、次々と課題を打ち出し、全国的
も注目される教育実践、授業実践をつくりあげた。
 
しかし、開校から1年半後の99年秋、胃にがんが発見され、
胃の摘出手術を行う。手術後、4か月で職場復帰し、その後、
浜之郷小学校で
「いのちの授業」を開始する。
 
「死は怖い。でも、1日1日を大事に生きようと思ったのは、が
んになってからです」「死を考えることは、生きるということを考え
ることです」と、絵本などを使いながら小学生に「生きるとは」「人
間が死ぬとはどういうことか」を語り続けた。
 
2002年1月にがんが再発。「余命3か月~6か月」と診断され
る。ここから、キリスト教の教えに深く学んでいく。「敏昭さんはこ
のころから、周囲の人に『病気になって良かった』『弱さの意味や
勝ち負けの無意味さを知った』と言い始めた。価値観の“大転換”
が起きたようだった」
 
闘病を続けながら、「学校に行くこと、子どもからエネルギーをも
らうことが一番の薬だ」と学校へ通い続け、校務と「いのちの授業」
を続けていく。
 
2003年12月24日に、学校の終業式で最後の「いのちの授業」
を行ったのち、04年1月3日、家族や同僚に見守られながら、息
をひきとる。
 「余命通告」から2年、せいいっぱい生き抜いた大瀬校長の姿は、

人間の「生と死」について、深い問いかけを与えてくれます。

この本を通じて知った絵本にも感動。



『「悩み」の正体』(香山リカ、岩波新書、2007年)

「本書で取り上げる『悩み』の多くは、おそらく10年前、20年前だっ
たら『悩み』にならなかったようなもの、あるいは『悩み』になったとし
ても、ちょっとした生活の知恵や工夫、まわりの人の助けで重症に
ならずにクリアできたようなものだ。そういう意味でこれは
『いまどき
の「悩み」』
であるとも言える。そしてその解決のために必要なのは、
『考え方の転換』でも『生活習慣の改善』でも『専門家の治療』でもな
く、実は
『それを悩まなくてもいいような社会にすること』である場合
も少なくない」(まえがき)

この人の本はやはり、おもしろく、読みやすい。


『イラクの混迷を招いた日本の“選択”』
    (自衛隊イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議編著、
                     かもがわブックレット、2007年)


あらためて確認したこと、知らなかったこと、
忘れていたことがたくさん。

航空自衛隊、早く帰ってこい!


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2007年4月27日 (金)

癒し本は旅エッセイ

体の疲労蓄積はピークに。
こういうときはやっぱり癒し本。

『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』(清川妙、小学館、2006年)
                              を読み終えました。

53歳で英語の学びなおしを決意し、英国人教師と猛勉強。
最近では毎年のようにイギリスへひとり旅をしている
著者の、ほがらか旅エッセイ。

やっぱえーなー、旅は。人との出会い、異文化との出会い。
イギリスの見方もだいぶ変わりました。いいですね、英国も。

著者の前向きな生き方にも共感。
あー、のんびり旅したい。


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2007年4月25日 (水)

生きることの質

『生きることの質』(日野原重明、岩波書店、1993年)を読み終えました。

95歳にして現役医師。いまも成長を続けるスーパー老人です。
この本も中身の濃い1冊。

日野原さんは、医学者というより、すでに哲学者の域にきています。
医学はもちろん、よく生きること、よく老いることについての経験に
もとづいた深い洞察は、たいへん勉強になります。
古今東西の哲学者の言葉もポンポンでてきます。

看護大学の学長もずっと長いことされていて、
看護に関する著書もあるので、さらに学びをすすめていきます。

なんか5月に看護協会から『看護の知識と技を革新する(仮)』という
最新刊が出るそうです。これも読まねば。

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2007年4月 9日 (月)

おどろきの人体

最近、自然科学や生命科学に学びの興味が移っています。
あと哲学。すこぶるおもしろいです。

最近も、
Newton別冊
『人体の構造と機能をひもとく-新・解体新書』(2005年)
を読み終えました。

あらためて私たち人間の体のおどろくべき構造・機能について知りました。
270種類の細胞が、合計
60兆個。
その細胞たちがそれぞれ独特の役割を果たしながら、
人体を形づくっている・・・。
脳、それぞれの臓器、口、目、耳、鼻、骨、筋肉・・・驚嘆の精巧さです。

あわせて、生命進化の歴史、地球の歴史を学ぶことも大事。
ヒトとして生まれた私たちの存在がいかに、かけがえのないことなのか。

また、最近の惑星探査の成果のおかげで、
太陽系スケールで私たちの存在を考えることもできます。
最近知った「惑星の旅」↓もオススメです。
       http://jvsc.jst.go.jp/universe/planet/

「あー、地球ってすごいなー」と思います。

そんな地球で、単細胞生命から
私たちのような精巧なものに生命は進化してきた・・・。

21世紀に生きることができて、私はかなりラッキーでした。
地球や人間、自分をこれだけ客観視できる時代なんですから。

学びはつきません。

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2007年4月 5日 (木)

やっぱ借り本はアカン

『コトの本質』(松井孝典、講談社、2006年)を読み終えました。


T中さんから「これいいよ」と借りた本なのですが、
「借りもの」なので線がひけれません。
よって、おもしろいところはたくさんあったのですが、
どこがおもしろかったのか、もう忘れました。

あー、やっぱ借り本はアカン、アカン。
これで返したらまったく何も残らんし。
メモとかノートとるゆとりはないし。

しかし、この松井孝典さん、かなりの変わり者です。
そこだけは覚えてます、はい。

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2007年4月 2日 (月)

アインシュタイン・ロマン

最近読み終えた本。

『オール1の落ちこぼれ、教師になる』(宮本延春、角川書店、2006年)

小学校のときいじめにあい、学校嫌いに。
小学校、中学校と、勉強にまったく意味や目的が見出せず、
通知表はいつもオール1。
漢字は名前しかかけず、英単語はBookだけしか知らない。

そんな著者が、人との出会い、また、アインシュタインとの出会いに
よって「自分が生きている世界はこんなにすごいのか」と、
劇的に変わっていきます。

「物理を学びたい」と一念発起し、定時制高校へ。
猛勉強のすえ、名古屋大学に合格し、
その後、母校の高校で教師になるまでのお話です。

やっぱり勉強は、目的・目標をもつことがなにより大事だということを
あらためて感じさせてくれる本です。

ところで・・・、著者の人生を一変させたのが、
23歳のときに見たNHKスペシャルの『アインシュタイン・ロマン』(全6回)。
アインシュタインの考えたこと、彼の生み出した相対性理論を
わかりやすい解説と映像で番組化したものです。

なにをかくそう、私もこの番組はビデオで全部録画して、
何回も見ていました。1991年放送ですので、当時高校生でした。
驚きの理論、発想豊かな映像と構成、そして美しい音楽・・・。
大好きな番組です。物理の勉強はそれほどでもなかったのですけど(笑)。

じつは、この『アインシュタイン・ロマン』のオリジナル・サウンドトラックCDまで
もってるんです!(これは結構希少かも)

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 なんで買ったのかは覚えてませんが、
 よほど気にいったんでしょうね~。
 いまでもちょこちょこ聞いてます。

 メインテーマ曲なんか最高です。




『使える弁証法-ヘーゲルが分かればIT社会の未来が見える』
                    (田坂広志、東洋経済新報社、2005年)

題名にひかれて、おもわず買った本。

著者は、弁証法の、
「事物の螺旋的発展」の法則、
「否定の否定による発展」の法則、
「量から質への転化による発展」の法則、
「対立物の相互浸透による発展」の法則、
「矛盾の止揚による発展」の法則、

を使って、現在の経済現象を分析していきます。

なるほどおもしろい視点だなーと思うところもあったのですが、
哲学的な視点でのみ経済現象を取り扱っているので、
全体的に説得力に欠ける気がしました。

弁証法って、たしかに社会情勢の分析に「使える」と思いますが、
世界観ですからねぇ・・・。もっと奥深いと思うのですが。

ということで、あまり「使える」本ではありませんでした。


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2007年3月29日 (木)

納得の戦後責任論

『戦後責任論』(高橋哲哉、講談社、1999年)を読み終えました。

とりあえず目次。

Ⅰ戦後責任を問い直す
 *「戦後責任」再考
 *記憶・亡霊・アナクロニズム
 *ジャッジメントの問題

Ⅱネオナショナリズム
 *日本のネオナショナリズム1
 *日本のネオナショナリズム2
 *ネオナショナリズムと「慰安婦」問題

Ⅲ私たちと他者たち
 *汚辱の記憶をめぐって
 *哀悼をめぐる会話
 *日の丸・君が代から象徴天皇制へ



いま、こうした時期だからこそ、
私のなかでヒットするところがたくさんありました。

高橋さんの考察というのはいつも新鮮な視点を
与えてくれて、とても勉強になります。

とくに、私たちの世代の戦後責任について、
ある程度考えていたことが、より整理され、
あらたな視角をもらい、広く捉えなおすことができました。

秋の労働学校で、「戦後世代の戦後責任」について、
この視点で1コマやるかなー。

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2007年3月15日 (木)

われわれはどこに行くのか?

