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2007年11月30日 (金)

餓死した英霊たち

きのう(29日)は、74期岡山労働学校の第8講義。
参加は18名でした。

「餓死した英霊たち-兵士は美しく死んだか」というテーマで、
講師は岡山高教組書記長の藤原真さんでした。

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世界史教諭の藤原さんですが、高教組の専従となって、
現場から離れてはや2年半。
「労働学校は現場復帰にむけたリハビリになるんです」と
いつものように、にこやかな感じで講義はすすんでいきました。
(講義テーマはそれと反比例するのだけれど)

講義のさいごに「おまけ」として、
戦争について考える映画を5本紹介していただき、
結構盛り上がりました。
ガンダムが以外でした。これは見なくては。


以下、講義の概要。


◇はじめに…死について考える
 *あなたの身の回りの「死」…親族、友人、ペット、有名人
 *「死」に意義を見出すのは人類だけ…ネアンデルタール人の昔から
 *戦争における「死」…大量かつ日常的、特に戦場では

◇英霊という思想
 *思想としての「英霊」
  ・聖戦、英霊、顕彰とは

◇餓死した「英霊」
 *太平洋戦争の死者数
  ・軍人軍属230万人
  ・うち、鉄砲や爆弾によって殺された数→約90万人
      餓死した数(広義の餓死者ふくむ)→約140万人
                            戦死者の約6割

 *英霊の死の実相
  ・「餓島」…ガダルカナル島
   「今度のガ島での敗戦は、戦によったのではなく、飢餓の自滅
   だったのであります」(ガ島撤退を指揮した今井均大将の回顧録から)

  ・インパール作戦(1944年)
   ミャンマーから大河を渡り、山脈を越えて、インドに侵入する作戦
   鉄道なし・昼間の行動困難・大河と密林と山脈
   敗北・退却・飢餓地獄

  ・この他、フィリピン方面、中国方面でも餓死による大量死

 *何が大量餓死をもたらしたか
  ・作戦優先、補給軽視、情報軽視
  ・作戦参謀の独善、横暴
  ・日本軍隊の特質…精神主義、白兵主義、人権無視、降伏禁止

◇「美しい死」という幻想
 *小林よしのり『戦争論』より

 *戦争による死は、単なる死ではなく、命を奪うこと・命が奪われること。
  彼らは決して、純然たる自発的な意思をもって命を「捨てた」わけでは
  ないはず。
 *死に対する無責任な価値付けこそ、死者への冒涜。
  価値付けではなく、教訓を引き出し、奪われる命を守ることが求めら
  れているのでは。
  すべてではないが、歴史を学ぶとはそういうことではないか

◇おわりに…『骨のうたう』(竹内浩三)


「おまけ」…戦争について考える映画など
 ・『プライベート・ライアン』
 ・『西部戦線異状なし』
 ・『チャップリンの独裁者』
 ・『スターウォーズ』エピソードⅠ~Ⅲ
 ・『機動戦士ガンダム0080  ポケットの中の戦争』


以上。


受講生の感想。

「日本の軍隊の特質って、他の国では考えられない
事だろうと思う。本当に考えられない。人間を人とし
てあつかわない。信じられない。教育の大切さをつ
くづく思う」

「お話がわかりやすかった。『千鳥ヶ淵に行きました
か』という朗読劇を思い出した。戦争で死ぬというの
はどういうことなのか。死に方にもいろいろあって、
どんな死に方も美しくはないけど、餓死は本当に『お
国のため』に必要だったのか? よくない上層部の
人っていうのは、いつの時も現場の人のことを考え
ないものだなぁと思った。それにちゃんと疑問をもて
るかどうかは、やっぱり教育の力によるかなと思う」

「教育の大切さを改めて考えました。命をこんなに粗
末にしていた時代には絶対に戻したくないです。
 『餓死』という事実を知らないと、『美しく死んだ』とい
うイメージが入りこんでしまう。若い未来があった青年
が死んだことは本当に悲しい事実。…『あの戦争が
正しかった』ことを主張するために、戦死者を利用す
るのはやめてほしいです」

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2007年11月29日 (木)

12月は集金月間

11月ももうすぐ終わりだ。

そして、12月は、学習協にとっては、
怒涛の集金月間となる。

会費と『友』誌代、カンパ活動など、
とにかく人の顔をみれば
「お金をください」となる。

が、これをしっかりやらなければ、
トシを越せないのである。
そして、私の一時金も出ないのである。

とりあえず、請求書をつくらなければ!


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2007年11月28日 (水)

『学習の友』12月号

『学習の友』12月号の主な記事の紹介。

【特集 こころの健康を守る】
 *なぜ心の病が・・・企業の労働者支配・労務管理(牧野富夫)
 *健康に、安全に働くのは権利
         ・・・労働組合の労働安全衛生活動(佐々木昭三)
 *手引き・・・心の健康づくり
 *図解 心の健康をまもるキホン・・・メンタルヘルス問題(天笠崇)

【その他の主な記事】
 *「力士」って労働者?-力士の死亡事件で考えること(山瀬徳行)
 *日本軍は南京で何をしたのか-南京事件シンポによせて(石山久男)
 *連載講座「憲法九条で平和を築
くために」
  ・第3回-憲法九条をまもり続けられたのはなぜか(小沢隆一)


メンタルヘルス問題は、いまや大きな社会問題。
労使の立場をこえて、解決せねばならない課題です。
労働組合としての取り組みの方向性も学べる12月号、
ぜひ活用をしてください。

連載「キラリ、憲法」は、今回から
山口県学習協の石田高士さんにバトンタッチ。

石田さんは、山口高教組の専従の方です。
中国ブロックの会議でいつもお会いしています。

「日々の労働は、平和を愛する心をはぐくむ。私は
そう思っている」という文章に共感! さすが石田さん!

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2007年11月27日 (火)

カルタゴ・ナイチンゲール

最近読み終えた本。

『カルタゴ興亡史-ある国家の一生』(松谷健二、中公文庫、2002年)

チュニジア旅の予習。
約700年間続き、古代ローマに跡形もなく滅ぼされた
カルタゴという国家の歴史を学べる1冊。

カルタゴは、現在のチュニジアの首都、チュニスのすぐ北東に位置し、
地中海の交易の中心に位置したこともあり、長い間栄えた。
が、古代ローマとのポエニ戦争の結果、滅ぼされた。
名将、ハンニバルが有名。

本書は、カルタゴの歴史を簡潔にまとめてあるのだけれど、
著者が歴史家ではないためか、どうも緻密さと読ませる力に
不十分さがあるように思う。
が、おおよその雰囲気は学べたと思う。


『ナイチンゲール著作集 第二巻』(現代社、1974年)

著作集の2冊目。

本書に収められているのは、
 *救貧院病院における看護(1867年)
 *貧しい病人のための看護(1876年)
 *病院と患者(1880年)
 *看護婦の訓練と病人の看護(1882年)
 *病人の看護と健康を守る看護(1893年)
 *町や村での健康教育(1894年)
 *病院覚え書(1863年)


当時のイギリスの「貧しい人」の代表格はやはり「労働者」。
ナイチンゲールも、しっかりとそのことを射程に入れています。

「労働者を雇用するものはすべて、
働く人の健康のために
備えをする義務がある」(『救貧院病院における看護』)

「仕事場についていえば、
労働者は健康が唯一の資本で
あることを忘れてはならない
。そして働く場に清浄な空気を
確保する方法を考え出し、それを実現するよう互いに理解
し合うことが必要である
。清浄な空気は健康を保つうえに
主要な作用を及ぼすもののひとつであるからである。
これ
は≪おそらくは≫『労働組合』いやストライキにも匹敵する
価値あるものであろう
」(『病人の健康を守る看護』)


また、ナイチンゲールのほとばしる情熱が感じられる文章も。

「もう一つの危険。それは固定化してしまって進歩しないこ
とである。『進歩のない組織でもちこたえたものはない。』
われわれは未来に向かって歩いているだろうか。それとも
過去へ向かって? 
われわれは進歩しているだろうか、そ
れとも型にはまってきているのだろうか?
 われわれは看
護の未開の文明の入口をやっとまたいだばかりであること
を忘れまい。
まだなすべきことがたくさんある。平凡な型に
はまることはすまい」(『病人の看護と健康を守る看護』)

これは、ナイチンゲール73歳のときの文章である。
彼女の、“情熱を持ち続ける力と能力”には、脱帽するしかない。



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白衣のなかま(ブログ)

午前中、倉敷医療生協労組に行って、
新しく委員長になったH川くんと、
青年部の学習活動や来年の全国集会へ結びつくような
取り組みの相談をしていたのだけれど、
「うちもブログをはじめたんよ」と教えていただいたので、
ご紹介したいと思います。

たぶん、県労会議加盟労組で、ブログを開設したのは
初ではないでしょうか。記念すべきことです。
私のブログもリンクにはっていただいています(涙)

