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2008年8月29日 (金)

やはり読むことから

今日の午後は、ソワニエ看護専門学校での
14回目の講義。夏休みが明けて、
あと残り1回、いよいよ今年も最後です。

「読書日記」では、
『看護の危機-人間を守るための戦略』を紹介。
今日の世界的な「看護の危機」と
それを乗り越える方向性についておさえ、
ナイチンゲールの実践と言葉から、いろいろと
考えていきました。


本講義では、「
主権者として生きる-憲法の理念を土台に
というテーマで、今日は主に前文と3章部分を学びました。
やはり憲法自体、学生は読みなれておらず、
苦戦していたようでありました。まず読むことからですかね。

次回も憲法の話ですが、
今日の感想文でいろいろと来週につながる
質問が出たので、それもふまえて、
最後を締めくくりたいと思います。



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長崎からうれしい報告!

今日は、ほぼ1日事務所にいなかった。
で、さっき帰ってくると、
長崎学習協のNさんから「また電話します」と
留守番電話telephoneが入っていた。

Nさんは、全国集会の長崎オルグ(8/18)の
ときに、長崎県労連でお会いした方だ。

「何か集会の件で質問(宿とか、参加費の面でとか)
でもあるのかな?」と長崎へ電話をしてみた。

そうしたら、
「先日ははるばるお疲れさまでした。あのとき一緒に
話をした建交労のIくんふくめ、建交労から3人行くこ
とになった。あと、県労連のK事務局長も倉敷行くよ。
とりあえず途中経過の報告をと思って」
という内容だったんですsign03

「あれから行ったところの反応どうでした?」とさらに
聞かれ、訪問したところとだいたいの感触を伝えると、
「引き続きやっていくからね。この集会をきっかけにして
盛り上げていきたい」と話をしていただきました。


私、今週はほんとうに忙しくて、
きのうも家に帰ったのが24時半。
で、朝7時に家を出てまた仕事、
午後はソワニエで授業して、
rainの中、配ってなかった『友』を配り・・・。
へとへとになって事務所に帰ってきたのですが、
長崎からの連絡で、疲れもふっとびdashました!
涙が出るくらいうれしいです。ほんとに。
Nさんのやさしさにも、じーんときたり。

長崎は、06年の神奈川集会も、
04年の犬山集会(愛知)も、
参加者ゼロの県だったのです。
それが、この時点ですでに4人!!

こんなにすぐに目に見えて
九州オルグの成果cherryが出るなんて、
思ってもみませんでした。
ああ、今日は気持ちよく寝れそうです。

そして、多くの方々の期待に応えられる内容の
集会にするために、引き続きがんばりますshine





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2008年8月28日 (木)

社会保障のあゆみ

きのう(27日)の午後、
ひだまりの里病院(民医連加盟)の
職員学習会に行ってきました。


Img_2356

 はじまる前の風景。

 最終的には
 60名近くの参加
 だったそうです。



14時半から1時間、
社会保障の歴史が主題でした。

民医連がつくった『明日をひらく社会保障』という
テキストの全体連続学習会の2回目ということです。
テキストのⅢ章~Ⅵ章をもとに、私なりの
話をつけくわえて、話をしてみました。

が、もともと専門外なので、
にわか勉強でした、はい。
でも、自分自身のレベルアップには
確実になったと思います。
25条の歴史的背景についての
認識が明確になりました。

範囲自体がなかなか膨大だったので、
内容もかなり大胆に省略しながら、
そして早口にもなったと思います。

日本の社会保障のあゆみの部分は、
地元岡山のたたかい、朝日訴訟に
力を入れて話をしました。



以下、講義の概要です。




一。世界における社会保障の歩み(Ⅳ章)
 
1。社会保障の出発点-最初の生活保障の形態「救貧法」
  
◇1601年の「エリザベス救貧法」(テキスト91P「注」参照)など
   
*きわめて不十分な内容ながら、働けない労働者への救済
    (まだ「人権」という観点ではなく、支配階級からの「おめぐ
    み」という特徴)。

 
2。労働者の増大・資本主義の発展とともに
  
◇生産手段から切り離された「労働者」とは?
   
*「労働力」を資本家に売る以外に生活の手段がない人びとの増大

     
「資本主義が発展してくると、失業と貧困、病気やケガの
     多発、労働災害の発生なども広がってきました。賃金労
     働者は、自分自身の労働力を雇用主に売り、賃金を得て、
     それで生活しなければなりません。しかし、傷病、障害、
     高齢、失業などによって、自分の労働力を売る可能性を
     失った労働者は、生きていくことができません」(テキスト92P)

   
*19世紀当時(イギリス)、雇用主(資本家)は、労働者の生活
    や健康などには無関心だった

     
「住民の健康は国民的資本のきわめて重要な要素である
     にもかかわらず、遺憾ながらわれわれは、資本家たちが
     この宝を保存し大切にする用意がまったくないことを認め
     ざるをえない」(『タイムズ』
1861年11月5日)

     
「多くの工場、倉庫、授産所、作業所などの現状から、なん
     と数知れぬほどの病気や死や悲惨が生み出されているこ
     とであろう。・・・人びとは酒の力を借りなければ仕事をやり
     おおせず、それが彼らの健康のレベルを下げ、身持ちを崩
     させ、刻々と、早過ぎる墓場行きへと駆り立てる。
雇用者が
     これらを配慮することは稀である
。労働者たちととり交わし
     た雇用契約書には、健康的な作業室などという条項はどこ
     にもない。雇用者は賃金を支払うことが雇用契約上の自分
     たち側の責務のすべてであると考えている。そしてこの
賃金
     と引き換えに、男女の労働者たちは労働と健康と、そして生
     命を提供しなければならないのである

      
(F・ナイチンゲール『看護覚え書』「換気と保温」より、
                               
1860年、現代社)

  
◇病気、ケガ、そして失業。「労働力」を失った労働者は、生きる
   すべをなくした。
   
*自己責任主義。「すべり台社会」(「もやい」の湯浅誠さん)その
    ものだった。
   
*労働者たちは、自己防衛策として「共済組織」を自主的につく
    りだしていった(自分たちの賃金を少しずつだしあって。しかし、
    「自己負担」であることに変わりはない)

 
3。労働運動の発展、たたかいの中から生まれた生存権思想・
   社会保障制度
  
◇国家が基本的人権を支える責任がある
   
*病気やケガ、失業などは、個人責任ではなく、大きな背景と
    して資本主義制度の仕組み(資本家どうしの激しい競争の弊
    害)そのものによって生み出されるという考え方。

     
「労働者は、失業、貧困、疾病などの発生が自然法則であ
     るとか、個人の責任であるという資本家からの思想攻撃に
     たいし、失業、貧困などの基本的な原因は資本主義制度
     そのものにあることをつねに明らかにし、ここから、それら
     の場合の生活保障について資本家とその国家が責任をも
     つことをつよく要求してたたかってきた。
      
また労働者は社会の富を生み出しているにもかかわらず、
     傷病、老齢、障害、そして失業などの場合にあらかじめ備
     えることができないほどの低賃金しか受けていないことから、
     労働者が資本家と国の負担で社会保障を受けるのは当然
     の権利
だと主張してたたかってきている」
       (柴田嘉彦『世界の社会保障』新日本出版社、
1996年)

  
◇たたかいの成果としての社会保障制度
   
*労働者は、労働組合をつくり、経済闘争とともに、政治闘争へ
    とたたかいを発展させる
    
・ストライキなどのたたかいの増大、労働者政党の議会進出など

     
「現実的には、社会保障制度は、…国家独占資本主義の立
     場からの政策の推進と、これに反対する、労働者・国民の立
     場(生存権の実現、全面的な生活保障の確立をめざす)から
     の闘争との
相互の力関係のなかでその内容が決定されてき
     ている
」(柴田・前掲書)

   
*社会保険(保険料を主要な財源にする-ただし労働者の負担
    が相変わらず大きい)
   
*社会扶助(国、地方公共団体の税収入による一般財源からの
    支出、つまり公的負担)

   
*支配階級の体制維持のための「譲歩」としての側面-ムチとアメ

     
「社会保険と社会扶助は、資本家階級がすでに弾圧の方法
     だけでは労働運動とたたかえなくなり、結局のところ自己の
     完全な支配権を維持するという目的のために、個々の譲歩
     をする戦術に移行することを余儀なくされた段階で実現した」
                                (柴田・前掲書)

     
「労働者・国民のたえまない闘争のなかで、給付内容の引上
     げ、保険対象事由の新設、増加、適用者の規模の範囲の拡
     大、雇主と国による費用負担割合の増加、保険業務の管理
     への被保険者の参加など、1歩1歩、改善の成果をあげなが
     ら、社会保険は多くの国で普及するようになった」

     
「社会扶助は、救貧制度に比べ、より広範な対象者に、権利
     としての性格をもった給付をおこなう、1歩前進した制度だと
     いえる」(柴田・前掲書)


   
*1917年のロシア革命
   
*ILO(国際労働機関)の創設
   
*ドイツのワイマール憲法→ファシズムの台頭により消滅
   
*アメリカのニューディール政策(テキスト95P「注」)
     
1929年の世界恐慌-失業、飢餓、病気、欠乏、貧困・・・。
      大混乱に。
     
・労働運動の激増、たたかいの発展
     
・資本主義国で初めての社会保障法の成立へ(1935年)
   
*イギリス「べヴァリッジ報告」(1942年)
     
・世界に影響をおよぼした社会保障制度の骨格プラン
     
・制度としての社会保障が体系化され、内容も一定程度、明確に
     
・「ゆりかごから墓場まで」
   
*世界人権宣言(1948年)




二。日本国憲法と社会保障の理念(Ⅲ章)
 
1。人類のたたかいの成果を受けついで

    
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多
    年にわたる自由獲得の努力の成果
であって、これらの権利
    は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、
    侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」
                                    (97条)

 
2。13条、25条、土台としての「平和的生存権」
  
◇13条-「個人の尊重」「生命、自由、幸福追求」

  
◇生存権としての25条

    
「戦後憲法の輝かしい25条は、高野岩三郎たちがたどって
    きた歴史(ワイマール憲法の流れ-長久)と、GHQ内のニュ
    ーディーラーたちがその夢を託して日本にやってきた道とが
    合流するところで生まれた…25条は、その意味で、文字通
    り世界史的産物であった」
    
(二宮厚美『憲法25条+9条の新福祉国家』かもがわ出版、2005年)

   
*その先駆性

  
◇前文の平和的生存権、そして9条「戦争放棄・戦力放棄」
   
*戦争国家としてのナチスドイツによる社会保障攻撃(ワイマ
    ール憲法下で勝ちとられた諸制度を戦争の資金調達などの
    目的に利用)は、戦争・ファシズムが、社会保障とまったく対
    立することを示した典型。日本も同様な歴史(テキスト108P)。
    9条と25条は一体。

