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2008年3月 7日 (金)

議論沸騰!?

今日は古典講座『空想から科学へ』の3回目。
参加者は3人!
1回目は7人、2回目は5人、今日が3人。
ということは、次回は・・・(笑)

みんなこれない理由はわかっているんですけどね。
しょうがない理由なんで、しょうがないですが。

今日は
「弁証法的唯物論-変革の哲学」ということで、
2章を学びました。
が、あまりまとまりがなかったかなぁと反省。

哲学はやっぱりいろいろ盛り上がって
楽しいですね。かなり議論沸騰しました。


以下、講義の内容。

一。実践・現実把握の武器としての哲学
 
1。『フォイエルバッハにかんするテーゼ』(マルクス、1845年)より
  
◇「新しい世界観の天才的萌芽」
              (エンゲルス『フォイエルバッハ論』まえがき)
   
*若きマルクスのメモ

    
「哲学者たちは、世界をいろいろに解釈してきただけである。
    しかし、大切なことは、それを変えることである」(テーゼ11)

    
「人間の思考が対象的〔客観的〕真理にたっするかどうかと
    いう問題は、なんら観想〔頭のなかで考えるだけ〕の問題では
    なく、実践の問題である」(テーゼ2)

    
「現世的基礎そのものが、まず第一に、それの矛盾において
    理解され、それについでこの矛盾をとり除くことによって、実
    践的に変革されなければならないのである」(テーゼ4)

 
2。『資本論』の基礎には、科学的社会主義の世界観が
  
◇資本主義の法則性とその矛盾を、弁証法を駆使して明らかにする

    
「近代社会の経済的運動法則を暴露することがこの著作の
    最終目的である」

    
「現在の社会は決して固定した結晶ではなくて、変化の可能な、
    そして絶えず変化の過程にある有機体」
                       (『資本論』初版への「序言」)

    
「研究は、素材を詳細にわがものとし、素材のさまざまな発展
    諸形態を分析し、それらの発展諸形態の内的紐帯(ちゅうたい)
    をさぐり出さなければならない。この仕事を仕上げてのちに、
    はじめて、現実の運動をそれにふさわしく叙述することができる」

    
「私は、自分があの偉大な思想家(ヘーゲルのこと-長久)の
    弟子であること公然と認め、また価値理論にかんする章のあち
    こちで、彼に固有な表現様式に媚を呈しさえした」

    
「弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、
    その否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態
    をも運動の流れのなかで、したがってまたその経過的な側面か
    らとらえ、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批
    判的であり革命的である」(『資本論』第2版への「あとがき」)

 
3。私たちの運動と哲学
  
◇ただしい(正確な)方針・判断力を培うには?
   
*頭からではなく、事実から出発し、徹底的に事実を収集する
   
*その事実の「連関と相互作用」、うちにある内的な法則性をつかむ
    
-比較・判断・選択・整理・分析・捨象
   
*得られた結果について、仮説・課題をたて実践。ふたたび事実
    に向かう。

  
◇傍観者的な批評は、科学的社会主義とは無縁

  
◇たえず変化・発展する現実。その現実によりせまろうとする哲学。
   
*対象をリアルにとらえる努力の継続が必要ということ。

    
「私たちは、現代の日本、現代の世界を見るときに、どんな場合
    でも、事実を科学の目で見る努力をつくし、それにもとづいて、合
    理的な解決策をたて、積極的な展望を開く努力をします。そして、
    それが、現実の発展で試され、裏づけられれば、より確信的に
    前進できるし、現実の展開が自分たちの出した結論から違って
    くれば、どこに誤りがあったかをまた研究して、現実によりせまる
    方向で認識と方針を前進させる努力をする―科学的社会主義の
    党であるためには、どんな場合でも、こういう態度が求められる
    と思います。…科学的社会主義の党と名乗りさえすれば、いつも
    科学的な答えが出せるというのだったら、だれも苦労はいりませ
    ん。また、科学的社会主義とは、そんな便利な、というか、怠け
    者に都合のよいものではないんですね」
          (不破哲三『世紀の転換点に立って』新日本出版社)

   
*世界や日本の現状だけでなく、私たちのいる地域や職場、
    学校、そして、自分たちの組織や運動、また自分自身のこと
    についても、「事実にもとづき、科学的に考える」ことを、科学
    的社会主義は要求している。そして、そのための、たしかな
    「ものさし」として、哲学が必要だということ。

二。弁証法的唯物論-変革の哲学
 
1。世界を生きいきととらえる弁証法

    
「われわれが自然あるいは人間の歴史あるいはわれわれの
    精神活動を考察すると、まずわれわれの前にあらわれるのは、
    連関と相互作用が無限にからみ合った姿であり、この無限の
    からみ合いのなかでは、どんなものも、もとのままのもの、もと
    のままのところ、もとのままの状態にとどまっているものはなく、
    すべてのものは運動し、変化し、生成し、消滅している」
                                (テキスト2章)

  
◇「今までこうだったから…、こうだろう」はアブナイ
   
*自分や他人の過去の経験を、時、所、条件からきりはなして
    固定化し、その尺度ですべてをはかろうとする(ラクだから)。
    しかし、現実はすでに変化している。

