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2008年4月30日 (水)

終わったと思いきや

岡山医療生協労組の昼休み
メーデー学習会は今日(30日)で終了。

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 25日の様子。







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 今日の様子。
 




やれやれ終わったーと思っていたら、
「来週も」と、I塚書記長が…。

メーデーは終わっているが、
後期高齢者医療制度や、
ナースウェーブ運動について、
「今度は東中央病院で」とのこと。

はい、やりますとも。
新しいレジュメもつくりますとも。

労働学校の宣伝もしてしまいますよぉ。




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良い刺激

きのう(29日)のNHK、
「プロフェッショナル 仕事の流儀」は
おもしろかった。(
こちら

いつもは司会であり聞き役の
茂木健一郎さんが、脳科学にもとづいて、
視聴者の仕事などの「悩み相談」に
こたえるというもの。

鶴の恩返し勉強法や、集中力、
人を育てる褒め方などなど。

感覚的に「こうじゃないかな」と思っていたものも
あったが、こうやってきちんと科学的な説明がされると、
より意識的にそれを行うことができる。

「人に飽きないためには、自分が変わり続けること」

「自分は、変わることができる」

力強い茂木さんの言葉に、
気持ちの良い刺激を受けた夜でありました。



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2008年4月28日 (月)

『学習の友』5月号

『学習の友』5月号の主な内容のご紹介。

【特集-四人の手記から考える労働組合】
 *労働組合が私にくれたもの(尾崎恵子)
 *仲間が助けてくれた。今度はわたしが…(山田真悟)
 *これだけは知っておきたい労働者の権利(前澤壇)
 *そもそも労働組合の役割とは(槇野理啓)

 *反貧困の大きな共同を作る労働組合
           (牧野富夫、浜林正夫、高橋勝也)

【その他の記事】
 *ベトナム、その元気の源(伊藤千尋)
 *連載「労資関係と暮らし改善の道〔第5回〕」(辻岡靖仁・田中紘一)
 *新連載「歴史を考える〔第1回〕」(村本敏)
 *新連載「ものの見方と人間らしさ〔第1回〕」(長久啓太coldsweats01

 *目で見る学習「給与明細をジックリ見てみよう!(吉田豊)
 *多喜二が成長しつづけたように、私たちも成長しつづけよう(小山国治)


そして・・・全国学習交流集会in倉敷の宣伝ページがついに登場!
                              (58~59P)
      岡山労働学校運営委員の眞鍋さん、
      倉敷医療生協労組の早川くんが、
      全国のみなさんに、倉敷集会へ「来て来てメッセージ」を
      書いてくれていまーす。読んでね。

なんと・・・私の書いたミニ連載が始まってしまいました!
      編集部の方に助けられながら、先週、2回目の原稿を
      書き終えたところです。
      まだまだ修行が足りませんが、ご笑覧ください。
      ありがたいことに、「読んだ」「使った」という声を、
      まわりの方々からいただいております(涙)
      励みにしてがんばります。


以上、5月号は、いろんな意味で(笑)、注目です!
読みごたえ満載です。
とくに、特集は、どの記事もかなりオススメです。
ぜひ手にとってみてください。
そして、まわりに「『学習の友』ええよー」とすすめてください!



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「労働組合とはぁ」

土曜日(26日)と、今日(28日)、
生協労組おかやま(つまりコープの労働組合)の
新入組合員研修の講師で行ってきました。

2日間とも、お昼をはさんで2回ずつ、
計4回、「労働者とは、労働組合とは」
というテーマでの講義でした。

まあ、基本的な「労働組合とはぁ」の話なので、
内容紹介は省略します。

ほとんどがパートの方で、
2日間で60名ほどの参加だったでしょうか。

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 26日の
 研修会の様子。
 
全員女性でした。

 お子さんと一緒に
 参加の方も。


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 今日の様子。

 お弁当も
 いただいてしまいました。

 ありがとうございます。
 けっこう豪華(2段だし)!






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2008年4月25日 (金)

チュニジアの11日間(18)

チュニジア10日目(1月5日)のつづき。

世界遺産、ドゥッガを16時すぎに出発し、
首都チュニスへと向かう。

チュニジア最後の夜は、
チュニスで過ごしました。

旅のはじめにチュニスに来た時は、
メディナ(旧市街)に寄れなかったので、
18時にチュニスに着くと、すぐにメディナへと向かう。
ちなみに、チュニスのメディナも世界遺産である。

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 この街の
 雰囲気。
 チュニスに
 帰ってきた。

 相変わらず
 男たちは
 カフェで
 たむろ。何を
 話してんだろ。




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 メディナの
 入口に立つ
 通称
 フランス門。

 チュニスの
 メディナを
 とりかこむ
 城壁の
 一部分だ。




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 裏から見た
 フランス門。

 照明にライトアップ
 されていて、
 絵になりますなぁ。










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 メディナのなかを歩く。
 そろそろ店じまいを
 始めているお店も
 多かったけど、
 まだまだ活気があった。

 いくつかのお店で
 買物をしようと試みるが、
 「これは!」という
 ものがなかった。
 結局、あまりお土産らしい
 お土産は買わなかった旅
 だった。
 サハラ砂漠の砂は持って
 帰ってきたけど(笑)



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 こちらは
 メディナの
 中にある
 グランド
 ・モスク。

 すごい
 雰囲気。





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 ちょっと離れた
 ところから
 ふたたび
 グランド・モスクを
 眺める。

 チュニジアでも、
 聖地ケロアンの
 モスクに次いで、
 2番目に古い
 モスクだそうだ。

 チュニジア全土から
 信者が来るそうだ。








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 女性陣は
 買物上手であった。

 友人Tは、
 値切り交渉も 
 かなり上達していた。









チュニスのメディナは、
歴史の重みを感じる街並みが
続いていた。

そこで暮らしや商売を営む人びとの
顔にも、「ここに住む誇り」のようなものが
あったような気がする。

こういう「街への愛着と誇り」という
気持ちは、日本では
急速に失われている、と思う。
無計画な都市計画や道路建設、
なんでも効率が優先される社会は、
街の雰囲気や文化を壊し、人びとの
生活まで変えてしまう(良くも悪くも)。

自分の住んでいる国や街の歴史を
生きいきと語ることのできるチュニジアの
人びとを羨ましく思う。

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 メディナ見学を
 終えて、
 チュニスの市街地へ
 ふたたび戻る。

 ここは
 とあるスーパーの中。

 お菓子です。
 これをお土産に
 買いました(笑)






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 デパート
 なども
 あります。

 やはり
 都会です。







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 2回目の
 大聖堂。







 横ぎる
 路面電車。









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 日本の都会
 とは明らかに
 違う雰囲気。

 灯りの質が
 違うのが
 おおきいかも。

 やさしく、疲れ
 ない灯りです。



夜のチュニスを歩き、
とても気持ちがよかった。
最後の夜、という気分も
あったかもしれない。

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 ホテルにて
 少し遅い夕食を
 いただく。






最後の晩餐、Nさんと私たち3人で、
チュニジア旅の思い出などを語り合った。

やはり、サハラ砂漠が一番印象深い
思い出となったように思う。


チュニジアの旅も残り1日。
最後の日も、すばらしい所にたくさん
行けました。

連載もあと2回で終了です。
ご期待ください。




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2008年4月24日 (木)

メーデー学習つづく

きのう(23日)のお昼は、
岡山医療生協労組のメーデー学習会に。

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 参加は40名ほど。
 おつかれさまです。





労組執行委員長のY田さんが、
後期高齢者医療制度のことを15分で、
私がメーデーと看護師のたたかいの歴史を
20分(!)で話をするという構成でした。

私も冒頭に、3日前のニュースで山形県の
58歳の息子さんが87歳のお母さんを首をしめて
殺し、自分も首吊り自殺をした事件を話しました。
その息子さんは、「生きることに疲れた」と遺書に残し、
最近、後期高齢者医療制度で年金から天引きされて
生活が苦しいこと、医療費が高くて今後の見通しが
もてないことを、近所の方に相談をしていたそうです。

この国では、医療制度が人を殺しています。
自分を生んでくれた母親を自分の手で…。
どんなに苦しく、辛かったでしょうか。
絶対に許せません。

たぶん私、かなーり怒りながらしゃべってました。
楽しくなんて語れません。

あと、看護師のたたかいの歴史も
話をするついでに、ナイチンゲールの以下の言葉も
紹介してみました。


  
「看護のような仕事においては、忙しくてもう頭も手もいっぱいと
  いったときに、…
真剣な目標を心の中にもっていないとなれば
  -たとえうわべは隣人に尽くしているように見えても-決して彼
  らのためにも…尽くしてはいず、もっぱら自分のためだけで終
  わっているといった事態が、いともたやすく起こりうるものです」
    
(F・ナイチンゲール『看護婦と見習生への書簡(1)』1872年)

「真剣な目標」をささえるのは、
命を守り支える医療従事者としてのプロ意識、
そして、あたたかく鋭い感性、だと思います。
医療従事者のみなさんの、心からのたたかいを、
私はほんとうに期待しています。



そして、今日(24日)のお昼は、
倉敷医療生協労組のメーデー学習会でした。
2回目で、健寿協同病院の会議室でした。


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 始まる前の様子。
 参加は20名ほど。





みなさん熱心に聞いていただきました。

メーデー、多くの人の参加で声をあげていきましょう!



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2008年4月23日 (水)

阿波根昌鴻さんのすごさ

きのう(22日)の晩は、ふたたび倉敷医療生協労組へ。
みんなの学校の6回目。カリキュラムの最後でした。

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 参加は7名。
 どの参加者も
 とっても学習意欲が
 高いのが特徴です。




きのうのテーマは、
「命どぅ宝・沖縄反戦の心-阿波根昌鴻のたたかいに学ぶ」
でした。

2005年に伊江島に行ったとき、
阿波根昌鴻さんの本を読み、
ヌチドゥタカラの家(反戦平和資料館)に入り、
受けた衝撃は、今も忘れることはできません。
私のこだわりの人です。

講義では、沖縄の戦後の苦難の歴史と、
伊江島の農民や、阿波根さんのたたかいと
思想にふれるものとしました。

感想文を読むと、
阿波根さんの言葉やたたかいの姿勢は、
やはり相当なインパクトがあったようです。

また、沖縄の歴史を知らなかったこと、
これからも学び続けたいし、
一緒に学ぶ仲間がいる心強さを感じる、
平和を実現していくために、
関心を持ち続け、自分のできることを
していきたい、と。

どの青年も、本当に素晴らしい感性と
学ぶ姿勢をもっていると思いました。
最後のみなさんの発言を聞いていて、
かなーり感動した私でした。

とくに、労組青年部長Mさんの
「これまで学習というと、しかたなくやっている
という感じだったけど、この学習会に参加する
ようになって、知らないことっていっぱいあるんだな
と思ったし、まず学習からはじめないと、と思った」
という発言は、びっくりしたのと、感激したとの。

終了後、主催者の1人であるKくんから、
「せっかくこういう機会をもったのだから、
今後につなげていきたい。これからの
ことを相談する場を今日決めよう」と突然の提案があり、
5月に、学習会に参加したメンバーで集まって、
今後の活動や学習の方向性について
考えることになりました。すばらしい!!

6月21日には、福山のホロコースト記念館に
平和学習をする「特別授業」をすることにも
なっています。

倉敷医療生協労組の青年たちは、
これからも走り続けます!




では、以下、講義の概要です。



はじめに:沖縄が、ほんとうの『癒しの島』になるために


一。苦難の現代史-沖縄のあゆみ
 
1。沖縄戦
  
◇「国体護持」のための「捨て石」としての沖縄
  
◇20万人以上の死者(約半数が一般住民。米軍も1万数千人の死者)
    
鉄の暴風、軍民一体の地上戦、日本兵による住民虐殺
    
防衛隊・学徒隊の悲劇、「集団自決」、戦争マラリア

 
2。日本から切り離された沖縄
  
◇沖縄住民の戦後は、16か所の収容所から出発。米軍は自由に
    基地を整備した。
   
*白地図に線を引くように広大な軍用地を接収
    
・例えば嘉手納基地は、日本軍がつくった中飛行場を約40倍に
     拡大したもの
  
◇そして、北緯30度以南は日本から切り離される
   
*1946年1月29日、連合国総司令部(GHQ)「若干の外郭地域を
    政治上行政上日本から分離することに関する覚書」を出す。北緯
    30度以南の南西諸島を日本から分離することを明らかにした。

     
「沖縄諸島は、われわれの天然の国境である。米国が沖縄を
     保有することにつき日本人の反対があるとは思えない。なぜ
     なら沖縄人は日本人ではなく、また日本人は戦争を放棄した
     からである。沖縄に米軍の空軍を置くことは日本にとって重大
     な意義があり、あきらかに日本の安全に対する保障となろう」
                  
(46年6月27日のマッカーサー発言)

   
*1947年5月3日、日本国憲法施行
    
・北緯30度以南は、憲法は適用されない地域だった
   
*平和憲法は、沖縄の犠牲のうえに築かれた、と言える

  
◇49年の中国革命の成功により、沖縄の恒久的な軍事基地建設が
    はじまる
   
*アメリカ議会は50年度に、5千数百万ドルの本格的な沖縄基地
    建設予算を組む
   
*50年6月、朝鮮戦争がはじまる
  
◇サンフランシスコ講和条約第3条
   
*1951年9月8日、対日講和条約が調印される
                         (同じ日、安保条約も調印)
    
【3条】日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び
        大東諸島を含む。)、孀婦
(そふ)岩の南の南方諸島(小笠
        原群島、西ノ島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及
        び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度
        の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる
        提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決され
        るまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住
        民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一
        部を行使する権利を有するものとする。

   
*1952年4月28日、対日講和条約、安保条約が発効
    
・沖縄が、無期限に、日本から切り離された日
    
・日本国憲法がおよばず、核の自由もちこみ、軍事最優先のもと
     におかれた沖縄。
   
*太平洋の「カナメ石」として

  
◇銃剣とブルドーザーによる土地接収(基地拡大)
   