最近読んだ本。


『松井教授の東大駒場講義録-地球、生命、文明の普遍性を宇宙に探る』
                         (松井孝典、集英社新書、2005年)

『われわれはどこに行くのか?』(松井孝典、ちくまプリマー新書、2007年)



著者の松井さんは、東京大学大学院教授で、専攻は地球惑星物理学。
2冊立て続けに読み、重なる部分も多かったですが、
『われわれは…』のほうが一般向け。あっという間に読めます。

なるほど、と思ったのは、私たちが考えている生物学、
つまり「生命とは何か」という問いは、「地球生物学」であり、
私たち地球の生命が(たとえば、細胞
できている、DNAで複写など)、
この宇宙で普遍性のある存在なのかどうかは、未知であるということ。

そーいわれれば、そうです。私たちは、私たちの生命しか知りません。
地球外生命の発見が21世紀には期待されます。

土星の衛星、エウロパには、地下に海が存在していて、可能性が高い。
2010年代半ばにはNASAの調査が入
るのだとか。これに期待!

これだけ広い視野をもった著者の、資本主義分析、文明分析も、
たいへん興味深く読みました。

また、『われわれは・・・』での、

本当の豊かさは何かといったら、自分の時間を自分がどれくらい
コントロールできるか
だと思います

「自分の時間が8時間しかない人が幸せなのか16時間使える人が
幸せなのかという判定をすれば、これは勝ち組・負け組逆転する」

という指摘もそのとおり。

私たち人間とは・・・ということを考える日々であります。


『これ以上、働けますか?-労働時間規制撤廃を考える』
          (森岡孝二・川人博・鴨田哲郎、岩波ブックレット、2006年)



その人間を破壊するもののひとつ
が、私は「長時間労働」だと思います。
体だけでなく、精神、そして人間性も破壊する!

ホワイトカラー・エグゼンプション批判の本です。

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2007年3月10日 (土)

46億年 私たちの長き旅

最近読み終えた本。


『動物と向きあって生きる』(坂東元、角川書店、2006年)

相方に、「読みなさい」と言われ、読んだ本。

北海道、旭山動物園獣医・副園長の坂東さんが、
自身の歩みをふりかえりながら、動物と人間のかかわり方、
動物園の役割と目指すものについて語っている本。

これはいい。とってもいい。おすすめです。
野生動物とペットは違う。そこの認識がはっきりしました。

読んでいて、最初のほうは、「なんて暗い人だ」と思ったけど、
“動物と向きあって”生きているその姿は、
とても共感し、学ぶところがありました。


『プロフェッショナル仕事の流儀スペシャル-明日から使える「仕事術」』
          (NHK「プロフェッショナル」政策班、NHK出版、2007年)


いくつか取り入れたい「仕事術」を学びました。
が、プロフェッショナルの道は険しい・・・。


『46億年 私たちの長き旅-地球大進化と人類のゆくえ』
                    (高間大介、NHK出版、2005年)


NHKで2004年に放送された、
『地球大進化-46億年・人類への旅』(6回シリーズ)。

その番組制作責任者をつとめた著者が、
番組づくりのエピソードや苦労もふくめて、
6回分の放送内容をなぞりながら、
あらためて「私たちはどんな存在か」を考えた本。

放送自体もほぼ見ていて、とても感動したのですが、
この本を読んで、人間や自分の“かけがえのなさ”を
またしても深く実感したのでありました。

最近、金森俊朗さんの本をよく読んでいたのですが、
小学生に、「君たちは奇跡的な存在なんだ」ということを
いろんな角度から教えている姿が印象的でした。

こうした人間観が、いまとっても大事だと思います。
本当に、私たちは、すごい存在なんですよ。

そして、地球や生命の進化の歴史という側面からみても、
やはり私たちは「奇跡的」と言えるんだと思います。

どれだけ、幾多の荒波をのりこえた「命のリレー」を経て、
私という人間が存在しているのか…。
そのうち、私が実際に知っているのは、わずか3代ぐらいのものです。

地球という星で、ホモ・サピエンスとして生を受け、
そしていま、これだけの文明社会を発展させてきた
時代に生きている・・・。

これだけで、ほんと、奇跡です。
このもらった命を、せいいっぱい、輝かせなきゃ!

そしてみんなが、命を輝かせることのできる、
そんな社会にしないとなー。やっぱり。

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2007年2月28日 (水)

組織力を高める

最近読み終えた本。

『組織力を高める-最強の組織をどうつくるか』
            (古田興司・平井孝志、東洋経済新報社、2005年)


この手の本はわりと好きで読むのですが、
今回も参考になる部分がありました。

組織力の定義を、「
組織が自らを変革し結果を出していく力」と
しているのには、納得しました。

企業も、私たちのいろいろな運動も、同じですね(目的は違いますが)。

この本ではマネージャー(幹部やリーダーのこと)の役割として、
①結果を出していく「遂行能力」
②環境の変化に合わせ進むべき方向性を正しく把握・修正していく「戦略能力」
 が求められている、としています。

また、組織は「生き物」であり、ほおっておくと衰退する、
「人こそがすべて」という見方が大事であり、「人を育てることと喜び」に
ついても様々指摘しているところにも、共通する問題意識がありました。

ただ、これをどう実践していくかは、難しいですが・・・



『日本共産党史を語る(上・下)』(不破哲三、新日本出版社、2007年)

84年の歴史は、ハンパではありません。
かなり読みごたえがあります。
通史ではなく、焦点をしぼっているからこそ、面白く読めます。

日本の社会変革の事業において、幾度となく、並々ならぬ
試練に立たされながらも、科学的社会主義に立脚し、
ときどきの理論や方針、戦略を、柔軟に、科学的に発展させ、実践と結合し、
それを蓄積してきた力は、ただただ、驚くしかないのであります。

不滅ですな、この政党は。


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2007年2月23日 (金)

現代にきりこむ週刊東洋経済

最近『週刊東洋経済』(東洋経済新報社)がヒットを飛ばし続けています。
打率が確実に上がってきています(私の中で)。

はじめて『週刊東洋経済』を買ったのは、
昨年10月28日号
「ニッポンの医者と病院」の特集からで、
続いて、1月13日号の
「雇用破壊」特集号、
1月27日号の
「ニッポンの教師と学校」も、思わず買ってしまいました。

いずれも、それぞれの問題について、
現状告発と問題提起を行っていて、たいへん読みごたえがありました。

さすがに定期購読にはまだ壁があるのですが、最近では本屋に並んでいる
『週刊東洋経済』を必ずチェックするようになりました。

そして、ついに最新号で、
現代日本に切り込む決定版のような
特集を組んでいて、思わず拍手! またもや買ってしまいました。


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2月24日号特集 
「貧困の罠」-あなたは無縁だといえますか・・・

以下、特集の目次


【サラリーマンの受難】
 *
あなたにもやって来る「下流」転落シナリオ
 *家計が豊かになる時代はもう終わった
 *
義務教育でも負担過大、学力も人生もカネ次第
 *
INTERVIEW 格差と貧困を問う
   「日本は所得配分機能が弱い、
最低賃金の引き上げが必要だ」

【悲鳴上げる中小企業】
 *消費税12万円が払えない!
中小零細業者、無念の廃業

【追い詰められる弱者】
 *
生活困窮者を門前払い、北九州市・生活保護“水際作戦”の非道
 *児童扶養手当削減に怯える
働きづめの母親たち
 *
追い詰められる障害者、「自立支援法」は誰のため
 *
ホームレス セイフティネットなき日本社会の遭難者
 *
若者たちの生活保護
 *INTERVIEW 格差と貧困を問う
   「貧困層を排除した『社会保険主義』は誤りだ」

