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2008年2月29日 (金)

「果てしない痛み」

最近読み終えた本。
今日は書きたいことが山ほどあります。
ので、長くなります。最初に表明しておきます(笑)。


『NHK知るを楽しむ 人生の歩き方
 2月「野村克也 逆転の発想」 3月「石川文洋 戦場を撮る・人間を撮る」』
                                (NHK出版、2008年)


本屋でたまたま見つけたもの。
野村克也と石川文洋という、
「1冊で2度おいしい」中身にひかれた。
石川文洋さんの分は、これからの放映予定となっている。

文洋さんも良かったのですが、
やっぱりノムさんのほうが印象深く残りました。
少年時代の極貧生活。
プロ野球に入るまでの苦労や、
南海に入団してからのエピソードの数々も
すばらしくおもしろい。

また、解説者になってから、
「さまざまな分野の本を読むようになった」という。

「評論をやるには一定の判断基準が必要になる。
そのためには
知識の幅を広げて、自分なりの思想、
哲学を持たなければならない
と思った」

思想や哲学をもつには、「知識の幅を広げる」こと。
野球専門ではあかんということです。共感!

そして、ID野球について。

「つまりは『頭を使って野球をしろ』ということなんです。
たとえばピッチングならば、
目的意識のない球は投げ
るなということ
。…我々が入った頃は『気合いだ、根性
だ!』っていう精神論の時代でしたからね(笑)特別な
根拠もなく、何となく投げていたことが多かったように
思います…キャッチャーには『根拠のないサインは出
すな。こういう理由があるから内角、こういう場面だか
ら変化球と、根拠をもったサインを一球一球積み重ね
ていけ』と厳しく指示することにしています」

これは、私たちの活動にも言えることだと思う。
目的意識のない会議、根拠のない課題提起、
つまり「なんとなく」「今までやってたから」というケースが
多すぎるような気がします。

最後のページの野村哲学も良い。

「野球人である前に一人の人間としてどう生きるか、
が重要ですからね。『人間はなぜ生まれてくるのか、
何のために生まれてくるのか、考えたことあるか?』
なんて質問を選手たちに投げ掛けることもあるんで
すよ。・・・選手たちに考えさせるんですよ。野球は
やっぱり『人』。団体競技でチーム最優先であること
は前提としてありますが、そのためには個人ひとり
ひとりの生き方や価値観が大切になってくる。自分
がどう生きるべきかを考えれば、野球観もおのずと
変わってくるはずですよ」


『きのこ雲の下から、明日へ』(斉藤とも子、ゆいぽおと、2005年)

原爆小頭症。
母親の胎内で被爆した、もっとも若い被爆者です。
1945年8月の時点で、3か月とか、5か月だった小さな命。
原爆による放射線は、容赦なくその小さな体を貫きました。

特徴は、出産時とても小さく、成長は遅く、
知的障害をもっていること。

原爆による障害であることは明らかであるにも
かかわらず、原爆が「うつる」と言われた時代、
障がい者への差別や偏見もあった時代です。
20年間にわたり、原爆小頭症の子どもたちのことは
おおやけになりませんでした。

1965年6月に、作家の山代巴さんらの「広島研究の会」が
9名の原爆小頭症児をみつけだし、同じ痛みをもつ親子が
初めて集うことになりました。

「きのこ会」という会が生まれたのです。

「きのこ雲の下に生まれた子どもたち。たとえそうで
あっても、落ち葉を押しのける『きのこ』のように、す
くすくと逞しく育ってほしい…」
という思いがこめられた名前です。

井上ひさしさんの『父と暮らせば』のお芝居で、
美津江役を演じた斉藤とも子さんが、原爆小頭症と出会い、
自らの使命として、「きのこ会」の歩みと、その家族の
40年を綴った1冊です。

私自身、こうした人たちの存在は、
これまでまったく知りませんでした。
いや、どこかで文字として読んだかもしれまでんが、
記憶にとどまることはなかったのです。

しかし、この本を読み、
あらためて原爆のことについて考え、
向きあうこととなりました。

きのこ会の家族の人生や生活が丹念に
書かれています。
そして、あらためて感じたこと…。

それは、被爆者の方々の人生や生き方から、
私たちはとても多くのことを学ばされる、ということ。

原爆は、“人間らしさ”とはもっとも対極にある、
「悪魔の兵器」と呼ばれるものです。
その原爆とのたたかいを一生宿命づけられた
人びとの苦悩や、それでも前を向いて生き続ける姿。

“人間”を押しつぶすものとのたたかいのなかに、
人間らしさ、の本質がにじみ出てくるのではないでしょうか。
それをしっかり受けとめたいと思います。

また、エピローグでの、斉藤さんの最後の言葉。

「きのこ会が遺してくれたもの。
いのちをかけ、身をもって示してくれた、
原爆が人間に与える、果てしない痛み。
そして、人は人によって、生かされるのだということ」

来月の倉敷医療生協労組での、
「みんなの学校」4回目の講義のために
読んだ本ですが、この「果てしない痛み」が、
講義の、ひとつのキーワードになると思います。
そして、もう一つの柱は、被爆者の人生やたたかいから
学ぶこと。講義のイメージが、ほぼ固まりました。


『朽ちていった命-被曝治療83日間の記録』
       (NHK「東海村臨海事故」取材班、新潮文庫、2006年)


1999年9月30日。
茨城県東海村で起こった臨界事故。

ウラン燃料の加工作業を行っていた、
大内さんと篠原さんは、中性子線をまともに
あび、被曝。

被曝量が8シーベルトをこえた場合の死亡率は100%。
大内さんの被曝量は20シーベルト前後だったという。

83日後に大内さんが亡くなるまでの、
壮絶なたたかいを追ったドキュメント。

東大病院で、現代医学の総力をかけ、
集団的な治療体制をもってしても、
放射線に貫かれ朽ちてゆく、
人体を再生することはできなかった。

驚いたのは、被曝後6日目、顕微鏡に
写しだされた大内さんの染色体写真(本に写真がのっている)。

まったくバラバラに破壊されているのだ。
染色体がバラバラに破壊されるということは、
今後新しい細胞がつくられないことを意味している。
被曝した瞬間、大内さんの体は、「生命の設計図」を
失ってしまっていたのだ。

血液を専門として20年になる、平井医師にとっても、
大内さんの染色体は、
これまでの知識と経験をはるかに超えるものだったという。

「病気が起きて、状況が徐々に悪くなっていくのでは
ないんですね。放射線被曝の場合、たった零コンマ
何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる。
ふつうの病気のように血液とか肺とかそれぞれの検
査値だけが異常になるのではなく、全身すべての検
査値が刻々と悪化の一途をたどり、ダメージを受けて
いくんです」

3年ほど前に読
んだ、『原爆投下・10秒の衝撃』(NHK出版)
という本を思い出し、ひっぱり出してみた。

原爆が爆発するまえ、
0秒から100万分の1秒のあいだに、
猛烈な核分裂により、「中性子の雨」が、
爆心地付近の人々に、ふりそそいだという。

中性子は大内さんのケースのように、
染色体をこなごなに破壊する。
家の中にいてもダメで、日本家屋は中性子を
半分ほどしかさえぎらないという。

「この中性子こそが、原爆の最初の攻撃の矢となった。
中性子は人体に多大なダメージを与える。中性子は
あらゆる物質を通り抜け、地上に達し、あらゆるものを
突き抜ける。家の中にいても、避けることはできない。
また、中性子は、空気や水、土などあらゆる物質の
原子核にぶつかり、核反応を引き起こし、新たな放射
線を生み出す」
人々が原爆の閃光を見る前に爆弾から放たれた放
射線は、爆心地の人々に死の刻印を押した

               (『原爆投下・10秒の衝撃』)

「あの日」。熱線や爆風の以前に、
広島の爆心地の人々は、中性子という
「人間の生命」そのものを粉々に破壊する
放射線をあび、死を運命づけられた。

その意味が、大内さんの染色体の写真を
みて、本当に恐ろしいイメージとして浮かびあがってきた。

大内さんは、被曝後、最初の数日は、
看護師さんや医師ともコミュニケーションがとれ、
元気に会話もできた。
しかし、「死の刻印」を押された大内さんの体は、
すさまじい勢いで朽ちてゆく。
さまざまな治療がほどこされるが、それも焼け石に水、
という状態となる。

放射線のおそろしさを、これほどリアルに実感できる本は
おそらくないだろう。

巻末に「解説」の一文を寄せている
柳田邦男さんは、こう書いている。

「私にとっては、核兵器による被爆も原発事故による被曝も、
同じ視野の中にあった。その経過の中で、私は大量の放射
線が人間にもたらすものについて、わかったつもりになって
いた。そのわかったつもりを打ち砕かれたのが、本書によっ
てだった。
 ・・・大内氏の体内では、放射線被曝の瞬間に、細胞を秩
序立てて再生してゆく“生命の設計図”を秘めた染色体が、
専門家の知識と経験をはるかに超えるほどのひどさで、め
ちゃくちゃに破壊されていた。
 ・・・最先端の薬や技術を総動員しても、あらゆる臓器、組
織、機能が総崩れになっていくのを食い止めることができな
い。その凄まじい病態・病状の記述に私は息を呑むと同時
に、ハッと気がつくことがあったのだ。
 ・・・
大内氏の83日間の凄絶な闘いのディテール(細部)を
知った上で、原爆被爆者たちの病状の記述を読み返したと
き、簡潔な医学的記述の向こう側にあった重症被爆者たち
1人1人の死に至るまでの、むごいとしか言いようのないプ
ロセスが、突如物凄いリアリティをもって見えてきた


広島や長崎の爆心地付近で奇跡的に助かった
人びとに、「死の刻印」は容赦なかった。
大内さんのように最初は元気に歩けたり、話ができていた
人が、急に嘔吐や下痢をしはじめ、あっというまに亡くなってゆく。

核兵器・放射能の恐ろしさを、これでもかと、思い知らされる1冊だった。
なお、直接的な放射線被曝の他に、
放射性物質を体内に取り込む内部被曝の問題については、
『内部被曝の脅威』(ちくま新書)をぜひ読んでほしい。


『全員勝ったで!-原爆症近畿訴訟の全面勝訴を全国に』
    (原爆症認定近畿訴訟弁護団、かもがわブックレット、2006年)


原爆症認定集団訴訟の問題について
整理がつき、よくわかります。

放射線影響研究所の前進がABCCだったとは。
そして、その放影研のデータや論拠をもとに、
厚生労働省が被爆症認定を行い、
被爆者をバッサバッサと切りすてる・・・。
なんなんだ!この国は!

被爆者を先頭にしたたたかいのなかで、
「新しい基準」がつくられようとしていますが、
まだまだたたかいは続くことが予想されます。

被爆者は、原爆・核兵器とたたかいながら、
この国ともたたかわなければならない。
憤りを感じる。


『ヒバクシャの心の傷を追って』(中澤正夫、岩波書店、2007年)


私は、2005年の8月に、
広島・長崎の世界大会に行き、9日間をとおして、
現地を歩き回り、また文献も読みあさった。

そのとき、被爆者の人びとの手記もたくさん読んだ。
何度も涙がでた。そして、被爆者の「心の痛み」についても
ある程度理解していたつもりでいた。

が、この本は、そうした私の浅い理解に
痛烈なパンチをあびせかけた。

「果てしない痛み」の意味が、ぼんやり見えてきた。

実際は見ているはずなのに、記憶を封じ込めている
「記憶の欠損」。
「見捨て体験」「感情の麻痺」という“心の傷”も、
手記や文献などを読んで知ってはいたが、
それがどういう精神的な立体構造のなかで起こって
くるのかということについて、この本では深く掘り下げている。

著者は、精神科医。
精神分野の著書もたくさんある。
その著者が、これまでの先行研究を土台に、
ヒバクシャの心の傷の変化に焦点をあて、
追っている。

読むのはかなりしんどい。
とくに3章の「見捨て体験とその記憶の再現」は、
ずっと泣きっぱなしで本を読んでいた。

心の傷は、もちろん人それぞれ違いがあるが、
特徴的な共通性もある、という。
しかも、月日がたつにつれ、
微妙に内容が変化し続けている。

最初は、PTSDにつきものの「フラッシュバック」であり、
「あの日」の情景が浮び上がってくる。
次第に、「自分が助けられなかった、見捨てた人びと」
という個人的なエピソードが加わる。
そして、人の死や苦しみを見ても「何も感じなかった」という
感情麻痺から、「自分が生きていることの罪」の意識が
強くなる、という。それは無意識の自己防衛でもあったのだが。

そして、被爆者が今、当面しているのは、
「生きていることの罪」意識よりも、
「ここまで生き残ったことの意味」を問う作業だという。

また、「サイレント・マジョリティ」。
今も原爆の体験を語れない多くの被爆者の存在の
なかにこそ、心の被害の本質がある
、と指摘している。

被爆者の心の傷は、緩和されることはなく、
より深化している。
私たちが、その「心の傷」を本当のところで
理解することは、難しいかもしれない。

が、著者の中澤さんのように、
その「心の傷」に寄り添うことはできるはずだ。

そして、運動をし続けること。
それが私にできることだと思う。



・・・うーむ、何を整理したいのか、
自分でもわからなくなってきた。
まだ、学んだことを消化しきれていない。
とりあえず、このへんで終わりにしときます。

「みんなの学校」4回目の講義までに、
なんとかまとめる作業をしたいと思う。



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2008年2月28日 (木)

労働学校の要請に

きのう(27日)は、
75期岡山労働学校(5月8日開校)の
募集要請にまわりました。

運営委員のT口さん、新人運営委員のM鍋さんと一緒に、
5か所まわりました。

75期および、プレ企画への募集要請です。


Img_1498 最初は
 生協労組おかやまに。
 N崎書記長が対応して
 いただきました。

 生協労組の書記局は、
 ツワモノぞろいで
 口も立つ方が多いのです(笑)。


「木曜日はな~」といつものように(失礼!)
かるくボディブローをあびせられつつ、
運営委員はがんばるのでありました。

でも、最終的には
「じゃあ、チラシを150枚おくれ」
となり、宣伝してくれることに。

よろしくお願いします。


Img_1499
 続いては、
 ソワニエ看護専門学校へ。

 M田副校長が
 「よくこられましたね~」
 と歓迎ムードで対応して
 いただきました。


ここは、岡山県民医連が設立した
看護学校でありまして、
労働学校や学習協の企画も、宣伝したり
生徒さんを連れてきてくれる学校なのであります。
私も非常勤講師でお世話になっております。

ひととおり要請をしましたが、
近くでウロウロしていた、労働学校常連受講生で
ソワニエで教務主任をされているY岡先生に、
T口さんが「はいY岡先生、申込み書いてくださいheart」と
速攻攻撃。
Y岡さんは、「またF原先生の講義が1回しかないじゃない!」
と注文をつけられておりましたが、なんの躊躇もなく
申込みを書いていただきました。75期もよろしくお願いします…。

11時に出発したため、午前中は2か所で終了。
ランチを3人で食べ、
午後の最初は、岡山医療生協労組へ向かいました。

もう、ツーカーで話が通じる労働組合でありましたので、
コーヒーをいただきながら、ちゃぶちゃぶ別の話など
しておりました。その後、病院内をまわり、
総務で仕事をしていたT井さんをひっぱりだし(ウソ)、
「もちろん来るんじゃろ~」と、申し込みをGET!
草の根戦術であります。

続いて、林精研労組によって、
労組と病院内をまたもグルグルまわり
いろんな人にチラシを渡してきました。


Img_1500
 そして、この日最後に
 訪れたのは、
 岡山市職労。

 執行委員のO平さんが
 対応していただきました。

 

といっても、O平さんは私が岡山に来て以来の、お友だち。
労働学校でも、もちろん長いお付き合い。そして、
相方との結婚を祝う会の実行委員長もしてもらった
仲間であります。そのO平さんも、いまでは3人の子持ち…(涙ぐむ)。