*沖縄支配の合法的根拠を得たとする米軍は、徹底した軍事優先
    政策と反共政策をふりかざし、軍用地の強制接収や政治的弾圧
    を強行していく。
   
*住民の抵抗を武力で排除しての基地拡張建設-土地の強制接収
   
*沖縄の無期限保有の意思を示すアメリカ
    
・53年11月ニクソン副大統領
     
「共産主義の脅威あるかぎり、アメリカは沖縄を保有する」
    
・アイゼンハワー大統領54年の一般教書演説
     
「沖縄のわれわれの基地を無期限に保有するつもりである」

  
◇島ぐるみ闘争
   
*56年6月「プライス勧告」
    
・プライス委員会報告書は、沖縄基地が、①制約なき核兵器基地
     として、②アジア各地の地域的紛争に対処する米極東戦略の拠
     点として、③日本やフィリピンの親米政権が倒れた場合のよりど
     ころとしてきわめて重要であることを強調し、軍用地政策を含む
     従来の米軍の占領統治を基本的に正しいものとした。
   
*島ぐるみのたたかい
    
・プライス勧告の全文が沖縄に届いた6月20日、全沖縄64市町
     村のうち56の市町村でいっせいに市町村住民大会が開かれる。
     これらの大会には、16万から40万の民衆(全人口の20%~
     50%)が参加したと言われている。
    
・6月25日には全県規模の住民大会が那覇とゴザ(現沖縄市)の
     二つの市で開催され、それぞれ10万と5万の民衆が参加した。
   
*反戦地主のたたかい

 
3。苦難のたたかい-復帰運動
  
◇沖縄の人びとの壮絶な復帰運動
  
◇ベトナム戦争への「加担者」に
  
◇「平和憲法のもとへ」-復帰の現実は「安保条約のもとへ」だった
   
*米軍基地の永続化と引きかえの「祖国復帰」-1972年5月15日
   
*それは、「平和憲法」ではなく、「安保体制」の中へ沖縄をしばり
    つけるものであったと言えないか。

 
4。安保条約の集中点『沖縄』-21世紀も続く基地押しつけ
  
◇安保条約の実感の「差」-沖縄を想像する力を
   
*岡山にとっての安保
   
*沖縄にとっての安保
    
・米軍基地、騒音、米軍による事件・事故、基地経済、米軍への
     特権「地位協定」、アメリカの戦争への加担
   
*これだけの犠牲を強いてきた沖縄に、私たちがどう連帯し、関心
    を持ち続けていくのか。沖縄へ行ったことのない人は、ぜひ沖縄
    へ行って、自分の目と耳と肌で、沖縄の「傷み」を感じてきてほしい。
   
*憲法を守ることができても、安保があるかぎり、沖縄の現実は変
    わらない。

二。伊江島・阿波根昌鴻のたたかいから学ぶもの
 
1。伊江島とそのあゆみ
  
◇沖縄の縮図・伊江島
   
≪1943年 7月≫ 日本軍が伊江島飛行場建設をはじ
める
                (村民多数動員)
   
≪44年10月10日≫ はじめての米軍空襲(村民40名死亡)
   
≪45年3月上旬≫ 完成目前の飛行場の破壊命令が出る
   
≪45年4月16日≫ 米軍上陸。戦車80台、兵1000人。
   
≪45年4月21日≫ 米軍、伊江島の占領を宣言。村民の死者
                約1500名、日本軍の戦死約2000名。
                米軍の戦死約300名。
   
≪45年5月≫ 戦死や集団自決、自爆から生き残った島民2100人
             は慶良間島へ強制移送され、米軍は伊江島に新た
             な飛行場や施設を建設。
   
≪47年3月≫ 伊江島民に帰島の許可があり帰村開始。しかし、
             伊江島には緑はなく、村や家屋一軒もなく、あるの
             は縦横に走る自動車道路と無数の米軍施設だった。
             村民は仮テント生活を余儀なくされる。
   
≪47年8月6日≫ 波止場で米軍爆弾処理船LCTが事故を起こし
               爆発。渡し舟の村民多数をまきぞえに。死者
               102人、負傷者73人。
   
≪50年4月≫ 復金による住宅建設はじまる。
   
≪53年7月≫ 米軍が理由を騙して真謝区の土地調査。
   
≪54年6月20日≫ 米軍、工事着工。4戸を立退かせた。工事
                終了と同時に爆撃演習開始。
   
≪54年8月20日≫ 米軍、射撃場拡張を通告。これには、真謝区
                の全部と西崎区142戸のうち74戸がふくまれる。
   
≪55年3月11日≫ 米兵300名。三隻の大型上陸用舟艇で伊江島
                に上陸。
   
≪55年3月12日≫ 真謝部落で米軍測量開始。
   
≪55年3月13日≫ 住民は、上陸した米軍部隊との交渉に見切りを
                つけ、8名の地主代表が朝から那覇の琉球政府
                にかけつけて座り込み陳情を開始。
   
≪55年3月14日≫ 米軍、農家・家屋に対し強制破壊。この夜から、
                米軍の張った13枚のテント幕舎生活がはじまる
                (77名収容)。
   
≪55年3月15日≫ 測量をほぼ終了。鉄柵をはりめぐらす。
   
≪55年4月30日≫ 伊江中学運動場で土地返還要求村民大会。柵
                の撤去、演習中
止、損害賠償を決議。
   
≪55年5月9日≫ 米軍、爆撃演習再開。
   
≪55年7月21日≫ 真謝区民大会。部落全体が、生きる為、また世
                間に実情を訴えるために乞食となることを決定。
                沖縄本島を横断する乞食行進が開始される。
                56年の2月までこの行進は続く。

    
以後、米軍と農民のたたかいは続く。伊江島の創造的なたた
    かいの記録は、阿波根昌鴻さんの著書『米軍と農民』(岩波新
    書)に詳しい。農民の不屈のたたかいで、伊江島の軍用地は、
    最初島の63%であったものを、約27%に後退させた。

  
◇阿波根昌鴻さんとは
   
*1903年、沖縄本島の上本部村(現・本部町)に生まれる。
    1925年、移民募集に応じてキューバ、のちにペルーにわ
    たり、1934年帰国。京都一燈園に西田天香氏を訪ねた後、
    伊江島に住む。1945年沖縄戦で一人息子を失い、戦禍を
    まのあたりにして、反戦平和のために闘うことを決意。米軍
    占領下の伊江島の土地闘争では常に先頭に立った。復帰
    後も、一貫して軍用地契約に応じない反戦地主として闘い、
    84年に建設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を主
    宰して、反戦平和の実践を続けた。2002年3月21日没。

 
2。長久が学んだこと
  
◇「平和の武器は学習である」
   
*学習し続けた人
    
「わしらは、いろいろな人に援助してもらいながら闘いの中で
    学びました。そして闘いがすすむ中で、勉強することが闘いの
    大事な一部であることを確信し、もっときちんとした勉強が必
    要であると考えるようになっていった。それで61年、『人材養
    成有志会』というものをつくって、東京にある中央労働学院と
    いう学校に、村の青年たちをおくって勉強してきてもらうことに
    したのであります。復帰までに、合計15、6人の青年が行き
    ましたかね。
     
ところで、この活動は、わしにとっても大きな意味をもつこと
    になりました。帰ってきた青年に、わしの考え方は観念的だと
    批判されたりして、だんだん話があわなくなった。これはいか
    ないと思って、今度はわし自身が学校に行ってみようと思った
    のであります。66年ですから、わしは63歳でした。勉強に行
    って、びっくりしましたことがいくつもありましたよ。たとえば、
    賃金論というものを教えられた。昔の教育では、貧乏というの
    は、その人が悪いか、または祖先に悪い人がいたためだとい
    われて、疑ったことがなかったのに、そうでないことがわかった。
    いろいろなことがわかった。いろいろなことがわかっていく、と
    いうのは実に大きな楽しみであります。先生のいわれることは
    全部ノートしました。そのときのノートは31冊あります」(『命こそ宝』)

  
◇反戦運動の姿勢
   
*相手のことを考える闘い
    
「道理をもって相手を説得する、決して責めているだけではい
    けない、相手の立場に立って相手も幸せにする、そういう考え
    方でなければならない」(『命こそ宝』)
   
*辺野古のたたかいに受けつがれている『非暴力』の闘い

 
3。阿波根さんの言葉(主に、岩波新書『命こそ宝』より)

  ◇沖縄戦を体験して、また戦争について
    
「一体この子どもたちに、この老人たちに何の罪があったとい
    うのか、どんな悪魔であっても戦争ほどひどいことはできない、
    どんな地獄であっても戦場には及ばない、そう思わずにはい
    られなかった」


    「わしは、一人息子が沖縄で死んだ・・・なぜわしが、これほど
    平和運動に熱心に取り組んでいるのかといえば、何よりこの
    体験である。地球ともかえられない、たった一人の息子を戦
    争でとられて殺された。その何物にもかえられない息子を失っ
    た親としての痛苦の思い、これが基本にある」

    
「つい最近のことですが、戦争で父親を亡くした親子が泊り込
    みで、わしのところに来ました。その人は、私たちも戦争で親
    を亡くしたが、何十年もたったことであり、諦めるしかない、諦
    めが肝心だ、いつまでも戦争のことを考えているのはどうか、
    という。
     
わしはこう答えました。あの戦争が最後でもう終わりというこ
    とであれば、これは早く忘れた方が自分のためになる。しかし
    いま、これまで以上の軍備をし、演習をし、沖縄県民はいろい
    ろな事件や事故にあって、ひどい目にあっている。戦争で死の
    うが、演習で死のうが、かけがえのない人ひとりの命であるこ
    とにかわりはない。戦争をするための準備と演習のために殺
    され、死んでゆくということがなくなるまで、戦争の悲惨さをい
    いつづけ、平和のために行動を実践しつづけなければならな
    い。しかも、今度戦争が起きたとしたら、核で地球は全滅。わ
    しらの時代はともかく、次に生まれてくる子どもたちのために、
    地球を破滅させるようなことをさせてはいかない。すべて命、
    命あってのことなんだ。命より大事なものは無いんだ。その命
    が戦争によって、こんなにも奪われてしまった。もう二度とこん
    なことがあってはいかない-
     
この親子に話したことは、戦後ずっと考えてきたことでありま
    した。そして、わしが反戦資料館をつくろうと思った心の底にあ
    る思いであります」

    
「人類の不幸のすべては、戦争準備と戦争が作るものである
     
戦争さえなければ、人類に貧しさも犯罪も争いも不幸も無い
     ことを確信しております
     
戦争(殺し合い、奪い合って、瞞し合って生きる人間のこと。)
     
平和(助け合って、ゆずり合って、教え合って、共に生きる
                                 人間のこと。)」

  
◇反戦平和資料館について
    
「いまあるほとんどの資料館はどこでも、戦争は残酷だ、も
    う二度としてはいけないといっておりますが、その残酷な戦
    争は誰がどうしてつくったのかということに、まったくふれていない」

    
「戦争はどこが始めたかということからはじめて、戦争の残酷
    さと、戦争の結果からくる悲劇を展示しようと思いました。さら
    にそのためには教育のこと、戦争準備のこと、戦争をおこし
    た『英雄』たちの悲劇のこと、ここまでさかのぼって展示しなけ
    れば、本当の反戦資料館にはならない、そう考えるようになっ
    ていった」

    
「なぜ身障者の人たちのための里をつくろうと思ったか。それ
    は、平和と福祉は深く関連していると思っておったからであります」

  
◇土地を守るたたかいを通して
    
「土地をとり返すための闘いを続ける中で、わしらはいろい
    ろなことを学び、考えました。米軍の中にはいい人もおる。
    赤ちゃんにミルクを飲ますやさしい人もおる。それなのに、
    なぜわしらの土地を強奪するというひどいことをするのか。
    これは戦争があるからである。戦争が人を変えてしまう。
    そして基地は、その準備をするためのものだ。基地が撤去
    されるまでは、戦争のことを忘れてしまうことはできない。わ
    しらの土地を守る闘いは、戦争をやめさせ平和をつくること
    につながる、またつながらなければいかない。そう確信する
    ようになった」

    
「基地からくる『こぼれ金』に頼らないと村の経済が成り立た
    ないというのは、長い目でみればいいはずがない、そんない
    びつな経済は経済としても不健康で危険なことであります。
    それだけでなく、何でも金を優先させる考えは人の心を毒し
    てしまいます」

    
「わしらの平和運動は、沖縄から基地を無くしても終わらない。
    日本の平和憲法を、世界中で実現させて、世界中の武器を
    全部なくす。そして、地球上の資源を、地球上の生き物が、
    平等にバランス良く分け合って、生きてゆけるような社会に
    するまでは、平和運動はやめられない」

  
◇米軍にたいして
    
「わしらには米軍に悪口をいう権利はないし、資格もない。
    米軍が沖縄、そしてこの伊江島にきたのは戦争があった
    からですよ。その戦争はだれが起こしたか。日本が起こし
    た。戦争がなければ米軍は来ていない。日本が米軍は沖
    縄に来て下さい、伊江島に来て下さい、そういったのと同じ
    である。わしらは日本人としての責任がある、そう思ってお
    ります。だから悪口はいわない。そういう闘い方はしない。
    わしらは『鬼畜』ではない、人間である。人間として闘いを
    やるのだ」

    
「自分たちの目的は基地撤去であり、土地をとりもどすこと
    です。喧嘩することではない。だから、銃剣を持って来る人
    の立場も考える。この兵隊たちは命令に従うしかない人た
    ちで、可哀そうだという同情心がなければいかない」

    
「軍事力を強化する国は、国民を苦しめる悪い国であります。
    それに武器に頼って生きる人間より不幸な人間はおりませ
    ん。・・・基地はアメリカ国民のためにもならない、もちろん私
    たちのためにもならない、このことを確信している」