【トヨタのお膝元で】
 *営業利益2兆円の
トヨタを支える下請けとの「賃金格差」
 *豊田市保見団地、日系ブラジル人集住地区の実像を追う

【行政改革の帰結】
 *自治体予算切り詰めで
「最低賃金割れ」労働が多発

【地方の疲弊】
 *夕張破綻 
市立病院を追い出された透析患者たち
 *青森県ルポ 「もうお手上げだ」、
リンゴ農家からのSOS

【現代版・出ニッポン記】
 *
「もう日本に住めない」、年金不安が生む日本脱出

【億万長者に聞く】
 *「日本は成功者を成金とねたむ島国」

 INTERVIEW 格差と貧困を問う
  「改革で格差は縮まった、日本は小さな政府しかない」

  「希望を取り戻すために、小さな政府から転換せよ」



どの記事も、丹念な取材、力がこもった力作なのですが、
特筆すべきは、日本企業の顔、トヨタの利益の
カラクリに切り込んでいること
です。

トヨタという企業が空前の利益をあげているその下で、
下請けイジメと外国人労働者の存在という問題を告発しています。

全国新聞やテレビでは絶対にこうした名指しの批判はできません。
トヨタは大口の広告スポンサーですから。

あっぱれ東洋経済! よくぞ書いてくれました。
圧力がかかるのでは、と心配ですが、ふんばってください。
応援してます。


編集後記(「編集部から」)で、編集者の岡田さんはこう書いています。

「『年金改革で100年安心』『消費税は福祉目的に使われてい
ます』。この国の為政者は耳当たりのいい言葉ばかり並べて
きました。しかし、
少なく見積もっても国民の1割近くが社会保
障から排除され、暮らしや生命を脅かされています
。そして生
活困窮者は増えこそすれ、減ることはありません。そうした中
で、政府は仕事や生活の保障をすることなく、代わりに『自立』
や『再チャレンジ』を求めています。そしてチャレンジを阻害す
るという理由で、母子家庭への給付を切ったり、自立のためと
称して障害者に高額の施設利用料を課したり・・・。
特集を通じ
て政策担当者の非常識をつまびらかにしました



まっとうなジャーナリズムの精神がここにあります。
現実と向きあう。このことは簡単なようで難しい。

『週刊東洋経済』のつくり手の思いが伝わってくる特集です。
ぜひ書店でお買い求めください。


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2007年2月21日 (水)

金森学級 3冊目

最近すっかりハマッてしまった、
石川県の公立小学校教諭の金森俊朗さんの教育実践。
3冊目の本を読み終えました。


『4年1組 命の授業-金森学級の35人』
                  (NHK「こども」プロジェクト、NHK出版、2003年)



やっぱり泣けた。
子どもたちのもつ力に泣けました。


これはNHKスペシャルで2003年5月に放映されたものの基礎になった、
金森俊朗先生の4年生クラスの1年間を綴った本です。


4年生になって、金森さんの最初の質問がすごい。

「学校に来るのは何のためや?」

子どもたち- 「パッピーになるため!」

また金森さん- 「この教室にいる以上、君たち全員がハッピーになるために
          私は全力を尽くす。みんなもよろしくお願いします」

子どもたち- 「先生!こちらこそよろしく!」
         「まかしといて!!」
         「やるぞぉ!!!」

その前年度、同じメンバーで1年間、
「みんなでハッピーになる」を目標に学びを積み重ね、
それがクラスの合言葉になっている。

日本中の学校が、こんなステキな学級だったら、どんなにすばらしいだろう。


ぜひ、一度、金森先生の講演を生で聞いてみたい。
そんな思いがフツフツとわいてきています。


金森俊朗さんのホームページ「かなもりとしろうの部屋」
もありますので、ご覧ください。

こちら→ 
http://www.spacelan.ne.jp/~pine/kanamori_.htm

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2007年2月17日 (土)

夢やぶれる!?

『禁断の科学』(池内了、昌文社、2006年)を読み終えました。

科学の功罪、科学者の社会的責任について、深い考察をくわえていて、
たいへん勉強になりました。科学者もたいへんだー。

とりあえず、目次をご紹介します。

【第1部 戦争と科学者】
  1章 戦争と科学者の関わり-真理と倫理のジレンマ
  2章 第1次世界大戦-国家が科学者を戦争に駆り立てた
  3章 マンハッタン計画-これで我々は全員悪党だよ
  4章 日本の戦時科学者-歪められた愛国心
  5章 ロケット開発-宇宙への夢とミサイルの悪夢
  6章 冷戦下の科学-歯車としての科学者
  7章 科学者の「ノー」-平和運動のひろがり
  8章 科学者の社会的責任-求められる倫理規範

【第2部 現代科学の光と影】
  9章 原子力の現代-原発を巡る諸問題
 10章 ITがもたらすもの-情報化社会と監視社会
 11章 人工科学物質-食の科学
 12章 遺伝子操作の論理-神の代役をする科学者
 13章 未来技術の明暗-ロボットとナノテクノロジー


いろいろと紹介したい内容があるのですが、
私の個人的関心事で、「ガーン」と思ってしまったことだけ、ご紹介します。


私の人生の目標のひとつに、「宇宙から地球をみる」というものがあります。

しかし、池内さんは「ロケット開発」の章で、

誰もが宇宙へ行ける時代(宇宙観光の時代)が来るのだろうか
ゆくゆくは、月や火星へ移住することが人類の目標となるのだろう
か。
私は、そうはならないと考えている」と述べています。

なぜなら、まだまだロケットに人を乗せて運ぶには、
安全性が確立していないからだ、というのです(涙)。

現在のロケットの成功率は約98%。
アメリカのスペースシャトルは114回のフライトで2回の大惨事を
引きおこしているし、日本のHⅡロケットも失敗を繰り返している。
50回に1回の危険率では安全な乗り物とはいえない

今、世界中で飛び回っているジェット旅客機の全損事故率は
100万回の出発について0.6件(2003年実績)。
これほど事故率が小さいからこそ、みんな安心して飛行機に乗る。

かりに、ロケットの成功率が99.99%になっても、まだ危ない乗り物といえる。
1万回に1度の事故は少ないように見えるが、現在の飛行機の
運行数で換算すると、10日に1回事故が起こっている計算になる。

飛行機に比べて圧倒的に精密なロケットで成功率を上げることは至難のわざ。
さらに人間を乗せるとなれば、安全装置をより厳密なものにしないと
いけないので、費用が膨大なものになってしまう。
また、発射や着陸の重力変化に耐えるだけの訓練が必要で、
誰でもちょっと宇宙へ行って来るというわけにはいかない。

・・・というのが池内さんの考えです。

もちろん、池内さんは有人飛行すべてに反対しているわけではなく、
その意義も確認したうえで、「あえて固執する必要はない」と言っているのです。


うーむ、うむうむ。
「夢」が少し遠のいた気分・・・

池内さんの予測がよい意味ではずれてくれることを祈っています。

誰でも宇宙に行ける時代、きてちょーだい! 生きてるあいだに。


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2007年2月10日 (土)

興味津々の『Newton』

本ではないのですが、本屋をうろついていて、
「お!」と目につき、おもわず買ってしまったのが、
グラフィック科学雑誌
『Newton』です。

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その3月号の特集が、
「地球で? それとも宇宙から? 最初の生命」
 ~モノから生物への「途方もない飛躍」~


というものでした。

「生命」と「生命でないもの」をわける特徴的機能として、
①『自己複製』-自分自身と同じ姿のものをつくりだす機能
          遺伝子情報をおさめたDNAを正確に複製すること
②『代謝』-自分自身を維持するため、材料とエネルギーを調達し、
       みずからの体を構成する部品をつくりだす

ということらしいです。

しかし、こうした生命の特徴がなぜ生まれたのか?
ということは、今のところはっきりしていないのだとか。

最近の説では、DNAやタンパク質よりも先に、
RNA(リボザイム)という物質から生命が始まったというのが
有力になっているとのことです。

38億年前に地球上に誕生したと言われる生命。
その精巧なつくりには、ただただ驚くしかありません。



また、その3月号のとなりにあった
『Newtonムック』(2006年4月発売)も、ついでに買ってしまいました。

これも興味深い特集でした。
「ここまで解明された-脳と心のしくみ」

各章のタイトルは、
「考える細胞『ニューロン』-こうして心は生み出される」
「心の一生をたどる-脳が語る心の一生」
「なぜ人は喜び悲しむのか?-心と脳のしくみ」
「脳はどこまで解明されたか?-『脳科学』の最前線」

この特集の方が驚きが深かったです。

若い人のなかでは、「うちはバカじゃけえ」「私は頭の回転がわるい」
と自分で思っている人がいますが、とんでもありません。

38億年の生命進化の結果、人間の脳は、
どんなスーパーコンピュータも及ばない情報処理能力をそなえ、
世界の脳科学者がよってたかって研究しても、
いまだに汲めどもつきぬ複雑な構造と精密さをもっているのです。

私たち人類は種でいえば「ホモ・サピエンス」で、「賢い人」という
意味なのですが、本当にそうなのです。

人間の脳には140億個のニューロンという神経細胞があり、
それらがたがいに複雑なネットワークを形成しながら、
ほかの生物にはない人間の脳の機能を支えています。

そんな「小宇宙」を一人ひとりの人間が持っているなんて・・・
本当に奇跡的な存在です。



すばらしく刺激的で、すばらしくおもしろい特集でした。

「自然科学の領域においてにしろ画期的な発見がなされる
     ごとに、唯物論はその形態をかえなければならない」
                (エンゲルス『フォイエルバッハ論』)

ということが、実感される学びでした。

あー自然科学おもしろい!