O平さんは、学習の重要性を感じつつも、
さまざまな課題におわれる日々の苦労を語られました。
政令指定都市となる岡山市で、なんと3年間も
新採用凍結というとんでもない事態になっているのが
岡山市の現状であります。むちゃくちゃな市長です。

O平さんは、「今度の新歓実行委員会で紹介させてもらいます」と
快く労働学校の要請に応えていただきました。

以上、まだまだ要請活動ははじまったばかり。
引き続き活動を広げていきます。


Img_1501
 そして、夜は75期労働学校の
 第3回運営委員会。
 
 運営委員4人中3人の
 出席で、独習交流、
 募集の状況交流、
 今後の課題や役割について
 話が進んだのであります。


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2008年2月27日 (水)

みんなの学校 第2回

きのう(26日)の晩は、倉敷医療生協労組の
「みんなの学校」の2回目がありました。

参加は7名だったと思います。
青年部事務局長のK本くんは
相当いろんな人に参加の声かけをした
ようでした。参加は増えませんでしたが、
こうした努力がきっと実を結んでいくと思います。

さて、きのうは
『映像の世紀-世界は地獄を見た』
ということで、もう十数年前になるNHKスペシャルの
DVD(75分)をみました。

Img_1494



 壁に映して
 みました。






第二次世界大戦を映像でふりかえる
このDVDのすごさは、なんといっても
そのリアルな実写映像です。

ドイツのヨーロッパ侵略、ユダヤ人迫害、
アウシュビッツ。
日本のアジアでの戦争も、
多くはないですが、でてきます。
インドネシアの子どもたちによる
「日本語弁論大会」が衝撃です。
また、重慶爆撃や、バターン死の行進などの映像も。

DVDの後半は、かなーり重たいものばかり。
あの独特の音楽にあわせて、戦争のリアルな
映像に、誰もが言葉を失います。


Img_1495
 DVDを見ての
 感想交流の様子。

 どんより重い
 空気が流れます。

 「ヘビーだった」
 「きつい」
 という声。



参加者の感想文より抜粋。

「私は今回のビデオは初めて見ました。キノコ雲や
戦闘機の爆撃の様子などは写真などで知っていま
したが、収容所の死体の山や、兵士が人を殺す様
子が大量にあって、人の死がひどくリアルに感じら
れました。
 私が印象に残ったのは、日本が植民地の人たち
に日本の文化を押しつけている場面です。植民地
の子ども達が、日本語で話したり、日本の歌に合わ
せて踊っている様子を見て、背筋が寒くなりました。
他国の文化を奪い、自国の文化を押しつけることで、
戦争が終わってた後にも、大きな歪みを残してしまう
ことになるんだと実感しました」

「映像のなまなましさから、日本がしてきたことを再
確認し、改めて、悲惨さと残虐さを感じました。
 人権とか平等とか当たり前に守られないといけない
はずなのに、守られない時代があったことをおそろし
く感じます。たくさんの人生がこわれていった戦争の
責任の重大さを次回学んでいきたい」

「本当にしんどい映像だった。戦争は全て壊してしま
う。文化も人権も生命も。戦闘が終わっても消えない
ものはたくさん残り、とりもどしたいものはかえらない。
人を残虐な行動にかりたてる。本当に恐ろしいもので
あると再確認した」



次回は、3月11日(火)、
「日本の戦争と戦後責任-そんなのかんけーねー!?」
というテーマで学びます。




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2008年2月26日 (火)

『学習の友』3月号

『学習の友』3月号の主な内容のご紹介。

【特集-自民・民主の5つのネック】
 1。図解 医療、社会保障の問題点(公文昭夫)
 2。物価高の原因と対策(今宮謙二)
 3。防衛省汚職と政治・軍事の結びつき(森近茂樹)
 4。経団連「2008経労委報告」を読む(丹下晴喜)
 5。政治的激変がおきた根拠(山田敬男)

*連載「労使関係と暮らし改善の道」(辻岡靖仁・田中紘一)
 ・第3回-団結とたたかいこそ貧困打開の唯一の道

*連載「いま、働き方・生き方を考える」(中田進)
 ・第3回-人間らしく生きる権利


小さな記事の紹介は省略しまして・・・
最近、『友』の目次のページなどで使われる写真が、
いつも昨年9月に倉敷で行った学習教育運動セミナーの
ものなんですけど・・・。いつも同じ人がのってます!

それはさておいて、
『学習の友』は増やさなければ減ってゆく。

昔、私が岡山県学習協に関わり始めた20歳ぐらいのこと。
何かの企画のときに、水前寺清子のナントカのマーチの替え歌で、
こんな歌がじっさいに歌われていたのを、今でも鮮明に覚えている。


「拡大は~ 歩いてこない だ~から歩いてゆくんだよ~
 1日1部~ 3日で3部~ 3部増やして2部減誌~ 
 人生は、ワンツー ワンツー ・・・」


うわさによると、某政党機関紙の拡大にも
この替え歌が使われていたとか…。
正確ではないですから、本気にしないでくださいね…(笑)。



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2008年2月25日 (月)

チュニジアの11日間(12)

1月2日(チュニジア7日目)の朝。
6時起床、7時前にはホテルで朝食をとる。

Img_0764_4



 今日は
 天気が
 よさそうだ。


 月が見えた。















Img_0765

 えらくシンプルな
 朝食となった。

 パン、ハム、トマト、
 コーヒーなど。





Img_0766


 朝日で
 きれいだなぁ。





8時にG夫妻とともに、出発。
今日も4WDで5人旅である(運転手さん入れたら6人か)。

30分ほど車にゆられて、
今日最初の目的地、
クサール・ハッタダに到着する。

ここは、かつて穀物倉庫として
使われていた場所である。

Img_0771




 なかに入ると、
 猫が
 出迎えてくれた。




 おはよう
 ございますニャン。










Img_0772


 こういう
 建物群です。

 どことなく
 かわいらしい。








Img_0774


 クサールの
 中に
 入ってみる。


 猫が案内役。





 こっち、
 こっち。







Img_0776





 ここも
 いいでしょ。




 ないすぽーず
 だが、
 もっと笑顔が
 ほしい(笑)








Img_0779




 中央の
 白い建物は
 モスク。








Img_0785
 クサールは
 穀物貯蔵庫と
 して使われて
 いたが、人の
 住居としても
 使われていた
 そうだ。

 今、ホテル
 として使う
 ために改修中。



Img_0791




 にしても、
 今日は空が
 青い!!

 青すぎる!

 気持ちいい~。













Img_0794

 30分ほどで
 見学終了。

 さて、次に向かった
 場所は…。





Img_0796

 シェニニ、
 と呼ばれる
 山の上の
 村である。

 現在も少数
 だが人が
 住んでいる。





Img_0797

 気合いを
 入れて、
 登り道を
 歩いてゆく。

 しかし、
 空が青い。






Img_0798

 ふりかえって
 景色を
 ながめる。

 こんな所に
 住むって
 どんな
 感じなんか
 なぁ~。




Img_0800


 8合目付近に
 モスクあり。

 白く美しい。









Img_0801



 山の
 てっぺん
 まで登ると、
 裏側の景色が
 見わたせた。







Img_0802






 

 絶景でした。















Img_0804



 よく見ると、
 段々畑のように
 なっている。









 そして、
 道を歩く人。
 





Img_0808



 下山(?)
 する。










Img_0810





 もちろんここにも
 土産物屋さん。

 観光客いるところ、
 商売あり。













すばらしい景色を満喫し、
シェニ二をあとにした一行は、
ふたたびタタウィンの町へ戻る。

つづきは次回。




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2008年2月23日 (土)

空想的社会主義とは

きのうは、古典講座『空想から科学へ』
2回目がありました。

仕事の都合や病欠などで、
残念ながら参加は5名と少なかったのですが、
なかなかおもしろい学習会となりました。

きのうは、「空想的社会主義-何を学び、何を乗りこえたか」
というテーマで、『空想から科学へ』の1章を中心に学びました。

最近はいろんなテーマで話をする機会を
いただいているのですが、
科学的社会主義を話すときが
自分自身、いちばん楽しくしゃべれる気がします。

やはり変わり者、ということでしょうか(笑)

参加者のみなさんにもかなり笑って
いただいた学習会となりました。


では、以下、講義の内容です。


はじめに:細部にこだわらず、流れと大筋をつかむ読み方で



一。『空想から科学』とはどんな著作か
 
1。もとになったのは、『反デューリング論』(エンゲルス著)
  
◇『反デューリング論』とはどんな著作か
   
*論争の書であると同時に、科学的社会主義の理論を
    全面的に展開している著作

    
「つまらない相手との論戦の退屈さも、哲学、自然科学、
    歴史の諸問題についてのわれわれの見解の百科辞典
    的な概観をあたえる試みが効果をあげる妨げにはなら
    なかった」
    (エンゲルスからベルンシュタインへの手紙、
1884.4.11)

    
「これはおどろくほど内容のゆたかな、教えるところのお
    おい書物である」
               
(レーニン『フリードリヒ・エンゲルス』)

 
2。『反デューリング論』の抜粋版-科学的社会主義の入門書として
  
◇フランス労働党の、科学的社会主義理論の普及のため、
   要請にこたえる

  
◇マルクスの紹介

    
「われわれは、このパンフレットにこの本(『反デューリン
    グ論』のこと-長久)の理論的部分からのもっとも適切
    な抜粋をのせたが、それはおそらく科学的社会主義へ
    の入門書となるであろう」
                (フランス語版への序文
1880年より)

   
*実際、ヨーロッパはもとより、世界中でこの『空想から科
    学へ』は紹介・翻訳され、『共産党宣言』とならんで、科学
    的社会主義の普及に大きな役割をはたした。

  
◇日本での普及
   
*1906年(明治36年)に最初の翻訳(訳者・堺利彦)
   
*それから100年のあいだに出版された日本語訳はおそら
    く何十種にものぼり、それだけ多くの人に読みつがれてきた。



二。空想的社会主義の意義
 
1。科学的社会主義の源流のひとつと意義づけられる
  
◇「三人の偉大な空想家」(『空想から科学へ』1)

    
「ドイツの理論的社会主義は、サン・シモン、フーリエ、オウ
    エンという三人の人物、どんなに空想的でユートピア的であ
    ろうと、やはりすべての時代をつうじて最も傑出した思想家
    に属し、今日その正しさが科学的に立証されつつある無数
    の事柄を天才的に予見したこの三人の人物の仕事に、自
    分が支えられていることを、けっして忘れない」
     (エンゲルス『ドイツ農民戦争』
1870年版の序文への追記)

    
「いまではただ微笑をさそうだけの夢想についてもったいぶっ
    てあらさがしをしてまわったり、このような『妄想』にくらべて自
    分たちの気のぬけた考え方の優位性を主張したりすることは、
    三文文筆家(デューリングのこと-長久)にまかせておけばよ
    い。われわれはむしろ、夢想の外皮の下からいたるところで
    姿をあらわしているが、あの俗物どもの目にははいらない天
    才的な思想の萌芽や思想をよろこぶのである」
                           (『空想から科学へ』1)

  
◇ごみばこに投げ捨てるやり方、ではなく
   
*弁証法的否定-肯定をふくんだ否定、発展の契機としての否定

    
「発展の過程における古いものの否定とは、…いっさいを破
    壊し、ご破算にすることではありません。古いもの自身のなか
    から育ってくる力によって、古いもの自身のなかにある積極
    的な要素を吸収し、それを足場とし、素材としておこなわれる
    ものなのです」  
(労働者教育協会編『新・働くものの 学習
    基礎講座1 哲学』学習の友社、
1998年)

   
*私たちの日常生活、日常活動のなかでも、これは大事な
    態度・考え方になる

 
2。フランス啓蒙思想家と、社会主義思想
  
◇フランス革命を思想面で準備した啓蒙思想家たち
   
*封建的な諸勢力の支配を打倒して、ブルジョアジーの支配を
    うちたてた革命
   
*啓蒙思想家たちは、事態の根底にある「物質的な経済的事
    実」ではなく、理性の立場から、封建制社会に批判をくわえた。

    
「宗教、自然観、社会、国家制度などすべてのものに、容赦な
    い批判がくわえられた。すべてのものが理性の審判の前でそ
    の存在の正当性を立証するか、さもなければ存在することを
    あきらめなければならなかった。知性の思考が唯一のものさ
    しとしてすべてのものにあてがわれた」(『空想から科学へ』1)

  
◇「理論的形式上」の後継者として

    
「現代の社会主義は……その理論的形式から言えば、それ
    は、18世紀のフランスの偉大な啓蒙思想家たちがうちたて
    た諸原則をひきつぎ、さらにおしすすめたものとしてあらわれ、
    しかもいっそう徹底させたもの」   (『空想から科学へ』1)



三。3人の空想的社会主義の思想と特徴
 
1。サン・シモン(1760‐1825)
  
◇アメリカの独立戦争やフランス革命に参加
   
*フランス名門貴族の家に生まれる
   
*16歳のとき、軍務につき、アメリカにわたって、独立
戦争に
    参加。人民主権をうたった革命に強い影響を受ける。
   
*フランス革命の最中に土地の売買で儲け、そのお金で学者
    
を集めて新しい社会の研究をはじめる。

  
◇サン・シモンの天才的な洞察
   
*フランス革命を階級闘争-「怠け者」と「働くもの」との階級
    闘争としてとらえた。
    
・現代日本の社会では、階級間の対立ははっきり目に見える
     ものだけれど、当時は「階級」というものを意識することはた
     いへん困難だった。
   
*「働くもの」=「産業者」が社会の管理者にならなければならない
   
*「生産の管理」が行われれば、国家の支配は不必要になると
    考えたこと

 
2。シャルル・フーリエ(1772‐1837)
  
◇「もっとも偉大な諷刺家(ふうしか)」
   *毛織物商のひとり息子として生まれる。
   
*7歳のときに、買った品物に傷があることを正直に客に知ら

    て父に怒られた経験をきっかけに、商売の世界、詐欺とご
まか
    しに満ちている社会に疑問をもつようになったという。
   
*21歳のとき、自分でフランスの商工業の大中心地である
リヨ
    ンに商店を開く。その後も、行商や商店員、あるいは
もぐり仲
    買人など、生活のために商業の分野にたずさわる。
   
*フーリエは、自らの経験にもとづき、商業社会という面から
資本
    主義の害悪を痛烈に批判する、体験的告発者だった。

  
◇フーリエの卓見
   
*「ある社会における婦人の解放の度合いが全般的な解放の
    自然の尺度である」。つまり、女性がどれくらい解放(自由や
    権利を拡大し、社会的な地位を高めているか)されているか、
    ということが、社会進歩の目じるしだ、と語った。
    
・『週刊東洋経済』(08.2.9号「働きウーマン」特集)にみる、世界
     と日本における、女性「解放」の度合い。
   
*社会の歴史発展について、「野蛮-家父長制-未開-文明」と
    いう4段階説をとなえた。資本主義は「文明」段階にあたる。
    
そして、「文明の段階は、未開時代に単純なやり方でおこなわ
    れたあらゆる悪徳を、
複雑な、あいまいな、うらおもてのある、
    偽善的な存在の仕方に高める」と述べた。
    
・今日の新しい奴隷制度ともいうべき日雇い派遣、偽装請負など
     は、その典型例。
   
*また、「文明時代には貧困は過剰そのものから生じる」という、
    弁証法的なとらえ方、恐慌論にもつながる見方をしめした。
    今日の日本社会にもつうじる。

 
3。ロバート・オウエン(1771‐1858)
  
◇人道的な産業資本家として
   
1771年、イギリスの商人の家に生まれる。
   
*フランス革命が始まった1789年には、18歳で早くも紡績
    機械製造工場の共同経営者の1人となる。1792年
には
    マンチェスターの大紡績工場の支配人に。
   