    
「アメリカ人と話し合う時には、いつもキリストを前に出して方
    がいい。キリストの後にかくれていると、キリストが闘ってくれ
    る。私たちは三〇年あまり闘っているが、アメリカの上の人か
    ら、間違っていると言われたことは一度もない。またアメリカ
    人にこんな事を言ったことがある。『日米安保条約は日独軍
    事同盟より危険だ。こんな条約を結んで恥ずかしいとは思わ
    ないか。どちらが正しいか裁判でためしてみよう。アメリカか
    らキリストをつれて来なさい。私たちはインドからお釈迦様を
    つれて来る』」

    
「私たちは米軍に土地を取られ、米軍とたたかってきました
    が、そのときもそれ以後も、他を責めない、長所と交わる、
    友と友、人と人、国と国、不義を正し、ソ連とも、アメリカとも
    仲良く、ゆずり合って、助け合って共に生きる、その実践の
    なかに真の平和と真の人間の幸福はあると確信いたし、そ
    の実践に努めてきました。
     
私たちが戦争と米軍との闘いで学んだことは、武器の力に
    頼って生きる人間の限りない不幸と、良心に頼って生きる人
    間の限りない幸福であります。そこで平和運動とは、幸福の
    人が不幸の人に幸福の道を教え、導いてあげることであると
    確信を持つようになりました。米軍との三十余年の闘いで、
    米国民の不利不幸になることはやらないように努めてきまし
    た。私たちが闘わなければならないのは、戦争をやりたがっ
    ているアメリカと日本の、人間の顔をした悪魔に対してであり
    ます」

  
◇人生観・世界観
    
「土地は魔法使いのようだよ。同じ土にいろんな種をまくとい
    ろんな命を育ててくれる。命はぐくむ土地を、人殺しの練習の
    ためには使わせない。土地は万年。金は一時」

    
「この伊江島はね、海も動いているし、生きておる。こうして木
    を見ていますとね、風は三味線ですよ。静かな三味線をひくと、
    木の枝はみな、クミウルイ(組み踊り)する。あれは王様の前
    で踊るおどりですね。三味線という風が力強く吹くと、沖縄の
    カチャーシー、庶民の元気踊り。そして、木によって、踊り方が
    みな違う。木の葉が大きい木の踊り、木の葉の小さい木の踊
    り、みな違う。それも見事。
     
天を見たらですね、雲がどんどん動いて、いろいろなかたち
    に変わる。舟になったり、ライオンになったり。それもまた見事。
     
何でも生かしていかなければならない。戦争がない平和の島
    をどうしてもつくっていかなければならない。わたしはそう強く
    思っております」

さいごに:「みんなの学校」全6回を終えるにあたって
     
*平和運動は、継続性こそが求められる
     
*学ぶことと、仲間の存在が必要
     
*ぜひまた学習の機会を、労働組合らしさの発揮を



以上。



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メーデ学習週間

きのう(22日)のお昼、
倉敷医療生協労組のメーデー学習会
行ってきました。

Img_1727

 参加は
 約20名。






主に新入職員さんを対象にした
学習会で、
労働組合とは、
メーデーとは、
79回メーデーをめぐる課題、
などについて話をしました。

早口になってしまいましたが、
わかってもらえたかなー。

今週は、岡山医療生協労組でも
昼休みメーデー学習会があり、
ひと足早いメーデー週間となっています(笑)。



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2008年4月21日 (月)

早くこいこいGW

プレ講演会が終わり(18日)、
県学習協43回総会も終わり(19日)、
やっとひといき・・・・・になるはずだけど、
世の中はそう甘くないようです(涙)

日曜日も結局、半日仕事をし、
今日は今週ある3つの講義の準備と
『友』の原稿直しで、
事務所から1歩も出れず・・・。
夜は労働学校の運営委員会。

しかし! すべてなんとかやったぞ!
やったんだ!(と、自分に言い聞かせている)

明日はちょっとゆっくりしよー。
早くGWこないかなー。




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2008年4月19日 (土)

プレ講演会

きのう(18日)晩、75期岡山労働学校の
プレ講演会が行われました。

講師は、1年ぶりの中田進さん(関西勤労協講師)。

「人間らしく、自分らしく-若者の現実と未来」というテーマで、
憲法、歴史、現在の日本と世界の情勢について、
文字通り、縦横無尽に語られました。


Img_1722
 参加はちょうど50名。
 満員御礼とはいきません
 でしたが、労働学校に
 来たことのまったくない人が
 10名ほど参加してくれ、
 新鮮な学習会となりました。

 最年少は18歳!



Img_1725
 講師の中田進さん。

 いつものように
 ユーモアたっぷりの
 お話でした。
 すごいなー。
 


1時間40分の講義のあと、
質疑応答、労働学校の宣伝をして、終了。

参加者から大好評の学習会となり、
労働学校への期待も一気に高まった
ように思います。本もたくさん売れました。
きのう受講を申し込まれた方も3名いました。

3週間後の開校にむけて、
募集もいよいよ山場をむかえます。
このプレ講演会を力にして、
労働学校の魅力を広げたいと思います。



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2008年4月18日 (金)

やはりここでも“手”

今日(18日)は、午後から
ソワニエ看護専門学校で2回目の講義。
41名全員出席でした。

「人間の手のふしぎ」ということで、
先日の福祉保育労でしゃべったことと、
ほぼ同じような話をしました。

最後の「看護と『手』」のところだけ、
紹介します。

感想文をみると、まずまずだったかなーと
思いますが、やはりソワニエは修行の場ですな。
なかなか「うまくいったナー」という実感がもてません。


では、以下。


四。看護と「手」
 
1。どのような手(人間性・感性)をもった看護師か

    
「しかし病人の世話をするには建物だけあればよいのであ
    ろうか? そこには心と手、訓練されて熟練した手が必要
    である。大英帝国のどの救貧院でもまたその他の病院でも、
    当然そのような手と心の持主によって看護がなされるべき
    である」
       
F・ナイチンゲール『アグネス・ジョーンズをしのんで』)

    
「教育の仕事は別として、世の中で看護ほどに、その仕事
    において『自分が何を為しうるか』が、『自分はどのような人
    間であるか』にかかっている職は、ほかにないからです」
        (
F・ナイチンゲール『看護婦と見習生への書簡〔1〕』)

  
◇3年間のソワニエでの学びで、ぜひ人間性と感性を磨いてほしい

 
2。「手当て」が医や看護の原点
  
◇美術作品から
   
*「エヒテルナッハ福音聖句集」
   
*カリエール「病気の子ども」
   
*ピカソ「科学と恩寵(おんちょう)」

  
◇看護師が手を使わなくなった!?

    
「夫の入院中、夫の手に触れた看護師さんは一人もいませ
    んでした。強い気性の夫でしたが、末期には、痛いくらいに
    私の手をぎゅっと握りしめていました。先人たちが築いてき
    た有形、無形の看護実践、その人の生きる力や、自然治癒
    力を引き出す要素があるはずなのに、それが忘れさられて
    います。
     
手は、サーモスタット無しに常温を保てます。こんな有力な
    武器はありません。手を当てただけでアセスメントできます。
    ・・・脈を3本の指で診ると、脈の緊張の度合いで血圧が高い
    か低いかもわかるし、早さもわかる、皮膚がしめっているか、
    乾いているかもわかり、脱水状態も把握できる。胸に手を当
    てれば、ゼイ鳴のある、なし、ゼイ鳴がなくても動いているの
    は触っただけでもわかります。観察の武器として、モニター以
    上に複数の情報をキャッチでき、自分の意志で使えます。さ
    すったり、揉んだり、なでたり、つかんだり 叩いたり、抱きし
    めたり、いろいろなことができるのが手です。看護師たちはこ
    の有用な手をどうして使わないのかと思います。なぜ機械を
    介在させるのでしょう」
    
(川島みどり「IT化時代 今だからこそ看護の原点に」、
                           『医療労働』№
500)


以上。



来週は講義はお休みで、
次回は5月2日です。



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2008年4月17日 (木)

手から考える

きのう(16日)は、福祉保育労岡山支部
執行委員会へ。恒例の学習会です。

会場は、ちょっといつもと違い、
岡山市のA保育園の近くの喫茶店。

Img_1720
 かなりなごやかな雰囲気で。

 参加者は10名。
 この4月にA保育園に
 就職した保育士さんも
 参加してくれました。
 うれしー。


きのうは
「手を考える、手から考える」
というテーマで、初めて「手」をテーマにした
話をしてみました(明日もソワニエでするのだが)。
「労働組合と『手』」の話も、初めて。
まだまだ抽象的な話も多く、発展途上ですが。

福祉・保育労働者にとっても「手」は
仕事に直接に関わる重要なテーマで、
講義はなかなか評判が良かったようです。

感想交流では、それぞれの方から、
子どもの発達と手の関係、
障がい者の手の使い方など、
「なるほどなぁ」という貴重な話がたくさん聞けて、
とても学ぶことが多かったです。さすがプロ。

もっと『手』については深めていきたいと思います。



では、以下、講義の概要です。


一。人間の手の働き
 
1。絵本『てをみてごらん』
(中村牧江さく・林健造え、PHP)

   
てをみてごらん
   
きみのてと ともだちのて
   
あくしゅをすれば もうなかよしだ
   
あかちゃんのては いつもあまえている
   
きみが おこっているとき ても おこっている
   
かんがえているときは こんなかんじ
   
だいじな やくそく
   
みんなでなにかをきめるとき
   
うまくいったら やったあ!
   
ほかには どんなこと?
   
はるは そっと うけとめる
   
なつは めずらしい おきゃくさま
   
あきは いっぱいみつけて わけてあげる
   
ふゆは いっしょに あたろうよ
   
きみのては いまなにをしているの
   
それから なにをするの

     
「手は表情豊かです。たとえ言葉で何も言わなくても、
    手の動きやかたちで、喜怒哀楽、やさしさ、拒絶など、
    人の気持ちをこまやかに表現していることをご存じでし
    たか?
     
本書は、紙でつくった繊細な手のイラストによって、手
    が表現するさまざまな思いや役割に気づかせてくれる
    絵本です。
     
仲良しになる握手、おかあさんの手に甘えて包まれる
    赤ちゃんの手、おこったときにぎゅっとにぎった手、何か
    を考えているときの手、約束のゆびきり、じゃんけんの
    ぐー・ちょき・ぱー、「やったー!」のブイサイン、花びらを
    そっと受け止める手、トンボがとまる手、どんぐりを集め
    てだれかと分け合う手、四葉のクローバーをつまむ手、
    それをだれかに渡す手、たき火にかざす手…など、ふだ
    んは気にもとめない自分の手や人の手に出合えます」
                 
(出版社ホームページ「解説」より)

 
2。人間の手はどんな働きをするか
  
◇人間の手の働きあれこれ
   
「書く」「打つ」「つかむ」「なげる」「ぶつける」「ひっぱる」
   「むしる」「はじく」「つまむ」「おす」「むすぶ」「ふれる」
   「なでる」「抱く」「つつむ」「かきむしる」
「さわる」「ひく」
   「さぐる」「にぎる」「さす」「すくう」・・・

   
*また、手は「熱い」「硬い」「痛い」「形」など、たくさんの情報
    を脳へ伝える
   
*「道具」を使って何かに働きかける-労働が人間らしさをつくった
   
*相手に物を渡したり、相手から受けとったりする、つまり手が
    「他者との媒介」に。

  
◇手にまつわる言葉ー日本語は「手」をたくさん使っている
   
*運転手、選手、助手、歌手、騎手、働き手、聞き手、やり手、
    手先、名手、相手、担い手、受け手、なり手・・・。「手」という言
    葉がそのまま人間をあらわすものとして使われていることにも、
    人間にとっての「手の重要性」があらわれている。
   
*「手をぬく」「手伝い」「手をやく」「手がでる」「手ざわり」「手さぐり」
    「上手・下手」「手堅い」「手本にする」「手柄」・・・

二。手と心ー人間性や感性
 
1。絵本『わたしの手はおだやかです』
          
(アマンダ・ハーン文、マリナ・サゴナ絵、谷川俊太郎訳)

   
これがわたしの手
   
わたしだけのたいせつな手
   
つみとる ことが できます
   
だきしめることも
   
なげることが できます
   
しっかりつかむことも
   
ふせぐことも
   
じぶんの 手のこと わかっているかな?
   
手は わたしが いなければ なにも できません
   
手は わたしが してほしい ことを してくれます
   
あそびたいときは つくったり つかんだり かくしたり
   
はたらくときは たたいたり かいたり かぞえたり
   
それはどれも わたしが えらんだこと
   
わたしは えらびません・・・
   
ぬすむこと おしのけること きずつけること 
   ひったくること こわすこと
   
わたしはすき かわいがるのが なでるのが
   
くすぐるのが わけあうのが わたしの手で
   
だから わたしの 手は おだやかです

      
「ふだん私たちはあまり意識せずに手を使っています。で
      も気がついてみると、手にかかわる言葉はいっぱいありま
      す。『手当て』『手伝い』『手に入れる』『手を抜く』『手を焼く』
      などなど、あげ始めるときりがありません。からだの一部で
      ある手は、人間のさまざまな行為のたとえにもなっていて、
      手は使い方ひとつで良くもなれば悪くもなるのだということを、
      この絵本は教えてくれます」(谷川俊太郎)

 
2。手と心
  
◇赤ちゃんや子どもの手の動作や運動から、こころの発達を知る
   ことができる

  
◇手仕事と内面

    
「そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と
    繋がれていることであります。機械には心がありません。こ
    れが手仕事に不思議な働きを起こさせる所以(ゆえん)だと
    思います。手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えて
    いて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、ま
    た道徳を守らせたりするのであります」
             (『手仕事の日本』柳宗悦、岩波文庫、1985年)

三。「手」から考える労働組合
 
1。手渡され、手に入れ、手渡す-過去から現在、そして未来へ
  
◇労働組合そのものが、先人たちのたたかいがつくりだしたもの
   
*つくり出すエネルギーの大きさ、なぜそこまでして労働組合が
    必要だったのか
   
*人間らしい働き方、人間らしい生活をもとめて
                     -あきらめなかった人びと

  
◇労働組合は、いまや基本的人権の重要な1つ
   
*日本国憲法28条に保障されている
   
*信じて託された権利

     「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の
     多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの
     権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に
     対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの
     である」(97条)

  
◇私たちのいまある(手に入れている)権利や働き方は、こうし
   た先輩たちのたたかいの成果

  
◇それを、未来の仲間に手渡す責任が、私たちにはある
   
*より充実したバトンとして手渡したい

 2。手をつなぐ(結ぶ)-団結をひろげて
  
◇手をつなぐことの意味
   
*人間だけが手をつなぐ
   
*あたたかさ・ぬくもり(微温)-ヒューマニズムの原点

  
◇人類は集団で助けあって労働・生活し、進歩してきた
   
*人間には、いろんな能力があって、補いあいながら、社会を
    つくってきた
   
*「勝ち組・負け組み」「自己責任」は、人間の孤立

  
◇「他人の痛み」をほっとけないという感覚を大事に-手をつなごう!
   
