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2007年11月 2日 (金)

韓国現代史

きのうは、74期岡山労働学校の第4講義。
参加は18名でした。なかなか20名にいきませんなぁ。


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義は、「韓国現代史-日本の植民地支配からの苦悩のあゆみ」
ということで、私が講師を担当しました。

にわか仕込みの勉強でしたが、
主に、南北分断にいたる経過、朝鮮戦争、
日韓基本条約の問題にポイントをあてて、
話をしてみました。

おとなりの国である韓国の現代史は、一般の人よりは
意識の高いであろう労働学校の受講生にとっても、
知らないことだらけであったようすでした。


以下、講義の概要(長いです)。


はじめに
 
*こんなに似ている私たち-北朝鮮・韓国・中国、そして日本
  
DAYS JAPAN』06年11月号より
 
*関係ないですが、大好きな番組-『関口知宏の中国鉄道大紀行』
 
*岡山空港からソウルまで、1時間35分。毎日とんでますョ!



一。日本の植民地支配の歴史(1910~1945)
 
1。韓国併合
  
◇武力の脅しによる併合。独立運動を力で弾圧(1919年3月1日)。

 
2。植民地支配の実態
  
◇皇民化政策-創氏改名、日本語教育、宮城拝礼、
            神社参拝を押しつける。
  
◇1940年代、日本の労働力不足を補うために、
    朝鮮人を日本へ強制連行(少なくとも70万人といわれる)。
  
◇「日本軍」の兵士・軍属として朝鮮人を徴兵。南方などの
    戦地へ送り込まれた。
  
◇日本軍「慰安婦」



二。南北分断と朝鮮戦争(1945~1953)
 
1。解放と38度線
  
◇1945年8月15日 日本ポツダム宣言受託(無条件降伏)
   
*ポツダム宣言の中に、
     「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク」とある。
   
*カイロ宣言(43年11月、米・英・中)では、併合状態におかれ
    ている朝鮮の独立がうたわれている。
    →ポツダム宣言の受諾は、植民地支配からの解放を意味。

  
◇建国のための自治組織
   
*解放の日、ソウルでは「朝鮮建国準備委員会」が組織される。
    この建国準備委員会は、朝鮮民衆の意志を代表するもので、
    呂運亨(ヨ・ウニョン)を
指導者に、わずか半月のあいだに全
    国の主要都市145か所に支部
を設置する。この組織に参加
    した人びとは、治安と行政をととのえ
て社会を安定させようとした。

  
◇「朝鮮人民共和国」の宣言と挫折
   
*建国準備委員会は、9月6日にソウルで全国人民代表者会
    議をひらき、「朝鮮人民共和国」の成立を宣言。
   
*この朝鮮人民共和国は、民族の主権を確立した民主主義国
    家の建設をうたい、それを実際にすすめていくための閣僚名簿
    を発表した。その陣容は、主席李承晩(イ・スンマン)、副主席
    呂運亨、国務総理許憲(ホ・ホン)、それに金九(キムグ)、
    曺晩植(チョ・マンシク)、金日成(キム・イルソン)など、日本の
    支配とたたかった民族主義者や共産主義者を網羅したものだった。
   
*しかし、アメリカとソ連は、日本が降伏したのち、
朝鮮半島を北
    緯38度線で分割、軍事占領すること
を決めていた。8月8日、
    日本に宣戦布告したソ連
軍が満州(中国東北部)へ進行、さら
    に南下するス
ピードが速く、驚いたアメリカが朝鮮での権益を確
    
保しようとして、38度線での分割占領をソ連に提
案した。
     
≪終戦のタイミングが、分断へ影響≫
      
もし日本が、ポツダム宣言を8月の最初の数日
に受け入れて
      いれば、ソ連の参戦はなかったと
思われる。結果、分断もな
      かったかもしれない。
   
*9月8日、アメリカ軍が仁川に上陸。朝鮮人民共和国を政府とし
    て認めず、軍政の施行、朝鮮総督府の旧機構や法令の存続を
    布告。朝鮮人の自主的な建国の動きを否定した。また、呂運亨
    たちを共産主義者だとして排除していく。そして、初代大統領と
    なる李承晩ら、親日派と次第に協力関係を築いていく。
   
