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2008年3月31日 (月)

運営委員会研修会

きのう(30日)は、75期岡山労働学校の
運営委員会研修会
をおこないました。

ほんとうは合宿にしたかったのですが、
やはり難しく、1日のみとなりました。

会場は、倉敷芸文館の和室。
午前中のみ借りて、840円という格安料金でした。

Img_1710
 ふだんとは違う場所で学ぶことで、
 集中力が増すのです。
 和室はなごむネェ。


内容
は、「学習運動と労働学校の役割と魅力」
ということで、1時間少々話をして、
その後感想交流をしました。

岡山県学習協の歴史と物語(1963年~現在)、
学習運動とはそもそもどんな運動か、
そのなかにおける労働学校の位置づけ、
労働学校運動の魅力と運営委員会の役割、
運営委員に求められる資質とは、

てな感じの内容でした。

ベテランの運営委員も、
初心者マークの運営委員も、
学習運動と労働学校のそもそも論を
きっちり確認することで、運動の目的や
自分たちの役割を自覚することができます。
感想交流を聞いていて、それを改めて感じました。

もっとひんぱんに、
そして対象も広げて、
こうした学習会をやって
いければと思います。


終了後は、倉敷で昼食をとりながら、
感想交流の続き。
「なぜ労働学校に来たのか」「運営委員になぜなったのか」
「労働学校の魅力や存在価値は」という質問が初運営委員から
なげかけられ、それぞれ思い出しながら、交流をしました。

やはり、初顔が入ると刺激と
緊張感が生まれてよいですなぁ。

4月の2つの企画と、
5月開校の労働学校の募集を成功させるために、
団結してガンバロー!rock




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山口県学習協総会へ

土曜日(29日)は、
山口県学習協総会の学習会に。

Img_1708

 13時、
 会場の山口県労連会館へ。
 3階建ての立派な建物であった。
 看板もかなり目立つ。

 岡山にもこういう
 会館があればなぁ。









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 総会の様子。
 F江会長の元気なあいさつで
 始まり、I田事務局長の報告。
 勤通大の取り組みや、
 倉敷集会への参加も
 呼びかけられる。
 山口の倉敷集会への
 参加目標は40名!

総会後、14時10分から学習会に。
参加は約30名でした。
県労連会館が会場ということもあり、
そうそうたる幹部のみなさんも参加されて
いたようであります。ヒョエ~。

約90分間、
「私たちの働き方と労働法制をめぐる情勢」
というテーマで話をしました。
明らかな勉強不足の分野でありますが、
なんとかなったような気もします。
講義の前半部分は
せっかくなので学習協らしい話にしてみました。

終了後、いくつか感想や質問をいただき、
16時すぎには終了。

I田事務局長(山口高教組の専従の方でもあります)と
周南市職労のK田さん(書記の方です)と一緒に
新山口駅までいき、居酒屋へ突入。

17時に始まり、21時少し前まで、
4時間もいたんですね~。
学習会の感想や、山口県の労働運動の状況、
I田さんが4月からプロ専従になる話など、
とーってもおもしろいお話ができました。
ありがとうございました。が、少々飲みすぎました(笑)。

帰りの新幹線ではほぼ寝てました。
この日も自宅へ帰ったのは23時頃でありました。


では、講義の概要を以下。




一。働くことの意味と人間らしさ
 
1。私たちの暮らしは、無数の人びとの労働によって支えられている
  
◇人間社会を成り立たせている、絶対条件
  
◇自由の拡大-分業の発達。1つひとつのモノや技術には、
            歴史が凝縮されている。
  
◇働くことの社会性-人の役に立つ
   
・他人に必要とされる(期待される)こと
                  -自分は自分でよい、という喜び
  
◇自分の能力の開花-よろこびや生きがいにも
    
「人間は、この運動によって、自分の外部の自然に働きかけ
    て、それを変化させることに
より、同時に自分自身の自然を
    変化させる。彼は、自分自身の自然のうちに眠っている潜勢
    諸力を発展させ、その諸力の働きを自分自身の統御に服させる」
                     
(マルクス『資本論』第1部第5章)

 
2。労働そのものが、人間をつくりだした
  
◇手の使用と発達
   
・脳に刺激
   
・手と心-人間らしい感性
  
◇言葉は集団労働から
   
・考える力(理性)の獲得
  
◇道具の発達-世代をこえて
   
・未来性の獲得

 
3。働き方のありようは、社会のありように規定される
                      -資本主義社会における働き方
  
◇生産者が、生産手段から切り離される(労働者の増大)
   
・土地や建物、機械や原材料を持たない
                 (生産をするすべをもたない)
   
・生産手段のもとに、労働力を持っていく
               →資本主義以前に通勤ラッシュはなかった
   
・自分の労働力を「商品」として時間決めで売る。「明日もあさって
    も、来月も、心身ともに元気な労働力をもってこれるだけの生活
    費をおくれ」が賃金の本質。労働力の再生産費。労働の結果と
    は関係なし。現象のなかにある本質をつかむのは科学の力。

  
◇「商品を売ること」を資本家に強制する社会-「命がけの飛躍」
   
・商品生産が社会の主要な生産様式となった社会が資本主義社会
   
・市場で、「売れる」ことが、再生産への大前提
   
・市場では、他の資本家との競争がまちうけている
                          -商品の、「命がけの飛躍」
   
・競争に勝つ(生き残る)ためには、他の資本家よりより多くの
    利潤を獲得する必要
   
・自分の会社の労働者には、少ない賃金で、より長い時間働いても
    らわなければ、競争に負けてしまう、という強制法則が働く社会。
    利潤獲得へのあくなき追求。

 
4。働くルールと基本的人権の発展
  
◇産業革命当時の労働者の状態
   
*長時間労働、日雇いの低賃金、首切り自由、児童労働、労災
    本人責任、粗末で不衛生な住宅環境・・・。
   
*労働者のたたかいの発展-ストライキの発明、労働組合の結成へ
   
*「国法の奪取」-労働者が団結し、資本の横暴への社会的防止
    手段をかちとる
    
・国家が、雇用関係において、法律をつくり規制することの意義
     について 
(すべて『資本論』第8章「労働日」より引用)

     
「住民の健康は国民的資本のきわめて重要な要素であるにも
     かかわらず、遺憾ながらわれわれは、資本家たちがこの宝を
     保存し大切にする用意がまったくないことを認めざるをえない。
     ・・・労働者の健康への顧慮が工場主たちに強制された」
                        
(『タイムズ』 1861年11月5日)

     
「『他の資本家たちとの競争』は、自分たちが児童の労働時間
     を『自発的に』制限することなど許さない。それゆえ、いくらわ
     れわれが上記の弊害を嘆いたところで、工場主たちのあいだ
     でなんらかの種類の協定によってそれを阻止することは不可
     能であろう。・・・これらすべての点を考慮した結果、われわれ
     は強制法が必要であると確信するにいたった」
             (英『児童労働委員会 第1次報告書』
1863年)

     
これらは、140年以上も前のものだが、今の日本にナントあて
     はまることか! 
さらに、重要な指摘が。

     
「10時間労働法は、それが適用された産業諸部門において、
     『労働者たちを完全な退化から救い、彼らの肉体的状態を保
     護』した。・・・労働者自身に属する時間と彼の事業主に属する
     時間がついにはっきり区別されたことは、さらにいっそう大き
     な利益である。いまや労働者は、彼が販売する時間がいつ始
     まるかを知っている。そして、彼はこのことをまえもって正確に
     しっているのであるから、自分自身の時間を自分自身のため
     に予定することができる。・・・それら(工場法)は、彼ら〔労働
     者たち〕を自分自身の時間の主人にすることによって、彼らが
     いつかは政治権力を掌握するにいたることを可能にする精神
     的エネルギーを彼らに与えた」
               
(英 『工場監督官報告書』 1859年10月31日)

  
◇基本的人権をたたかいのなかで前進させてきた
   
*日本国憲法に、その到達点がある



二。日本の労働法制をめぐる異常と働く人びとの現状
 
1。資本の本質は昔から変わっていない
  
◇ザ・アール・奥谷社長のインタビュー全文を紹介
                          (風間直樹『雇用融解』より)
   
*労働政策審議会労働条件分科会委員の彼女が、何を語ったか

 
2。労働法制をめぐる動き(別紙関連年表)

 
3。労働ビックバンによって、爆発(爆破)したのは、労働者の生活と
  健康、そして尊厳
  
◇非正規労働者の増大-「働いても、まともな生活ができない」という
   働く貧困層

  ◇公共サービス分野でも、大量の「非正規労働者」への置き換えが
   進んでいる
  
ILO本部雇用総局リポート(2007年11月31日)
   *「低賃金・低保障の非正規雇用拡大は短期的に日本に競争優位
    をもたらすが、明らかに長期的に持続可能ではない。国内消費の
    低迷は国内総生産の伸びを抑制する上に、非正規雇用では経済
    成長の源泉となる人的資本の形成がなされにくい」と警告。
   
*リポートは非正規雇用は技能形成の機会に恵まれず、低賃金を
    固定化して正社員との
所得格差を拡大する弊害を指摘。配偶率
    低下による少子化も深刻。三十歳代前半(男性)の「有配偶率」は
    正社員の59・2%に対して非正規社員は30・3%、パート・アルバ
    イトでは18・6%。
  
◇はてしない残業と長時間労働-労働時間の規制緩和と成果主義

 
4。ワーク・ライフ・バランス論の虚実
  
◇ワーク・ライフ・バランス(WLB)とは
  
◇財界のネライは労働者雇用の完全自由化に



三。未来はたたかいのなかに-働くルール確立のために
 
1。たたかいが生み出している、情勢の前向きな変化
  
◇「労働組合」という武器を手にいれ、反撃を開始した若者たち
   
*首都圏青年ユニオン。各地に1人でも加盟できる青年ユニオン
    やローカルユニオン。
   
*キャノン、松下プラズマ、光洋シーリングテクノ、偽装請負大企
    業の内部からの闘い。
   
*立ち上がる青年たち。昨年5月20日の青年雇用大集会に3300人。
    ネットカフェ調査が厚生労働省を動かす。今年は10月5日に大集会。
  
◇派遣法の改正へ野党を中心にした動き
   
*派遣法改正への法案提出の動き。直接雇用を大原則とし、日雇
    いでなく常用型を基本とすること、正社員との均等待遇、適正な賃
    金や社会保険の加入など公正な労働条件の確保などが課題。
   
*共産党の志位委員長の派遣問題での国会質問がネットで広がる。
    動画へ12万件をこえるアクセス。半数ぐらいは青年層といわれて
    いる。
   
*大企業での変化。キャノン製造現場、12,000人の派遣を見直しへ。
    いすゞ自動車も。
  
◇派遣問題を突破口に、たたかいをさらに前進させよう。
   
*本当のワーク・ライフ・バランスの社会を
   
*労働基準法の抜本的改正
   
*労働行政の機能強化

 
2。権利の自覚と普及-働くルールの確立のために
  
◇権利の認識をひろげる-日本の労働運動の大きな課題
   
*実際に権利が侵害されていても、気づかないで終わるケースも多い。
   
*街頭などで一般の人と話をすると、どの職場でも、大なり小なりの
    労基法などの違反が存在する。いまや労働基準法は「最低の基
    準」ではなく、実質は「めざす目標」となっている。
   
*労働法の常識が自然に身につくことはない。権利にかんする知識
    を意識的に普及しなければならない。世界の非常識が、日本の常
    識であることに、慣れてはいけない。

     
「人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーが
     いかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとに
     も慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそ
     れはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこま
     でも可能だ、と答えるだろう」
           (
V・E・フランクル『夜と霧 新版』みすず書房、2002年)

  
◇もっとも立場の弱い労働者との連帯
   
*非正規、未組織、外国人労働者・・・
   
*権利侵害をされていても、身分の不安定さから、立ち上がること
    の困難性をもっている
   
*その職場や、その地域で、もっとも弱い立場にある労働者の権利
    を、どこまで本気になって考えるかが、大きなカギになる。底上げ。
   
*そうした人びとの労働環境と生活の向上(つまり貧困をなくし、格差・
    差別の是正をする)なしに、まともな働き方が「常識」になることはない。

 
3。知を力に-学習・教育活動を活動のど真ん中に
  
◇情勢や、労働法・基本的人権をめぐる学習
  
◇学ぶ活動は「自分や組織への投資」
   
*すぐには効果がでない。したがって、目的意識性と継続性が必要。
    自分や組織は、職場や
地域でどんな役割を果たすのか。めあて。
    戦略。
   
*自分や職場、活動の現状を分析する力。語る力、書く力、説得の
    力。魅力アップ。
   
*『学習の友』の購読を、勤労者通信大学の受講を。本を買って読む。
  
◇全国学習交流集会in倉敷(11月22~24日)にぜひ参加を。
   
*とことん学び、とことん交流。
   
*サイエンスとアート。理性での共感とともに、感性での共感。正くて
    あたたかい、正しくて魅力的な活動を。


さいごに:「あきらめない」たたかいこそが、歴史をつむぎ、
      未来をきりひらいてきた


以上。




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東京の桜はなぜ早い

金曜日(29日)は、労働者教育協会の
全国連絡会議の運営委員会で東京へ。

10時33分に東京駅に着き、
急いで全労連会館へ。
11時の会議に間に合った。
やればできるもんだ。

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 東京の桜は
 すでに7~8分咲き。

 春ですナ~。










会議では、『学習の友』や
勤労者通信大学の募集、
秋の全国集会のことを主に議論しました。

なかなか厳しい状況でありますが、
新しい変化も出てきております。
ふんばらねば。

宮城県学習協のS木さんから、
頼んでおいた服部文男さんの
随想録&追悼集をいただく(お金は払いましたョ)。
大きな収穫であった。

会議終了後はいつもの居酒屋へ。
ダイエット中の私は油モノには
ほとんど手をださず、キビシイ自己規制を
働かせたのでありました。

自宅に帰ったのは22時40分頃。
たまには東京見物したいなぁ。




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2008年3月27日 (木)

チュニジアの11日間(16)

1月4日、チュニジア9日目。
7時に起床し、スープとパン、ヨーグルトの朝食。
ありがたい。

で、この日は、Nさんのチュニジアでの
職場である、養護学校の学内見学の日。
ふだんの仕事風景をみさせてもらう。

Nさんの自宅から徒歩5分で学校に到着。
8時半ちょっと前だった。

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 学校もやはり
 チュニジアカラーで
 ございますな。








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 朝礼らしき行事で
 何人かの先生方に
 あいさつをした後、
 Nさんの職場、
 リハビリルームへ。

 リハビリ用具などが
 置かれていた。




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 朝の書き物を
 てぎわよく書いている
 Nさん。

 日によって、
 誰のリハビリか、
 メニューは、
 など考える。





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 学校内をウロウロ。

 白が基調の、
 とてもキレイな
 学校でした。








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 こんな
 室内広場(?)も。

 日光が入るのが
 よいねー。





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 学校のほとんどの
 教室を見学させて
 もらう。
 いろんな教育
 メニューが
 あるんだなぁ。

 コーランを覚える
 教科もあった。


子どもたちは、私たちのことが珍しいので、
キョロキョロ見たり、恥ずかしがったり。
反応がおもしろい。

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 ふたたび
 リハビリルームに
 戻る。

 男の子の
 リハビリ中。
 地道な作業だが、
 これがスゴイ力を
 もっているのだ。


そうこうしていると、
「入院明けの子どもの見舞いに行こう」という話が。

11時から、10人ぐらいの子どもたちと、
先生方数名と私たちで、ある男子生徒の自宅に
お見舞いにいくことに。

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 ぞろぞろと歩く。
 子どもたちは
 とても楽しそうだ。

 わいわい。








Img_1086
 途中、地元の
 スーパーに寄る。

 なんで寄ったのかは
 忘れました。

 品揃えは抱負ですが、
 野菜とか、新鮮なものは
 少なかったような・・・。



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 男の子の自宅に到着!
 みんなで部屋の中で
 くつろぐ。

 チュニジアの
 一般家庭の家に
 行くことができたのは、
 貴重なことだった。



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 ティーとお菓子を
 いただいて
 しまいました。

 チュニジアの家庭の
 ティーセットは
 どこもなかなか
 すばらしいものでした。



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 お見舞いが終わり。
 外に。

 男の子の自宅前で。






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 帰りもゾロゾロと
 帰る。

 道路横断はもちろん、
 車の間を
 走り抜ける!