  
◇国家が基本的人権を支える=社会権の規定
   
*25条、26条、27条、28条

 
3。憲法を読むためには想像力が必要

    
「多数派の側にいる人間が憲法を理解するためには、常に
    弱者に対するイマジネーションを働かせる
必要があります」

    
「強者と弱者は、常に立場が入れ替わる可能性があります。
    ・・・そういう
可能性に対するイマジネーションを持っていない
    と、憲法はいつまでたっても他人事で終わってしまいます」
       
(伊藤真『高校生からわかる 日本国憲法の論点』
                         トランスビュー、2005年)




三。日本の社会保障のあゆみ(Ⅴ章)-朝日訴訟を中心に
 
1。第2次世界大戦終了までのあゆみ(テキスト102~109P 省略)
  
◇基本的に社会保障としてはきわめて不十分な制度
   
*明治以降の急激な資本主義化と支配階級の弾圧の強さ、
    対外侵略戦争へ

 
2。敗戦後-日本国憲法の制定
  
◇1946年に憲法が公布(47年施行)
  
◇占領初期の段階で、社会保障制度の骨格が整う
    (テキスト
110~112P)
   
*しかし、これはいわば「上からの改革」で、「権利をたたかい
    とる」という主体性の獲得は、「朝日訴訟」という大国民運動
    の登場をまつこととなる。

 
3。朝日訴訟-社会保障闘争のあけぼの
  
◇1957年に「朝日訴訟」開始(朝日訴訟とは-テキスト114~115P)
  
◇1958年には、労働組合(総評など)を中心に、「中央社会保障推
   進協議会(中央社保協)」が結成される(今年で結成
50周年)。

  
◇以下は、『人間裁判-朝日茂の手記』(大月書店、2004年)より

    「私は、(これだ! これをやらなければならない。泣きねいりし
    ていては、いつまでたっても救われない)と心の中で叫んだ。い
    ままで、どんなに多くの人びとが法律のことを知らないために、
    低い生活保護基準に苦しめられ、そのまま泣きねいりしたこと
    であろう。私たちの療友も、古い田舎の慣習にとらわれたり、
    家の面子(めんつ)にこだわったり、虚栄のため、受けられる
    保護も受けず、また、受けたとしても、ただ、
お上からのお恵
    みとして受け取り、民主憲法で保障された当然の権利として考
    えていた人は少なかったのではなかろうか
」  (朝日茂手記)

    
私の怒りは、決して私1人だけの怒りではない。多くの貧しい
    人びと、低い賃金で酷使されている労働者の人びと、失業した
    人びと、貧しい農漁村の人びと、この人びとはみんな私と同じ
    ように怒っているはずだ。
600円が1000円に引き上げられずと
    も、あるいは、なんとか個人的に解決する方法がないとはいえ
    ないが、
こんなことをしていてはいつまでたっても、貧しい人び
    と、弱い人びとは浮かばれない
。生活と権利を守ることは、口
    先だけでいくらいっても守れるものではないのだ。
闘うよりほか
    に、私たちの生きる道はないのだ
」       
(朝日茂手記)

    
「政府は、軍国主義復活、核武装へと、着々と安保体制を遂
    行し、ごまかしの社会保障、医療合理化による低医療費政策
    を強引におしすすめている。
     
…池田自民党のはなやかな経済成長のかげに、われわれ
    被保護者には矛盾のトゲが痛いほどささっている。社会保障
    の拡充などというのは選挙のときだけで、
まさに弱い病人は
    早く死ねという政治なのだ

     
こんなことをあれこれ寝ながら考えていると書かずにいられ
    なくなり、ついつい起き上がって訴えの手紙を書きつづけるの
    が常であった。まわりの人びとは、『朝日さんはそんなにせん
    でも、じっと寝とりゃあいいのに』と心配してくれるが、私はどう
    してもやらずにはいられない。
重症者の、せめてりんごの1つ
    も食べさせてほしいという、このささやかな願いが、いまだに認
    められないでいるのだ。『こんなバカな話があるだろうか-』こ
    の怒りが、私の残り少ない生命の炎をかきたてている

                                (朝日茂手記)

    
「憲法を暮らしに生かす運動は、憲法の諸条項・人権とそれ
    に違反する現実とのギャップがあからさまになるとき、その
    ズレのなかから国民的高揚を迎える…。
朝日訴訟の場合に
    は、一方での憲法で保障された文化的最低限の生活保障
    原則と、他方での非人間的な劣悪きわまる生活保護基準の
    現実、この両者間のあまりの落差・矛盾・ズレが憲法を暮ら
    しに生かす運動に火をつけたのである。21世紀の社会保障
    運動はこの運動視点に学び、一方での高まる権利水準、他
    方での劣悪・貧困な無権利的生活の現実、この両者のギャッ
    プに着眼した権利保障運動に取り組んでいかなければなら
    ない
。朝日訴訟が示した社会保障運動の力の源泉は、この
    点にあると考えられる」
                
(二宮厚美「朝日訴訟が現代に問うもの」)

    
「生粋の庶民といってよい朝日茂さんが、なにゆえに、歴史
    上数ある英雄も顔負けの勇気と果敢な意志、不撓不屈の粘
    りをもって、その短い後半生を『権利は闘いとるもの』という
    理念に捧げたのか。その力の源は、要するに、
一方での人
    間らしく生きる権利にたいする深い洞察と、他方での『合法的
    殺人』と呼ぶべき非人間的な生活を強いる国家権力に対する
    怒り、この二つに求められる
。朝日さんは、普遍的人権に対
    する洞察と確信が非人間的生活を強制する権力と衝突し、そ
    こに発する火花を生きる力として50年の人生を生き抜いた。
    これは、21世紀に生きる一人ひとりの個人が、いかにして生
    きるべきかを問うときに、一つのヒントを提示するものにほか
    ならない」                    (二宮厚美、前掲)

  
◇1審判決(1960年10月、浅沼判決)
   
*25条の具体的権利性を明確に述べた
   
*「最低限度の水準は決して予算の有無に
よって決定される
    ものではなく、むしろこれ
を指導支配すべきものである」

  
◇朝日訴訟の運動形態も、学ぶべき宝がたくさんある
   
*個人的たたかいから、組織的たたかいへ
    
「どうして個人の力のみで闘えようか。組織の支援なしには、
    とうてい勝つことはできなかったであろう」(朝日茂手記)
   
*労働者階級も、「自分たちのたたかい」として全面支援

 
4。その後の社会保障運動の経過は省略しますが…

    
「現実的には、社会保障制度は、…国家独占資本主義の立
    場からの政策の推進と、これに反対する、労働者・国民の立
    場(生存権の実現、全面的な生活保障の確立をめざす)から
    の闘争との
相互の力関係のなかでその内容が決定されてき
    ている
」(柴田・前掲書)

     
…という原則的な法則はかわっていない。

   
◇労働運動、革新自治体の発展による社会保障の前進
    (老人医療の無料化など)
   
80年代以降の臨調「行革」路線による社会保障への攻撃、後退




四。わが国の社会保障のあらましと特徴(Ⅵ章)
  
◇各自、読んでいただいて、制度に強くなってください。
  
◇EU(とくに北欧など)の社会保障の理念と制度は、参考になる
   ので、ぜひ詳しい学習を



さいごに:「医療者としてのプロ」になるとともに、患者さんや自分の
      人権を守る「主権者としてのプロ」として成長することの大切さ。

      
「自分自身の幸せ」と「他者あるいは社会全体の幸せ」を
      重ねあわせて。



以上。





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2008年8月27日 (水)

浮世絵の美展に

先日、岡山県立美術館に、
「浮世絵の美展」をみにいった。

千葉市美術館所蔵の
浮世絵がところせましと展示されていた。

Img_2154
 この絵を描いた、
 写楽の絵もあった。
 すごかった。
 葛飾北斎もあった。
 うなった。

 そしてすばらしい
 独創性と
 色鮮やかな
 浮世絵の数々。

1枚1枚の絵に圧倒される。
「はー」「ほー」「すごいなぁ」の連続であった。
ヨーロッパ絵画に多大な影響を
与えたのも、よくわかる。

江戸の文化はすごい。
あらためて。





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2008年8月26日 (火)

看護の危機、日中「漢字」

最近読み終えた本。

『看護の危機-人間を守るための戦略』
  (和泉成子監訳・早野真佐子訳、ライフサポート社、2008年)


ソワニエ読書日記15冊目。
今週、来週とで、いよいよ最後の授業となる。

世界的な看護研究者、識者たちが、
「看護の危機」について分析、解決への道を提起する。

私は、ナイチンゲール看護は、はたして、
この世界的な「看護の危機」に、どう有効性を
発揮しうるか? という問題意識で読む。
(この本にはナイチンゲールはまったく登場しないけど)

監訳者の和泉さんが、危機を乗り越えるための
執筆者たちの戦略を簡潔にまとめているが、それは、

①看護の価値の明確化と社会への提言
②看護の健全な労働環境の確保
③次世代を担う看護師の育成

に大別されるという。

ナイチンゲールは、まさにこの3つの分野を
最初に開拓した人。やっぱりすごい。



『NHK知るを楽しむ 歴史に好奇心
 8月 日中二千年漢字のつきあい 9月 「水滸伝」から中国史を読む』
                               (NHK出版、2008年)

オリンピック開催月だから、
中国関連の特集なのだと思うけど、
「漢字」「水滸伝」のどちらの特集も
とても興味深く読みました。

とくに、日中の「漢字」をとおしての
つきあいは目からウロコでした。

こんなにお互いの歴史的結びつきが
深く、相乗的な関係なのに。
それなのに、ああ、
最近の中国バッシングはすさまじい。

歴史的な視点も必要ですね。




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2008年8月25日 (月)

愛知労働学校で

おととい(23日)は、
第101期愛知労働学校で話をしました。
新幹線で移動。18時、愛知労働会館に到着。

愛知を訪れるのは、本当に久しぶり。
労働会館も、なつかしい風景でした。

で、私は労働学校基礎教室の、
なんと最終講義を担当したのでありました。
基礎教室のテーマが、
「本当の真実はどこにある?」というもので、
これまで、貧困と格差、医療、環境、
スピリチュアル、労働問題、食品、平和など、
多彩なテーマで「真実」を学んできた受講生のみなさん。

そして、さいごの講義のテーマは、
「本当の真実はここにある-未来を創るのは私たち!」
というものでした。
なんとも漠然としたテーマで、
何を話そうか悩みましたが、
今後の学習や活動のヒントになるような話が
できればと思い、準備してみました。

Img_2148

 教室風景。

 若い人が
 真剣に
 学んでいます。




もちろん、11月の全国集会の宣伝も
がっつりしました。
愛知からも、たくさんの参加をお待ちしています。

講義のあとは、グループ討論に私も参加し、
みなさんの面白い意見やや議論を聞いて
勉強しました。

21時に終了したあとは、
愛知学習協のS田事務局長や
常任理事の方々と懇親会へ。

Img_2149 
 愛知といえば、
 琉球王国(笑)。
 
 お久しぶりの
 出会いもありました。
 なつかしい雰囲気。




Img_2153



 泡盛も久しぶりに
 飲んだ気がします。

 来月の沖縄が
 いまから楽しみ!