*職場の仲間と、地域の人びとと、同じ思いをもつ福祉・保育労
    働者と、よりより社会をめざす日本中の人びとと、そして同じ世
    界に生きる人類と。
   
*団結の「結ぶ」の意味。「夢をむすぶ」「実をむすぶ」「結実」。
    「むす」という動詞は「生す」と書く。「結ぶ」ことは、「生まれる」
    こと。ちなみに「団」は、「かたまり」という意味。

 
3。1人ひとりが、学び手に、そして労働組合の担い手に
  
◇たたかう相手はだれかを見極めるために、学習を

  
◇労働組合の主人公は、1人ひとり
   
*自分や職場の可能性を引き出す組織
   
*自分の仕事に誇りと喜びを育てるために
   
*貧困や差別、社会的苦しみを解決していくために



以上。



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2008年4月16日 (水)

元旦から『宣言』かぁー

最近読み終えた本。
それぞれ読んだ理由はそれなりにあるのだが、
いつものように系統性まったくなし。


『芸術論ノート』(永井潔、新日本出版社、1970年)


文章をどうしてここまで難しく書くのか
わからないが、かなり読みづらかった。

「形」の認識から、美的感情や芸術は生まれたということ、
その形も、道具や生産物という、人間がつくりだした「形」が
出発点だったことなど、確認したかったことは、確認できました。


『心やさしきネパール-精神科医も癒されたトレッキング紀行』
                  (中沢正夫、山と渓谷社、1996年)


ネパール行きたい気持ちが
ふくれあがりました!

死ぬまでに、世界最高峰の山脈の
峰々を眺めてみたい。すごいんだろーなぁ。


『紙屋克子 看護の心 そして技術』
 (NHK「課外事業 ようこそ先輩」制作グループ+KTC中央出版編、
                            KTC中央出版、2001年)


「看護・医療」読書日記、今年の1冊目。

私もたまにみるNHKの「課外授業 ようこそ先輩」に、
看護師、紙屋克子さん(現筑波大学教授、専門は看護学)が出演。
北海道の母校で、「看護とは」「看護の心と技術」について
子どもたちと学びあう。

指一本で体位を変えてしまう技術に
まずビックリする。
紙屋さんの看護師としてプロ意識もすばらしい。
新人時代に、意識障害をわずらった患者さんの
家族から投げかけられた、
「これでは助けてもらったことにならない!」の言葉が、
看護の役割と独自性を考える出発点になった、という
話も教訓的。

「無関心ゲーム」「おじいさん・おばあさんへの聞き取りの宿題」
など、参考になるところもたくさん。


『手仕事の日本』(柳宗悦、岩波文庫、1985年)


民藝運動(みんげい)の創立者、柳宗悦さんの
日本の手仕事探訪記、ですね。

日本に残る、名もない職人たちによる「手仕事」の
数々を教えてくれています。
ずいぶんまえの著作ですので、
ここに描かれている「手仕事」でなくなってしまった
ものもたくさんあるんだろうと思います。

「元来我国を『手の国』と呼んでもよいくらいだと思い
ます。国民の手の器用さは誰も気付くところでありま
す。手という文字をどんなに沢山用いているかを見て
もよく分かります。『上手』とか『下手』とかいう言葉は、
直ちに手の技を語ります。『手堅い』とか『手並みがよ
い』とか、『手柄を立てる』とか、『手本にする』とか皆
手に因(ちな)んだ言い方であります。『手腕がある』
といえば力量のある意味であります。それ故『腕利(う
できき)』とか『腕揃(うでぞろい)』などという言葉も現
れてきます。それに日本語では『読み手』、『書き手』、
『聞き手』、『騎(の)り手』などの如く、ほとんど凡(す
べ)ての動詞に『手』の字を添えて、人の働きを示し
ますから、手に因(ちな)む文字は大変な数に上りま
す。
 そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接
に心と繋がれていることであります。機械には心があ
りません。これが手仕事に不思議な働きを起こさせる
所以(ゆえん)だと思います。手はただ動くのではなく、
いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、
働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするの
であります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を
与える原因であると思われます。それ故手仕事は一
面に心の仕事だと申してもよいでありましょう」


『観の眼 見の眼-服部文男随想集』
『思想の巨人を偲ぶ-服部文男追悼集』
        (服部文男先生の思い出を語る会、2008年)


先日亡くなられた、経済学者・社会思想家の
服部文男さん(東北大学名誉教授)の随想集と追悼集。

いつも思うのだが、一流の人は、
どうしてこんなに謙虚なのだろうか。
思想の『巨人』にふさわしい、服部先生の
あれこれを学ぶことができました。
語学力もすごかったんですね。


印象に残った(ビビッた)話をふたつ。

追悼集で、友寄英隆さんが、
「もうだいぶ以前に先生からいただいたお手紙の
なかで、
毎年、元旦には朝一番で『共産党宣言』
などの基本文献を読み直して、気分を新たにして
から、一年の仕事をはじめるのを習慣にしている

おっしゃられたことがありました」と書いていたこと。

・・・本物の共産主義者ですねshine


これも追悼集のなかから、鈴木英實さんの文章。

「趣味は『六法全書の間違いを指摘して、出版社
より図書券の謝礼を戴くこと』という言葉の緻密さ
厳密さ。ただ重箱のすみをつつくのではなく、その
中に重大な誤り、問題が潜んでいること、それを
手ほどきを受けた中で教えられました」

言葉の緻密さ厳密さ。
性格がいいかげんな私の課題です。
服部先生の姿勢から、少しでも学んでいきたいと思います。





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2008年4月15日 (火)

笠岡で勤通大学習会

きのうの晩は、18時から、
笠岡市職労の勤通大学習会へ。

新・労組コース、8名の受講生のうち、
7名が集まって、テキスト2章を中心に学習しました。
本日が2回目の学習会ということでした。
(前回は参加できず)

8名の受講生のうち、5名が青年部の
役員のみなさんで、フレッシュな学習会と
なっています。


Img_1718
 書記局+青年部の面々。

 青年部の方々のお仕事は、
 環境課、税務課、
 市民病院で理学療法士、
 市立図書館の司書、
 とバラエティー。


青年のみなさんに聞くと、労働組合についての学習は、
入職したときに1度学んだが、それ以来は
ほとんど基礎的な学習はしていない、ということでした。

「労働者とは誰のことか」
「労働組合とはなんぞや」
「権利とはなんぞや」
「笠岡市職労のたたかいの歴史」などなど、
基本的なところを押さえていく感じになりました。

今後もつき1回のペースで学習をすすめていきます。



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2008年4月14日 (月)

テレきち

週末は体調がイマイチで、
きのうは久しぶりに、1日中家にいて、
寝ころがっていた。

家にいれば、見てしまう。
テレビである。

自他ともに認めるテレビ好きの私は、
相方からよく「テレきち!」と怒られる。
「テレビきちがい」の略である。

そんなわけで、きのうも、久しぶりに
テレビをたくさん見たわけだが、
見ごたえのある番組もあった。

まず、「未来への提言」という番組で、
世界的な建築家のピアノという人(関西国際空港なども
この人の建築)に、これも世界的な建築家である安藤忠雄が
インタビューというか、対話というか、
そういう番組だった。→ http://www.nhk.or.jp/bs/teigen/2008.html

建築の魅力と哲学について、
あらためて、すごい、と思った。

「ダメな音楽は誰も聞かなくなる、良い絵でなければ、
誰も見なくなる。しかし、建築は、いったんできあがれば、
ずっとそこにあるのだ」ということを言われ、建築家の
社会的責任の重さについて語られていた。

また、ピアノ・安藤さんとも、9・11のグラウンド・ゼロの跡地の
コンペに参加し、安藤さんは、「何も建てない。古墳のような
丘をつくって、みんなが憩い、対話できるようなところにしたい。
人びとが集まって対話をすることのなかに、テロをのりこえる
未来があるのではないか。私の案はまったく相手にされなかっ
たけど」というようなことを語られていた。
(結局グラウンドゼロの跡地は、500メートルの超高層ビルを
建てられるらしい。まったくアメリカらしい)

建築家として人類の未来を提案していくこと、
その哲学のたしかさに、うなった番組でありました。


もうひとつは、晩にあった
NHKスペシャル「病の起源」
1回目のきのうは、睡眠時無呼吸症候群が
人類進化の過程で必然的に生まれてきた病であることを
明らかにし、その意味を考える内容だった。
 → http://www.nhk.or.jp/special/onair/080413.html

こちらも、興味津々の内容だった。
柔らかいものを食べることが可能になった人類が、
アゴの退化によって、言葉をしゃべれるようになった
のは知っていたが、それが無呼吸症候群にも
関わっていたとは! 

やはり、NHKのこの手の教養番組の水準は
すこぶる高いし、映像で学べるので、とっても
イメージがしやすい。
2回目は「皮膚と骨の病」についてだそうだ。
絶対みるぞ!

こうして、「テレきち」生活は続いていくのであります。



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2008年4月12日 (土)

またか!

相次ぐ米兵犯罪や、
イージス艦事故。

軍事優先、日米同盟絶対の
この国のあり方そのものを変えないと、
こうした事件の根本解決にはならない。


また沖縄で、恐ろしいことが起こった。
今日の「沖縄タイムス」から。

久米島は、私も行ったことのあるところ。
空から爆弾がふってくるのが沖縄の現実だ。
日本防衛に関係のない米軍が、
ドデンと居座り、やりたい放題に訓練をしていれば、
こういうことは必ずまた起こる。

早く解散総選挙を!
自民党政治にピリオドを!
医療も福祉も教育も、労働者の生活と働き方も、
農業も環境も、一刻も早い政策の転換が必要だ。


以下。



漁場に爆弾2発投下/米軍ハリアー、訓練中

500ポンド弾/鳥島射爆撃場外に

 
米海兵隊のAV8ハリアー垂直離着陸攻撃機が鳥島
射爆撃場(久米島町)で訓練中、提供水域外に五百ポ
ンド(約二百二十七キロ)爆弾二発を投下していたこと
が十一日、分かった。沖縄タイムス社の取材に対し、
在沖米海兵隊報道部が明らかにした。

 
同報道部によると、AV8ハリアーが提供水域に到達
する手前で、爆弾二発を投下。海中に沈み、「爆発する
兆候は見られない」と説明している。第十一管区海上保
安本部は付近の航行を避けるよう呼び掛けているが、
これまで被害は報告されていない。

 
米軍は事故発生時間について、当初沖縄防衛局に
伝えた十日午後二時四十五分ごろから、九日に訂正した。

 
防衛省によると、投下地点は鳥島中央から南西約十
一・六キロ地点で、射爆撃場の提供水域境界から約六
キロの地点。


 
在沖米海兵隊報道部は沖縄タイムスに対し「所属部隊
や航路、訓練計画については運用上の安全確保のため、
明らかにできない」と説明
。原因は調査中としてる。

 
平良朝幸久米島町長は「住民生活を脅かす行為だ。ど
ういう部隊がどのような訓練をしているか知らされていな
いことも問題。漁協とともに抗議していきたい」と米軍を批
した。

 
県基地対策課の又吉進課長は十一日までに口頭で、
G5と沖縄防衛局、外務省沖縄事務所に対して原因究明
と再発防止、安全管理を求めた。



[ことば]
鳥島射爆撃場
 久米島の北約28キロに位置し、島全体が演習場。
戦後
米軍が使用を開始し、復帰後は提供施設・区域として米空
軍が管理する空対地射爆撃場となっている。周辺海域は
好漁場で、時期によって区域を最大限利用できるよう現地
段階で使用の調整を行うことが認められている。1995年
12月から96年1月にかけて、劣化ウラン弾1520発が誤
射された。



「怖くて漁できぬ」/不安募る久米島住民

 
【久米島】「事故があってからでは遅い」「生活が脅かされ
る」。米海兵隊のハリアー機が鳥島射爆撃場の提供水域外
に五百ポンド(約二百二十七キロ)の爆弾を投下した問題で、
町民からは、憤りと不安の声が上がっている。同射爆撃場
をめぐってはこれまでも問題が多発しているだけに、町当
局は十一日、緊急に対応を協議。週明けに召集予定の町
議会や町漁協とともに抗議活動を行う方針を固めた。


 鳥島の射爆撃場をめぐっては、米海兵隊による劣化ウラ
ン弾の誤射、漁船の操業妨害など問題化した事案が多発
している
。二〇〇六年には町と漁協が関係省庁に対し、鳥
島と久米島射爆撃場の返還を求める要請活動を行っている。