*ソ連軍の方は、8月24日に平壌(ピョンヤン)に進駐し、朝鮮半
    島北部全域の占領を布告。その際、すばやく土地改革などの社
    会改革を
実行し、日本統治時代の残滓(ざんし)を一掃していく。
    
また、建設準備委員会をあらためた人民委員会を正式な
組織と
    して認め、金日成を指導者としてかつぐ。

  
◇「冷戦」の産物としての分断国家
   
*アメリカとソ連の対立が決定的になるにつれ、アメリカは朝鮮を
    反共の砦として利用することを決め、親日派の復活、勢力拡大
    を後押しする。そして
1948年5月には、「新米反共」の李承晩らを
    もりたてて、「南」だけの単独選挙が
強行され、8月15日に「大韓
    民国」という単独国家が樹立されて
しまう。
   *この過程で、「南」では、民衆の武装闘争など、統一朝鮮の実現
    を求めるはげしい反米・反李承晩闘争が起こる。
1948年4月3日
    からの済州島(チェジュ島)の武装蜂起は代表的なもの。鎮圧の
    ために米軍政は警察や右翼組織を送りこみ、1954年9月21日ま
    でに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が
    殺害されたとも推測されている。
   
*「南」で単独政権が樹立された結果、「北」でも単独政権が樹立
    されることになり、48年9月9日、ソ連の強い後押しのもと、「朝
    鮮民主主義人民共和国」が創建され、金日成が首相となる。

  
◇敗戦国と解放国の明暗
   
*戦後、日本と同じ敗戦国のドイツは、連合国によって分割占領
    された。ところが、日本は実質アメリカの単独占領に。もし日本
    本土の占領にソ連軍が参加していたならば、分断日本が形成さ
    れる可能性もあった(実際に、スターリンは北海道の占領統治を
    要求していたが、アメリカが難色をしめしたため、現実化しなかった)。

    
・シカゴ大学のカミングス教授の言葉。
     
「ある日、私のクラスの生徒が手を上げて、どうして朝鮮は
     1945年に分割されたのか、なぜ日本はドイツのように分割
     されなかったのか、と質問した。私はたいていの場合、生徒
     の質問にはすぐに答えられるのだが、そのときは言葉を失っ
     てしまった。なぜなら、アメリカ人として、第二次世界大戦で
     日本と戦った国の人間として考えると、その方が“正当な”解
     決策であったのだ。日本人はこんなことは聞きたくはないと思
     うが、朝鮮よりも日本を分割する方が正当な処置であったは
     ずだ」
     
(『NHKスペシャル 朝鮮戦争分断38度戦の真実を追う』
         
饗庭孝典・NHK取材班、日本放送出版協会、1990年)

   
*当時、朝鮮の子どもの間で歌われて広がった言葉
   
 「米国の奴らを信じず、ソ連の奴らにだまされるな。
                         日本の奴らが起きてくる」
    
・大国のはざまで翻弄される朝鮮の人びとの苦難を言いあらわしている。


 2。朝鮮戦争
  
◇南北の対立の激化
   
*南北分断国家の成立後、「北」「南」ともにみずからを朝鮮半島
    を代表する正統政府であると公言し、相手を正式な政府とは認
    めず、それぞれ米・ソのかいらい政府であると非難。
   
*「南」の李承晩は政府樹立後まもなく「国家保安法」を公布して
    反対勢力を弾圧し、また「北伐(北進武力統一論)」をとなえて
    “左翼狩り”をくりかえした。大韓民国建国後から
1949年までの
    逮捕者は47万8000人、刑死・獄死者は9万3000人にのぼった。
   