『Newton』もおもしろい!!
この雑誌はグラフィックが豊かで理解が格段にすすみます。

定期購読しよーかなー。

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2007年2月 6日 (火)

岡本太郎の沖縄論

最近読み終えた本。


『太陽の学校』(金森俊朗、教育史科出版会、1988年)

先月読んだ、『いのちの教科書』に引き続いての、金森学級の教育実践記録。
今度は約20年前と古いが、金森先生が担任の6年生たちの1年間の歩みが
よくわかる。ちょうどこの頃は私も小学生ぐらいだったなー。

こんな先生に教えられた生徒は本当に幸せです。
と同時に、子どもの可能性、創造性のすばらしさにも感動の連続。

今回は、学習運動へのヒントとなることも、いくつも考えることができました。

「今、教育界ではいかに教えるかの方法ばかりに腐心しているが、
子どもが求め、必要としているのは、教師自身の豊かな人間観、
人生観と言えるのではないか
と思えてしかたがない」

肝に命じたい言葉です。



『沖縄文化論-忘れられた日本』(岡本太郎、中公文庫、1996年)

沖縄旅行の最中に読んでいた本。
1959年11月~12月にかけての岡本太郎の沖縄見聞録を中心に、
1966年の久高島訪問、そして1972年の「本土復帰にあたって」を収録。

沖縄の友人に「ぜひ沖縄へ」と誘われて、気軽に訪れた沖縄とその島々で、
太郎は「日本の原点」と出会い、強烈な印象をもつ。

「私はこの報告によって、人間の純粋な生き方というものがどんなに神秘
であるか、その手ごたえを伝えたかった。それは生きている自分の土台を
たしかめる情熱でもある。・・・
この神秘。私がここでぶつかったのは、はか
らずも日本の神秘だった
。・・・それにしても、沖縄の魅力にひきこまれ、私
はほとんど一年近くもこの仕事にうちこんでしまった。それは私にとって、
一つの恋のようなものだった
(「あとがき」より)

「私はますます日本、それもその風土と運命が純粋に生き続けている辺境
に強くひかれる。そこには貧しいながら驚くほどふてぶてしい生活力がある。
・・・そういう意味で重要な魂はやはり沖縄だ。したがって、
私がここで展開
したいのは沖縄論であると同時に、日本文化論である
(20ページ)

以後、叙述される太郎の沖縄への眼差しは、ときにするどく、ときにやさしい。

太郎は、この仕事(雑誌への連載)をするにあたって、相当沖縄の
歴史を学んでいると思う。戦前の人頭税から、沖縄戦、気候風土までふくめ
バックボーンとしてつかんで、この文章を書いている。そこがやはりすごい。

目次だけ紹介すると、「沖縄の肌ざわり」「『何もないこと』の眩暈(めまい)」
「八重山の悲歌」「踊る島」「神と木と石」「ちゅらかさの伝統」「結語」となって
いるが、扱われる問題は本当に幅広い。


巻末の「本土復帰にあたって」もこれまた圧巻。
太郎の先見性を前に、うなるばかりでした。
全文紹介したいのですが、最後の部分だけ紹介します。

本土とはまるで違っていながら、ある意味ではより日本的である。あの
輝く海の色、先ほども言った沖縄の人たちの人間的な肌ざわり。もちろん、
あの『沖縄時間』を含めて。
本土の一億総小役人みたいな小ぢんまりした
顔つきにうんざりした人は、沖縄のような透明で自然なふくらみ、その厚
みのある気配にふれて、
自分たちが遠い昔に置き忘れてきた、日本人と
しての本来の生活感を再発見すべきなのである

 皮肉な言い方に聞えるかもしれないが、
私は文化のポイントにおいては、
本土がむしろ『沖縄なみ』になるべきだ、と言いたい
。沖縄の自然と人間、
この本土とは異質な、純粋な世界とのぶつかりあいを、一つのショックとし
てつかみ取る。それは日本人として、人間として、何がほんとうの生きがい
であるかをつきつけてくる根源的な問いでもあるのだ。とざされた日本から
ひらかれた日本へ。
 
だから沖縄の人に強烈に言いたい。沖縄が本土に復帰するなんて、考
えるな。本土が沖縄に復帰するのだ、と思うべきである
。そのような人間
的プライド、文化的自負をもってほしい。
 この時点で沖縄に対して感じる、もの足らなさがある。とかく当局者も一
般の中にも、本土に何かやってほしい、どうしてくれるのか、と要求し期待
する方にばかり力を置いている人たちが多い。
何をやってくれますか、の
前に、自分たちはこう生きる、こうなるという、みずからの決定、選択が、
今こそ緊急課題だ
。それに対して本土はどうなんだ、と問題をぶつけるべ
きなのである。
 私は島ナショナリズムを強調するのではない。島は小さくてもここは日本、
いや世界の中心だという人間的プライドをもって、豊かに生きぬいてほしい
のだ。沖縄の心の永遠のふくらみとともに、あの美しい透明な風土も誇ら
かにひらかれるだろう」

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2007年1月30日 (火)

戦争絶滅受合法案

最近読み終えた本。

『反戦軍事学』(林信吾、朝日新書、2006年)


「赤旗」にちっちゃく紹介されていて、おもしろそうなので読んでみました。
思ったほどの中身ではなかったのですが、
以下のような指摘には「そうだそうだ!」と納得しました。


「元参議院議員・鳥取県知事を父に持つ石破氏を含め、
自民党には
掃いて捨てるほどいる二世議員の中で、自ら進んで国防の任に就い
た経験を持つ人が一人もいないのは、一体どういうわけか

 世襲の特権階級とも呼ぶべき二世議院が、国のために戦う気概な
どと言うのを聞くと、私にはどうも、参謀などエリートは安全なところに
いて、前線の兵士には満足な補給もせず、ただひたすら国のために
死ぬことを強要し続けた、大日本帝国陸海軍の姿と二重写しに見え
てしまうのである。
 議席を世襲することの是非をひとまず置いても、国民に向かって、
徴兵制は平等であるだの、
国を守る気概を持つべきだのと得々とし
て言うのなら、
まずは跡取り息子(娘でもよい)に国防の大切さを説き、
自衛隊に『志願兵』として入隊することを勧めるのが、人の道というも
のではないのか

 …石破氏に話を戻すと、イスラエルを訪れて、戦車に乗せてもらっ
た話は嬉々として描いているが、
防衛庁長官として、自衛隊をイラク
に派遣しておきながら、自らは現地に足を運んでいない。
 この『国防』という著書において、徴兵制について論じている章のタ
イトルは『あなたも国を守ってください』である。
 
『まずは貴方がイラクへ行ってください』と言いたくなるのは、私だけ
であろうか」


これに関連して、おもいだしたことがあります。

哲学者の高橋哲哉さんが、04年1月17日付けの「赤旗」でこんな
ことを紹介されていました。

「20世紀の初め、デンマークのフリッツ・ホルム陸軍大将が
『戦争
絶滅受合法案』
をヨーロッパ各国に配布しました。採用されません
でしたが、内容が面白い。
戦争開始後10時間以内に次の者を下
級兵卒として招集し、できるだけ早く前線に送れというもの
です。
①国家元首、②国家元首の親族の男性、③総理大臣、国務大臣、
次官、④代議士(戦争反対の投票をした者を除く)、⑤宗教の高僧
で戦争に反対しなかった者。

 戦争の最前線に送られるのは、国家権力から最も遠い人々、弱
者です。国家権力の中枢の人々は、いつも安全地帯にいて命令を
発するだけです。常備軍の兵士は常に国家が養っている、最初の
犠牲者です。このからくりを見破ることが重要です」


今のアメリカのイラク派兵の現実、日本の自衛隊派兵の現実に、
そのままあてはまります。

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2007年1月23日 (火)