*人道的な立場から、労働者の待遇を改善する経営方式を
    
とりいれる。スコットランドのニュー・ラナークに、
2,000人近
    い労働者が働く大紡績工場をつくり、経営。
大成功をおさめる。
   
*この成功に満足しなかったオウエンは、ニュー・ラナークで
    の成功を、全社会的な規模におしひろげ、新しい社会を建
    設しようと、計画をたてる。その構想を公表し、ヨーロッパ各
    国の政府や支配層に支持を訴える。
   
*さらにすすんで、アメリカのインディアナ州に土地を買って、
    共産主義的なコミュニティ「ニュー・ハーモニー」の建設にの
    りだす。市場経済を排した大きな実験だったが、この計画は
    見事に失敗に終わる。
    
しかしその後も、「イギリスで労働者の利益のためにおこなわ
    れたすべての社会運動、すべてのほんとうの進歩は、オウエ
    ンの名前と結びついている」と賛辞されるほど、労働組合運
    動や協同組合組織の発展などを中心に、多大な貢献をおこなう。

  
◇「性格形成理論」
   
*人間の性格は、生まれつきのものではなく、環境によって
つく
    られる、と説いた。
   
*それを、自分の経営する工場
で実践する。労働時間の短縮、
    
教育施設や幼稚園の設置、年
少者労働や体罰を撤廃し、労
    
働者とその家族にきちんとした家、学校、夜間クラス、無
料医
    療サービス、手ごろな値
段の食料品を提供したといわれている。
   
*結果、オウエンの工場では、それまで道徳的退廃がひどかっ
    た労働者たちが、まじめによく働くようになったといわれ、労働
    条件改善・福利厚生に資金を投じたにも関わらず、利益は多
    かったという。



四。空想的社会主義の弱点と限界
 
1。変革の主体が誰なのか、を明確にできなかった
  
◇「理想社会」を描き、人びとに宣伝し「さあ、ついてこい」という
    ものだった
   
*典型はフーリエの理想村見取り図
                -新聞広告で建設寄付をよびかける

    
「空想的社会主義はじっさいの活路をしめすことができな
    かった。それは資本主義のもとでの賃金奴隷制の本質を
    説明することもできず、資本主義の発展法則を発見する
    こともできず、また新しい社会の創造者となることのできる
    社会的勢力を発見することもできなかった」
    
(レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』)

 
2。マルクスの位置づけ
  
◇『フランスにおける内乱』第一草稿より

 
3。空想から科学へ
   
    
「社会主義を科学にするためには、まずそれが実在的な基
    盤の上にすえられなければならなかった」

  
◇現代の私たちへの教訓を考えるならば
   
*職場や社会を変える運動に参加しはじめた人たちが、最初
    から確固たる見通しや社会発展の法則性について、身につ
    けているわけでは、もちろんない。
   
*職場や社会のなかで、不合理や矛盾にぶつかり、「おかし
    い!」と運動に参加してくる1人ひとりの思想も、「よりよい職
    場や社会をつくりたい」という一般的な段階や、自分の目の
    前の切実な要求という、ある意味では狭い視点から出発する。
   
*さまざまな学習・経験をへて、「どうたたかえば要求が実現す
    るか」「どうしたら仲間がふえるか」「こうした問題が起きてくる
    ような社会のあり方」「日本社会のおおもとにある矛盾は何か」
    ということへの、より科学的な考え方や見地に前進する。
   
*1人ひとりが、理想や願望を頭の中だけで考えるのではなく、
    また「誰かがやってくれないかな」という傍観者的態度でもなく、
    「実在的な基盤の上」にたって、自分と組織の課題を明確にし
    ていく必要がある。
   
*そのために、徹底的に学ぶ活動を重視することが求められている。

次回予告:弁証法的唯物論-変革の哲学





以上。


参加者の感想文。


「3人の偉大な空想家たちの考えたこと、行動
したことが、科学的社会主義の理論の形成に
大きく影響したことはとても重要だと思った。
普段、対人関係とかで『この人はダメだ…』と
思っている人からも学ぶことはたくさんある。
『人間って成長する生き物だから』と励ましあ
っていきたい」

「おもしろかったぁ~。本を読むより話を聞くほ
うが分かりやすかった。弁証法的否定は、頭で
分かっていても現実には…」

「女性の社会進出を社会進歩の尺度にするの
は、現代にも通用する考えだと思いました。
東洋経済読んでみよっと。
全否定はとてももったいないことです。現時点
で否定できることがあるからといって、全否定
するのではなく、克服すべき課題を見つけ、次
への発展方向をさぐる、という姿勢をもちたいです」


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2008年2月22日 (金)

なくせ貧困!

きのう(21日)は、
2・21地域総行動の日でありました。

晩、
県労くらしきの学習会に行ってきました。
会場は倉敷労働会館、
参加は40名ほどだったと思います。

総行動やお仕事を終えての参加、
ごくろうさまです。

Img_1490


 自治労連、医労連、
 高教組、国労などが
 参加の中心だった
 ように思います。





19時前から、
「なくせ貧困!-人間らしさを求めて」
題して話をしました。

イマイチ調子にのれなかったように
思いますが、なんとかしゃべりました。

以下、講義のレジュメです。



一。日本には、貧困がある。
 
1。貧困とは何か
  
◇まず、「格差」と「貧困」という言葉について
   
*似たような印象をもつ言葉だが、正確に使っていく必要がある
   
*「格差」は、AとBのあいだに相対的な差異や不平等があること
     を意味する。
    
・この言葉が使われはじめた当初は、あきらかな不平等や
     貧困が広がる社会への警鐘として使われていたが、最近
     では「違い」があることをなんでも「格差」と名づけるように
     なった。雇用格差、男女間格差、地域間格差、学校間格
     差、医療格差、健康格差、希望格差・・・。格差の広がりを
     問題とする言葉でもあるが、あいまいさを含む言葉でもある。
    
・ひどいものでは、「最低賃金と、最低生活費(生活保護基準)
     の格差」「国民年金と、生活保護の格差」「生活保護を受け
     ていない母子家庭と、受けている母子家庭の格差」というよ
     うなことも言われ、低所得者どうしの相対的違いにも使われ
     ることがある。下にあわせる「格差是正」?
    ・
したがって、この言葉を使うときには注意が必要。もちろん
     「使わないようにしよう」ということではない。格差の広がりは
     事実としてあるから。
   
*もともと資本主義社会は「格差社会」。社会的な規制・コント
     ロールにより、格差を緩和することはできるが、なくなること
     はない社会。
   
*これにたいして「貧困」は、あってはいけないもの。「ある」か
     「ない」かの勝負になる。「貧困」のある社会を許していいの
    かどうかが問われている。

  
◇では、「貧困」とは何か
   
*公式には、収入や資産が生活保護基準を下回っている状態をいう。
   
*しかし、「貧困」と「ビンボー(お金のない状態)」は違う

     
「何十年も生きていれば、誰にでも10や20のトラブルはある。
     しかし多くの人にとってそれらのトラブルは、雇用する会社の
     保障や家族・親族・友人の手助け、または公的な社会保障な
     どによって衝撃を吸収・緩和される。これを私は“溜め”と呼ん
     でいる」
     
(湯浅誠他編『もうガマンできない!広がる貧困』明石書店、2007年)

   
*金銭の“溜め”、人間関係の“溜め”、精神的な“溜め”
   
*“溜め”のない状態が貧困(湯浅誠さんの定義)。社会的排除。

  
◇「貧困」はなかなか目に見えない
   
*貧困はいろいろな問題の背後に隠れている。しかし表に出
    てくるのは、「自殺者3万人」「多重債務者○○万人」「児童虐
    待」「医療難民」などの言葉。
   
*4重の否認がさらに貧困を見えにくくする
    
①政府の「貧困」隠し ②マスコミ報道
    ③市民の「貧困観」 ④自己否認

 
2。雇用の破壊-「働く貧困層」の大量生産
  
◇非正規労働者の増大-世界第2位の経済大国で「働いても、
   まともな生活ができない」
   
*パート、派遣、契約社員、請負…違法な偽装請負も。
   
*雇用者全体に占める割合は33.7%。3人に1人。
   
*女性では54.1%。若者もほぼ2人に1人の割合。
   
*年収200万円以下が、1022万人(06年、前年比4.2%増)
   
*労働時間や、仕事の役割において、正社員と同じような働き方
    をしている人も多く、事実上の“差別”状態となっている。
   
*「そこのハケンさん」「バイトちゃん」「(服が)青い人こっちきて」
    …同じように労働力を提供している人間に、この差別。人間でな
    く、モノ扱いということも。

  
◇労働分野の「規制緩和」
   
*財界の要求…1995年「新時代の日本的経営」
                      →労働者を3つのグループに
   
*「規制緩和」による派遣労働者の激増
    
1999年「労働者派遣事業法改定
     →26業務に限定されていた派遣業務
を製造・建設など
      一部を除き自由化
       
自民○、公明○、民主○、共産×、社民○ 

    ・2003年「労働者派遣事業法・職安法改定」
     
→製造業への派遣が可能に。派遣期間の制限も緩和。
       
自民○、公明○、民主×、共産×、社民×

   *派遣業界の急拡大
    
・派遣業界の規模は02年度に2兆円を突破し、04年度に3
     兆円弱。05年度は4兆円、さらに06年度は5兆円突破と、
     ここ数年1兆円のハイペースで拡大を続けている。
    
県内の派遣事業所は04年度に368だったが、06年度は
     766に倍増。本年度は11月末現在で967。(岡山労働局調べ)

  
◇公共サービス分野でも、大量の「非正規労働者」への
    置き換えが進んでいる
   
*公務職場で働く非常勤職員は、50万とも60万ともいわれ、
    いまや非常勤職員なしには切り盛りできない職場も多い。
   
*国や自治体による「働く貧困層」の生産。「官製ワーキングプア」。
   
*全国の公立小学校の非常勤講師は、99年度、約4,600人だっ
    たが、06年度には約16,000人と、7年間で3.5倍となっている。
    「生活できないので居酒屋でバイト」というダブルワーク、「生活
    保護を受けながら教壇に立っている」という事例も。
   
*自治体の公立保育園でも、非常勤保育士が激増。サイクルが
    早いために、子どもの「荒れ」や、事件・事故の増加も。介護職
    場と似た状況になりつつある。


 3。生活の危機-社会保障の機能低下・停止
  
◇小泉内閣以降の「社会保障」改悪一覧
                (決定された時期の順。カッコ内は実施時期)
   
02年度】
    
*医療保険制度の改悪(02年10月) 1兆5000億円
   
03年度】
    
*物価スライドによる年金給付額削減(03年度) 3700億円
    
*高齢者の介護保険料の引き上げ(03年4月以降) 2000億円
    
*失業給付額の削減(03年5月) 3400億円
   
04年度】
    
*物価スライドによる年金給付額削減(04年4月) 1200億円
    
*厚生年金・共済年金保険料引き上げ(04年10月)6200億円
           
同上        (05年9月)6200億円
           
同上        (06年9月)6200億円
           
同上        (07年9月)6200億円
           
同上        (08年9月)6200億円
    
*国民年金保険料引き上げ(05年4月) 400億円
           
同上   (06年4月) 400億円
           
同上   (07年4月) 400億円
           
同上   (08年4月) 400億円
    
*生活保護費の老齢加算の廃止(04~06年) 400億
   
05年度】
    
*生活保護の母子加算(16歳以上)の廃止(06年~08年)30億円
    
*介護保険のホテルコスト導入(05年10月) 3000億円
    
*障害者の支援費制度・医療の自己負担強化(06年4月)390億円
   
06年度】
    
*高齢者の介護保険料の引き上げ(06年4月以降) 2000億円
    
*「現役並み所得」高齢者の医療費負担の3割化(06年10月) 
                                      1100億円
    
*長期入院高齢者の「食住費」負担増(06年10月) 200億円
    
*高額医療費の自己負担限度額引き上げ(06年10月) 700億円
    
70~74歳の一般高齢者の医療費負担の2割化
                        (08年4月→1年凍結)1200億円
    
*後期高齢者(75歳以上)医療制度の創設(08年4月)400億円以上
   
07年度】
    
*生活保護の母子加算(15歳以下)の廃止(07~09年度) 270億円

  
◇高齢者(65歳以上)の貧困
    
*高齢者世帯の年間所得の分布でみると、100~200万円未満
     が27.4%で最も多く、100万円未満が15.2%。あわせて42.6%。
    
*国民年金(基礎年金)の月あたり平均年金額は4万7000円。
     20~60歳までの40年間、満額の保険料を支払い、65歳から受
     けとる場合でも月6万6000円。
    
*犯罪検挙者に占める高齢者(65歳以上)の割合が急増
                           (90年2.2%→06年10.9%)
      
・その3分の2が窃盗犯
                (経済的に切羽つまった高齢者の境遇の反映)

  
◇シングルマザー(母子家庭)の貧困
   
*シングルマザーで働いている家庭の平均就労収入は、162万円
    (正規252万、非正規110万)。そこへきての児童扶養手当の削減。
    安い公営住宅の不足も問題。
   
*ダブルワーク、トリプルワーク。過労で健康を害したりうつ病にな
    りやすい。生活保護基準以下の暮しをしていても、生活保護を受
    けていないシングルマザーも多い。
   
*この状況を逆手にとって、生活保護の母子加算の段階的廃止。

  
◇破壊されるセーフティーネット
   
*介護、医療などにかかる負担は増加の一途。受診抑制。
    後期高齢者医療制度。
   
*「年金」とのバランスがとれない? 生活保護の老齢加算の廃止。
   
*生活保護受給世帯は100万世帯を超えて増加しているが、日本
    では、生活保護基準以下で暮らす人全体のうち、実際に保護を利
    用している人の割合(捕捉率)は2割ほど、と言われている(日本政
    府は調査すらしていない)。ちなみに、イギリスの捕捉率は約9割、
    ドイツは約7割といわれている。
   
*生活保護行政の「水際作戦」。日本弁護士連合会が昨年7月に
    実施した生活保護全国一斉電話相談では、福祉事務所が保護を
    断った理由の約66%が違法である可能性が高い。
   
*いまや、最後のセーフティーネットは「生活保護」ではなく、
    「刑務所」に?

  
◇入りこむ、貧困ビジネス
   
*人材派遣・請負会社のターゲットは貧困層。自衛隊の勧誘も
    貧困層狙い?
   
*金のない人に金を貸す消費者金融(それを支える銀行)
   
*宿泊者を見込んでいるネットカフェ
   
*人間関係の“溜め”の少ない人ほど、ギャンブルにはまる。

 
4。「自己責任」論は、貧困を生みだした責任を「個人」に転化する攻撃
  
◇貧困を生み出したのは誰か-敵を見誤らない
   
*非正規労働者を大量に生み出し、使い捨てにしているのは誰か
   
*大企業への減税と引きかえに、社会保障をぶっ壊してきたのは誰か

  
◇EU諸国では、政治の責任で「貧困と格差」の解消に努力している
   *
たとえ
ば、EU全体で、最低賃金の水準を、労働者の平均賃金の
    50%にすること、将来的には60%に引き上げることを決めている。
    日本の最低賃金は、平均賃金の約3割。EUは雇用形態による
    差別も禁止。


二。貧困に立ち向かう新たな労働運動を
 
1。貧困に抗するネットワークづくを
  
◇さまざまな団体・組織との協力・共同
                    -つながり、支え合い、声をあげる
   
*労働運動だけでは、この問題は解決できないが、労働運動が
    反貧困運動の中心にならなければ、解決は難しい。

 
2。「金よこせ!」-税金の集め方と使い方にキレよう
  
◇大企業や資産家は巨大な利益-しかし減税
   
*大企業(資本金10億円以上)…97年と比較した06年の数字
    
・経常利益15.1兆円→32.8兆円(2.17倍)
    
・納めた税金(法人税・固定資産税ふくめ)は12.1兆円→13.7兆円
     
法人税の減税などの効果
    
・株の配当金は約4倍
   
*「ここからとれ!」-大企業や大資産家への優遇を見直すだけで
                 
8兆円の財源
    
・大企業の法人税・法人事業税の税率引き上げ(約4兆円)、研究
     開発減税など優遇税制の見直し(約2兆円)、所得税・住民税の
     最高税率引き上げ(
0.5兆円)、証券優遇税制の廃止(約1兆円)、
     相続税その他資産家減税の見直し(0.5兆円)。

  
◇軍事費をカットして、庶民にまわせ!
   
