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2008年4月23日 (水)

阿波根昌鴻さんのすごさ

きのう(22日)の晩は、ふたたび倉敷医療生協労組へ。
みんなの学校の6回目。カリキュラムの最後でした。

Img_1728

 参加は7名。
 どの参加者も
 とっても学習意欲が
 高いのが特徴です。




きのうのテーマは、
「命どぅ宝・沖縄反戦の心-阿波根昌鴻のたたかいに学ぶ」
でした。

2005年に伊江島に行ったとき、
阿波根昌鴻さんの本を読み、
ヌチドゥタカラの家(反戦平和資料館)に入り、
受けた衝撃は、今も忘れることはできません。
私のこだわりの人です。

講義では、沖縄の戦後の苦難の歴史と、
伊江島の農民や、阿波根さんのたたかいと
思想にふれるものとしました。

感想文を読むと、
阿波根さんの言葉やたたかいの姿勢は、
やはり相当なインパクトがあったようです。

また、沖縄の歴史を知らなかったこと、
これからも学び続けたいし、
一緒に学ぶ仲間がいる心強さを感じる、
平和を実現していくために、
関心を持ち続け、自分のできることを
していきたい、と。

どの青年も、本当に素晴らしい感性と
学ぶ姿勢をもっていると思いました。
最後のみなさんの発言を聞いていて、
かなーり感動した私でした。

とくに、労組青年部長Mさんの
「これまで学習というと、しかたなくやっている
という感じだったけど、この学習会に参加する
ようになって、知らないことっていっぱいあるんだな
と思ったし、まず学習からはじめないと、と思った」
という発言は、びっくりしたのと、感激したとの。

終了後、主催者の1人であるKくんから、
「せっかくこういう機会をもったのだから、
今後につなげていきたい。これからの
ことを相談する場を今日決めよう」と突然の提案があり、
5月に、学習会に参加したメンバーで集まって、
今後の活動や学習の方向性について
考えることになりました。すばらしい!!

6月21日には、福山のホロコースト記念館に
平和学習をする「特別授業」をすることにも
なっています。

倉敷医療生協労組の青年たちは、
これからも走り続けます!




では、以下、講義の概要です。



はじめに:沖縄が、ほんとうの『癒しの島』になるために


一。苦難の現代史-沖縄のあゆみ
 
1。沖縄戦
  
◇「国体護持」のための「捨て石」としての沖縄
  
◇20万人以上の死者(約半数が一般住民。米軍も1万数千人の死者)
    
鉄の暴風、軍民一体の地上戦、日本兵による住民虐殺
    
防衛隊・学徒隊の悲劇、「集団自決」、戦争マラリア

 
2。日本から切り離された沖縄
  
◇沖縄住民の戦後は、16か所の収容所から出発。米軍は自由に
    基地を整備した。
   
*白地図に線を引くように広大な軍用地を接収
    
・例えば嘉手納基地は、日本軍がつくった中飛行場を約40倍に
     拡大したもの
  
◇そして、北緯30度以南は日本から切り離される
   
*1946年1月29日、連合国総司令部(GHQ)「若干の外郭地域を
    政治上行政上日本から分離することに関する覚書」を出す。北緯
    30度以南の南西諸島を日本から分離することを明らかにした。

     
「沖縄諸島は、われわれの天然の国境である。米国が沖縄を
     保有することにつき日本人の反対があるとは思えない。なぜ
     なら沖縄人は日本人ではなく、また日本人は戦争を放棄した
     からである。沖縄に米軍の空軍を置くことは日本にとって重大
     な意義があり、あきらかに日本の安全に対する保障となろう」
                  
(46年6月27日のマッカーサー発言)

   
*1947年5月3日、日本国憲法施行
    
・北緯30度以南は、憲法は適用されない地域だった
   
*平和憲法は、沖縄の犠牲のうえに築かれた、と言える

  
◇49年の中国革命の成功により、沖縄の恒久的な軍事基地建設が
    はじまる
   
*アメリカ議会は50年度に、5千数百万ドルの本格的な沖縄基地
    建設予算を組む
   
*50年6月、朝鮮戦争がはじまる
  
◇サンフランシスコ講和条約第3条
   
*1951年9月8日、対日講和条約が調印される
                         (同じ日、安保条約も調印)
    
