« 「ケイタはおっさん」 | トップページ | 75期がスタートぉぉ »

2008年5月 8日 (木)

『寡黙なる巨人』

ときどき、“ものすごい本”に出くわす時がある、
たんに「勉強になった」「これは良書だ」という
評価をするのもはばかれる、
圧倒的な迫力で胸に迫ってくる本だ。

『寡黙なる巨人』(多田富雄、集英社、2007年)

は、そういう本だった。
「読んでほしい」というのが、一番の感想である。

私のヤボな解説は最小限にして、
引用を中心に紹介することにしたい。

著者は、世界的な免疫学者の多田富雄さん。

1934年生まれ。千葉大医学部卒。
若くして免
疫学で世界的な業績を上げ、東大教授に。
国際免
疫学会連合会会長もつとめ、
世界をかけめぐり
仕事をするかたわら、
能や鼓を楽しむ文化人でも
あった。

その多田さんに、まったくい思いもかけぬ人生

転機が襲いかかった。2001年5月2日、脳
梗塞。
それから、多田さんの苦闘の日々が始まっ
た。


以下、本より引用。小見出しは本の小見出し。

発端その前夜
「私にとって忘れられない恐ろしいことが起こったのは、
満67歳の誕生日を迎えてまもなくのことだった」


死の国からの生還

「もう大丈夫、と声をかけようとしたが、なぜか声が出な
かった。なぜだろうと思う暇もなく、私は自分の右手が動
かないのに気づいた。右手だけではない。右足も、右半
身のすべてが麻痺している。嘘のようなことだが、それが
現実だった。
 
訴えようとしても言葉にならない。叫ぼうとしても声が出
ない。そのときの恐怖は何ものにも比較できない。

 
・・・私は頼りないうめき声で助けを求め、身もだえする
ほかなかった。これは大変なことになってしまったと思った
が、訴える術(すべ)がなかった。どうなることか、考えが
まとまらず、私は声にならない声ですすり泣くしかなかった」



多田さんは、脳梗塞により、
右半身麻痺と言語障害が残った。


地獄の始まり

「私はまもなく、今まで何気なくやっていたことができなく
なっていることに気づいた。たとえば唾(つば)を飲み込
むこと。医師に『ごくんと唾を飲み込んでください』などと
いわれても飲むことができない。その
ごくんができない
だ。だがら涎(よだれ)がとめどなく流れる。いつもだらし
なく涎をたらしている。
 
咳払いすることもできない。喉の奥に痰(たん)のような
ものが絡んでも、咳払いして排出することが不可能だった。
 
・・・うがいをすることもできない。水を飲み込まずに口に
含んだままにすることができないから、歯磨きをしても口
をすすげない。あるとき水を口に含んだとたん、目の前が
真っ白になって激しく咳き込んだ。
 
・・・嚥下がうまくいかないとは、どんな苦しみなのかは、
障害をもった人しかわかるまい。痰が絡んでも出せない
のは、地獄の苦しみなのだ

 
一例をあげよう。まず水が一滴も飲めないのだ。喉がか
らからに渇いても、水を飲むことができない。湿ったもので
喉を潤すこともできない。医師からは注意されていたが、
ある朝不用意に水を飲もうとした。そのとたん激しくむせ、
頭が真っ白になった。驚いたことに
私は数㏄の水に溺れた
 
水だけではない。己の唾液でむせるのだ。不用意に唾を
飲むことはできない。失敗すれば激しく咳き込み、後まで胸
のあたりに痰が絡む。そればかりか肺炎の危険がある」


つらい日常

「私のように日の当たるところを歩いてきたものは、逆境に
は弱い。何もかも心を萎(な)えさせる。妻が席をはずして
一人になると、涙が止まらなかった。感情失禁ということもあ
って、よく泣いた。不安で気が違いそうになることもあった

夜半に目覚めて、よじれて動かない右手右足を長いこと動か
そうと試み、どうしても動かないと知ってひそかに泣き続けた
こともあった」


多田さんは、あまりの辛さに、何度も「死」を意識する。
しかし、「死の誘惑」から救ってくれたのは、
妻や家族・友人たちの支えだった、と書いている。



沈黙の世界

「一言も言葉をしゃべれないまま、2か月をこの病院で過ごし
た。初めは、そのうち声くらいは出るだろうと思って高をくくっ
ていたが、それは完全な間違いであることがわかった。3週
目ごろから、言語の訓練が始まった。
 