*社会保障費の自然増分を毎年2,200億円削りながら、逆に、こち
    らも毎年2,000億円をこえる米軍への思いやり予算は温存。米軍
    再編費用に3兆円!?
   
*事故を起こしたイージス艦は1隻1400億円(自衛隊は6隻保持)
   
*重すぎて普通の道を走れない対ソ連用戦車は1両8億円
     (現在330両保持)

 
3。旗印は「憲法どおりの国や地域、職場を」
  
第13条
    
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福
    追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない
    限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」


  
◇25条~28条は「社会権」=国家に、基本的人権を支える義務を課す

   
*第25条
    
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
    を有する

    
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び
    公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない

   
*第26条
    
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、
    ひとしく教育を受ける権利を有する
    
②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する
    子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これ
    を無償とする」

   
*第27条
    
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
    
②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、
     法律でこれを定める
    
③児童は、これを酷使してはならない」
     
     
<労働基準法第1条>
     「
労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための
    必要を充たすべきも
のでなければならない」

   *
第28条
     
「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動を
    する権利は、これを保障する」

    
・使用者は、個別の労働者との話し合いを拒否しても違法性は
     ないが、労働者が労働組合に加入して団体交渉を申し入れれ
     ば、団体交渉に応じなければならない(拒否すれば不当労働
     行為となる)。労働者は、労働組合に入ることで、「28条」と書
     かれた経営者をひるませる印籠(いんろう)を手にすることが
     できる。団体交渉権を最大限生かした社会運動を。「勝率9割
     9分」(首都圏青年ユニオン)。

    
・もっと大きい意味でいえば、日本国憲法は、基本的人権の担い
     手・守り手として、労働組合という組織に期待をしている、という
     こと。「これを保障する」は「これを応援する」という意味あい。

    
・「労働組合」という武器を手にいれ、反撃を開始した若者たち
     
首都圏青年ユニオン、各地に生まれる1人でも加盟できる青年
     ユニオン。キャノン、松下プラズマ、光洋シーリングテクノ、偽装
     請負大企業の内部からの闘い。立ち上がる青年たち。昨年
5月
     20日の青年雇用大集会に3300人。
     
ネットの活用が新しい可能性をひらいている。ブログで労組結
     成(紳士服コナカ)、国家公務員の非正規労働者の組織化に
     「がぶり寄り」。

 
3。この運動がもつ可能性
  
◇若者と女性が参加する新しい運動

     
「“反貧困労働運動”は、貧困層を組織対象とするために、こ
     れまで労働運動が十分に意識してこなかった課題に直面して
     いくだろう。しかしながら、この困難をさまざまな社会運動と連
     携するなかで克服し発展するならば、貧困根絶の重要な社会
     運動となることは間違いない。“反貧困労働運動”は、非正規・
     低処遇正規の若者、女性が中心にならざるを得ず、この運動
     が成功するならば、既存の労働組合運動に大きなインパクトを
     与えることだろう」(河添誠「貧困に立ち向かう新たな労働運動」、
     『もうガマンできない!広がる貧困』所収)

    
*連合と全労連の2つのナショナルセンターも、非正規労働者の
     組織化に本腰。

  
◇薬害C型肝炎のたたかいに学ぶ
                  -全国原告団代表の山口美智子さん

     
「ここまでこれたのも、私たちが肝炎被害者全員の被害回復
    を訴え続けてきたからこそだと思っています。学生たちにも広が
    った大勢の支援者に励まされ、世論の高まりが後押ししてくれま
    した。もし、原告だけの救済を訴えていたなら、とてもここまでた
    どりつけなかった



さいごに:「貧困」と「25条」のガチンコ勝負!
      
そして、25条といえば、岡山・倉敷なんです。
      
*憲法25条の1項は、純日本製。その立役者は?
      
*憲法25条に生命をふきこんだ歴史的たたかい-朝日訴訟



以上。


きのうは、お昼にあった昼デモにも参加しましたが、
シュプレヒコールの1番最初が、
「消費税増税はんた~い」でした。

「え、いまこの瞬間の1番最初の叫びがそれかぁ?」
と、率直に思いました。

もちろん消費税増税は許してはなりませんが、
少しズレを感じる昼デモでありました。
そう感じたのは、ボクだけかな~。



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2008年2月21日 (木)

チュニジアの11日間(11)

1月1日(チュニジア6日目)の後半。

ドゥーズをミニバスで出発した一行は、
小休憩をとりながら(タメズレッド)、
マトマタ(チュニジアのへそあたりに位置する)
という町を目指した。


Img_0714





 タメズレッドで
 とった1枚。


 女性が歩いて
 いた。
 勝手にとって
 すみません。











Img_0719

 マトマタには、
 先住民である
 ベルベル人の
 住まいがある。

 このように、
 穴をほり、
 中で生活を
 している。





Img_0721


 部屋の中。
 壁は白い。

 暑い夏は
 すずしく、
 寒い冬は
 あたたかい。






Img_0725




 こちらは
 台所。










Img_0722

 一緒に住んでいると
 思われるネコ。

 そんなに見つめられても、
 何もでないよ。






Img_0729





 ベルベル人の
 住居付近から
 まわりをながめる。

 ロバが
 たたずんでいた。











ふたたびミニバスで移動し、
『スターウォーズ』のロケ地となったという
場所を訪れる。


Img_0731

 ここが
 そうらしい。

 映画を
 見ていない
 からなんとも
 言えない。





Img_0732
 スター
 ウォーズ
 Bar
 とある。

 なんでも
 商売にして
 しまうのが
 資本主義
 である。





Img_0733


 上からみた
 穴居住宅。

 ここは
 ホテルとして
 活用されて
 いるらしい。




ざっと見学したあと、
ここで悲しいお別れとなる。

私たち3人(私、相方、友人T)と、
チュニジアでシニアボランティアをしている
G夫妻の5人で、
さらにチュニジア南部をまわるために、
4WDにのりかえることに。

あとのみなさんとは、
基本的に、ここでお別れとなる。
バレーボール仲間の岡山3人組も、
2日の飛行機で帰らないといけないので、
ここでお別れとなる。

5日間、旅をともにした
人たちと別れるのは寂しかったが、
また会う機会もあるかもしれない。
Nさんとは、3日の晩に、ふふたび落ち合う。

14時半、4DWに乗って、マトマタを出発する。
ドライバーはもち、現地の人(名前はたしかジュジャンさん)である。
これからの行程は、Nさんといったん別れたので、
G夫妻の語学力を頼りに、旅を続けた。
ほんとうに助かりました。

今日泊まるタタウィンという町に行く途中で、
何か所か、写真ポイントに連れていってもらう。


Img_0738
 山あいの集落。
 パシャパシャ写真を
 とってみる。

 運転手さんいわく、
 「アジア系でも、日本人
 はすぐにわかる、
 とにかくカメラ好きだ」
 という。
 「スゴーイ」という
 日本語も運転手さんは
 使いこないしていた。

 たしかに、どこでも
 デジカメをひっさげて、
 「すごーい」と写真を
 とっているのが日本人
 かもしれない。





Img_0740


 町を通過。

 白い建物は
 もちろん
 モスク。









Img_0741
 チュニジア
 でも、南部は
 こんなふうに
 荒涼とした
 大地が続く。

 北部とは
 かなり
 雰囲気が
 ことなる。






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 運転手さんが、
 「ここはいいぞ」と
 車をとめた。






Img_0743

 見晴らし
 バツグン。

 広がる
 風景に
 アフリカを
 感じる。





くねくねとした道をずいぶん走って、
17時、本日のホテルに到着。
今日は早めに着いたので、ゆっくりできそうだ。

タタウィンのサンゴホテル、だそうだ。


Img_0746


 プールが
 あった。

 このホテルは
 なかなか
 泊まり心地が
 よかった。






Img_0752

 ベッドルーム
 のほかに、
 こんな部屋も。

 この旅で
 一番広かった。

 ゆったり
 できました。





Img_0759

 夕食はやはり
 バイキング。

 こんなケーキ
 もありました。

 1月1日、
 ですからね。




夕食は、G夫妻との話が楽しかった。
大阪人であるG夫妻は、
ユーモアセンス抜群で、話上手。
夫婦漫才をみているようだった。

ダンナさんが、チュニジア産のオリーブを
世界的に売り込むための戦略を練る
お仕事(ボランティア)をチュニジアでされている。
オリーブの効用や、ご夫婦の人生経験のお話、
いろんな外国の話まで、話題はつきることがなかった。

普段の生活のなかではめったに起こらない、
こうした楽しい出会いがあるからこそ、
旅は、やっぱりやめられない。




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2008年2月20日 (水)

服部先生のはなし

今日のお昼ゴハンのときに、
『月刊学習』という雑誌を読んでいた(3月号)。
(いつもながら族なのです)

「服部文男先生の訃報に接して-
  科学的社会主義の研究と学習・普及に尽力された姿に思う」

と題して、宮城県学習協の鈴木さんの一文が
掲載されていた。(全国の会議などでよくお会いしている方です)

ひと言でいって、
服部文男さんの学習・研究態度に、深く胸をうたれた。

日本における『資本論』研究、科学的社会主義研究の
大御所でありながら、労働者教育とともに歩み、
つねに働く人びとから学ぶ姿勢を失わなかった。

「私はみなさんの職場のことはよくわからない。
聞いて勉強するしかないんですよ」

「職場の大変さを知らないと経済学の勉強になりません」

と話されていたという。


また、度肝をぬかれたのは、
服部さんが、労働学校で
『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)について
話をするときのこと。

主人公のコペル君が銀座のあるデパートの屋上に
立って不思議な体験をする書き出しがあるのだけれど、
服部さんは、「このデパートは松屋」と、話をしたという。
自分自身で松屋の屋上に立って調べられたとのこと。
ものすごい。

「事実は細部までつかまなければ」

「科学的な分析・判断は正確な事実・史実の把握から」

生涯を貫いた研究態度だった。


そして、あらためて思ったのだけれど、
学習運動って、ほんとーに、すばらしい大先輩たちがいる。
私は、どれほど、こうした先輩方から学ばせてもらっただろうか。

今後どれだけ、こうした大先輩に近づけるかはわからない。
でも、めいいっぱい、努力し続けていきたいと思う。

直接お会いしたことはなかったけれど、
服部先生、ありがとうございました。



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2008年2月19日 (火)

オウエンとカウンセリング

最近読み終えた本。

『ロバート・オウエン』(土方直史、研究社、2003年)

空想的社会主義者の1人、といわれている、
ロバート・オウエンの生涯をたどりながら、
その実践の検討をしている1冊。

「人間の性格は、環境によってつくられる」とした
オウエンの理念の実践は、まず、
自らが経営するニューラナークの工場で、試された。
労働時間を短縮し、教育施設や幼稚園をつくり、
労働者の生活全般の環境向上につとめた。
(キャノンの御手洗にオウエンの爪のアカでも飲ませてやりたい)

工場経営で成功したオウエンは、
アメリカのニューハーモニーで壮大な実験を開始する。
市場原理を廃した、コミュニティづくりだ。
が、これは見事に大失敗する。

しかし私は、これは「偉大な失敗」、だと思う。
オウエンはつねに「人類の解放」「人びとの幸福」を
願い、模索し、行動に移したのだ。
資本主義がまだまだ未成熟という時代背景のなかで、
彼の実験は失敗におわらざるを得なかったのだけれど、
その志は、しっかりと受けつがれていると思う。

じっさい、オウエンの思想と実践は、
協同組合や労働運動、社会主義運動をはじめ、
イギリス社会を中心に、長く影響を与え続けている。

そういえば、オウエンのニューラナークの工場は
いまでも保存され、観光地にもなっているらしい。
イギリスにもし行く機会があれば(たぶんないけど)、
ぜひ見てみたいものだ。


『カウンセリングで何ができるか』(信田さよ子、大月書店、2007年)

精神科医療とカウンセリングは違う、
臨床心理士は国家資格でないので、雇用は不安定など、
いろいろ知り、整理ができて面白かった。

また、カウンセリングとは、簡単にいえば「相談」の
ことだが、「こころのもち方」、「こころの問題」に働きかける
のではなく、クライエントの話を聞き、質問し(高度な質問力が必要)、
適切に人間関係や、具体的課題を明らかにして、
問題を解決に導く。すごく唯物論的なものだということ。

「カウンセリング=コンビニ」論というのが著者の持論。
コンビニの数ほどのカウンセリングの場所が必要ということ。

もちろん、私たちの運動も、カウンセリングの
要素が求められている、とも思う。
組合員や会員、構成員の、もやもやした悩みや
苦悩にたいし、「相談」をもちかけられる場所(運動)で
あらねばならないし、適切なカウンセリングを
行いながら、具体的な問題を明確にし、
解決への糸口を一緒にみつけてゆくことが必要だ。

ここでポイントになるのは、質問力だ。
カウンセリングにはいろいろな流派(?)が
あるそうで、相談者の話にとにかく傾聴しながら
「ふんふん」と聞くというものもあれば、
さまざまな質問を投げかけながら「悩み」の
背景にある具体的な人間関係や問題を
つかんでいくものなど。この著者は後者である。

その質問力は、必要な教育を受け、科学的スキルを
身につけると同時に、文化的教養に幅広くふれることで
培われるという。これは同感だ。

本書では、何ヶ所か「ん?」という記述に出会ったが、
(「昔のように…餓死寸前まで餓えることもなくなりました」etc)
それを差し引いても、充分勉強になった。


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分科会案の検討

きのう(18日)の晩は、県学習協の
常任理事会があり、
当面の諸課題を議論しました。

勤通大は月内に100名に近づけることを
目標に、取り組みを加速させます。

75期岡山労働学校のカリキュラムが決まり、
2つのプレ企画ともども、チラシも完成しました。
5月8日の開校にむけて、募集がスタートしています。

また全国学習交流集会の
分科会・オプショナル企画についての
素案を討議しました。
検討した案を来月の中央実行委員会へと
もっていきます。

43回総会の日程は
4月19日(土)14:00~17:00となりました。
もちろん懇親会もやりますよ。




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2008年2月18日 (月)

満足は無知から生まれる

きのう(17日)の午前中は、
第6回岡山県医療研究集会に参加しました。
午前中は石川康宏さんの講演でした。

そんでもって、
2日前の金曜日に、医労連の方から、
「準備の人手が足りないから石川先生を
駅まで迎えに行ってくれないか」と頼まれまして、
石川さんを岡山駅まで迎えに行き、
会場までお送りしました。


Img_1488

 会場の様子。
 70~80名ぐらい
 だったでしょうか。








Img_1489

 石川先生の講演。

 「誇りももってはたらき
 つづけるために」
 がメインタイトルでした。



10時15分から12時15分まで、
素晴らしく超特急の講演でした。

でもって、感想は・・・

「語る力」のレベルが違いました!
石川先生の講演を聞くのは
2年ぶりぐらいだったのですが、
さらにパワーアップしてる感じです。

内容で印象に残っていることは、
やはり最初の「誇りをもって働くとは?」についての
問題の立て方でした。
なるほど、なるほど、ふむ、ふむ、と聞き入りました。

情勢の話でも、知っていると思っていた問題も、
捉え方の深さでこんなにも語り方が
違うのかと思いました。はい、勉強不足です。

「現状への満足は無知から生まれ、
   『誇り』の持てる自分は知ることから始まる」


もっともドキッときた言葉です。
人間性を磨き、さらに精進します。

午後に別の会議があったので、
早々に石川先生にあいさつをして会場をあとにしました。

その午後の、とある会議も、
みなさんのがんばりに励まされることが
多かったです。

充実の1日となりました。


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日本人として戦後責任

土曜日(16日)の午前中は、
民青同盟の学生対象の学習会の4回目。

Img_1487


 民青同盟の
 事務所で飼われている
 “ぶーにゃん”。

 寒い冬に、
 なんとも暖かそうな
 ハウスをお持ちですな。









今回は前回出された要望により、
日本の侵略戦争の事実と向きあい、
私たちの「戦後責任」を考える、という中身でした。

参加は岡山大学の3名。

講義は以前も話したこともあるような
内容なので、紹介ははぶきます。

参加者Yさんの感想

 「私自身、アジア人びとから戦争責任を
 問われても『自分がしたことではない』と
 言えなくもなかった。
  でも、私には“日本人としての”戦後責
 任があるということを知り、前よりもはっ
 きりとしたイメージで自分と戦争とその
 責任を捉えられるようになったと思う」



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2008年2月16日 (土)

チュニジアの11日間(10)

1月1日の夜が明けた。
チュニジア6日目の朝。

Img_0668


 初日の出を、
 と思って
 早く起きた
 けど、
 残念ながら
 地平線
 付近はくもり。

 




Img_0670



 ま、きのうの夜に
 満天の星空が
 みれたから、
 贅沢はこれ以上
 言いません。



 月が見えた。











Img_0671


 ドゥーズにいる
 ジュニアボランティアの
 Sさんが、なんと凧を
 持ってきていた。

 そうだ、正月だもんね。

 となりの
 オーストラリア(たしか)の
 カップルも珍しそうに
 凧を見上げている。





Img_0672
 この日は
 風がほとんど
 なかったので、
 走り続け
 ないと凧が
 すぐに落ちて
 しまう。

 らくだくんも
 凧に
 興味津々?