学習運動や労働運動など、
あれこれ話をして、
23時に懇親会はお開き。
即座に名古屋駅に移動し、
23時半の深夜高速バスに乗って、
朝7時に岡山駅に帰ってきたので
ありました。

労働学校チュターのみなさん、
愛知学習協のみなさん、
いろいろとお世話になりました。
ありがとうございました!



講義の概要は、以下。


一。真実をつかむために
 
1。あふれる情報のなかで
  
◇自分の頭で考え、疑い、読みとき、学ぶ力を
   
*『オッリペッカ・ヘイノネン 「学力世界一」がもたらすもの』
                            
(NHK出版、2007年)
   
*29歳でフィンランドの教育大臣となり、現在の「学力世界一」
    の基盤をつくる、中心的な役割を担った人の言葉。

    
「今日の世界では何もかもが目まぐるしく変わり、周囲に膨大
    な量の情報があふれています。変化に適応し生き抜くために
    は自分で自分を導いていかなければなりません。
自分自身を
    知らなければなりませんし、自分の内面から新しいことを学ぼ
    うというモチベーションが生まれなければなりません

     
人びとが自ら学ぶ力が必要なのです。新しい出来事に対応
    する能力、将来思わぬ問題が起きたときにそれを解決する能
    力が重要です。その能力を養うためには学ぶ力を身につけな
    ければなりません。他者と協力する力や他国とコミュニケーシ
    ョンをとる力も求められ、言葉の教育も重要です」

    
頭に知識を流しこむだけではなく、どのように学ぶか、どのよ
    うに自分の頭を使って考えるかを学ぶということ…

     
…教師たちはたんに事実を学ぶだけでなく、事実のさらに向
    こうを見ることの大切さ
を教えてくれました。なぜそうなるのか、
    なぜこれを学ぶのか。これもモチベーションの問題につながっ
    てきます。というのは、モチベーションは『なぜ?』という疑問か
    ら生まれるからです。
     
変化の少ない安定した社会では、物事のありようを自ずと学
    ぶことができます。しかし、変化のスピードが激しい社会では、
    なぜそのような状態なのか、ほかの可能性もありうるのではな
    いか、ということを絶えず考え続けなければならないのです」

   
*ヘイノネン氏は、「すべての基本は読解力
を高めること」と述
    べている。フィンラ
ンド人は、世界一読書好きといわれ、国

    の77%が毎日平均1時間読書をして
いる。図書館利用率も
    世界一。

 
2。たしかなメガネ(羅針盤)が必要
  
◇「先入観という便利なメガネ」
        (臨床心理士・土屋由美さん-資料参照)
   
*私たちの、「他人や職場、社会への判断(見当や認識)」は、
    対象の真の姿を反映しているか?つねにチェックが必要。
   
*変化に気づく力。変化を読み取ろうとする意識。

  
◇たしかなメガネを求めて

    
「世界をあるがままのゆたかさでとらえうるような、そんな目を
    私たちはもちたい。ゆがんだ眼鏡は、世界をゆがんで見せる。
    私たちは、ちゃんとした眼鏡がほしい。哲学への要求がそこか
    らはじまる。・・・ちゃんとした眼鏡をかけたことのある人は知っ
    ていよう、はじめてそれをかけたときのことを。それまで、木の
    葉はぼうっとかすんで見えていた。木とはそんなものだと思っ
    ていた。が、眼鏡をかけたとたんに、木の葉の一枚一枚が、し
    たたる緑とあざやかな輪郭をもって目にとびこんできた。世界
    がそのあるがままの新鮮さで私たちに迫ってくる、そんな眼鏡
    を求めて、私たちは哲学にむかうのである」
        
(高田求『人間の未来への哲学』青木書店、1977年)

   
*学習運動が得意とする基礎理論(哲学、経済、社会発展の理論)
    を学ぶ重要性

   
*たとえば、賃金の「本質」とは?

二。真実を広げるために
 
1。国民支配のグーとパーとたたかう
  
◇力(経済権力・立法権力・警察権力)による支配
   
*政党ビラをマンションに配っただけで有罪
   
*歴史的にはマスコミの右傾化政策(マスコミ労働者・労働組合へ
    の弾圧など)

  
◇イデオロギーによる包みこみ
   
*強固な自己責任論包囲網、公務員攻撃も
   
*国家財政は大変ですよ、企業が倒産しますよ、国際競争に負け
    ますよ
   
*いざ選挙のときには、周到な世論誘導

 
2。サイエンスとアート
  
◇サイエンス・・・科学的判断、分析
   
*事実と根拠にもとづいた分析・判断
   
*労働組合の果たす役割、情勢の特徴、科学的な政策・たたかい
    の方針

    
「わかるけど、やる気がしない、行く気がしない」をどう考えるか
    
・認識論の問題・・・「わかってない」(本当には納得してない)と
     いう問題
    
・感性(五感)での共感という問題

  
◇アート・・・伝える力、生み出す力の総合力
   
*「理性」と「五感」に響かせる
   
*情報受信・伝達力、チラシやニュースづくり、ホームページ・ブログ
   
*言葉で勝負する。相手に伝わる言葉かどうか。
   
*オルグ力(話し方、聞き方、空間、時間)、会議力、事務所力
   
*仲間の存在、ヒューマニズム=微温(あたたかさ)

 
3。「学びあう場」「語りあう場」を1つひとつ、大切につくろう!
  
◇私たちから力を奪うもの、そして力を与えてくれるもの

    
「何が起きているかを正確に伝えるはずのメディアが口をつ
    ぐんでいるならば、表現の自由が侵されているその状態に
    おかしいと声を上げ、健全なメディアを育て直す、それも私
    たち国民の責任なのだ。人間が『いのち』ではなく『商品』と
    して扱われるのであれば、奪われた日本国憲法25条を取
    り戻すまで、声を上げ続けなければならない。
     
この世界を動かす大資本の力はあまりに大きく、私たちの
    想像力を超えている。
だがその力学を理解することで、目に
    映る世界は今までとはまったく違う姿を現すはずだ
。戦うべ
    き敵がわかれば戦略も立てられる、とエピローグで紹介した
    ビリー牧師は言う。
大切なのはその敵を決して間違えないこ
    とだ

     
無知や無関心は『変えられないのでは』という恐怖を生み、
    いつしか無力感となって私たちから力を奪う
。だが目を伏せ
    て口をつぐんだ時、私たちは初めて負けるのだ。そして大人
    が自ら舞台をおりた時が、子どもたちにとっての絶望の始ま
    りになる。
     
現状が辛いほど私たちは試される。だが、取材を通じて

    た沢山の人との出会いが、私の中にある『民衆の力』を
信じ
    る気持ちを強くし、気づかせる。あきらめさえしなけ
れば、次
    世代に手渡せるものは限りなく尊いということに」
        
(『ルポ 貧困大国アメリカ』堤未果、岩波新書、2008年)

  
◇手をつなぐ(結ぶ)、手から学ぶ-連帯・団結をひろげて
   
*社会的連帯を創りだすのは、私たち自身

   
*絵本『てとてとてとて』(浜田桂子、福音館書店、2002年)

    
「なきそうになっている ひとの てを りょうてでそっと つつむ。『そ
    ばに いるからね。げんきになってね』って ては つたえてくれる」

    
「あくしゅする。てと てを にぎって むきあって。はじめてあっても
    ともだちになれそう」

    
「けんかしてても なかなおりできそう…」

    
「てと てを つなぐ。だいすきな ひとと。
わくわく どきどき うれしいよ」

    
「てと てを つなぐ。だいすきな ひとと。
わくわく うきうき うれしいよ」

    
「てと てと てと てと てを つなぐ。
ちからが むくむく わいてくる。
    
ぜったいまけるな エイエイオー!」

    
「てと てと てと てと てと てと てとてと みんなで みんなで てを
    つなぐ。うれしい きもちが つながるよ。たのしい きもちが ふくら
    むよ。どんちゃか パーティー それ おどれ!」


  
◇職場や地域、労働組合のなかに「学びあい、語り合う場」を!
  
◇労働学校は、「学びあい、語りあう」ことのできる、かけがえのない場

さいごに:11月22~24日は、全国学習交流集会in倉敷へ!(宣伝)
      
手をつなぎ、学びあうビックな場です。



以上。




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2008年8月22日 (金)

要請行動第3弾(後編)

全国集会の要請行動の後編。


【19日(火)】

熊本での朝。

9時半に、熊本の建交労へ。

Img_2137
 熊本の学習協の事務局でもある、
 書記次長のKさんが
 対応していただきました。

 集会の要請をして、
 学習運動の状況の話にも。
 「熊本には学習する場が少ない。
 その弊害がいろいろなところに
 あらわれている」とおしゃって
 いました。私が専従だということを
 知ると「専従がいるのかぁ!
 すごいなー」と驚かれました。


熊本だけではありませんが、
学習協に専従がいること自体、
どこでも驚かれました。
大県以外ではかなり珍しいんです。
岡山のみなさん、そうなんですよ~(笑)。

Img_2139
 10時、県労連へ。 
 直前にどしゃぶりの雨。

 事務局次長のSさんが
 対応していただきました。
 30代前半の若い
 専従の方でありました。

 「すごく充実した内容
 ですねー」と評価は上々。

「行きたいナー」とSさんがぼそり。
「ぜひ来てください!」と私。

県労連加盟の組合のみなさんに
紹介していただくことをお願いして、
事務所をあとにしました。

10時半。
熊建労(熊本県建築労働組合)に。

Img_2138_2

 労働会館の
 なかに事務所が
 ありました。

 熊建労は、
 県労連最大の
 労働組合だそうです。



書記長のTさんが対応していただきました。
熊建労は、東京土建の独自テキストを使って、
支部ごとに単組の労働学校を開催しています。
学習運動を自力で展開している組合です。

集会については、「ふーむ、岡山でこの内容の集会、
すごいねぇ。この3連休は組合の45周年の
企画があるけど、誰か派遣できるように検討
していきたい」とのことでした!

11時半。
つぎに医労連に行ったのですが、
アポをとっていた人が忘れていたようで、
会えませんでした…。ま、こういうこともあります。

11時40分。
医労連から徒歩2分。
民医連のくわみず病院に。

Img_2140 病院内に
 熊医労民医連支部
 の書記局が。

 書記長のSさんは、
 「去年の医療研究
 集会で倉敷に行った。
 いいとこですねー。
 この集会の中身も
 すごく濃いね」とのこと。
 期待できそうです。

12時10分。
全法務を訪れる。法務局の3階の
Mさんに要請。あまりじっくりとは話が
できなかったけれど。

それにしても、いつも思うのは、
国家公務員の職場のあのヒンヤリした
空気。私は絶対に耐えられません…!