倉敷医療生協労働組合ブログ
「白衣のなかま」http://white.ap.teacup.com/roudoukumiai/

どうぞよろしくお願いいたします。


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2007年11月26日 (月)

「Pani Crew」ライブへ

きのう(25日)は、職場が同じフロアである、
平和委員会のT口さんと一緒に、
大阪へライブへ行ってきました。

T口さんが5年前ほど前からはまっている
「Pani Crew」(パ二・クルー)というダンスグループです。
「一度ライブに連れてって」という話をしていて、今回日程が
あったので、実現したというわけです。

18時の開始時間にあわせて、大阪へ。
会場はオールスタンディング。
ずっと立ちっぱなしで腰が痛くなりました(笑)

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 こんな会場でした。
 600~700人
 ぐらいだったかな。

 女性が95%
 でした(笑)




「Pani Crew」は、大会で「世界一」を
とったダンサーの人をはじめ、
なにせダンスがみんな上手く、とてもカッコイイ。
そして、大阪人らしく、たっぷり笑える演出もありで、
とても満足したライブでした。

T口さんは、久しぶりの「Pani Crew」だったらしく、
興奮と立ちっぱなしだったので、終わった後はヘロヘロでした。

きてた人も、「Pani Crew」常連の人が多く、曲にあわせた
ふりつけをするのですが、私は微妙にできませんでした(笑)
でも、楽しかった。私も久しぶりのライブだったので。

Dscn3373
 大阪の街も
 イルミネーションが
 すごかった。

 歩いてる人も
 すごい人が
 多かったです(笑)

 さすが、大阪!



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2007年11月24日 (土)

労働学校カップルの祝う会

きのう(23日)は、I原くんとT梨さんの結婚を祝う会が
岡山市内でありました。

ふたりは、4年前、岡山労働学校で知り合い、
2年ほど前からつきあいはじめ、とうとう結婚してしまいました。

労働学校は、出会いの場にもなっています(笑)
私が専従になってからでも、結婚まで発展したカップルが
何組かいます。

で、今回の二人も、運営委員経験者ということで、
私も深く関わってきたことから、祝う会の実行委員会に参加しました。

14人の実行委員メンバーで半年間準備をすすめてたのですが、
私は、もっとも「祝う会準備」の経験が多いので、必然的に
実行委員会で「事務局」として、いろいろなことを手伝いました。

きのうの本番当日は、約110名の参加者でした。
私はあれこれ忙しく立ち回っていたので、
ほとんど食事もせず、一滴のお酒も飲まず。
というか、ほとんどイスにすわってませんでした。

よって、写真もぜんぜん取れず。
始まる前に、2枚ほどとりましたが。

Dscn3364


 ウェルカムボード。

 ちょっとよく
 描きすぎ?(笑) 







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 テーブル札や席札、
 横断幕もすべて手づくり。
 パンフレットづくりや
 スライド、ビデオ上映。
 司会や照明、音響、
 舞台設定などなど、
 ほとんど実行委員の
 手によって運営。




最後の実行委員会による余興、
モーニング娘の「ハッピーサマーウエディング」の
踊りにも参加しちゃいました。
踊っているときの顔がまじめだったそうです(笑)
自分では笑顔でやってたつもりだったんですけどね。

前日、午前2時半まで準備がかかり、
家に帰ったのは3時すぎ。3時間の睡眠だったので、
(1時間しか寝てない人や、本人たちも最後の晩は30分睡眠だったそう…)
終わったときは、かなり疲労たっぷりでしたが、
とても心あたたまる会になったので、充実感は残りました。

たくさんの仲間にかこまれて、
これからも2人は歩いてゆくことでしょう。
2人の涙が、とても印象に残った祝う会でした。

とりあえず、おめでとう!


Dscn3366_2

 私は、2次会で
 しっかり飲んで
 食べました。

 さわやかな疲れの
 あとの1杯は
 また格別でした。

Dscn3367

 2次会のようす。

 私は1次会で
 「任務終了」でした
 ので、のんびり疲
 れをいやしました。






Dscn3369
 そして、これは
 独自の3次会。別名、
 「負け犬の遠吠え会」。

 平和委員会T口さん。
 JR貨物運転手Sくん。
 岡山大学の学生2人
 という異色の5人組。
 
 


おしまい。


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自民党はなぜ憲法改正か

おととい(22日)は、74期岡山労働学校の第7講義。
参加は15名と、残念ながら回復せず。
それぞれ理由はつかめているのだけど。

「自民党は憲法をどう変えようとしているのか」というテーマで、
県学習協講師の坪中明久さんが講師を担当しました。


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今期のテーマは「日本の戦争教室」ですが、
過去の歴史の反省のうえに、憲法が生まれたという背景と、
現在の自民党やアメリカの改憲動向について結びつけながら、
講義はすすみました。


以下、講義の概要。

1.まず、自民党の新憲法草案を検証しよう
 ①先の戦争への反省と不戦の決意がない…前文
 ②自衛隊(最小限の実力組織)を自衛軍に(軍隊)に…9条・76条の3
 ③立憲主義がゆがめられ、国が国民を支配、しばるものに
                           …12条・13条・73条の6
 ④政党に一定の要件を課し、自由な活動を制約している…64条の2
 ⑤内閣総理大臣に大統領的役割をあたえている…72条
 ⑥地方自治をはじめ、国の財政負担減、住民負担増を求めている
                                  …91条・92条
 ⑦改憲しやすいようにハードルを下げている(現憲法は硬性憲法
                                      …96条

2.だれが、何のために改憲をもとめているのか
 (1)ロイヤル陸軍長官からフォレスタ国防長官への覚書(1948年2月28日)
 (2)アーミテージ元米国務副長官の語録(2000年10月11日~)

3.戦争準備はどこまできているのか
 (1)法律上は?
 (2)自衛隊と米軍の協力関係、一体化は?

4.これから私たちがめざすこと
 (1)国民投票で、憲法改定反対の過半数の国民の支持をかちとること
 (2)アメリカいいなりの大本にある「日米安全保障条約を廃棄し、対等・
   平等の「平和条約」を結ぶこと
 (3)(東)アジアの平和と互恵の共同体づくりに力をつくすこと


以上。


受講生の感想文。

「国民生活切捨て、小さな政府づくりで、道州制の
問題がとりざたされていますが、そのことは憲法改
悪の先取りだと思いました」

「憲法や9条は変えたらいけないと思うけれど、どう
いうことが書いてあって、どこをどう自民党案として
変えられているのか、よく知らなかったので、資料を
しっかり読んでみようと思いました。日本はきちんと
日本の立場で戦争反対、戦争の放棄を訴えていけ
るくらいの国になってほしいし、していきたいと思い
ました」

「新憲法草案のなかみをじっくり読むと、恐ろしくなり
ます。『憲法変えてもいいんじゃない?』という人もこ
れを知ると絶対反対すると思います。知らないという
ことは恐いです」


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2007年11月22日 (木)

忙しさをのりこえるために

きのう(21日)は、福祉保育労岡山支部の執行委員会へ。
会場は倉敷市のW保育園。

Dscn3352_2

 はじまる前の様子。

 参加は9名でした。



「あらためて、労働組合を考える
 ~忙しさをのりこえて、活動を前進させるために」
というテーマで約1時間、話をしました。

さまざまな困難な状況、忙しさのなかで、
労働組合の活動をどう前進させるのか、
原点をふまえつつ、問題提起をしたのですが…。

もっと具体的な提起が必要なのかもしれません。


以下、講義の柱のみ紹介。


一。あらためて、労働組合とは何かを考える
 1。人間らしさを求めて-労働組合はいつ、どのように生まれたの?
 2。先輩たちがたたかって、勝ち取ってきたのが「私たちの権利」
 3。権利を知って使って(『学習の友』10月号参照)

二。人間の尊厳をかけてたたかった人びと-看護師のたたかいに学ぶ
 1。戦後すぐの看護師の労働条件
 2。1960年、初めての統一闘争「病院ストライキ」
 3。看護婦の夜勤制限闘争
 4。ナースウェーブ運動への発展
 5。あきらめなかった人びとがいるからこそ

三。忙しさをのりこえて、活動を前進させるために
 1。ふしめ、ふしめで目標をもって活動する
 2。学習活動の重視
 3。組織拡大


以上。

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2007年11月21日 (水)

わが家の朝

ひょえ~、の忙しさとなっている。
2日後の『祝う会』がたいへんだ。おう、のう!