Img_0673

 宿営地の
 中で煙が
 モクモク。

 なにやら火を
 起こしている
 らしい。






Img_0676


 パン作成中。

 小麦と塩
 オンリーの
 シンプルな
 ものとか。
 (たしか)





Img_0677


 なんと
 焚き火の
 灰で焼く
 という。

 灰を
 パン生地に
 かけてゆく。





Img_0678






 えいやっと
 裏返し…。

 









Img_0684


 途中の過程を
 かなり省略
 しましたが、

 みごと完成!








Img_0685



 みんなに
 振舞われる。

 これは
 おいしい!






ちなみに、朝食はちゃんと別に
用意がしてあって、
例のごとく、山盛りのフランスパンと
ミルクコーヒーをいただきました。

Img_0687



 さて、
 9時20分に
 宿営地を出発!

 ふたたび
 らくだに乗って
 ドゥーズの町へ
 戻ります。

 また頼むよ、
 らくだくん。









Img_0692
 やっぱり
 曇ってると
 砂漠の
 景色も
 イマイチ
 だな~。

 きのうは
 ほんと晴れて
 良かった。




Img_0695
 らくだには
 約1時間
 40分乗る。
 けっこう長い。

 らくだにも
 それぞれ違い
 があって、
 相性が悪いと
 かなりお尻が
 痛くなる。


Img_0702
 なんとかドゥーズに
 無事到着!

 サハラ砂漠ツアーの
 参加者17名で記念写真。
 とてもとても楽しい
 砂漠ツアーになりました。



ドゥーズの町で、着替えや荷物整理など。
若干、時間があったので、
町をぶらぶらしてみることに。

Img_0704



 街中で
 たたずむ馬。










Img_0707

 市場は
 けっこう
 にぎやか。

 色とりどりの
 果物や野菜が
 並んでいる。







Img_0708



 こちらは
 ロバくん。

 もう、こうした
 動物たちは
 そこらじゅうにいます。

 人のよき
 パートナーですな。






 

Img_0709
 ドゥーズのジュニアボランティアの
 Sさん、Aさんが、なんと!
 出発する私たちに、
 卵料理とお雑煮の差し入れを
 つくってきてくれました。

 感激!うれしー。
 お餅食べれるなんて。



Img_0710

 HAPPY
 NEW
 YEAR
 2008

 す、
 すばらしい。
 この遊び心。





Img_0711


 こちらは
 お雑煮。

 たいへん
 おいしく
 いただき
 ました!





Sさん、Aさんにかぎらず、
青年海外協力隊のメンバーは、
みなさん心遣いがとてもできる人たちです。
そして、自分をしっかりもっていることも、感じました。

もちろん、話をいろいろを聞くと、
チュニジアでの苦労(言葉や文化、考え方の違いなど)は
並大抵のものではない
そうですが(かならず泣くそうです)、
その努力には、本当に頭がさがります。

ほんとうの国際貢献とはなんなのか、
彼女らの努力に学びたいと思います。


さて、12時ちょうどにドゥーズを出発。
後半は次回に!




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2008年2月15日 (金)

いいニュースだ、うん。

岡山県医労連、勤通大「新・労組コース」の
執行委員会全員受講が今日確定!(17名)

わ~い!わい。


引き続き、県医労連加盟の各労組に
働きかけをおこない、
さらに広げていきます。

そして、自治労連、高教組、生協労組と・・・(願望)
よろしくお願いします!!

全国的には3つのコースあわせて
900名を超えたところとか。
まだまだこれからだー。




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2008年2月14日 (木)

とにかく、むちゃくちゃだ

最近読み終えた本。
雇用破壊、貧困問題です。
どれも、もうちょっと早く読んでおくべきでした。



『偽装請負-格差社会の労働現場』
           (朝日新聞特別報道チーム、朝日新書、2007年)


キャノンや松下などの大企業に
おける偽装請負の実態にせまったもの。
企業名をガンガン出して、
記者集団が問題を追及していきます。
いい仕事をしてます。応援したい。

偽装請負の問題点も整理できて、有益でした。



『雇用融解-これが新しい「日本型雇用」なのか』
                 (風間直樹、東洋経済新報社、2007年)


これも、若い記者(私よりも若い)のすばらしい仕事。
頭がさがりました。

派遣や偽装請負、個人請負、外国人研修生、
正社員の雇用実態にせまっています。
もちろん企業の実名入りで。

また、堤未果さんの『貧困大国アメリカ』に登場する
アメリカの貧困ビジネスと共通したことが起きていることも実感。
たとえば、日本一雇用情勢の厳しい青森の人を
ターゲットにした請負業界の人集め戦略など。

そーいえば、この前新聞広告みてたら、
『週刊東洋経済』が、「売り上げ伸び率NO.1週刊誌」って
書いてたな~。最近いい企画連発してるもんな~。

『学習の友』も「売り上げ伸び率NO.1月刊誌」をめざし……。
どりーむ、かむ、とぅるー、ですよ! 言うのは自由です(笑)。
『主婦の友』も休刊になるみたいですけど。
明日はわが身か?名前が似てるし(笑)。
・・・蛇足でした。



『公共サービスが崩れてゆく-民営化の果てに』
             (藤田和恵、かもがわブックレット、2008年)


藤田和恵さんの本は、読むしかないでしょ。

なぜなら、前著、『民営化という名の労働破壊』(大月書店)を
読んだときに、巻末に著者のメルアドが書いてあったので、
読後の感想を送ってみたら、本人から直接お返事があって、
とても感激したことを覚えていますもので。
はい、個人的な理由です。

こんどのこの著書も、藤田さんらしい視点(あたたかい)と
迫り方で、さまざまな公共の労働現場の実態を
明らかにしています。

まだまだ公務職場への偏見をもっている人は
たくさんいますので、ぜひ読まれることをオススメします。

(ワラセンセイ、これが今度の講義のネタ本に
なりますので、よろしくお願いいたします)



『もうガマンできない!-広がる貧困』
       (宇都宮健児・猪股正・湯浅誠編、明石書店、2007年)


『貧困襲来』(湯浅誠、山吹書店、2007年)


私の貧困問題への認識はじつに中途半端であったと、
痛切に反省させられました。

貧困の最前線で奮闘されている方々の
実践と深い認識に学ばされること大でありました。

とくに湯浅さんの本は、
貧困問題を語ろうと思えば必読です。

さて、この学びが、
来週の講義に生きればよいのですが…。



以上、今回は読んでいて楽しい本は
1冊もありませんでした…。

いのちや人の尊厳がズタズタにされ、
使い捨てにされるのを見るのは、
もうイヤダぁぁ!! 苦しいよ。



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2008年2月13日 (水)

みんなの学校がスタート

きのう(12日)は、倉敷医療生協労組
「みんなの学校」(全6回)がスタートしました。

昨年、新しく執行委員長に大抜擢された
H川くんや、青年部事務局長のK本くんと
相談をしながら準備してきたものです。

継続的に労組内で若い人を中心にした
学習の機会をつくり、成長のきっかけを
つくろう、という目的で行われました。

回目の「みんなの学校」のテーマは、
伝統的に平和活動が活発な労働組合でもあり、
若い人が参加しやすいテーマということで、

「戦争と平和」を学ぶ6回コースにしました。
講義の講師は私が担当していきます。

隔週火曜日の夜に開催します。

1回目のきのうは、
「労働組合がなぜ平和運動に取り組むのか」
ということで行われました。

参加は11名。ほぼ全員が若い職員で、
1年目の職員も結構参加されていました。
これはうれしい!

講義は50分、その後感想交流を30分程度
行い、内容を深めていきました。

Img_1480



 講義のあとの
 感想交流。

 







学習会の様子や、参加者の感想の一部は
倉敷医療生協労組のブログにさっそく載せて
もらっているのでこちらをどうぞ →
「白衣のなかま」

講義の内容は以下のとおり。

一。そもそも“平和運動”ってなんだろう
 
1。戦争による苦痛、慟哭(どうこく)との“距離”
  
◇「平和は大事だと思うけれど、何をしたらいいのかわからない」
   
*目の前に「いない」ということ

  
◇「1人称の死、2人称の死、3人称の死」(柳田邦男)
   
*明日、自分のうえに爆弾が落ちてくる、あるいは銃で殺される
    可能性があるか
    
・沖縄や岩国ではあるかもしれないが、私たちの身の
     回りは可能性としては低い。
   
*自分の家族や友人が戦争で命を奪われたり、傷ついたりするか
    
・祖父母の戦争体験
    
・自分の子どもたちの代になったときが不安…
   
*戦争による“他人の痛み”をどう考えるか
                        -平和運動にかかわる分岐点

     
「同じ地球上に暮らす無数の家族のうち、どうして、ある家族が
     空からの襲撃によって奈落に突き落とされてしまうのだろうか。
     なぜ、生きる自由を奪われ、それまでと同じように朝を迎えられ
     なくさせられるのだろうか」
            
(吉田敏浩『反空爆の思想』NHKブックス、2006年)

     
「『距離が膨大になると想像力は弱まり、ついにはまったく消え失
     せる』ということは、遠くから攻撃する兵士だけでなく、戦争を離
     れたところから見ている私たちにも言えることではないだろうか」
            
(川田忠明『それぞれの戦争論』唯学書房、2004年)

    
・時間的距離も

 
2。“人の痛み”を想像し、戦争の原因を探る力
  
◇『私たちは いま、私はイラクにいます』(講談社、2003年)
   
*開戦前の勇気あるスピーチ…13歳の少女の想像力
   
*「爆撃で殺されるのは、私のような子どもなのです」

  
◇長崎・高校生1万人署名活動
   
*「戦争も原爆も知らんお前たちが、こんがんことば
    
やってどがんなっとか」
   
*高校生たちの反核・平和活動の模索(資料参照)

  
◇「現場に行く」「当事者の話を聞く」ことの大切さ-五感での学び
   
*元日本軍「慰安婦」の証言を韓国で聞いた女子大生

     
「私の場合は、証言聞いたあとで、ハルモニを部屋の方まで
     送っていって、そこで手をつないだとこらへんで、やっと『あっ』
     って思ったんやんか。つないだ手がすっごくちっちゃくって…。
     私もすごい身長がちっちゃいけど、その私の手よりも、すっご
     いちっちゃかった。その瞬間に、この人がされたこと、どんな屈
     辱やったんやろってすっごい思った」
      
(『「慰安婦」と出会った女子大生たち』神戸女学院大学
               
石川康宏ゼミナール、新日本出版社、2006年)

   
*沖縄でしか感じない「雰囲気」、沖縄でしか聞けない「音」

 
3。そもそも、平和ってなんだ
  
◇平和運動にとっての「平和」とは
   
*戦争や組織的殺戮のない状態、武力行使などによる「直接的
    暴力のない状態」。
   
*戦争などの直接的暴力の不在のみを平和状態とみなすのでは
    なく、構造的暴力(貧困・飢餓・抑圧・差別・環境破壊など)の存
    在しない状態を、「真の平和状態」とする考え方もあるが、直接
    的暴力を阻止することの緊急性と意義は、他の課題と同列に論
    じることはできない。
   
*いまこの瞬間も、イラクや中東、世界の紛争地では、「直接的暴
    力」によって、「人間の命」が奪われ、傷つけられている。

二。労働組合と平和運動
 
1。平和運動になぜ取り組むのか
              -それはひと言でいえば、“労働組合だから”
  
◇労働組合は、基本的人権・ヒューマニズムの担い手
   
*「人たるに値する生活」(労働基準法第1条)をもっとも破壊
    するものが戦争
   
*平和のうちに生きることは基本的人権

     「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和
     のうちに生存する権利を有することを確認する」(日本国憲法前文)

  
◇憲法の理念を実現する役割
   
*憲法の下書きをつくったGHQ(連合国軍総司令部)が労働組合に
    期待したこと

 
2。私たちの暮らしと戦争
  
◇世界の軍事費は年間
1兆2040億ドル(約140兆円‐06年)
  
◇日本の軍事費は年間約5兆円
   
*労働者が生み出した富(お金)が、武器や戦争に使われている
   
*戦争で破壊されるのは、命だけでなく、労働者がつくりだしたモノや
    ネットワーク
   
*軍事費に使うお金を、環境政策や、医療・福祉・教育にまわせば、ど
    れだけのことができるだろう。どれだけ、人びとの笑顔が増えるだろう。


以上。


はじめて話す中身が多かったので、
イマイチ歯切れが悪かったような
感じがしますが(反省)、みなさん
よく聞いてくれていました。

そして、感想交流を聞いていると、
問題意識もなかなか高い。
期待大です。

「どんどん参加を増やしていく
ようにがんばろう」ということも
言われ、これからが楽しみです。

今後のテーマは以下のようになっています。

2/26(火)「ビデオ上映-映像の世紀・世界は地獄を見た(NHK)」
3/11(火)「日本の戦争と戦後責任-そんなのかんけーねー!?」
3/25(火)「1人ひとりに起きたこと-原爆の実相を伝える力」
4/ 8(火)「イラク戦争と21世紀の世界-平和運動の大きな流れ」
4/22(火)「命どぅ宝・沖縄反戦の心-阿波根昌鴻のたたかいに学ぶ」


この学習会をきっかけに、11月の
倉敷での全国学習交流集会にも
結びつけていきたいと思います。



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2008年2月12日 (火)

研修会は湯郷温泉

きのう(11日)は、岡山医療生協労組の
研修会
に講師として参加しました。

参加は広く呼びかけられたようですが、
結局、執行委員中心の研修会となり、
参加は14名。

そして、会場はなんと湯郷温泉!


Img_1478

 岡山協立病院前まで、
 会場のホテルの
 車が送迎してくれました。

 これに乗って出発!