 これが基本です。



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 ふたたび学校に。

 今度は別の
 生徒さんの
 手作業でのリハビリ。
 糸を編む。





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 右は、近くの高校に
 通う学生さんが、
 ボランティアで
 手伝い(?)に。
 
 けっこう開放的な
 学校で、いろんな
 人がくるみたい。
 友人Tと日本語教室。


楽しい時間はまたたく間にすぎ、
生徒さんと記念写真をとったり、
校長先生とも写真をとり、
14時すぎには下校。
だいたいこの時間にはみな帰るそうです。
早い! すばらしい!

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 昼食をこの
 お店でGET。

 さわやかな
 青年店員さんが
 サンドイッチ風
 ピザパンを
 つくってくれた。



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 じゃーん!
 これだ。

 べりーぐっど。
 Nさん宅で
 いただきました。





Img_1128
 しばらく家で
 ゆっくりして、
 15時半ぐらいに
 ふたたび外へ。

 歩いて10分ほどで
 砂浜に。もち地中海。
 夏はここで思う存分
 泳げるのだとか。
 うらやましい。

その後、コルバの市街を歩いて見てまわる。
お店や市場、スーパーなどなど。
いちいち見るものが新鮮でおもしろい。

で、この日の夜は、
Nさん勤務の養護学校の校長先生の
ご自宅におよばれし、夕食をいただくことに!

その前に、学校長のお兄さんやお母さんが
いるお宅に訪問した。
ここは、Nさんがチュニジアに来たときに、
自分の住まいが見つかるまで
ホームステイした家で、みなさん大歓迎で
むかえてくれました。

Img_1143
  左から2人目が
 校長先生の
 お母さん。

 すごい包容力の
 ありそうな女性
 でした。
 ここでもティーと
 お菓子を
 いただきました。

そして!いよいよ校長先生(名前はラミアさん)の自宅に。
ダンナさんのムハンマド、そして二人の子どもさんの4人家族。

Img_1153
 おぉぉぉ!!
 チュニジア料理って
 感じの
 ごちそうメニュー
 でありました。

 パンをちぎって、
 各皿にある料理に
 つけて一緒に食べる。
 おいしぃー。


Img_1156
 ムハンマドと。
 このダンナさんは、
 すばらしく気遣いの
 できる人でありました。
 食べ方のご指導(笑) 
 から、「もっと食べろ
 食べろ」と次々と
 勧めてくれ、さらに
 果物の皮までむいて 
 食べさせてくれました。

一般的に、チュニジアの男性は、
「家事はいっさいしない」という人が多いらしいのですが、
このムハンマドは、チュニジア男性では
かなーり珍しいタイプですね。驚きました。
知的な感じのする校長先生とお似合い夫婦だなーと。

あんまりムハンマドが「もっともっと」と勧めるので、
私もガツガツを食べてしまい、かなり満腹に。
ごちそうさまでした。

Img_1161


 子どもたちも
 とーっても、
 カワイかったです。

 ステキな家族で
 ありました。




こんな感じで、
この日はコルバで、比較的ゆったりした
時間を過ごしました。

普段の人びとの生活風景も少し味わえて、
チュニジアのまた違う顔を知りました。

いよいよ、旅も、
残すところ2日間、となりました。





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2008年3月26日 (水)

原爆を語りきることの難しさ

きのう(25日)は、倉敷医療生協労組の
みんなの学校
の4回目がありました。
参加は3名と残念ながらこれまで最少。
しかし! 1年目の薬剤師さんが始めて参加
してくれるなど、いいこともありましたcatface

Img_1706
 写真もちっちゃくしてみました(笑)
 3人ではやはりさびしいですね…。

講義は、「1人ひとりに起きたこと-原爆の実相を伝える力」
でした。
これまでも、原爆の講義は何回かしたことが
ありましたが、きのうの講義を準備するに
あたって、あらたにいろいろと学習をし、それを反映させました。

が、原爆のことを短時間に語りつくす、
などということは到底できないことでありまして、
大幅にポイントをしぼっての講義となり、
取り上げられない問題も多く残りました。

また、医療従事者のみなさんへの話なので、
広島の爆心地となった島外科病院の話や、
「1人ひとりに死はあったのか?」などの話もしてみました。

放射能の問題についてもイマイチ理解が
正確でないので、もっと勉強しようと思っています。


では、以下、講義のレジュメです(やはり長い)。

はじめに:原爆の実相を「つかみきる」ことはとても難しい。
   
①瞬時に都市と人間を壊滅させた「瞬間性」
   
②戦闘員と非戦闘員、老若男女、国籍も区別なく殺傷
    した「無差別性」
   
③すべての生物と、生物の生きてゆく環境に対する徹底的
    な破壊「根絶性」
   
④被害が人間の身体だけでなく、精神・生活にもわたる「全面性」
   
⑤被害の影響が長く続き、場合によっては世代をこえて
    影響する「持続性」


一。1人ひとりの人間の上に、原爆が落ちてきた
 
1。原爆
爆はなぜ投下されたか
  
◇第二次世界大戦後の世界情勢をにらんで-対ソ連を意識して
   
*原爆投下する都市の基準は、①日本人の徹底抗戦の意志を
    くじくことができるような場所、②軍事的性格をもち、かつ空襲
    の被害が少ない都市、③原爆の威力を正確に判定できるだけ
    の広さのある場所、とされた。
   
*当初は18の都市が研究対象とされ、投下目標の第1に京都、
    第2に広島、第3に小倉、第4に新潟とされた。その後、京都と
    新潟がはずされ、長崎が加わった。
   
*8月9日は、当初、小倉へ投下予定だったが、天候不良のた
    め、長崎に変更された。
   
*広島へはウラン型原爆「リトルボーイ」、長崎へはプルトニウム
    型原爆「ファットマン」。

  
◇なぜ、広島と長崎か
   
*広島は、西日本の軍事戦略の中心都市、侵略戦争の拠点だった
   
*軍艦や魚雷の製造都市だった長崎

  
◇どういう人たちの上に落とされたか
   
*広島・長崎の被害地図(資料①)-街の中心部をねらって
   
*3分の2は、子ども・女性・お年寄りという、まったくの非戦闘員
   
*広島の爆心地付近、街の様子(資料②、③)

 
2。死の放射線-爆発前
  
◇100万分の1秒-原爆が炸裂する前
   
*猛烈な核分裂反応により、原子爆弾をつきぬけて、爆心地一帯
    に、中性子の矢がささった。中性子は、あらゆる物質を通り抜け、
    地上に達し、あらゆるものを突き刺した。また、中性子は、空気
    や水、土などあらゆる物質の原子核にぶつかり、核反応を引き
    起こし、新たな放射線(ガンマ線)を生み出す。(資料④上)

     
「爆心地にいた人々は、100万分の1秒に発せられる最初の
     中性子から、それを避けることなく浴びました。そこにいた人は、
     いわゆる爆風とか熱戦とか閃光がなかったとしても、全員が亡
     くなっていたであろうと推定されるわけです。誰1人避けることは
     できなかったのです」 
(『原爆投下・10秒の衝撃』NHK出版より、
     広島電機大学葉佐井博士の話)

  
◇『朽ちていった命-被曝治療83日間の記録』
                        (新潮文庫)から(資料④下)

  
◇「放射能が一生、追いかけてくる」-原爆の悪魔性
   
*「あの日」で終わりではなく、「あの日」が出発点

 
3。火球の出現-閃光と熱線、衝撃波

    
「一瞬、目も眩むような閃光、あっと思った瞬間、思わず左
    後方上空を見た私の目に、黄色とも、橙色ともいえない火の
    玉を見た。左の顔面に熱い!と手をやったとき、暖かい風に
    吹きあげられ、身体が浮き上がって、右前方に走るようにの
    けぞり倒れた。その距離は5、6メートルはあるだろう。そこま
    では覚えていた」
     
(高野眞さん、当時27歳-爆心地から南東へ2キロ、比治山)

  
◇広島原爆の「火球」-3秒間の巨大なエネルギー放出(資料⑤)
   
*100万分の1秒までに、爆弾内部の温度は250万度。原爆が
    炸裂、火球出現。
   
*100万分の15秒、温度は40万度。太陽の70倍近い高温。
    火球の直径は20メートル。
   
*0.2秒後、火球は直径310メートルに膨張。最も大きく、明る
    く見える瞬間。この時間から、2秒までの間に熱線の90%が放
    出される。大量のガンマ線が放出され、空気と反応して紫色に
    見える。
   
*熱線は地上に突き刺さり、瞬時にあらゆるものを焼いた(溶か
    した)。爆心地に近い人ほど、この熱線による火傷の被害が甚
    大だった。爆心直下の場合、その温度は1千数百度~2千度
    以上になったと予想される。広島の場合、爆心地から
2,300mま
    で「閃光やけど」の被害が出た。

  
◇衝撃波による建物の破壊
   
*火球によって、まわりの空気が加熱され、急速に膨張。膨張
    するとき、まわりの空気が一気に押し出される。このとき生ま
    れるのが衝撃波。
   
*火球直下の猿楽町と原爆ドームはどうなったか(資料⑥)。
    たった3秒のあいだに。

 
4。衝撃波の広がり
  
◇3秒から10秒のあいだに、広島市街は破壊された
   
*衝撃波は、音速以上の速さで、中心部から広がった。爆発の
    3秒後に1.5キロ、7.2秒後に3キロ、10.1秒後に4キロの
    地点に到達したと予測される。(ふたたび資料①)
   
*河村弘康さんの体験(爆心地より2キロ、資料⑦)

  
◇長崎原爆の爆発エネルギーは、広島原爆の2倍近くあった

 
5。爆心地の人たちの「死」について
  
◇そこに、「1人ひとりの死」はあったのだろうか?

    
「ジェノサイド(大量殺戮のこと-長久)のおそろしさは、一時に
    大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、
    ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ。
    …人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければなら
    ないものなのだ」 (石原吉郎『望郷と海』ちくま学芸文庫)

  
◇爆心地から500mのところに家があった当時18歳の女性の手記

    
「両親のことが気にかかり、3日目、やっと市内に入ることが
    できました。私の家は広島大手町三丁目、爆心地から
0.5キロ
    ぐらいの所です。途中まだ道路のアスファルトはやわらかく、
    ゴムぐつや下駄でははまり込みそうで思うように歩けないので、
    会社でワラぞうりをもらってまいりました。途中はもう右も左も
    やけどした人、亡くなっている人、どこが顔か、口かまったくわ
    からなく、まっくろにやけただれた人、・・・とにかく道路はしかば
    ねの山でした。
     
何人の人々の死体を踏んだことか、心の中で(すみません、
    ごめんなさい)手を合わせながら、両親を探すのに精一杯だっ
    たのです。
     
・・・川という川にはまっかにやけただれた、ふうせんのように
    ふくれ上がった人間のしがいがいっぱい浮び上がっていました。
     
・・・私の両親を、5日目やっとみつけることができました。もう
    人間の炭になってどうすることもできませんでした。2人とも首は
    なく、手、足らしい形はありました。あおむけに片足を立てたよ
    うな形で、台所らしい場所で死んでいました。父親は庭の防空
    壕の土の中で死んでいました。
     
とにかく書きたいことは山ほどありますが、思い出すとくやしさ、
    腹立たしさが増してまいります。私は、毎年くる8月6日、思い出
    したくありません」
    
(『あの日・・・ヒロシマ・ナガサキ死と生の証言より』、
                           新日本出版社、
1995年)

  
◇広島での建物疎開(空襲に備えての道路拡張)学童の悲劇
   
*作業中に被爆、殺された学徒は約6000人。
    
爆心地付近(現在の平和公園一帯)では、9校、約2,000名が
    全滅。戦争推進のため
の「総動員」の悲劇でもある。
   
*いったいどんな「死」だったのか。
遺族の苦しみ。

     
「新大橋(爆心から約600m-長久)のあたりに行くと、全身
     火傷で水を求めうごめいている中学生、女学生。倒れたま
     ま、『おじさん、水をちょうだい』とあちこちから呼びかける声。
     だれがだれやら、親兄弟が見ても見分けがつかないだろう。
     真っ黒に焼けた唇は、ぷうと大きくふくれあがり、顔が腫れ、
     目がつぶれ、わずかに開いているばかり。あたりにはシャベ
     ル、鍬、バケツ、救急袋、弁当箱などが散乱していた。何百
     という無数の死体だった。橋の上、橋の下にもごろごろと人
     が転がっている。巨大な瀬川倉庫は倒壊していて紅蓮(ぐれ
     ん-猛火の炎のたとえ)の炎があがっていた」
            (6日夕方。小川春蔵さん<当時33歳>の証言)

  
◇「人間」と「人間らしい死」を、原爆は否定した
                     -医療従事者として考えてほしこと
   *
「あの日」亡くなった人で、家族に看取られながら死ぬことがで
    きた人は、わずか4%。
   
*遺族は、肉親の最期のときをさまざまに想像して苦しみ続けている。
   
*長崎の爆心地から北方700メートルにある山里小学校の
    防空壕の中で被爆した少年の回想。「運動場のいちめんに、
    人間がまいてあるみたいだった。運動場の土がみえぬくらい
    倒れていた。たいていは死んでしまって、動かなかった」。
   
*広島の詩人峠三吉は、愛らしい女学生の死を「にんげんか
    ら遠いものにされはててしまって」とうたい(資料⑧)、「にんげ
    んをかえせ」と叫んだ。

 
6。火事嵐と黒い雨
  
◇爆発後20分すぎると、強風にあおられて、広島市内は火の
   海に(火事嵐)
   
*中心部は熱による上昇気流。
  
◇30分後には黒い雨が(放射性含有物をふくむ)

 
7。広島の爆心直下、島外科病院の「あの日」
  
◇いつも患者でいっぱいだった
   
1933年に開設。400坪の敷地に、レンガ
造り二階建て、中庭
    を抱えてコの字形に
約50の病室があった。低料金で評判も
    
よく、いつも患者でいっぱいだった。
   *
8月6日、院長の島薫さんは、世羅郡甲山
町の知人の病院に
    出張手術に来ていて、偶
然にも助かる。「広島が全滅」の連
    絡をうけ、同行の看護婦とともに夜、広島市内に入る。島さん
    が病院の姿を目のあたりにするのは、7日午後のこと。「あん
    なに堅固であると思っていた私の病院が紙のように破壊しつ
    くされた」(遺稿集)。
   
80人余りの職員、患者はほぼ全員が即死。島さんは廃墟の
    なかからわずかに使えそうな救急資材を手に、被災者の救
    護活動に夜を徹して取り組む。多くの負傷者が訪れた。みん
    な裸身だった。疲れ果て、負傷者の間に身を横たえ、眠る間
    もなく耳に入ったのは、助けを求める少女の声だった。川を
    隔てた方角から聞える悲痛な叫びに眠りを中断されながら、
    島さんが目覚めたのは8日午前5時頃。手当ての甲斐なく、
    負傷者の多くは亡くなった。島さんは「数週間前には呉が、
    そして今度は私の町広島が!私の眼には涙が一杯たまっ
    た。『戦争とはこんなものか』と自問した」と回想している。
   
*廃墟の中から、病院が再建されるのは、被爆から3年後の
    こと。爆心地とされた中庭には「記念になるものを」と紅い
    バラをはわせた4本のやぐらが建てられた。平和のバラ」に
    託した島さんの思いはどういうものだったのか。島さんが残
    した言葉・・・「私の新病院は平和と貧しき者、窮乏したる者を
    世話することにささげられているのである」(遺稿集)。
    
(以上は、『社史が語る 原爆・ヒロシマ』新日本出版社、2003年より)