そんな日々を送っているが、
早寝早起き生活は守っている。


きのうも今日も、5時50分起きである。

以下、朝の様子の再現。

5:50 めざましがなる。
     むっくり起き上がる。
     お風呂を入れる(前日は入れなかったため)。
     お風呂が満杯になるまで、新聞、読書など。
6:10 風呂に入る。
6:30 風呂から出て、テレビをつける(いつもNHK)。
     相方に「起きなしゃい」と声をかける。 
     ごはんを炊く(わが家は炊飯器ではなく、釜で炊いている)
     またしばらく読書をする。
6:40 相方がヨタヨタと起き、風呂に向かう。
6:55 ごはんが炊ける。
     私用に納豆ごはんを準備する。相方用に目玉焼きをやく。
     相方が前夜つくった野菜スープをあたためる。
お茶をわかす。
7:05 相方が風呂から出てくる。相方、洗濯機をまわす。
     朝ごはんの準備が8割方できているのをみて、
     「あなたはできたオットだねぇ」と相方が言う。
     「できないツマをもつとこうなる」と返す。
7:15 2人でごはんを食べ始める。
7:30 NHKBSで「ちりとてちん」を見る。
7:45 「ぜんまいざむらい」「クインテッド」(いずれもNHK教育)を
     みながら(聞きながら)、食器洗いをする(私が)。
8:00 「にほんごであそぼ」をみながら、できあがった洗濯物を干す。
8:10 「ピタゴラスイッチ」をみながら、出勤の準備をする。
8:15 家を出る。
相方もほぼ同時に出勤。

つーことで、「できたオット」として、
忙しく働いているのであります。


おわり。


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2007年11月20日 (火)

大人こそ絵本を読もう

最近読み終えた本。

『子どもの力は学び合ってこそ育つ-金森学級38年の教え』
               (金森俊朗、角川oneテーマ21、2007年)


金森先生の最新刊。
やはり、学ぶことのすこぶる多い人です。
小学校教諭を今年春に定年退職され、
いまは講演会や執筆活動に忙しいご様子。

しかし、身分的に軽くなったため、
かなりはっきりと国の教育政策について
その間違いや問題点を述べられているので、
その点が本書の特徴にもなっています。

金森先生の教育実践は、
学習教育運動にとっても、たいへん参考に
なる部分が多く、ぜひ読んでもらいたい1冊です。


『大人が絵本に涙する時』(柳田邦男、平凡社、2006年)

「大人こそ絵本を読もう」と、柳田さんは近年
語り広める活動をされていて、
この本でも、約80冊の絵本が紹介されています。

どれもこれも、「読んでみたい」と思わされました。

「絵本という表現ジャンルは、実は子どもだけのもの
ではなく、年齢や世代を超えて共有できるものなのだ。
ユーモア、機智、悲しみ、別れ、思いやり、心のつな
がり、支え合い、愛、心の持ち方、生き方など、人間
として生きるうえで大事なものを、深く考えさせられる。

お説教や道徳教育の類のものではない。
洗練された
簡潔な文章と絵と肉声(朗読)の共振によって、物語
の世界が立体感をもって創り出される
。ゆっくりと読
み、くり返し読むことによって、あたかも水彩絵具の
色が紙の上にじわーっと広がり浸(し)みていくように、
心の中の気づきや共感や納得感が湧いてくる」

各地の「絵本の読み聞かせ」グループとの交流も
ふれられていて、「絵本の力」を感じる1冊です。


『絵本屋の日曜日』(落合恵子、岩波書店、2006年)

子どもの本の専門店をはじめて、30年以上経つという
著者の、絵本エッセイ。

こちらは約100冊の絵本が紹介されています。
柳田さんの紹介したものとダブっているのは少しだけ。
落合さん紹介の絵本も「読んでみたい」ものだらけ。

来年は絵本への出費が確実に増えそうです。
おーこわ。

それにしても、落合さんの文章は絶品。うまい。
読んでいて楽しいし、リラックスできるし、共感できる。
こんな文章を書けるようになりたいなぁ。

おすすめの1冊です。
あの人にプレゼントしよーかなー。


『チュニジアの七日間』(不破哲三、新日本出版社、2004年)

年末年始のチュニジアに向け読んだ1冊。
赤旗連載のときに読んではいたけど、
あらためて「ここに行く」という意識で再読してみると
興味が広がることばかり。

他にもネットでチュニジア関連の本を探してみたけど、
あまり多くないですね。とりあえず3冊注文しましたが。

魅力的な国であることは間違いありません。
楽しみ~!

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2007年11月19日 (月)

労働者教育協会理事会に

きのう(18日)は、労働者教育協会の理事会があり、
東京日帰りの1日でした。

6時ちょうどの「のぞみ」に乗り込み、東京駅に
9時半、会場の全労連会館に着いたのは9時50分でした。

10時から16時までみっちりと会議。
勤通大の「新・労組コース」のテキストづくりは
やはり相当たいへんな様子。ごくろうさまです。
募集はがんばります。

情勢や新しい動きに関わっての
貴重なお話もいくつか。ふむふむ。

また、来年の倉敷での全国集会を成功させようという
雰囲気が全体としてすでにできているので、
たいへん心強く思いました。
私もそれに関わって発言をしました。

会議終了後は恒例の飲み会(16時から)。

Dscn3351
 会議の写真は取り忘れ
 たのですが、飲み会の
 写真はとりました。

 けっして東京まで飲みに
 行っていたわけでは
 ございません。


少しほろよいで、東京駅18時33分発の「のぞみ」に。
岡山駅に22時頃着き、家に帰ったのは22時半すぎでした。

岡山はもう、冬の寒さでした。
冬はきらいなのです。

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2007年11月16日 (金)

日本軍と毒ガス戦

きのう(15日)は74期岡山労働学校
第6講義があり、14名が参加。

ガクンと参加者が減ってしまいました。
が、毎期こういうことは1度か2度あります。
ここから盛り返すかどうか、来週が問われます。

義は、「日本軍と毒ガス戦-今も残るつめあと」ということで、
岡山・十五年戦争資料センター事務局長の上羽修さんが
講師を担当されました。

Dscn3349 Dscn3350








ご自身の緻密な研究蓄積のうえに、
9月に放映されたNHKのドキュメンタリーなども
つけくわえながら、「さすが」のお話でした。
日本でこの問題をこれだけ話せる人はそんなにいません。

それだけに、参加が少なかったのが残念でした。


以下、講義の柱のみご紹介。

1.毒ガス戦が本格化した第一次世界大戦
 
(1)毒ガス戦の開始
 
(2)毒ガス使用禁止国際条約
   
◎第一次世界大戦以前、日本が加入していた毒ガス
    使用禁止の国際条約
    
①「毒ガスの禁止に関するハーグ宣言」
    
②「陸戦の法規慣例に関する条約
   
◎ヴェルサイユ平和条約 
   
◎ジュネーブ議定書
   
◎「化学兵器禁止条約」
 
(3)日本の毒ガス開発
  
◎欧州での毒ガス戦と開発競争に日本軍は大きなショックを受けた
  
◎「宇垣軍縮」(1925年、21個師団のうち4個師団を廃止)で削減
    できた予算を軍装備の近代化にまわす
  
◎生産
   
主に陸軍で生産:陸軍造兵廠忠海(ただのうみ)
   製造所(1929、大久野島)、塡実:曽根製造所


2.日中戦争での毒ガス使用
 
(1)徐州会戦・安慶作戦:
 
(2)武漢攻略作戦:中支那派遣軍は、3ヶ月間に375回以上毒ガスを使用。
 
(3)南昌攻略作戦(1939.3)の修水渡河作戦
 
(4)致死性毒ガスの使用(1939-41)
 
(5)掃討作戦での毒ガス使用
   
◎「冬季山西粛正作戦」(1942.2)
   
◎河北省北坦村事件(別紙)

3.東南アジア・太平洋戦線 1941-1945 
  
・対米英開戦にさいし、進攻兵団にかなりの規模の毒ガス戦
   資材が配備された。
  
・実際の使用は、①圧倒的に不利な戦況のとき、「敵」の位置が
   不明なとき、極めて限定的だった。
 
◎大本営陸軍部は毒ガス戦の方針を転換 
  
~背景に「アメリカの若者の人命喪失を少なくするため、先制的に
   毒ガスを使用するべき」というアメリカの軍と世論の高まり~
  
①米英の化学戦遂行能力は絶大
  
②日本軍の化学戦準備は極めて貧弱
  
③日本の国防圏はガス攻撃に弱い小島嶼が多く、本土も空襲に
   さらされる
おそれがある
 
◎先制使用論の台頭
 
◎報復的毒ガス戦の計画策定
 
◎先制的使用論へ
  
∇日本本土上陸作戦での使用計画
  
∇化学戦統括部隊の毒ガス戦のための標的研究報告


5.戦後に残された問題
 
(1)軍事裁判
   
∇極東国際軍事裁判(1946.5.)で免責
 
(2)毒ガスの廃棄と被毒事件の発生
   
∇国内
   
∇中国


6.現在の課題
 
(1)化学戦を抑止するもの
 
(2)「化学兵器禁止条約」(1997年発効)と核保有国の思惑
 
(3)アメリカによる日本の毒ガス使用免責にともなう課題

参考資料

 ◎吉見義明『毒ガス戦と日本軍』、2004、岩波書店
 
NHK HTV特集
   「裁かれなかった毒ガス作戦~アメリカはなぜ免責したか~」


以上。


受講生の感想を3つほど。


「日本の犯した戦争犯罪が、今もなお、新しい被害者を
生み出し続けているという事実を知った以上、『あの戦
争』を過去の『歴史』としてしまうわけにはいかないと思
う。岡山連隊の一個中隊が参加していたこと。加害兵
士の方の掘り起こしで、4人の証言が得られたこと貴重
ですね」