たしかな眼鏡を求めて

ようやく、
『人間の未来への哲学』(高田求、青木書店、1977年)を読み終えました。

正月に快調に読んでたのですが、その後鈍化し、
最近ちょろちょろと読みつないで、ようやく読み終えました。

高田求さんの本はだいたい読んでいるのですが、
この本もかなりの収穫を得た感じです。

以前に書いた、「サイエンスとアート」の繰り返しになるのですが、
やはりこの人は学習運動の職人です。
哲学をここまで感性豊かに伝えることができるのですから。

もともと、私が学習運動に目覚めるきっかけのひとつは、
この高田求さんの本を読む機会を得たからでもあります。

『明日へのノート』『学習の方法』『新人生論ノート』
『青春の色は何色か』『世界観の歴史』などなど。

直接お会いしたことは残念ながらないのですが、
私の人間形成に多大な影響を与えた人、ということは間違いありません。

この本の序章で、高田さんはこう書いています。

「世界をあるがままのゆたかさでとらえうるような、そんな目を
私たちはもちたい。ゆがんだ眼鏡は、世界をゆがんで見せる。
私たちは、
ちゃんとした眼鏡がほしい。哲学への要求がそこか
らはじまる
。・・・ちゃんとした眼鏡をかけたことのある人は知っ
ていよう、はじめてそれをかけたときのことを
。それまで、木の
葉はぼうっとかすんで見えていた。木とはそんなものだと思っ
ていた。が、
眼鏡をかけたとたんに、木の葉の一枚一枚が、
したたる緑とあざやかな輪郭をもって目にとびこんできた。世
界がそのあるがままの新鮮さで私たちに迫ってくる、そんな眼
鏡を求めて、私たちは哲学にむかうのである



20歳になったばかりの頃、高田さんの本を読み、
世界をいきいきととらえる「眼鏡」を見つけた感激は、
きっと忘れることはないでしょう。

そんな感覚をもっと多くの人に味わってほしいと思います。
それが私の学習運動の原点でもあります。

哲学学習を広げたいです。

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2007年1月10日 (水)

今年もバンバン読むぞ~

2007年に入って読み終えた本。

『「福死国家」に立ち向かう-社会保障再生の道を問う』
          (社会保障総合研究センター、新日本出版社、2005年)


『「医療改革法」でどうなる、どうする』
          (日野秀逸・寺尾正之、新日本出版社、2006年)


今週土曜日の
講義の準備で読んだ本。
新自由主義の人間観では、
「病気やケガになったのはあなたの自己責任でしょ」
「質の良い医療は、自己努力と責任で買いなさい」となる。

これに、日本国憲法の人間観を対峙させるのが、講義の眼目。
はじめてしゃべる内容が多い、チャレンジ講義です。


『多重化するリアル-心と社会の解離論』(香山リカ、ちくま文庫、2006年)

広島労学協の二見さんから「読んでみて」と言われた本。

「いまの自分が本当の自分なのだろうか」
「目の前の現実は、本当にある現実なのだろうか」
「学校の自分と、家での自分、パソコンのなかの自分」

自分や現実にリアリティを感じることができない人、
別々の場所で「いろんな自分」を生きる人びと。

メディアや携帯、パソコンのもたらす負の部分に
精神科医らしい分析をくわえています。

どー考えたらいいんだろぉ、うーむ。


『いのちの教科書-学校と家庭で育てたい生きる基礎力』
                           (金森俊朗、角川書店、2003年)

憲法13条の「個人の尊重」をもっと豊かに語りたいと思い、読んだ本。

石川県金沢市の小学校教諭の教育実践。
NHKスペシャル「涙と笑いのハッピークラス~4年1組 命の授業~」(03年5月)
でも紹介された金森学級。

これこそ「生きている実感がない」と感じる若者への王道をゆく回答だと思う。

香山リカさんの本に出てくる人びとは、
人と人との「生きたつながり」を感じることができない環境に
おいこまれているのだと思う。

「いのちは大事だよ」「あなたはあなたでいいんだよ」と口で言っても、
そう簡単に実感・共感できない現代社会。ましてや、
「憲法13条は、1人ひとりをかけがえのない人間としてとらえているんだ」
と説明したって、それが実感できず、
「そんなのは理想だろ」「現実をみろよ」で終わってしまいかねません。

そんな社会をつくりだしてしまった大人全員に、ぜひ読んでほしい本です。
子どもの力とそれを引きだす教育力に、感動しました。

「人格の完成」をめざす、ほんものの教育が、ここにあります。
中身はぜひ読んでみてください。

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2006年12月23日 (土)

保育実践に学ぶ

あー癒された。

『0歳から5歳の「集団づくり」の大切さ』(射場美恵子、かもがわ出版、2006年)
                                      を読み終えました。

いま学習協の専従をやっているわたくしですが、
「他にやってみたい職業は?」と聞かれれば、
迷わず「保育士」と答えます。

理由は簡単で、子どもが好きなのと、
保育の理論と実践に興味があるからです。

で、これまでも保育や子育てに関する本って、けっこう読んでるんですよね。
子どもから学ぶことってホント多いし、子育ても、「教育」なんで、
仕事上の参考にもなるんです。人間観とか、教育論とか。

この本も楽しく癒されながら読むことができました。
内容は著者の保育実践の記録なんですが、
6章あって、1章ごとに年齢があがっていきます。

章のタイトルだけ書いときます。
 0歳児-はじめて、人と関わることを学ぶ
 1歳児-「イヤ!」「ジブンデ!」それぞれの生まれたばかりの
       自我がぶつかりあって
 2歳児-「ジブンのことはジブンで決める」がしっかり保障される
 3歳児-1人ひとりの要求に丁寧に関わって
 4歳児-子どもたちは確実に力をつけた、しかし
 5歳児-子どもたちはいいとこ探しの名人になった


集団のなかで様々な経験をつみかさね、
また、子どもたちは、保育者から多様なものさしでしっかりと評価され、
「自分らしさ」を獲得していきます。

でも、日本では、学校教育にほおりこまれたとたん、
「成績」という基準で人間が評価されてしまいます。
大人がもっと多様な人間観、子どもを見る目を養わなきゃなぁ。

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2006年12月20日 (水)

夜と霧

最近読み終えた本。

『病気の社会史-文明に探る病因』(立川昭二、NHKブックス、1971年)

病気は文明がつくり、歴史的性格をもっている。
いわば、「病気の歴史的法則性」を明らかにした本。

ライ病、ペスト、梅毒、結核、ガン、コレラ…。
人類の歩みとともに、これらの疫病は、人間を襲う。
しかし、その原因も、人間社会自身がつくりだしたもの。

ほとんど知らないことばかりで、たいへん有益な学習となりました。
1348年、ヨーロッパの人口の4分の1が失われたペストの襲来。
産業革命が生み出した結核。
あるいは、発ガン性物質が充満している社会をつくりだしたのも、人間…。

たんに個人的な健康を追い求める傾向が強い現代人ですが、
やはり病気の社会性に見をむける必要があります。



『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳、みすず書房、2002年)

ものすごい本(いや、経験というべきか)です。

原著
(1947年初版)のタイトルは「心理学者、強制収容所を体験する」。
ナチスドイツによるホロコーストが行われたポーランド各地の強制収容所。

オーストリアで精神医学を学んだ医師、フランクルが、みずからの
収容所での体験にもとづき、そこでの人間の精神心理に焦点をあてた本。

読んでいくうちにグイグイ引きこまれました。
ホロコーストやアウシュビッツのことについては、他にもいろいろな
本があると思いますが、当時の被収容者の精神状況を、
客観的に分析しているものであり(そのこと自体がすごい)、
そこに人間の真実をみることができます。いい意味でも、悪い意味でも。

いろいろ印象に残ったところを紹介したいのですが、
あまりにも多いので、「生きる意味を問う」という部分だけ引用します。
あとは本を直接読んでください、ぜひとも。

「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度
方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待
するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから
何を期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望し
ている人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペル
ニクス的転換が必要なのであり、
もういいかげん、生きること
の意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っ
ていることを思い知るべきなのだ
。生きることは日々、そして
時々刻々、問いかけてくる。私たちはその問いに答えを迫ら
れている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは
出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答え
る義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々
刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
 この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ご
とに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ること
はできないし、この意味への問いに一般論で答えることもで
きない。
ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにか
ではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きる
ことがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である

この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類をみ見
ない人それぞれの運命をもたらすのだ」

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2006年12月13日 (水)

健康格差社会

来月のとある学習会にむけて、
医療問題についての本を、ある程度読んでおかねばなりません。

で、

『健康格差社会-何が心を健康を蝕むのか』(近藤克則、医学書院、2005年)
                                        を読みました。

まず本の値段(200ページたらずで、2625円)にビビッたのですが、
内容はそれ以上に驚きでした。
間違いなく、
ここ数か月で読んだ本の中で、一番ウロコが落ちました

書店の「社会問題」のコーナーに置いてあったのですが、
これは純粋な医学書です。著者は日本福祉大学の教授です。

「健康も自己責任」という風潮が、医学界やマスコミの主流ですが、
その問題にたいしての痛烈な批判と提言の書です。

出版社の見識の高さに、敬意を表したいと思います。


以下、本文より引用。

社会経済的な慢性的ストレスが、『生き抜く力』を蝕む。それによって、
うつに代表される精神的な不健康を招きやすくなる。それらによって交
感神経優位の身体環境となってハラハラ・ドキドキにさらされやすくなり、
ストレスホルモンの過剰分泌などの内分泌学的プロセス、さらには免疫
学的な面での抵抗力の抑制など、いくつかの生物学的な経路を通じて、
身体的な不健康を招く」