母音に始まり、マ行の練習、そんな簡単なことができない
ので、私は絶望した。発音では鏡を見ながら練習する。
初め
て鏡を見せられて、私はあっと息を飲んだ。これが私なので
あろうか。鏡に映っているのは、ゆがんだ無表情の老人の顔
だった。

 
右半分は死人のように無表情で、左半分はゆがんで下品に
引きつれている。表情を作ろうとすれば、ますますゆがみはひ
どくなった。顔はだらしなく涎をたらし、苦しげにあえいでいた。
これが私の顔か。
 
・・・びっくりして発音の練習どころではなかった。それは恐怖
に近かった


二週間後

ある日のこと、麻痺していた右足の親指が、ぴくりと動いた
予期しなかったことで、半信半疑だった。何度か試しているうち
にまた動かなくなった。かすかな頼りない動きであったが、初め
ての自発運動だったので、私は妻と何度も確かめ合って、喜び
の涙を流した。
 
自分の中で何かが生まれている感じだ。それはあまりに不確
かで頼りなかったが。希望の曖昧な形が現わてきたような気が
した。とにかく何かが出現しようとしていた」


鈍重な巨人

「私の手足の麻痺が、脳の神経細胞の死によるもので決して
元に戻ることがないくらいのことは、良く理解していた。麻痺と
ともに何かが消え去るのだ。普通の意味で回復なんてあり得
ない。神経細胞の再生医学は今進んでいる先端医療の一つ
であるが、まだ臨床医学に応用されるまでは進んでいない。
神経細胞が死んだら再生することなんかあり得ない。
 
もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したから
ではない。それは新たに創り出されるものだ
。もし私が声を取
り戻して、私の声帯を使って言葉を発したとして、それは私の
声だろうか。そうではあるまい。私が1歩を踏み出すとしたら、
それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。
もし万が一、私の右手が動いて何かを摑むんだとしたら、それ
は私ではない何者かが摑むのだ。
 
私はかすかに動いた右足の親指を眺めながら、これを動か
している人間はどんなやつだろうとひそかに思った。
得体の知
れない何かが生まれている
。もしそうだとすれば、そいつに会
ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。
 
新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱々しく鈍重(どんじゅう)
だが、彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているよう
に感じた。私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のよう
に思われた



自分のなかに、「新しい人間」(多田さんはそれを『巨人』と
名づけた)が出現してくる、という感覚は、実際に多田
さんのような体験をした人でないと、わからない、と思う。
また、医学者であった多田さんだからこそ、こうした
自分の体験や感情を、豊かな知識と筆力で表現できている。
私は、読みながら何度も、そうした描写に唸(うな)った。



訓練開始

私は、ここで初めてリハビリは科学であることを理解した。漫
然と訓練を重ねるのとまったく違う。実際の経験によって作り
出され、その積み重ねの上に理論を構築した、貴重な医学な
のだ。私が医学生のころはなかった新しい学問である。
 
科学といったとのは、たとえばどの動作にはどの筋肉が有効
な収縮をするのか、麻痺し
筋肉に、どうすれば刺激を入れるこ
とができるかを、解剖学的、生理学的な知識をもとに
徹底的に
解明する。使えない筋肉はどの筋肉か、それを代償できる筋肉
はどれか。それ
を有効に使う方法、などの知識が要求される。
たとえば麻痺側ではなくて、反対側の運動を
起こさせることに
よって、麻痺した筋肉に予想を超えた運動を誘発したりする。
 
優秀な療法士は、合理的な指導や科学的な裏づけをもとに、
あらゆるトリックを駆使して、不可能だった運動を可能にする。
目的を知悉(ちしつ)した、熱意のある訓練が必要なのだ」


ただ、多田さんは発症後、病院を3つ渡り歩いており、
1つ目と2つ目の病院では、リハビリ医学の水準と
設備がまったく不十分だったことも記している。
3つめの病院で、多田さんはリハビリのもつ科学性を
はじめて実感したという。
病院によってこうも違うのか、と、私も思わざるえなかった。



初めての1歩

「平行棒の間ではなんとか移動することができたが、そこから
出るともう駄目だった。右足は伸びずに、左足一本で立ってい
る。これでは支え無しには立てない。
 
・・・こんなことでは歩けない。毎日同じことの繰り返しに、絶
望しかけたときのことだ。もう訓練を始めて1ヶ月半もたった
頃である。金沢でいわれた半年の期限は過ぎてしまった。
 