【3条】日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び
        大東諸島を含む。)、孀婦
(そふ)岩の南の南方諸島(小笠
        原群島、西ノ島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及
        び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度
        の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる
        提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決され
        るまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住
        民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一
        部を行使する権利を有するものとする。

   
*1952年4月28日、対日講和条約、安保条約が発効
    
・沖縄が、無期限に、日本から切り離された日
    
・日本国憲法がおよばず、核の自由もちこみ、軍事最優先のもと
     におかれた沖縄。
   
*太平洋の「カナメ石」として

  
◇銃剣とブルドーザーによる土地接収(基地拡大)
   
*沖縄支配の合法的根拠を得たとする米軍は、徹底した軍事優先
    政策と反共政策をふりかざし、軍用地の強制接収や政治的弾圧
    を強行していく。
   
*住民の抵抗を武力で排除しての基地拡張建設-土地の強制接収
   
*沖縄の無期限保有の意思を示すアメリカ
    
・53年11月ニクソン副大統領
     
「共産主義の脅威あるかぎり、アメリカは沖縄を保有する」
    
・アイゼンハワー大統領54年の一般教書演説
     
「沖縄のわれわれの基地を無期限に保有するつもりである」

  
◇島ぐるみ闘争
   
*56年6月「プライス勧告」
    
・プライス委員会報告書は、沖縄基地が、①制約なき核兵器基地
     として、②アジア各地の地域的紛争に対処する米極東戦略の拠
     点として、③日本やフィリピンの親米政権が倒れた場合のよりど
     ころとしてきわめて重要であることを強調し、軍用地政策を含む
     従来の米軍の占領統治を基本的に正しいものとした。
   
*島ぐるみのたたかい
    
・プライス勧告の全文が沖縄に届いた6月20日、全沖縄64市町
     村のうち56の市町村でいっせいに市町村住民大会が開かれる。
     これらの大会には、16万から40万の民衆(全人口の20%~
     50%)が参加したと言われている。
    
・6月25日には全県規模の住民大会が那覇とゴザ(現沖縄市)の
     二つの市で開催され、それぞれ10万と5万の民衆が参加した。
   
*反戦地主のたたかい

 
3。苦難のたたかい-復帰運動
  
◇沖縄の人びとの壮絶な復帰運動
  
◇ベトナム戦争への「加担者」に
  
◇「平和憲法のもとへ」-復帰の現実は「安保条約のもとへ」だった
   
*米軍基地の永続化と引きかえの「祖国復帰」-1972年5月15日
   
*それは、「平和憲法」ではなく、「安保体制」の中へ沖縄をしばり
    つけるものであったと言えないか。

 
4。安保条約の集中点『沖縄』-21世紀も続く基地押しつけ
  
◇安保条約の実感の「差」-沖縄を想像する力を
   
*岡山にとっての安保
   
*沖縄にとっての安保
    
・米軍基地、騒音、米軍による事件・事故、基地経済、米軍への
     特権「地位協定」、アメリカの戦争への加担
   
*これだけの犠牲を強いてきた沖縄に、私たちがどう連帯し、関心
    を持ち続けていくのか。沖縄へ行ったことのない人は、ぜひ沖縄
    へ行って、自分の目と耳と肌で、沖縄の「傷み」を感じてきてほしい。
   
*憲法を守ることができても、安保があるかぎり、沖縄の現実は変
    わらない。

二。伊江島・阿波根昌鴻のたたかいから学ぶもの
 
1。伊江島とそのあゆみ
  
◇沖縄の縮図・伊江島
   
≪1943年 7月≫ 日本軍が伊江島飛行場建設をはじ
める
                (村民多数動員)
   
≪44年10月10日≫ はじめての米軍空襲(村民40名死亡)
   
≪45年3月上旬≫ 完成目前の飛行場の破壊命令が出る
   
≪45年4月16日≫ 米軍上陸。戦車80台、兵1000人。
   
≪45年4月21日≫ 米軍、伊江島の占領を宣言。村民の死者
                約1500名、日本軍の戦死約2000名。
                米軍の戦死約300名。
   
≪45年5月≫ 戦死や集団自決、自爆から生き残った島民2100人
             は慶良間島へ強制移送され、米軍は伊江島に新た
             な飛行場や施設を建設。
   
≪47年3月≫ 伊江島民に帰島の許可があり帰村開始。しかし、
             伊江島には緑はなく、村や家屋一軒もなく、あるの
             は縦横に走る自動車道路と無数の米軍施設だった。
             村民は仮テント生活を余儀なくされる。
   