  
◇医療従事者も、医学も、原爆の威力と放射能のまえには、
   無力だった
   
*そのときの「悔しさ」は、どれほどのものだったろうか
   
*戦争や核兵器とたたかうことは、医療従事者の使命(資料⑨)

二。被爆者の「心の傷」を追って
 
1。こうの史代『夕凪の街 桜の国』(双葉社)から
  
◇生きのびてしまった罪の意識

   
ぜんたいこの街の人は不自然だ 誰もあのことを言わない
   
いまだにわけがわからないのだ
   
わかっているのは「死ねばいい」と 誰かに思われたということ
   
思われたのに生き延びているということ
   
そしていちばん怖いのは あれ以来
   
本当にそう思われても仕方のない
   
人間に自分がなってしまったことに
   
自分で時々気づいてしまうことだ   (P15~16)


   
そっちではない
   
お前の住む世界は そっちではないと 誰かが言っている
   
8月6日
   
水を下さい 助けてください
   
何人見殺しにしたかわからない
   
堀の下の級友に今助けを
   
呼んでくると言ってそれきり戻れなかった
   
救護所には別の生物のように
   まん丸く膨れた集団が黙って座っていた
   
そのひとりが母だった
   
(略)
   
死体を平気でまたいで歩くようになっていた
   
時々踏んづけて灼けた皮膚がむけて滑った
   
地面が熱かった 靴底が溶けてへばりついた
   
わたしは 腐ってないおばさんを冷静に選んで
   
下駄を盗んで履く人間になっていた
   
(略)
   
あれから十年
   
しあわせだと思うたび
   
美しいと思うたび
   
愛しかった都市のすべてを思い出し
   
すべて失った日に引きずり戻される
   
お前の住む世界は ここではないと
   
誰かの声がする          (P23~25)

 
2。被爆者の「心の傷」
  
◇被爆者の記憶の障害-見ているのに、見ていない
   
*「あの日」の記憶の欠損

     
「見ても見えないという現象は、いきなり襲った『恐怖・驚
     愕』、想像することさえできなかった事態の出現(一瞬に
     して消えたまち、大量の異形の死体)に対する自我防衛
     反応と考えられる。それは本能にのみしたがった逃避行
     動であり、視角入力の拒否である。これらを通常のごとく
     入力していたのでは、身がもたないからである。このメカ
     ニズムはほかの『不意打ち・大災害』でもおこっている」
     
(『ヒバクシャの心の傷を追って』中澤正夫、岩波書店、2007年)

  
◇「見捨て体験」と「見ても感じない(感情麻痺)」-自責感、自己査定
   
*証言から(資料⑩~⑫)

     
「自責感をともなう鮮明な記憶は、いくら経っても封印され
     ることはなく、逆に強化される。それは相対化されることを拒
      むきわめて『個人的なもの』となり、その結果、さらに被爆者
     を苦しめ続けるという悪循環におちいっていく」(前掲書)

     
「軽傷で余力のある人が大量の死体を見、運び、名前も確
     認せず焼き、うめる。非日常的な光景である。日常的な弔い
     につきものの、情感の高まりをもっていては作業できない。
     死者に個人を感じない、人間を感じない、『麻痺状態』でなく
     てはできない。その意味で、感情麻痺も本能的に作動した
     自我防衛機制といえる。喜怒哀楽を感じるメカニズムにバ
     リアを張ってしまったのである。それでもあとになって『モノの
     ように扱ったこと』『何にも感じなかったこと』は、人間として
     許されないと、被爆者の心に深い傷として刻印されていくの
     である」 (前掲書)

  
◇いまなお続く、引き戻らされ体験
   
*ちょっとしたキッカケで、「あの日」の状況が、恐怖と自律神経
    症状をともなって脳裏に再現してしまう。フラッシュバック。
   
*場所、音、光、臭い。
   
*病気になること-「いつ配達されてくるかわからぬ死を待つ人」
   
*「体験を語る」ことは、強烈な「引き戻らされ」のキッカケとなる。

  
◇サイレント・マジョリティ
   
*広島にて被爆した元軍医、肥田舜太郎氏によると、いつでも
    求められれば自分の被爆体験を語れる人は、数千人のレベル
    であろうという。これは、被爆者の5%ほど。
   
*いまも自分が「被爆者である」ことを語れないは、40~50%とい
    われている。
   
*原爆と自分を対峙させることにより、反原爆の思想を育ててい
    く人も多い。それらの人が被爆者運動を引っ張り、核兵器廃絶
    のたたかいに立ち向かっている。しかし、そこまで踏み切ること
    がどんなに困難なことかを、私たちは忘れてはならない。
   
*サイレント・マジョリティ、いまも原爆のことを語れない人たちの
    中にこそ、「心の被害」の本質がある。

  
◇被爆者には今、「ここまで生き残ったことの意味」を問う意識が
   生まれているという

さいごに:今日の話は「実相」のごくごく一部。ふれられなかった
      ことが大部分。

      
被爆後の生活苦の問題。原爆孤児、原爆孤老。偏見と差別
      の問題。原爆小頭症。外国人被爆者。内部被曝の問題。被
      爆者支援の国のあり方。原爆症認定訴訟。現在の核兵器を
      めぐる問題・・・。これからも学び続けてほしい。

さいごの最後に-被爆者のたたかいが、私たちに教えてくれるもの

     
人間を、人間性を否定するものにたいしての怒り
     
核兵器廃絶、平和の活動を通じて、人間をとりもどしてきたこと
     
復しゅうではなく、人と人が信頼しあうこと
     
原爆を落とすのも人間であり、なくすのも人間ということ


以上。


参加者の感想。


「今日初めて知ることも多かった。戦争、原爆の
ヒサンさというものは今まで色々と聞いてきました
が、被爆者で生き残った方々たちの『心の傷』と
いう問題も大きいなと感じました」

「原爆の恐ろしさ、というと、熱や爆風、放射能の
ような、身体的な被害を一番に思い浮かべますが、
生き残った人たちに重くのしかかる罪悪感や、記
憶障害、PTSDなどの精神的な被害についても、
私たちは知っていかなければならない、と感じました」



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2008年3月25日 (火)

職場を壊すGABCD

もう10日ほど前になると思うけれど、
岡山高教組の先生から、
「これをぜひブログで紹介して」と、
高教組のニュースをいただいた。


「すごくよくがんばってて、
B以上だけどBです

「あなたは
転勤してきたばかりだからB

「あなたは副主任だからB」

Cの人もいるがあなたはB。安心しなさい

・・・教職員評価システムが導入されて2年目。
職場で教職員集団のチームワークをみだす
事態が実際に起きているという。
しかもこの「評価」は記事を読むかぎり、
かなりテキトーである。

ランクは、上からG、A、B、C、D。
まだ賃金にはリンクしていないが、
他県ではすでに賃金に反映されている
ところもあるという(高知や山口など)。

教育はコミュニケーション労働であり、
また、教師“集団”の力を必要とする
営みであるのに、それを破壊する制度が
導入されているのだ。


「職場を壊すGABCD」という記事によると・・・

・席決めでくじ引き。アルファベットの書かれた紙きれを
 見て
「おっ、Gじゃ!」と口にすると、周りがギョッとした
 顔に。口には出さないがみんな気にしているのか。
・実は
Aだったけど、とても正直には言えない。苦労して
 いる先生を見ると、「スミマセン」という感じ。


もうひとつ、記事を紹介。

◆まるで「ほめ殺し」・・・怒るベテラン、意気消沈する若い先生

 「秋の中間面談で『モチベーションが下がった』という
 声が多かったせいか、今回は管理職(校長)がとにか
 くほめる。手のひらを返したようで逆に信用できない」
 という職場も。また同じ職場から、ベテランの先生に
 対して「
若いうちは成長するが、あなたくらいになると
 教科指導力は高止まりする。だから評価はB
」と述べ
 た校長の言葉が報告され、「それではまるで『ほめ殺し
 だ』という怒りの声があがりました。

 一方で、若い先生についてこんなケースが紹介されま
 した。
 
 「自己目標シート」の「自己評価」の欄をすべてAで提出
 したところ、「すべてAの人はめずらしい。2、3人しかい
 ないのだが」と校長。しかし実際は、その先生を含め周
 りの先生は全員「すべてA」で出していた。一番若く、反
 論できない人に皮肉な言葉を投げている。その先生は
 ショックを受けて、黙り込んでしまった。



いま、学校現場の矛盾は、外から見ている
私たちの想像をこえることになっているのだろう。
たった一文字のアルファベットで、教職員の
仕事を評価する。こんなアホな評価制度をして、
いったい誰が喜ぶのか?
ネライはやはり賃金リンクなのか?

岡山高教組では、「教職員評価の賃金リンク反対」の
上申をもとめるオレンジ色の署名にとりくんでいる。
オレンジの嵐をsign03」がスローガンになっているそうだ。

教育は国民全体の課題。
ぜひ関心と応援を、よろしくお願いします。


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2008年3月24日 (月)

名ばかり管理職

NHK。
ニュース(とくに朝)はさっぱりダメだけど、
ドキュメンタリーやNHKスペシャルは
がんばっている(と思う)。

3月31日に、「名ばかり管理職(仮)」という
番組が放映されるそうだ。

さいきん、『ワーキングプア』の
チーフプロデューサーが京都で講演し、
「NHK始まって以来の反響で、上層部の圧力も
きかない。働くことは人間の尊厳の問題、それ
ぞれの立場で声をあげよう」と語ったとか。

NHK内でたたかっている人たちを、
私たちがどんどん応援しよう!


てなことで、この番組もチェックです。
HPはこちら→ http://www.nhk.or.jp/special/onair/080331.html


「名ばかり管理職(仮)」
3月31日(月) 22:00~22:49 NHk総合



番組内容は、以下。

 十分な権限や裁量もないのに管理職として扱われ、
残業手当も支給されないまま過酷な長時間労働を強
いられる“名ばかり管理職”。
 
入社9か月で管理職にされ24時間営業のコンビニ
店を任された20代の男性は、人手不足のなか
4日で
80時間の長時間労働
を迫られた。背景には、出店や
価格をめぐる激しい競争の中、正社員の数は最小限
にとどめその人件費も抑えたいという企業の思惑があ
るとされる。
 
法律が定める管理職の条件は「経営者と一体的な
立場」「労働時間を管理されない」「ふさわしい待遇」の
3つ。
マクドナルドの店長は管理職かどうかが争われ
た裁判で、東京地裁は「店長は3条件を満たす管理職
にはあたらない」と判断
。同じように店長を管理職とし
てきたチェーンストア業界に衝撃が走った。労基署に
よる摘発も相次いでいる。一方で3条件や判決に違和
感を持つ企業は少なくない。現実の社会では管理職の
概念はより広く解釈され、社員の「誇り」や「やりがい」
にもつながってきたからだ。
 悲鳴を上げる“名ばかり管理職”の実態に迫るととも
に、摘発を受けてとまどう企業にも密着。全国の管理
職に対するアンケートも通じて、“名ばかり管理職”の
問題を多角的に検証する。




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2008年3月23日 (日)

ウフフ…とかヤヤヤ…とか

最近読み終えた本。

近ごろの忙しさは異常である。
本がなかなか読めないとストレスがたまるのだ。
ウオォォォー(発狂)。


『労働組合の視点』(槙野理啓、学習の友社、2008年)

60ページというコンパクトな分量のわりに、
中身はゴージャス! わかりやすい!

普及せねば、普及。
友社なんだから、仕事だゾ。


『労働ビックバン-これ以上、使い捨てにされていいのか』
             (牧野富夫編著、新日本出版社、2007年)


週末の学習会の材料づくりに読んだ本。
レジュメつくらんと、レジュメ。
ウオォォォー(ふたたび発狂)。


『諸行有情-精神科医のつぶやき』(中沢正夫、新日本出版社、1994年)

さいきんすっかりお気に入りの中沢先生の本。
ピッタリくるのは、私と性格が似ているからかも。
いいかげんなところが(笑)。

中沢さんの文章表現力は、すごく勉強になる。
とくに、カタカナの使い方がうまい。
さっそく、ちょこちょこ真似てしている。

この本についての著者の説明・・・。

「ちょっと拾ったいい話や、5~6人しか知らない
面白い話、ひとり悦にいっている主張、平凡だが
生きていてよかったナという話を書き綴った本も
あってよいと思った、―というわけなので、
ウフフ…
とかヤヤヤ…とか、あほ!とかつぶやきながら笑っ
て読んで
、読み終わったらすばやくテレビのスイッ
チをいれ、浦和レッズはしょうがないな、何とかな
らないか・・・などと叫んでください」

とのこと。

ほんとうにこのとおり、気軽に読める。
いつも寝る前に少しずつ読んでいたのだけれど、
たまに「ふふっ」とか笑ったりしながら読んで
たので、相方に白い目でみられましたよ(笑)。

もちろん、ヘーとか、ホーとか、
勉強になる話もたくさん。

さて、次の中沢本、どれを読もうかしら。
ネパールかな。


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2008年3月21日 (金)

3章難しい~(涙)

晩、古典講座『空想から科学へ』
4回目がありました。

「資本主義の発展と矛盾」ということで、
テキストの3章を、3分の2程度やりました。

参加は5名と、ちょっともちなおしました。

が、講義内容はボロボロでした!
ここは一番たいへんだろうなーと
思っていたのですが、やっぱり消化しきれて
いなく、説明の不正確さや不十分さが露呈
していたように思います。

参加者のみんなで討論して解決! という
ところも。みなさんに助けられながら講義してます。

もっと正確に古典を読み込まないと
いけないですねー(涙)。


以下、恥ずかしいけど、講義内容をご紹介。

ほとんど、『月刊学習』不破解説にそって、
レジュメをつくってみました。

はじめに:エンゲルスとマルクスの「資本主義の根本矛盾」に
      ついての定式(表現)の違い

一。史的唯物論を出発点に
 
1。生産関係が社会の基礎

   
「生産が、そして生産のつぎにはその生産物の交換が、
   すべての社会制度の基礎」

 
2。資本主義社会のなかに、矛盾解決の手段(力)が

   
「あばき出された弊害を取り除くための手段もまた、変化した
   生産関係のそのもののなかに―多かれ少なかれ発展して―
   存在しているにちがいないということを意味する。この手段は、
   けっして頭のなかで考案すべきものではなくて、頭をつかって
   現存の生産の物資的事実のなかに発見すべきものである」
                               (テキスト3章)

   
「大工業はいっそう全面的に形成されてくるにつれて、資本
   主義的生産様式がそれを閉じこめている束縛と衝突するよ
   うになる」(同上)

二。「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」という定式
 
1。生産が、個人的生産から、社会的生産へ
  
◇資本主義以前
   
*生産手段にたいする労働者の私的所有を基礎とする小経営
   
*労働手段(土地・農具・仕事場・手工具)は、個人の
    労働手段であり、個人的使用だけを目あてにし、した
    がって、小型なものだった。だからこそ個人所有だった。
   
*その生産手段を集積・拡大し、生産力を飛躍的に増大
    させたことは、資本家階級の歴史的役割だった。

  
◇生産そのものを、社会的行為に変えた

    
「いまでは工場から出てくる紡糸や織物や金属製品は、
    多数の労働者の共同の生産物であり、それらが完成す
    るまでには、かれらの手をつぎつぎに通らなければなら
    なかった。かれらのうちのだれ一人として、それはわた
    しがつくったものだ、それはわたしの生産物だ、というこ
    とはできなかったのである」(同上)

 
2。分業の発達について
  
◇社会内部の分業(無計画的)
   
*社会全体の必要な労働を、それぞれが手分けして行うこと
   
*しかし、それは個々の生産者がバラバラに行っている
    もので、社会全体からみれば無計画的に生産が行われる。
   
*分業が広く行われるようになると、生活に必要な生産物の
    ほとんどは「商品」という形で、他人の労働生産物を「買う」
    という形態が支配的となる。
  
◇個々の工場のなかにも、「計画的な分業」がもちこまれた
   
*計画的な分業は、自然成長的な分業よりも強力であった。
    生産物を安く生産。
   
*社会的生産は古い生産様式全体を変革した
   
*しかし、

     「社会的生産そのものは、商品生産の新しい形態として
     発生したので、商品生産の取得形態は、ひきつづき社会
     的生産にとっても完全に効力をもっていた」(同上)
     
