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2008年3月14日 (金)

ギョウザから占領時代へ

おととい(12日)の晩は、
福祉保育労岡山支部の執行委員会へ。

Img_1614

 この日の会場は
 倉敷のW保育園。

 参加は10名ほど
 だったように
 思います。

 始まる前の様子。
 



今回は、執行委員でA保育園調理師の
M屋さんから、「冷凍ギョウザ問題が気になるので」
という注文をいただいたので、

「ギョウザ事件から考える日本のあり方」
題して、食料自給率の問題や、
食料問題でもアメリカ従属の国のあり方の
ことについても話をしてみました。

そして、後半はアメリカによる
占領政策の話へ・・・。

ギョウザから占領時代への話の
すさまじい飛躍に参加者のみなさんは
面食らったかもしれませんね(笑)
でも、知っておいてほしい問題なので、
あえて入れてみました。


では、以下、講義の内容。

一。根底には、日本の農業政策の問題が
 
1。「商品」としての食料を買う社会
  
◇その仕組みと矛盾
   
*「商品」は、人間にとってなんらかの有用性(役に立つ)をもつ。
    
・食料を買い、調理し、食べることは
     
→栄養を吸収する、エネルギーをつくる、欲求を満たす、
       文化の担い手
   
*もうひとつ、「商品」は「人に売るためにつくる」という側面ももつ。
    
・自給自足で食料を生産している人は圧倒的少数。食料は
     他人に作ってもらったものを「買う」時代になっている。
    ・食
料を「売る」人は、それによって生計を成り立たせている。
     売れなければ、その生産者の生活
が成り立たないという社
     会。生活が成り立たなくなれば、食料生産をやめることに
     なる。そうなると、食料を供給する人自体が少なくなる。だ
     から、政治の支えが必要だということ(価格保障や補助金、
     土地政策など)。

   
*資本主義経済の発展は、流通手段の発達をうながし、「遠く
    の食料を運ぶ」技術の向上をうながした。それは、「生産者」と
    「消費者」が切り離される過程でもあった。昔は、その地域で
    生産された食料を、その地域で消費していた。地産地消。
   
*「顔の見える関係」であれば、有用性の側面が保たれる傾向
    がある。「あそこの農家つくってくれている野菜」。「自分のつ
    くったお米は、この地域の人たちが食べている」。しかし、「顔
    の見えない関係」だと、つくる人・売る人と、買う人・食べる人の
    関係は、モノとカネの関係に単純化される危険が高くなる。
   
*輸入食品はその傾向をさらに増幅する役割を果たしている。
    中国でもギョウザはつくれるし、冷凍食品として輸出できる。し
    かもコストは安い。

  
◇「安さ」をめぐる矛盾
   
*「買う」側は、食品に「安さ」を求めがちになる。それは今の労
    働者の低所得水準も背景となっている。
   
*一方、「売る」側は、「売れる商品」をつくることが最大の目的
    になりがちで、そのために、「コスト削減」(商品品質の低下を
    招く)、「見た目」や「保存性」(添加物たっぷり)、「少々まぜて
    も大丈夫」「賞味期限がすぎていても…」というモラル喪失をま
    ねくことになる。食料品も企業間競争の法則をもろに受けると、
    こうした問題が噴出する。だから、社会的規制が必要になって
    くる。市場原理にまかせてはいけない分野。

 
2。食料自給率が先進国中最低なのはどうしてか
  
◇日本は農漁業生産の自然環境条件としては、世界有数の好条件国。
   
*四季の豊かさ、豊富な降水量、山の多さ、良質な土、
    まわりすべて海…
  
◇その日本で、食料自給率40%。穀物自給率は3割きる。
   
*国連加盟国190か国中、130番目前後。もちろん先進国中最低。
    現在、純和食の食事をとることは、かなり困難な状況。
    
・大豆自給率4%、小麦14%、果実39%、肉類55%。
     米でさえ95%。
   
*日本の農地面積は、1960年から2000年までに、120万ヘクター
    ル、20%も減少。農業人口は1200万から400万人に。2006年で
    は360万人。しかも、そのうちの6割が65歳以上。
   