  
◇古代ギリシャの哲学者たちの弁証法-自然をあるがままにとらえる
   
*「素朴な、しかし事柄の本質上正しい世界観」

    
「しかしこの見解は、たとえ現象の全体の姿の全般的な性格を
    非常に正しくとらえているにしても、この全体の姿を構成してい
    る個々の事物を説明するには十分でない。そしてわれわれが
    これらの個々の事物を知らないかぎり、全体の姿もわれわれ
    にとってあきらかではないのである」(テキスト2章)

   
*たとえば、「日本の侵略戦争で2000万のアジアの人の命が
    奪われた」という認識について。これは正しいが、「2000万の
    命」の個々の姿について、私たちが知る努力をしなければ、問
    題の本質にせまれない、ことも事実。

   
*つまり、森をみているが、木はみれていない。個々の木をみな
    いかぎり、その森の立体的・本質的な姿はみえてこない。ぼやっ
    とした理解。

    
「これらの個々の事物を知るためには、われわれは、それらを
    自然的または歴史的連関からとりだし、それぞれ独立に、その
    性状、その特殊な原因と結果などにしたがって、それらを研究
    しなければならない。このことは、なによりもまず自然科学と歴
    史研究の任務である」(同上)

 
2。形而上学的な唯物論の歴史的必然性
  
◇細部に分け入る

    
「自然をその個々の部分に分解すること、種々の自然過
    程と自然対象を一定の部類に分けること、生物体の内部
    をその多様な解剖学的形態にしたがって研究することは、
    最近400年間に自然を認識するうえでおこなわれた巨大
    な進歩の根本条件であった」(テキスト2章)

  
◇木をみて、森をみず、の危険に

    
「しかし、それは同時に自然物や自然過程を個々ばらばら
    にして、大きな全体的連関の外でとらえる習慣、したがって、
    それらを運動しているものとしてでなく、静止しているものと
    して、本質的に変化するものとしてでなく、固定不変のもの
    として、生きているものとしてでなく、死んだものとしてとらえ
    る習慣を残した。…この見方が自然科学から哲学へうつさ
    れたことによって、それは最近数世紀に特有な偏狭さ、す
    なわち形而上学的な考え方をつくりだした」(同上)
    
「形而上学者にとっては、一つの物は存在するか、存在しな
    いかである。一つの物がそれ自身であると同時に他のもの
    であることはできない。肯定と否定は絶対的に排除しあうし、
    同様に原因と結果は硬直した相互対立をなしている」(同上)

   
*あれでなければ、これ。○か×か。白か黒か。
   
*医学の進歩も、個々の身体部位の研究蓄積の成果だが、
    トータルで患者をつかむ見方の後退。「連関と相互作用の
    無限にからみ合った姿」が1人の人間。社会も同じ。
   
*「学問の全体像をつかむ」(池内了、『民青新聞』06.5.22付より)

 
3。弁証法と唯物論の統一
  
◇ドイツ哲学の登場-ヘーゲル弁証法

    
「ヘーゲルの体系においてはじめて-そしてそのことが
    
この体系の大きな功績であるが-自然的、歴史的、およ
    
び精神的世界全体が一つの過程として、すなわち、不断
    
に運動し、変化し、改造され、発展しているものとして
とら
    えられ、叙述され、そして、この運動と発展のうち
にある
    内的な連関を指摘する試みがなされた」(テキスト2章)

  
◇ヘーゲルの限界をのりこえ、科学的世界観の確立
   
*唯物論と弁証法の統一
   
*ものごとをありのままに見れば、弁証法的に動いている。
    また、ものごとの変化・発展をとらえようとおもえば、対象
    の事実をつかむ唯物論的観点が必要。

  
◇真理の相対性について

三。史的唯物論を確立-マルクスの偉大な功績
 
1。弁証法的唯物論を、社会を分析する武器とした
                         -過去だけでなく・現代も
  
◇階級闘争の歴史を、その経済諸関係から説明する

    
「人間の存在をその意識から説明するのではなくて、人間の
    意識をその存在から説明する道が見いだされたのである」
                                (テキスト2章)

  
◇資本主義社会の法則性と矛盾の暴露、新しい社会の必然性

    
「資本主義的生産様式について、一方では、その歴史的連
    関と一定の歴史的時期にとってのその必然性とをあきらか
    にし、したがってまたその没落の必然性をあきらかにするこ
    とであり、他方では、なおつねにかくされたままであったその
    内的性格をも暴露することであった。このことは剰余価値を
    あばき出すことによっておこなわれた」(同上)

 
2。二つの偉大な発見-史的唯物論と剰余価値学説
  
◇科学となった社会主義

    
「いまやなによりもまず問題なのは、この科学のあらゆる細目
    と連関をさらに仕上げることである」(テキスト2章)


以上。


感想文。

「難しいけど・・・やってわかっていけば、おもしろ
いんだろうなぁ~と思う。発展し変化していると
わかっているけど・・・羅針盤にできてるかなぁ~。
みんなであーでもない、こーでもないって言い合っ
ているのがおもしろかった」

「人数は少なかったけど…今日の講義は特に面
白い! 来れなかった人、残念です。『哲学』は
抽象的な学問であるから難しい」



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