13時。
くわみず病院のSさんに「行ったらいいよ」と
教えられ、精神科の病院の菊陽病院へ(民医連)。

Img_2141
 この病院の建物の 
 裏にあった
 プレハブの労組
 事務所へ。

 書記の方が対応して
 いただきました。
 よくわかってなかった
 みたいですけど…。


熊本最後は、全医労再春荘病院支部。
13時20分に到着。

Img_2142



 なにやら玄関は
 きれいな感じ。

 敷地は
 とてつもなく広い。



で、教えられた労組事務所(プレハブ)に
行くと、なんと誰もおらず、閉まっている!
「13時すぐには行きます」とアポとってた
はずなのに・・・。とがっくり肩を落とす。

あきらめずに、受付で事情を説明して、
「労組の役員の方にお会いしたいのですが…」
と言うと、連絡をとっていただき、
書記長のMさん(看護師)の方が対応
いただき、話を聞いていただきました。
ありがとうございました。

(後日、岡山学習協に、わざわざ電話があり、
「急用で出ていました。すみませんでした」と
連絡がありました。ありがとうございました)


「ふー、熊本はこれで終わったぁー」と思い、
昼食もとっていなかったので、
再春荘病院の食堂がたまたま近くにあり、
そこでお昼を食べました。

で、時間は14時。
ここから、ふたたび高速で
山口県へ向かいました。

山口に着いたのは、18時頃だったでしょうか。
なかなか本を読む元気もなく、
オリンピックを見て、ビールをのみ、
ぐでっと寝ました。


【20日(水)】

山口オルグ開始。

9時半。
山口県教育会館へ。

Img_2143
 
 佐賀の教育会館も
 大きいと思ったけど、
 山口はさらにデカイ!
 びっくりです。
 
 500人収容のホール
 までありました。
 


ここから、山口高教組のIさん(山口学習協の事務局長)と
一緒にまわる予定にしておりました。

で、さっそく、県教組、県職組(だったかな?)、高教組と、
相次いでまわりました。反応はすばらしく良かったです。
山口県では、倉敷集会にバスをしたてて、
目標40名で参加をめざしています。
Iさんは、「岡山でこれだけの企画がある。中国ブロックでも
あり、ぜひ力を入れていきたい」と加勢していただきました。

そういえば、県教組の方に、
「長久さんの熱い思いが伝わってきました」
なんて言われてしまいました!
ありがとうございます…(涙)。
集会の中身を説明するときに、
けっこう力入ってますからね。

続いて、県労連へ。
ここは3月に山口県学習協の総会に
来たので、今回で2回目でした。

Img_2145
 県労連と自治労連に訪問。

 やはり反応は好感触。
 同じ中国地方だということが
 大きいのかもしれません。
 集会の中身はどこでも
 「すごい」「いい内容」
 と好評です。

 県労連では、方針で
 倉敷集会を位置づけてくれ
 そうです(Iさんの存在が大きい)。

つづいて、
農協労へ。JAの職員でつくる労働組合です。

若い女性の専従の方が1人専従で
奮闘されていて、対応していただきました。

なかなか面白い方で、Iさんともお知り合い。
話もよく聞いていただき、「私もいこうかなー」と
おしゃっていただきました!倉敷でお待ちしています。
来月に沖縄に行くらしく、「へー、ぼくもなんですよー」
「本島は北のほうが海キレイですよ」なんて、
思わぬところで話が盛り上がりました(笑)。

続いて、車は高速に。
山陽自動車道のSAで昼食。

午後いっぱつめは、
下松(くだまつ)市職労。下松市役所です。
ここは執行委員に、若い人が大勢
なっているらしく、副委員長の方が対応して
いただいたのですが(その方も若かった)、
「若い人に行ってもらいたい。確定交渉の
時期というのがちょっとなぁ…」という感じでした。

続いて、周南(しゅうなん)市職労へ。
ここの組合書記のKさんは、3月の学習協総会の
ときの懇親会で一緒に飲みましたので、
顔見知りで、Kさんはもちろん集会に参加。
「ぜひたくさん引き連れてきてください」とお願いしました。

自治労連最後は、
防府(ほうふ)市職労へ。
委員長の方が対応していただきましたが、
「いろいろ行ってもらいたいけど、行く人がなぁ…」と、
なかなか困難な様子がうかがえました。
だからこそ、役員の方が「一緒に行こう」と
誘っていただきたいのですが。

山口の最後は、医労連へ。
日赤病院のなかに全医労と一緒に
医労連も入っているようでありました。

集会の中身はやはり好感触で、
「岡山はいつもいい講師を連れてくるねー」
とお褒めの言葉をいただきました。

そして、高教組に戻って、今日のオルグは終了。
午前中おられなかった高教組の青年担当の
方がおられたので、いろいろとお願いすることが
できました。
「2日目に自由時間があるのが面白い。倉敷でしか
買えない、い草の草履があるんだよね。中身もいい。
私の娘を連れていきたい」とおしゃっていました。
高教組としても、組織的援助を約束していただきました。


ということで、
山口全体の感触はばっちりでした。
9月中旬には学習協の理事会をひらき、
集会へ向けた意思統一をすると、Iさん。
よろしくお願いいたします。

1日、Iさんの車に乗って、いろいろと
お話が聞けたのも、有意義でした。
勉強になりました。ありがとうございました。
宮本顕治のさんの母校も見ました(ミーハー精神)。


16時半、山口を出発し、
広島へ向かいました。

この日は、広島労学協のヘーゲル講座があり、
帰り道だったので参加してみました。

会場は広島の労学協(学習協のこと)事務所。
講師は高村よしあつさん(会長)。
この日は講座の3回目。ヘーゲルの『小論理学』の
「第2版への序文」「第3版への序文」が範囲でありました。

うーむ、ヘーゲル奥深し。
高村さんは、「ヘーゲルは95%唯物論者」と
大胆な提起をしておられます。
もちろん、弁証法自体が革命的要素をもっている
のですが、ヘーゲル自身も、はやり革命家で
あったのかもしれません。そう感じました。

それにしても、ヘーゲルもやはりそれまでの哲学理論を
貪欲に吸収し批判的に総括しているということに、
あらためて気づいたのでありました。すごい人です。
なかなかこういう学習会に参加する機会がないので、
刺激を受けました。

Img_2146

 写真をとるのを
 忘れ、終わったあとの
 風景になってしまい
 ました…(笑)。

 学習会終了後は、
 6人でごはんを食べに
 行きました。


近くの居酒屋&ラーメン屋みたいなところでした。
私のテーブルは、
広島労学協のH野事務局長(私よりはるかに若い専従者)、
某新聞社の若手記者の方の、3人でした。
楽しい時間が過ごせました。いいですね、こういう交流は。
広島のみなさん、ありがとうございました。

で、時間はすでに22時近く。
そこからまた高速にのって、
岡山へ。自宅へ帰ったのは、
24時ちょっと過ぎでありました。


おつかれさまでした。
無事でなによりでした(自分に言っている)。



要請行動第3弾も、
たくさん学ぶことがありました。
また、集会成功のために、
さらに覚悟が高まりました。

がんばります。
11月は、ぜひ倉敷へ!




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2008年8月21日 (木)

要請行動第3弾(前編)

全国学習交流集会in倉敷(11月22~24日)の、
参加要請行動の第3弾のご報告。


【17日(日)】

9時半に岡山を出て
ひたすら高速を走るcar

16時半に長崎市街に到着。
約7時間でした。まずまずですね。

Img_2123

 予定どおり夕方に 
 着いたので、
 長崎県美術館に!

 ここは2回目です。
 建物自体が
 なかなか好きです。




Img_2124
 スペインの
 シシリアという人の
 特別展を開催中。

 ネットで調べたときに、
 この赤が印象に残って
 「これは行きたい」
 と思ったのでありました。
 なかなか良かった!
 花の絵は圧巻でした。

美術館を出て、宿泊予定の
ビジネスホテルへ。
少しぐだっとして、オリンピックみて、
近くのラーメン屋で夕食を食べ、
こてんと寝たのでありました。

そういえば、泊まったホテルの部屋に、
「これを読め」とばかりに、
『報道されない近現代史』(元谷外志雄、産経新聞出版)
という本がテレビの横に…。
「ご自由に閲覧下さい フロントにて発売中」とありました。

で、中身をパラパラとめくると、
靖国史観まるだしの本でありました。
しかも読み物としても面白くない。

が、「思想闘争」の現場(?)を見た気がします。
ホテルにこんな本が…。
もし仮に、『学習の友』が置いてあって、
「ご自由に閲覧下さい」とビジネスマンが読めば、
これはすごい力ですわね…。



【18日(月)】

10時ちょうど、長崎市役所近くの
長崎県労連へ。

Img_2126


 このビルに
 入っている。

 上の階は
 自治労連が
 入っていた。



長崎県労連のK事務局長、
長崎県学習協のNさん、
長崎建交労の書記のIさんが
一緒に対応していただきました。

学習協のNさんが、わざわざ、
長崎の青年運動の中心的な存在である
建交労のIさんを呼んでいただいて、
一緒に要請する機会をつくっていただきました。

長崎県労連のNさんは、私の名刺の裏に書いてある
「人生の目標」のひとつ、「世界50か国を旅する」という
のをみて、「いままでどれくらい行ったの?」と質問を
してきていただいて、少しのあいだチュニジア話をしました。
目を輝かせながら聞いていただいていました(笑)。

集会の要請も、とても感触がよく、
県労連のKさんは、「私も行く」と言われ、
「県労連の大会で紹介するので、300枚チラシを送って」と
うれしい反応。さらに「この集会にむけて、実行委員会的な
ものもやらない?」とかなり乗り気。

建交労のIさんは、「大阪にいたとき、福祉保育労の
関係で、藤野さんの話を聞いたことがある。すごく良かった」と
言われ、「この集会に参加した人が、帰ってきて労働学校
などの運動につなげるようにしたい」というお話も!