*「北」の金日成は「南」の革命に期待をつなぎながらも、武力に
    よる「南」の“解放”を準備する方向にかたむいていった。

  
1950年6月25日-朝鮮戦争はじまる
   
25日未明、北緯38度線の軍事境界線近くで「北」の朝鮮人民軍
    と「南」の韓国軍とのあいだで大規模な武力衝突がおこり、朝鮮
    人民軍は38度線をこえて南下。ソウルをまたたくまに占領する
    (6/28)。攻撃の準備や規模、作戦など、朝鮮人民軍がソ連の
    事前の承認と援助を受けていた。
   
*これにたいし、アメリカ軍は「北」の「侵略」を非難し、ソ連欠席中
    の国連安全保障理事会の決議をえて、「国連軍」(約
20か国)を
    組織し、反撃を開始する。


      
「しつこい砲声がやんで、人びとの顔には安堵感がありあり
      と見受けられたが、一夜のうちに世の中がひっくりかえってし
      まったのだ。私たちは良かれ悪しかれ一晩にして、大韓民国
      ではない別の国の人間になってしまったのである。
       
・・・街にはすでに赤い旗を振って万歳(マンセー)と叫ぶ人
      がいて、学校のポールには、話でだけ聞いていた人民共和
      国国旗が風にはためいていた。ミアリ峠を越えて東小門(トン
      ソムン)に向かうと、戦車、自動車、馬車が目につき、歩兵が
      群れをなしている。彼らは硬い西北の訛りではなるが、私た
      ちと言語・風俗・血統を同じくする民族であり、見たところなぜ
      か敵兵という感じがしない。どこか遠く家を離れていた兄弟が、
      久しぶりに故郷を訪ねてきたような感じなのだ。彼らが穏やか
      に笑って話をするのを見ると、誰も敵愾心を起こしはしない。
       
これは私が、ただ大韓民国に対する忠誠心が足りないから
      ではないだろう。昨日見た国軍と彼らとどこが違うというのか。
      違うといえば、彼らの服装が少しばかり変わっているだけ。な
      ぜ、一方だけが味方で、もう一方は敵になってしまうのか。い
      つから彼我の間に、そのように憎しみあい、銃剣を取って死
      の場所で相対しなければならなくなったのか。互いに抱き合
      い、兄よ、弟よといい合わねばならぬ立場にいるのに、いまは
      誰のために何のために戦うのか。私は道の真ん中にはたと
      座り込んで、地面を叩いて慟哭したい気持ちだった」
                       ≪
1950年6月28日の日記より≫
      
(『ソウルの人民軍-朝鮮戦争下に生きた歴史学者の日記』
            
金聖七著、李男徳・舘野晢訳、社会評論社、1996年)

