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2008年3月12日 (水)

「かんけーねーとは言えない」

きのう(11日)は、
倉敷医療生協労組・みんなの学校
3回目がありました。

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 参加は8名でした。なかなか
 増えないのが残念ですが、
 この労働組合の青年たちの
 学ぶ姿勢はほんとうにすばらしい。
 いつも気持ちよく学習会ができます。


きのうは、
「日本の戦争と戦後責任~そんなのかんけーねー?!」
という内容で、約1時間講義。
そのあと感想交流をしました。

「こういう事実を知ったら、『私はその時代の人間じゃないから、
そんなのかんけーねー』とは言えない」という感想も出され、
また学校教育やメディアでほとんどこうした問題について知る
機会がないこと、私たちが学んで、広げていくきっかけをつくる必要がある、
というような意見も出され、中身の濃い学習会になっています。


だいたい今までも話してきた、
内容が多かったのですが、
一応、以下、レジュメをご紹介します。
(資料は割愛)


一。日本の侵略戦争の実態

 1。日本はアジアで何をしたのか-侵略戦争の実態
  
◇第2次世界世界大戦(1939~1945)は、世界で5000万人
   以上の死者。その多く
は武器をもたない一般市民。
  
◇「1931.9.18」「1937.7.7」「1941.12.8」「1945.8.15」
  
◇アジアでは、日本の侵略戦争によって2000万人以上が
   犠牲に。日本は、戦争を引
き起こした側。日本人も、310
   万人の命が失われた。
  
◇一人ひとり、名前をもち、家族もあり、夢や希望を抱きなが
   ら生活していた人たちの
「命」「人生」が奪われる。
  
◇アジアの人びとの痛み、苦しみ、思いに対する想像力を。
   侵略した側は忘れても、侵
略された側は忘れない。
  
◇兵士は潔く、美しく死んだのか
   
*兵士の命は「鴻毛より軽し」(軍人勅諭)-消耗品として

    
「ひとりにはひとつの命、というのは実感だもんねえ。海軍
    に入って、夜はハンモックをつるして寝るんですが、当時の
    軍隊では人間よりハンモックのほうが大事だった。練兵場
    の一番はずれにハンモック用の防空壕があって、空襲警
    報が鳴るとまずハンモックをたたんでそこへ持って行き、ハ
    ンモックの安全を確保しなければならない。一番安いものは
    人間だということになっていて、『おまえらの代わりは1銭5
    厘(はがきの値段)でいくらでもくる。ハンモックがいくらする
    かわかるか』と何度いわれたことでしょうか。もうめちゃくちゃ
    だったねえ。僕らは員数として扱われた。員数のひとつだと
    思い知らされた。けれども数じゃない。ひとつひとつが大事
    な命だぞ、と。それは、本当の、僕の心の底からの叫びだもの」
       (島本慈子『戦争で死ぬ、ということ』岩波新書より、
                 
城山三郎さんのインタビュー部分を引用)

  
◇日本軍の兵士のうち、半数以上は、飢えなどが原因による
   広義の餓死者だった。

 
2。日本国憲法の2つの「決意」と、「平和的生存権」宣言



二。「戦後」は、まだ始まったばかり
 
1。冷戦構造の崩壊で表面化した戦後責任問題
  
◇冷戦時代は被害者個人個人が、責任追及に名乗り出ることは
   困難だった
   
*たとえば、韓国ではじめて元「慰安婦」として名乗り出てきた
    金学順(キム・ハクスン)さんのカム・アウトは、韓国社会の民
    主化と女性の権利の高まりなしにはありえなかったといわれている。
   
*戦後半世紀、冷戦構造が保護膜、バリアーとなって、日本は
    侵略戦争と植民地支配の被害者に直接告発されることなくすんで
    いたということ。
    
・韓国は朝鮮戦争、反共軍事政権
    
・中国は内戦
    
・東南アジアは疲弊、ベトナム戦争
    
・アメリカは反共の砦として日本を育てるために、戦後賠償を
     最小限にさせる

  
◇90年代以降に噴出してきた、アジアからの、謝罪・賠償を求める声
   
*「戦争を知らない世代」の人は、こうした声に当惑したり、反発を
    覚える人も出てくるのはある意味普通の感覚。
    
・「なんで今ごろになって」「何べん謝ればいいんだ」「そんな昔の
     ことを言われても、自分には関係ない」「自分の身に覚えのないこと」
    
1995年の高市早苗議員の「自分は戦争当事者とはいえない世代
     だから、反省しろと言われても反省できない。反省するいわれも
     ない」という発言も、まったく理由のないところからでたものでは
     ないといえる。