しかしその日は違っていた。いつものように、平行棒の間で
もがいて立ち上がろうとすると、不思議な力が私を貫いた
。大
臀筋(だいでんきん)が緊張して、突然右脚が伸びた。そう思
う間もなく、大腿四頭筋も腓腹筋(ひふくきん)もピンと張り切っ
て、床を蹴っていた。
ゆっくりと、1歩を踏み出し、そして歩い
。私が半年振りで、自分の足で地上を歩いた1歩であった。
 
あの巨人が目覚めたのだ。あの鈍重な巨人が、ようやく1歩
歩き出したのだ。涙が両眼にあふれて、何も見えなくなった


歩くということ

「なぜ歩くということにこうもこだわるのだろうか。自分は障害
者である。どうしても車椅子からは自由になれない。そうだとし
たら、歩けなくてもいいではないか。もう半年も1歩も歩かずに
生きてきた。歩くのを諦めたって生きていける。
 
苦しいリハビリを毎日しなくても、ほかに快適な生き方があ
るはずだ。電動車椅子に乗って動けばいいのだ、と思う人も
いると思うが、そうではないのだ。
どんなに苦しくても、みんな
リハビリに精を出して歩く訓練をしている。なぜだろうか

 
それは人間というものが歩く動物であるからだ。直立二足
歩行という独自の移動法を発見した人類にとっては、歩くと
いうことは特別の意味を持っている。
 
四百万年前人類とチンパンジーが分かれたとき、人は二
足歩行という移動方法を選んだ。それによって重い脳を支
え、両手を自由に使えるようになった。この2つの活動は

いに相乗的に働き進化を加速させた。歩くというのは人
間の
条件なのだ。
 
・・・その証拠に車椅子で町へ出かけてみよう。すべては

間が立った目線から眺めるようにできている。マーケッ
トへ
行っても、飾られた商品は車椅子からは見えにくい。
下に並
べられた魅力のないものばかりが眼に入る。町では
人の顔
さえも見る機会がない。
 
ある日散歩の途中、交差点で信号待ちをしているとき、
ため
しに支えてもらい立たせてもらった。立って眺めた
町の風景が、
車椅子で見るのと、なんと違って見えたこ
とか。私は立ったま
ま、その懐かしい風景に見入った」

「何よりも、頭で考えなければ歩けない。どの筋肉を使ってい
るか、姿勢は教えられたようにまっすぐか。右に曲がっていな
いか。背筋は伸びているか。うつむいていないか。いちいち自
分で考えながら修正する。考えないで歩けば、足が絡んだり
倒れたりする。反射で自動的にできそうなことが、無意識では
できない。
歩くという何気ない作業が、こんなにも複雑な手続き
で行われていることを初めて知った

 
人間は幼児のとき何度も倒れながら直立歩行を学ぶ。立ち
上がるだけでも、脚の沢山の
筋肉のみならず、重心をとり平
衡感覚を全身の筋に覚えさせる大変な学習だ。だからその後
は、複雑な手続きを意識しないでも歩けるようになる。随意運
動を指令するのは大脳だが、脳梗塞ではその指令を出す大
脳皮質の運動野が傷害されることが多い。運動の細かなス
キルは、小脳に記憶として刻みつけられるが、それがやられ
るともっと重大な障害が起こる」


湯島の梅

「こうして重度の障害者としての生活が始まった。それは発作
前とは全く違う営みである。違う人が生まれたのだ
。もう前の
自分に返ることはない。私は半身麻痺と言語障害を抱えて、
新しい人として誕生したのだ。
 
・・・私は思い出した。金沢の夕日の光景に、突然私が感じた
巨人の姿は、確実に動き出している。それはまだ20歩も満足
には歩けないが、朝起きて初めて背筋を伸ばすとき、そして杖
に持ち替えて体をゆっくりと立ち上がらせるとき、そしておぼつ
かない1歩を踏み出すとき、私は新しい人間が私の中に生ま
れつつあるのを感じている。
のろまで醜い巨人だけれど、彼
は確かにこの世に生を受けた
。この様子では、なかなか育た
ないだろう。
 