  
◇朝鮮戦争の流れ
   
*朝鮮人民軍は、破竹の勢いで南進するが、9月15日のアメリカ
    軍の仁川(インチョン)上陸が戦局の転機となって、「国連軍」は
    一気に北へ押し返す。
   
*ソウルを奪還し、さらにソ連国境付近まで北上。しかし、「北」を
    支援する中国人民支援軍が参戦して、戦線は再び南下。こう着
    状態にはいる。
   
1953年7月27日に38度線の板門店(パンムンジョム)で
「休戦協
    定」が結ばれる。以後、今日まで休戦状態が半世紀
以上続いている。
   
*朝鮮戦争で、アメリカは原爆の使用を検討。が、ソ連による
日本
    への報復核攻撃の可能性、また国際的な反対世論もあり、使用
    はできず。

  
◇朝鮮の人びとの被害
   
*死者200数十万~300万人、離散家族1000万人以上
   
*戦争の勝敗がつかなかったことで、「南北」の分裂は決定的に
   
*同じ民族のあいだでの憎しみの増幅

 
3。朝鮮戦争への日本の協力
  
◇当時、日本占領が任務だった米第8軍を朝鮮に投入することを決定
   
*マッカーサーを国連軍最高司令官に
   
*戦争勃発から1週間で、在日米軍はあいついで出撃。さらに、米

    国から送られくる部隊は、大部分が日本に立ち寄り、訓練を重
ね、
    軍事物資などの補給を受けてから、出撃をしていった。
   
*米軍は、日本政府につくってあった「特別調達庁」をフル活用。命
    令一つで必要なものを日本で調達する機関として、朝鮮戦争への
    協力体制をしいた。

  
◇各分野での戦争協力-占領下での戦争協力
   
≪米軍の出撃と兵站をささえた国鉄の輸送協力≫
   
*朝鮮戦争に出撃する米軍部隊の輸送から、戦争訓練場までの
    往路の輸送、弾薬や軍需品の貯蔵地から輸送港湾間のピストン
    輸送、アメリカ本国からの増派部隊の輸送、戦傷病者の搬送など、
    米軍をはじめとした「国連軍」の国内輸送に決定的な力を発揮した。
   
≪傷病兵治療と日赤看護婦動員≫
    
*米軍および「国連軍」兵士のぼう大な傷病者が、続々と日本に
     後送されてくる。
    
*米軍や英軍などは、日本の病院を没収し、自国の医師・看護
     婦を派遣し、基本的には自前病院を持ち対応したが、福岡の国
     連病院などに日赤の看護婦が強制動員されていた事実もあっ
     た。「生きていた赤紙」。
   
≪国連軍の朝鮮上陸作戦を保障した機雷掃海≫
    
*マッカーサー命令で海上保安庁保有の掃海艦艇が朝鮮半島
     に出撃し、元山上陸作戦時の掃海作業で、一隻が触雷・沈没
     し、乗員一人が死亡(
25歳の青年)、重軽傷者18名を出してい
     る(50年10月17日)。
   
≪その他のエピソード≫
    
*佐世保港に潜水艦防衛網の設置
               -日本が戦場になる可能性を示唆している
    
*岩国基地からも毎日のように戦闘機・爆撃機が出撃していた

  
◇朝鮮戦争の時期、日本国内では
   
1950年 レッドパージで共産党および支持者を弾圧
     
警察予備隊の創設し、日本防衛の任務に。
      
52年に保安隊、54年に自衛隊へと改組)
   
1951年9月 サンフランシスコ平和条約(西側の一員として国際復帰)

  
◇確認できること
   
①朝鮮の南北分断は、直接的ではないが、日本の植民地支配
    に原因があること
   
②朝鮮戦争の際、アメリカの出撃基地として日本がフル活用されたこと
   
③朝鮮戦争の際、国内の治安対策として、警察予備隊が創設されたこと
   
④日本もさまざまな形で戦争に参戦していること
   
⑤いわるゆ「朝鮮特需」により、経済復興が急速にすすんだこと

   
*初代駐日アメリカ大使となったロバート・マフィーの回想
    
「朝鮮戦争が起こったのは、日本人にとってまるで、思いがけな
    い幸いであった。というのは、お陰で彼らはアメリカその他の国
    連軍が必要とした補給物資や役務を提供するために、彼らの粉
    々にこわれていた産業を最大速度で再建することができたから
    である。韓国が
1950年6月25日に、ソ連製の戦車100台を先鋒と
    する6万の北朝鮮兵士によって侵略された時、マッカーサーは当
    時日本に駐留していた戦争態勢の軍隊で使えるものはすべてこ
    れを前線に送りだした。元帥は日本政府が安全で秩序整然たる
    基地を提供してくれるものと確信していた。それに日本人は、驚
    くべき速さで、彼らの四つの島を一つの巨大な補給倉庫に変えて
    しまった。このことがなかったらば、朝鮮戦争は戦うことはできな
    かったはずである。
     