「社会的な生産手段と生産物は、これまでどおり個人の
     生産手段と生産物であるかのように扱われた」

 
3。「衝突」-エンゲルスの資本主義の根本矛盾の定式
  
◇「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」
   
*生産手段と生産物は、本質的に社会的になっている。つま
    り、労働者みんなで生産手段を使い、労働者みんなによって
    生産過程での分業が行われている。
   
*しかし、
     
「このような生産手段と生産は、各人が自分の生産物を所有
     し、それを市場にもちだすというような、個々人の私的生産を
     前提とする取得形態のもとにおかれる」
     
「生産様式はこの前提を廃棄しているにもかかわらず、それ
     はこのような取得形態のもとにおかれる」
   
*すべての衝突の萌芽
     
「この矛盾のなかに、現代のすべての衝突がすでに萌芽とし
     てふくまれているのである」
     
「社会的生産と資本主義的取得とが両立できないこともいっそ
     うはっきりとあかるみに出てこないわけにはいかなかった」

三。この矛盾の二つの現象形態
 
1。資本家と労働者の対立
  
◇賃労働の形態は、最初はかぎられていた
  
◇資本主義の発展により、それが生産全体の原則になり、
   基本形態となった。
   
*「封建制度の崩壊、封建領主の家臣団の解体、自分の
    家屋敷からの農民の追い出しなどによって」、労働者は
    巨大な数に増加した。
   
*階級的な分離の完了、そして対立

     
「一方では資本家の手に集積された生産手段と、他方では
     自分の労働力以外にはなにも持ち物がないようにされた生
     産者とのあいだの分離が完了した。社会的生産と資本主義
     的取得との矛盾が、プロレタリアートとブルジョアジーの対立
     として、あかるみに出てきた」(同上)

 
2。経済体制に混乱をひきこむ
  
◇社会的生産の無政府状態(社会的コントロール・規制がない
   状態のこと)という指摘

     
「各人は、めいめいに、たまたま自分がもちあわせている生
     産手段をもって、自分の特殊な交換の欲求のために生産す
     る。だれにも、自分の品物と同じ種類のものがどれだけ市場
     に出てくるか、そのうちいったいどれだけが使用されるかわか
     らないし、まただれにも、かれの個人的生産物が実際の需要
     を見いだすかどうか、自分のかけた費用を回収できるかどうか、
     わからないのである。そこにあるのは社会的生産の無政府状
     態である」

   
*マルクスは、つくった商品が、市場で「買い手」をみつける
    までの過程を「命がけの飛躍」と名づけた。
   
*商品生産のこの法則性は、個々の生産者にたいして「競争の
    強制的法則として作用する」。「生産物が生産者を支配する」(テ
    キスト)。つくったモノが「おれの買い手をしっかりみつけないと、
    あんたは没落するぞ」と脅迫する。
   
*資本主義以前の社会では、この法則は「ねむっていた」

  
◇生産の無政府状態は、個々の生産施設の社会的生産の組織化を
   推進する

  
◇競争の法則が無慈悲に貫徹する
   
*「古い平穏な固定状態」から、「労働の分野は戦場になった」
    「敗者は排除される」状態へ。
   
*そして、
    
「社会的生産と資本主義的取得との矛盾は、いまや個々の工場
    における生産の組織化と社会全体における生産の無政府状態と
    してあらわれる」

四。富の蓄積と貧困・抑圧の蓄積
  
◇フーリエが発見した「悪循環」-貧困は、過剰や豊富そのものから
    生まれる
  
◇労働者の増大とともに、さまざまな形態での抑圧の進行
   
*機械とその改良による労働者の駆逐
   
*いつでも利用できる「産業予備軍」(失業者のこと)の形成
   *
「産業予備軍」の圧迫のもとでの、現役労働者の過重労働と労賃
    の低賃金への押さえ込み
   
*労働者の生産物である機械が、労働者を奴隷化する道具へ転化
    させられる
   
*労働力の容赦ない浪費

     
「こうして、ある人びとの過重労働は他の人びとの失業の前提
     となり、新しい消費者を求めて全地球上を追いまわす大工業は、
     国内では大衆の消費を飢餓的な最低限度に制限し、それによっ
     て自分の国内市場をほりくずす、というふうになるのである」(同上)

     
「一方の極での富の蓄積は、同時に反対の極での、すなわち
     自分の生産物を資本として生産する階級の側での、貧困、労
     働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的堕落の蓄積なのである」
                              (『資本論』新書版④)

五。恐慌の周期的爆発が“生産力を資本から解放せよ”と迫る
 
1。巨大な膨張欲求と、それを消費する市場との矛盾
  
◇個々の資本家は、生産拡大への「強制命令」を受ける
                           ―無政府状態が推進力
  
◇しかし、市場には、それに応えるだけの購買力がない
   
*「市場の膨張は、生産の膨張と歩調を合わせることができない」
   
*衝突は避けられないし、資本主義的生産関係そのものが変わら
    ないかぎり、衝突はくり返される。周期的な恐慌として爆発する。

 
2。恐慌の意味
  
◇「生産様式は、交換様式にたいして反逆する」
  
◇資本主義には、巨大な生産力を管理する力がない

     
「一方では、資本主義的生産様式には、これ以上これらの生
     産力を管理する能力がないことが確認される。他方では、こ
     れらの生産力そのものは、ますます力づよく、この矛盾の廃棄、
     資本というその性質からの解放、社会的生産力としてのその
     性格のじっさいの承認をせまるのである」(テキスト3章)

六。生産力“反逆”の時代の資本主義
 
1。生産力を社会的なものとして扱う諸形態
  
◇“反逆”をしずめようとする形態
   
*「株式会社」ー生産の組織化が拡大
   
*「トラスト」―独占資本主義に転化させる原動力に
   
*「国有化」ー国家が生産の管理にのりだす。現代では国家の
    経済への介入が大規模かつ多面的に導入され、国家独占資
    本主義の体制へ。

 
2。この諸形態の発展的な意義
  
◇「ブルジョアジーがなくてもよい」ということ
  
◇資本関係は極端化する
   
*国家でさえ、資本家の代表者として、国民を搾取する
  
◇衝突解決の「形式上の手段、その手がかり」

七。マルクスがとらえた根本矛盾との定式の違いをみる
 
1。資本主義的生産様式の根本に、剰余価値の問題
  
◇剰余価値の問題を、矛盾の根本にすえる
   
*生産のための生産、利潤第一主義

     
「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。とい
     うのは、資本とその自己増殖とが、生産の出発点および終結
     点として、生産の動機および目的として、現われる、ということ
     である。生産はただ資本のための生産であって、その逆に、
     生産諸手段は生産者たちの社会のために生活過程をたえず
     拡大形成してゆく手段なのではない、ということである」(『資本論』)

 
2。資本家と労働者の対立の位置づけについて
  
◇矛盾の主要な内容をさす問題でって、二次的なものではない

 
3。恐慌の発現する矛盾のとらえ方
  
◇マルクスは「剰余価値の追求」「労働者階級の購買力をせまい
    限界内におしとどめる」
  
◇エンゲルスは、究極には「生産の無政府状態」


次回(4/4)は、資本主義をのりこえる社会への展望と、
それを補強する意味で、マルクスの「未来社会論」を学びます


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4時間後だ!いそげ!

今日(21日)、古典講座『空想から科学へ』の
4回目の講義「資本主義の発展とその矛盾」の
準備を朝からしていました(遅いんでないのbearing)。

この部分は、資本主義の根本矛盾のとらえ方の問題で
マルクスとエンゲルスの違いが指摘されているところ。
どう講義していいものか、ちょっと悩んでいたし、
中途半端になること間違いなしだった。

で、その「違い」についての解説が載っている
だろう『月刊学習』4月号の不破論文を読めたら
いいな~と思っていたけど、
たぶん手元にくるのが間に合わないと思っていた。
(発売が24日になってたから)

しかし! 
さっき(14時すぎ)、雑誌が届いたではないですか!
ああ、天はわれに味方したのであります。

さっそく読んでみると、かなりスッキリflair
ありがとう、不破さん!
そして、新岡山書籍のI木さん、ありがとうございます!
今日の講義でバッチリ生きてきます。

しかし、講義開始まであと4時間。
ラストスパートです!
ブログを書いている場合ではない(笑)





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2008年3月19日 (水)

チュニジアの11日間(15)

1月3日(チュニジア8日目)の後半です。

聖都ケロアンのメディナ(旧市街)の
なかを見学です。30分ほどしか時間が
なかったので、あんまりみれませんでしたが。

Img_0980




 ここでも
 チュニジアンブルー。

 よい。












Img_0985


 うさぎ!

 売られて
 ゆーくーよー(涙)。
 





Img_0989


 ケロアンは
 カーペットが
 産業のひとつ。

 ところせましと
 カーペットが。





Img_0991
 白いドアが
 独特のセンスを
 かもしだしている。

 商店街は
 やはり活気があった。

 私は結局この旅では
 買い物はあまりしなかったの
 だけれど、一緒に行った
 友人Tは、積極的に
 買い物にチャレンジしていて、
 もうこの頃には値引き交渉も
 上手になっていた。





Img_0992 でんでん太鼓
 らしきものが。

 不破さんも本で
 「なぜでんでん
 太鼓がここに」と
 18番の謎解きを
 していたっけ。
 この謎、
 解けたのかなぁ。



Img_0993

 これはたしか
 メディナを区切る
 壁、だったと思う。

 いい天気である。







Img_0998
 こんなステキなホテルで
 昼食をとったのであります。

 ヨーロッパ人もたくさん
 いました。たぶん
 ドイツかフランス。
 この旅では、ヨーロッパの
 人をたくさんホテルの食事の
 ときに見かけ、じっくりと
 バイキングでどんな料理を
 とっているかチャックしましたが、
 やっぱり肉とかタンパク質系を
 てんこ盛りにお皿にのっけてる
 人が多かったですねー。
 だからあの体格ですわ。はい。




Img_1000

 わたしくのお皿。
 野菜をたんまりとります。

 




Img_1013
 ケロアンを13時
 すぎに出発。

 北へ北へと
 車は走りました。

 北部はやはり
 南部とは景色が違う。
 緑が増えます。



Img_1017
 2時間ほど移動し、
 着いたところは、
 ここ。

 ザグーアンの
 水道橋という
 遺跡です。





Img_1020
 なんとこれも
 ローマ遺跡です。

 数十キロ先の
 水源から、
 街へ水を供給する
 水道橋だったとか。
 びみょーに傾斜が
 あるそうです。




Img_1023

 近づくとこの大きさ。
 
 ローマ人の“水”への
 こだわりは相当なもの。
 そして、紀元前に
 これだけのものを
 つくっちゃう建築技術。
 おおおおそるべし。

 なんか人や家畜もこの
 水道橋を歩いたそうです。
 高くてこわいけどな。
 ボロボロになりながらも、
 延々と続いていました。




Img_1025

 わおー。

 これは
 美しい、と
 表現できますな。






Img_1033


 水道橋をみたあと、
 コルバのNさん宅へ
 向かう。

 Nさんとは2日ぶり
 である。



コルバのNさん宅に16時半頃到着。
ここで、3日間旅をご一緒していただいた
G夫妻とお別れとなる(G夫妻はチュニスにお住まい)。

G夫妻のおかげて、もちろん言葉の面でも
助かったのだけれど、そのお人柄は本当に
すばらしく、いつも楽しい夫婦(めおと)漫才を聞かせて
いただいたし、教養も広く、いろんなことを
教えていただきました。ありがとうございました。
出会いに感謝、ですね。

Img_1039 Nさん宅での夕食。
 たまご野菜丼!
 みそ汁!

 チュニジア料理や
 ホテル食事が
 多かったので、
 これはめちゃ
 嬉しかった。
 おいしかった。


この3日間の出来事やエピソードを
楽しく報告する。
チュニジア話に花がさく。

そして、この日の夜は、
Nさん宅の大家さん(隣にいる)の家に
よばれることに! ドキドキ。

Img_1040
 大家さんちの
 客間(?)
 いや、リビングか。

 部屋も白いよ~。
 きれいだね~。

 大家さんの
 オクサマがまず
 出迎えてくれた。
 
 平均的チュニジア人
 だった。つまり、
 人なつっこく、
 よくしゃべる。


新婚とのきの夫婦の写真も
見せてくれた。
あう! 美しい。
いまはちょっとポッチャリ(失礼!)

Img_1041
 飲み物とお菓子もいただく。
 そうこうしてると、
 ダンナさん帰宅。
 こちらもすばらしく
 大声と笑顔の似合う
 ダンナさんでありました。

Nさんのことをいつも気にかけてくれ、
面倒見のよい大家さんということが
よくわかりました。
まー、となりにこんな家族がいたら
楽しいでしょう。たしかに。

さて、明日はNさんの職場訪問です。
楽しみでござる。




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2008年3月17日 (月)

第2回現地実行委員会

今日(17日)は、全国学習交流集会in倉敷
第2回現地実行委員会がありました。

Img_1688
 参加者は前回の1.5倍!
 15人でした(前回10人)。

 次回は20人をめざします。



県労おかやまのK藤さん、
岡山医療生協労組のI塚さん、
倉敷医療生協労組青年部事務局長のK本くんが
初参加してくれました!

会議では、
全国学習交流集会とは何かを改めて確認。
全体の概要についてや、中央実行委員会などの議論で
決まっていることについても確認しました。

第1弾チラシも完成し、これからが本番という感じです。
なんと、倉敷集会では、1日目晩、2日目晩の2回、
連ちゃんで青年交流会をしちゃいます!
もちろん企画・運営は岡山の青年がやっていきますよ~。
わくわく。

また、分科会内容や1日目の文化企画、
学生や未組織の労働者にも参加してもらう手立て
などについて、意見が出されました。

そして、今日、現地実行委員会の
実行委員長として、県学習協会長の伊原さんを
選出! 伊原さんから決意のあいさつがありました。
事務局長は私がつとめます。


新しい参加者や、いろいろな意見も出て、
よい会議になったと思います。
私は、もう少しこまかい部分で考えをつめていかないと
いけないと反省するところがありました。


次回は5月19日(月)の予定です。

4月19日(土)には県学習協の総会も
あり、ますます忙しくなるぞぉ~。おー!


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2008年3月14日 (金)

倉敷。そこはアートな町。

きのう(13日)は、重税統一行動があって、
私も倉敷の税務署に申告するために行きました。

それで、倉敷へ行くのだったら、
全国集会(11/22~24)のための下見を、
ついでにしてしまおう!と思い、
朝の9時過ぎから倉敷へ行ってきました。

春闘はきのうが全国統一行動の日で、
労働組合のみなさんは朝から
行動されているはず・・・と少し心苦しさを
感じながらも、「いや、倉敷へ遊びに行く
わけではない。全国集会のための仕事だ。
これがボクのたたかいだ」と、勝手な論理を
頭のなかで描きつつ、倉敷の町を
思いっきり楽しんでいたのでありました(笑)


Img_1615
 まずは
 倉敷労働会館へ。

 2日目の分科会や、
 夜の交流会の
 会場となります。

 やっぱり古いな~。
 (失礼!)