1時間20分ほどで、美作市の
湯郷温泉のホテルへ到着。

10時半から学習会となりました。
「労働組合の底ヂカラ-人間らしさを求めて」という
テーマで、約1時間話をしました。

だいたいいつものような話でしたので、
今日は柱のみご紹介。

はじめに-求められる、労働組合の役割と魅力の発信、語る力

一。人間らしさを求めて
 1。日本国憲法から労働組合を考える
 2。権利を知って使う
 3。「人間らしさ」と「働きがい」求めた人びとの物語
                      -看護のたたかいを例に
 4。いつの時代も、困難な現実を前にして
                      -労働組合の底ヂカラ

二。イキイキとした労働組合活動のために
 1。「他人の痛み」への連帯
 2。学習活動をつねに課題としてかかげる
 3。サイエンスとアート


以上。


終了後、40分程度、感想交流の時間が
あったのですが、思った以上に
よい感想交流になったと思います。


Img_1479


 感想交流の様子







「労働組合の大切さをあらためて実感した」

「学習の重要性を感じる」

「感性を育てるにはどうしたらよいか」

「職場でなかなか組合への理解が広がらないが、
今日の話をヒントにがんばりたい」

「勤通大をぜひ受講しようと思う」

などの感想や、職場の状況などが
出されました。

勤通大「新・労組コース」は
執行委員会全員で受講する方向となりそうです(たぶん)。
学習援助をしっかり考えねば。
そして、さらに広げねば。


学習会のあとは、昼食交流、
各自温泉などに入って、英気を養いました。

みなさん、9日のバレンタイン行動、
10日は労組のスキーツアーや「朝日訴訟の会」の総会など、
忙しい(充実した)3連休だったようです。

おつかれさまでした。




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2008年2月 9日 (土)

チュニジアの11日間(9)

31日(チュニジア5日目)のサハラ砂漠ツアー。
らくだに乗って、いよいよ出発!

乗ったらすぐに、らくだは慣れた様子で
「おっこらせっ」と立ち上がる。

高い!

ゆっさ、ゆっさ、と歩き出す。
でも、なんとかなりそうだ。

ちなみに、チュニジアらくだは、
ひとこぶらくだ、だそうです。
もちろん、らくだを先導する現地の人と
一緒に行きます。

Img_0604
 こんな感じで
 連れ立って
 歩きます。

 写真はすべて
 らくだに乗り
 ながらとった
 もの。

 天気もよい。




Img_0606

 最初は
 あまり砂丘と
 いう感じでは
 なかったが、
 しばらく
 すると風景は
 見事に
 砂漠~って
 感じに。




Img_0609


 結構
 高低差の
 あるところも
 ゆく。

 ひょえ~。







Img_0611

 とにかく、
 天気が
 良かった!

 前日まで
 天気予報は
 イマイチ
 だったので。
 ラッキー。




Img_0612



 左が私。

 こんな写真も
 とれるんです。









Img_0614
 砂漠は、まるで
 別世界でした。
 いるだけで
 気持ちよかった。

 もちろんキビシイ
 環境ではありますが、
 美しさもあわせもつ
 ところでもあります。

 ちなみに、らくだに
 乗っているとき、
 ちょうど夕方4時と
 なり、日本では
 2008年が明けた。
 「おめでとうございます」
 の言葉が交わされる。
 不思議な感覚だった。




Img_0617

 中間地点
 ぐらい。
 まだまだ
 歩きます。

 季節に
 よっては、
 砂嵐がすごい
 らしい。




Img_0618


 この日は前日
 降った雨で、
 砂が若干
 湿り気味で、
 砂風にこまる
 ことは
 なかった。





Img_0624

 途中、360℃
 地平線が
 見える所が
 あったり、
 らくだの群れ
 に出会ったり。
 
 もうすぐ
 到着です。




Img_0626
 宿営地に
 ついた~。
 なんか
 あちこちが
 痛い。
 ふんばって
 乗ってたから
 かな~。

 らくだくんも
 おつかれ。



Img_0630



 雲が
 美しい。

 圧巻。









Img_0631



 砂漠、

 らくだ、

 雲。


 
 絵になる。












Img_0633


 ここが本日の宿営地。
 テントがいくつも
 設置されている。






Img_0635

 4人ひと組で入る。
 毛布や寝袋などの
 準備をしていく。







Img_0638
 しばらく
 すると、
 陽が落ちて
 きたので、
 夕日を見に
 行くために、
 少し歩く。

 砂漠の砂は、
 すごーく
 こまかい。

Img_0639
 大晦日、
 砂漠での
 夕陽である。

 こんなことは
 もう一生、
 ないかも
 しれないな。

 きれいだ。




Img_0640

 雲も夕陽の
 色が投影
 されていて
 すばらしい。

 あー、
 ほんと
 天気が良くて
 えがった~。




Img_0645

 陽が沈む。

 夕陽を
 みながら、 
 07年も
 よい1年で
 あったと、
 思いを
 めぐらせる。




Img_0647


 刻々と色が
 変わってゆく。

 世界やっぱり
 美しく
 できている。







Img_0649
 「いっちょやるか」

 「はっけよい!」

 砂漠で日本の国技を
 楽しむ人たち。
 さすが体育会系!




Img_0651


 すっかり
 暗くなって
 きた。

 宿営地に
 戻ろう。







Img_0653



 らくだくんも
 食事の時間。

 








Img_0655



 やっぱり
 砂漠には
 きみが
 似合うよ。







日が暮れると、一気に冷え込むのが砂漠である。
宿営地のなかの大きなテントのなかで
夕食をいただく。
スープやパン、クスクスなどであった。
同行していた人たちと、いろいろな話をしながら、
楽しい時間がすぎてゆく。

ふだん味わえない雰囲気と時間の流れの中、
大晦日の晩がふけてゆく。

食事を終えて、テントを出ようとすると、
「わー!」「すごーい!」という歓声が聞える。
先にテントを出た人たちの声だ。
なにやら星がすごいらしい。

急いで外に出てみる。


…雲がまったくない!

そして、ほんとうに文字通り、

満天の星空。

写真で再現できないのが残念だが、
空が星でぎっしり埋まっている。
こんなにはっきりとした天の川も見たことがない。

神様は信じない私だけれど、
こんなステキな夜をプレゼントしてくれた
砂漠の神様に感謝したい気分だった。

広大な宇宙を感じながら、
「ああ、生きててよかった」と思う(笑)

ずっと見ていても、
まったくあきることがなかった。

Img_0661

 しばらくすると、
 キャンプファイヤー
 が始まった。

 そして、太鼓の
 リズムにのって、
 踊れや歌えやの
 大騒ぎとなる。



Img_0664

 そう、やっぱり
 言葉は
 通じなくても、
 音楽は世界共通!

 私もがんばって
 踊ってみる(笑)。
 



Img_0665




 まだまだ続く。





Img_0666


 現地の人たちも
 ノリノリだった。

 この日は人数が
 多かったしね~。
 
 




でな感じで、延々とキャンプファイヤーは
続いたのであります。

いつ寝たかは忘れました。
12時前には寝ましたけど。
砂漠の夜は、かなーり冷えたけど、
まずまず寝れたと思います。


なにより、最高の大晦日でした。

あの砂漠の美しさ、
きっと忘れることはないでしょう。


ついに31日、終了。




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2008年2月 8日 (金)

マルクス、エンゲルス入門

今日の晩は、古典講座『空想から科学へ』
第1講義がありました(全5回)。
講座の講師は私が担当しています。

参加は6名でした。
ほとんど宣伝してなかった結果です(涙)

が、細々とでもこうした学習会を
続けていくことが、学習協の存在価値の
ひとつだと思っています。
学習協にしかできない講座なので。

今日は、
「科学的社会主義とは~マルクス・エンゲルス入門」
ということで、
『空想から科学へ』の内容には入らず、
主にマルクスやエンゲルスの人となりや
生涯をたどる学習となりました。


以下、講義の概要(例のごとく長くてすみません)。



一。私たちの知性が問われる時代
 
1。多数者革命の時代に
  ◇
多数者革命とは?
   *
より多くの人の力で、世の中を良い方向に変えていく。
    この意味は、「100人が1歩ずつ」ということでなく、そ
    れぞれが、それぞれの持てる力を発揮し(3歩がんば
    れる人は3歩がんばろうということ)、その個々の力を
    たばねて、大きな力にする、ということ。
   
*自分がいる国、地域、職場、学園で、大多数の人びと
    の利益と合致する方向で、具体的に問題を解決し、そ
    して根本にある政治や経済のしくみを変えていくこと。

 
2。学習の課題は、現実の中から提起される
                   -現実を変えるのは知性の力
  
◇現実は、つねに動いている
   
*したがって、新しく生起してくる様々な問題にたいして、
    私たち1人ひとりが、その中にある法則性を探り、原因
    や課題を明確にし、解決のための行動・提起をしなけれ
    ばならない。

     
「この国が、孤立するアメリカへの追従をやめ、世界に
     誇れる役割を果たすためには、何より、私たちの力が
     強くならねばなりません。その力の核心は、話し合う力、
     語る言葉の力、説得の力であり、その根底にある知性
     の力です。改革者たろうとする者の知性の力が、いま
     時代によってためされている」

     
「『独習』の必要性を強調したのは、このたくさんの人た
     ちが、『毎日必ず自分で学び』、さらに力をたくわえ、そ
     の力をもってまわりの人にはたらきかけるなら、日本社
     会の明るい方向転換をグッと手前に引き寄せることが
     できると思うからです」
     (石川康宏『現代を探求する経済学』新日本出版社、
2004年)

 
3。科学的社会主義の学習とはどういうものか-『科学の目』の獲得
  
◇科学的社会主義の理論とは
   
*人類が積み上げてきた知識の、価値あるものすべてを吸
    収しようと、進化し続ける理論であり、その『科学の目』で、
    社会と自然、そして自分自身をとらえ、実践していく羅針盤
    となるもの。21世紀をたしかに進むための力をもった理論。

   
*私自身の学びの経験から-世界観の大転換

  
◇資本主義ではアカン-社会主義思想の原点

    
「農奴制が打倒されて、『自由な』資本主義社会がこの世
    にあらわれたとき、この自由が勤労者の抑圧と搾取との
    新しい制度を意味することが、すぐさまあきらかになった。
    この抑圧の反映として、またそれにたいする抗議として、
    ただちにさまざまな社会主義学説が発生しはじめた」
     
(レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』)

   
*社会主義・共産主義を『願望』から、『科学』とするために

    
「社会主義を科学にするためには、まずそれが実在的な
    基盤の上にすえられなければならなかった」
                   (エンゲルス『空想から科学へ』)

  
◇人類知識をどん欲に吸収しつづけた
   
*マルクス・エンゲルスは、どういう学習をしたのか(別紙資料)

    
「マルクスの学説が最も革命的な階級の幾百千万の人の心
    をつかむことができたのはなぜか、という質問を諸君がだす
    なら、諸君の受けとる答えはただ一つ、次のものであろう。そ
    うなったのは、マルクスが、資本主義社会のもとで獲得された
    人間知識のしっかりした土台に立脚していたからである、と」
                      
(レーニン『青年同盟の任務』)

  
◇“科学”である、ということ。

    
「その科学を展開している古典を読むのに、小説を読んだり
    テレビ・ドラマを見るような具合ですますわけにはゆかないこ
    とは、当然です。古典をつらぬく論理をたどり、それを受けと
    めてみずからのものとする努力が、求められます。そのこと
    は、科学的社会主義の理論を身につけようとするものが、誰
    でも覚悟すべき苦労だといえるでしょう。
     
こういう意味の『とっつきにくさ』を恐れて、古典への取り組
    みを避けようとすることは、科学となった社会主義、つまり科
    学的社会主義そのものを避けることにほかなりません。私は、
    読者のみなさんに、人類の英知の集大成である社会主義の
    科学をわがものとする大いなる意欲をもって、古典に勇敢に
    挑戦することを、おすすめしたいと思います」
            (不破哲三『古典への旅』新日本新書、1987年)



二。科学的社会主義の創始者たちの素顔と歩み
 
1。マルクス(1818~1883)
  
◇生涯の概観(資料参照)
  
◇1835年、高等中学校卒業のさいのマルクスの課題作文
   *
「職業の選択にさいしての一青年の考察」

    
「人間の本性というものは、彼が自分と同時代の人々の完
    成のため、その人々の幸福のために働くときにのみ、自己
    の完成を達成しうるようにできているのである」
    
「われわれが人類のために最も多く働くことのできる地位を
    選んだとき、重荷もわれわれを屈服させることはできないで
    あろう。なぜなら、その重荷は万人のための犠牲にすぎな
    いからである」

   
*マルクスは、青年時代のこの志を、生涯を通じて実践した人でもある

  
◇大学時代の学習態度(資料参照)

  
◇「根本的に事につうじる」努力
   
*たとえば、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』への、
さま
    ざまな国際論説の寄稿準備の努力。

    
「具体的事実の全面的で具体的な研究を何よりも重視した、
    二人の徹底的な科学的態度」(不破哲三『古典への旅』)

   
*『資本論』への道

    
「マルクスは、『資本論』で、経済学上のいろいろな概念や
    命題をとりあげるとき、本文や注で、それが、『いつ、どこ
    で、だれによって、はじめて明らかに語られたか』をしめし
    ている場合が多いのですが、この注をみると、マルクスが、
    いかに広範に各国の経済学の文献を読み、研究していた
    かがわかります。たとえば、商品論では、貨幣形態がより
    発展した価値形態にすぎないことを最初に指摘した文献と
    して、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』があげられ、分
    業論でも、プラトンやクセノフォン、イソクラテスなど紀元前
    の古代ギリシャの著作があげられています。マルクスが大
    英図書館の資料の山のなかから発見するまで、おそらくだ
    れの目にもとまらなかったであろう無名の小冊子が、その
    経済学研究上の重要な意味を発掘されたという場合も、少
    なくありません。
     
…マルクスは、現代社会とそこにいたる歴史の事実にもと
    づく研究という点でも、経済学についての人間の探求と思索
    の展開という面でも、当時の条件のもので可能なかぎり、す
    べてを調査し研究して、大著『資本論』を書きあげたのであ
    って、マルクスの天才の『創造的思考』の自己運動でこれを
    生みだしたわけではけっしてありません」
     
(不破哲三『現代に生きるマルクス』新日本出版社、1984年)

 
2。エンゲルス(1820~1895)
  
◇生涯の概観(資料参照)
  
◇『イギリスにおける労働者階級の状態』
   
*青年エンゲルスがみた労働者とその家族の生活
   
*エンゲルスのブルジョアジーにたいする宣戦布告宣言(序文)

    
「エンゲルスよりも前にプロレタリアートの苦難をえがいて、
    これを助ける必要を指摘した人びとはきわめてたくさんいた。
    エンゲルスがはじめて語ったのは、プロレタリアートは苦難し
    ている階級であるばかりでなく、プロレタリアートがおかれて
    いる恥ずべき経済的地位そのものが、さからいようもなく彼
    らを前進させ、自分の終局的解放のためにたたかわせると
    いうことである」
    
「1845年の前でも後でも、労働者階級の惨苦をこれほどま
    でにまざまざと、真にせまってえがいたものは一つもあらわれ
    ていないのである」   
(レーニン『フリードリヒ・エンゲルス』)

  
◇「ほんとうの百科辞典」(マルクス評)

    
「ほんとうの百科事典で、昼でも夜でも、酔ったときでもしら
    ふのときでも、いつでも仕事をすることができ、書くのはは
    やく、悪魔のようにわかりがいい」
                
(マルクスの友人あての手紙のなかから)

   
*20数か国語に精通する語学力、「将軍」とあだ名がつくほど
    の軍事学の力、自然科学の研究も
   
*マルクスの経済学研究の、事実上ただ一人の相談相手

  
◇20年にわたるマスクスへの援助
   
*マルクス家の貧しさ
   
*エンゲルスの「ビジネス生活」による経済援助
                    -マルクスの経済学研究の支え

    
「序文もきのう校正して返送した。つまり、この巻は完成した
    のだ。ただ君に感謝する、これができたということを! 僕
    のために君が身を犠牲にしてくれなかったら、僕はこの途方
    もない大仕事を三巻にすることはできなかったのだ。僕は君
    を抱きしめる、感謝にあふれて!」
            
(マルクスからエンゲルスへの手紙、1867.8.16)