「日本が中国に毒ガス戦をしていたことはあまり知らな
かったが、いまだにその被害にあっている人がいて苦し
んでいる事実に、日本は戦後の後始末をきちんと責任
もってするべきだと思う。また、アメリカのエゴによる日
本の毒ガス使用免責の『ムジュン』を感じます」

「毒ガスの話は海南さんの『苦い涙の大地から』という
ビデオを見た時に初めて知りました。私より若い人達が
日本軍の残した毒ガスで今でも被害を受けているという
事は知っておくべきことだと思います。日本政府の補償
がないのもおかしい。責任をとるべき!岡山の人の証
言はリアルでした。戦争を身近に感じます」



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2007年11月15日 (木)

たばこはやめて

『われら高校生』という新聞をまとめて読んでいたら、
「まだまだ知られていない たばこの健康被害」という
連載記事があった(10月に4回連載)。

たばこの煙のうち、目にみえる部分は1割、
目にみえず、ニオイとして感じたり、粉塵計でわかる
部分を気相またはガス相といい、これがたばこの
煙の9割を占める。

たばこが1本燃えると、なんとドラム缶500本分の
空気が汚染
される…。

また、たとえばベランダでたばこを吸った人が
部屋に入ってきても、「外で吸ったから」とはならず、
吸った直後は、30回呼吸しても、まだたばこの
煙が出ている。

ちなみに、連載を執筆されている松田淳医師は、
私は20代の女性の喫煙を法律で禁止すべきだと
考えています
」とはっきりのべている。

もちろん男性にとってもたばこは健康を害する
最悪のものだけれど、女性の場合はその影響が
決定的となる。

とくに妊娠との関連で、胎児への影響は深刻。
妊娠してからやめてもすでに手遅れで、
たばこにふくまれるダイオキシンの半減期は
なんと7年
ということ。それが体に蓄積される。
また、女性は女性ホルモンの影響で男性よりも
たばこの毒を分解する能力が半分ほどだという。

他にも、
たばこ1本吸うと、レモン半個分のビタミンが
失われ、毛細血管まで十分な血液がいかなくなるので
肌の新陳代謝が衰える
(美容にも悪い)など・・・。

街でよくたばこを吸う若い女性を見かけるけど…。
いかんよ!そこのおねえさん!

どーしたら、たばこを吸う人を少なくできるのだろうか。
頭ごなしに言ってもなぁ。

とにかく、恐ろしい記事でございました。
知っていたつもりでしたが、最新の研究は
どんどん新しい事実をつきつけています。
ぜひ読んでみてくださいませ。



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2007年11月14日 (水)

あたたかい贈りもの

数年前まで岡山労働学校の常連受講生だった、
ゲンさんという方がいる(いまは記念講演のみ参加)。

「ゲンさん」とみんなから親しみをこめて呼ばれている
Oさんは、いまは60代なかばぐらいの方だけれど、
詩を書かれ(詩集も2冊自費出版している)、
とても繊細であたたかいハートのもち主である。

きのうゲンさんから、
「長久くん明日事務所にいる?」と電話があった。
「何時ぐらいに来ますか?いるようにします」
「では3時ぐらいに行きますんで」
という短い会話だった。

なんの用かまったく想像できなかったのだけれど、
今日、3時少し前に、ゲンさんがやってきた。


Dscn3346


 「これ、結婚記念に」と、
 花と手づくりおでんをくれた。





11月16日が私たちの「結婚を祝う会」を行った日なのだけれど、
それを覚えていて、こうしてプレゼントをくれるなんて…。

ゲンさんの“あたたかさ”“思いやる心”にはいつも感服している。

今日は、仕事を遅くまでしようと思っていたけれど、
少し早く帰って、2人でおでんを食べます。
(ちなみに、結婚5周年になります)

ありがとう、ゲンさん。
おでんをつくってくれたA子さんも。



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哲学する心

最近読み終えた本。

『哲学する心』(梅原猛、講談社学術文庫、2002年)

もとになった単行本は1968年刊。
労教協の二見さんに「これなかなかおもしろいよ」と
以前紹介され、買っておいた。

内容は面白い考察もありますが、
いろいろと異議反論も。
でも、

「外界と自己との絶えざる対話、そしてその対話の
なかに、モノローグではないわれわれの現実哲学が
育っていくのであろう」(23P)

という哲学者のあり方については、まったく同感です。

九条の会の呼びかけ人の一人でもある梅原さんですが、
その人となりを知れる本でもありました。
今の梅原さんは現在80をこえていますが、
これを書いたのは40代前半、そう考えると、やはり
なかなかすごいお人であります。


『ナイチンゲール著作集 第一巻』(現代社、1975年)

来月、とんでもない講義を引き受けてしまったため、
さらなるナイチンゲールの学習に取り組むことに。
以前少し読み始めていた著作集にふたたび向かいます。

全三巻のナイチンゲール著作集ですが、
この第一巻には、

「カイゼルスウェルト学園によせて」(1851年)
「女性による陸軍病院の看護」(1858年)
「看護覚え書」(1860年)
「インドの病院における看護」(1865年)

が収められています。
ナイチンゲールの初期の著作が多いです。


学ぶことはもちろんたくさんあったのですが、
「看護」という仕事を社会的地位に押しあげるための
彼女の奮闘は、まったく人類史に刻まれる偉業といえます。

とくにナイチンゲールは、自ら世界ではじめて看護学校を
設立し、看護婦を育てられる看護婦の育成に力を注ぎました。

「人材は創り出されなければならない。どれほど類まれな
力量の持主であっても、これを三カ月、六カ月、あるいは
12カ月くらいではどうにもできるものでもない。
ゆるぎのな
い基礎を固めるためには、根強い、熱意のこもった数年
間が必要なのである
」(女性による陸軍病院の看護)

学習運動も、この熱意に学ばねばならない。



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2007年11月13日 (火)

半日ドッグを受ける

今日(13日)は、午前中、倉敷医療生協の
水島協同病院で半日ドッグを受けました。

これまではふつーの自治体健診を受けていたのですが、
30代もなかばにさしかかったので、
「ドックと名のつくものを受けてみようか」ということで、
人生初の経験でございました。

といっても、初体験のものは「胃のレントゲン」ぐらいでした。
はじめて「バリウム」なる液体を飲み、
「はい、左に傾いてください、はい、今度は右に」という
指示に順応に従いながら、なすがままでありました。

血液検査の結果は2時間後すぐに出され、
医師のご指導がありました。

「肝機能の値が高いのですが、お酒は1日どのくらい飲まれますか」

「週に5日ぐらいで、350の缶ビール2~3本ぐらいですかねぇ」

「そのぐらいの量ではこんなに高くならないんですけどね…
肝機能も個人差がありますけど…。とりあえず1本ぐらいに
してくださいね」

「わかりました(心で涙する)」

「運動はされていますか」

「まったくしません」

「歩かれたり、運動はできるだけしてくださいね。血圧やら、
コレステロール、糖尿病などは大丈夫です」

などの個別指導を受けました。

続いて保健師さんからも同じような指導がありました。
やはり肝機能の値の高さを指摘され、
「アル中の人ぐらいの値ですね」なんて言われてしまいました!

そこまでお酒飲んでないんですけど…。

「2か月ぐらい控えたら値は戻りますので」とのことでしたので、
少し控えようかな…と思ったりいたしました。

がんばれ!My肝臓!

あと、視力が1.0と1.2だったのが軽いショックでした。
ずっと1.5でしたから。少し悪くなってるのかなぁ。


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全国集会の準備会議

きのう(12日)は、来年11月の全国学習交流集会in倉敷の
実行委員会の準備会議がありました。

Dscn3344


 参加は12名でした。




12月に第1回の実行委員会を立ち上げるのですが、
そのための準備の会議でした。

「全国学習交流集会とは」ということで、
ここ2回の愛知、神奈川の集会の資料をみながら、
参加した人の感想を出し合いました。

また、来年の岡山での集会の概要を確認し、
どのように実行委員会をすすめていくのかを
話し合いました。

いろいろあいまいな点もあり指摘がされたので、
第1回の実行委員会までにしっかり調整して
いきたいと思います。

第1回の実行委員会は12月17日(月)となりました。


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2007年11月12日 (月)