Img_1618
 一番大きな部屋。

 青年交流会も
 ここでやります。

 イス机なしの
 詰め込みならば、
 300人はいける。



他にも、労働会館のほとんどの
会議室を見せてもらい、写真におさめる。


Img_1632

 こちらは、
 3日目の全体集会の
 会場の、
 倉敷芸文館。

 880席ですよ!
 ひょえ~。
 埋めたら快挙だな。




Img_1635

 倉敷の観光といえば!
 やはりこの美観地区。
 
 倉敷駅から南へ歩いて
 10分ほどで、
 美観地区のこの
 入口にきます。





Img_1639

 入口からしばらくは、
 観光客相手の
 お店が続く。
 
 まだ朝10時だったので、
 観光客も少ない。

 





Img_1640

 でた!
 大原美術館。
 大原孫三郎の
 偉大な仕事のひとつ。

 世界的に有名な
 美術館で、
 見ごたえはたしかに
 そこいらの美術館とは
 違いますね。

 入場料1,000円。
 行くなら、2時間は
 みといたほうがよいです。
 この日はスルー。




Img_1642
 大原美術館の
 すぐそばに、
 アイスクリーム売りが。

 そこへなにやら
 園児集団が…。
 午前中の散歩だろう。
 こんなところを散歩する
 なんて、優雅な人間に
 育つに違いない。



Img_1643_2

 いや、ふつーの
 子どもたちでした(笑)。

 アイスクリームに
 まぶりつく。








Img_1648

 ここは、
 「石とガラスの灯
 -凸凹屋」
 というお店。

 こんなお店が
 いつのまにやら
 できていたかー。

 倉敷ガラスとは
 ちょっと違うのかな?
 入らなかったので
 よくわかりません。






Img_1649




 こちらは
 日本郷土玩具館。

 昔入った記憶がある。













Img_1650



 街のスケッチを
 する青年。

 こういう風景が
 みられるのは
 倉敷の良さですね。












Img_1651



 美観地区でも
 一番の
 写真スポット、
 中橋の上から。






Img_1652

 中橋をわたると、
 すぐにあるのが、
 この倉敷考古館。

 一度入ってみたい
 のだけけど、
 残念ながら今日も
 スルー。





Img_1653


 ここでも
 絵を描く人が。

 白壁(しらかべ)の街は、 
 人の心を
 なごませるの
 だろう。

 トラックが写真に
 入ってしまった。
 残念!







Img_1654
 ここは
 木のおもちゃ
 伊勢屋さん。

 ここも入った
 ことはないが、
 興味あり。

 木は良い。




Img_1655

 備前焼のお店。
 
 美観地区にも、
 備前焼のお店は
 たくさんあります。







Img_1656_2 

 和紙工芸のお店。
 「風の館 うえのや」

 ここも、今度いちど
 入ってみたい。
 (スルーばっかり
  じゃないか!)
 




Img_1659

 最近できたらしい、
 「桃太郎の
 からくり博物館」

 かなり大仕掛けの
 セットがたくさん
 あるらしい。
 子どもは喜びそうだ。




Img_1662



 地酒もあります。
 おみやげにどうぞ。









Img_1664

 ぐるっと美観地区を
 まわり、いよいよ
 今日最大の目的である、
 「倉敷民藝館」へ。

 入館料は700円と
 ちと高めだった。






Img_1665_2
 民藝館のなかから
 外をながめる。

 この倉敷民藝館は、
 大原家の米蔵を改築し
 つくられたもの。
 1948年に開館。

 日本では、東京にある
 「日本民藝館」に続き、
 全国で2番目につくられた
 民藝館である。

 1万数千点の、全国や
 世界の民藝品を所蔵。


で、民藝館は、雰囲気もとても質素で、
心地よく、置かれている展示品も、
さりげない美しさや強さを感じました。

30~40分ほどで見てまわり、
最後の民藝ショップで、
おもしろそうな本を見つけたので、
さっそく購入しました。
その内容のおもしろかったこと!!(最後に紹介)


Img_1667
 民藝館を出て、
 1本北よりの道に。

 ここは結構有名な
 町家喫茶「三宅商店」
 と、「桜草」という
 お食事のお店。
 だんだん観光客が
 増えてきた。




Img_1669
 観光案内で有名な
 倉敷川沿いから
 北へゆくと、
 落ちつきを感じる
 古い街並みが。
 
 私はこの通りが
 好きなんですよね。






Img_1670



 おいしいものブティック
 「平翠軒(へいすいけん)」
 
 相方と倉敷へくると
 かならず寄るお店。

 2Fは喫茶店に。
 雰囲気いいですよ。










Img_1671


 


 地酒の酒造場。

 貫禄だね~。













Img_1673
 お昼近くに
 なったので、
 ランチに。

 カレーのお店。
 ひよこ豆カレーを
 食べる。店内も
 とっても雰囲気が
 よく、リラックス。




Img_1674
 ランチが終わると、
 カレーのお店の正面に、
 「倉敷クラシカ」という
 お店があったので
 入ってみる。

 倉敷の古い写真など
 が絵葉書になって
 いたりする。2枚購入。




Img_1675_2
 今度は、カレーの
 お店の隣にある、
 美観地区唯一の
 本屋さんへ。

 といっても、
 古本屋さんです。
 「河上肇自叙伝」が
 気になったが、
 結局購入せず。



Img_1678

 やはり、
 この通りは、
 歩いていて
 気持ちが良い。






13時すぎに、倉敷公民館へ。
重税反対統一行動の倉敷会場。
集会後、税務署までデモ行進をし、
しずしずと申告をすませる。

時間は15時に。
雲行きがあやしそうだったので、
急ぎ足でアイビースクエアのみ
見てまわる。


Img_1681


 かつて
 倉敷紡績の
 工場があった
 ところが、
 見事に衣替えを
 しているところ。





Img_1685

 敷地内には、
 記念館や結婚式場
 など、いろいろな
 施設があるが、
 ホテルとしても
 営業している。




16時少し前に、倉敷の下見は終了。
帰宅したのであります。

美観地区は、まだまだ知らないところ
ばかりだなぁ、と実感。行きたいところも逆に増えました。
今度は丸1日かけて、ゆっくりまわってみたい。


で、家に帰って、倉敷民藝館で買った本を
読みました。これが良かった!


『民藝とくらしき』(金光章、吉備人出版、2002年)

著者は、いまの岡山県民藝協会会長。
建築士の方です。ラジオ放送が元になっている本です。

知らなかったことが多く、
「へー!」「すごい!」の連発でした。

いままで、倉敷は、
「白壁の町」「大原美術館」と思っていましたが、
じつは、「民藝の町」が本質なんだということが
わかりました。これはすごい発見でした。

「民藝(みんげい)」とは、「民衆的工藝」の略で、
柳宗悦(やなぎむねよし-1889~1961)という
人が名づけた造語です。

民藝とは、庶民が普段使う、日用の工芸品のこと。
しかし、柳さんは、その地域の庶民の伝統と暮らしの
息づかいのなかに、「モノの美しさ」としての民藝品を
見い出し、名もない職人さんがつくったモノのなかに、
心の通いあいや人間的な美がある、と考えたのです。

お皿や陶器、織物、履物、家なども民藝に入ります。
材料が天然材であること、手仕事によること、
伝統にそった技術でつくられること、が3条件です。

また、美術や芸術を意識しすぎていて、
過度の装飾や自己満足の美も、民藝ではありません。
「売る」目的が第一にくる大量生産品などと、
まったく対極の考え方で、「使う人のこと」を何よりも
第一に考えた日用工芸品が、民藝、ということになります。

「毎日一緒に暮らす食器や、衣類や家具・住宅に、
用に親切な、誠実な美しさを持ったモノを選び、そ
れらに囲まれた悦びの中で日々暮らそうというのが
民藝です。もしそういう民藝品に囲まれて毎日を過
ごすなら、自分自身の心情も自然に、誠実で健全
になっていくのではないでしょうか」

その柳宗悦の民藝にたいする考え方、
「用の美」にもっとも共感したのが、
当時倉敷紡績社長の、大原孫三郎だったということです。

昭和初期、民藝の真髄を啓蒙しようと活動を
はじめた柳宗悦は、収集した各地の民藝品を
常設展示できる「民藝美術館」の建設をめざします。

しかし、国などからは相手にされず、
建設のメドはたたなかったといいます。
そんな時、寄付を申し出たのが、大原孫三郎
だったそうです。寄付金は10万円。
現在のお金に換算すると2億円以上になるそうです。

大原美術館建設のために投じたお金が
5万円だったそうですから、いかに大原孫三郎が
この「民藝館建設」に熱意をもって共感していたかが
わかります。

孫三郎の死後、大原家を継いだ、大原總一郎も、
柳宗悦を敬愛し、全面的な支援を続けます。
そして、戦後すぐに、倉敷に「民藝館」をつくる構想を
もち、柳宗悦門下の外村吉之介をまねき、
初代館長として「倉敷民藝館」が完成します。

じつは!この倉敷民藝館と、沖縄の伝統的織物で
ある芭蕉風(ばしょうふう)の意外な結びつきも書かれてあって
びっくりだったのですが、ここでは省略します。
沖縄は民藝品の宝庫として、
柳さんや大原總一郎は熟知していたそうです。

初代館長の外村吉之介は、
民藝品の収集、民藝文化の啓蒙などを活発に展開。
また、倉敷の街並みの保存にも奮闘し、
「外村が倉敷にこなければ、あの街並みは残って
いなかったと言うことができる」とも著者は言っています。

倉敷民藝館そのものも、大原家の米蔵を改築したもので、
いまでいう古民家再生の倉敷第1号だったそうです。

こうした先達の努力の積み重ねによって、
倉敷は「民藝の町」として全国に先んじる町と
なったのです。
その歴史の重みを知り、倉敷の街に
息づいている心に、感銘しました。

大原孫三郎や總一郎の、教養文化の高さと、
企業家としての社会的責任や道義を貫く姿勢も、
素直に、すばらしい、と思います。

また、この本を通じて、
「アート」とは何か、についての考えも
深まったように思います。

民藝の心は、何よりもまず、
「使う人、相手のことを考える心」だということです。
それが、モノの健康的な美しさや安心感を
あたえるということ。

たんに芸術的な技術や水準を高めること、
自己満足のアートではあかん、ということです。

私は昨年から、「私たちの運動には、
サイエンスとアートが必要だ」と言うように
なりましたが、そのアートとは、
「相手のことをまず第一に考えること」であり、
相手と心を通わせるための「技」である
ということなのです。

これは、なんでも相手に迎合する、
という意味ではなく、
人と人とのコミュニケーションとしての、
アート(技)なんだということです。

そして、名もない人びとの労働のなかにこそ、
アートがあるんだなぁ、と(涙)。

倉敷の民藝の「伝統に流れる心」にふれることができ、
あらためて学ぶこと、考えたことがたくさんありました。
とても、とても、得たものの大きな1日でした。


全国集会は、倉敷の民藝の心(アート)、
そして、理性的に自分や社会をみつめるサイエンスを
たくさんの仲間たちと生み出す集会にしたいと思います。

ぜひ、倉敷へおいでください!
大原美術館もいいですが、倉敷民藝館もおすすめです。



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ギョウザから占領時代へ

おととい(12日)の晩は、
福祉保育労岡山支部の執行委員会へ。

Img_1614

 この日の会場は
 倉敷のW保育園。

 参加は10名ほど
 だったように
 思います。

 始まる前の様子。
 



今回は、執行委員でA保育園調理師の
M屋さんから、「冷凍ギョウザ問題が気になるので」
という注文をいただいたので、

「ギョウザ事件から考える日本のあり方」
題して、食料自給率の問題や、
食料問題でもアメリカ従属の国のあり方の
ことについても話をしてみました。

そして、後半はアメリカによる
占領政策の話へ・・・。

ギョウザから占領時代への話の
すさまじい飛躍に参加者のみなさんは
面食らったかもしれませんね(笑)
でも、知っておいてほしい問題なので、
あえて入れてみました。


では、以下、講義の内容。

一。根底には、日本の農業政策の問題が
 
1。「商品」としての食料を買う社会
  
◇その仕組みと矛盾
   
*「商品」は、人間にとってなんらかの有用性(役に立つ)をもつ。
    
・食料を買い、調理し、食べることは
     
→栄養を吸収する、エネルギーをつくる、欲求を満たす、
       文化の担い手
   
*もうひとつ、「商品」は「人に売るためにつくる」という側面ももつ。
    
・自給自足で食料を生産している人は圧倒的少数。食料は
     他人に作ってもらったものを「買う」時代になっている。
    ・食
料を「売る」人は、それによって生計を成り立たせている。
     売れなければ、その生産者の生活
が成り立たないという社
     会。生活が成り立たなくなれば、食料生産をやめることに
     なる。そうなると、食料を供給する人自体が少なくなる。だ
     から、政治の支えが必要だということ(価格保障や補助金、
     土地政策など)。

   
*資本主義経済の発展は、流通手段の発達をうながし、「遠く
    の食料を運ぶ」技術の向上をうながした。それは、「生産者」と
    「消費者」が切り離される過程でもあった。昔は、その地域で
    生産された食料を、その地域で消費していた。地産地消。
   
*「顔の見える関係」であれば、有用性の側面が保たれる傾向
    がある。「あそこの農家つくってくれている野菜」。「自分のつ
    くったお米は、この地域の人たちが食べている」。しかし、「顔
    の見えない関係」だと、つくる人・売る人と、買う人・食べる人の
    関係は、モノとカネの関係に単純化される危険が高くなる。
   
*輸入食品はその傾向をさらに増幅する役割を果たしている。
    中国でもギョウザはつくれるし、冷凍食品として輸出できる。し
    かもコストは安い。

  
◇「安さ」をめぐる矛盾
   
*「買う」側は、食品に「安さ」を求めがちになる。それは今の労
    働者の低所得水準も背景となっている。
   
*一方、「売る」側は、「売れる商品」をつくることが最大の目的
    になりがちで、そのために、「コスト削減」(商品品質の低下を
    招く)、「見た目」や「保存性」(添加物たっぷり)、「少々まぜて
    も大丈夫」「賞味期限がすぎていても…」というモラル喪失をま
    ねくことになる。食料品も企業間競争の法則をもろに受けると、
    こうした問題が噴出する。だから、社会的規制が必要になって
    くる。市場原理にまかせてはいけない分野。

 
2。食料自給率が先進国中最低なのはどうしてか
  
◇日本は農漁業生産の自然環境条件としては、世界有数の好条件国。
   
*四季の豊かさ、豊富な降水量、山の多さ、良質な土、
    まわりすべて海…
  
◇その日本で、食料自給率40%。穀物自給率は3割きる。
   
*国連加盟国190か国中、130番目前後。もちろん先進国中最低。
    現在、純和食の食事をとることは、かなり困難な状況。
    
・大豆自給率4%、小麦14%、果実39%、肉類55%。
     米でさえ95%。
   
*日本の農地面積は、1960年から2000年までに、120万ヘクター
    ル、20%も減少。農業人口は1200万から400万人に。2006年で
    は360万人。しかも、そのうちの6割が65歳以上。
   
*その最大の原因は、国の農業政策による。1973年の自給率は
    60%だった。なぜこんなに急激に下がったのか。ひと言でいえば、
    「農業では暮らしていけなくなった」から。生産物の価格保障せず、
    農産物(とくにアメリカの)の輸入を推進し、いまでは米まで輸入。
   
*日本よりはるかに安い地価で、安い労働力で、数十倍・数百倍
    の広さの農場や牧場で生産される農産物や畜産物が大量に輸
    入されるようになった。関税(輸入のさいにかける税金)もなくす。
   
*世界的な食料危機の時代に、国民の命を外国にあずけるという
    こと。食料主権がない。世界の栄養不足人口は
8億人以上といわ
    れている。そんな中で、日本が食料を外国から買いあさるという
    問題も。穀物の世界市場流通量のうち、小麦は6%、とうもろこ
    しは25%、大豆は15%、日本が買っている。世界人口の2%に
    すぎない日本がこれだけの食料を買い集めている。

  
◇輸入食品の「安全性」問題
   
*生産現場が遠く離れていてまったく見えない
   
*遠距離輸送にともなう「品質保持」のための薬品使用。検査
    基準も緩和。
   
*検査体制の不十分さ(人的体制の不足)。輸入食料品の
    9割はフリーパス状態。

 
3。米を食べなくなったのは、日本人の食文化が変わったからか?
  