「日本は階層間におよそ
5倍もの格差がみられる『健康格差社会』

心理的ストレスは、最底辺層だけを苦しめるのではない。…リストラさ
れた者だけでなく、かろうじて残った者も『次は自分かもしれない』という
心理的ストレスに怯える。さらに、やや余裕をもって正社員として残った
者も、無言の圧力や将来不安から、『自主的に』長時間労働をするよう
になる。これが長期にわたれば、最低層よりも上に位置する者にとって
も、健康によいはずがない」

「所得向上を理由に効率を追求するよりも、失業不安を和らげたり健康
状態を高めたりするほうが、国民全体の幸福度が高まる可能性のほう
が大きい」

追求すべきは『健康で居心地のよい社会』の実現である」

格差が大きい社会とは、底辺から脱出できる可能性が低い社会である
社会的に厳しい環境に置かれている人たちほど、努力や成果を評価され
る機会は少なく、蔑まれたり、みじめな状況を経験することは多い。だか
慢性的な心理的、社会的なストレスは、底辺層ほど大きい。そのストレ
スに耐えきれなくなったとき、それが外に向かって爆発すれば暴力やテロ
となる。内に向かえば、自分を責めて望みを失い『生きていたいと思わな
い』『死んでもいい』『放っておいてくれ』と口にするようになる。このような
状態に至ってしまった人に、保健師が訪問し『閉じこもりは健康によくあり
ません。表に出ましょう』などといくら熱心に指導をしたとしても、果たして
どれほど多くの人が心を開き、希望を取り戻してくれるのであろうか?」

社会的排除の結果としての不健康

「ヘルスプロモーションで有名なオタワ憲章(1986年)は『すべての人に健
康を』というスローガンを掲げ
、『健康のための基本的な条件と資源は、
平和、住居、教育、食物、収入、安定した生態系、生存のための諸資源、
社会正義と公正である
と述べている」

「低い社会階層ほど、狭くて日当たりや風通しが悪く、騒音や排気ガスに
さらされ、寒暖差が大きいなど、快適でない環境で我慢している」

低い社会経済状態の人の人間関係は、貧しくなる傾向がある

「ヨーロッパに目を向けると、社会経済的な条件の違いによる健康の不
平等があることを公式に認め、それを抑制する政策や行動計画を公表
している国がある。それらを手掛かりにすると、
見直すべき政策は、社
会保障政策、労働政策、教育政策、コミュニティ政策、税制度などにま
で及ぶ


引用だけではイマイチわからないと思うので、
ぜひ一読をおすすめします。

先日放送されたNHKスペシャル「ワーキングプアⅡ」では、
一生懸命働いていても、貧困から抜け出せない人たちが
描かれていました。ああした労働と生活が長期に続けば、
健康は確実に蝕まれていきます。
まさに、社会経済的な格差が、健康の格差、命の格差に反映しています。

番組を見ていて、「この人たちの健康状態は大丈夫だろうか…」
「倒れるんじゃないのか…」と、本当に胸がしめつけられました。

なんとかしたい、ほんとに。

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2006年12月 6日 (水)

スパルタクスはすごいヤツ

最近読み終えた本。みてのとおり、なんの系統性もありません(笑)。

『スパルタクスの蜂起-古代ローマの奴隷戦争』(土井正興、青木書店、1973年)

社会発展史の勉強をしていると、よく出てくるのが、
古代奴隷制社会の象徴的なたたかいとしての「スパルタクスの反乱」。
いったいどんなものなのか、知ってみたいとずっと思っていたので、
今回勉強できてかなりスッキリしました。

70人の剣闘士奴隷の脱走から始まった反乱。
指導者のスパルタクスの卓越した力もあり、
迫ってくるローマ軍に次々と勝利する。
最高時12万の反乱軍、総数で20万の奴隷が立ち上がった。
奴隷たちの目的はただ一つ。「永続的な自由」を獲得すること。
アルプス越えを決意し、それぞれの故郷をめざす。

さまざまな要因もあり、結局はローマ軍に鎮圧されてしまうが、
約3年間の偉大なたたかいの詳細が知れました。

著者は、スパルタクスのたたかいを学んだある高校生が、
「ああやっぱり駄目か、闘争しないでおとなしくしておいた方がいいな」
という感想をもったことについてふれ、
奴隷蜂起のたたかいが、「現代につながる歴史的意義を明らかにしたい」、
という問題意識でこの本を書いたとか。
じゅうぶん、その意図は伝わってくる内容でした。


『マンチェスター時代のエンゲルス-その知られざる生活と友人たち』
  (ロイ・ウィトフィールド、坂脇昭吉/岡田光正訳、ミネルヴァ書房、2003年)


まるでストーカー並みの緻密さで、
エンゲルスのマンチェスター時代の生活を明らかにしています。
その人間性と、驚くしかない学習能力は、やはりエンゲルスだなぁ。


『新アメリカ物語-入植者は何をしたのか』(永田悦夫、文芸社、2003年)

アメリカ合衆国の成立の歴史は、
そもそも先住民であったインディアンへの侵略戦争であった。
その歴史が、現在のイラク戦争まで脈々と続いている、と著者はいいます。

たしかにそうなんだけど、その歴史だけに解消できないと
思うんだけどなぁ、戦争の問題は。
いずれにせよ、アメリカ国民自身が、歴史の総括をしないといけませんね。

ちょっと文章が読みづらい本でした、はい。


『生きる力-神経難病ALS患者たちからのメッセージ』
           (「生きる力」編集委員会編、岩波ブックレット、2006年)

先週でたばかりの本です。32人のALS患者の発信です。
現在は有効な治療法がないALS。筋肉が萎縮し、
体の様々な機能が失われていく難病です。

その患者たちは、「死」に直面し、もがき苦しみつつも、
人間の能力の多様性を前向きにとらえて、「生きよう」としています。
家族や医療者、患者仲間に支えられながら、
「生きる喜びがある」ということを綴った、メッセージです。

患者どうしの交流の力、パソコンの活用などの技術進歩も、
大きな支えとなっています。

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2006年11月30日 (木)

すごすぎます、太郎さん。

やはり、この人のスケールは、けた違いです。

『美の呪力』(岡本太郎、新潮文庫、2004年)を読み終えました。

昨年、川崎市にある岡本太郎美術館に行ったとき、
初めて間近に接する作品の放つエネルギーに、
圧倒されたのを、いまでも鮮明に覚えています。

それ以来、岡本太郎に興味をいだくようになり、
本も読んだりしていました。

芸術家、知識人、思想家、感性の人、
どれも、岡本太郎をひと言でまとめることはできない…。
そもそも、そういう枠にはまらない人です。
また、世界的(宇宙的?)な視野をもった人でもありました。


この文庫は、1971年に出版されたものの文庫版です。
この本のもとになったのは、岡本太郎が『芸術新潮』に
「わが世界美術史」と題して連載したもの。

とにかく扱う幅が広く、美術史や人類史の基本的な
知識がないと、なかなか消化できない部分が多いのですが、
一文一文に太郎の魂が入っているので、読みごたえがあります。

石の神秘からはじまって、血、怒り、火、挑戦、仮面、夜、宇宙など…
太郎の芸術論、世界観、人間観が
爆発! してます。

それにしても、“あやとり”にこれだけの考察を加えた人は、
他にいないでしょう。ビビりました。


では、思わず線をひいてしまった文章を紹介します。

「適当に生きようと思えば、逃げ道はひろい。どのようにでもよけ、
迂回できる。問題をぶつけず、容易に楽々と。だが、そのとき人
は死んでいる。生きながら死んでいるのだ」