日本人は、われわれを助けるために兵隊を補給するよう要求
    されもしなかったし、そんなことは許されもしなかった。けれども日
    本人の船舶と鉄道の専門家たちは、彼ら自身の熟練した部下と
    ともに朝鮮へ行って、アメリカならびに国連の司令部のもとで働い
    た。これは極秘のことだった。しかし、連合国軍隊は、この朝鮮を
    よく知っている日本人専門家たち数千人の援助がなかったならば、
    朝鮮に残留するのにとても困難な目にあったことであろう」
                           (『軍人のなかの外交官』)

   
*占領下ではあったとはいえ、かつて日本の植民地としての悲
    劇を味わった隣国朝鮮のさらなる惨劇に対して、日本人の関
    心は、けっして高くはなかったし、戦争に加担した加害の意識
    も低かった。それが、現在の北朝鮮バッシングにもつながる意
    識を生み出しているように思えてならない。



三。軍事政権下の韓国(1953~1987)
 
1。李承晩政権時代〔~60年〕
  
◇親日派で政権を固め、徹底した反共政策を行う。それが韓国社
   会の
基本枠組みとなって長い間浸透する。

  
◇経済的には低迷1960年の一人あたりの国民所得は79ドルだった。

  
◇改憲を繰り返して政権を維持。選挙のたびに不正を働く。73~85
   
歳まで、12年間の長期政権となったが、60年に「4・19学生革命」
   によって大統領を辞任、ハワイへ逃亡する。

 
2。朴正熙(パク・チョンヒ)政権時代〔61年~79年〕
  
◇李承晩が大統領を辞任したのもつかの間、61年5月16日、朴正
   熙ら軍部によるクーデターが起こる。朴正熙は自ら創設した国家
   再建最高会議議長に就任し、政権を掌握した。63年には大統領
   選挙で勝利、以来、79年に側近に暗殺されるまで、18年にわたり
   権力の座に居座り続けた。

  
◇「勝共の近道は経済建設だ」-経済再建を重視

  
◇思想・言論弾圧、映画・文化の検閲を強化。あら
ゆる面において、
   軍隊式のやり方で、国民に同じ
ことを反復させた。「勤勉・自助・
   協同」をモッ
トーとした「セマウル運動(新しい村づくり運動)」
で農
   漁村を近代化し、国民生活は向上。

  
◇日韓国交正常化と、あいまいになった過去の清算
   
*大統領に就任した朴正熙は、64年3月から、経済発展に必
    要な外資を確保するために日韓会談を推進した。経済発展を
    優先させたい朴正熙は、経済資金が得られる日韓基本条約
    の締結を急いだ。植民地支配への謝罪と補償を要求する反対
    勢力を押し切って、政治的な決着をはかった。金のために「民
    族の主体」を売ったとして、野党をはじめとする反対勢力から
    「物乞い外交」と批判された。

    
〔韓国政府の思惑〕
     
・経済復興、近代化をすすめることで、
権力基盤を固めたい。
      そのためには
日米からの資金援助が不可欠。
    
〔日本政府の思惑〕
     
・新たな投資先として韓国市場に進出
したい。国交正常化が不可欠。
    
〔米国の思惑〕                
     
・東アジアで確固とした反共体制を構築したい。ベトナム戦争。

   
*日韓基本
条約は7条からなる。第2条では、両国は日韓併
    合(1910)以前に朝鮮、大韓帝国との間で結んだ条約に結
    ばれたもの全てをもはや無効であることを確認し、第3条で
    は日本は韓国が朝鮮にある唯一の合法政府であることを確
    認し、国交を正常化した。
   
*この条約によって国交正常化した結果、日本は韓国に対し
    て多額の経済援助を行った。植民地支配の補償請求につい
    ては、資金供与(無償援助3億ドル、長期低利借款2億ドル、
    民間借款3億ドル)をする代わりにいっさいの請求権を放棄
    する内容で政治決着がはかられる。これがその後、個人補
    償への障害となる。
   
*条約には、日本の植民地支配にたいする謝罪の言葉はなかった。

   
*韓国内で起こった学生を中心とした日韓条約反対運動を力で鎮圧。

  
◇ベトナム戦争への参戦
   
*韓国軍兵士の死者5000人、枯葉剤の被害者は8万人とも。
   
*韓国軍によるベトナム人民の虐殺事件も

 
3。全斗煥(チョン・ドファン)政権時代(80年~87年)
  
