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2008年5月 2日 (金)

100万回ですよ

今日(2日)は、午後から、
ソワニエ看護専門学校の3回目の講義。

冒頭に「読書日記」を紹介。

そして今日はなんと、
絵本、『100万回生きたねこ』(佐野洋子・講談社)を
読んで、
「“100万回生きたねこ”を読むとく」という
とんでもない(笑)内容の授業でした。

2週間前の講義の最後で、この絵本を読んでもらい、
小課題を出しました。

①なぜ“ねこ”は100万回も生き返ったのか?
②なぜ“ねこ”は、最後、生き返らなかったのか?
③絵本を読んでの感想や気づいたこと、疑問に思ったこと。

という3つの課題をだし、
先週までに提出してもらい、
それをもとに授業をすすめるという方式でした。
各自が書いたものを、すべての人が
見て共有できるように、書き写したものを全員に
配りました。

予想できたことですが、
学生さんたちが出してきた課題を読んで、
私もこの絵本の読み方が、より豊かになりました。

なかには「これはすごい“気づき”だ!」とヒザを
たたいて喜んだ内容もありました。

授業では、
*いろんな状況・感情を読みとく力
*寿命とは?
*人間にとって“過去”のもつ意味

というポイントで、話をすすめていきました。


講義の感想文を読むと、1冊の絵本なのに、
人によって受けとり方、感じ方がこんなにも違うことに
驚いた、という意見が圧倒的。
人と意見を交し合うという経験が圧倒的に少ない
世代だからでしょうか。かなり新鮮だったようです。



では、私のレジュメの部分のみ、以下ご紹介します。


三。この絵本を通じて、考えたいこと
 
1。いろんな状況・感情を読みとく力
  
◇読む人の「年齢・経験・環境」によって、受けとるものが違ってくる絵本
   
*読み手の想像力を広げてくれる中身

  
◇質問にたいしての「正解」はありません(そういう絵本ではない)。
   
*ただし、1回読んだだけで、「スラスラ書いた」人は、
    注意してください。
   
*逆に、ウンウンとうなって考えた人は、これからもその姿勢を
    大事にしてください。

  
◇たとえば、設問①への答えも、それぞれ共通点もあれば、まったく
    違う受けとめ方や、違う角度から考えた人もいます。

  
◇さらに、いろいろな「気づき」も

  
◇ナイチンゲールのきびしい指摘(『看護覚え書』15章「補章」より)

    
「この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対のもの、
    すなわち、自分自身はけっして感じたことのない他人の感情の
    ただなかへ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事は
    ほかに存在しないのである」

    
「看護婦のまさに基本は、患者が何を感じているかを、患者にた
    いへんな思いをして言わせることなく、患者の表情に現われるあ
    らゆる変化から読みとることができることなのである」

    
「患者の顔に現われるあらゆる変化、態度のあらゆる変化、声
    の変化のすべてについて、その意味を理解すべきなのである。
    また看護婦は、これらのことについて、自分ほどよく理解してい
    る者はほかにはないと確信が持てるようになるまで、これらに
    ついて探るべきなのである。間違いを犯すこともあろうが、そう
    している間に彼女は良い看護婦に育っていくのである。一方、
    患者の表情や様子を何ひとつ観察しようとしない看護婦や、ま
    た何か変化がありはしないかと思いもしないような看護婦は、ま
    るでこわれやすい陶磁器の管理をしているようなもので、何も得
    られない道を歩みつづけ、けっして看護婦にはなれないであろう」

  
◇感性はきたえるもの

    
「私はいつも少女時代に読んだ『赤毛のアン』を思い出します。
    グリーンゲーブルズの叔母さんの家で過ごすアンが、見るもの
    聞くものすべてに驚き、感激します。またなにごとにも『なぜ? 
    どうして?』と不思議がり、多感な少女として成長していくのです
    が、あのアンのような想像力と好奇心をずっと持ち続けたいと、
    もう七十歳をすぎた今もいつも思っています。
     
でも、ただ心がけるだけでは、感性は鍛えられません。日常
    出合う事象のすべてを、漠然と見たり聞いたりするのではなく、
    その底にあるものを感じとり、意味を見いだすような習性を身
    につけてほしいと思います。そして言葉に表現しましょう。
     
…看護師という職業は、…実に多様な人を相手にしています。
    複雑な人々の気持ちに直接かかわらなくてはならないのです。
    見たり感じたりしたことを、ありのままの言葉によって表現する
    訓練をしておかないと、相手の気持ちを想像する力も萎えてし
    まうのです。なぜなら、想像も言葉によっているのですから」
                      
(川島みどり『新訂 キラリ看護』)


 
2。「寿命とは何か」(日野原重明さんの考えに学ぶ)
  
◇『十歳のきみへ-九十五歳のわたしから』より
     
(日野原重明、冨山房インターナショナル、2006年)

    
「わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間をけずっていくと
    いうのとはまるで反対に、寿命という大きなからっぽのうつわの
    なかに、せいいっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメー
    ジです」

    
「時間というには、ただのいれものにすぎません。そこにきみ
    がなにをつめこむかで、時間の中身、つまり時間の質がきま
    ります。きみがきみらしく、いきいきと過ごせば、その時間はま
    るできみにいのちをふきこまれたように生きてくるのです。
     
時間を生かすということは、うらを返せば、死んでいる時間と
    いうものもあるということでしょうね。いのちをふきこまれないか
    ぎり、時間は、またその積み重ねである年齢は、死んでいるも
    同然だということです」

    
「なにもしなくても、人はだれでも年をとっていきます。からだは
    どんどん成長して、おとなの外見になり、やがては老いて、ちょ
    っとこわいですけれど、いつの日か死をむかえます。それは誰
    もが共通してたどる道です。そこに時間が流れています。
     
ただし、その道をどんなふうに歩いていくか、時間のなかにな
    にをつめこんでいくかは、1人ひとりちがいます。ここに、きみに
    いのちをふきこまれて生きてくる時間と、むだに過ごして死んだ
    も同然の時間とがあるわけです。
     
・・・そして、できることなら、寿命というわたしにあたえられた時
    間を、自分のためだけにつかうのではなく、すこしでもほかの人
    のためにつかう人間になれるようにと、私は努力しています。な
    ぜなら、ほかの人のために時間をつかえたとき、時間はいちば
    ん生きてくるからです。時間のつかいばえがあったといえるから
    です」

 
3。“ねこ”にとって、「100万回生きたという、“過去”」のもつ意味
  
◇過去は、現在の生き方によって、その意味を変えてくる
   
*なぜ「おれは100万回も・・・」と言わなくなったのか。人生の量と質。
   
*最後に初めて心から泣いたねこが、感じたこと。(長久の想像)



以上。


来週からは、5回にわけて、
『君たちはどう生きるか』をテキストに、
またコペル君との旅をはじめます。


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