   
*20年間の往復書簡は1344通

    
「20年にわたって二人はまれに、ときどき、短時間しか会わ
    なかった。しかし二人の交際はとだえることはなかった。…
    二人は、毎日のようにたがいに手紙を書いたが、うちではモ
    ールと呼ばれていた父が、エンゲルスの手紙にむかって、書
    いた当人がまるで目の前にいるかのように、『いや、そうじゃ
    ない』、『そうだ、まったくそのとおりだ』などと語りかけていた
    ことが、幾度もあったのを、いまでもおぼえている。なかでも
    いちばんよくおぼえているのは、モールがエンゲルスの手紙
    を読んでたびたび笑いもしたが、ときには涙が彼の頬をぬら
    していたことである」     
(マルクスの四女エリナの回想)

  
◇マルクスの葬儀での、エンゲルスの弔辞

  
◇マルクスの長女ジェニーの「告白張」



さいごに:私たちとは、どんな存在であるのか
                   …この古典講座で明らかにしたい

    
「マルクスとエンゲルスの労働者階級にたいする貢献は、短
    い言葉で表現すれば、つぎのようにいうことができよう。彼ら
    は労働者階級に、自己を認識し、自覚することを教え、夢想
    を科学にかえた、と」 
(レーニン『フリードリヒ・エンゲルス』)

次回(2/22)予告「空想的社会主義‐何を学び、何を乗りこえたか」



【参考文献-紹介したもの以外に】
 
◆土屋保男『マルクスへの旅』(新日本出版社、1984年)
 
◆土屋保男『マルクス、エンゲルスの青年時代』(新日本出版社、1995年)
 
◆不破哲三『エンゲルスと「資本論」』(新日本出版社、1997年)
 
◆服部文男『マルクス探索』(新日本出版社、1999年)


以上。


講義のあと、感想交流をひととおりして、
終了しました。

ジェニーの告白張をみて、
「エンゲルスの方が人間的だ」
「歯医者がきらいだったと知って、
エンゲルスがぐっと身近になった」
など、面白い感想も聞かれました。


では、参加者の感想文をいくつか。

「マルクスのすごさは、全く新しいことを思いついた、
ところじゃなく、今まで人類が築いてきた価値ある
ものを貪欲に吸収したところにあったんだな、と
思いました。マルクス自身が常に現実から出発する
人だったんだろうな…」

「マルクスの学ぶ姿勢に感動しました。知性という
ことについて関連すると思いますが、マルクスの
学ぶ姿勢は事実と体験にもとづくということで、
このことが説得力につながるのだと思います」

「人物像にせまった学習ははじめてです。新鮮な
感じで今まで知らなかったことがわかったのが良
かった。…多くの古典は本当に読むたびに新たな
発見があるなあと再度実感できました」



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吐き出されるほう

きのうの晩のこと。

21時半頃、自宅に帰ると、まだ真っ暗だった。
5分ほどすると、相方が帰ってきた。

私 「今日は早く帰ってくるってゆうとったがー!(怒)
  最近いつも僕のほうが早い。たまには暖かい家
  に帰りたいわ」

相方「早く帰ろうと思ってたけど、なんだかんだ
   で遅くなった…。…私、もう病気になりそう」

(解説) 相方は、今年1月から職場での部署が
     変わり、私より帰りが遅い日が多いのである。
     出張も確実に増えている。そして仕事の中身も
     なかなか悩み深きものがある。

私 「あんた、最近いつも『私もうダメ、病気にな
  る』って言っとるなー。でも、病気にならんのは
  僕に溜まったストレスを全部吐き出してるからでぇ。
  でも吐き出されるほうはたまったもんじゃないわ」

相方「それはそうね(笑)
    でもあなたはそういう役回りなのよ」

私 「で、今日は何があったんかいな」

相方「今日はね…」



てな感じで、少々のお酒と食事をつつきながら、
相方のグチの聞き役、悩み事の相談役に
なっている日々なのであります。

今年に入って、まだ1本も映画をみていない
2人なのでありました…。



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2008年2月 7日 (木)

チュニジアの11日間(8)

31日(チュニジア5日目)の朝、
4WDに乗り込んだ私たちは、
トズールを出発した。

前日は暗くなってからのトズール入りだったので、
街の外の様子はわからなかったが、
なるほど、砂漠のなかの町といわれるように、
車で少し走ると、すぐに荒涼とした風景が広がっていた。

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 大地が
 どこまでも
 ひろがる。









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 なんと!
 らくだ注意
 の看板が。








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 驚いている
 間もなく、
 本物の
 らくだが!

 でも、野生
 ではない
 そうです。





車で30分ほど走り、
ジュピカという村に。

数十年前に、大洪水があり、昔の村は
水没してしまったが、わずかに形跡が残っているそうだ。
洪水後がまだ生々しい、渓谷の村である。

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 観光客
 相手の
 土産もの
 店がならぶ。








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 ちょっと
 歩くと、
 見晴らしが
 よくなった。








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 ジュピカの
 旧村跡も。









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 さらに渓谷
 を歩いて
 いく。

 ガゼルだ!
 …つくりもの
 ですが(笑)







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 村の少年たち。

 子どもも、
 観光客相手に
 売り子をしていた。

 けっして生活は
 ラクではない。










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 さらに歩いていくと、
 自然の池が。

 なかなか透明度も
 あって、美しい。

 でも、こんなところに
 池があるなんて。







ジュピカを観光したあと、
ふたたび4WDに乗って移動する。

ちなみに、この4DWの運転手の人が
むちゃおもしろいおじさんだった。

デコボコの近道に急に入ったと思ったら、
ラジカセ全開で音楽を流し、「ふんふん」歌い出す。
こっちは、デコボコ道で「うわー」とか、「きゃー」とか
言っているのに(笑)。

でもって、岡山から来たバレーボール3人組も、
その勢いに乗っかって、一緒に歌い出す(笑)。
でもって、私もこの際とばかりに歌い出す。

ということで、4DWのなかは、大合唱に。
もちろん、アラビア語の歌なので、
テキトーなんですけどね。
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 さて、次に着いた
 のは、ミデスと
 いうこれも渓谷。

 もうここまで来る
 と、アルジェリア
 との国境はすぐ
 そこだ。

 で、この渓谷は
 映画、『イング
 リッシュ・ペイ
 シェント』の撮影
 場所にも使われ
 た所だそうだ。

 たしかに見覚え
 がある。





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 この渓谷は
 ものすごく深い。

 私は高所恐怖症の
 ため、こんなに
 近づいて見ることは
 できない。

 離れたところから
 写真をとるだけだ。

 だって、落ちたら
 いやですもん。







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 染織された
 ものが
 干して
 あった。







さて、渓谷をあとにし、ふたたび4WDで
来た道を引きかえす。

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 途中、
 タメルザ
 という
 所の旧村が
 見える
 ホテルに
 寄ったり。





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 アフリカ~
 って感じの
 展望所に
 立ち寄っ
 たり。







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 4WDは
 飛ばす
 飛ばす。

 かなり
 恐い。






トズールへ戻り、ミニバスに乗り換えて、
今度はドゥーズという町をめざす。

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 こんな
 感じで
 ロバや
 馬はよく
 見かけます。







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 これは、 
 北アフリカ
 最大の
 大塩湖。

 季節に
 よって湖の
 色が変わる
 という。





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 ここでとれた
 塩は、
 ヨーロッパ
 などへ
 輸出されて
 いるそうだ。

 湖の真ん中
 あたりに
 その製造工場
 があった。









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 こんなことをして遊んでみる。

 車がまったく通らない、
 直線道路だからできること。






さて、いよいよ本格的な砂漠の町、
ドゥーズへ到着した。町からすぐ南へいくと、
サハラ砂漠が広がっているそうだ。

ここで、サハラツアー(1泊)の準備のために、
ミニバスをおり、準備をする。

時間が少しあったので、町のスーク(市場)へ
行ってみる。

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 青空と
 雲が
 キレイだ。

 天気がよく 
 なってきた。







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  スークには
 いろいろな
 お店が
 並んでいる。









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 チュニジア国旗を
 とってみた。

 青空に映えるね。














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 バレーボール3人組は、
 このスークで地元の
 衣装を買い込み、
 すっかり現地人化していた。

 すばらしい。





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 昼食は、
 Nさんが
 買出しに行って
 くれ、いただく。

 このパンも
 美味しかった。





さて、14時を過ぎた。
いよいよこの旅行のメインイベント、
サハラツアーである。
ここドゥーズにいるジュニアボランティアの
人も合流し、総勢17名でのツアーである。

ドゥーズの町からミニバスに乗りこむと、
すぐにサハラ砂漠の突端に着いた。

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 そこには、
 らくだが、
 「さあ、のれ」
 とばかりに
 待ち構えていた。

 よし、
 さあ、のるぞ。

 









砂漠の圧巻景色は次回・・・!




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2008年2月 6日 (水)

仕事がまわっていない

きのうは、とある活動で、倉敷~笠岡方面へ
行っておりました。思ったより寒くなくてよかった…。

話は変わって、
最近、ちょくちょく労教協の勤通大募集推進の
ニュースがFAXで送られてくる。
すでに全国的には700名をこえて進んできている。

岡山は今年の全国集会の開催県でもあり、
恥ずかしい結果に終わるわけにはいかない。
が、残念ながらまだ県内3名というのが現状だ。

いろいろな仕事も重なって、なかなか
オルグにまわることができない。
それどころか、はっきりいって、どの課題も進んでいない。
が、明日は無理してでも勤通大のオルグにまわろうと思う。

古典講座の声かけもしなければ…。

今日の晩は、75期労働学校の第1回運営委員会。
5月の開校にむけて、スタートをきる。



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2008年2月 4日 (月)

チラシ・ニュースづくりの基礎

今日(4日)の18時から、
「チラシ・ニュースづくりの基礎知識」という、
ちょっと変わった講義(?)をしました。

といっても、参加者は2名。
先日、とある人から、
「チラシづくりのレクチャーをしてほしい」
と言われ、まったく個人的な学習会でありました。

最初は、そういう学習会なので、
レジュメもつくらず実践的な話だけを
すればいいかな、と思っていたのですが、
まあせっかくの機会なので、
「これまで自分で学んできたことをまとめてみよう」
と思い、ホントにまとめてみました。

あらためてこうした問題について
キチンと整理をすることで、
私自身のチラシ・ニュースづくりを
ふりかえることにもなり、とても有益でした。

自分で話していて、もっと学習協の
会報を充実させねばと反省しました(笑)


話は約1時間。
では、以下に、まとめたレジュメをご紹介します。


一。チラシづくりの基礎知識
 
1。チラシの役割
  
◇人びとの身近にあるメディア
   
*とくに私たちの運動は、チラシであふれている

  ◇送り手と受け手の関係
   
*送り手(企画・イベント情報、告知、ニュース、招待)
   
*チラシとして形に
    (おり込み、街頭配布、手渡し、郵送、ポスティング)
    
・チラシの内容に、送り手のメッセージをこめる
    
・チラシデザインは、送り手の「誠意」が表れる
     
【チラシの役割】
     
①知らせる(情報・知識)
     ②理解させる(賛同・共感・好奇心)
     
③行動させる(参加・購買)

     
・知らせるためには目につきやすく、理解させるには
      適切な内容・素材を用い、行動させるには、受け手に
      とっての共感と利益を盛り込むことが必要。
     
・多くのチラシ(ニュース)は、「見る」段階で捨てられて
      おり、それをいかに「読ませる」ところまで高めるか、
      そして受け手の「行動」を生み出すことが、最終目的。

 
2。チラシのメカニズム
  
◇送り手のメッセージ
   
*何が、どこで、いつ、どのように、対象は、メリットは
   
*つねに「受け手」をイメージしながらつくる
  
◇チラシ
   
*文章(キャッチコピー、見出し、情報、解説)
   
*イメージ(イラスト、写真)
    
→文章とイメージの構成と配色(レイアウト)
  
◇受け手の反応
   
*イメージの印象、情報内容の理解、好感・共感・前向きな疑問、
    関心と行動
   
*メッセージに人の心を動かす価値がなければ、人は動かない。

 
3。チラシデザインの基礎
  
◇デザイン発想力の源泉
   
*発想力は訓練によって高まるもの
    
・新聞の広告やチラシなどを「デザイン」の意識をもって読む
    
・すぐれた文化や芸術に日常不断に接する
    
・もっとも簡単な方法は、いいアイディアを真似てみる、ということ。
  
◇人の目を引くためには
   
*受け手の目を瞬時にとらえる役割をもつものを「アイキャッチ」
    という。
   
*イラストや写真などの絵を「アイキャッチャー」といい、文章を
    「キャッチコピー」と呼ぶ。
   
*アイキャッチャーは、受け手の目をとらえ、即座にイメージを
    伝えるもの。
    
・興味を引くキャラクターをつかう、形(星型や丸型など)の
     心理作用を利用する、安定しているもの(横や縦など)よ
     り斜めの構図は誘引性が高い
etc
    
・しかし、何よりも受け手の目をとらえるのは、「人」である。
     人(とくに個人)が登場してくるチラシ(ニュース)は、必ず
     そこに目がいく。

   
*写真の効果-圧倒的な情報力でリアル感が出せ、信憑性を高める
    
・チラシの目的にそった写真を
    
・講演会などのチラシは、可能なかぎり講師の写真を載せる

  
◇キャッチコピーの役割
   
*キャッチコピーは、見た人に、すばやく好奇心や問題関心を起こさ
    せるものであることが必要。読むには一瞬といえども時間が必要で
    あるため、キャッチコピーは簡潔で、語呂のよいものが適している。
    
①人の目をひく(はっとさせる文章、書体・大きさ・色)
    
②興味を感じさせる(新鮮さ、メリットのある情報)
    
③印象に残す(語呂のよさ、特徴ある語句)

  
◇文章を読ませるためには
   
*読みやすさと、読みやすいレイアウト
   
*「意義・任務」「押しつけ」型ではなく、相手の気持ちに呼びかける
    姿勢で
   
*フォント(書体)もデザインの大事な要素となる
   
*文章は短くくぎり、テンポ良く読ませる。だらだらと説明する文章は
    読まれない。
   
*人が目で追える限界は1行26文字まで(疲れる)。それをこえたら
    改行を。
   
*文章は囲みや罫線のギリギリから始めないようにする(余裕をも
    たせる)

  
◇構成力は、バランス力
   
*1枚のチラシにより多くの情報を入れたいのが一般的な傾向。
    しかし、めいっぱいのチラシは敬遠される。とくに字がびっしりの
    チラシは受け手に圧力をあたえ、まず読まれない。
   
*アイキャッチャーや枠組みなどをうまく整理し、空白(ホワイトス
    ペース)をしっかりつくる。空間がないと、美的効果が阻害され、
    視角誘導もしづらくなる。間をつくることこそ、デザイン力が試される。
   
*罫線は、チラシにメリハリをつけたり、全体を引きしめるときに使う。
   
*チラシの構成力は、バランスをとる力でもある。

  
◇実践編-プロの技とチラシの良し悪しを見極める力
                            (日々の鍛錬が必要)
   
*元旦付「朝日新聞」の企業広告をみる
   
*私たちの身のまわりにあるチラシを題材に考える

   
【参考文献】
   
◆『チラシデザイン』(南雲治嘉著、グラフィック社、2003年)


二。ニュース・機関紙づくりの基礎知識
 
1。ニュース・機関紙は運動の組織者
  
◇真実のペン-草の根のメディア
  
◇良い運動・組織には、良いニュース・機関紙
   
*ニュース・機関紙をみれば、組織の元気度がわかる
   
*ニュース発行・機関紙活動は、組織活動そのもの
   
*機関紙がなかったら、組織の活動が1人ひとりに伝わらないし、
    1人のひとりの声が組織にも伝わらなくなる。血液循環と同じ役割。
  
◇組織の運動が記録に残る-歴史や活動をふりかえる資料として

 
2。人にこだわり、人に執着する
  
◇1人ひとり、名前をもつ「個人」をたえず登場させる
   
*抽象化されたデータ・数字や、組織活動全体の記事は、客観
    的事実の記録にはなるが(それも大事だが)、読み手に迫るも
    のがない。
   
*記事の素材が個性的であること。他の人間と取り替えがきか
    ない人間が登場してきて、「この人でなければ言わないセリフ」
    が出てくるニュースや機関紙は読まれる。
   
