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2008年4月18日 (金)

やはりここでも“手”

今日(18日)は、午後から
ソワニエ看護専門学校で2回目の講義。
41名全員出席でした。

「人間の手のふしぎ」ということで、
先日の福祉保育労でしゃべったことと、
ほぼ同じような話をしました。

最後の「看護と『手』」のところだけ、
紹介します。

感想文をみると、まずまずだったかなーと
思いますが、やはりソワニエは修行の場ですな。
なかなか「うまくいったナー」という実感がもてません。


では、以下。


四。看護と「手」
 
1。どのような手(人間性・感性)をもった看護師か

    
「しかし病人の世話をするには建物だけあればよいのであ
    ろうか? そこには心と手、訓練されて熟練した手が必要
    である。大英帝国のどの救貧院でもまたその他の病院でも、
    当然そのような手と心の持主によって看護がなされるべき
    である」
       
F・ナイチンゲール『アグネス・ジョーンズをしのんで』)

    
「教育の仕事は別として、世の中で看護ほどに、その仕事
    において『自分が何を為しうるか』が、『自分はどのような人
    間であるか』にかかっている職は、ほかにないからです」
        (
F・ナイチンゲール『看護婦と見習生への書簡〔1〕』)

  
◇3年間のソワニエでの学びで、ぜひ人間性と感性を磨いてほしい

 
2。「手当て」が医や看護の原点
  
◇美術作品から
   
*「エヒテルナッハ福音聖句集」
   
*カリエール「病気の子ども」
   
*ピカソ「科学と恩寵(おんちょう)」

  
◇看護師が手を使わなくなった!?

    
「夫の入院中、夫の手に触れた看護師さんは一人もいませ
    んでした。強い気性の夫でしたが、末期には、痛いくらいに
    私の手をぎゅっと握りしめていました。先人たちが築いてき
    た有形、無形の看護実践、その人の生きる力や、自然治癒
    力を引き出す要素があるはずなのに、それが忘れさられて
    います。
     
手は、サーモスタット無しに常温を保てます。こんな有力な
    武器はありません。手を当てただけでアセスメントできます。
    ・・・脈を3本の指で診ると、脈の緊張の度合いで血圧が高い
    か低いかもわかるし、早さもわかる、皮膚がしめっているか、
    乾いているかもわかり、脱水状態も把握できる。胸に手を当
    てれば、ゼイ鳴のある、なし、ゼイ鳴がなくても動いているの
    は触っただけでもわかります。観察の武器として、モニター以
    上に複数の情報をキャッチでき、自分の意志で使えます。さ
    すったり、揉んだり、なでたり、つかんだり 叩いたり、抱きし
    めたり、いろいろなことができるのが手です。看護師たちはこ
    の有用な手をどうして使わないのかと思います。なぜ機械を
    介在させるのでしょう」
    
(川島みどり「IT化時代 今だからこそ看護の原点に」、
                           『医療労働』№
500)


以上。



来週は講義はお休みで、
次回は5月2日です。



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