鹿児島もこういう感触でとても嬉しかったのですが、
この集会をきっかけに、地域の学習運動の活性化に
つなげたいという話になり、集会の目的がまさに
そういうところにあるので、元気が出ます。
いきなりの嬉しい反応でありました。

県労連のあとは、上の階へ行って、
自治労連へ要請。
「なかなか学習運動ができていない。中身はいい。
紹介していきたい」というお話でした。

その後、すぐ近くの長崎市役所従業員労組、
長崎水道労組へ。
いまいちの対応だった気もしますが、
がんばって要請しました。

続いて、長崎高教組へ。

Img_2127
 なんと、
 長崎高教組会館という
 独自のビルが。

 書記長のOさんが
 対応していただいて、
 いろいろと苦労話も
 ふくめてお話をして
 いただきました。


ここで午前中は終了。

午後はまず全労働へ。
長崎のハローワークの裏の建物に。
4月に入ったばかりという書記さんが
ニコニコと対応していただきました。

ここで、次のところまで時間があったので、
途中にあった国宝の大浦天主堂に
寄ってみました。1864年に建てられたそうな。
入るのに300円もいりました(涙)。
3年前に行った浦上天主堂と同じ雰囲気でした。
(教会だからあたりまえか)

Img_2129_2
 長崎だね~。
 
 あと、車で長崎市街を
 走って改めて実感したのが、
 よく言われる、
 「坂の街」ということ。

 ほんと、どこもかしこも、
 「坂」「坂」「坂」
 たいらなところが少ない。
 いやはや。


さて、「15時すぎなら」と言われていた
長崎医労連へ。

Img_2133



 民医連の
 上戸町病院という
 病院が、これも
 坂の上にありました。




医労連の女性部長をされている、
Yさんに対応していただきました。

「こんないい集会があるなんて知らなかったわ」と
すごくいい反応。
そして、「原爆病院にも行ったら?若い人たくさんいるわよ」と
あらたな情報までいただきました。

そして、上戸町病院と同じ法人の大浦診療所という
ところに行って、医労連のK書記長に会いに行き、
そこから原爆病院の方にアポをとっていただきました。

そして16時半、日赤の原爆病院へ。

Img_2135
 原爆病院労組の
 K書記長が
 わざわざ玄関
 近くまでおりてきて
 いただきました。
 「いい内容の集会
 ですね。医療産別
 以外の人とも交流
 できるのがいいですね。
 若い人に紹介したい」


以上、長崎の要請でした。

全体として、とても反応がよく、
1日目の記念講演の石川先生は、
先日、長崎の母親大会で講演されており、
「すごく良かった」と言われる方も多く、
要請しやすかったです。

これは期待できます!
長崎は。


Img_2136
 18時すぎに、
 雲仙岳の北のほうに
 ある、多比良港から
 有明海をフェリーで
 わたる。

 有明海は広かった。
 夕日がきれいだった。 





熊本市内のホテルに着いたのは
20時すぎ。
なんかぐったり疲れていたので、
コンビニでちょこっと買い物をして、
すぐさま、こてっと寝る。




続きはまた。





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とりあえず、仕事せねば

きのう晩、要請行動第3弾を終え、
無事、岡山に帰ってきました!

第3弾のコースは、長崎→熊本→山口。
またしても愛車の走行距離は
1000㌔をこえ、たぶん1300㌔ぐらいは
走ったと思いますdash

3県で約30か所まわった要請の
中身でも手ごたえを感じ、
気を引きしめてがんばらねばと、
覚悟がさらに固まりました!

また詳しい中身はご報告しますcancer
とりあえず、仕事せねば…。


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2008年8月16日 (土)

お盆の日は

唯一の盆休みであったきのう(15日)は、
久しぶりに、めいっ子(5歳)、おいっ子(3歳)と
遊んだ1日になったcherry

午前中は家の中でじゃれあい、
午後は彼らからみると曽祖母にあたる方を
病院に見舞いに行く。

Img_2121


 病院の前で。





そのあと、児島の下津井の海に。
たまたま見つけた穴場的浜辺であった。

ちゃぷちゃぷと遊び、
砂山をつくり、大満足の様子で
遊び終えた彼ら。
満面の笑顔をみていると、
ほんとうに幸せを感じる。

最近では、「けいた」と呼び捨てである。
私が「けいたくん、でしょ!」と言っても、
「けいた」「けいた」と喜んで繰り返す。
ま、別によいのだけれど。



さて、明日からまた九州に。
気をつけて行ってきますcar




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2008年8月14日 (木)

靖国神社って…

きのう(13日)の晩は、
倉敷医療生協労組青年部の学習会
水島協同病院へ。

はじまる前に労組の事務所へ寄ると、
「全国集会への目標を決めたよ!」と
うれしーい報告。
倉敷医療生協労組として、
1日目50人、2日目30人、3日目50人の
目標で取り組みをするのとことです!
わーい。石川先生も、尾崎さんも、ここでは
大人気ですので、やる気まんまんの様子でした。
ありがとうございますtulip

さて、学習会ですが、
参加は5名と少なかったのですが、
「靖国神社ってどんな神社?」というテーマで
がっつり学習しました。
こんなテーマで学習会をしたいという
青年たちの真剣なまなざしが嬉しかったです。
講義のあとも、いろいろと質問が出て、
とてもよい学習会になったのではないかと思います。

Dscn4727
 人数が少なかったので、
 写真も控えめに・・・。
 



では、以下、レジュメです。
このテーマで話をするのは、
これまでに何度もあったのですが、
内容はあまり進歩してないですね…。


一。靖国神社とは
 
1。靖国神社の概略
  
◇「空からマップ」
  
◇「合祀」とは何か

2。その歴史
  
◇国家神道の成立
   
*国家神道とは
    
・他の宗教の上に君臨する事実上の国教(「天皇教」とも言える)
    
・その他の宗教の、信教の自由や、思想および良心の自由は
     徹底的に弾圧された
    
・国家神道がおよぼした影響は、教育・文化・思想・軍事に
     いたるまで、計り知れないものがある。
  
◇1869年(明治2年)「東京招魂社」として創建
                         →1879年「靖国神社」に
   
*陸・海軍省が所管する「国家機関」としての靖国神社
   
*総合的な軍事施設としての性格
    
・付属施設としての遊就館(1881年竣工)、国防館(1934年開館)
     は、日本で唯一の総合的な公開の国立軍事博物館であった。
     刀剣の陳列場としては日本最大であり、祭神となった戦死者
     の遺品、戦利品の兵器、各種の兵器の発達を歴史的にしめ
     す展示など、国民にたいする軍事的啓蒙施設として大きな役
     割を果たした。

 
3。死者の選別
  
◇天皇のために死んだ人のみ-合祀のための厳格な基準
   
*何よりも天皇に忠誠をつくして死んだ、という基準。「軍の要請
    に基づいての戦闘参加」「国家総動員法に基づく徴用」「国民
    義勇隊の隊員でその任務に従事中」など。
   
*軍人であっても、自殺したり、敵前逃亡して死んだ人は
    入れられない。
   
*日本国内の民間人戦没者の大多数、空襲や原爆で亡くなった
    人も当然入っていない。

 
4。その役割をみる
  
◇福沢諭吉が靖国提唱!?
   
*日清戦争直後(1895年)に福沢諭吉の書いた「戦死者の大祭
    典を挙行すべし」
    
<簡単に内容を要約すると>
    
・日清戦争に勝利し、がい旋将兵は爵位・勲章を与えられ栄光
     に包まれているが、戦死した将兵や遺族には国家は冷たかった。
    
・家族を失って悲嘆の涙にくれる人びとを放置していたのでは、
     次にアジアで戦争をする時に、国家のために命を捨てても戦う
     という兵士の精神を調達できない。
    
・兵士・国民が満足するには、「名誉ある死」として讃えられなけ
     ればならない。
    
・帝国の首都東京に、全国戦死者の遺族を招待して、天皇自ら
     が祭主となって、死者の功績を褒め称え、その魂を顕彰する
     勅語を下すことが必要である。
    
・つまり、戦争で死ぬことを「幸福」と感じさせることが肝心なのだ。

  
◇「死んで靖国で会おう」が合言葉に
   
*「天皇陛下のため」「お国のため」に戦死すれば、「神」として靖
    国神社に祀られる。それが、最大の光栄とされた。「九段で会お
    う」が兵士の合言葉に。

  
◇靖国の精神-国民感情を国家が収奪する
   
*「感涙座談会」「軍国の母を訪ねて」にみる遺族感情

   
*戦争推進の精神的支柱として
     
     
「これらの言葉には、天皇の神社・靖国がその絶頂期に果た
     した精神的機能、すなわち、単に男たちを『護国の英霊』たる
     べく動機づけるだけでなく、『靖国の妻』、『靖国の母』、『靖国
     の遺児』など女性や子どもたちも含めた、『国民』の生と死の
     意味そのものを吸収しつくす機能が典型的に表現されている」
                      
(高橋哲哉『靖国問題』、ちくま新書)

   
*感情の錬金術

     
「戦死者を出した遺族の感情は、ただ人間としてのかぎりでは
     悲しみでしかありえないだろう…ところが、その悲しみが国家
     的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。
     悲しみから喜びへ。不幸から幸福へ。まるで錬金術によるかの
     ように、『遺族感情』が180度逆のものに変わってしまうのである」
                               
(高橋哲哉、前掲書)

   
*国家は、遺族の「悲しみ」さえ奪った

     
「戦時中は、自分の肉親が理不尽に途中で生を断絶させられ
     た場合、妻であっても母であっても、あるいは兄弟であっても、
     公的な言説空間だけでなく、私的な言説空間でも、悲しみや怒
     りを露にすることを奪われていた。遺族は、感情を抑圧させら
     れていたわけです。『名誉の戦死』『誉の戦死』は悲しみや怒り
     を回収する言説でした。あるいは喜びに転化させるということ
     だった」
    
(田中伸尚『現代思想』8月号「討議・<靖国>で問われているもの」)

  
◇昭和天皇は、1929年の4月に山東出兵による戦没者合祀の
    臨時大祭で初めて靖国神社を参拝して以後、45年4月まで、
    20回参拝している。

 
5。戦後はどうなったか
  
◇GHQの「神道指令」(1945年12月15日)
   
・政府などの公的機関による神社神道に対する援助の禁止、
    公立学校における神道教育の禁止、公務員の公的資格で
    の神社参拝などの禁止、を求めたもの。
  
◇靖国神社は、単立の宗教法人に
   
*合祀は続ける-厚生省が戦死者名簿を集約、靖国神社に
    提供していた
   
*現在の合祀数は約246万6千柱
  
◇A級戦犯の合祀(1978年)によって外交問題に発展する
   
*A級戦犯とは、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)にお
    いて、「平和に対する罪」、すなわち侵略戦争を指導した罪の
    ゆえに被告とされた28名のこと。このうち、東条英機元首相、
    板垣征四郎元陸軍大将など14名が靖国神社に合祀された。

二。靖国問題①-日本の戦争をどうとらえるのか
 
1。靖国神社はどう主張するのか
  
◇靖国神社の二つの使命
     
(靖国神社が編集・発行している『遊就館図録-靖国神社』より)
   
①「英霊」の「顕彰(=ほめたたえる)」
    
*靖国神社は、戦没者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設
   
②「英霊が生まれた時代である近現代史の真実を明らかにすること」

  
◇靖国神社がいう、近現代史の「真実」とは
   
*『自存自衛』-欧米ロシアの列強にせまられ、やむなく始めた
    戦争だった
   
*『アジア諸国の解放』-戦後、アジア諸国は欧米の植民地を脱し、
    独立した

 
2。大切なのは、殺された側の感情-日本はアジアで何をしたのか
  
◇日本軍戦死者たちの参加した戦争は、アジアにどれほどの死と
    被害をもたらしたのか
   
*2000万人以上の死者、アジア人蔑視からくる残虐性
   
*別紙資料参照
  
◇「遊就館」にかけているもの
   
*傷つけ、殺された側-アジアの人びとの視点
  
◇アジアの人びとは、首相の靖国参拝をどうみるか

三。靖国問題②-個人の思想及び良心、信教の自由への侵害
 
1。戦後も、遺族の意志とは無関係に合祀
  
◇仏教徒・菅原龍憲さんの合祀取り下げ願い
   
*映画「靖国」にも登場されています
  
◇他宗教の人も、朝鮮・台湾の人も、「遺族の意志」に関係なく
   合祀を行う靖国神社
  
◇日本国憲法19条「思想および良心の自由」、20条「信教の
   自由」の侵害
   
*厚生省(当時)は、戦没者の名簿を、一宗教法人である
    靖国神社に提供し続けた

     
「国家と個人の関係の中で、個人がどう生きるかを自分で
     決めるということは、戦後の人びとが獲得してきた生き方で
     す。信教の自由や政教分離原則はその核です。それがい
     きなり国家権力によっていわば『拉致』された」
                     