◇意図的な「米退治」作戦
   
1950年代。アメリカの余剰小麦を日本に買わせる恒常的な
    仕組みがつくられる。官民あげての、米消費の押さえこみ。
    「米より小麦製品のほうが優れている」という偽りのキャンペ
    ーン。学校給食はパンに。
   
*アメリカの食料戦略。日本をアメリカの食料輸出の一大市場
    に。食のアメリカ化がすすむ。食文化の「激変」は意図的につ
    くられたもの。
  
◇日本人のいのちと文化をアメリカに売り渡した自民党政治

 
4。私たちの選択
  
◇「食事」は「エサ」ではない
   
*食べることは「他の命をいただくこと」という原点
   
*「食」の多面的効用。心身の成長、人間関係の潤滑油、
    家族・地域文化の形成…。
  
◇賢い消費者になる-国内の農産物の需要を高める
   
*外国産より、国産を選ぶ。地産地消の心がけ。
   
*何より、米の消費を。いま輸入している80万トンの米輸入を
    ストップするだけで、自給率は2%あがる。もっと米の消費量
    があがれば、そのぶん小麦粉製品の消費量は下がり、米の
    作付面積も回復し、さらに自給率もあがる。「主食としての米
    の実力」を正しく伝えることが大事(パンを食べるなということ
    ではもちろんない)。
   
*「添加物たっぷり」の食料を買わない
             →売れなければ、そうした商品は少なくなる。

  
◇そのために、時間とお金の「ゆとり」を勝ちとる
    
*賃金の底上げ(国産を選べるゆとり。
    
*労働時間の短縮
     (ゆったり調理時間。家族団らん。食文化の衰退にストップを)

  
◇そして、国や行政の仕事として、本格的な政策転換をさせる
   
*お金と人をつぎ込んで、日本の食糧主権を守る手立てを。
    政治の責任で。
イギリスは4割代まで下がった自給率を7割
    代まで向上させた。ドイツも6割から9割代にまで自給率を
    引き上げている。国の政策として引き上げている。
   
*豊かな自然環境をもつ日本にやれないわけがない。

二。なぜそこまで、異常なアメリカ従属?-その歴史的起点をみる
 
1。戦後7年間(1945~1952)のアメリカによる全面占領
  
◇日本政府のうえにたつ、絶対権力
   
*全国に占領軍が駐留。その圧倒的主体はアメリカ軍。45年末
    までにイギリス軍もあわせると、43万人が配置される。占領軍
    の方針に反する行為は、犯罪者として逮捕された。
   
*言論や通信にたいする検閲も
  
◇占領の本来の目的は日本の民主化だった
   
*反ファシズム連合国の代表として、日本の民主化の任務をもっ
    ていた。
具体的にはポツダム宣言の内容を実行する。軍国主
    義体制の解体、婦人参政権、教育の民主化、財閥解体、政教
    分離、労働組合の結成奨励など。その象徴が日本国憲法の制定。
   
*ところで、ポツダム宣言の12条には、日本の民主化が進み、
    民主主義と平和に責任のもてる政府が樹立されれば、占領軍
    は日本から撤収すること、という規定があった。

 
2。対日政策の変化
  
◇日本国民の運動の高まりと、中国情勢の変化
   
*1947年2月1日にゼネラルストライキを準備。占領軍の命令
    で中止に。
   
*中国共産党が国民党との内戦に勝利。こうした情勢をふまえ、
    占領軍は、日本を「反共の防壁」とし、アジア政策の中心にすえ
    るという方針に転換。
  
◇占領軍による反動化
   
*労働組合への弾圧(公務員のストライキ権はく奪など)や右傾
    化を狙う。
   
*1950年のレッドパージ。共産党へのあからさまな弾圧攻撃。
   
*1950年6月25日の朝鮮戦争開始で、日本に7万5千人の警
    察予備隊を創設。4年後に自衛隊となる。日本国民を押さえつ
    けるために、アメリカがつくった軍隊。警察予備隊は、アメリカ占
    領軍のキャンプに入隊し、アメリカ軍の兵器で武装し、アメリカ軍
    人の指揮で訓練を受ける。旧警察官僚が指導権をにぎる。日本
    軍の軍人が採用される。憲法が「おしつけ」というなら、自衛隊も
    「おしつけ」だった。
   
*48年12月のA級戦犯の釈放に続いて、50年10月から戦争
    犯罪者の「追放解除」にとりかかり、大量の戦犯政治家、大資
    本家を政界、財界に復帰させる。50年10月から講和条約発
    効までに、約20万人の政治家、官僚、大資本家、言論関係の
    公職追放者が復帰することになる。そうした勢力が、戦後日本
    の支配層に復帰したことが、その後の対米従属を深く規定づけ
    ることとなる。

 
3。サンフランシスコ講和条約と安保条約(1951年9月8日)
  
◇アメリカは、日本の国際復帰を急ぐ。
  
◇占領の継続のための仕組み
   
*日本の侵略戦争で被害をあたえた国々をのぞいた講和条約
    を結ばせる。戦後賠償を最小限にすることも意図。
    
<サンフランシスコ講和条約の問題点>
    
①沖縄などを引き続き米軍占領下の軍事基地の島にする
     ことを規定(3条)
    
②日本に外国軍の駐留を認めることができるという特別の
     条項を用意(6条)
   
*そして、講和条約の調印の後、同じ日にアメリカと日本の
    あいだで日米安保条約が調印された。
  
◇この2つの条約をめぐる交渉は、完全な秘密交渉だった。

   *講和条約の文章は2か月前の発表、安保条約は調印後
    に公表(国会にも知らされていなかった)。
  
◇安保条約の内容(ごくおおざっぱに言えば)
   
*アメリカの基地を日本のどこにでも置ける「全土基地方式」
   
1960年改定の現行安保条約は
    
・日米の経済協力をさだめた経済条項
    
・自衛隊の増強義務と米軍との軍事的協同の規定

  
◇戦後のアメリカと日本の実質的な関係が、この時期に形成された。
   
*政府と政府の関係-アメリカが実質的な支配方針を決め、日本
    政府はその代行者。
占領時代の7年間を、表面的な形は変えて
    継続したのが、安保体制だった。
   
*政界も財界も、アメリカの援助で戦後復活をしてきた。
    そういう根深いアメリカ従属が、現在の「異常な対米従
    属国家」を形成してきた。





以上。



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2008年3月13日 (木)

ストレス「善玉」論

最近読み終えた本。
まったく系統性なし。


    ,
『信じぬものは救われる』(香山リカ×菊池誠、かもがわ出版、2008年)


「いろんな人と話していて必ず話題になるのは、
江原さんは、いったいどれぐらい意図的にやって
いるかということ。みんな知りたいと思っている。
ウソ発見器とか付けてみたいです『誰にも言わな
いから、本当はどう、ちょっと言ってみて』って聞い
てみたい」


世の中の世相をキャッチする力に抜きん出た、
精神科医の香山リカさんと、『水からの伝言』問題を
きっかけに、ニセ科学への警鐘をならす物理学者・
菊池誠さんの、テンポよい対談本です。


だます人、だまされる側の人びとの、立場や精神
構造にスポットをあて大きな社会背景も視野に、
オカルト、スピリチュアル、ニセ科学、単純思考
などが、幅広く語られます。


そうか、江原啓之のあのガタイは計算的なもの
なのかもなぁと、妙に納得したり。
頭から否定するのではないスタンスにも共感。


血液型性格判断、マイナスイオンなど、信じる人が
多い、根深い問題も語られ、おもしろい。


「知識は役に立つとかだけでなく、多分、考えを
自由にしてくれるとか、幅を広げてくれるとかいう
ことが理解できればいいですよね」(香山)

「格差社会とかワーキングプアとかいう現実がある
ときに、あきらめてしまわないために必要なのは、
やっぱり知識でしょう」(菊池)

最後は市民運動への注文も。


『原爆災害-ヒロシマ・ナガサキ』
 (広島市・長崎市 原爆災害誌編集委員会編、岩波現代文庫、2005年)


まだまだ知らないことが多くあるなぁと実感。
淡々と事実を叙述するスタイルで、
証言はあまり出てこないが、その分、
原爆被害の実態を冷静に多面的に検証している。


『毀(こわ)された「日本の食」を取り戻す』
                 (滝澤昭義、筑摩書房、2007年)


だいたい知っていることが多く、
知的刺激は少なかったのですが、
あらためて、日本の食の問題を
整理しなおしました。

「日本の伝統文化に誇りを」といっている
自民党の政治家連中が、
日本人のすぐれた伝統文化である
「日本の食」と、「日本人の命」をアメリカや
外国に売り渡すという恐ろしさ。

お米ダイスキ、日本の食文化ダイスキの
私としては、ほんとうに許せん!!


『ストレス「善玉」論』(中沢正夫、岩波現代文庫、2008年)

これはスマッシュヒットの1冊!


著者は、先日の読書日記でも紹介した、
『ヒバクシャの心の傷を追って』(岩波書店)の、
中沢正夫さん。民医連の精神科医の方です。

『ヒバクシャ…』を読み、巻末にあった著者紹介や
ネット検索で、中沢さんには他にも読みごたえの
ありそうな本がわんさかあることを知りました。

さっそく6冊ほどめぼしをつけて購入。
読み始めています。

この『ストレス「善玉」論』は、すばらしくおもしろい!

何より、中沢さんの文章は、読んでいて楽しい。
そして、洞察は深くて、思考は柔軟。

中身は、現代人、とくに職場をめぐるストレスへの
対処法、思考法なのですが、
ひと言でいえば、まさに弁証法、なのですよ。

それは、ぜひ読んでみてください、としか言えないのですが。

紹介したい内容が多すぎるときは、
とりあえず、目次のみの紹介、とします(笑)。


第1章 ストレス「悪」論の時代
 ストレスについて書くことはストレスである
 私のストレス「病」暦
 体が泣く時代なのだ
 ストレスは悪玉なのではない
 ストレス下で症状を呈す人のほうが正常なのである
 ストレス弱者論はなぜ出てくるか
 “いなす”しかない
 まとめと蛇足

第2章 ストレス国の住人たち
 1.恐怖のトイレ人「類」考
 2.「やさしさ」について
   ある離婚
   やさしさと弱さ
   家出する親たち
   娘も新人類
   「真」人類考
 3.主婦と住居と狂気と
 4.蒸発願望について

第3章 精神科医“初老”日記
 1.中年期危機について
 2.私のノイローゼ
 3.「老い」への身づくろい
 4.わくら葉の夏

第4章 心の安定装置
 1.「正常な心」についての極私的定義
 2.性格に良し悪しはない
 3.心の安定装置について
 4.“好き嫌い”に理由はない
 5.読者への5つの追伸
   自惚れのすすめ
   新「親馬鹿」のすすめ
   「思いきりの悪さ」のすすめ
   病むことのすすめ
   反骨のすすめ

第5章 安心のための十ヵ条
 1.逃げられるだけ逃げよ

 2.浮気せよ
 3.時々、自分にきびしく
 4.グチをいえる人を二人つくる
 5.いつも悪いほうの結果を予測しておく
 6.自分の生活のくせ、パターンを分析しておく
 7.八方ふさがり「一歩」をつく
 8.不利のなかの「有利さ」を「待つこと」
 9.もう1人の自分をつくる
 10.もう既にストレス症状がでている人のために

補遺 職場の同僚が潰れたとき、復帰してくるとき
 1.同僚が潰れそうなとき
 2.休まれてしまったとき職場でなすべきこと
 3.回復して出てくる人の迎え方
 4.もとのペースに戻すまでの期間の長い援助
 5.事例から学ぶべきこと



ある意味でのいいかげんさをもつこと、
中途半端さに意味をもつ力、
原則的だからこそ柔軟な発想が可能。

いろんなことを教えられる本です。
職場の矛盾につぶされそうな労働者のみなさん、
忙しい活動家のみなさん、
深刻になる前に、ぜひ一読を。




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2008年3月12日 (水)

「かんけーねーとは言えない」

きのう(11日)は、
倉敷医療生協労組・みんなの学校
3回目がありました。

Img_1612
 参加は8名でした。なかなか
 増えないのが残念ですが、
 この労働組合の青年たちの
 学ぶ姿勢はほんとうにすばらしい。
 いつも気持ちよく学習会ができます。


きのうは、
「日本の戦争と戦後責任~そんなのかんけーねー?!」
という内容で、約1時間講義。
そのあと感想交流をしました。

「こういう事実を知ったら、『私はその時代の人間じゃないから、
そんなのかんけーねー』とは言えない」という感想も出され、
また学校教育やメディアでほとんどこうした問題について知る
機会がないこと、私たちが学んで、広げていくきっかけをつくる必要がある、
というような意見も出され、中身の濃い学習会になっています。


だいたい今までも話してきた、
内容が多かったのですが、
一応、以下、レジュメをご紹介します。
(資料は割愛)


一。日本の侵略戦争の実態

 1。日本はアジアで何をしたのか-侵略戦争の実態
  
◇第2次世界世界大戦(1939~1945)は、世界で5000万人
   以上の死者。その多く
は武器をもたない一般市民。
  
◇「1931.9.18」「1937.7.7」「1941.12.8」「1945.8.15」
  
◇アジアでは、日本の侵略戦争によって2000万人以上が
   犠牲に。日本は、戦争を引
き起こした側。日本人も、310
   万人の命が失われた。
  
◇一人ひとり、名前をもち、家族もあり、夢や希望を抱きなが
   ら生活していた人たちの
「命」「人生」が奪われる。
  
◇アジアの人びとの痛み、苦しみ、思いに対する想像力を。
   侵略した側は忘れても、侵
略された側は忘れない。
  
◇兵士は潔く、美しく死んだのか
   
*兵士の命は「鴻毛より軽し」(軍人勅諭)-消耗品として

    
「ひとりにはひとつの命、というのは実感だもんねえ。海軍
    に入って、夜はハンモックをつるして寝るんですが、当時の
    軍隊では人間よりハンモックのほうが大事だった。練兵場
    の一番はずれにハンモック用の防空壕があって、空襲警
    報が鳴るとまずハンモックをたたんでそこへ持って行き、ハ
    ンモックの安全を確保しなければならない。一番安いものは
    人間だということになっていて、『おまえらの代わりは1銭5
    厘(はがきの値段)でいくらでもくる。ハンモックがいくらする
    かわかるか』と何度いわれたことでしょうか。もうめちゃくちゃ
    だったねえ。僕らは員数として扱われた。員数のひとつだと
    思い知らされた。けれども数じゃない。ひとつひとつが大事
    な命だぞ、と。それは、本当の、僕の心の底からの叫びだもの」
       (島本慈子『戦争で死ぬ、ということ』岩波新書より、
                 
城山三郎さんのインタビュー部分を引用)

  
◇日本軍の兵士のうち、半数以上は、飢えなどが原因による
   広義の餓死者だった。

 
2。日本国憲法の2つの「決意」と、「平和的生存権」宣言



二。「戦後」は、まだ始まったばかり
 
1。冷戦構造の崩壊で表面化した戦後責任問題
  
◇冷戦時代は被害者個人個人が、責任追及に名乗り出ることは
   困難だった
   
*たとえば、韓国ではじめて元「慰安婦」として名乗り出てきた
    金学順(キム・ハクスン)さんのカム・アウトは、韓国社会の民
    主化と女性の権利の高まりなしにはありえなかったといわれている。
   
*戦後半世紀、冷戦構造が保護膜、バリアーとなって、日本は
    侵略戦争と植民地支配の被害者に直接告発されることなくすんで
    いたということ。
    
・韓国は朝鮮戦争、反共軍事政権
    
・中国は内戦
    
・東南アジアは疲弊、ベトナム戦争
    
・アメリカは反共の砦として日本を育てるために、戦後賠償を
     最小限にさせる

  
◇90年代以降に噴出してきた、アジアからの、謝罪・賠償を求める声
   
*「戦争を知らない世代」の人は、こうした声に当惑したり、反発を
    覚える人も出てくるのはある意味普通の感覚。
    
・「なんで今ごろになって」「何べん謝ればいいんだ」「そんな昔の
     ことを言われても、自分には関係ない」「自分の身に覚えのないこと」
    
1995年の高市早苗議員の「自分は戦争当事者とはいえない世代
     だから、反省しろと言われても反省できない。反省するいわれも
     ない」という発言も、まったく理由のないところからでたものでは
     ないといえる。