≪47年8月6日≫ 波止場で米軍爆弾処理船LCTが事故を起こし
               爆発。渡し舟の村民多数をまきぞえに。死者
               102人、負傷者73人。
   
≪50年4月≫ 復金による住宅建設はじまる。
   
≪53年7月≫ 米軍が理由を騙して真謝区の土地調査。
   
≪54年6月20日≫ 米軍、工事着工。4戸を立退かせた。工事
                終了と同時に爆撃演習開始。
   
≪54年8月20日≫ 米軍、射撃場拡張を通告。これには、真謝区
                の全部と西崎区142戸のうち74戸がふくまれる。
   
≪55年3月11日≫ 米兵300名。三隻の大型上陸用舟艇で伊江島
                に上陸。
   
≪55年3月12日≫ 真謝部落で米軍測量開始。
   
≪55年3月13日≫ 住民は、上陸した米軍部隊との交渉に見切りを
                つけ、8名の地主代表が朝から那覇の琉球政府
                にかけつけて座り込み陳情を開始。
   
≪55年3月14日≫ 米軍、農家・家屋に対し強制破壊。この夜から、
                米軍の張った13枚のテント幕舎生活がはじまる
                (77名収容)。
   
≪55年3月15日≫ 測量をほぼ終了。鉄柵をはりめぐらす。
   
≪55年4月30日≫ 伊江中学運動場で土地返還要求村民大会。柵
                の撤去、演習中
止、損害賠償を決議。
   
≪55年5月9日≫ 米軍、爆撃演習再開。
   
≪55年7月21日≫ 真謝区民大会。部落全体が、生きる為、また世
                間に実情を訴えるために乞食となることを決定。
                沖縄本島を横断する乞食行進が開始される。
                56年の2月までこの行進は続く。

    
以後、米軍と農民のたたかいは続く。伊江島の創造的なたた
    かいの記録は、阿波根昌鴻さんの著書『米軍と農民』(岩波新
    書)に詳しい。農民の不屈のたたかいで、伊江島の軍用地は、
    最初島の63%であったものを、約27%に後退させた。

  
◇阿波根昌鴻さんとは
   
*1903年、沖縄本島の上本部村(現・本部町)に生まれる。
    1925年、移民募集に応じてキューバ、のちにペルーにわ
    たり、1934年帰国。京都一燈園に西田天香氏を訪ねた後、
    伊江島に住む。1945年沖縄戦で一人息子を失い、戦禍を
    まのあたりにして、反戦平和のために闘うことを決意。米軍
    占領下の伊江島の土地闘争では常に先頭に立った。復帰
    後も、一貫して軍用地契約に応じない反戦地主として闘い、
    84年に建設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を主
    宰して、反戦平和の実践を続けた。2002年3月21日没。

 
2。長久が学んだこと
  
◇「平和の武器は学習である」
   
*学習し続けた人
    
「わしらは、いろいろな人に援助してもらいながら闘いの中で
    学びました。そして闘いがすすむ中で、勉強することが闘いの
    大事な一部であることを確信し、もっときちんとした勉強が必
    要であると考えるようになっていった。それで61年、『人材養
    成有志会』というものをつくって、東京にある中央労働学院と
    いう学校に、村の青年たちをおくって勉強してきてもらうことに
    したのであります。復帰までに、合計15、6人の青年が行き
    ましたかね。
     
ところで、この活動は、わしにとっても大きな意味をもつこと
    になりました。帰ってきた青年に、わしの考え方は観念的だと
    批判されたりして、だんだん話があわなくなった。これはいか
    ないと思って、今度はわし自身が学校に行ってみようと思った
    のであります。66年ですから、わしは63歳でした。勉強に行
    って、びっくりしましたことがいくつもありましたよ。たとえば、
    賃金論というものを教えられた。昔の教育では、貧乏というの
    は、その人が悪いか、または祖先に悪い人がいたためだとい
    われて、疑ったことがなかったのに、そうでないことがわかった。
    いろいろなことがわかった。いろいろなことがわかっていく、と
    いうのは実に大きな楽しみであります。先生のいわれることは
    全部ノートしました。そのときのノートは31冊あります」(『命こそ宝』)

  
◇反戦運動の姿勢
   
*相手のことを考える闘い
    
「道理をもって相手を説得する、決して責めているだけではい
    けない、相手の立場に立って相手も幸せにする、そういう考え
    方でなければならない」(『命こそ宝』)
   