 
鳥島周辺は、県内有数の漁場とされているだけに、久米
島漁業協同組合の棚原哲也組合長は「事故が起きてから
では手遅れだ」と憤りを隠さない。

 
周辺には漁協などが設置したパヤオ(浮き漁礁)などがあ
り、周辺海域を操業する漁船は多いという。棚原組合長は
提供水域外でも、安心して漁ができないとは…。漁業者は
怖くて近づけない
」と話した。
 
久米島町が沖縄防衛局から爆弾誤投下の一報を受けた
のは、十日午後六時前。防衛局からは「実弾かどうかは不
明で日時、正確な場所も不明。米軍に照会中」との説明が
あったという。

 
町は「一歩間違えば人命にかかわる。危険な事故で、憤り
を感じる」とし、住民の安全を守る立場から、抗議行動を展
開することを十一日中に確認した。

 
観光客も多く訪れる久米島の名所「比屋定バンタ」の展望
台からは同射爆撃場が晴れた日には肉眼で確認できる。

 
「夜に鳥島から“ピカッ”と赤い光を見たことがある」と話す
松堂美香さん(18)=久米島高三年=は訓練の影響とみら
れる振動で窓ガラスが揺れ、就寝中に起こされた経験もあ
る。「今までも怖い思いをした。不安は皆感じていると思う」と
語った。




以上。



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2008年4月11日 (金)

3年目に入りました

今日(11日)は午後から
ソワニエ看護専門学校へ。

3年目の「人間関係論Ⅱ」の授業が
本日からスタートです(全15回)。

Img_1716

 今年はいったい
 どんな驚きや
 どんな学びが
 待っていることでしょう。

 ワクワクですな。
 今年の1年生は
 41名と、昨年よりかなり
 多く、教室いっぱいでした。



1回目の今日は、時間フルに使っての
自己紹介でした。
私のと、学生さんのと。

今年も年齢バラバラ、経歴バラバラ、
出身バラバラ、趣味バラバラの
多彩な学生が集まったようであります。
男子学生は9名でした。

自己紹介では、
出身、趣味、好きなTV、好きなスポーツ、
好きな音楽、好きな映画・本、好きな人物、
リラックスタイム、最近気になるニュース、
旅行ここに行った、行ってみたい所。
という項目を用紙に書いてもらい、
いろいろと交流をしました。

いや、今年もとっても面白かったです。
来週からが、楽しみです。

来週は、「人間の手」の話をする予定です。
「看護・医療」読書日記もまた再開です。
がんばります。


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2008年4月10日 (木)

雨だネー

rain雨だー。ユウウツだー。
今日は東京日帰りダーbullettrain

てなことで、8時に事務所に出て、
きのう晩につくっておいた
労働学校募集推進ニュース6号を
FAXで各団体に送りつけ(笑)、
これから岡山駅に向かいます。

今日は午後から全国学習交流集会in倉敷の
全国実行委員会です。




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2008年4月 9日 (水)

世界は動いている、のだ。

きのうは、倉敷医療生協労組・みんなの学校
5回目でした。

Img_1713

 参加は9名と復活!
 初参加も2名。

 みなさんの感想も
 しっかりしたものでした。
 




きのうは、
「イラク戦争と21世紀の世界-平和運動の大きな流れ」
ということで、かなーりスケールのでかいお話でした。

世界の大きな流れをしっかりつかんでおくことは、
とーっても大事なことです。
日本だけ見いていると、あるいは、「今」だけ
みていると、悲観的な気持ちになりますが、
視野広く、歴史的にものごとをみることで、
自分たちの立ち位置がわかり、活動のエネルギーの
ひとつになると思います。


では、以下、講義の概要です(やはり長いですが)


一。イラク戦争をめぐって-平和運動の新しいウェーブ
 
1。戦争はとめられなかったが
  
◇国連での徹底した議論
   
*国連の安全保障理事会で、これから起きそうな戦争をめ
    ぐって、支持するか支持しないかを、最後まで論争が行わ
    れたのは、国連の歴史上はじめて。
    
・朝鮮戦争は国連軍が出動、ベトナム戦争でも国連は
     事実上無力だった
   
*最後には、アメリカは国連での敗北を事実上認め、安保理
    での採決をあきらめて、国連のお墨付きをえないまま戦争を
    はじめるという道に追い込まれた。

    
「イラク攻撃をめぐっては、アメリカが事実上、孤立している。
    かつてアメリカが、これほど孤立したまま戦争に踏み切る例
    はない。これほど多くの同盟国から、これほど強硬に反対さ
    れたこともない。世界中でこれほど多くの反発や怒り、不信を
    招いたこともない。まだ一発の銃弾も打ち込まれていないの
    に、である」
    
(アメリカの代表的週刊誌『ニューズウィーク』、開戦前の論評)

 
2。世界の政府を動かした背景-人びとのたたかい
  
◇イラク戦争開戦前に起こった世界反戦統一行動
                       (2003年2月15日が最大)
  
◇2002年11月にイタリアのフィレンツェで行われた第1回欧州
   社会フォーラム
   
*閉幕行事として行われたイラク戦争反対のデモ・集会に、イタ
    リアを中心に全欧州から100万人が結集した。
   
*そこで、2003年2月15日に欧州でイラク戦争反対の統一行動
    が呼びかけられ、それが世界的に広がり、世界統一行動が準備
    される。
  
◇03年1月18日、アメリカのワシントンで50万人のデモ
  
◇03年2月15日、何らかの集会やデモが行われた国

   *アルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、ブラジル、
    カナダ、チリ、クロアチア、キューバ、キプロス、チェコ、デンマーク、
    エクアドル、エジプト、エストニア、フィリピン、フィンランド、フランス、
    ドイツ、ジャマイカ、日本、ギリシャ、グアテマラ、ハイチ、香港、
    ホンジュラス、ケニア、イギリス、アイスランド、インド、インドネシア、
    イラク、アイルランド、イスラエル、イタリア、レバノン、リトアニア、
    ルクセンブルク、マケドニア、マレーシア、マルタ、モロッコ、
    メキシコ、ニュージーランド、ノルウェー、オランダ、パキスタン、
    パレスチナ、ペルー、ポーランド、プエルトリコ、ポルトガル、
    ドミニカ、レユニオン、ロシア、ルワンダ、南アフリカ、スペイン、
    スロベニア、韓国、スコットランド、シリア、スウェーデン、スイス、
    タイ、東チモール、トルコ、ウクライナ、ウルグアイ、ハンガリー、
    アメリカ、ベネズエラ、ブルガリア
                    
(以上73か国、1000万人以上が参加)

   
*欧州では政府が米政権支持を表明しているイギリス、スペイン、
    イタリアで、15日のデモ参加者がいずれも主催者発表で予想を
    大きく上回った。ロンドン200万人、マドリード200万人、バルセ
    ロナ150万人、ローマ300万人など、いずれも過去の記録を塗
    り替える行動になった。同夜フランスのテレビ・ニュースは「地平
    線のかなたの至る所でデモが繰り広げられました。これが世界の
    世論です。ブッシュ米大統領はますます孤立を深めています」と画
    期的な盛り上がりを報じた。
   
*その他の主な欧州都市のデモ参加者数はベルリン50万人、
    パリ25万人、アテネ10万人、ウィーン3万人、ブリュッセル8万人、
    アムステルダム7万人、オスロ6万人、ストックホルム2万5千人、
    コペンハーゲン1万人、ダブリン10万人、ベルン4万人など。
    各国では首都以外でもデモが行われた。
  
◇3月15日には、イタリアのミラノで70万のデモ
  
◇3月20日に戦争がはじまると、22日にはスペインで100万、ロン
    ドンで100万のデモ、30日にはインドのコルタカで60万のデモ、
    4月12日にはスペインで50万、イタリアで50万のデモ。
  
◇アメリカの覇権にたいする「もうひとつのスーパーパワー」
                  
(米紙ニューヨーク・タイムズ評)の出現。
  
◇これまでにない新しい動き-NATO同盟国、中東イスラム諸国など
   
*NATO同盟国の戦争反対-フランスやドイツを先頭に

    
「国際社会、国連安保理によって容認されないいっさいの軍事行
    動は不当、不法である」「私は(イラク戦争を)認めなかったし、今
    後とも認めない」「単独で戦争することはできるが、単独で平和を
    つくることはもっとはるかに困難だ」「総じて賢明さというのは、国
    際的なルールを持ち、それを守ることだ。これが私の立場だ」
          
(エビアンサミット終了後の仏シラク大統領の記者会見)
    
・その背景には、圧倒的な戦争反対の国民世論

   
【ドイツ】
   
*「ばかげた戦争はやめて」「戦争ノー」。力強い唱和や「わたした
    ちは勝利する」の歌声が気温三度のベルリンの曇り空に響いた。
    米国がイラク戦争を開始した3月20日、ドイツの高校生たちが各
    地で抗議デモをおこなった。
   
*ベルリンのウンターデンリンデン
通りを行進していたステファン君
    
(16)は「まともな理由もなく多くの人を殺すなんてだめだ。こ
うやっ
    て一つ一つのデモが重なっ
ていけば大きな力を持つと思う」
と話し
    た。20日正午にデモに参
加した高校生はベルリンで2万人、
ミュン
    ヘンで5千人、ケルンで2
千人を超えた。ドイツでは夕方に
かけ、
    全国各地で約三百の反戦集
会が行われた。

   
【トルコ】
   
*03年3月1日。イラクへの地上軍侵攻の出撃基地にトルコ領を
    使わせろとの米軍の要求を、トルコ国会が拒否。トルコは半世紀
    前から北大西洋条約機構(NATO)に加盟している米国の軍事
    同盟国。しかも総額で150億ドルの“緊急”援助を見返りにした
    要請を断わってのことだった。
   
*トルコの拒否によって、イラクの北と南からバグダッドを挟み撃ち
    する米軍戦略が挫折し、攻撃開始が数週間遅れた。4万人の米
    兵と装備をトルコ(近海)に待機させ、病院もつくった米軍だが、
    それが議会拒否で引き揚げることになった。莫大(ばくだい)な経
    費の損失、時間のロス。
   
*国会審議中に連日の国会包囲行動。国会が米国の要求を拒否
    した日、議会外で5万人集会。イラク戦争反対が国民の9割だっ
    た世論が、アメリカの圧力をはねのける力となった。どの政党も基
    本的にはアメリカ支持だった姿勢を変えさせた。

   
【エジプト】
   
*エジプトではデモや集会は原則禁止。1981年の故サダト大統
    領暗殺事件以来、非常事態令が続いている。そのカイロで、初
    めての本格的な反戦集会があったのは03年1月18日。世界
    30数カ国で行われた国際行動に呼応したものだった。この時の
    参加者は約1000人で、警戒の治安部隊の方が多い状況だった。
   
*しかし、これ以降は回を重ねるごとに参加者が増え続け、2月
    末には全国から集まった15万人がカイロ国立競技場を埋め尽
    くした。「集会に参加して分かったのは、唯一のスーパーパワー
    (超大国)といわれる米国の力は実際には弱くて、世界でわきお
    こった戦争反対の声の力こそスーパーパワーだということでした。
    特に米政府が『アラブ全体を民主化する』なんていいだしてから
    は、こんな道理のない戦争をたくらむ米国こそ民主化が必要じゃ
    ないかって、さらに力が入りました」。一連の集会に参加してきた
    という女性、ヘイバ・ノウェルディンさん(23)はこう言った。
   
*このエネルギーは、当初デモを弾圧していた政府を動
かす。3月
    5日には政府与
党が加わった集会が開催さ
れ、参加者は100
    万人に
ふくれあがった。開戦前後には、大学教授などの知識

    グループが相次いで戦争
反対の声明を発表し、その
流れはエジ
    プトの裁判官組
合にまで広がった。

   
【イエメン】
   
*アラビア半島南端のイエメン各地でも、3月15日、対イラク戦
    争に反対するデモが行われ、数十万人が参加。与党の国民全
    体会議やイスラム団体、労働組合などが呼びかけた。首都サヌ
    アのデモ参加者は「イラク侵略は自由への侵略だ」「戦争と内政
    干渉反対」などと訴え、市内を約三時間にわたって行進。
   
*同デモではアルイリヤニ・イエメン大統領補佐官が「イラク攻撃
    と同国への内政干渉は人類への侵略。戦争を拒否し、平和的
    解決を望む国連安保理の多数派が体現する国際秩序に制限を
    加えるものでもある」と訴え、米国などを批判した。アルアハマル
    国会議長も声明で、イラク攻撃はイラクのみに向けられたもので
    はないとし、戦争阻止でアラブ指導者が協調するよう訴えた。

   
【パキスタン】
   
*イスラムの古都ラホールのメーンストリートは、米英軍による対
    イラク戦争での破壊、殺りくにたいする人々の怒りに満ちた。3
    月23日、イスラム教政党で野党の統一行動評議会(MMA)が
    呼びかけた反戦集会には参加者15万人と同国最大規模となっ
    た。「燃えるバグダッドをテレビで見た。怒りでいっぱいだ。イス
    ラム教徒が殺される」。バイクのエンジン修理で生計をたてるハ
    ビブラさん(62)が話した。「日本も戦争でアメリカに原爆を落と
    されただろう。アメリカが一番ひどい」。宗教学校マドラサで学ぶ
    サーフラー君(16)は「自分の意志で来た。先生が行けといった
    わけじゃない。アメリカはテロリストだ。ミサイルを次々撃ってい
    る。アメリカとたたかうのはイスラム教徒の務めだ」と言った。プ
    ラカードには「石油と血。どっちに価値があるのか」「新しい世界
    秩序。アメリカ対世界」などの文字が目についた。
   
*国連安保理の非常任理事国パキスタンは、一方で米国の「対
    テロ戦争同盟国」。イラク問題でも米国寄りの態度が米国から
    は期待されていた。しかし、ジャマリ首相はこの間、「戦争を支持
    