(田中伸尚『現代思想』8月号)

     
「私は、ここに靖国の本質が出ていると思います。本当は、
     遺族のことなんて関係ないんですよ。遺族の追悼感情なん
     て全く無視している。本当に遺族の追悼のため、遺族の追
     悼感情を満たすためであれば、遺族がやめたい、自分の
     やり方でやりたいと言ったときに、取り下げるのが宗教法
     人としては当然でしょう。信者が離れたいときに宗教団体
     が許さないということになったら、人権問題です。なぜ靖国
     だけが認められるのか。結局、『国家のため』に祀るから
     でしょう。徹頭徹尾『国家のため』に祀るわけであって、遺
     族のことは関係ない。靖国に祀ってほしいと思っている遺
     族はたまたま国家の意志と一致しているだけです」
                     
(高橋哲哉『現代思想』8月号)

 
2。「政教分離」原則
  
◇侵略戦争の反省としての政教分離
   
*日本国憲法20条3項
     
「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動
     もしてはならない」
   
*二度と国家が個人の心に入り込み、侵すことのないように
    という縛り

四。靖国問題をめぐる情勢
 
1。小泉首相の6年連続参拝
  
◇自衛隊の海外派兵(インド洋、イラク)
   
*自衛隊員の「戦死」の可能性という背景も
   
*「戦争をする国」づくり
  
◇アジア諸国との外交問題に発展
   
*とくに中国、韓国との外交関係を冷やした
  
◇外務大臣(当時)・麻生太郎は…
   
*06年1月28日に名古屋市内で行った講演で
    
「英霊の方からしてみると、天皇陛下のために『万歳』と言った
    んであって『総理万歳』と言った人はゼロ。だったら天皇陛下
    の参拝が一番なんだ」
   
*その講演後「遊就館の展示は中国から見れば問題があるのでは」
    と
の質問に対し…「中国が言えば言うだけ、行かざるを得なくなる。
    
『たばこ吸うな』と言われたら吸いたくなるのと同じだ」

 
2。靖国派「期待の星」安倍首相の登場と撃沈
  
◇小泉首相の靖国神社参拝についての安倍氏のコメント

    
「(国家を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、
    国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国
    家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかというこ
    とですね」(『この国を守る決意』)と当然視。

   
*靖国神社崇敬奉賛会主催の公開シンポジウム(2004年11
    月27日)にも出席し、「小泉総理の意志を、次のリーダーも
    その次のリーダーもしっかりと受け継いでいくことが大切で
    ある」と述べている。

  
◇天皇制、侵略戦争について(首相になる前の発言)

   
「日本国民は、天皇とともに歴史と自然を紡いできたんです」
   
「日本の歴史がひとつのタペストリーだとすると、その中心に一本
   
通っている糸はやはり天皇だと思うのです」(『安倍晋三対論集』)

   
「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある。学問的に
   確定しているとはいえない」
   
「さきの大戦をどのように定義づけるかということは政府の仕事
   ではない。歴史家の判断に待つべきではないか」
                   (
2006年2月16日、衆院予算委員会)

  
◇追いつめられた靖国史観派-世界の構造変化が背景に
   
*安倍政権は、靖国派勢力で内閣を固めたにもかかわらず、
    最初の外遊先に、「歴史問題」での謝罪を目的とした中国と
    韓国を選ばずにはおれなかった。
   
*「慰安婦」問題での本音発言は米国から圧力がかかり、
    「おわび」連発
   
*安倍政権は07年夏の参議院選挙で歴史的大敗
   
*後継には、麻生太郎より靖国色が薄い福田康夫氏を選ばざる
    をえなかった
   
*その背景には世界の急速な構造変化(東アジア情勢の発展)
    
≪参考文献『覇権なき世界を求めて-アジア、憲法、「慰安婦」』
                      
石川康宏、新日本出版社、2008年)

  
◇福田首相
   
*福田首相も、「日本会議議連」「改憲議連」「靖国議連」に所属。
   
*「任期中は靖国参拝はしない」と言っているが、2002年までは
    毎年参拝していた。2001年8月15日、小泉首相(当時)が参拝し
    たとき、官房長官として随行。参拝批判にたいして、「小泉首相
    の信教の自由だ」と擁護。
   
*ちなみに、安倍前首相が官房副長官当時「核兵器使用は違憲
    ではない」と発言したのに対して、核保有について「(憲法に)持
    ってはいけないと書いていない。私個人の理屈から言えば持て
    るだろう」と官房長官記者会見で発言(
02年5月31日)。

 
3。和解のために-私たちにできること
  
◇国民が侵略戦争を肯定する政治家を選ばない
   
*世界構造の変化によって、靖国派が本音をいえない、行動でき
    ない状況になっているが、根本的には、そういう政治家を日本の
    国民が選ばない「賢さ」が必要。
   
*「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて
    行動し」(憲法前文)

  
◇私たちの歴史を学ぶ努力の水準を引き上げる
   
*東アジアには、複雑で政治的な問題が山積
   
*解決には、長い時間が必要
   
*対話と討論、交流をつみかさねて
   
*私たち1人ひとりが、歴史を学ぶ努力をする
    
・先入観、決めつけでなく、事実から出発する
    
・被害者、加害者の話を直接聞く、直接歴史の現場に行って
     みることも重要



【靖国問題での参考文献】
『靖国神社』(大江志乃夫、岩波新書、1986年)
『靖国の戦後史』(田中伸尚、岩波新書、2002年)

『Q&A もっと知りたい靖国神社』
        (歴史教育者協会編、大月書店、2002年)

『靖国問題』(高橋哲哉、ちくま新書、2005年)
『現代思想』05年8月号-特集・靖国問題
『国家と犠牲』(高橋哲哉、NHKブックス、2005年)
『靖国問題と日本のアジア外交』(松竹伸幸、大月書店、2006年)

『フィールドワーク 靖国神社・遊就館』
          (東京の戦争遺跡を歩く会、平和文化、2006年)

『「靖国」という問題』(高橋哲哉・田中伸尚、金曜日、2006年)



以上。




そういえば、先日、映画『靖国』観ました。
思ったよりかはイマイチでしたが、
十分観る価値はある映画だと思いました。

遺族の意志と関係なく、死者を「拉致」している
神社であることが、よくわかります。



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2008年8月13日 (水)

勤通大 笠岡最終回

きのう(12日)は、
笠岡市職労の勤通大労組コースの
6回目の学習会。いよいよ最終回である。

参加は7名。
こえまでのテキストの流れをふりかえりながら、
6章を学ぶ。

そして、2回目のテストの穴埋めを
みんなでやってみる。

Dscn4725


 テストに
 取り組む風景。






問題は、記述式の「修了レポート」。
勤通大の最難関はこのレポートだと
いってもいい。みんなここで苦労する。

きのうは、「とりあえず持ち帰って各自で
やって、組合まで持ってきてください」となった。
健闘を祈ります!

半年間、楽しく学習できたのではないかと思います。
おつかれさまでした。



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「夏休みは?」

世間は夏休みbicycleモードに入り、
朝の車の混雑もない。

私もよく「夏休みはいつから?」と
聞かれるが、
「ない」と答えている。

もともとお盆の時期に休む習慣がなく、
だいたい8月の上旬にまとまった休みをとり
(今年はとってないけど)、
9月にもう1回何日かの休みをとって
沖縄などへ行くことがだいたいの恒例になっている。

今年も同じで、
今週も休むのは15日だけ。
明日も、16日も仕事。
そして17日からは九州に…。
やることがたまっているのもあるけど、
やはり仕事の日々である。

きのう、ふらっとソワニエの
看護学生(3年生)が事務所に
来たので(別の人を訪ねて)、
あれこれ話を(就職先のことなど)していた。
夏休みの話になり(たしか)、
「ぼくも結構(仕事が)大変なんよー!…見えんと思うけど」
と言ったら、
「ここの雰囲気はそう見えませんねー」と言い放った。

ここの事務所は、
世間とは違う空気が流れているらしい。
ある意味、毎日が夏休みとも言える(笑)。
仕事のピリピリ感がまったくない。

たしかに、この暑さsun
ぼやっとした感じで仕事してるけど。




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2008年8月12日 (火)

来週また行ってきます

全国学習交流集会in倉敷の
九州要請行動第3弾bananaに、来週行ってきます!

18日に長崎、
19日に熊本をまわって、
20日は山口に。

労組へのアポとりもほぼ終了(順調)。
宿もとれて、準備万端cherryとなりました。

長崎は3年ぶり(05年に原水禁大会に参加)、
熊本市内は初めてです(去年阿蘇には行った)。
楽しみです。




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2008年8月11日 (月)

テレビにかじりつき

北京オリンピックsunが始まった。
スポーツ観戦大好きな私は、はやくも
テレビにかじりついている。

きのうは、女子ホッケーの試合や、
オグシオのバドミントン、
もちろん柔道もみていた。

男子サッカーsoccerは残念だったけど、
相手が強いからしょうがない。
なにせ、五輪には世界で16チームしか
出れないんだから、出場している
こと自体、日本サッカーはすごいのだ。


それにしても、残念なのは、
選手などへインタビューする人の
「質問力」の低水準ぶりだ。

そんな質問してどうするの?
とか、あまりに一般的な質問すぎて、
答える選手がかわいそうだ。

もっと選手の個々のプレーや
魅力を引き出す質問をしてほしいと思う。

今日は北島fishの決勝だなー。
楽しみです。




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2008年8月 8日 (金)

現実逃避…

夏バテか・・・。体がだるだるです。
仕事への集中力もまったく衰弱。
そういうときは、とりあえず本読んでます。
ま、現実逃避ですね。

ということで、最近読み終えた本。


『ファルク・ピンゲル 和解のための歴史教科書』
    (ファルク・ピンゲル+近藤孝弘、NHK出版、2008年)


「NHK 未来への提言」という
BSの番組を本にしているシリーズ。

世界中の教科書を収集している
「ゲオルク・エッカート国際教科書研究所」という
ところが、ドイツにあるらしい。
そこの副所長の方へのインタビュー本。

「なるほど」と思うところが多い。

ドイツとポーランドの歴史教科書対話。
ドイツとフランス。
旧ユーゴスラビア諸国での教科書対話。
東アジアにたいする認識と提言も。

「違いを強調するのではなく、共通点を見い出す」
という姿勢が大事。結局、長い時間がかかるけど、
交流と対話の積み重ねが、大事だということ。


『覇権なき世界を求めて-アジア、憲法、「慰安婦」』
            (石川康宏、新日本出版社、2008年)


元となっている論文は、たぶんすべて
読んでいるのだけれど、かなりの加筆がされている。

それだけ、情勢の進展、
世界の構造変化の流れが速い、
ということなのでしょう。

それにしても、あれだけの激務をこなしながら、
こうして本を仕上げられるワルモノ先生の力には、
いつも敬服いたします。

倉敷集会の記念講演がいまから楽しみです!
(私は裏方なので聞けないかもしれませんが…)


『GNH-もうひとつの<豊かさ>へ、10人の提案』
            (辻信一編著、大月書店、2008年)

「H」とはハッピー、つまり幸福。
「GNH」とは「国民総幸福」という造語です。

それぞれの「豊かさ論」がなかなか面白かったけれど、
なんかしっくりこない部分も。
「変えていくための道筋」があいまいで、
「価値観を変える」ところが強調されすぎな気も。

それぞれの提言を読んでいて、
『資本論』にその答えがあるんじゃないかなー、
と思いながらページをめくっていたら、
最後のダグラス・ラミスさんがマルクスのことを
語っていて、「おお!」と思いました。
マルクスの「労働論」のところが
ちょっと違うんじゃないか、と思ったけれど。

共通しているのは、
「豊かさ」とは、カネや経済成長じゃない、ということ。
西本郁子さんの「時間」の論考もおもしろい。



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2008年8月 7日 (木)

写真でかい!