挑戦は美であり、スタイルだ・・・私はそこに最も人間的な誇りを、
言葉をかえれば芸術の表現を見とるのである」

「文章を書き、自分の考え、問題を追いつめる。当然、
思索自体
がアクションであり、アクションはまた同時に、人間的にいって激
しい思索である
に違いないのだ」


長くなりますが、「あとがき」の言葉も。
これだけ“生”の質を高められたら、ほんとうにスゴイと思います。

「『美の呪力』と題したが、これは昨年1年間、芸術新潮に書き続
けた『わが世界美術史』をまとめたものである。
 この連載の企画をもって芸術新潮の山崎省三氏が私を訪れた
のは1969年11月。ちょうど万国博の準備がまさに追い込みに
かかり、現場は殺気立ってきた時期だった。大阪・東京をとんぼ
がえりの連続。原稿、しかも世界美術史などという、厖大な素材
を前提とする仕事に、とうてい取り組める状況ではなかった。
 しかし、
不可能と思われる条件だと逆にやりたくなる。忙しい時
にこそ根源的な問題に身をぶつけたくなる
幸か不幸か、私はそ
ういうたちなのだ。
 以来1年間、さっきも言ったように、ものを作る仕事と、問題を
展開し文章を書く、2つのモメントが私の中でギリギリと回転し、
身が引き裂かれる。
それはまた壮烈な充実感でもあった。
 だが何といっても原稿にはひどく時間がとられた。対極の引っ
張りあうバランスが崩れて、書く方に重みが傾きはじめると、私
はふと窒息する思いがしてくるのだ。
爆発したい欲求にかられる。
 ここでしばらく打ち切り、今当分の間はもっぱら造形物、巨大な
モニュメントの仕事にかかる。しかし
書き続けたいモチーフは限
りない。
「死」「迷宮」「エロス」中世の問題、異質文化の混血、そ
して「東洋」-現時点でこそ、西欧的秩序の逆方向から世界を眺
めかえすべきだというのが私の信念である。
 
すでに激しく書き展開してゆく情熱の予感が、私のうちに燃え
はじめている



長くなったついでに、文庫版の「解説」をしている、
鶴岡真弓さん(美術史家・立命館大学教授)の言葉もご紹介します。

「『美の呪力』を読むことは、『岡本太郎』による『世界美術館』を歩
くことである。その美術館は、おそらく世界一たくさんの展示室と
テーマをもち、世界一陰影に満ち、世界一わたしたちに不思議な
希望をあたえつづけてくれる場所である」

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2006年11月27日 (月)

ちょい太でだいじょうぶ!

『がんばらない』(集英社)で有名になった、
長野県の諏訪中央病院・名誉院長の健康本を読み終えました。

『ちょい太でだいじょうぶ』(鎌田實、集英社、2006年)

だいたい知っている内容が多かったのですが、
あたりまえの基本を実践するのが難しい。

今回あらたな発見だったのは、
「平均寿命」と「健康寿命」の違い。

日本人は「健康寿命」でも世界一。平均74.5歳だそうです。
でも、「平均寿命」は82歳ですから、
82歳-74.5歳=7.5年が「寝たきり」かそれに近い状態だそうです。
ずっと健康で「ころっと」死ぬ。これが理想ですね、やはり。

あー食物繊維食べんと!(寒天がいいらしい)
あー運動せにゃぁ!(筋肉をつけよう)

さいごに、一番納得した言葉をご紹介。

「減塩はとても重要だが、健康にかかわるのは食事だけではない。
労働、運動、休養、余暇、教育、家庭、社会的な存在としての自分
…そんなさまざまな要素がかかわり合って健康はつくられる。そし
健康になろうとする意思が自分の内側から出てきたときに、初め
て意識が変わり、生活習慣や生き方を変えることができる
。単純に
一つのものだけで健康が守られているのではない」

「健康は目標ではなく、手段だということ。
目標は自分らしく幸せに
生きること。そのために健康が必要なのだ

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2006年11月24日 (金)

南京虐殺を見た外国人

今月は「戦争問題」に関する読書が多かったのですが、
また、気分が落ち込む本を読んでしまいました。

『南京難民区の百日-虐殺を見た外国人』
                  (笠原十九司、岩波現代文庫、2005年)

1937年12月。上海攻略に成功した日本軍は、
そのまま当時の中国の首都だった南京への進撃を始める。
しかし、この作戦は、司令官・松井石根の独断で決定される。
上海戦が終われば故郷へ帰れると思っていた兵士たちの
精神は荒廃し、それが中国人民へと、攻撃の矛先がむく。

上海から南京まではおよそ300キロ。
日本軍は侵攻途上の村々で、虐殺、放火、強姦、掠奪をしていく。
中国人は日本軍のことを皇軍ならぬ、
「蝗軍」(いなごの軍隊)とよんでおそれる。
「殺すこと、女性を犯すこと」に慣れきった軍隊が、南京へとなだれこんでゆく。

日本軍が南京にせまってくると、
当時、南京に在住していた外国人のほとんどは南京を脱出していく。
しかし、アメリカ人のキリスト宣教師やドイツ人など、22名の外国人が
中国人難民たちの救済のため、非武装地帯をつくる必要があると自覚し、
南京城内に「南京安全区 国際委員会」(難民区域)をつくり、
日本軍の蛮行から多くの人びとを救う活動をはじめる。

この本は、その難民区で活動した外国人の日記や記録を中心に、
当時の南京で起こったことの全体像を浮き彫りにしている。

日本軍による虐殺。それは南京城内だけでなく、
周辺の広大な地区の農民も被害者となる。
そして、強姦、強姦、強姦・・・。

南京大虐殺は「まぼろし」「なかった」というような主張がある。
歴史研究の積み重ねを無視しているとしかいいようがないし、
南京の中心で“大虐殺はなかった”と叫ぶ勇気があるならいざしらず、
まったく被害者と向きあおうとしないこうした議論を許すわけにいかない。

南京大虐殺は、被害者の証言、
当時南京にいた外国人の日記や調査記録、
加害者であった日本軍の「戦闘詳報」「陣中日誌」や兵士個人の「日記」、
など、多くの記録資料が存在する。

「事実にたして謙虚であること」が、歴史と向きあう最低限の責任だと思う。
そして、日中戦争を象徴する南京事件については、
日本人は、誰もがある程度の概要は知っておくべきではないか。

この本は、その助けとなるはずです(読むのはしんどいけど)。

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2006年11月20日 (月)

週末は「靖国」モード

週末は東京で会議があり、移動時間などにまとまって本が読めました。

金曜日の労働学校「靖国講義」にむけ、集中勉強。

『フィールドワーク 靖国神社・遊就館-学び・調べ・考えよう』
          (東京の戦争遺跡を歩く会編、平和文化、2006年)


靖国神社の概要と展示内容を知ることができます。
でも、実際行ったほうがいいですね、やっぱり。

『靖国問題と日本のアジア外交』(松竹伸幸、大月書店、2006年)

思っていた内容と違い、戦後日本のアジア外交史、と言えます。
靖国問題はアジアとの関係を抜きに語れません。
そして、アジア各国とその連帯の力強い発展が、
日本国内の靖国推進勢力を孤立化させているという情勢を
しっかりつかむことが大事です。

『靖国神社』(大江志乃夫、岩波新書、1986年)

国家神道の成立過程とその背景についての考察が勉強になりました。
にしても、国家と宗教が結びつくことの恐ろしさ…。教訓とすべし。

『「靖国」という問題』(高橋哲哉・田中伸尚、金曜日、2006年)

あらためて、いろいろな視座をもらいました。
昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示したという「富田メモ」についての
マスコミ報道の問題など。欠けていた視点がいろいろ。
講義で「富田メモ」について恐ろしく狭い解説をするところでした。
あぶない、あぶない。


「靖国問題」は昨年講義をしたことがあり、土台はそれでいこうと
思っているのですが、今回の学びをいかして、さらにバージョンアップ
したいと思います。さて、どうなることやら…。


東京の会議で配本された、
『世界、日本、そして憲法-私たちはどんな時代に生き、学ぶのか』
   (不破哲三・山田敬男、学習の友社、2006年)
      も、ななめ読み。

10月に行われた全国学習交流集会の記念講演2本をまとめたブックレット。
600円。普及せねば。

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2006年11月15日 (水)

戦争で死ぬ、ということ

今週末の講義にむけて読んだ本。
著者の渾身の思いが伝わってきます。

『戦争で死ぬ、ということ』(島本慈子、岩波新書、2006年)

戦後生まれの著者が、膨大な戦争体験記や資料を駆使し、
「戦争で死ぬということ」の内実にせまっています。
ぜひ、若い人に読んでもらいたいと思います。

8月14日の大阪空襲。
「伏龍」という特攻部隊のこと。
日本でもすすめられていた原爆開発。

知らなかったことがたくさんありました。

『それぞれの「戦争論」-そこにいた人たち』(川田忠明、唯学書房、2004年)
と、追い求めるところが共通していると思いました。こちらもまだの方はぜひ。

従軍看護婦のことや、広島の大久野島のこともでてきて、
週末の話にも役立ちそうです。

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2006年11月10日 (金)

フィリピンの日本軍「慰安婦」

ついに来週木曜日の「慰安婦」講義がせまってきました。
まだまだ学び足りないですが…。

『フィリピンの日本軍「慰安婦」-性的暴力の被害者たち』を読み終えました。
  
(フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団編、明石書店、1995年)