大学生協のみなさん

日曜日(11日)、午後1時から、
生協労組中四国地連大学部会幹事会の学習会に
行ってきました。

ようするに、中四国各地の、
大学生協の職員のみなさんです。

Dscn3341


 会場はオルガホール。
 参加は10名。

 20代~30代の
 みなさんがメンバーです。


「知っておきたい!労働組合の基礎知識」ということで、
約1時間20分話をしました。

とりあえず、先月も同じような話をしたのですが、
大学生協の職員のみなさんなので、
少しそのへんの話もつけくわえてみました。


以下、講義の概要(三のみ詳しく紹介)。


一。日本国憲法から労働組合を考える
 1。憲法を読む
  ◇基本的人権の核心は何か
  ◇第27条
  ◇第28条
 2。権利を知って使う

二。「これがあたりまえ」と思わない-働く人びとの現状をみる
 1。そもそも労働者とは…
  ◇労働者と言われる人びとの特徴
   ①数が多い ②ひとりでは弱い存在
  ◇イタリアのゼネラルストライキにみる労働者の力
 2。働く人びとの現状-ヨーロッパと比較して
  ◇低い労働組合組織率-18%
  ◇ヨーロッパとの違い①-労働時間・休暇
  ◇ヨーロッパとの違い②-最低賃金
  ◇ヨーロッパとの違い③-パート雇用
  ◇ワーキングプア問題
  ◇こんな働き方をつくりだしてきたのは誰か

三。いま求められている労働組合
 
1。「一人の痛みは全体の痛み」
  
◇職場には、矛盾がいっぱい-「不平・不満」を「要求」に高める
  
◇一人の「痛み」を全体の「痛み」と考えられるかどうか
   
*本来人間とは、他人の「痛み」を「ほっとけない」存在
   
*非正規労働者こそ労働組合が必要
   
*人間らしさとは何か?-基本的人権への理解が不可欠

 
2。団結(数の力)を強くするために
  
◇組合活動は、「話し合い」が出発点
   
*話し合いによって、要求が明確になり、実践・行動が生まれる
   
*要求討議、職場討議は困難さをともなう
    
・なかなか時間もとれない。「本音を話し合う」ことに不慣れ。
    
・「話し合い」がしやすい雰囲気づくりを工夫して
   
*役員自身が率直に「自分の思い」を語ることが大事

 
3。
労働組合役員として
  
◇自分自身の、権利意識を育てる-知ること、学ぶこと、使うこと
   
*実際に使う、活用することをしなければ、権利はさびついていく
  
◇労働組合を、人間の手にたとえると…
   
*役員は、血液(エネルギー)を流し続ける存在

 
4。大学生協の労働組合に期待すること
  
◇現在の自分や仲間とともに、未来の生協職員のために
  
◇学生アルバイトは無権利状態-権利普及の必要性
   
*権利普及の学習会、チラシ配布、労働相談・・・

 
5。学ぶことをドカンと真ん中に位置づける
  
◇学ぶことで、個人と集団の力量をたかめる
   
*継続性と目的意識性
   
*すぐに効果に表れないのが学習活動
   
*しかし、これをオロソカにすると、組織は壊死(えし)にいたる。
  
◇権利学習、労働組合論、哲学・経済、政治経済情勢
    ・・・学ぶ課題はたくさん
   
*「人を集めないと」という脅迫観念をすて(もちろん大人数の
    ほうがよいが)、少人数からでも実践していく。時間はこじあ
    けてつくる。誰かがリードしないと学習活動はすすまない。
   
*ぜひ今後とも学習協をご活用ください。




以上。


終了後、「なぜ日本の組織率は低くなったのか」
「派遣の働き方について」などの質問がだされ、
参加者みなさんで討論をしました。

積極的に発言される方が多く(こうした学習会ではめずらしい)、
それぞれの経験や考え方がとても勉強になりました。
やはり現場の声を学ぶことの大切さをあらためて感じました。


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恒例ふれあいコンパ

同じく土曜日(10日)の晩は、74期岡山労働学校の
交流企画「ふれあいコンパ」。

19時から、18名が参加して、「手練」という居酒屋で
にぎやかに行われました。

「しりとり自己紹介」で盛り上がったり、
相変わらずY先生の爆裂(爆笑)トークに大笑いしたり。

Dscn3331 Dscn3339









わたしも「年末年始チュニジアに行くぞ!」と
自己紹介で宣言しました。行くんですよ、チュニジア。

続く2次会へも13名が参加。
23時頃まで飲み会は続いたのでありました。

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科学的社会主義入門

土曜日(10日)は、午後2時から、
民青同盟の県委員会事務所で学習会。

少し前、労働学校を受講している岡山大学のMさんに
「2、3人でもいいから、科学的社会主義の学習会しよーやー」
と気軽に話してみたら、それが現実となった。

4人の学生が集まり、
「科学的社会主義入門」と題して、話をしました。

小人数の学習会は、やりとりしながら進められるので、
とても面白い。

が、調子にのって脱線?話ばかりしていたら、
レジュメの3分の1しか消化できませんでした(笑)

「では、続きを来月に」ということで、
来月は経済学をやる計画になりました。


以下、講義の柱のみ紹介。

一。自分の頭で考える力、読みとく力を
 1。読んだ本-フィンランドの元教育大臣へのインタビュー
 2。科学的社会主義の理論とは
 3。科学的社会主義の創始者たちについて
 4。レーニン『青年同盟の任務』から学ぶ
  (ここまでで今回は終了)

二。科学的社会主義の経済学をさわり程度に
 1。資本主義は永遠ではない-マルクスが行った経済学の変革
 2。資本主義における生産活動の特徴
 3。なぜ、もうけ第一主義になるのか
 4。もうけ最優先の競争は何をもたらすのか
 5。「資本主義でいいのか?」を問う世界的な動き
 6。資本主義の「墓堀人」は労働者階級

三。学び続けることが、「科学の目」の生命力となる
 1。20代のうちに、科学的社会主義の全体像をつかみとってほしい
 2。学生時代の特権とは
 3。集団学習も大事に

以上。


今回は、マルクスとエンゲルスの人となりの
紹介に時間をたっぷりつかってみました。
また、彼らがどういう勉強をしたのかなども、
参加者には興味深かったようでした。


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2007年11月 9日 (金)

労働法を考える!

『労働法を考える-この国で人間を取り戻すために』
            (脇田滋、新日本出版社、2007年)
を読み終えました。

私自身、問題意識としてもっていたものを、
目のさめるような明快さで指摘されています。

労働運動に関わる人、いや、まじめにこの国のあり方を
考え、活動している人すべてに読んでもらいたい本です。

あらためて、世界的にみて、日本の労働者をめぐる「非常識」を
自覚できますし、現状批判だけでなく、これから先の運動課題を
明確に提起している点も、本書のすばらしいところです。

こうした内容を、学習運動としても広く普及していくことが
大きな課題だとあらためて自覚。具体化していきたい。

韓国の労働運動のことも、もっと学ぶ必要があると思いました。
また、学生アルバイトへの権利普及も大切な課題ですなぁ。

「一人の痛みは全体の痛み」を、ほんとうに、
労働運動、そしてこの国全体のスローガンにしたいと思いました。


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沖縄戦とは何だったのか

きのう(8日)は、74期岡山労働学校の第5講義が
あり、19名が参加しました。


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「沖縄戦とは何だったのか-歴史から消せない事実」
ということで、講師は私が担当しました。

やはり、思い入れが強いのか、15分オーバーで、
しかもあとからふりかえれば、「あれもこれも言えなかった」と
いうことが多く、まだまだ力不足でした。
でも、参加者のみなさんにはある程度伝わったようでした。


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 今回の講義は、
 琉球新報社が
 2005年にだした
 『沖縄戦新聞』を
 使いながら、
 沖縄戦の全体像を
 追っていく形にしました。





以下、講義の概要。



はじめに:『新しい歴史教科書』(市販本)における沖縄戦の叙述
      
点ではなく、線で沖縄戦を学び、考える
      
『沖縄戦新聞』(琉球新報社、2005年)も使いながら



一。沖縄戦の基本的性格
 
1。日本軍にとって沖縄は「捨て石」に
  
◇本土での決戦作戦計画「帝国陸海軍作戦計画大綱」
                             (
45年1月21日決定)
   
*沖縄や硫黄島を含む小笠原諸島は、本土決戦の準備が
    整うまで「米軍に出血を強要する持久作戦」と位置づけられた。
  
◇「もう一度戦果を挙げてからでないとー」
   
*天皇が拒んだ終戦(2月14日の時点)

 
2。国内では唯一の軍民混在の壮絶な地上戦
  
◇硫黄島でも地上戦は行われたが、住民はあらかじめ
   強制疎開させられていた
  
◇約20万の沖縄戦戦没者のうちの約半数が住民
   
*沖縄戦における戦没者数(援護資料。朝鮮人は不明)
    
・県外出身日本兵 65,908人
    
・沖縄県出身 軍人・軍属 28,228人
    
・一般住民(戦闘参加者ふくむ。推定) 約94,000人
      
→日本側戦没者合計 188,136人(うち沖縄出身者122,228人)
    
・米軍 12,520人


二。沖縄戦への道(1944年3月~1945年2月)
 