するのは非常に難しい」と発言。11日の緊急閣議では、
国民に
    受け入れられない決議
案を支持すべきでないと一致。
カスリ外
    相は22日の会見で
「重要なのは国連安保理がイ
ラクの人々の
    苦しみを早く終
えるようにすることだ」と指
摘。開戦の20日には
    ジャマ
リ首相が、国連安保理の戦争
終結努力を求めた。

   
【チリ】
   
*南米チリ。同国の首都サンティアゴ市内で3月15日、イラクへ
    の武力行使に反対する数千人規模のデモが行われた。参加者
    は「戦争ノー」とスペイン語と英語で書かれた巨大な横断幕を先
    頭に市内の大通りを行進。主催者の代表が大統領府に立ち寄
    り、米国による「対イラク攻撃を断固拒否する」と表明したラゴス
    大統領あての書簡を手渡した。
   
*デモに参加した与党民主主義党のヒラルディ党首は、安保理で
    は「戦争を意味するいかなる決議にも反対する」よう政府に呼び
    かけた。世論調査ではチリ国民の83%がイラクへの武力行使
    に反対していた。

   
【メキシコ】
   
*メキシコ市内では03年3月15日、
イラクへの武力行使に反対
    し、平和的
な解決を求める平和コンサートやデモ
が行われ、計
    3万人が参加。デモ参加
者は「ブッシュ、よく聞け。メキシコ
は戦
    争に反対だ」などのシュプレヒコ
ールを繰り返した。「戦争反対」
    と書き
込んだメキシコ国旗をまとって行進していた大学院生の
    ロシオ・セレナさん(27)は、「政府は紛争の平和的解決を原則
    とする憲法にしたがって戦争反対の投票をすべきです。フォック
    ス大統領がこの立場を最後まで貫くよう私たち国民がさらに圧
    力をかけていきたい」と語った。


    
人びとのたたかいが、政府の戦争反対の姿勢を支える、
     また戦争支持の方針を変えさせる力となった。21世紀の
     新しい世界秩序、平和のルールをつくる力は、1人ひとり
     の声、行動、そしてその結集にあることを鮮やかに示した
     のが、イラク戦争をめぐる世界のたたかいだった。

 3。イラク戦争支持政権の選挙での敗北、派兵部隊の撤退
                             -アメリカの孤立
  
◇選挙による「イラク戦争ノー」

   *04年にスペイン、06年にイタリア、07年にオーストラリアで、
    アメリカとともにイラク戦争を支持、推進してきた政権が選挙
    で敗北、政権を失った。政権交代はしなかったが、オランダ、
    デンマークでも選挙での審判を契機にイラクから自国軍を撤
    退せざるをえなかった。イギリス、アメリカなどでは、与党が
    選挙で敗北。
   
*戦争を推進する政治を、国民世論が許さない、ひっくりかえ
    す力を持っている。
   
*アメリカ主導のイラク駐留多国籍軍=有志連合は崩壊状態。
    最大39か国が参加した多国籍軍は現在21か国に参加が半
    減。駐留継続国の中でも撤退・削減を予定・計画している国
    が多数。「多国籍」とはいえ、いまや兵力の約93%は米兵で、
    実態は米軍そのもの。
  
◇ふくらむ戦費、増える米兵死者
             -アメリカ国内でも「イラク戦争は間違いだった」
   
*アフガンへの報復戦争とイラクへの侵略戦争=「対テロ戦争」
    の戦費としてすでに
69兆円が支出。今後10年間続いた場合、
    その戦費は274兆円に達するという試算も(米議会予算局)。
   
*米兵の死者はすでに4000人をこえる。帰還者のPTSDも深刻。
    07年の陸軍現役兵士の自殺者は121人。これまで90年、91年
    と並んで最高レベルだった06年より20%増。アフガン戦争が始
    まった01年以来ではほぼ一直線に増えている。一方、自殺未遂
    や自傷者の数は07年が2,100人で、イラク戦争開始前の02年
    の350人と比べて6倍にも。
   
*アメリカ国内でも「あの戦争は間違いだった」の世論の高まり

 
4。膨大なイラク民間人死者、「対テロ戦争」でテロは逆に激増
  
◇戦争はいっそう激しくなっている
   
*米軍は07年の1年間に1447回、1日に4回の割合で空爆を実
    施。06年の229回の6倍にも(米紙ワシントン・ポスト報道)。
  
◇イラク民間人の死者、国の崩壊
   
*「イラク・ボディ・カウント」によると、9万人弱。15万人(イラク保
    健省と世界保健機関の調査)、65万人(英医学誌)、100万人(英
    世論調査機関ORB)という推定もある。
   
*イラク難民・避難民はなお、シリアに150万人、ヨルダンに75万
    人。国民の約3分の1の800万人が緊急援助を必要とし、7割の
    国民がきれいな飲料水を供給されていない。失業は昨年末の
    時点で50%に達しているとみられ、電気が家庭に届くのは1日
    に数時間、まったく届かない地域もあるという。
  
◇テロの増加
   ・・・2003年に世界で起きたテロは208件→2006年には14,338件。

二。世界は、動いている。
 
1。軍事同盟の崩壊へ
  
◇第二次世界大戦後、米ソ2つの大国が、軍事同盟をはりめぐら
   せた「冷戦体制」へ
   
*アメリカ側はNATOを頂点に、21の軍事同盟
   
*ソ連はワルシャワ条約機構を筆頭に14の軍事同盟
  
◇世界の軍事同盟網の解体、機能不全、弱体化
   
【東南アジア条約機構(SEATO)】
    
1954年、アメリカが中心となってイギリス、フランス、オーストラ
    リア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、パキスタンの8か国が
    調印した東南アジア防衛条約にもとづく軍事同盟。1975年、
    アメリカが後押しした南ベトナム政権の敗北によって、事実上崩
    壊。1977年に解散
   
【中央条約機構(CENTO)】
    
もとは、1955年に発足した中東条約機構(バクダッド条約機構、
    トルコ、イラク、イギリス、イランが加盟、アメリカがオブザーバー
    として参加)。
1959年にイラクが脱退したため、本部をトルコの
    首都アンカラに移し、中央条約機構と改称。1979年1月のイラ
    ン革命で、アメリカが後押ししたパフラヴィ王朝が崩壊したため、
    同年9月に解体
   
【米州相互援助条約(リオ条約)】
    
1947年9月に調印、翌年発行したアメリカと中南米諸国をふく
    む軍事同盟。「米州の一国にたいするいかなる国による武力攻
    撃も、米州のすべての国にたいする攻撃とみなし」、加盟各国は
    攻撃にたいして共同して対処する(第3条)と定め、アメリカが中
    南米やカリブ海地域に軍事介入する口実にされた。しかし、89
    年のアメリカのパナマ侵略批判の決議を採択し機能停止状態に。
    
2001年9月には、メキシコが脱退を表明し、最近手続きを完了。
   
【オーストラリア・ニュージーランド・米国相互安全保障条約(ANZUS)】
    
1951年9月に締結されたオーストラリア、ニュージーランド、米
    国の3か国間の相互安全保障条約。1984年、ニュージーランド
    で、労働党のロンギ政権が成立し、米国の核搭載艦船の入港を
    認めない「非核政策」をとったため、アメリカがニュージーランドに
    たいする防衛義務の停止を発表。3か国の軍事同盟としては
    機能していない
   
【北大西洋条約機構(NATO)】
    
イラク戦争にさいして、フランス、ドイツ、カナダ、ベルギーなどの
    一連の主要国が反対し、分裂状態に。最近、シュレーダー独首
    相は、「NATOは戦略上の協議の場ではもはやない」と指摘し、
    米欧関係の改革について抜本的な見直しを提起。シラク仏大統
    領もこれへの支持を表明するなど、この軍事同盟のあり方につ
    いて、根本から問い直す動きが生まれている。
   
【ワルシャワ条約機構】
    
旧ソ連を中心とした軍事同盟だったが、ソ連の崩壊で解体

  
◇非同盟諸国の運動の前進
   
*国連加盟国192か国のうち、135か国(約7割)が、非同盟諸国
    会議(アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々が主な参加国)に
    参加。世界平和の構築に、大きな役割を持ちはじめている。ち
    なみに、アジア24か国のうち、21か国が非同盟諸国会議に加
    盟。入っていないのは、日本、韓国、中国<オブザーバー参加>
    のみ。

 
2。「戦争のない世界」をめざして-地域別にみる
  
◇EU(欧州連合)-EU憲法の外交路線
    
「平和、安全、地球の持続的開発、諸国民間の連帯と相互尊重、
    自由で公正な通商、貧困の一掃と人権の保護、とくに子どもの
    権利保護、および国際法の尊重と発展、特に国連憲章の諸原
    則の尊重」(第3条4項)

  
◇アジア
   
*ASEAN共同体をめざす動き、さらに、東アジア共同体構想
   
*共同体構築の前提は地域平和-東南アジア友好協力条約(T
    AC)の広がり
    
・ASEAN(東南アジア諸国連合)の平和憲法といわれ、1976
     年のASEAN首脳会議で締結。その後、ASEAN以外の周辺
     諸国にも条約を広げる外交努力を行い、日本も2003年12月
     にようやく加盟した。
    
・条約の内容
     
①独立、主権、領土保全などの相互尊重、②外部からの干渉、
     転覆、強制なしに自国を運営する権利、③相互の内部問題へ
     の不干渉、④紛争の平和的手段による解決、⑤武力行使と武
     力による威嚇の放棄、⑥諸国間の効果的協力
    
・現在の加盟国は24か国、地球人口の57%。
     
マレーシア、シンガポール、ベトナム、インドネシア、ブルネイ、
     ラオス、
フィリピン、カンボジア、ミャンマー、タイ(以上ASEAN)
     
中国、日本、韓国、ロシア、フランス、オーストラリア、インド、
     パキスタン、東チモール、パプアニューギニア、ニュージーランド、
     モンゴル、
バングラデシュ、スリランカ
   
*インド・パキスタンの関係改改善、中国とインドの協調路線、
    北朝鮮をめぐる6カ国協議

  
◇中東
   
*中東非核化構想の動き、各国の民主化へのたたかい

  
◇南米
   
*政治変革(左翼・中道政権への誕生)が面をなして広がっている
    
・ベネズエラ(1998)、エクアドル(2003)、ブラジル(2003)、アルゼ
     ンチン(2003)、
ボリビア(2003)、ウルグアイ(2004)
   
*アメリカによる経済・軍事・外交支配からの脱皮へ
                         -「裏庭」だった大陸の変化
   
*南米共同体の結成(2004年)

  
◇アフリカ
   
*アフリカ連合(AU)
    
・EUをモデルに、政治、経済の統合を促進し、紛争のない繁栄
     したアフリカ大陸をめざす国家連合組織として2002年に発足。
     加盟国人口は8億人。
    
・AUの平和・安全保障理事会での協議や、独自の監視軍を紛
     争地に派遣するなどの努力を続け、域内の紛争解決にあたっ
     ている。


    ◇
仮想敵国をもたない地域的な平和の共同体がつくられ、それ
     が合流して、国連憲章にもとづく平和の国際秩序をめざすとい
     う大きな流れを形成しているのが、今日の世界の姿。

三。異常な対米従属-日本の政治のあり方の転換を
 
1。世界の構造変化が視野に入っていない日本外交
                      -「よくできた米国の従属国」
  
◇イラク戦争をさまざまな面で支援
   
*世界でまっさきに「支持」表明。イラク戦費を支えていた日本
    マネー。自衛隊の派遣(現在も航空自衛隊は派遣継続中)。
  
◇日米同盟絶対路線
   
*外交の最大のものさしは、「日米安保条約」という軍事同盟の
    絶対化。
   
*外交も、内政も、アメリカの顔色をうかがいながら。核兵器廃絶
    問題でも。

 
2。軍事優先の外交、内政の転換を
  
◇イージス艦「あたご」事故から
   
*イージス艦はもともとは空母護衛の軍艦
                       -自衛隊は空母をもっていない
   
*回避義務をおこたる-軍事優先路線のおごり。米軍ともっとも
    緊密な連携をとっているのが海上自衛隊。
   
*引き継がれている米軍の占領意識
                 -やり放題の訓練、日米地位協定の特権
  
◇米海兵隊による暴行事件、凶悪犯罪
   
*沖縄の海兵隊の特殊性。「殴り込み部隊」といわれ、全軍の先
    陣を切って、「敵地」に乗り込み、躊躇なく眼前の人間を殺害し、
    「障害物」を除去して橋頭堡(きょうとうほ)を築くという特別の任
    務をもつ。イラク戦争にも在沖海兵隊の多くが参加。
   
*「殺人を可能とするシステム」の構築。目の前の人を殺すことは、
    普通の人間には抵抗感がある。それを確実に実行できるように
    する訓練と洗脳。攻撃対象の徹底した「非人間化」(自分たちと
    同じ人間と思わないようにさせる)、軍への帰属意識と忠誠心の
    徹底。「最悪の殺人者」を「製造」するのが海兵隊というシステム。
   
*本質的に自国の防衛と無縁な、15,000人におよぶ海兵隊が常
    駐する状態は、世界広しといえども、沖縄以外にない。すぐにで
    も戦闘する準備ができている集団が、これほど密集して一般市
    民の中で暮らしていることの異常。
  
◇日米地位協定と思いやり予算
   
*在日米軍の暴力性、無法性を助長しているのが、日本の異常
    なアメリカへの従属性。不平等な地位協定などにみられる米兵
    への特権、使い放題の水光熱費にみられる財政的「思いやり」
    などが、米兵たちの中に、優越感や支配者感覚を浸透させてい
    ることは間違いない。こうした構造が、沖縄県民や女性にたいし
    ての暴力的蹂躙(じゅうりん)に、米兵が抵抗感を感じない土壌
    を生み出している。