それでもいいのだ。私は私の中に生まれたこの巨人と、今
後一生つき合い続け、対話し、互いに育てあうほかはない。私
は自分の中の他者に、こうつぶやく。
何をやっても思い通りに
は動かない鈍重な巨人、言葉もしゃべれないでいつも片隅に
孤独にいる寡黙な巨人、さあ、君と一緒に生きてゆこう
。これ
から娑婆(しゃば)ではどんな困難が待っているかわからない。
でも、どんな運命も一緒に耐えてゆこう。私たちは1人にして2
人、分割不可能な結合双生児なのだから。そして君と一緒に
これから経験する世界は、2人にとって好奇心に満ちた冒険の
世界なのだと。
 
妻が、1人でうなづいている私に、そっと彼女のショールをか
けてくれた。そうだ、もう1人同行してくれるものがいるではない
か。さあ生きようと私は思った」

以上が、本の前半の手記「寡黙なる巨人」より。


回復する生命-その2
「入院中は毎日のスケジュールに従っていればよかっ
たが、
退院後のリハビリはつらい。週4日、雨の日も
雪の日も、妻
に車椅子を押させて病院に通う。そして
強制的な機能訓練
だ。
 
私は一生懸命やっているつもりだが、なかなか歩け
るよう
にはならない。こんな苦しいリハビリの訓練を
続けるのは何
故だろうかと、時々考える。リハビリなんかやめて、電動車
椅子にバリアーフリーの部屋、介護保険などを使って、安楽
に暮らせばいいではないか。
 
でも私はそうはしないつもりである。いくらつらくても、私は
リハビリを楽しみにしている
。週に4日間、歩行訓練と言語
機能回復のために、病院に通うのが日課になった。私にも
家人にも大変な負担だ。
そんなことをしても、目立ってよくな
る気配は見えない。エンドレスの、不毛の努力をなぜ続けて
いるか

 
その理由を書こう。
 
私には、麻痺が起こってからわかったことがあった。自分
では気づいていなかったが、脳梗塞の発作のずっと前から、
私には衰弱の兆候があったのだ。自分では健康だと信じて
いたが、本当はそうではなかった。安易な生活に慣れ、単
に習慣的に過ごしていたに過ぎなかったのではないか。何
より生きているという実感があっただろうか。
 
元気だというだけで、生命そのものは衰弱していた。毎日
の予定に忙殺され、そんなことは忘れていただけだ。発作は
その延長線上にあった

 
それが死線を越えた今では、生きることに精いっぱいだ。
もとの体には戻らないが、毎日のリハビリ訓練を待つ心が
ある。
体は回復しないが、生命は回復しているという思いが
私にはある
。いや、体だって、生死を彷徨っていたころに比
べれば少しはよくなっている。
 
今日はサ行の構音が幾分聞き取れたと言語聴覚士が言っ
たとか、今週は麻痺した右の大臀筋に力がはいっていたと
理学療法士にほめられたとか、些細なことが新しい喜びな
のだ。
リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが、
私は生命力の回復、生きる実感の回復だと思う

 
まだ1人で立っていることさえままならないが、目に見えな
い何かが体に充ちてきている
。目に見える障害の改善は望
めない。でも、何かが確実に回復していると感じる。
どうもそ
れは、長年失っていた生命感、生きている実感らしい

 
・・・私の場合は、脳神経が侵されたのである。症状はよく
なるはずはない。毎年咲く花とは違う。でも長年失っていた
生命力が見えない速度で充実し、回復しようとしているのを
感じている。そんな力は、皮肉なことに体が丈夫なころには
感じることはなかった。
 
つらいリハビリに汗を流し、痛む関節に歯を食いしばりな
がら、私はそれを楽しんでいる。失望を繰り返しながらも、体
に徐々に充ちてくる生命の力をいとおしんで、毎日の訓練を
楽しんでいる」


こうして、リハビリに生きる力と人間としての
尊厳を感じとった多田さんだったが、
2006年、長期リハビリの日数制限という
診療報酬改悪が。



憂しと見し世ぞ

「それなのに小泉改革は、無情にもこうした障害者のリハビ
リを、最長でも180日に制限する『診療報酬改定』を2006
年に開始した。改革の名を借りた医療の制限である。・・・都
立病院などでは約7割の患者が治療を打ち切られた。リハ
ビリを打ち切られた患者の中には、機能が落ちて寝たきり
になり、実際に命を落とした人もいる。
多くの障害を負った
患者が、希望を失い、『再チャレンジ』を諦めざるを得ないと
いう非常事態に陥った。