*「個」のリアルな声や姿、喜怒哀楽をつうじて、その背景にある
    職場の問題や社会構造をあぶりだすことができたなら、その記
    事は共感をひろげる。
   
*人と人をつなげていく。そして前へ向かって歩き出そうという呼
    びかけが飛び交うような、そうした声の組織者としての役割をニ
    ュース・機関紙が果たす。
   
*上意下達型のニュース・機関紙では、なかなか人は動かない。

 
3。企画の立て方
  
◇企画を考えるスタンス
   
*「次の号をどういう内容のものにしようか」。これが企画。
    
①どういうテーマにするか
    ②そのテーマをどういう内容・形式の記事にするか
   
*企画を考えるというのは、読者に提供したい情報・テーマを探
    ること。したがって、編集する側に求められるのは、「企画を考
    える」ことではなく、「いま組織や運動はどういう状況にあるか」
    「個々の職場・部門はどうなっているか」「組合員や組織員は何
    を考えながら働いて(活動して)いるのか」…といった諸点につ
    いて、つまり「組織と人の現在と未来」について、分析・考察する
    ことが求められる。
   
*ニュース・機関紙の目的は、「発行する」ことではなく、「コミュ
    ニケーションを促進する」ことであり、「何をコミュニケーション
    したいのか」「なにをコミュニケーションすべきなのか」をじっくり
    考えることが大事。

  
◇企画力を高めるのは情報収集と問題意識
   
*「企画力を高める」「いいアイデアが突然パッと思いつく」という
    のは、日常の問題意識の高さと情報収集(学習)の広さに規定
    される。

  
◇読者のニーズを尊重しながら、読者をリードする
   
*読者は、自分の関心・問題意識の範囲内でしか情報に
    「反応」しない
   
*読者の関心の高い問題や射程距離内にある企画は読まれや
    すい。しかし、「ニーズの尊重」ばかりでは、読者の問題意識を
    こえる企画はできなくなる。それでは、編集側も、読者にも、成
    長はない。
   
*「ニーズを尊重しながら、読者をリードしていく」「適度な新しさや
    刺激に満ちたニュースや機関紙をつくる」。こうしたバランス感覚
    が編集する側には求められる。

 
4。記事・文章の基本
  
◇記事の形式
   
*活動報告、お知らせ、論考・論文、読者の投稿、人物紹介、イ
    ンタビュー記事、座談会、対談、アンケート調査、ルポタージュなど
   
*テーマ・目的にそって、どういう形式の記事にするかが決まる

  
◇文章を書くということ
   
*文章表現で一番大切なことは、「他人(読者)に伝えたいという
    欲求」「心のなかから、自然に込みあげてくるコミュニケーション
    の衝動」があること。
   
*文章のうまい・へた、ではなく、心から言葉があふれてきて、そ
    の真摯な内面の吐露が人の心をとらえる。
   
*言葉を知る-読書の積み重ねと国語辞書の活用。文章力のあ
    る人の書き物を読む。
   
*考える力を育てる-とにかく「書く」。そのプロセスをつうじて、
    「考える力」「感じる力」が伸びてゆく。

  
◇文章の基本ポイント
   
*5W1H(いつ、だれが、どこで、なにを、なぜ、いかに)。記事や
    ニュースの内容によって、それぞれのウエイトが変わってくる。
   
*句読点は、20字あたり最低ひとつ、できれば2つぐらい。1行
    (20字程度)に、ひとつも句読点がない文章というのは避ける。
    「短く」「簡潔に」が基本。
   
*日本語は漢字、ひらがな、カタカナで構成。読みやすさという点
    では、一般的に漢字含有率は30%以内におさえることが望まし
    いとされている。漢字が多い文章は紙面が黒っぽくなり、文章を
    読むことが苦手の人にとっては、非常にとっつきにくい印象を与
    えてしまう。
   
*こまめに改行する配慮も必要
   
*「書き出し」を工夫し、力を集中する。読者を引き込み、続けて
    読んでもらうために。

 
5。見出しづくりのポイント
  
◇見出しの重要性
   
*見出しは、その記事を読むかどうかを読者に判断させる最
    初の決め手。とくに忙しい現代社会では、まず目に入る「見
    出し」の重要性は高まっている。
   
*どういう見出しを立てるかは、記事の内容と編集者の感度・
    センスによる

  
◇見出しを考えるポイント
   
*見出しは大きくわけて2種類。ひとつは、記事内容を端的に
    表現したもの(代表例は新聞の見出し)。もうひとつは、本文
    への誘導をねらった見出し。
   
*記事の内容にない見出しは避ける。長い「見出し」は「見出
    し」ではなくなる。
   
*「主見出し」に「○○集会に○○名が参加!」など、中身を伝
    えないものはダメ。それが読者の知りたいことではない。「み
    んなの力で○○を達成しよう!」など、使い古された一般的な
    スローガンも心に響かない。

 
6。読みやすいレイアウトの基礎
  
◇レイアウトは、料理でいえば盛りつけの役割
   
*いくら素材がよくても、見た目で敬遠されることのないように
   
*レイアウト作業で大切なことは、原稿を書いてくれた人や、取
    材に応じてくれた人への「思いやり」「感謝の気持ち」。記事を
    最良のものに仕上げることで報いる。
   
*記事の内容を「読者に届けたい」というモチベーションがレイ
    アウト技術の向上につながる。
  
◇読みやすいものにするために、十分なスペースを
   
*窮屈さは自由度を低くし、魅力的で美しいレイアウトを困難にする
   
*新聞や雑誌などのレイアウトをつねに研究することで技術は
    身につく


   【参考文献】
    
◆『もっと読まれる社内誌の創りかた』
                   (木村幸男著、NOMA総研、
2000年)
    
◆月刊『機関紙と宣伝』(日本機関紙協会出版部)


以上。


もちろん、私も素人の範囲をこえませんが、
こうした「ポイントとなること」を押さえるだけで、
だいぶん上達します。あとは、実践の積み重ねです。


参加者2人のコメント。

「自分のチラシをみて、まだまだ
だなぁと思った。キャッチコピーを
つくるのは難しい…」

「わかってたようで、そんなに重要視
してなかった。ニュースは組織力を
高めるものなんだなぁ。奥が深い」




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はやりの風邪らしい

今日(4日)、とある事務所に寄って、
とある処理をしているときに、
「コホ、コホ」と最近ずっと治らない咳を
していたら、

「それ、最近はやりの風邪ね。
ちょっと声がかすれてて、
タンがからまったような感じでしょ」

「そうなんです」

「なかなか治らないわよ」

「そうなんっすか!そりゃ困るな~」

という会話になった。

ここ1週間ほど、熱はないのだけれど、
咳き込んだり、のどの調子がわるかったり。

はやりの風邪なのか。
それは知らなかった。

早く治らないと、困るのだけれど。




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2008年2月 2日 (土)

チュニジアの11日間(7)

30日(チュニジア4日目)のつづき。

スベイトラのローマ遺跡へ行く。
チュニジアに残る一番新しいローマ遺跡とのこと。
時間はこのときすでに14時40分。

ちなみに、スベイトラは、かなり内陸部に位置し、
首都のチュニスと南部にあるサハラ砂漠までの
距離の、ちょうど中間地点ぐらいにある。

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 これが
 スフェトゥラの
 (当時の名称)
 遺跡。

 ビザンチン帝国
 (東ローマ帝国の
 別名)により
 造られたものが
 多いという。

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 そのビザンチン
 帝国は、すぐに
 アラブ軍によって
 この地を追われた
 そうな。

 戦争ばかりの
 時代ですな。



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 歩いて行くと、
 だんだん
 神殿に近づいて
 きた。





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 左から、
 ミネルバ、
 ジュピター、
 ジュノ、
 が祀られて
 いるという。

 なんか、
 ローマ遺跡
 って感じだ
 な~。



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 どの神殿も、
 中まで入れます。









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 でもって、
 神殿の中から
 とった写真。










ここの遺跡群は、とにかくだだっぴろく、
その後もウロウロと歩いて見学するが、
見れたのは半分程度であったと思う。

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 これは
 劇場跡。

 ローマ人は
 基本、
 お風呂と
 劇が好き
 なんですな。




さて、スベイトラを約1時間かけて
見学したあとは、またミニバスで移動。
一気に南下する。

約3時間後、トズールという町に着く。
ここが本日の宿泊地である。
トズールは、すでにアルジェリア国境に近く、
砂漠の中の大きなオアシスの町とのこと。

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 もちろん
 もう真っ暗。

 なにやら
 ネオンが
 きらびやかな
 街ですな。



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 ここも。

 じつはここ、
 市庁舎らしい。
 …ハデだ。





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 ホテルにチェックイン
 してすぐに、街を
 少し歩いてみる。
 これはモスク。
 やはりどこにでもある。

 歩くと、砂漠の街という
 雰囲気を感じる。
 なぜなら、町中に砂と
 粘土を混ぜ合わせて
 つくった日干しレンガの
 建物が多いからだ。
 赤レンガでなく、
 白レンガである。




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 ホテルに帰って、
 19時半頃から
 夕食をいただく。

 ホテルは
 どこでも必ず
 バイキング。




夕食を終えると、
「みんなでY本さんの工房にいきませんか」となる。

Y本さんは、ここトズールで、JICAの
シニアボランテイアをされている日本人の方。
私たちの団体(?)が来るとのことで、
ホテルに顔をだしてくださっていた。

そのY本さんが行っているボランティアとは、
ここトズールの特徴である
日干しレンガづくりの指導。

日本では焼物のお仕事をされていたそうで、
その技術を活かし、ここチュニジアで
安価で耐久性もあるレンガ造りを研究している。

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 ホテルから10分ほど
 歩くと、Y本さんの工房に。

 工房に行くあいだにも、
 
Y本さんからいろいろ
 現地のお話を聞かせて
 いただく。

 工房では、 
 日干しレンガづくりの
 ことをあれこれと
 伺うことができた。




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 これは小さな
 焼き釜。

 電気釜ですな。
 たしか。









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 「へー」
 「なるほどー」
 を連発しながら
 話を聞く。

 レンガ造りの
 自作DVDまで
 いただく(有料)。



Y本さんのことにかぎらず、こうして現地に根づき、
さまざまな活動や生活をされている
人の話を聞くことができたのは、今回の旅の
大きな特徴だった。

それは、旅行会社などの観光ツアーでは
けっしてできない、貴重な体験だった。
Nさんのツアーコンダクター並みの力量と
人徳のたわものでもある。ほんとうに感謝!

さて、ホテルへ帰ったのはすでに22時前。
次の日も早いので、そそくさと眠りにつく。


で、31日(チュニジア5日目)の朝。
前日は暗くなってからトズール入りしたので、
トズールのメディナ(旧市街)などは見学
できなかった。

そこで、私たち3人とジュニアボランティアのSさんの
4人で、ちょっと集合時間より早く準備して、
ホテルからすぐ近くのメディナへ行ってみた。

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 メディナの
 なかは、とても
 ひっそりと
 していた。






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 日干しレンガの
 建物が並ぶ。

 日干しレンガの
 特徴は、色だけでなく、
 レンガ自体を
 組み合わせて模様を
 つくっているところにある。







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 こんな感じに。











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 しずかなメディナの
 中を歩くのは、
 とても、
 気持ちがよかった。

 








さて、7時半。集合時刻となった。
この日も総勢14人での行動。

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 が、今日は
 ミニバスではなく、
 このトヨタの4WDに
 7人ずつ分乗して
 2台で移動。
 (運転手は現地のプロ)

 

いったい、行き先は・・・

次回をお楽しみに。



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2008年2月 1日 (金)

イチ押し-堤未果・最新刊

最近読み終えた本。

『自然体のつくり方』(齋藤孝、角川文庫、2007年)

齋藤さんの本を読むのは久しぶり。
最近だされているものにはビビッとこなかったんですが、
これはなんとなく「読んでみようかな」と思いました。

「レスポンスする身体づくり」ということが、主題。
つまり、他者との距離関係をつかみ、
会話やコミュニケーションを発展させる技、ということ。

齋藤さんは、「無反応な冷たいからだが増えている」
という危機感をもっていています。
つまり、あいさつをしても、まったく反応がなかったり、
うなずきなどの応答のサインができない身体になっている、と。

私も、人前で話をする機会があるので、
この「応答のあるなし」ということには、敏感です。
うなずきながら自分の話を聞いてくれる人がいれば、
しゃべる側は励まされ、さらなるエネルギーが
わいてくるものです。

また、「アイコンタクトの技化」というのも、
興味深く読みました。
目をあわせるって、やっぱ恥ずかしいですからね~。


『フューチャリスト宣言』(梅田望夫・茂木健一郎、ちくま新書、2007年)

個々の部分での異論や「保留」はありますが、
この本全体をつらぬく思想(未来志向)には、
とてもとても共感しました。

「未来は予想するものではなく、創り出すものである。
そして、未来に明るさを託すということは、すなわち、
私たち人間自身を信頼するということである」

私のブログの方向性も間違っていなかったんだなと、
確信がもてました。もっともっと書くぞ~。


『虚像(メディア)の砦』(真山仁、講談社文庫、2007年)

久しぶりに、なにか小説を読みたくなり、
本屋をぶらついていて、手にとったもの。

去年ハマッタ、NHKの土曜ドラマ『ハゲタカ』の
原作者の小説なので、「はずれはないだろう」と
思ったのですが、やっぱり「あたり」でした。

今度の舞台はズバリ「テレビ業界」。
イラクでの日本人人質事件や、最近のお笑い番組を
題材にしながら、巨大メディアの実相にせまる力作でした。

視点がきちんとしていて、しかも小説としても
おもしろいので、一気に読めます。
テレビの腐敗はまったくすごいものですが、
その再生に情熱をもつ人びとも、存在するのです。

が、この小説にかぎっていえば、
『ハゲタカ』のような、ドラマ化は絶対にないでしょう。
山崎豊子ばりのえぐり方ですから。

もしこの小説がドラマ化されたならば、
それは、本当にテレビという巨大メディアが
真の意味で再生したとき、だと思います。


『ルポ 貧困大国アメリカ』(堤未果、岩波新書、2008年)

「いつでるのかな~」と待ち続けた、
堤未果さんの最新刊。期待どおりの内容でありました。

日本の5年先をゆく、といわれるアメリカの貧困実態。
それはもう、ほんとうにすさまじい。
そして、つくられた貧困層をターゲットにした、
「貧困ビジネス」の跋扈(ばっこ)。

民営化された戦争に、そうした貧困層の若者が
吸収されていく実態もリアルに伝わります。

しかし、堤さんは、市場原理主義の大きな構造に対抗し、
連帯をはじめた人びとの姿にもスポットをあてます。


そして、民主主義には二種類ある、と提示しています。

ひとつは、“経済重視型の民主主義”。
 そこでは、利益や利便性に価値がおかれ、
 国民1人ひとりは、消費者や捨て駒として扱われる。

もうひとつは、“
いのちをものさしにした民主主義”。
 環境や人権、人間らしい暮らしに光をあて、1人ひとりが
 健やかに幸せに生きられる社会を作り出すこと。
 国民は個人の顔や生きてきた歴史、尊厳を持った「いのち」
 として扱われる。


「あとがき」には、堤さんの人間性がかいまみれ、
そのかたい決意は、
私たちの背筋をピンと伸ばすに違いありません。

他にもたくさん学んだことはあるのですが、
それは、今後のいろいろな講義で紹介して
いくことにしたい、と思います。

いまイチ押しのジャーナリストの、イチ押しの新書です。


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