1。沖縄にやってきた日本軍-軍隊のいなかった島に
  
◇第32軍の創設-航空基地建設とその防衛が主な任務
   
1944年3月に第32軍創設-南西諸島の防衛を担当
   
*沖縄に本格的な飛行場建設はじまる
   
*次第に本格的な実戦部隊も配備されてくる
    
-中国戦線を経験した精鋭部隊が主力に
    
-が、沖縄戦目前に、最精鋭部隊(第九師団)を台湾へ抜かれてしまう
   
44年10月上旬までには、主な飛行場のほぼ基本的な施設は完成
    
→が、これらの飛行場は結局日本軍に使われずに、
     米軍に占領されることになる

  
◇徴用と供出-住民を総動員して、全島要塞化
                         (住民をスパイ視する背景にも)
   
*飛行場建設や陣地構築などの労働力として、
     現地住民を徴用-1日平均5万人
   
*土地・資材・食料なども強制的に供出させる
                         (住民との関係もしだいに悪化)

 
2。サイパン島の陥落-沖縄戦の悲劇の予兆
  
44年7月、サイパン島(マリアナ諸島)が陥落
   
*米軍の沖縄上陸が必至の情勢に
   
*サイパン島陥落の意味-本土爆撃が可能に
  
◇サイパンでの悲劇は、沖縄戦の予兆
   
*日本軍の「玉砕」
   
*約2万人の日本人がいたが、約半数が犠牲に
    
・住民虐殺、住民スパイ視、投降阻止、自決強要、壕追い出し、
     食料の強奪・・・沖縄戦でおこったこと
のほとんどすべてがおき
     ていた。「集団自決」も。


     <「集団自決」は、他の地域でも起きていた>
     
・サイパンだけでなく、テニアン、フィリピン、旧満州でも。日
      本軍が敗北していくなかで、日本住民が日本軍と一緒にい
      た地域で起こっている。日本軍がアジアの民衆に行った残
      虐行為が、日本人の「集団自決」を引き起こす大きな要因
      となっている。日本軍全体の体質に関わる問題でもある。

  
◇沖縄住民の疎開はじまる
   
44年7月、沖縄住民10万人を本土と台湾への疎開させる方針が決定。
    
・疎開は基本的には戦場で邪魔になる者を立ち去らせることが目的
    
・しかし、現地住民の根こそぎ動員との矛盾も
   
*学童疎開船、対馬丸が米軍潜水艦の攻撃を受け撃沈
    
・乗船者1788人のうち、学童775人ふくむ1418人(氏名判明分)が犠牲に

 
3。「10.10空襲」
  
◇約9時間にわたり、5次にわたっての大規模な空襲
   
*米軍機のべ1396機が出撃。5百トン以上の爆弾を投下。
   
*飛行場や港湾などの軍事拠点だけでなく、民間施設への無
    差別爆撃も。那覇の
9割が焼失。
  
◇守備軍への信頼もゆらぐ

 
4。根こそぎの戦場動員
  
◇軍は住民の北部疎開要求-実態は役に立たないものを
    放り出す棄民政策
   
*避難者は約8万人と推定(うち、餓えやマラリアで約2万人が死亡と推定)

  
◇本土からの増援部隊の可能性もなくなり、すべて現地でまかなう必要に
   
*沖縄住民(主に17歳~45歳の男子)にたいして大規模な防衛召集
   
*防衛隊は沖縄戦の戦闘協力の主役
    
・約2万5000名が召集され、うち1万3000名が戦死している(学徒隊
     の戦死者の10倍以上)。にわか兵。多くはまともな武器を持つこと
     もできなかった。
    
・一家の戸主であった人も多く、軍隊の一員であると同時に、他面
     では住民のリーダーであるという二重の性格をもっていた。戦場
     での住民の行動に大きく影響をおよぼした存在(「集団自決」に関
     与、あるいは集団投降を説得など)でもある。
   
*が、この「防衛隊」についての研究は資料はまだまだ不足しているの
    が現状。

  
◇学徒2千数百人を動員(現在の中学生~高校生にあたる年齢)
   
*男子学徒は鉄血勤皇隊や通信兵として(弾薬運びや実際の戦闘にも)
   
*女子学徒は看護要員として
   
*動員された者の約半数あるいはそれ以上が命を失う



三。沖縄戦の実相(1945年3月~7月)
 
1。圧倒的な兵力の差
  
◇アメリカ軍は艦艇数1500、兵員54万8000人(うち
上陸部隊18万人)の
   沖縄
攻略部隊を組織し沖縄に向かった。3月26日、慶良間諸島の座
   間味島など数島に
上陸。4月1日には守備陣
の薄い本島中西部で、飛
   行
場のある読谷村と嘉手納町を狙って上陸し、日本軍が
水際作戦を
   放棄したため、
米軍はその日のうちに北・
中飛行場を確保した。

 
2。慶良間諸島への米軍上陸
  
◇最初の「集団自決」
   
*軍の強制が背景に
    
・手榴弾を配る
    
・投降を許さない
    
・住民を一か所に集める
   *日本軍がいなかった島では米軍が上陸してきても大勢
の住民が
    投降して助かって
いる。

 
3。沖縄本土への米軍上陸
  
◇無血上陸-日本軍はすでに撤退、取り残された村民

  
◇明暗分けた2つのガマ
   
*チビチリガマ
    
・住民83名が「集団自決」
   
*シムクガマ
    
・ハワイ移民帰りの2人が投降を説得。避難していた
1,000人が
    集団投降。

  
◇米軍上陸により本島は南北に分断

  
◇伊江島での戦闘は沖縄戦の縮図といわれている

 
4。南部撤退
  
◇日本軍の総攻撃の失敗
   
*多くの住民が巻き添え
   
*沖縄戦は事実上敗北

  
32軍、首里司令部を放棄
   
*南部へ撤退、持久戦方針へ
   
10万人以上の住民が戦闘に
巻き込まれることに

 
5。地獄の戦場-軍民混在のなかの悲劇
  
◇日本軍による住民虐殺、壕追い出し。「集団自決」。
   米軍による無差別攻撃。
  
◇魂魄の塔には、4万体もの身元のわからない遺骨が
  
6月23日に32軍牛島司令官の自決によって、組織的戦闘は事実上終了
   
*沖縄県ではこの日を「慰霊の日」として、独自の休日としている


四。沖縄戦以後-米軍による基地化
 
1。本土爆撃の出撃拠点として基地を整理・拡張

 
2。敗戦後も米軍の占領下に
  
◇以後、27年間も
  
1972年の復帰で沖縄に適用されたのは「平和憲法」ではなく、
   「安保条約」だった。
   
*沖縄の「痛み」を想像できない日本人の弱さは今も続いている

 
3。沖縄の人びとの戦争責任を追求することの弱さも
  
◇日本軍に協力した沖縄の人びとの責任
  
◇沖縄と日本(ヤマト)の対立軸の影で
   
*それが基地温存の問題にもつながっている



五。沖縄戦から、私たちは何を学ぶべきか
 
1。沖縄戦の証言の重さを受けとめて
  
◇こうした沖縄戦の実相が公に知られてくるのは、戦後数十年たってから

    
「体験者は、まず語りたがらない。思い出すのさえ大変な苦痛
    をともなうのである。戦場の実相というものは、人間が人間でな
    くなってしまう極限状態である。そこから生きのびてきた人にとっ
    て、それはまさに地獄の記憶である。死者にとっての地獄でなく、
    生きのびてきた人びとの、その『生きざま』の中に地獄があった
    のだ。誰しも思い出したくもないし、まして平気で他人に語れる
    話ではない。たいていの証言者がその夜は一夜寝つかれなかっ
    たと告白するものだ。ある大学教授は、自分の戦場体験を妻に
    語っただけで、1週間も精神異常状態におちいって寝込んでしま
    ったという。沖縄の戦場というのは、まさにそういう想像を絶する
    生き地獄であったのだ。
     
だから、聞くほうもそれだけの覚悟がいる。語る側も聞く側も、
    どちらも心の中で血を流しながら真相に迫っていくというのがい
    わゆる『戦争体験の継承』の実際なのである」
        
(『改訂版 沖縄戦-民衆の眼でとらえる〔戦争〕』
                         大城将保、高文研、
1988年)

   
*9月29日の県民大会で自分の体験をはじめて公で語った吉川さん

 
2。軍隊の本質
  
◇住民を守らなかった軍隊
   
*「国体護持」=天皇制を守るために
   
*日本軍の構造的特質

 
3。戦場での行動・判断の分岐点-私たちが考えるべき問題
  
◇日本軍のなかにも、住民の生命を守ろうとした人もいた

    
「戦争によって増幅されたとしても、一人一人の将兵に責任
    はないのだろうか。日本兵による残虐行為には、それをおこ
    なった日本兵個人がひどい人間であったというケースもけっ
    して少なくないと思われる。たとえば、子どもや老人を含む
    住民から食糧を奪い取ったり、彼らを壕から追い出したりす
    るような行為にあっては、軍のあり方という問題だけに帰す
    ることはできず、その兵士の人間性が問われなければなら
    ないだろう。残虐行為をおこなわない良心と人間性を日常か
    ら培う努力をしているかどうか、一人一人の責任も問わざる
    を得ない。戦場において誰もがレイプするわけではない。レ
    イプをする将兵としない将兵がいる。子どもから食糧を奪う
    ような兵士がいれば、朝鮮人軍夫とわずかなおにぎりを分け
    合う兵士もいる。逃げたら家族みんな死刑だと脅す将校がい
    れば、家族のもとへ帰れと防衛隊員を逃がす将兵もいる。
     