 
私は新聞に投書したり、総合雑誌に書いたりして、この非
人間的暴挙を告発した。社会では最弱者の、障害を持った
患者が窮地に陥っていることを訴えた。同じ苦しみを実感し
ていた関西のリハビリ科の医師グループと、『リハビリテー
ション診療報酬改定を考える会』を作って、反対の署名を集
めることになった。
 
・・・ところが、受け取った厚労省は何の反応も示さなかっ
た。48万の国民の声は無視されたのである。
 
・・・長期にわたるリハビリを、なんとしても介護保険に強制
的に追いやろうとする厚労省の魂胆に、私は深い疑問と不
安をもっている。
 
・・・これは立派な国家犯罪である。私はまだまだ闘わなけ
ればならない

こうして私の中に生まれた『巨人』は、いつの間にか、政府
と渡り合うまで育ってくれた
。死ぬことばかり考えて、生きる
のを恐れていたころとは違う。
今は何も恐れるものはない。
命がけなら、私にもできることはあるだろう。厚労省に44万
人の署名を持って乗り込んだのだ。失うものは何もない

 
『巨人』は、相変わらず動作は鈍いし、歩くこともできない。
原稿を書くのも人の十倍の時間がかかる。まだ声は数音節
しか続かないし、発音は不明瞭だ。日常生活では相変わら
ず口数の少ない『寡黙なる巨人』に過ぎない。
 
でも私は彼を信じている。重度の障害を持ち、声も発せず、
社会の中では最弱者となったおかげで、私は強い発言力を
持つ『巨人』になったのだ。言葉はしゃべれないが、皮肉に
も言葉の力を使って生きるのだ

 
・・・今、厚労省の役人に負けてはいられない。これも弱者
の人権を護る戦いなのだ
。私は自分の中の『巨人』にこう語
りかける。今しばらくの辛抱だ。これまでの苦痛に比べたら、
何ほどのことがあろう。戦え。怒れ。のた打ち回れ。『寡黙
なる巨人』は声で答えることはできないが、心に深くうなずく
ものがあった」



いま、多田さんは、
後期高齢者医療制度についても
激しい闘志をもち、
「言葉の力」で、たたかいを挑んでいる。

「怒りに身が震えます。体さえ動けば1300万人の後期高
齢者と、その予備軍を結集し、『老兵連』を集めて反乱を
起こしたいぐらい。力はないが数はあるぞとデモしたい。
言い換えで誤魔化されるほど、後期高齢者は落ちぶれて
はいない」(『毎日新聞4月11日夕刊)


このすさまじい闘志を、
私たちはしっかり受けとめなければ、と思う。


長くなりました。



|

« 「ケイタはおっさん」 | トップページ | 75期がスタートぉぉ »

読書記録」カテゴリの記事

コメント

長久さん、こんにちは。岐阜のhayashiです。

いつもブログ拝見しています。
とくに、この読書記録はいいですね。
興味をそそられた本は図書館で借りて読むようにしています。さっそく、多田さんの本借りました。読み応えありますわ。
リハの職員に勧めて見たいと思います。

投稿: hayashi | 2008年5月12日 (月) 10時09分

hayashiさん、ありがとうございます。お久しぶりです。
岐阜医労連のブログ、私も参考にさせて
いただいています。元気いいですよねー。

多田さんの本も、ありがとうございます。
いろんな闘病記をこれまで読んできましたが、
これはすごかった。

ぜひ多くの療法士さんに読んでもらいたいし、
多田さんの闘う姿勢から、いろんなことを
学びとってもらいたいなと思います。

ではまた。

投稿: 長久 | 2008年5月12日 (月) 12時15分

私も読みたいです。
帰ったらさっそく購入です。
いつも貴重な情報ありがとうございます。

リハビリは科学とアートです。

がんばろうと思えました。

投稿: Nとっしー | 2008年5月13日 (火) 03時16分

とっしーさんありがとうございます。

先日も、NHKスペシャルの「たたかうリハビリ」という
番組を見て、リハビリのもつ力を実感したところです。

まだまだ国民的認知は低い分野だと思うので、
多田さんの本も多くの人に読んでもらいたいですね。

投稿: 長久 | 2008年5月13日 (火) 09時36分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「ケイタはおっさん」 | トップページ | 75期がスタートぉぉ »