8月10日号の「しんぶん赤旗」日曜版の
1面に、岡山の青年が登場!

Img_2093
 主役は、写真右の、F田くん。
 倉敷医療生協労組青年部、
 期待の星shineです。
 今年の平和行進の県内
 通し行進者です!

 『学習の友』も最近、定期購読
 をはじめました!

写真中央の2人は、ソワニエの学生さん(1年)で、
2人とも、75期岡山労働学校に、
通し受講ではありませんが、何回か参加してくれた、
元気いっぱいの看護学生です。

いちばん左は、岡山医療生協青年部の
M下さん。岡山医療生協の青年運動の
いまや中心的存在です。
以前から労働学校にはときどき参加していて、
『学習の友』の読者でもあります。

いやはや、私もよく知っている
彼ら彼女らの活躍は、本当にうれしいhappy02

今週の日曜版は見逃せません!




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Fitでやせれるか?

sweat01先日、富山から帰る車中、相方と
9月の沖縄旅行までにお互いに
いかに「やせるか」を話し合い(笑)、
いろいろ作戦を立てた。

その1つに、ちまたで話題の
Wii Fit」(任天堂の体感型ゲーム)
を使おうという話になり、
さっそく、きのう買ってみた。

夜、相方と2人で試してみるが、
これがなかなかのスグレモノ。
体重やBMIなどは日ごとに記録され、
運動時間によっていろいろできる
種目もふえていく(最終的に40種類ほどになるらしい)。

やせるには、基礎代謝をまずあげること。
それに役立つことになりそうだ。
私はさっそく30分ほど、「筋トレ」「バランス」「ヨガ」など、
いろいろな種目で遊んだが、
少し汗ばむほどの、心地よい運動sweat01になる。

「これにかこつけて、他のゲームもやるつもりでしょ」
と相方に釘をさされているのだが。
はて、どうなるでしょうか(笑)。


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2008年8月 6日 (水)

雑誌がたいへんダ

2日前に届いた『前衛』と『経済』をパラパラ
めくっていたら・・・。

さいごのページに、
『前衛』は定価60円アップのお願い、
『経済』はページ数減を伝える囲みがあった…。

主な理由は用紙代の値上げ。
やはり、雑誌をとりまく環境は
とても厳しくなっている。

そんななか、『学習の友』は、
定価400円でふんばっている。
が、このままの状態が続けば、
いずれ値上げせざるをえないだろうimpact

秋までの全国的な『友』拡大運動が
その意味でも大きい。
岡山も、もっとふんばらねば。




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2008年8月 5日 (火)

夜明けがくる

『夜明けがくる-立ち上がる看護婦たち』
   (新潟県職員労働組合編、労働旬報社、1968年)
を読み終える。

一気に読んだ。
涙、涙、である。

看護婦の「2人夜勤」体制、「月8日以内」の夜勤制限を求めた、
歴史的たたかいの生々しいドキュメント記録である。

(勝利のわずか3か月後に出版されている)

冒頭の木村栄子さんの死は、読むのが苦しい。
2人目の子どもの出産時の死。
無制限の夜勤は、「異常分娩」をもたらし、
看護師の命をも、奪うものであった。

「木村さん、あなたがいまそこに眠っていることを、
私たちはどうしても信ずることができません。
 ・・・看護婦が仕事をしながら2人目を生むという
ことが、どんなに大変なことか。そのことをいま、
あなたが語りかけているようでなりません。あなた
が看護婦になられて15年、人の寝るときにおきて
働く生活が、どれだけあなたの身体をむしばんで
いたことか。
 
私たちはあなたに誓います。必ず夜勤を制限させ、
看護婦の職業を、何人子供を生んでも勤められる
職業として確立することを。
 私たちはあなたの死を無駄にしません。
安らかに
眠ってください」  (労組分会長の弔辞)

新潟県立病院(17の病院)における看護婦夜勤制限の
たたかいは、こうした現実を土台にして、はじまった。


この新潟発の「ニッパチ」獲得実力闘争は、
豊かな教訓を残してくれているように思う。

指導部と組合員の関係性。
団体交渉のあり方。
仲間を信頼することの尊さ。
たたかいの主人公は誰なのか…。

労働組合が独自に「2人夜勤、月8日以内」という
「勤務表」をつくり、実力行使で夜勤制限を勝ちとるという
独創的なたたかいもすごい。
そして、「空白」穴埋めの支援も感動的だ。
県内の他の病院、県外からも支援の手があがり、
「組合ダイヤ」は見事完成。
ストライキは患者さんに迷惑がかかるが、この実力行使は、
逆に患者さんに喜ばれるものであった。
歴史的な「組合勤務表」に入る日、看護婦たちは、
2人になったら、患者さんに「どんな看護」をするか
(1人夜勤ではできなかったこと)を、びっしりとメモ書きし、
夜勤に入ったという(涙)。

また、1968年2月10~11日の看護婦大集会、
21日の7時間におよぶ歴史的な団体交渉は
圧巻である。ふるえるほど胸をうつ。
現場の「真実の声」をつきつけることの力。
団結とは、こういうものなんだと教えてくれる。

その団体交渉を、誌にして掲載した
横山さんの文章を紹介。

≪私たちこそ医療の守り手≫

1968年2月21日
新潟県病院事業管理者、病院局長室
すすり泣きの声がもれ
沈黙がつづいた
ある看護婦は訴えた
1000たらずの未熟児を
苦労して2500にまでしたが
人不足のもたらすラッパのみで
死なせてしまったと
屈強な男達まで
目がしらをおさえてはなさない
ただひとり
表情をかえない男がいた
その名は井村繁樹
新潟県が福祉県なら
誰より、涙を流してよいはずの
その男の肩書は
新潟県病院管理者、病院局長
そして「制度が」「基準では」と
くりかえす
日本の医療を
写真にとれば
この光景が写るだろう
日本の政治が
そこにくっきり写っている
次々と訴える医療事故
これに答える「制度」と「基準」

いつしか夜勤のつらさ忘れ
患者のことだけを訴える
白衣の勇者がそこにいた
われらは必ず勝利して
必ず患者を守るのだ…




そして、実力ダイヤの行使から3日目、
世論の圧倒的支持を背景に、知事の判断もあり、
「2人夜勤、月8日以内」の措置をとらせる全面勝利を
勝ちとったのです。

新しいたたかいは、新しい言葉を生む」という
フレーズも、とても共感します。
「ニッパチ」も、まさにこのたたかいから
生まれた言葉です。

勝利から2か月後、新潟の勝利を報告し、
全国に広げるための活動者会議の席で、
新潟の代表はこう報告したそうです(一部)。

「どうして豆腐が石に勝ったのか、そのわけを、私たちは
こう考えています。
 
だれもが否定できない医療破壊の事実の前に立って、
人間的な怒りをかきたてたこと、病院の看護婦でなく、患
者の看護婦としてそれを告発してたたかったこと。仲間を
信頼し、組合を信頼し、患者を信頼してたたかえば、豆腐
が石に勝つことが出来るんだと確信しました

 また吉田病院のある患者は、次のような手紙をよせて
います。
 ・・・それまで、リンゲルなど点滴や検査のため、朝4時
ころから起こされていましたが、2人夜勤に入ったとき(闘
争)、それが6時ころになり、気も休まり眠れました。何と
いっても2人の看護婦さんがいて夜でも安心していられま
した。看護婦さんが私たちを守ってくれる。看護婦さんの
力づよさを感じました・・・。
 
だれが医療の破壊者であり、だれが医療の守り手であ
るか、それが県民と患者に示されたとき、私たちは勝利
したのです




私は長らく、この新潟の「ニッパチ」闘争をもっと詳しく
知りたいと思っていたので、読んでとてもすっきりました。
そして、その後、新潟のたたかいが、どのようにして
全国に広がっていったのかを今度は知りたいと、
新たな問題意識がめばえました。

現代に通じる教訓が満載。
紹介しきれません。
あらゆる労働運動に生かせるものです。
そして、看護師さんにこそ、ぜひ読んでほしい。

ただ、40年前の本なので、
古本(ネットでどうぞ)でしか手に入りません!
でも、ぜひ一読を!