◇民主化闘争への弾圧続く。光州事件(80年5月、光州市民への虐殺)。
   
80年~83年は国民を強く抑え、民主化運動を行った学生や、
    運動家を
軍隊に入れて思想改造を行うなど、強く弾圧した。
    しかし、83年から
は、これらの弾圧が一定成功したのに加え、
    5年後に開催されるソウル
オリンピックに向けたイメージづくり
    のために、しだいに軟化していく。

  
87年6月、学生を中心とした民主化闘争は、「ネクタイ部隊」と
   いわれるホワイトカラー層の加勢を受け、ピークに達し、「6・29
   民主化宣言」の発表を余儀なくされる。これにより大統領の直
   接選挙制などの民主化政策が前進していく。



四。変わる韓国-民主化の流れ(1987~2007)
 
1。盧泰愚(ノ・テウ)政権時代〔88年~92年〕
  
◇この人も軍人出身。はじめて直接選挙で選ばれた大統領。

  
88年のソウル五輪。高度成長、海外旅行の自由化、社会

   義国との国交樹立ラッシュ、南北朝鮮の国連同時加盟な
ど、
   時代の変化が伝わりはじめる。

 
2。金泳三(キム・ヨンサム)政権時代〔93年~97年〕
  
32年ぶりの非軍人出身の大統領に。「文民政府」を強調。
   
*政治腐敗の追求などで積極的政策
   
*「歴史の立て直し政策」。光州事件の見直しなど。
   
97年の金融危機で韓国経済は大打撃

 
3。金大中(キム・デジュン)政権時代(98年~02年)
  
◇民主化闘争のシンボル的存在。
   
73年に日本で拉致、殺害されかける。
   
*金融危機によるIMFの規制緩和政策を受け入れ、
    貧富
の格差の拡大をまねく。

  
◇対北朝鮮への「太陽政策」
   
*経済的協力
   
2000年に初の南北首脳会談

  
2002年のサッカーW杯の成功、日本文化の解禁

 
4。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代(03年~)
  
◇韓国現代史の見直し
   
*真実・和解のための過去史整理委員会が2005年12月に始動。
   
*日本の植民地支配から、盧泰愚政権までの間に行われた、
    抗日
独立運動、朝鮮戦争前後の民間人の集団虐殺事件、
    不当な公権力
による人権侵害、国家の正当性を否定する
    テロ行為など、韓国現
代史全般に対する真相究明をするこ
    ととなる。現在も進行中。



さいごに:韓国現代史の底流には、いつも人びとの“たたかい”があった。
      
過去の歴史の共有は、21世紀の課題として残っている。

【韓国を知るためのオススメの文献】
 
『なるほど!これが韓国か』(李泳采/韓興鉄、朝日新聞社、2006年)
 
『変わる韓国』(面川誠、新日本出版社、2004年)
 
『となりの韓国人-傾向と対策』(黒田福美、講談社文庫、2006年)




以上。


受講生の感想。

「知らなかったことが多かった。民衆の人々のたたかい
があったのだと初めて知った。隣の国の事をもっと知ら
なくてはと思う」

「やっぱり日本がかつておこした戦争はとんでもない犯
罪だと思った。この教室ではいろいろなことを教わる。
ありがたい。韓国の大統領は7人しかいないことも知ら
なかった」

「おとなりの国なのに、知らないことばかりでした。という
か、日本の歴史もよく知らず、外国の歴史はほとんど
知らないと気づきました。勉強します!」

「韓国のこと本当に知りませんでした…。すごくパワーの
ある国民性だと感じました。韓国だから…、北朝鮮だか
ら…と決めつけたり思いこむ前にもっと知らなきゃいけ
ないことがありますね。日韓条約の問題点が分かって
スッキリしました」


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