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2008年11月 6日 (木)

病気とは回復過程である

風邪はほぼ完治に近づきつつある。
あとは喉だけである。


ところで、私の病気観は、F・ナイチンゲールの
『看護覚え書』を読んでから、劇的に変わった。

ナイチンゲールは、「病気とは何か」について、
こう定義している。

「まずはじめに、病気とは何かについての見方を
はっきりさせよう。―すべての病気は、その経過
のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、
その
性質は回復過程
であって、必ずしも苦痛をともな
うものではないのである。つまり
病気とは、毒され
たり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力
の現われ
であり、それは何週間も何ヶ月も、とき
には何年も以前から気づかれずに始まっていて、
このように進んできた以前からの過程の、そのと
きどきの結果として現われたのが病気という現象
なのである」(『看護覚え書』)

『ナイチンゲール看護論・入門』(現代社)の著者、
金井一薫さんは、この定義を具体的に解説していて、
たとえば私がひいた風邪で言いうと、

「風邪をひくと鼻水が出ますが、この
鼻水という現象
はまさに『回復過程の現われ』
なのです。なぜなら、
鼻水は鼻粘膜についた多種の病原体や異物を洗い
流そうとする自然の働きの姿だからです。ですから、
鼻水が出るというのは決していやな汚い苦しい現象
などではなく、体内で異物を取り除こうという『治癒過
程』が順調に働いている証拠なのです。それはむしろ
<わが身体よ、おまえは偉い!>と誉めてしかるべ
き現象
だと思うのです。
 また風邪などの時の発熱も、身体内部に起こる重
要な回復過程です。それは、体内に入った病原体を
駆逐するために作られる抗体などの産生を高める
ために必要な現象だからです。要するに
<熱がある>
ということは、身体が自らの免疫力を使って病原体と
闘う体制に入ったというサイン
なのです。それは身体
全体で体内に入った病原体と闘っている姿なのです
から、逆説的ですが、熱が出るということは、体内に
<健康な力がある証拠>でもあるのです。ですから
この時も、私たちは<熱が出た>身体に感謝しなけ
ればならないはずです」

と、いうこのとなのです。

病気になるということは、自分の身体が闘っている
リアルな姿なのだ、という認識は、目からウロコの視点でした。

私たちの身体は、免疫系によって、
ふだんは外敵(病原体)をある程度スムーズに
駆逐するシステムを持っています。
しかし、過労、栄養の偏り、睡眠不足、悪習慣によって、
免疫力が低下し、病気に侵されます。

ナイチンゲールはこう言います。

病気とは、私たちが自ら招いてしまったある状態に
対する、自然の思いやりのこもった“はたらき”である

と考えられないだろうか」(『看護覚え書』)


自分の体が持っている自然治癒力に
最大限の感謝と尊敬をもつ。
そして、その自然治癒力を最大限引き出せる
環境をととのえる。
ナイチンゲールから教えられたことです。


「日々の健康上の知識や看護の知識は、つまり病気に
かからないような、あるいは病気から回復できるような
状態にからだを整えるための知識は、もっと重視されて
よい。こうした知識は誰もが身につけておくべきもので
あって、それは専門家のみが身につけうる医学知識とは
はっきり区別されるものである」(『看護覚え書』)





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