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富山で倉敷集会の要請

日曜日(3日)、富山の祖父の1周忌の
法事があり、行ってきました。

そして、きのう(4日)、せっかく富山に
来たので、倉敷集会のオルグをしようと、
午前中、富山市内をまわってきました。

9時半、富山駅北口で、
富山学習協のK田さん(富山高教組の書記の方)と落ちあい、
まず教育会館へ。
しかし、この日はタイミングが悪かったらしく、
県教委が訪問しに来る直前だったので、
高教組への要請は難しく、
まず県労連事務所へ向かったのでありました。

Img_2091

 県労連の建物。

 県労連と建交労も
 入っていたので、
 どちらも要請させて
 いただきました。

 建交労の役員の方は、
 「学習活動が弱くなって
 きている。これをやらにゃ、
 後継者は育たん」と、
 強く言われ、会議で
 議論するということを
 おっしゃっていただきました。


続いて、富山民医労へ。
富山協立病院の敷地内にあるプレハブが
労組事務所でありました。
専従のS峨さんに要請。
S峨さんは、どこかで見覚えがあると思ったら、
元全労連の青年部長の方でありました。
「もうかなり古い話ですよ」と言われていましたが、
「私も犬山(愛知)の全国集会に参加して、
学習運動の集会は、若い人から年配の方まで、
とても幅広い集会だという印象をもっています」
と話をされていました。
「愛知の久田さんに首根っこ押さえられています(笑)」とも。

続いては、「とやま虹の会」(医労連加盟)という
老人保健施設の労働組合へ。
お仕事中でしたが、書記長のI田さんに
お会いし、集会の要請。

続いて、富山市中心部へふたたび移動。
車中、K田さんに、富山の風土や労働運動の現状、
また学習協の状況などもお聞きしながらの移動でした。

着いた先は、富山信用金庫。
信金労組の事務所は階段をえっこら上がって、
最上階でありました。
書記の方に集会の内容を説明し要請しました。

最後に、県国公の事務所へ。
ここは学習協の事務所も入っているところで
ありました。
書記の方に要請して、この日の富山オルグを
終えました(計7か所)。


全体的にじっくりお話をできたところが
少なかったのですが、
富山学習協のK田さんが、要請時にいろいろと
加勢のお話をしていただいて、
かなりプッシュdashできたのではないかと思います。
K田さん、半日つきあっていただいて、
ありがとうございました。


富山をはじめ、
北陸のみなさん、
ぜひ倉敷へ。

お待ちしていまーすshine



要請を終え、富山郊外のシネコンで
「ポニョ」を観ていた相方をひろって、
岡山に帰ってきたのでありました。




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2008年8月 2日 (土)

彫師・ナイチンゲール

最近読み終えた本。


『消えた女』(藤沢周平、新潮文庫、1983年)

『漆黒の霧の中で』(藤沢周平、新潮文庫、1986年)

『ささやく河』(藤沢周平、新潮文庫、1988年)


いずれも、「彫師伊之助捕物覚え」というシリーズ。
現代でいうと探偵物secret
元岡っ引の伊之助という彫師が主人公。
純粋に楽しめました!


『仕事の悩み解決しよう! トラブル@メール相談』
  (笠山尚人・中田進・林萬太郎・平井哲史、新日本出版社、2007年)


高知へいく電車の中で読んだもの。
こんな本を出版する必要のない日本に、早くしたいものです。



『統計学者としてのナイチンゲール』(多尾清子、医学書院、1991年)

ナイチンゲールは、たんなる看護師ではありません。
もちろん、「看護」を創出した人ですが、
病院建築家でもあり、すぐれた教育者・管理者でもあり、
多くの著述を残した著述家でもあり、
そして、卓越した統計学者でもあったのです。

ナイチンゲールは、ケトレという社会統計学者に
師事し、統計をもちいて、衛生改革や病院の問題点を
みごとにあぶりだすという、能力をもっていました。
もともと数字が大好きで、数学教師をめざそうと
思った時期もあったそうです。

「統計はなんのためにあるのか」という基本命題を、
ナイチンゲールは教えてくれているように思います。
私たちも、グラフや表などを使って、わかりやすく
問題点やものごとの本質を見抜くという手法をもちいます。
それはなにより、目の前の現実を変えるためにこそ、
だと思います。

「ナイチンゲールの統計学的思考とその方法論は、
鋭い観察によって事実を提示するとともに、その
問題点を明確にし、その結果、論理が導き出される
という手法である。これは、正に科学的方法論その
ものであり、彼女の考案した死亡率や、平均入院
日数の計算方式は、現在の医療統計学にそのまま
使われており、これらは100年以上もその優れた
先見性を示し続けているのである」(35P)




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2008年8月 1日 (金)

九州要請第2弾~旅気分編

7月20日~24日までの、
九州要請行動第2弾の旅気分編です。

21日、鹿児島での青年合宿が正午過ぎに
終わり、その日の残りは自由。
地元の人しかいかにような温泉に入り、
さっぱりしたあと、
南へ向かって車を走らせました。


Img_2021 
 桜島。

 この日は
 もやっと
 してました。

 鹿児島市の
 中心市街から
 みると、
 その迫力は
 すごいです。


さらに車を走らせ、
着いたところは、
知覧の平和公園。

有名な特攻隊の資料館があるところです。
もちろん初めてでしたが、
「美化されている」と聞いていたので、
実際はどんな感じなのか、この目で確かめようと
思ったのであります。


Img_2025


 ここが資料館。
 平和会館というらしい。



もう、駐車場に着いた時点で、
特攻機の実物大模型とかが見えて、
雰囲気が「むむっ」て感じでした。
靖国神社と共通する雰囲気です。

入ってみて、いろいろと展示物などを
眺めていると、明らかに靖国の論理が
いたるところに入り込んでいることを
確認することができました。
(ちなみに館内は撮影禁止だった)

まず、特攻作戦で亡くなった人のことを、
「英霊」と呼んでいます。

また、資料館入口の説明版には、

私たちは、特攻隊員たちの崇高な犠牲によって
生かされ、国は繁栄の道を進み、今日の平和日本が
あることを感謝し
、特攻隊員のご遺徳を静かに回顧
しながら、再び日本に特攻隊をつくってはならないと
いう情念で、貴重な遺品や資料を、ご遺族の方々の
ご理解、ご協力と、関係者の方々のご協力、ご支援で
展示しています。
 特攻隊員たちが帰らざる征途に臨んで念じたことは、
再びこの国に平和と繁栄が甦ることであっただろうと
思います。
 この地が特攻隊の出撃基地であったことにかんがみ、
雄々しく大空に散華された隊員をとこしえに顕彰し…」

とありました。

まず、最後の部分、特攻隊員の死は、
「雄々しく大空に散華された」ような最後だったのでしょうか?
肉弾作戦ですよ。死の現場を美化しすぎです。

また、死者にたいして、「追悼」ではなく、「顕彰」という
言葉を使っていることも、靖国の論理と重なります。
「顕彰(けんしょう)」とは、つまり「ほめたたえる」ことですから。
特攻隊員の死を「ほめたたえる」ことが、平和を祈念する
ことにつながるのでしょうか?

その論理が、冒頭の、
「私たちは、特攻隊員たちの崇高な犠牲によって
生かされ、国は繁栄の道を進み、今日の・・・」という
部分にもつながってきています。

特攻作戦が始まったとき、すでに日本の敗戦は
確定的だったのであり、降伏の決断が早ければ、
こんな無謀な作戦で若い命を奪い去ることもなかったのです。
「尊い犠牲があり、今日の日本がある」はよく使われる
論理ですが、はっきりって、つながりません。

また、館内の説明では、
この戦争(日本の侵略戦争)の全体像はまるで見えず、
いきなり「沖縄決戦」の説明ではじまるのです。
もちろんアジアの視点などどこにもありません。

また、この特攻作戦は米軍にしっかり探知されており、
米軍艦船に突入する以前にほとんどが打ち落とされたり、
故障で目標に到達しなかったなど、
つまりほとんど「あたらなかった」という事実があるのに、
それも、どこにも説明がありません。

知られたくない事実を隠し、
特攻隊員たちの死を美化する展示は、
いったいどうなのでしょうか。

一番驚いた、館内での説明をご紹介しておきます。

「特攻作戦の特性」を説明した文章です。

「特攻機の特性を端的に言うならば、有人ミサイルである。
無人ミサイルに対し、有人であることの利点は、故障その
他で突入の見込みがない時は、帰還回収が可能であること、
目標の選択が可能であること、敵の妨害をある程度回避
できること、敵の存在が確実であれば、ある程度の索敵
攻撃が可能であること等である。一方
致命的な欠陥は、
搭乗者が確実に戦死すること
である。そして搭乗者の意志力、
技量が目標命中に重大な影響を及ぼす。
 
一機一艦の志を遂げさせるには、前途の利点を発揮し、
欠陥を補う訓練が必要であった
。特攻機を駆使し、体当たり
戦法を成功させるには、かなり高い戦技力が必要であった」

全体的にムチャクチャな内容だけれど、とくに、
「致命的な欠陥」が、「搭乗者の確実な戦死」であるのに、
どうやって、「欠陥を補う訓練」をするっていうんですか!
人命軽視の極みが、この文章にも表れています。

もちろん、特攻隊員の写真や遺書、遺品などを
見ていると、胸にくるものがありました。
ほとんどが、10代や、20代前半までの若い青年たちです。
写真にうつる1人ひとりの顔を見ていると、
「胸中はどんなに苦しかっただろう…」と考えてしまいます。
泣きながら展示を見たり読んだりする人もいました。

しかし、その若い命を奪ったのは、
日本の侵略戦争であり、軍部の人命軽視の
ムチャな作戦だったのです。
そのことの直視しないで、特攻隊員の死を美化する
この平和会館の展示に、私は激しい違和感を
感じずにはいられませんでした。

しかし、人聞きではなく、
それを自分の目で確かめられたことは、
とてもよかったと思います。


さて、知覧をあとにし、さらに南へ。
枕崎まで足を伸ばしてみました。


Img_2028




 ゆく途中で。


 夏らしい。








Img_2032



 岬のような
 ところで。

 立神岩という
 枕崎の
 有名な風景。







Img_2033

 東シナ海
 だと思います。

 澄んだ日は、
 屋久島や
 種子島も
 見えるらしい。

 この日は
 見えなかった。


枕崎からさらに西へ行こうかと思ったけれど、
時間がなさそうだったので、
鹿児島市内に戻りました。


22日は、ほぼ仕事で観光気分はなし。
でも、九州は空と雲がとってもキレイで、
車の運転は気持ちよかったです。

23日、宮崎オルグを終えて、
大分に向かう途中、
ちょっと寄り道して大分県の
佐伯市のとある浜辺に寄りました。


Img_2053

 もう時刻は
 18時頃。

 海で泳げる
 かなーっと
 思ったけど、
 そういう感じ
 のところでは
 ありません
 でした。残念。





Img_2054








 おお、
 なんか
 青がすごい。














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 海岸べりを
 歩く。

 もう日暮れである。















Img_2060

 浜辺で、
 足をつけてみる。

 気持ちいい!
 やっぱり海だわ。



しばし、浜辺でぼーっと海を眺め、
波の音を聞く。
ひとときの静寂な時間でした。

その後、別府市内のビジネスホテルへ。
泊まったのは3900円の超お得なお値段の
ホテルだったのだけれど、
なんと温泉の大浴場があり、部屋のバスの
お湯も温泉でした!さすが別府!!

夜は別府の居酒屋でちびりちびりと
ビールを飲みました。
別府は夜もすごく賑やか。
さすが全国的な観光地ですね。


24日の大分オルグを終えて、
帰り道は、
大分の佐賀関というところから、
フェリーで愛媛の三崎というところまで。


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 このフェリーで
 約1時間の
 船旅でした。








Img_2068




 さようなら~
 九州~








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 やっぱり船旅は
 いいね~。
 いつか沖縄にも
 船で行ってみたい。

 落ちつくんですよね、
 海を見ていると。
 生命のふるさとだから、
 ですかね。




以上、旅気分編とはいえ、
ほとんど風景写真で終わりました…。

あまり地の食べ物とか
食べなかったしなぁ(そういう時間的余裕があまりなかった)。

でも、海をたっぷり眺められたのは、
この九州オルグのお得なところでした。


おわり。





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