戦争における残虐行為について議論すると、戦争になった
    ら、あるいは戦場ではみんなそうなってしまうのだというような
    説明の仕方がよくされる。たしかに戦争は人の持つ攻撃性や
    残虐性を極度に煽(あお)り増幅させてしまうのだが、そうで
    あったとしても将兵たちの判断と行動のベースになるのは日
    ごろから培ってきた一人一人の人間性である。戦場での将兵
    はけっして日常と切り離されたところにいるのではなく、その
    日常の人間性が反映しているのである。
     
・・・戦場における人々(軍人も民間人も)の意識も行動も多
    様である。もちろん、彼らがおかれていた条件もさまざまであ
    ったし、日々刻々変化していた。ということは一人一人の判断
    が求められる場が多かったということを意味する。そのことは
    一人一人の責任をも問われることを意味している」
           
(『沖縄戦と民衆』林博史、大月書店、2005年)

  
◇戦争に駆り立てようとする人、それに抗(あらが)う人
   
*沖縄戦を貫く1つの大きなテーマでもある
                  -「命の尊厳」をめぐっての対決
   
*私たち一人ひとりの日常の行動、価値判断を磨くことの重さ



さいごに:沖縄戦を知ることは、現在の沖縄の置かれている
      現実を知ることにつながる


以上。


受講生の感想いくつか。

「証言することの辛さ、重みを強く感じました。
忘れてはならない歴史です」

「今、“日本軍の強制で集団自決はなかった”
など、報道によって聞えてくるけど、きちんと
学べば学ぶほど、真実が見えてきて、知らな
かったらまちがった真実に誘導されることの
恐さも感じました。
 沖縄の人たちの生きながらに地獄を体験さ
れたことにも心が痛むけれど、家族に愛情ゆ
えに手をかけるということがどういうことなのか
を考えるととても辛い。
 戦争というものが人の心をどう変えてしまう
のか見極めつつ、自分の人間性はどうなのか
見つめなおさなくてはと思います」

「想像以上の沖縄戦の悲惨さに言葉を失い
ました。そしてあまりにも沖縄のことを知らな
すぎた自分が沖縄の人に申し訳ないと思う。
日本国民はもっともっと沖縄の歴史を学ぶべ
きだと思う」

「沖縄戦のむごさ、日本人と軍隊と沖縄…
グルグル考える。抗う人になりたい」

「沖縄戦の話を聞くと本当に心が重い。でも、
今につながっている事なんだと思う。少しでも
実践していくことが大切」



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2007年11月 7日 (水)

美観地区に320万人

今日の山陽新聞「倉敷市民版」より。

来年、11月22~24日に行われる学習運動の
「2008 全国学習交流集会in倉敷」では、
美観地区の観光もできまっせー。
ぜひおこしください(県外向けよびかけ)。

しかし、こんなに観光客多かったんですね。知りませんでした。



観光客1.9%増679万人 市06年まとめ

 
倉敷市は6日までに、2006年の観光統計をまとめた。
市内観光客数は前年比1・9%増の679万人。05年岡山
国体からの
“反動”で県全体の観光客数が伸び悩む中で
健闘した。宿泊者数も同1・9%増の104万7000人で、
プレ国体で大きく伸びた04年以降、3年連続で100万人
を突破した。
 
観光地別では、最も多かった美観地区の320万9000
人(同4・4%増)
、下津井など周辺を含む鷲羽山の173万
9000人(同4・3%増)、円通寺をはじめとする玉島地区
の8万4000人(同23・5%増)などがけん引。一方で、運
営の在り方をめぐって岐路に立たされている倉敷チボリ公
園は、1997年の開園以来最少の84万4000人で、同1
0・1%の大幅減となった。
 
外国人観光客は同32・1%増えて1万6000人となり、
伸びが顕著。県を挙げて誘客に力を入れたこともあり、中
国、韓国、台湾など東アジアが増えたという。修学旅行生
も、関西や山陰からを中心に学校数が280校で同18・6
%増、人数が2万4000人で同48・0%増と急伸、宿泊者
数を押し上げた。

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2007年11月 6日 (火)

内容しぼるかぁ

今日は9時から、先月に引き続き、
林病院の4年目職員研修で憲法の講師をしてきました。

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 本日も12名の参加。

 看護師、介護士、
 ケースワーカー、
 事務など、
 職種もさまざま。





内容はいつものような憲法の話でした。
休憩をはさんで1時間半の講義時間でした。

やっぱり内容盛り込みすぎで、
最後は早口になってしまう。
内容を大胆にしぼる必要があるかも。

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気分が重くなる…

最近読み終えた本。

『なるほど!これが韓国か-名言・流行語・造語で知る現代史』
                 (李泳采・韓興鉄、朝日新聞社、2006年)


韓国現代史講義のために読んだ最後の本。
7代の大統領ごとに、時代を反映する言葉を紹介しながら、
韓国現代史をつづった1冊。

読みものとしても、大変おもしろい内容でした。
映画やドラマの紹介もたくさんあって、参考になります。


『沖縄戦の真実と歪曲』(大城将保、高文研、2007年)

『証言・沖縄戦-戦場の光景』(石原昌家、青木書店、1984年)

これにて沖縄戦文献の読了は打ち切り。
あとは講義準備です。

しかし、沖縄戦を学べば学ぶほど、気分が重くなる…。

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2007年11月 5日 (月)

隠岐日帰り

きのう(4日)は、とある用事で島根の
隠岐の島日帰り強行ツアーを決行。

朝5時20分に家を出て、T口さんと2人で島根の
七類港から隠岐島後の西郷港へ。

現地滞在時間、約3時間。

ふたたび西郷港から七類港へ渡り、
車を飛ばして自宅に戻ったのが21時半。
あーつかれた。
きのう1日で350キロぐらい運転したと思う。

でもって家に帰ると、机に「これを読め」とばかりに、
相方の書いた文章が置いてある。
相方の職場にかかわっての文章だが、あれこれ意見を述べる。

夫婦ともども、悩み深き日々である。
いや、彼女の方が私よりはるかに深刻ではあるが。


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2007年11月 3日 (土)

さびしいが、楽しい船出

今日は、お昼から、10年近く学習運動を中心に一緒に
がんばってきた仲間が、鳥取に転居することとなり、
彼女の自宅で送別会をすることに。

現在2児の母親でもある彼女は、
とある病院に就職した1年目から労働学校に参加しはじめ、
あれよあれよというまに成長の階段をかけのぼり
(もともと素質とセンスがあった)、労働学校運動も一緒に
やったり、職場の労働組合では専従書記長まで勤めた(20代で)。

彼女の新しい門出をみんなで送ろうと、
労働学校や青年運動、労働組合などで一緒に
活動した同世代の仲間たちが集まった。
総勢、大人16人、子ども11人である。

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 子どもがこれだけいると、
 まったく収集がつかない。

 子育て世代
 なんだよね~。





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 彼女の職場・労働組合での
 活動をふりかえる
 パワーポイント。

 やはり、子どもにじゃまされる。





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 こちらは双子。

 かっわいい~。






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 さいごにみんなで
 記念写真!

 ちゃんと現像して 
 みんなに配ります。




鳥取に転居してしまう彼女の存在は、
私にとっても、岡山のいろんな運動にとっても、
大きなものだっただけに、ほんとうに残念。

でも、また一緒に活動できる日が、
くるかもしれませんし、鳥取は北隣なので、
これからも会う機会はたくさんあることでしょう。

彼女なら、どんな道であろうと、自分と仲間の力で、
切り開いてすすんでいくでありましょう。
がんばってください。


にしても、たくさん集まってくれました。
(私が声をかけたのではないけど。相方が中心にやってくれました)

彼女の人徳ですね。

ほんとうに、楽しい会になりました。
ありがとうございました。


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2007年11月 2日 (金)

落合はすごい監督だ

中日が日本一に輝いた。

じつは、知る人ぞ知る話だが、
私は物心つくころから、まったく名古屋とはかかわりが
ないのだけれど、中日を応援していた。
でもって、アンチ巨人である。

落合も好きな選手だったけど、
監督としての彼のほうが、すばらしいと思う。
ちなみに、星野監督はイマイチ好きになれなかった。

もともと、元西武の森祗昌監督とか、今は楽天の
野村監督とか、知将派といわれる人が好きなのだ。
「チームづくり」や「選手を育てる哲学」、
「勝負への考え方」などは、とても参考になる。

とくに森監督の著書は、学ぶところが多い。


で、落合監督も、いわゆる知将派になるのだと思う。
選手の持つ力をいかに伸ばし、発揮させるのか。
学んでいきたいと思う。

それにしても、見れた時間は少なかったけど、
日本シリーズでの中日ナインのプレーは
「日本一」にふさわしかった。
これぞ、野球ですな。


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韓国映画のDVD!