植民地であった朝鮮の「慰安婦」徴集と、
侵略地での徴集には大きな違いがあること。

フィリピンでの多くのケースは、日本軍が直接、
暴力的に若い女性を連行し、軍の駐屯地で監禁、強姦をしている。
背景には、無数の強姦事件も。

日本軍はフィリピンでも暴虐のかぎりをつくしている。
いまでもフィリピンの農村に行くと、日本人を「鬼」と思っている人が
たくさんいるそうです。

フィリピンの元「慰安婦」たちは、韓国の元「慰安婦」たちが
立ち上がったのをきっかけに、「自分たちもこのままでいいのか」
という思いで、50年の沈黙をやぶり、声をあげました。

この声を受けとめることのできる日本社会(政府)に、早くしなければ。

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2006年11月 8日 (水)

沖縄での日本軍「慰安婦」

まだ日本軍「慰安婦」問題が国際的な問題になる前の、
貴重なルポタージュを読み終えました。

『赤瓦の家-朝鮮から来た従軍慰安婦』(川田文子、筑摩書房、1987年)

日本軍「慰安婦」の問題に国際的な光があたるのが、
1991年、韓国の金学順(キムハクスン)さんが
「私は日本軍の慰安婦だった」と名乗りをあげてから。

この本で登場するぺ・ポンギさんは、沖縄が1972年に
日本へ復帰するさいに、不法滞在者でないことを明らかにするために、
自分が日本軍「慰安婦」であったことを明らかにしました。

著者の川田さんは、そのポンギさんから粘り強い聞き取りを行い、
ポンギさんがなぜ沖縄に日本軍「慰安婦」として連れてこられたのか、
沖縄に来てからの出来事と、終戦後のポンギさんの苦難の歩み
を通して、「慰安婦」問題への真剣な問いかけを行っています。

日本軍「慰安婦」としてかりだされた朝鮮の若い女性の多くは、
過酷な貧困が広がる農村の出身であること、
そのため、「いい商売がある」「楽園のようなところに行ける」と
騙され、アジア各地へ連行されました。
また、地獄のような「慰安所」での生活から解放されても、
PTSDに悩まされ、本当に安心した生活が送れません。

ポンギさんは沖縄の慶良間諸島にある渡嘉敷島に
連れていかれました。座間味島や阿嘉島にも「慰安所」はありました。
(沖縄全体では134か所の「慰安所」があったことが、現在確認されているそうです)
慶良間諸島であった集団自決や戦争の様子なども
詳細に叙述されています。

最終章には、ポンギさんの故郷である韓国の村に
川田さんが訪れた記録が書かれています。
ポンギさんは6歳のときに、8歳の姉と生き別れました。
その姉には会えたのですが・・・。
あまりにも重い現実に、うちのめされる思いがしました。

ポンギさんは、この本が出版されて4年後の、
1991年に、78歳で亡くなっています。

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2006年11月 6日 (月)

たくさん読めました

この連休中に読み終えた本。

『ナヌムの家歴史館ハンドブック』(ナヌムの家歴史館後援会編、柏書房、2002年)

韓国にある「ナヌムの家」にますます行きたくなりました。
また、日本軍「慰安婦」問題を理解するうえで、欠かせない本です。
それにしても、ハルモニたちに、残された時間は少ない。
私に何ができるのか、考えなければ。ただ講義で話すだけではなぁ…。

『「人生の答」の出し方』(柳田邦男、新潮文庫、2006年)

この11月に刊行されたばかりの本。柳田さんの本はたしか5冊目だと思います。
いつもたくさんのことを学べます。柳田さんは読書の幅が広く、それを紹介してくれるので、こちらの関心も必然的に広がります。
この本で「おっ」と思ったのは、71期岡山労働学校の記念講演でおよびした元盲学校高等部社会科教員の藤野高明さんのことがふれられていたこと。
柳田さんは、藤野さんの手記を、「打ち震えるほど感動して読んだ」といい、
「1冊の本が一人の人生に決定的に影響を与えたというエピソードは多い。だが、『いのちの初夜』が重度障害者ゆえに感覚的にも精神的にも13年間も深い闇の底で逼塞を強いられていた一人の若者を、突然『光の獲得』と自ら言い切るほどの方向へ再生させる力を発揮したエピソードほど、言葉の力の凄さを感じた例を、私は他には知らない」と書いています。

『人類と建築の歴史』(藤森照信、ちくまプリマー新書、2005年)

建築史の超入門書。大学教授にしては少し文章に緻密さが欠けるような…。
磨製石器の出現が、木の伐採を可能にし、住居の建設が可能になったこと、
住居の建設によって、「定住」が可能になり、そのことがもたらした作用など、
人類の初期の住まいについての話はたいへん勉強になりました。
「建築」については今後も勉強していきたいテーマです。

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2006年11月 2日 (木)

ピカピカ光る背中を持つ人間

私の相方が、研修先のトップから「これを読め」と言われた本で、
題名にそそられて私も読みました。


『学習する組織-現場に変化のタネをまく』(高間邦男、光文社新書、2005年)

企業の経営者向けに書かれたリーダー論、組織論なので、全体的にナナメ読みしてもよいのですが、労働組合やわが学習運動にも参考になるところも多数。

成果主義への評価のところもおもしろかったですが、
一番印象に残った部分を紹介します。

著者の高間氏が、NTT東日本の法人営業本部の役員に、インタビューしたときのこと。
「戦略は何ですか」と聞いたら、
「学習機会をつくる」というのが答えの一つとして返ってた。
「学習機会とは何ですか」とふたたび聞いたところ、その役員は、

「それは
ピカピカ光る背中を持つ人間の周りをウロウロできることですよ。しかし問題は、ピカピカ光る背中を持つ人間が法人営業に20人しかいないことかな」と言ったそうです。

著者はその答えに驚かされて、また納得し、こう書いています。
「人は自分の接する社会、つまり周囲の人や本、インターネット、様々な経験などから主体的に学習する。その中でも他者との相互作用から一番多くを学ぶと私は思う」
「今の若い人たちは、子供の時分から学校を出るまでの成長過程で接する人物の数が、昔よりも少ない傾向にある。・・・その結果、客観主義による勉強はしてきたが、人々との相互作用で行われる社会構成的な学習機会が少ないので、社会性が低くなる傾向があるのではないだろうか」
「問題は、ピカピカ光る背中を持つ人間に運がよくないとめぐり合えないことである」

職場や労働組合のなかに、“ピカピカ光る背中を持つ人間”がたくさんいれば、
若い世代は、目指すべき目標ができ、その人間関係のなかで大きく成長していきます。

そんな人間集団をつくることが、本当に求められています。

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2006年10月31日 (火)

元兵士の証言の重み

1時間程度で、わりとすぐに読めました。

『証言・日本軍「慰安婦」-ダイヤル110番の記録』(日朝協会、2005年)

1992年の「ダイヤル110番」の聞き取りや各種の証言を中心に、
1995年に出版された『証言「従軍慰安婦」』の改訂補強版。

これは貴重な証言集です。
とくに、元日本軍兵士の証言が多いのに驚きました。
また、沖縄、台湾、満州、中国、東南アジア各地の証言が載っており、
「日本軍あるところ『慰安所』あり」の実態がよくわかります。

しかし、こうした証言ができる人も、どんどん少なくなってきています。
そして現在、中学校の歴史教科書には、この間の教科書攻撃の結果、
「慰安婦」問題がまったく記述されていない…。

いまに生きる私たちの責任は、ズシリ重いものがあります。

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日本軍「慰安婦」問題 集中勉強…

来月の労働学校の第5講義で「慰安婦」問題を講義する予定です(11/16)。
これまで「慰安婦」問題の本は5冊ぐらい(?)読んでいるのですが、
もう少し学びを積み上げる必要あり、ということで、集中的に勉強することに。

今朝
『イアンフとよばれた戦場の少女』(川田文子、高文研、2005年)を読み終えました。

元「慰安婦」の方々への丁寧な聞き取りを中心にまとめた本です。
こうした証言を読むたびに、あまりに重い事実とその後の人生の歩みを受けとめ、
どのように償っていけばいいのか、本当に呆然とします。

先日、内閣官房副長官が「河野談話は再検討する必要あり」と発言してたっけ。
はたしてこの人は、被害者を目の前にして、同じことが言えるのでしょうか。
「売春目的でやっていた」「強制連行はなかった」と言ってはばからない学者もいます。
そして、被害者に冷たい日本の司法。現実の壁は厚い。でも絶対に許せない。

講義では、おもに吉見義明さんの『従軍慰安婦』(岩波新書、1995年)を
中心に組み立て、戦前の公娼性とのつながり、「慰安所」以外の幅広い日本軍の性犯罪(アジア各地での女性に対する強姦・輪姦)も視野に入れて、話してみたいと思います。
もちろん、被害者の証言をできるかぎり紹介しながら。

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