*辺野古のたたかいに受けつがれている『非暴力』の闘い

 
3。阿波根さんの言葉(主に、岩波新書『命こそ宝』より)

  ◇沖縄戦を体験して、また戦争について
    
「一体この子どもたちに、この老人たちに何の罪があったとい
    うのか、どんな悪魔であっても戦争ほどひどいことはできない、
    どんな地獄であっても戦場には及ばない、そう思わずにはい
    られなかった」


    「わしは、一人息子が沖縄で死んだ・・・なぜわしが、これほど
    平和運動に熱心に取り組んでいるのかといえば、何よりこの
    体験である。地球ともかえられない、たった一人の息子を戦
    争でとられて殺された。その何物にもかえられない息子を失っ
    た親としての痛苦の思い、これが基本にある」

    
「つい最近のことですが、戦争で父親を亡くした親子が泊り込
    みで、わしのところに来ました。その人は、私たちも戦争で親
    を亡くしたが、何十年もたったことであり、諦めるしかない、諦
    めが肝心だ、いつまでも戦争のことを考えているのはどうか、
    という。
     
わしはこう答えました。あの戦争が最後でもう終わりというこ
    とであれば、これは早く忘れた方が自分のためになる。しかし
    いま、これまで以上の軍備をし、演習をし、沖縄県民はいろい
    ろな事件や事故にあって、ひどい目にあっている。戦争で死の
    うが、演習で死のうが、かけがえのない人ひとりの命であるこ
    とにかわりはない。戦争をするための準備と演習のために殺
    され、死んでゆくということがなくなるまで、戦争の悲惨さをい
    いつづけ、平和のために行動を実践しつづけなければならな
    い。しかも、今度戦争が起きたとしたら、核で地球は全滅。わ
    しらの時代はともかく、次に生まれてくる子どもたちのために、
    地球を破滅させるようなことをさせてはいかない。すべて命、
    命あってのことなんだ。命より大事なものは無いんだ。その命
    が戦争によって、こんなにも奪われてしまった。もう二度とこん
    なことがあってはいかない-
     
この親子に話したことは、戦後ずっと考えてきたことでありま
    した。そして、わしが反戦資料館をつくろうと思った心の底にあ
    る思いであります」

    
「人類の不幸のすべては、戦争準備と戦争が作るものである
     
戦争さえなければ、人類に貧しさも犯罪も争いも不幸も無い
     ことを確信しております
     
戦争(殺し合い、奪い合って、瞞し合って生きる人間のこと。)
     
平和(助け合って、ゆずり合って、教え合って、共に生きる
                                 人間のこと。)」

  
◇反戦平和資料館について
    
「いまあるほとんどの資料館はどこでも、戦争は残酷だ、も
    う二度としてはいけないといっておりますが、その残酷な戦
    争は誰がどうしてつくったのかということに、まったくふれていない」

    
「戦争はどこが始めたかということからはじめて、戦争の残酷
    さと、戦争の結果からくる悲劇を展示しようと思いました。さら
    にそのためには教育のこと、戦争準備のこと、戦争をおこし
    た『英雄』たちの悲劇のこと、ここまでさかのぼって展示しなけ
    れば、本当の反戦資料館にはならない、そう考えるようになっ
    ていった」

    
「なぜ身障者の人たちのための里をつくろうと思ったか。それ
    は、平和と福祉は深く関連していると思っておったからであります」

  
◇土地を守るたたかいを通して
    
「土地をとり返すための闘いを続ける中で、わしらはいろい
    ろなことを学び、考えました。米軍の中にはいい人もおる。
    赤ちゃんにミルクを飲ますやさしい人もおる。それなのに、
    なぜわしらの土地を強奪するというひどいことをするのか。
    これは戦争があるからである。戦争が人を変えてしまう。
    そして基地は、その準備をするためのものだ。基地が撤去
    されるまでは、戦争のことを忘れてしまうことはできない。わ
    しらの土地を守る闘いは、戦争をやめさせ平和をつくること
    につながる、またつながらなければいかない。そう確信する
    ようになった」

    
「基地からくる『こぼれ金』に頼らないと村の経済が成り立た
    ないというのは、長い目でみればいいはずがない、そんない
    びつな経済は経済としても不健康で危険なことであります。
    それだけでなく、何でも金を優先させる考えは人の心を毒し
    てしまいます」