 
2。応答可能性(responsibilityレスポンシビリティ)としての責任
  
◇すべての人間関係の基礎には、言葉による呼びかけと応答の
   関係がある
   
*「呼びかけを聞いたら、応答する」というのは、最低限の信頼
    関係の基礎
   
*相手からの呼びかけを無視することは自由であり、犯罪でも
    ないけれど、当然、それによってなんらかの結果(信頼関係が
    傷つくなど)が生じる。
   
*他者の呼びかけに応答することは、プラスイメージで、人間関
    係を新たに作り出す、あるいは維持する、あるいは作り直す行
    為、他者との基本的な信頼関係を確認する行為であると考えられる。

 
3。「日本人としての」戦後責任
  
◇応答可能性としての戦後責任
   
*アジアの人びとの呼びかけ(謝罪や賠償の要求)に、日本政府
    は「応答」しているだろうか。(呼びかけられているのは、日本人
    個人ではなく、日本政府)
   
*「呼びかけ」をされているということは、「関係をつくりなおしたい」
    という意志が「まだ」あるから。救いはそこにある。私たちは、どう
    応答するのか。

  
◇日本政府をつくっているのは誰か-「私はカンケイナイ」と言えるか

   *「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて
    行動」(憲法前文)
   
*私たち一人ひとりに、応答可能性としての戦後責任が課せられている

  
◇自国の戦犯を自分たちで裁いてきたドイツ
   
*ドイツでは、ニュンベルク裁判、そして占領各国による継続裁判
    が終わってからも、ナチ犯罪を自ら追及し続け、90年代にいたる
    までに、10万件をこえる容疑を捜査し、
6000件をこえる有罪判決
    を下してきている。
   
*日本は、どちらもゼロ。日本人自身が行った裁きとしてはゼロ。
   
*ヴァイツゼッカー演説


さいごに:こういう演説を首相が行うような日本政府をつくるのは

      私たちの責任




以上。



「さいごに」の部分は、
当時西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の、
『荒れ野の40年』という有名な演説(1985年)の
一部分の日本版を私が創作したものです。

以前、元世界史教諭のT方先生の
講義にヒントを得て、
私なりにつくったものです。

こんな感じです(以下)。


 「8月15日は心に刻むための日であります。心に刻む
というのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、こ
れを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのた
めには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされ
ます。
 
われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかでたおれたす
べての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 
ことに日本の十五年にわたる侵略、南京大虐殺や三光作
戦、強制労働で命を奪われた一千万の中国の人びとを思い
浮かべます。
 
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずく朝鮮・東南アジ
アの無数の死者を思い浮かべます。
 
日本人としては、兵士としてたおれた同胞、そして故郷の
空襲で、沖縄の地上戦で、広島と長崎で、命を失った同胞を
哀しみのうちに思い浮かべます。
 
日本軍の性奴隷として傷つき命を奪われたアジアの女性
たち、人体実験として虐殺された捕虜、宗教もしくは政治上
の信念ゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 
銃殺された人びとを思い浮かべます。
 
長い間日本の植民地とされ、自由と主権を奪われた朝鮮や
台湾の人びとのことを思い浮かべます。
 
日本に占領されたすべての国で、抵抗し、犠牲となった人び
とに思いをはせます。
 
日本人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰に
もとづいての日本の反戦運動をおこなった人びと、労働者や
労働組合の反戦運動、共産主義者の反戦運動、これらの反
戦運動の犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 
積極的に反戦運動に加わることはなかったものの、良心を
まげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます」
                             
(以下同じ)

・・・てな感じです。
こんな演説をする日本の首相をつくるのは、
私たちの戦後責任です、ということで。
ちなみに、「福田さんには無理です。首相になる前は、
毎年のように靖国神社へ参拝していた人ですから」
と落ちがつきます。



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