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2008年9月 3日 (水)

『いのちの初夜』(上)

『いのちの初夜』(北条民雄、角川文庫、1955年)
を読み終えました。

1937年に、24歳の若さで亡くなった、北条民雄。
いまでいうハンセン病患者でした(当時はらい病と言った)。

病気とたたかいながら、療養所での
入院、生活体験を数々の作品として
発表した若き作家でした。

当時、ハンセン病(らい病)は
治癒が困難な病気でした。
発症すれば世間から隔離された、
療養所での生活がまっていました。

そのリアルな描写は、私たちの想像をこえます。
そして、希望を断ち切られたなかで、
患者たちがみせる「いのち」への感覚…。

本書は短編をまとめたものですが、
さいごの「吹雪の産声」という短編に、
末期症状の矢内という患者と、その近くの病室で
新しい生命がいまにも誕生するということを
対比的に描いた描写が印象深かったです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「矢内、生まれるよ」
と私は力をこめて言った。彼はちょっと瞼(まぶた)を
伏せるようにして、また大きく見開くと、
「うまれる、ねえ」
とかすかに言った。今にも呼吸のと絶えそうな力の
無い声であったが、その内部に潜まっている無量の
感懐は力強いまでに私の胸に迫った。死んで行く
彼のいのちが、生まれ出ようともがいている新しい
いのちにむかって放電する火花が、その刹那私にも
はっきりと感じられた。
いのちは、ねえ、いのちはつながってるんだ、よ。
のむら君
」 と彼はまた言った。
                        (233P)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


なぜ、この本を読んだかといえば、
全国学習交流集会in倉敷での、
3日目記念講演の講師、藤野高明さんと、
この本が、深いつながりがあるからです。


藤野さんは、7歳のとき、不発弾の爆発により、
両目と両腕を失い、13年間の不就学(盲学校に
行けなかった)の時期を過ごします。
「手のない少年に点字は無理だ」と、
当時の盲学校は判断してしまったのです。

その藤野さんが、点字を獲得するきっかけと
なったのが、ハンセン病患者の方々との出会い、
だったのです。

「とくに私の心底を強打し全身の勇気をふる
い起こしてくれたのは、北条民雄の『いのち
の初夜』であった。
人間の肉体が生きながら
にして崩壊しつづけていく状況の中で、生命
現象の極限をきわめぬこうとする登場人物
たちの生きることへの執着と人生そのものに
対する真の楽天主義とに、私は身内のわな
なくようなはげしい感動を覚えた

(藤野高明『あの夏の朝から』、一光社、
                 1978年、61P)

「わたしが点字の蝕読に挑戦するきっかけに
なったのは、入院先の病院の看護婦さんに
読んでもらった北条民雄の『いのちの初夜』
でした。北条民雄自身、ハンセン病を病み、
幾つかの作品を成した人ですが、
重症のハン
セン病患者の中には、視力と同時に手指を
なくし、そのために唇や舌先を使って点字を
読む人がいることを知るに及びました
。わた
しは、そのような壮絶な事実をなかなか信じる
ことができませんでした。しかし、やがてひょっ
とすると、このわたしにも、それなら唇で点字
が読めるようになるかもしれないと考えるよう
になりました」
(藤野高明『未来につなぐいのち』、
     クリエイツかもがわ、2007年、16P)


重度の障がい者としての苦悶の日々を送っていた
藤野さんに、この本がどんなに力を与えたかが、
少しわかったような気がします。
「この描写を藤野さんは、どう感じたろう…」という
ことを常に念頭において、本書を読みました。

たとえば、『いのちの初夜』のなかの
「癩家族(らいかぞく)」という短編の中から。

「これが俺の世界か、これが俺に与えられて
いるただひとつの人生か、と彼は呟(つぶや)く。
一人の人にとって、その人に与えられた人生は
ただひとつである、というこの規定が、彼には
堪(たま)らないものに思えた
。一人の人間は
あくまでもただ一本の道をしか歩くことができない、
同時に二本の道を歩くことは絶対に許されていな
い、彼はこれを恐怖の念なしには考えることが
できなかった」(157P)


藤野さんは、北条民雄の文学作品から、
さまざまなものを受け取ったのです。
そして、それを生きる力に変えていきました。



(まだ書きたいことがたくさんあるのですが、
今日は時間がないので、明日に続く)




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コメント

わ~ぃ!!続きが楽しみ~♪

元ハンセン病(とっくの昔に特効薬が開発され完治してます。なので、元をつけました。いまだに、ハンセン病問題が言われるのは、政策転換をしなかった政府の責任)患者の方にお話を伺った事があるのですが、差別が酷かった時は(今も政府の対応は不十分ですが)ごはんのおかずとして、塩にしょう油をかけたものがでたらしいです

ほかにも、断種、堕胎等非人間的な扱いをうけたそうです。

投稿: カゲ茶 | 2008年9月 3日 (水) 21時36分

「再出発日記」のクマです。たまたまですが、今日、学習の友の宣伝をさせてもらいました。
このブログはトラックバックを受け付けていないので、コメントにてお知らせします。
http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/diary/200809030000/

投稿: くま | 2008年9月 3日 (水) 21時47分

くまさん、ありがとうございます。
『学習の友』を紹介していただいて…。
あらためてこのブログで紹介させていただきます。

カゲ茶さんもありがとうです。
ハンセン病患者の方への人権蹂躙(じゅうりん)は、
本当にひどいものですね。
全国集会では長島の療養所への動く分科会も
あるので、私も改めて勉強しなければと思っています。

投稿: 長久 | 2008年9月 4日 (木) 09時09分

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