 
2。応答可能性(responsibilityレスポンシビリティ)としての責任
  
◇すべての人間関係の基礎には、言葉による呼びかけと応答の
   関係がある
   
*「呼びかけを聞いたら、応答する」というのは、最低限の信頼
    関係の基礎
   
*相手からの呼びかけを無視することは自由であり、犯罪でも
    ないけれど、当然、それによってなんらかの結果(信頼関係が
    傷つくなど)が生じる。
   
*他者の呼びかけに応答することは、プラスイメージで、人間関
    係を新たに作り出す、あるいは維持する、あるいは作り直す行
    為、他者との基本的な信頼関係を確認する行為であると考えられる。

 
3。「日本人としての」戦後責任
  
◇応答可能性としての戦後責任
   
*アジアの人びとの呼びかけ(謝罪や賠償の要求)に、日本政府
    は「応答」しているだろうか。(呼びかけられているのは、日本人
    個人ではなく、日本政府)
   
*「呼びかけ」をされているということは、「関係をつくりなおしたい」
    という意志が「まだ」あるから。救いはそこにある。私たちは、どう
    応答するのか。

  
◇日本政府をつくっているのは誰か-「私はカンケイナイ」と言えるか

   *「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて
    行動」(憲法前文)
   
*私たち一人ひとりに、応答可能性としての戦後責任が課せられている

  
◇自国の戦犯を自分たちで裁いてきたドイツ
   
*ドイツでは、ニュンベルク裁判、そして占領各国による継続裁判
    が終わってからも、ナチ犯罪を自ら追及し続け、90年代にいたる
    までに、10万件をこえる容疑を捜査し、
6000件をこえる有罪判決
    を下してきている。
   
*日本は、どちらもゼロ。日本人自身が行った裁きとしてはゼロ。
   
*ヴァイツゼッカー演説


さいごに:こういう演説を首相が行うような日本政府をつくるのは

      私たちの責任




以上。



「さいごに」の部分は、
当時西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の、
『荒れ野の40年』という有名な演説(1985年)の
一部分の日本版を私が創作したものです。

以前、元世界史教諭のT方先生の
講義にヒントを得て、
私なりにつくったものです。

こんな感じです(以下)。


 「8月15日は心に刻むための日であります。心に刻む
というのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、こ
れを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのた
めには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされ
ます。
 
われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかでたおれたす
べての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 
ことに日本の十五年にわたる侵略、南京大虐殺や三光作
戦、強制労働で命を奪われた一千万の中国の人びとを思い
浮かべます。
 
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずく朝鮮・東南アジ
アの無数の死者を思い浮かべます。
 
日本人としては、兵士としてたおれた同胞、そして故郷の
空襲で、沖縄の地上戦で、広島と長崎で、命を失った同胞を
哀しみのうちに思い浮かべます。
 
日本軍の性奴隷として傷つき命を奪われたアジアの女性
たち、人体実験として虐殺された捕虜、宗教もしくは政治上
の信念ゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 
銃殺された人びとを思い浮かべます。
 
長い間日本の植民地とされ、自由と主権を奪われた朝鮮や
台湾の人びとのことを思い浮かべます。
 
日本に占領されたすべての国で、抵抗し、犠牲となった人び
とに思いをはせます。
 
日本人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰に
もとづいての日本の反戦運動をおこなった人びと、労働者や
労働組合の反戦運動、共産主義者の反戦運動、これらの反
戦運動の犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 
積極的に反戦運動に加わることはなかったものの、良心を
まげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます」
                             
(以下同じ)

・・・てな感じです。
こんな演説をする日本の首相をつくるのは、
私たちの戦後責任です、ということで。
ちなみに、「福田さんには無理です。首相になる前は、
毎年のように靖国神社へ参拝していた人ですから」
と落ちがつきます。



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2008年3月11日 (火)

全国集会第2回実行委員会

きのう(10日)は、全国学習交流集会in倉敷の
第2回中央実行委員会があり、
東京日帰りしてきました。

内容や参加費の検討を主に行いました。

おおまかなタイムスケジュールと内容は、
以下のようになっています(現時点で)。

【11月22日(土)】

13:00 開始 全体集会-岡山コンベンションホール
                     (岡山駅西口徒歩3分)
 *第1部 文化企画(内容未定)
 *第2部 労働者教育協会からの基調提起(30分ほど)
        記念講演 石川康宏さん(神戸女学院大学教授)

16:30頃 終了
       参加者は倉敷へ移動

夜は交流企画を検討(倉敷労働会館予定)


【11月23日(日)】

9:30~ 分科会-倉敷労働会館
      (内容はまだ検討の段階です)
      *働く貧困層問題を考える
      *朝日訴訟と生存権裁判
      *いきいき青年部活動交流会
      *労働学校交流会
      *労働組合の学習・教育活動
      *平和問題
      *基礎理論学習
      *情勢学習
      *動く分科会-ハンセン病療養所を訪ねて(別途参加費)
      *動く分科会-片山潜の生家と日帰り温泉(別途参加費)

14:00まで分科会(動く分科会は終了時間未定)

14:00~ 自由行動(倉敷の美観地区散策へどうぞ)
       希望参加で、2~3のオプショナルを現地で準備

夜は青年交流会(熱く交流!)


【11月24日(振替休日)】

9:30~ 全体集会-倉敷芸文館
      *記念講演(現在講師日程調整中!5月まで待ってください。
                  -客室乗務員の尾崎恵子さん予定)
      *集会参加者から発表など

12:00頃 終了



参加費は、2泊3食+参加費で24,000円となりました。
見た目高いですが、中身で勝負!!
かならず大感動の集会にしますので。
全国のみなさん、お待ちしています。

岡山からの宿泊なし参加の、参加費は
検討中です。


Img_1611
 会議終了後は、おきまりの交流会。
 19時すぎの新幹線で
 帰ってきました。
 あ~でもやっぱり日帰りはしんどい。





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原爆症認定訴訟裁判

おととい(9日)は、午後、
原爆症認定訴訟の岡山での原告である、
川中優子さんの支援する会の第2回総会に参加しました。

Img_1608

 勤労者福祉センターで
 行われ、
 約40名の参加でした。





全国でたたかわれている裁判ですが、
岡山でも06年11月に、川中さんが提訴にふみきりました。

川中さんは、1歳のとき、当時の広島にいました。
爆心地から4キロのところで被爆し、
その後、負傷者の救護にあたった母の背中に
おぶられて、中心部に入り、かなりの時間滞在。

あきらかな、入市被曝です。

しかし、厚生労働省への認定請求は却下。
全国の裁判にも励まされて、今回の決断になりました。
昨年は4回の公判が岡山地裁で行われています。

総会の詳しい内容や、その後の講演は、
倉敷医療生協労組のブログを参照ください→ 
白衣のなかま



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2008年3月 9日 (日)

チュニジアの11日間(14)

1月3日の朝。
チュニジア8日目である。
いよいよ旅も終盤にさしかかりつつあった。

Img_0925





 ホテルから
 朝の空を
 ながめる。





いつものように、動き出しは早かった。
6時に起床し、7時には朝食。8時に出発した。
この日も、引き続きの5人旅である。

まずは、泊まったマハディアの街の見学である。

Img_0942 マハディアの
 メディナ
 (旧市街)
 の入口の門。

 つくられた
 当初は、
 要塞の一部
 だったらしい。

 たしかに
 ごつい。



Img_0938


 これは
 メディナの
 なかにある、
 グランド・
 モスク。






Img_0939


 地中海の
 みえる所に。

 左の建物は
 有名なカフェ
 だとか。







Img_0941


 朝早かったので、
 ほとんどお店も
 空いていなかった。

 メディアの中を
 少しブラブラと
 歩いて、
 ふたたび門から
 外へ出る。






次に向かったのは、
ケロアンという、内陸部に位置する町。
アラブ王朝時代には、首都として栄えた町らしい。
10時すぎに、ケロアンに到着。

ケロアンは、
イスラム世界ではとても重要な町で、
メッカ、メディナ、エルサレムに次いで、
4番目に位置づけられる聖都。

したがって、歴史のある貴重な建物も多く、
町は世界遺産に登録されている。

Img_0943
 まず、
 アグラブ朝の
 貯水池、
 といわれる
 ところ。

 現在でも
 ケロアンの
 水源として
 使われている。




Img_0944





 おお!
 朝からどんより
 していた空が晴れて、
 きれいな雲が。

 やっぱ雲は
 すばらしい。












Img_0945

 貯水池の建物の
 近くに、着飾ったらくだと
 おじさんがいたので、
 「これは写真に
 おさめないと!」と思い、
 近寄ると、ポーズを
 決めてくれた。
 なんてやさしい人だ、
 と思っていると、
 「はい」と手を差し出された。

 なんだ、商売でしたか。
 1/2ディナールを献上。 




Img_0946

 続いてやって
 きたのは、

 シディ・
 サハブ霊廟。

 つまりモスク
 なんですが、 
 美しい建物
 として有名。



Img_0947





 シディ・サハブ霊廟
 のなかに入る。

 雰囲気は
 たしかに神秘的。













Img_0948




 壁の装飾も
 きらびやか。









Img_0951






 室内も
 この美しさ。
















Img_0954


 中庭(?)に。

 上に見える
 のは空と雲
 だけ。

 すごいね。






Img_0956
 その中庭で、
 香水をふりかけて
 くれる人がいた。
 私も香水を
 ふりかけてもらう。
 宗教的な風習だろう。

 が、ここでも、お金が
 必要だった…。
 1ディナール献上。

さて、シディ・サハブ霊廟を出て、
次は、グランド・モスクへ。

Img_0964


 聖都の
 グランド・
 モスク
 だけあって、
 かなりの威厳。

 風格ただよう。






Img_0965









 礼拝堂の正面。
 でかい。
 
 北アフリカ
 最古のモスク
 だとか。








Img_0973





 ま~、
 こうした建物を
 つくる
 エネルギーって
 すごいもんです。

 イスラムの力を
 感じます。









Img_0970



 礼拝堂の中も
 撮ってみた。

 もちろん
 異教徒は
 入れない。

 カーペットが
 敷き詰め
 られている。










Img_0967

 中庭を眺める。

 床はぜ~んぶ
 大理石だそう
 です。
 巡礼期になると、
 巡礼者で
 あふれるん
 だろうなぁ。



ということで、グランド・モスクは、
イスラム教の力強さを
肌で感じるところでありました。

時刻は、11時半。
私たちは、メディナのなかの
繁華街を見学することに。

Img_0978




 この門から
 なかに入る。










つづきは次回!



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うれしいな

今日(9日)の午前中、O大医学部学生の
Sくんと会う機会があったので、
「おもろいで~いろんな人がくるから社会勉強になるよ」と、
労働学校のお誘いをしたら、受講申込を
してくれました!

Sくんは2年ほど前から労働学校に来てほしい
対象者にあがっていたのだけれど、
いつも木曜日にバイトが入っていて、
本人も興味ある感じだったけれど、これないでいた。

しかし!
今年に入って木曜のバイトがなくなり、
条件面でクリアになった!
と、いうことで、受講してくれることになりました。

岡山労働学校は、ここ10年ほど、
毎期、学生さんも数名受講している伝統があります。
労働者のなかで学んで交流して、視野をどんどん
広げられるのが、学生受講のメリットですね。

Sくんも、めちゃいい若者で、
どんどん伸びてほしい。

うれしいこと、でした。


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2008年3月 7日 (金)

議論沸騰!?

今日は古典講座『空想から科学へ』の3回目。
参加者は3人!
1回目は7人、2回目は5人、今日が3人。
ということは、次回は・・・(笑)

みんなこれない理由はわかっているんですけどね。
しょうがない理由なんで、しょうがないですが。

今日は
「弁証法的唯物論-変革の哲学」ということで、
2章を学びました。
が、あまりまとまりがなかったかなぁと反省。

哲学はやっぱりいろいろ盛り上がって
楽しいですね。かなり議論沸騰しました。


以下、講義の内容。

一。実践・現実把握の武器としての哲学
 
1。『フォイエルバッハにかんするテーゼ』(マルクス、1845年)より
  
◇「新しい世界観の天才的萌芽」
              (エンゲルス『フォイエルバッハ論』まえがき)
   
*若きマルクスのメモ

    
「哲学者たちは、世界をいろいろに解釈してきただけである。
    しかし、大切なことは、それを変えることである」(テーゼ11)

    
「人間の思考が対象的〔客観的〕真理にたっするかどうかと
    いう問題は、なんら観想〔頭のなかで考えるだけ〕の問題では
    なく、実践の問題である」(テーゼ2)

    
「現世的基礎そのものが、まず第一に、それの矛盾において
    理解され、それについでこの矛盾をとり除くことによって、実
    践的に変革されなければならないのである」(テーゼ4)

 
2。『資本論』の基礎には、科学的社会主義の世界観が
  
◇資本主義の法則性とその矛盾を、弁証法を駆使して明らかにする

    
「近代社会の経済的運動法則を暴露することがこの著作の
    最終目的である」

    
「現在の社会は決して固定した結晶ではなくて、変化の可能な、
    そして絶えず変化の過程にある有機体」
                       (『資本論』初版への「序言」)

    
「研究は、素材を詳細にわがものとし、素材のさまざまな発展
    諸形態を分析し、それらの発展諸形態の内的紐帯(ちゅうたい)
    をさぐり出さなければならない。この仕事を仕上げてのちに、
    はじめて、現実の運動をそれにふさわしく叙述することができる」

    
「私は、自分があの偉大な思想家(ヘーゲルのこと-長久)の
    弟子であること公然と認め、また価値理論にかんする章のあち
    こちで、彼に固有な表現様式に媚を呈しさえした」

    
「弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、
    その否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態
    をも運動の流れのなかで、したがってまたその経過的な側面か
    らとらえ、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批
    判的であり革命的である」(『資本論』第2版への「あとがき」)

 
3。私たちの運動と哲学
  
◇ただしい(正確な)方針・判断力を培うには?
   
