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2009年1月13日 (火)

「危機」とはなにか

まったくたいした探しものではなかったのだけれど、
久しぶりに高田求さんの
『明日へのノート-生活と活動のなかの哲学』(学習の友社、1980年)
をパラパラめくっていた。

そうしたら、『危機』となにか」という一文に目がとまった。
いまは、「100年に1度」の経済危機といわれ、
「危機」という言葉がにわかに使われ始めている。

1980年代の見通しとして語られた文章が、
やけに今と重なった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで「危機」というと、そも文字づらからして、
なにか断崖絶壁のへりに立っている、文字どおり
危険な時期、という感じだけがもっぱらつたわって
きかねない。もちろんそれにはちがいないのだが、
それはじつは、ことがらの1面にすぎない。「危機」
は英語で「クライシス」(crisis)というが、これはもと
もと「分ける」という意味のギリシャ語からきたこと
ばで、
分岐点、わかれめ、峠、ということだ。すなわ
ち「危機」とは、政治にしろ、経済にしろ、その他な
ににしろ、
社会全体がこれまでのたんなる延長線上
をゴロゴロころがっていくということができない、よか
れあしかれ本質的な転換をせまられている、そうい
う意味での「わかれ道」の時期
、ということ。
 だから、そこでは、よい方向に変えていこうとする
力と、わるい方向に変えていこうとする力とが正面
からぶつかって、そこで渦もわくし逆流も生じる。だ
から表面だけを見ていると、時代がどっちの方向へ
流れていきつつあるのかさっぱりわからない、という
現象を呈する。これが「危機」ということで、そういう
時期にいま歴史はさしかかっているのだと思う。
                       (76~77P)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ほんとうに、2009年は時代の「分岐点」となる
可能性を秘めた年であり、そうなりそうな予感である。

また、「表面だけ」をみずに、本質を見通す力を
つけるのが、私たちの理論学習といえる。
だから、「危機」の時代こそ、学習運動の出番なのだ。
そういう自覚をもってがんばりたい。





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コメント

そのお話し、いつも使わせていただいていますhappy01

ねたが、少ないので、あまり広げないでね(笑)

ちゃんと、学べと!

はーい。 頑張りまする。

投稿: いのぱ | 2009年1月13日 (火) 18時30分

なるほど、そうでしたか。
あまり広げないようにします(笑)

投稿: 長久 | 2009年1月14日 (水) 08時58分

>いのぱ
もう手遅れです(笑)

投稿: カゲ茶 | 2009年1月18日 (日) 02時41分

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