*その最大の原因は、国の農業政策による。1973年の自給率は
    60%だった。なぜこんなに急激に下がったのか。ひと言でいえば、
    「農業では暮らしていけなくなった」から。生産物の価格保障せず、
    農産物(とくにアメリカの)の輸入を推進し、いまでは米まで輸入。
   
*日本よりはるかに安い地価で、安い労働力で、数十倍・数百倍
    の広さの農場や牧場で生産される農産物や畜産物が大量に輸
    入されるようになった。関税(輸入のさいにかける税金)もなくす。
   
*世界的な食料危機の時代に、国民の命を外国にあずけるという
    こと。食料主権がない。世界の栄養不足人口は
8億人以上といわ
    れている。そんな中で、日本が食料を外国から買いあさるという
    問題も。穀物の世界市場流通量のうち、小麦は6%、とうもろこ
    しは25%、大豆は15%、日本が買っている。世界人口の2%に
    すぎない日本がこれだけの食料を買い集めている。

  
◇輸入食品の「安全性」問題
   
*生産現場が遠く離れていてまったく見えない
   
*遠距離輸送にともなう「品質保持」のための薬品使用。検査
    基準も緩和。
   
*検査体制の不十分さ(人的体制の不足)。輸入食料品の
    9割はフリーパス状態。

 
3。米を食べなくなったのは、日本人の食文化が変わったからか?
  
◇意図的な「米退治」作戦
   
1950年代。アメリカの余剰小麦を日本に買わせる恒常的な
    仕組みがつくられる。官民あげての、米消費の押さえこみ。
    「米より小麦製品のほうが優れている」という偽りのキャンペ
    ーン。学校給食はパンに。
   
*アメリカの食料戦略。日本をアメリカの食料輸出の一大市場
    に。食のアメリカ化がすすむ。食文化の「激変」は意図的につ
    くられたもの。
  
◇日本人のいのちと文化をアメリカに売り渡した自民党政治

 
4。私たちの選択
  
◇「食事」は「エサ」ではない
   
*食べることは「他の命をいただくこと」という原点
   
*「食」の多面的効用。心身の成長、人間関係の潤滑油、
    家族・地域文化の形成…。
  
◇賢い消費者になる-国内の農産物の需要を高める
   
*外国産より、国産を選ぶ。地産地消の心がけ。
   
*何より、米の消費を。いま輸入している80万トンの米輸入を
    ストップするだけで、自給率は2%あがる。もっと米の消費量
    があがれば、そのぶん小麦粉製品の消費量は下がり、米の
    作付面積も回復し、さらに自給率もあがる。「主食としての米
    の実力」を正しく伝えることが大事(パンを食べるなということ
    ではもちろんない)。
   
*「添加物たっぷり」の食料を買わない
             →売れなければ、そうした商品は少なくなる。

  
◇そのために、時間とお金の「ゆとり」を勝ちとる
    
*賃金の底上げ(国産を選べるゆとり。
    
*労働時間の短縮
     (ゆったり調理時間。家族団らん。食文化の衰退にストップを)

  
◇そして、国や行政の仕事として、本格的な政策転換をさせる
   
*お金と人をつぎ込んで、日本の食糧主権を守る手立てを。
    政治の責任で。
イギリスは4割代まで下がった自給率を7割
    代まで向上させた。ドイツも6割から9割代にまで自給率を
    引き上げている。国の政策として引き上げている。
   
*豊かな自然環境をもつ日本にやれないわけがない。

二。なぜそこまで、異常なアメリカ従属?-その歴史的起点をみる
 
1。戦後7年間(1945~1952)のアメリカによる全面占領
  
◇日本政府のうえにたつ、絶対権力
   
*全国に占領軍が駐留。その圧倒的主体はアメリカ軍。45年末
    までにイギリス軍もあわせると、43万人が配置される。占領軍
    の方針に反する行為は、犯罪者として逮捕された。
   