  
◇日本人の平和意識と、政治的反映とのギャップ
   
*日本の平和教育は大きな財産と国民意識をつくりだしてきてい
    るが、それが政治に反映されているかといえば、そうなっていな
    い。選挙などでは、平和問題はなかなか争点になりにくいが、
    主権者である私たちが、しっかり学習し、対米従属絶対の政治
    家を当選させない力をもつ必要がある。
  
◇憲法9条と対米従属路線は、相容れない
   
*日本が対米従属の鎖をたちきり、世界平和の力強い流れに合
    流したとき、憲法9条は、さらに輝きを増す。

さいごに:視野は世界的に、行動は地域から



以上。



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2008年4月 8日 (火)

チュニジアの11日間(17)

「チュニジアの11日間」も
残すところあと2日間、となった。

1月5日(チュニジア10日目)も朝6時起床。
パン、ヨーグルト、コーヒーと、朝食をNさん宅でいただく。

6時50分には出発!
久しぶりにミニバスでの移動となる。
運転手モアッツも相変わらずの大声。元気であった。
この日は、在チュニジアの
ジュニア&シニアボランティア4名が合流し、
8名での旅となる。

午前中は長距離移動。
11:40にブラレジア遺跡に到着する。

Img_1177



 ここもローマ遺跡群の
 ひとつで、
 モザイク芸術が有名だとか。

 敷地もかなり広い。












Img_1178





 地下にかなり
 保存状態のよい
 モザイクがあるそう。

 さっそく階段を
 降りて地下へ。









Img_1179




 はい、地下です。

 よくこんなのつくったね。













Img_1181





 この床に、
 モザイクが
 敷きつめられている。

 みんなで見学する。










Img_1187

 絵の説明を
 受けている。

 2日目に行った
 バルドー博物館にも、
 モザイクはたくさん
 展示されていたが、
 やはりこうした場所で
 実物を見ると、
 なかなか感動的だ。

 保存状態が良いのにも
 おどろき。




Img_1188



 こんな
 作品とか。










Img_1189


 こんな作品も。

 これは
 ヴィーナス
 なんだって。








Img_1194



 ブラレジア
 では、羊が
 ウロウロ
 していた。








Img_1200





 こちらは、
 ブラレジアのなかにある
 劇場跡。












Img_1201



 ローマ人は、
 文化水準も
 高かったに
 ちがいない。

 





Img_1204

 ブラレジア見学を終え、
 昼食に。

 いのししのお肉を
 いただきました。





Img_1206


 15時。
 つづいて訪れたのは、
 ドゥッガ遺跡。

 これもローマ遺跡で、
 世界遺産に登録されている。

 









Img_1211


 ここにも
 劇場が。
 景色も
 すばらしい。

 どんな劇場
 だったんだろ。
 音響装置も
 あったとか。



Img_1215




 神殿。

 








Img_1221
 みんなで
 集合写真。

 が、
 神殿は半分。
 顔は見えない。
 チュニジアの
 案内の人に
 撮って
 もらったの
 だけれど…。



Img_1223



 それにしても、威厳と
 歴史を感じさせる
 建物である。
 
 












Img_1225




 神殿の内側から
 撮ってみる。














Img_1228


 ドゥッガ遺跡の
 街があったところ
 らへん。

 階層ごとに
 住む場所も
 区別されていた。

 かなりの密集ぐあい
 ではある。







Img_1241
 ここは浴場
 だったところ。

 温水と冷水、
 いまでいう
 サウナや
 スポーツジム
 まであった
 とか。
 ほんまかいな。
 ローマ人すご。



Img_1243

 しかし、
 天気が
 良かった。

 青と緑と
 遺跡。

 すばらしい。






Img_1245




 こんなちょっと
 した地下道路も。

 ワクワクするね~。











Img_1251
 これは
 共同トイレ。

 ちゃんと
 下水設備の
 ようなものが
 あって、
 水で流れる
 ようになって
 いた。
 恐るべし。



Img_1252

 買春施設
 だったところ。
 (たしか)
 当時の
 男女関係の
 あり方も
 いろいろ
 説明を受ける。





Img_1255




 ドゥッガの猫。

 当時も猫は
 人間と一緒に住んで
 いたのだろうか。









ブラレジア、ドゥッガと見学し、
ローマ国家の繁栄ぶりと
文化・技術水準の高さに改めて驚いた。

もちろん身分制度が基礎にあって、
奴隷労働があったのだろうけど。

ローマ人は、こんなアフリカまで
やってきて、自分たちの都市をつくり、
生活を楽しむことをやってのけた。

その力は巨大だが、
ローマ帝国は結局滅びた。
いまのアメリカの現実とローマ帝国の歴史を
重ねる人も多い。
その結果がどんなふうになるにせよ、
私たちが、こうした遺跡や歴史から学ぶことは
限りなくたくさんある。

世界史はあんまり得意ではないのだけれど、
人間の歴史はじつにドラマティックで、
深みがある。もっと学んでいきたいと思う。

チュニジアは、そうした人間の歴史を肌で感じる
貴重な場所がたくさんあるのだ。



さて、ドゥッガをあとにし、
首都チュニスへと戻る。


続きは次回。




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2008年4月 7日 (月)

連打連打

土日は比較的ゆっくりできたが、
今日からまた忙しい!

さっそく午前中はニュースの連打。
75期労働学校募集推進ニュースは、
開校まで平日は毎日出すゾと決め、
今日で3日目。各団体へFAX。ソレゆけ!
中田進さんのプレ講演会には新しい人が
結構参加しそうで、いまからワクワク。

勤通大の募集推進ニュースも4号を
久しぶりにつくり、各団体へFAX。
県内受講数がようやく60名となった。
まだまだ道は険しい。

晩は常任理事会で、総会議案の討議。
明日の学習会レジュメは、明日つくるしかない!
キケンだ!




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2008年4月 5日 (土)

満開だー

今日(5日)は労働学校のお花見企画でした。
いつも旭川河川敷の三光荘前でやるのがお決まりです。
今日は少し曇りがちでしたが、絶好のお花見日和。
ほんわかしました。


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5回講座終了。

きのうは古典講座『空想から科学へ』
5回目、最終回でした。
参加は4名とやはり少なかったのですが、
しっかり勉強しました。

最後の講義は
「マルクスの未来社会論」という
題で、資本主義をのりこえる社会発展の展望と、
未来社会の特徴と可能性についての話でした。

21世紀に入って、新しい理論発展が
切り拓かれた分野でもあり、しゃべるほうとしても
たいへんやりやすくなっています。
これまでの分配論中心は、たしかにいま考えると
貧困な未来社会論だったなぁと。

5回の講座を担当してみて、
古典をしゃべる力量の不足を痛感するとともに、
あらためて古典と格闘するなかで、発見がたくさん
あったなぁと思います。

科学的社会主義の理論がつねに時代とともに
進化していくように、私も進化し続けたいと思います。
参加されたみなさん、ありがとうございました。
来年も古典講座やりますよ!(たぶん)


以下、講義の概要です。



一。未来社会の目標とその実現の道
 
1。科学的社会主義以前の、未来社会論の特徴
  
◇フランス革命の頃から、社会主義・共産主義を目指す
   思想や運動はあった
   
*空想的社会主義
    
・頭の中で理想社会を描いて、それを外から社会に持ち込もうとした

 
2。矛盾解決の方法
  
◇利潤第一主義にならざるを得ない生産のあり方の転換
   
*資本主義は効率的な社会なのか(資料)
   
*「自然の復讐」(エンゲルス)

  
◇生産手段の私的所有から、社会的所有へ-「生産手段の社会化」

    
「この解決はただ、現代の生産力の社会的性質を実際に
    承認し、したがって生産様式、取得様式、交換様式を生産
    手段の社会的性格と調和させるということのうちにしかあり
    えない。そしてこのことは、社会がみずから管理する以外
    にはどのような管理も手におえないまでに発達した生産力
    を、社会が公然と、率直に掌握することによってのみ、おこ
    なうことができる」(テキスト3章)

   
*社会化=国有化という単純な議論は禁物
   
*「将来の世代の手を縛らない」というのがマルクスやエンゲルス
    の立場

 
3。変革の主体となるのは誰か
  
◇プロレタリアート(労働者階級)
   
*「没落しないためにこの変革をなしとげることを強要されている勢力」
   
*「自分の鎖のほかに失うものはなにもない」(『共産党宣言』)

    
「絶えず膨張するところの、資本主義的生産過程そのものの
    機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反
    抗もまた増大する」(『資本論』24章)



二。未来社会と人間的発達
 
1。『資本論』なかでの未来社会の特徴づけ(資料)
  
◇生産手段の社会化と人間の自由

  ◇経済の意識的、計画的な管理
  
◇「結合した生産者たち」とは

 
2。マルクスの未来社会論(資料)-「自由の国」と「必然性の国」
  
◇物質的生産の領域は、外的な目的に規定された「必然性の国」に
   属する
   
*人間の労働(生産活動)は、自然との物質代謝の過程
   
*未来社会では、労働が本来の人間的な姿をとりもどす
  
◇「自由の国」が人間の全面的発達の舞台となる
                      -労働時間短縮がその条件

 
3。労働時間の短縮と未来社会-『資本論』の準備草稿から

    
「真実の経済-節約-は労働時間の節約(生産費用の最小
    限〔と最小限への縮減〕)にある。だが、この節約は生産力の
    発展と一致している。だからそれは、享受を断念することでは
    けっしてなく、生産のための力、能力を発展させること、だから
    また享受の能力をもその手段をも発展させることである。・・・
    労働時間の節約は、自由な時間の増大、つまり個人の完全
    な発展のための時間の増大に等しく、またこの発展はそれ自
    身がこれまた最大の生産力として、労働の生産力に反作用を
    及ぼす。・・・余暇時間でもあれば、高度な活動のための時間
    でもある、自由な時間は、もちろんそれの持ち手を、これまで
    とは違った主体に転化してしまうのであって、それからは彼は
    直接的生産過程にも、このような新たな主体としてはいってい
    くのである」 
(『資本論草稿集2』)

   
*活動家にとっても、自由な時間(余暇)の確保は、義務なのです(笑)

    
「時間は、諸能力などの発展のための余地である」

    
「労働時間は、たとえ交換価値が廃棄されても、相変わらず
    富の創造的主体であり、富の生産に必要な費用の尺度であ
    る。しかし、自由な時間、自由に利用できる時間は、富その
    ものである。・・・この自由な活動は、労働とは違って、実現さ
    れなければならない外的な目的の強制によって規制されては
    いないのである」 (『資本論草稿集7』)

 
4。人間の「潜在的な諸能力の開花」の2つの側面(資料)


三。21世紀の時代的特性について

 1。世界は、動いている
  
◇世界の構造的変化-経済的な土台(力関係)の激動
   
*アメリカ経済の地位の変化
  
◇新しい社会を模索する力強い取り組み-南米の変革、EUの挑戦など
  
◇日本も、自民党政治の終焉が近づいている-新しい変革期に

 
2。すべての段階で「国民的合意」によって改革がすすんでいく
  
◇選挙をつうじての国民的選択
  
◇世界的には、国連を中心に

 
3。自分で自分の歴史を意識的につくる時代

    
「21世紀は、『自分で自分の歴史をつくる』人間の力が、20世
    紀よりももっと積極的に、もっと大規模に発揮されなければなら
    ないし、その条件のある時代」
    
(不破哲三「新しい世紀と新しい綱領」民青同盟31回全国大会講演)

  
◇エンゲルスがとらえる「現代」の意義

   
*ドイツのデューリングという論争相手が、「未来社会の人間は、
    われわれの時代を、精神的に未熟で幼稚な『太古』として軽蔑
    的にふりかえるだろう」と、現代を卑下した態度をとったのに対
    して…

    
「この『太古』は、のちのいっそう高度な発展全体の基礎である、
    という理由で、また、人間が動物界から出現してきたことをその
    出発点としており、協同社会をつくった将来の人間がふたたび
    ぶつかることのないようなたいへんな困難を克服してきた経過を
    その内容としている、という理由で、―どんな事情があろうと、将
    来のすべての世代にとっていつまでも歴史上のきわめて興味深
    い一時代であり続けるであろう」
                   (F・エンゲルス『反デューリング論』)


講座を終えるにあたって




以上。






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2008年4月 4日 (金)

初々しいナー

きのうの晩は、岡山医療生協労組の
新入組合員学習会
へ。

フレッシュな新入職員のみなさん(20数名)に、
「労働組合とは-人間らしさを求めて」ということで、
約1時間、労働組合とはなんぞや、
ということをお話しました。

ここはユニオンショップなので、全員即、組合員なのです。

Img_1712
 はじまる前の様子。
 みなさんパリッとした
 服装です。

 今週はずっと研修だそうで、
 緊張続きでもあり、
 おつかれだと思います。
 

今年は、リハビリ関係が大量採用されている
ようであります。何があったのでありましょうか(笑)。

3日間、研修続きで、詰め込み教育が行われて
いるので、かなりザックバランに話をして、
気軽に聞いてもらえる工夫をしてみました。

やっぱり「新入職員」という、初々しい存在自体が、
うれしくなりますね。
こちらもいい緊張感をもってのぞめました。

でも、やっぱりこういう学習会は、
部外者の私より、医療生協労組の人が
しゃべったほうがいいんじゃないかな、
と思ったりもしました。労組の顔が見えるように。
呼んでいただけるのはありがたいですが。

ともあれ、呼んでいただいたからには、
75期労働学校や中田さんのプレ講演会の
宣伝もしっかりとさせていただきました。
このなかから何人かでも来てくれたらナー。

あとは労組の働きかけに期待。
よろしくお願いします。



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2008年4月 3日 (木)

75期まであとひと月!