*頭からではなく、事実から出発し、徹底的に事実を収集する
   
*その事実の「連関と相互作用」、うちにある内的な法則性をつかむ
    
-比較・判断・選択・整理・分析・捨象
   
*得られた結果について、仮説・課題をたて実践。ふたたび事実
    に向かう。

  
◇傍観者的な批評は、科学的社会主義とは無縁

  
◇たえず変化・発展する現実。その現実によりせまろうとする哲学。
   
*対象をリアルにとらえる努力の継続が必要ということ。

    
「私たちは、現代の日本、現代の世界を見るときに、どんな場合
    でも、事実を科学の目で見る努力をつくし、それにもとづいて、合
    理的な解決策をたて、積極的な展望を開く努力をします。そして、
    それが、現実の発展で試され、裏づけられれば、より確信的に
    前進できるし、現実の展開が自分たちの出した結論から違って
    くれば、どこに誤りがあったかをまた研究して、現実によりせまる
    方向で認識と方針を前進させる努力をする―科学的社会主義の
    党であるためには、どんな場合でも、こういう態度が求められる
    と思います。…科学的社会主義の党と名乗りさえすれば、いつも
    科学的な答えが出せるというのだったら、だれも苦労はいりませ
    ん。また、科学的社会主義とは、そんな便利な、というか、怠け
    者に都合のよいものではないんですね」
          (不破哲三『世紀の転換点に立って』新日本出版社)

   
*世界や日本の現状だけでなく、私たちのいる地域や職場、
    学校、そして、自分たちの組織や運動、また自分自身のこと
    についても、「事実にもとづき、科学的に考える」ことを、科学
    的社会主義は要求している。そして、そのための、たしかな
    「ものさし」として、哲学が必要だということ。

二。弁証法的唯物論-変革の哲学
 
1。世界を生きいきととらえる弁証法

    
「われわれが自然あるいは人間の歴史あるいはわれわれの
    精神活動を考察すると、まずわれわれの前にあらわれるのは、
    連関と相互作用が無限にからみ合った姿であり、この無限の
    からみ合いのなかでは、どんなものも、もとのままのもの、もと
    のままのところ、もとのままの状態にとどまっているものはなく、
    すべてのものは運動し、変化し、生成し、消滅している」
                                (テキスト2章)

  
◇「今までこうだったから…、こうだろう」はアブナイ
   
*自分や他人の過去の経験を、時、所、条件からきりはなして
    固定化し、その尺度ですべてをはかろうとする(ラクだから)。
    しかし、現実はすでに変化している。

  
◇古代ギリシャの哲学者たちの弁証法-自然をあるがままにとらえる
   
*「素朴な、しかし事柄の本質上正しい世界観」

    
「しかしこの見解は、たとえ現象の全体の姿の全般的な性格を
    非常に正しくとらえているにしても、この全体の姿を構成してい
    る個々の事物を説明するには十分でない。そしてわれわれが
    これらの個々の事物を知らないかぎり、全体の姿もわれわれ
    にとってあきらかではないのである」(テキスト2章)

   
*たとえば、「日本の侵略戦争で2000万のアジアの人の命が
    奪われた」という認識について。これは正しいが、「2000万の
    命」の個々の姿について、私たちが知る努力をしなければ、問
    題の本質にせまれない、ことも事実。

   
*つまり、森をみているが、木はみれていない。個々の木をみな
    いかぎり、その森の立体的・本質的な姿はみえてこない。ぼやっ
    とした理解。

    
「これらの個々の事物を知るためには、われわれは、それらを
    自然的または歴史的連関からとりだし、それぞれ独立に、その
    性状、その特殊な原因と結果などにしたがって、それらを研究
    しなければならない。このことは、なによりもまず自然科学と歴
    史研究の任務である」(同上)

 
2。形而上学的な唯物論の歴史的必然性
  
◇細部に分け入る

    
「自然をその個々の部分に分解すること、種々の自然過
    程と自然対象を一定の部類に分けること、生物体の内部
    をその多様な解剖学的形態にしたがって研究することは、
    最近400年間に自然を認識するうえでおこなわれた巨大
    な進歩の根本条件であった」(テキスト2章)

  
◇木をみて、森をみず、の危険に

    
「しかし、それは同時に自然物や自然過程を個々ばらばら
    にして、大きな全体的連関の外でとらえる習慣、したがって、
    それらを運動しているものとしてでなく、静止しているものと
    して、本質的に変化するものとしてでなく、固定不変のもの
    として、生きているものとしてでなく、死んだものとしてとらえ
    る習慣を残した。…この見方が自然科学から哲学へうつさ
    れたことによって、それは最近数世紀に特有な偏狭さ、す
    なわち形而上学的な考え方をつくりだした」(同上)
    
「形而上学者にとっては、一つの物は存在するか、存在しな
    いかである。一つの物がそれ自身であると同時に他のもの
    であることはできない。肯定と否定は絶対的に排除しあうし、
    同様に原因と結果は硬直した相互対立をなしている」(同上)

   
*あれでなければ、これ。○か×か。白か黒か。
   
*医学の進歩も、個々の身体部位の研究蓄積の成果だが、
    トータルで患者をつかむ見方の後退。「連関と相互作用の
    無限にからみ合った姿」が1人の人間。社会も同じ。
   
*「学問の全体像をつかむ」(池内了、『民青新聞』06.5.22付より)

 
3。弁証法と唯物論の統一
  
◇ドイツ哲学の登場-ヘーゲル弁証法

    
「ヘーゲルの体系においてはじめて-そしてそのことが
    
この体系の大きな功績であるが-自然的、歴史的、およ
    
び精神的世界全体が一つの過程として、すなわち、不断
    
に運動し、変化し、改造され、発展しているものとして
とら
    えられ、叙述され、そして、この運動と発展のうち
にある
    内的な連関を指摘する試みがなされた」(テキスト2章)

  
◇ヘーゲルの限界をのりこえ、科学的世界観の確立
   
*唯物論と弁証法の統一
   
*ものごとをありのままに見れば、弁証法的に動いている。
    また、ものごとの変化・発展をとらえようとおもえば、対象
    の事実をつかむ唯物論的観点が必要。

  
◇真理の相対性について

三。史的唯物論を確立-マルクスの偉大な功績
 
1。弁証法的唯物論を、社会を分析する武器とした
                         -過去だけでなく・現代も
  
◇階級闘争の歴史を、その経済諸関係から説明する

    
「人間の存在をその意識から説明するのではなくて、人間の
    意識をその存在から説明する道が見いだされたのである」
                                (テキスト2章)

  
◇資本主義社会の法則性と矛盾の暴露、新しい社会の必然性

    
「資本主義的生産様式について、一方では、その歴史的連
    関と一定の歴史的時期にとってのその必然性とをあきらか
    にし、したがってまたその没落の必然性をあきらかにするこ
    とであり、他方では、なおつねにかくされたままであったその
    内的性格をも暴露することであった。このことは剰余価値を
    あばき出すことによっておこなわれた」(同上)

 
2。二つの偉大な発見-史的唯物論と剰余価値学説
  
◇科学となった社会主義

    
「いまやなによりもまず問題なのは、この科学のあらゆる細目
    と連関をさらに仕上げることである」(テキスト2章)


以上。


感想文。

「難しいけど・・・やってわかっていけば、おもしろ
いんだろうなぁ~と思う。発展し変化していると
わかっているけど・・・羅針盤にできてるかなぁ~。
みんなであーでもない、こーでもないって言い合っ
ているのがおもしろかった」

「人数は少なかったけど…今日の講義は特に面
白い! 来れなかった人、残念です。『哲学』は
抽象的な学問であるから難しい」



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2008年3月 6日 (木)

セクハラ・母性保護改悪

今日(6日)の山陽新聞より。

女性職員への体触るセクハラ被害 「経験した」「見聞き」32人
岡山市職労アンケート


 
岡山市職員を対象にした市職員労働組合女性部の
アンケートで、女性職員が体に触られるセクハラ被害
について、32人が「経験した」「見聞きした」と回答して
いることが明らかになった
。懲戒処分の規定や相談窓
口が整った市役所内で、セクハラ行為が後を絶たない
実態が浮き彫りになった。
 
市職労は「重大な人権侵害で見過ごせない」として、
相談・問題解決態勢の強化を求めた要求書を高谷茂
男市長あてに提出した。
 
職員や関係者から「セクハラなどを受けたことがある
か」「見聞きしたことがあるか」との設問に対し、体に触
られる被害は、セクハラ行為(複数回答)の中で最多だ
った。場所は「飲み会」19人、「職場」9人、「誘われた
場」4人。手を握る、抱きつくのほか、胸や尻を触られた
り、キスをされたケースもあった。
 
このほか、身体的な特徴を言われるなど「性的な話題
をされた」(11人)、飲み会でおしゃくや男性の間に座る
ことを強要するといった「性的対象として扱われた」(7
人)、「執ように食事や飲みに誘われた」(6人)
―などと
なっている。
 
セクハラ行為を受けた女性職員の総数は公表してい
ない。「訴えても相手にされない」「人間関係がまずくな
る」などの理由で、相談できないとの声が目立った
という。
 
岡山市は昨年1月、「懲戒処分の基準に関する要綱」
をつくり、セクハラ行為についても、程度によって懲戒基
準を設けた。人事課は「結果を重く受け止めている。相
談しやすい環境づくりや早急な問題解決、職員の意識
改革などに一層、力を入れたい」としている。
 
アンケートは、公民館長による嘱託職員へのセクハラ
疑惑が表面化した1月、組合員の男女約3000人を対
象に行い、464人(女性280人)が回答した。

                          以上。



セクハラ問題も深刻なうえに、
岡山市では、いま、女性職員にたいして
とんでもない母性保護の権利後退が
提案されているという。


3日前のこと。学習協の会員でもある、
岡山市職労女性部のKさんから学習協に

電話があった。
「母性保護の改悪提案がされていて、学習し
なければならないので、資料をさがしている。
ネットで調べてみたら、99年の『友』5月号に川口
和子さんの論文があるみたい。在庫はあるだろうか」
ということだった。

創刊号以来、ほぼバックナンバーがそろっている
県学習協事務所である。
「ありますよ~。ついでに、最近のそうした特集の『友』
も探しておきます。本もあります」と回答。
「やっぱりそこは宝の山やね~」とKさん。

そして、きのうKさんが事務所に来て、
『母性保護‐輝いて働きつづけたい』(駒田富枝、学習の友社、1999年)を
お買い上げいただき、
『友』のそれ関係の特集のぶん3冊をお貸しした。

それで、「いったいどんな改悪提案ですか」と
聞いたら、それはそれは、聞いた私もビックリ。
とんでもないものだった。
立ち話の話で、正確さを欠くので、ここでは内容は
書きませんが、また情報を仕入れて、書くことにします。

しかし、いまの時代にそんな逆行がありうるのか、
と思える内容だった。
10月実施を狙われているそうで、
「学習会もして、絶対に拒否らなきゃ」と、

Kさんも怒り心頭の様子であった。

いまの時代、女性の力をかりなければ、
企業だって、行政だって、いい仕事はできない(活動でも)。

「21世紀は、女性の時代」が私の持論である。
そのために、女性が働きやすい職場をつくることは、
管理者にとっても重要な課題であるはずだ。

岡山市の現状をみるかぎり、
「女性の解放の度合いが社会進歩の尺度」
と説いたフーリエの言葉が、重く響いている。




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2008年3月 5日 (水)

ジタバタこんつめて

今日(5日)は、こんつめて、
県会報『明日の考察』の作成を
行っている。

いつもながら、作成にあたっての
計画性のなさが、
このジタバタぶりを生んでいる。

機関紙は、人間の体でいえば血液だ。
それぞれ役割をもっている頭や手足、
臓器などに栄養を送り続ける。

血液が滞れば、
すぐに壊死(えし)にいたる。
ああ! 恐ろしい!

そうならないように、
がんばってつくっているのであります。

もうすでにタイムリミット
オーバーしてるけどweep




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2008年3月 4日 (火)

チュニジアの11日間(13)

1月2日(チュニジア7日目)のつづき。

シェニニ見学をおえた私たち5人は、
ふたたびタタウィンの町へ戻った。

G夫妻の要望により、
「ガゼルの角」というお菓子屋さんに寄ることに。

Img_0812

 お菓子屋さんの
 前に4DWが
 着いた。







Img_0815
 お菓子の工房に
 入ることができる。

 チュニジアのお菓子は、
 基本あまい。しかも、
 しつこい甘さだ(笑)。

 そういえば、Nさんが
 エピソードとして言っていた。
 日本のせんべいを
 チュニジアの人に
 食べさせたところ、
 まったく受けつけず、
 「なんで菓子なのに塩味
 なんだ!」とびっくり
 されたという。



Img_0820

 店内は、
 観光客や地元の人で
 混雑していた。







Img_0825

 店を出て、通りを
 ながめていると、
 携帯電話を見ながら
 歩いているおじさんが
 いた。

 ミョーにおもしろい
 絵だったので、
 おもわず写真に。

 もう、こうした風景は
 世界共通ということか。




お菓子屋で買い物をすませて、
次は北へ移動する。
今日の移動距離はハンパでない。
たぶん300キロ以上はあったと思う。

4WDは、直線だと100キロを軽くオーバーして
走る走る(普通の道を)。

途中、メドニンという町を通った。
チュニジア南部の交通の要所である。大きな町だ。

G夫妻が、
「S水さんに電話しておこう」と、連絡をとった。
S水さんとは、メドニン在住のシニアボランティアの
女性である。メドニンでたった1人の日本人だとか。

「S水さんGです。いまメドニンの町に入ったのよ。
今日は通過するだけだけど…」
てな会話が交わされたのだが、
S水さんは、「なんでそれを早く言わないの!いまどこよ!」と、
メドニンに寄りなさいオーラを発せられた。

そのオーラに負けて(笑)、急きょメドニンで昼休憩することに。
こんな急な予定変更も、旅のおもしろさであります。

Img_0828
 S水さんと、
 G夫人。

 どちらも
 すばらしく快活な
 女性です。

 「エジプトの米が
 手に入ったの」
 と闇市のような
 交換が交わされる(笑)

 チュニジアにいる日本人に
 とって、「良質な米の確保」は、
 かなりの重要課題である。




Img_0829

 S水さんの案内で、
 市内観光に歩く。

 チュニジアの街中には、
 かならずこうした
 モニュメントがある。






Img_0831






 ここは、 
 クサール・メドニンの
 入口。

 








Img_0832



 穀物倉庫群の
 跡が、
 市場に
 なっている。

 






Img_0836



 やはり、
 不思議な
 光景である。









Img_0837


 メドニンの
 街中を
 どんどん歩く。

 なかなか
 活気がある。







Img_0838



 どこでも
 野菜や
 果物が
 てんこもり。









Img_0839




 モスクも。

 うーん、
 やっぱり
 青空に映えるなぁ。














Img_0845



 ふたたび
 市場へ。

 チュニジアでは
 あまりデパート
 らしきものはなく、
 個人店が
 密集している
 感じです。











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 ひひーん。

 ・・・とは
 鳴かなかったけど、
 馬です。













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 S水さんの案内で、
 チキンのお店へ。

 地元の方の
 オススメだけあって、
 とってもおいしい
 チキン料理でした。



S水さんふくめ、6人で昼食を楽しみ、
いろいろおもしろいお話も聞かせていただきました。
笑いっぱなしだったような気がします。

また、S水さんは、血糖値(血圧だったかな…?)が
とても高くて医師にも注意されていたらしいのですが、
チュニジアで、寝る前にチュニジアのオリーブオイルを
必ずスプーン1杯飲むことにしていて、
なんと血糖値が劇的に下がったとか。

Gさんいわく、オリーブオイルは、体の不純物を
排出してくれる役割があって、寝る前に飲むとかなり
効果的なんだとか。
S水さんの経験を「メドニンの奇跡」と言っていました(笑)
オリーブおそるべし! ですね。

S水さんは、たった1人で、メドニンの町で
たくましく生きておられる様子が伝わってきました。
いやはや、とてもすばらしい出会いでした。

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 メドニンを13時
 20分に出発!

 途中の道で、
 羊たちをのせた
 ISUZUのトラックを
 発見。





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 ゆく道の
 両側には
 延々と
 オリーブ畑が
 続く。

 チュニジア
 最大の農産物。

 中南部での
 栽培が多い。



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 いつのまにか
 夕方に。

 陽が沈む








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 なんかすごい。

 自然の美しさ
 は、想像力を
 こえますな。








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 日本で 
 この「色」は
 なかなか
 お目にかか
 れない。







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 やっと本日のホテルに
 到着!18時過ぎてました。

 ドライブ時間約5時間!
 一気にチュニジア中部に
 戻ってきました
 疲れた~。


ここは、マハディアという地中海に面した
中都市。ヨーロッパ人の観光地でもあります。

ホテルにはヨーロッパ人がウヨウヨ…。
かなりゴージャスなホテルだったのですが、
オフシーズンであるため、安く泊まれるそうであります。

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 ホテルでの食事。バイキング。
 まー、すごい料理の
 品数とゴージャスさでした。
 ほとんど写真に納めましたが、
 ここでは省略します。

 この真ん中の男性は
 もちろんホテルの人ですが、
 「こんにちは」と日本語で
 満面の笑みで話しかけて
 きてくれました。


私たちも調子にのって、
「こんにちはノーノー、こんばんわ」と、
日本語のレクチャーを…(笑)。

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 ケーキが並ぶ。

 これでもデザートの
 一部分。

 うーむ、危険だ。 
 体重が…。



この日の夜も、G夫妻と一緒の
楽しい晩餐となりました。

移動距離の長い1日でしたが、
やっぱり充実していました。

チュニジアは、ほんとうに、すばらしい。
そして、人との出会いは、やっぱり楽しい。


つづく。




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