*言論や通信にたいする検閲も
  
◇占領の本来の目的は日本の民主化だった
   
*反ファシズム連合国の代表として、日本の民主化の任務をもっ
    ていた。
具体的にはポツダム宣言の内容を実行する。軍国主
    義体制の解体、婦人参政権、教育の民主化、財閥解体、政教
    分離、労働組合の結成奨励など。その象徴が日本国憲法の制定。
   
*ところで、ポツダム宣言の12条には、日本の民主化が進み、
    民主主義と平和に責任のもてる政府が樹立されれば、占領軍
    は日本から撤収すること、という規定があった。

 
2。対日政策の変化
  
◇日本国民の運動の高まりと、中国情勢の変化
   
*1947年2月1日にゼネラルストライキを準備。占領軍の命令
    で中止に。
   
*中国共産党が国民党との内戦に勝利。こうした情勢をふまえ、
    占領軍は、日本を「反共の防壁」とし、アジア政策の中心にすえ
    るという方針に転換。
  
◇占領軍による反動化
   
*労働組合への弾圧(公務員のストライキ権はく奪など)や右傾
    化を狙う。
   
*1950年のレッドパージ。共産党へのあからさまな弾圧攻撃。
   
*1950年6月25日の朝鮮戦争開始で、日本に7万5千人の警
    察予備隊を創設。4年後に自衛隊となる。日本国民を押さえつ
    けるために、アメリカがつくった軍隊。警察予備隊は、アメリカ占
    領軍のキャンプに入隊し、アメリカ軍の兵器で武装し、アメリカ軍
    人の指揮で訓練を受ける。旧警察官僚が指導権をにぎる。日本
    軍の軍人が採用される。憲法が「おしつけ」というなら、自衛隊も
    「おしつけ」だった。
   
*48年12月のA級戦犯の釈放に続いて、50年10月から戦争
    犯罪者の「追放解除」にとりかかり、大量の戦犯政治家、大資
    本家を政界、財界に復帰させる。50年10月から講和条約発
    効までに、約20万人の政治家、官僚、大資本家、言論関係の
    公職追放者が復帰することになる。そうした勢力が、戦後日本
    の支配層に復帰したことが、その後の対米従属を深く規定づけ
    ることとなる。

 
3。サンフランシスコ講和条約と安保条約(1951年9月8日)
  
◇アメリカは、日本の国際復帰を急ぐ。
  
◇占領の継続のための仕組み
   
*日本の侵略戦争で被害をあたえた国々をのぞいた講和条約
    を結ばせる。戦後賠償を最小限にすることも意図。
    
<サンフランシスコ講和条約の問題点>
    
①沖縄などを引き続き米軍占領下の軍事基地の島にする
     ことを規定(3条)
    
②日本に外国軍の駐留を認めることができるという特別の
     条項を用意(6条)
   
*そして、講和条約の調印の後、同じ日にアメリカと日本の
    あいだで日米安保条約が調印された。
  
◇この2つの条約をめぐる交渉は、完全な秘密交渉だった。

   *講和条約の文章は2か月前の発表、安保条約は調印後
    に公表(国会にも知らされていなかった)。
  
◇安保条約の内容(ごくおおざっぱに言えば)
   
*アメリカの基地を日本のどこにでも置ける「全土基地方式」
   
1960年改定の現行安保条約は
    
・日米の経済協力をさだめた経済条項
    
・自衛隊の増強義務と米軍との軍事的協同の規定

  
◇戦後のアメリカと日本の実質的な関係が、この時期に形成された。
   
*政府と政府の関係-アメリカが実質的な支配方針を決め、日本
    政府はその代行者。
占領時代の7年間を、表面的な形は変えて
    継続したのが、安保体制だった。
   
*政界も財界も、アメリカの援助で戦後復活をしてきた。
    そういう根深いアメリカ従属が、現在の「異常な対米従
    属国家」を形成してきた。





以上。



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