    
「わしらの平和運動は、沖縄から基地を無くしても終わらない。
    日本の平和憲法を、世界中で実現させて、世界中の武器を
    全部なくす。そして、地球上の資源を、地球上の生き物が、
    平等にバランス良く分け合って、生きてゆけるような社会に
    するまでは、平和運動はやめられない」

  
◇米軍にたいして
    
「わしらには米軍に悪口をいう権利はないし、資格もない。
    米軍が沖縄、そしてこの伊江島にきたのは戦争があった
    からですよ。その戦争はだれが起こしたか。日本が起こし
    た。戦争がなければ米軍は来ていない。日本が米軍は沖
    縄に来て下さい、伊江島に来て下さい、そういったのと同じ
    である。わしらは日本人としての責任がある、そう思ってお
    ります。だから悪口はいわない。そういう闘い方はしない。
    わしらは『鬼畜』ではない、人間である。人間として闘いを
    やるのだ」

    
「自分たちの目的は基地撤去であり、土地をとりもどすこと
    です。喧嘩することではない。だから、銃剣を持って来る人
    の立場も考える。この兵隊たちは命令に従うしかない人た
    ちで、可哀そうだという同情心がなければいかない」

    
「軍事力を強化する国は、国民を苦しめる悪い国であります。
    それに武器に頼って生きる人間より不幸な人間はおりませ
    ん。・・・基地はアメリカ国民のためにもならない、もちろん私
    たちのためにもならない、このことを確信している」

    
「アメリカ人と話し合う時には、いつもキリストを前に出して方
    がいい。キリストの後にかくれていると、キリストが闘ってくれ
    る。私たちは三〇年あまり闘っているが、アメリカの上の人か
    ら、間違っていると言われたことは一度もない。またアメリカ
    人にこんな事を言ったことがある。『日米安保条約は日独軍
    事同盟より危険だ。こんな条約を結んで恥ずかしいとは思わ
    ないか。どちらが正しいか裁判でためしてみよう。アメリカか
    らキリストをつれて来なさい。私たちはインドからお釈迦様を
    つれて来る』」

    
「私たちは米軍に土地を取られ、米軍とたたかってきました
    が、そのときもそれ以後も、他を責めない、長所と交わる、
    友と友、人と人、国と国、不義を正し、ソ連とも、アメリカとも
    仲良く、ゆずり合って、助け合って共に生きる、その実践の
    なかに真の平和と真の人間の幸福はあると確信いたし、そ
    の実践に努めてきました。
     
私たちが戦争と米軍との闘いで学んだことは、武器の力に
    頼って生きる人間の限りない不幸と、良心に頼って生きる人
    間の限りない幸福であります。そこで平和運動とは、幸福の
    人が不幸の人に幸福の道を教え、導いてあげることであると
    確信を持つようになりました。米軍との三十余年の闘いで、
    米国民の不利不幸になることはやらないように努めてきまし
    た。私たちが闘わなければならないのは、戦争をやりたがっ
    ているアメリカと日本の、人間の顔をした悪魔に対してであり
    ます」

  
◇人生観・世界観
    
「土地は魔法使いのようだよ。同じ土にいろんな種をまくとい
    ろんな命を育ててくれる。命はぐくむ土地を、人殺しの練習の
    ためには使わせない。土地は万年。金は一時」

    
「この伊江島はね、海も動いているし、生きておる。こうして木
    を見ていますとね、風は三味線ですよ。静かな三味線をひくと、
    木の枝はみな、クミウルイ(組み踊り)する。あれは王様の前
    で踊るおどりですね。三味線という風が力強く吹くと、沖縄の
    カチャーシー、庶民の元気踊り。そして、木によって、踊り方が
    みな違う。木の葉が大きい木の踊り、木の葉の小さい木の踊
    り、みな違う。それも見事。
     
天を見たらですね、雲がどんどん動いて、いろいろなかたち
    に変わる。舟になったり、ライオンになったり。それもまた見事。
     
何でも生かしていかなければならない。戦争がない平和の島
    をどうしてもつくっていかなければならない。わたしはそう強く
    思っております」

さいごに:「みんなの学校」全6回を終えるにあたって
     
*平和運動は、継続性こそが求められる
     
*学ぶことと、仲間の存在が必要
     
*ぜひまた学習の機会を、労働組合らしさの発揮を



以上。



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