75期岡山労働学校「社会と生き方を考える教室」が
5月8日(木)から開校します。

4月に入り、募集活動もピッチを
あげていこうという段階です。
今日からFAXニュースも出し始めました。
その名も、「春ウララ 学びの花を咲かせよう」。

75期の内容と、4月18日(金)のプレ講演会を
以下、ご紹介します。


【75期岡山労働学校プレ講演会present
*4月18日(金)18:30~
*講演「人間らしく、自分らしく-若者の現実と未来」
*講師:中田進さん(関西勤労者教育協会講師)
*会場:岡山市勤労者福祉センター4F
*参加費:1,000円(学生は400円)

 若者の働き方や、日本の社会と政治の
 おかしさをテンポ良くときあかします。

 抜群のわかりやすさとオモシロさで有名な
 中田さんの講演。今度こそ満員御礼fullを出したい。
 ぜひおこしください。


【75期岡山労働学校 『社会と生き方を考える教室』ribbon
① 5/ 8(木) 記念講演
  
「人間らしさとコミュニケーション-民話をつうじて考える」
              /立石憲利
(岡山民俗学会名誉理事長)


② 5/15(木)第1講義
  
「社会と生き方、自分づくり①-生きがいを求め続けて」
                
/三宅良子(DCI岡山セクション代表)


5/22(木)第2講義
  「コペル君のへんな経験-ものの見方の大転換」
                   /長久啓太(県学習協事務局長)


④ 5/29(木) 第3講義
  「コペル君の苦しみ-人間だけが感じる、人間らしい苦痛」
                                /長久啓太


⑤ 5/31(土) ふれあいコンパ


⑥ 6/ 5(木) 第4講義
  
「社会と生き方、自分づくり②-学ぶこととの出会い」
               
/江草ケイ子(新婦人岡山県本部会長)


⑦ 6/12(木) 第5講義
  「日本には『貧困』がある!-私たちにできること」
                         /須増伸子(早島町議)


⑧ 6/19(木) 第6講義
  「公共サービスがあぶない!-雇用破壊と民営化の先に」
                     /藤原真(岡山高教組書記長)


⑨ 6/22(日) 1日レクレーション(内容未定)


⑩ 6/26(木) 第7講義
  「いまこそ、ユニオン-労働組合の底ヂカラ」
                 /伊原潔(岡山県労会議事務局次長)


⑪ 7/ 3(木) 第8講義
  「知るを楽しむ-本屋さんが語る、読書のススメ」
                        /相木孝治(新岡山書籍)


⑫ 7/10(木) 第9講義
  「社会と生き方、自分づくり③-いのち輝く社会に」
                         /崎本敏子(岡山市議)


⑬ 7/12(土) 修了式&修了コンパ


期間:2008.5.8(木)~7.12(土)
*時間:
18:30~21:00(終了後有志参加で「なごみ」)
会場:岡山市勤労者福祉センター
受講料:10,000円(県学習協会員は8,000円、学生は4,000円)
    
単発参加は1回1,500円〔学生600円〕、入学式のみ1,000円


今期は、完全1話完結の入門的な教室です。
どれもオススメの講義ばかりsign03
ぜひご参加ください!




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2008年4月 2日 (水)

孫三郎・独創・感性

最近読み終えた本。


『わしの眼は十年先が見える-大原孫三郎の生涯』
                (城山三郎、飛鳥新社、1994年)


全国集会が行われる倉敷のアピール力向上の
ために読んだ本。倉敷の街といえば、大原家。
大原家といえば、やはりこの人、大原孫三郎(1880~1943)。

しかし、この大原孫三郎に、著書はない。
城山三郎氏のこの伝記風小説をとりあえず読むことに。

これは、おもしろい!
かなり事実にそくした本でもある感じなので、
いろいろと勉強になった。

父が社長だった倉敷紡績を、孫三郎が引き継いだのは
27歳のとき。それ以降、驚くべきバイタリティと
行動力で、会社経営を発展させると同時に、
多くの社会的事業への貢献をする。

日本の資本主義の歴史のなかで、
稀有な資本家であったことは間違いない。

大原美術館や大原社研、倉敷中央病院の
創設などは有名だが、ほかにも
知らなかったことがたくさんあった。

へぇ!と思ったのは、
1932年、満州事変調査のために来日した
リットン調査団の一部団員が大原美術館を
訪れ、エル・グレコをはじめとする名画の数々が
展示されているのに仰天し、このことが、
「クラシキ」の名を広め、戦争のさいに、
世界的美術品を焼いてはならぬと、倉敷は爆撃目標から
はずされたらしい、ということ。

また、1907年、岡山に師団が設置され、倉敷へも
一個連隊が配置される動きとなった。
町では、金が落ちることにもなるからと、
受け入れ派が大勢を占めた。
これにたいし孫三郎は、まだ30歳にもなっていなかったが、
若い女子工員を大勢預かる身として、
「町の風紀をみだすおそれがある」と、はげしく反対した。
結局、孫三郎の強固な反対を前に、町は受け入れを断念、
軍隊をもたない町となった。そのことも、空襲を免れた
一因としてあるかもしれないという。

たしかに、倉敷に空襲の被害はなかった。
岡山や水島はあったのに。
そうした理由を考えると、なるほど、合点がゆく。
あの古い街並みが焼かれずにすんだのも、
孫三郎の隠れた貢献、ということでしょうか。

大原美術館の名画の数々は、
児島虎次郎がヨーロッパで買い集めたもの。
それもすべて大原家のお金で。
「絵を買ってよし。金は送る」と孫三郎。太っ腹である。
もともと大原家では孫三郎の父の代から、
同郷の有望な若者たちに奨学資金を援助していた。
その一人が画家の児島虎次郎だったのだ。

また、自分の工場の女工たちの
労働環境を気づかい、さまざまな改善の手をうつ一方、
職場環境の専門的研究をすすめるために、
労働科学研究所をつくった話も有名である。

とにかく、大原孫三郎が残した
業績や精神は、いまも輝いている、といえるだろう。
いや、いまだからこそ、こうした孫三郎の
企業人としての社会的責任、社会還元の姿勢から、
学ぶことは多いはずだ。

とても元気の出る学びとなった。
そして、おおいに刺激を受けた。


さいごに蛇足(これは本とは関係ナイ)。
憲法25条はGHQ案にはなかった純日本製
であることはわりと知られているが、
その25条を憲法制定国会(1946年)の
小委員会で入れさせる役割を果たした
社会党の代議士の1人が、森戸辰男だった。
じつはその森戸辰男は、大原社研の研究員で、
大原社研の資金援助でドイツ留学をして、
ワイマール憲法やソ連憲法を学んできたらしい。

また、大原社研の初代所長は、高野岩三郎であり、
彼は、鈴木安蔵とともに、GHQに影響をあたえた
草案をつくった憲法研究会の中心メンバーだった
ことも、付け加えておきたい。

大原社研研究員の森戸が25条を生む役割の
一端を担ったこと、そして、戦後、この25条に
命を吹き込んだたたかいが、岡山で起こった
「朝日訴訟」であることを考えると、
25条への岡山の貢献はナカナカのもの!
(若干無理がある?)
というか、岡山県人は、それを自覚せねばいけません!
25条は、岡山なんだ!(笑)


『独創の方法』(井尻正二、玉川大学出版部、1976年)


6月号の『学習の友』に書く原稿を考える
素材として読んだ本。
井尻さんは、古生物学、歯学、地質学が専門。
著書は膨大な数がある。

前半はかなりのメクリ読み。
後半がためになった。

ちなみに、
「独創を生み出すには」をまとめると、こういうことである。

①まず実践、である。

 「実践を媒介にした科学以前の経験の蓄積が、独創の
 基礎ともなり、底辺ともなるのである。そのために、若い
 年代のときに、豊かな自然や広い社会の経験をつみ、
 この基礎と底辺を拡大するように心がけることが絶対に
 必要である」

②すべての基礎は感覚(感性)である。

 感性にもいろいろある。
 「感性とは、感覚器官を通して客体を反映し、感覚器官を
 通して反応(作用)する思惟能力である」
 この種の感性は、遺伝的、自然的基礎に由来する。
 こちらは、どちらかといえば、受動的な感性である。

 第2に、
 「社会的な、人間的な感性」というものがある。
 こちらは、能動的な感性といえる。
 「社会を構成し、生産労働をする人間に、歴史的に
 きずきあげられてきた感受能力」ということ。

 これらの感性は、科学の基礎となり、
 独創の契機となる。
 そして、これらの感性は、「鍛える」ことができる。

③しごきに耐える。

 「私は独創力も人間的な努力で身につけることが
 できると確信している。そしてその第一は、『しごき
 に耐えること』、すなわち『訓練をいとわないこと』に
 あると思われる」

 独創につながる訓練の意義について。
 「科学にしても、芸術にしても、はたまたどんな職業に
 しても、その道の先輩たちがきずいてきた成果を伝承
 することなしには、何事も成立しないし、発展しない、
 ということである。そして、このような先人がもつ知識・
 技術・蓄積などを体得するためには、やはりそれ相当
 の訓練が必要である」
 「このような訓練によって、私たちの思考と反応が条件
 づけられる」

④量から質へ。

 「自分の専攻するテーマに関係のある資料を、標本で
 も、文献でもなんでもいい徹底的にあさって勉強するこ
 とは、まさに量から質への転化として、独創をよびおこ
 すゆえんである」

 「こうした資料の蓄積は、頭の中でも行うことが必要だ
 と思われる。それには、できるだけたくさんの文献を
 読むことと、四六時中、問題のテーマを考え続けること
 -たえず、そのテーマに関心をよせていること-が大
 切になってくる」

⑤否定的精神。

 「実践の問題にしろ、感性の問題にしろ、しごきの問題
 にしろ、その背後に“なにくそ”という否定的精神がそな
 わっていなければ、その機能を十分に発揮することは
 できないと思う」

 「私は否定的精神の『否定』という言葉の意味をつぎの
 ように解している。(ⅰ)まず否定はたんなる破壊やもの
 ごとを無にするような否定ではなく、制限つきの否定であ
 る。(ⅱ)つぎにそれは、プラスの側面を保持する(肯定
 する)という否定でなくてはならない。(ⅲ)そして最後に、
 その否定によって、ものごとがその命脈にそって一段と
 発展するような否定でなくてはならない、ということである」

⑥根本は思想である。

 「思想というものは、当面するすべての事件や経験を、
 統一的に、体系的に考え、かつ解決していく力の源で
 あって、このような力が逆流すると、新しい組織づくり、
 新しい発掘法の考案、その結果としての新しい発見、
 新しい仮説の発想といったぐあいに、すべての独創に
 結びつくものである」


以上、私が線をひっぱった所を中心に、
書いてみました。参考になりましたか?
さて、この学びが活きるかどうか。
それはまだ、自分にもわからない(笑)。


『井尻正二選集 7 随想-感性と思想』(大月書店、1982年) 


感性とは何か?を考えるために
買ったのだけれど、あまりそういうことについて
書かれてはおらず。がっくり。

が、思わぬところで「おお!」となる。
それは、「ヒトの手のふしぎ」という短い文章だ。

最近、私は「手」にこだわっている。
人間の手は、人間らしさを学ぶ格好の
材料である、と思っている。
それは、ほんとうに、いろんな意味として。

でもって、「手」にまつわる話に飛びつくのが
最近の私なのであります。

たとえば、
相方が購読している『看護実践の科学』という雑誌がある。
(相方は看護師ではありません)
私も時間があるときにチラチラとながめている。
とても学ぶことが多いからである。
で、『看護実践の科学』4月号に、講演のお知らせで、
川島みどりさんが、
「手からはじまる看護-ふれる手 いやす手 あいだをつなぐ手」
というテーマで話をするというのが載っていた。
これはかなり興味津々である。聞いてみたい。
そんでもって、これをヒントに、
「手からはじまる労働組合論」を、考えようとたくらんでいる。
これは、おもしろいよ(自画自賛)。

以上は横道話だが、
井尻さんの文章に戻ると、
「人間の手はなぜ5本なのか」という問題は、
3億年も前に由来している、という話。
(40年前の研究到達なので、今は違うかもしれませんが)

また、ヒトとサルの手の違いには、「なるほどぉ!!」と
興奮しました。やはり人間の手はすばらしい。

・・・という、目的以外の学びに
出会えた本でありました。

「教育とは、まず感動をあたえること」という
井尻さんの信念にも、共感しました。




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2008年4月 1日 (火)

『学習の友』4月号

『学習の友』4月号の主な内容のご紹介。

まず、表紙に注目!
おとなり、広島の自治労連での
『友』読書会のときの写真であります。
なぜかH野お母サマまで・・・。
にっこりいい笑顔であります。

【特集-日本医療の危機】
 *国にお金がないから医療費負担増も仕方ない!?(相野谷安孝)
 *医療とは何か-政治・行政と医療(日野秀逸)
 *医療を守る!-いま、国民のおおきな共同で(山田稔)
 *医療現場で何が・・・
 *手記・医療労働者の告発

その他の記事
 *「名ばかり管理職」の残業代は?(山瀬徳行)
 *「人間らしい労働時間」と男女平等(筒井晴彦)

連載
 *労使関係と暮らし改善の道〔第4回〕(辻岡靖仁・田中紘一)
 *いま、働き方・生き方を考える〔第4回〕(中田進)



「名ばかり管理職」の山瀬論文はぜひ。
きのうのNHKスペシャル「名ばかり管理職」は
なかなかの良作だったと思います。
企業の利潤追求&労働者犠牲の姿勢をきびしく問う内容でした。
4日間で80時間働いたという元コンビニ店長の青年、
寝たきりになった元ファミレス店長のお母さんの
言葉が苦しかったです。

後半の「もっと働きたい」という工場の労働者の姿も、
考えさせられる問題でした。
労働者の「まじめさ」や働くことの「喜び」は、
資本に逆利用されてしまう(搾取強化のイチ方法として)
キケンをふくんでいます。気持ちはわかりますが。

でも、「すすんで残業」の裏に、その人の
「家庭」や「自分の時間」の犠牲(欠落)があることを
見落としてはいけないと思います。
労働者自身の価値観の転換も、必要な課題だと思いました。
ほんとうの「ワーク・ライフ・バランス」、ですね。




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