きのうの労働学校で韓国映画の話を少しして、
「ほとんど見てないんですよねぇ」と言ったら、
受講生のT橋さんが今日、わざわざ事務所にきて、
「これどうそ」と、韓国映画のDVDをなんと5本も
貸してくれました(涙)。

「JSA」「ブラザーフッド」「シュリ」など、
ほんとーは講義までにみておきたかったもの。
ありがたや。

「大統領の理髪師」「シルミド」ぐらいなんですよね、
参考になるような映画をみたのは。

うれしー。


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韓国現代史

きのうは、74期岡山労働学校の第4講義。
参加は18名でした。なかなか20名にいきませんなぁ。


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義は、「韓国現代史-日本の植民地支配からの苦悩のあゆみ」
ということで、私が講師を担当しました。

にわか仕込みの勉強でしたが、
主に、南北分断にいたる経過、朝鮮戦争、
日韓基本条約の問題にポイントをあてて、
話をしてみました。

おとなりの国である韓国の現代史は、一般の人よりは
意識の高いであろう労働学校の受講生にとっても、
知らないことだらけであったようすでした。


以下、講義の概要(長いです)。


はじめに
 
*こんなに似ている私たち-北朝鮮・韓国・中国、そして日本
  
DAYS JAPAN』06年11月号より
 
*関係ないですが、大好きな番組-『関口知宏の中国鉄道大紀行』
 
*岡山空港からソウルまで、1時間35分。毎日とんでますョ!



一。日本の植民地支配の歴史(1910~1945)
 
1。韓国併合
  
◇武力の脅しによる併合。独立運動を力で弾圧(1919年3月1日)。

 
2。植民地支配の実態
  
◇皇民化政策-創氏改名、日本語教育、宮城拝礼、
            神社参拝を押しつける。
  
◇1940年代、日本の労働力不足を補うために、
    朝鮮人を日本へ強制連行(少なくとも70万人といわれる)。
  
◇「日本軍」の兵士・軍属として朝鮮人を徴兵。南方などの
    戦地へ送り込まれた。
  
◇日本軍「慰安婦」



二。南北分断と朝鮮戦争(1945~1953)
 
1。解放と38度線
  
◇1945年8月15日 日本ポツダム宣言受託(無条件降伏)
   
*ポツダム宣言の中に、
     「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク」とある。
   
*カイロ宣言(43年11月、米・英・中)では、併合状態におかれ
    ている朝鮮の独立がうたわれている。
    →ポツダム宣言の受諾は、植民地支配からの解放を意味。

  
◇建国のための自治組織
   
*解放の日、ソウルでは「朝鮮建国準備委員会」が組織される。
    この建国準備委員会は、朝鮮民衆の意志を代表するもので、
    呂運亨(ヨ・ウニョン)を
指導者に、わずか半月のあいだに全
    国の主要都市145か所に支部
を設置する。この組織に参加
    した人びとは、治安と行政をととのえ
て社会を安定させようとした。

  
◇「朝鮮人民共和国」の宣言と挫折
   
*建国準備委員会は、9月6日にソウルで全国人民代表者会
    議をひらき、「朝鮮人民共和国」の成立を宣言。
   
*この朝鮮人民共和国は、民族の主権を確立した民主主義国
    家の建設をうたい、それを実際にすすめていくための閣僚名簿
    を発表した。その陣容は、主席李承晩(イ・スンマン)、副主席
    呂運亨、国務総理許憲(ホ・ホン)、それに金九(キムグ)、
    曺晩植(チョ・マンシク)、金日成(キム・イルソン)など、日本の
    支配とたたかった民族主義者や共産主義者を網羅したものだった。
   
*しかし、アメリカとソ連は、日本が降伏したのち、
朝鮮半島を北
    緯38度線で分割、軍事占領すること
を決めていた。8月8日、
    日本に宣戦布告したソ連
軍が満州(中国東北部)へ進行、さら
    に南下するス
ピードが速く、驚いたアメリカが朝鮮での権益を確
    
保しようとして、38度線での分割占領をソ連に提
案した。
     
≪終戦のタイミングが、分断へ影響≫
      
もし日本が、ポツダム宣言を8月の最初の数日
に受け入れて
      いれば、ソ連の参戦はなかったと
思われる。結果、分断もな
      かったかもしれない。
   
*9月8日、アメリカ軍が仁川に上陸。朝鮮人民共和国を政府とし
    て認めず、軍政の施行、朝鮮総督府の旧機構や法令の存続を
    布告。朝鮮人の自主的な建国の動きを否定した。また、呂運亨
    たちを共産主義者だとして排除していく。そして、初代大統領と
    なる李承晩ら、親日派と次第に協力関係を築いていく。
   
*ソ連軍の方は、8月24日に平壌(ピョンヤン)に進駐し、朝鮮半
    島北部全域の占領を布告。その際、すばやく土地改革などの社
    会改革を
実行し、日本統治時代の残滓(ざんし)を一掃していく。
    
また、建設準備委員会をあらためた人民委員会を正式な
組織と
    して認め、金日成を指導者としてかつぐ。

  
◇「冷戦」の産物としての分断国家
   
*アメリカとソ連の対立が決定的になるにつれ、アメリカは朝鮮を
    反共の砦として利用することを決め、親日派の復活、勢力拡大
    を後押しする。そして
1948年5月には、「新米反共」の李承晩らを
    もりたてて、「南」だけの単独選挙が
強行され、8月15日に「大韓
    民国」という単独国家が樹立されて
しまう。
   *この過程で、「南」では、民衆の武装闘争など、統一朝鮮の実現
    を求めるはげしい反米・反李承晩闘争が起こる。
1948年4月3日
    からの済州島(チェジュ島)の武装蜂起は代表的なもの。鎮圧の
    ために米軍政は警察や右翼組織を送りこみ、1954年9月21日ま
    でに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が
    殺害されたとも推測されている。
   
*「南」で単独政権が樹立された結果、「北」でも単独政権が樹立
    されることになり、48年9月9日、ソ連の強い後押しのもと、「朝
    鮮民主主義人民共和国」が創建され、金日成が首相となる。

  
◇敗戦国と解放国の明暗
   
*戦後、日本と同じ敗戦国のドイツは、連合国によって分割占領
    された。ところが、日本は実質アメリカの単独占領に。もし日本
    本土の占領にソ連軍が参加していたならば、分断日本が形成さ
    れる可能性もあった(実際に、スターリンは北海道の占領統治を
    要求していたが、アメリカが難色をしめしたため、現実化しなかった)。

    
・シカゴ大学のカミングス教授の言葉。
     
「ある日、私のクラスの生徒が手を上げて、どうして朝鮮は
     1945年に分割されたのか、なぜ日本はドイツのように分割
     されなかったのか、と質問した。私はたいていの場合、生徒
     の質問にはすぐに答えられるのだが、そのときは言葉を失っ
     てしまった。なぜなら、アメリカ人として、第二次世界大戦で
     日本と戦った国の人間として考えると、その方が“正当な”解
     決策であったのだ。日本人はこんなことは聞きたくはないと思
     うが、朝鮮よりも日本を分割する方が正当な処置であったは
     ずだ」
     
(『NHKスペシャル 朝鮮戦争分断38度戦の真実を追う』
         
饗庭孝典・NHK取材班、日本放送出版協会、1990年)

   
*当時、朝鮮の子どもの間で歌われて広がった言葉
   
 「米国の奴らを信じず、ソ連の奴らにだまされるな。
                         日本の奴らが起きてくる」
    
・大国のはざまで翻弄される朝鮮の人びとの苦難を言いあらわしている。


 2。朝鮮戦争
  
◇南北の対立の激化
   
*南北分断国家の成立後、「北」「南」ともにみずからを朝鮮半島
    を代表する正統政府であると公言し、相手を正式な政府とは認
    めず、それぞれ米・ソのかいらい政府であると非難。
   
*「南」の李承晩は政府樹立後まもなく「国家保安法」を公布して
    反対勢力を弾圧し、また「北伐(北進武力統一論)」をとなえて
    “左翼狩り”をくりかえした。大韓民国建国後から
1949年までの
    逮捕者は47万8000人、刑死・獄死者は9万3000人にのぼった。
   
*「北」の金日成は「南」の革命に期待をつなぎながらも、武力に
    よる「南」の“解放”を準備する方向にかたむいていった。

  
1950年6月25日-朝鮮戦争はじまる
   
25日未明、北緯38度線の軍事境界線近くで「北」の朝鮮人民軍
    と「南」の韓国軍とのあいだで大規模な武力衝突がおこり、朝鮮
    人民軍は38度線をこえて南下。ソウルをまたたくまに占領する
    (6/28)。攻撃の準備や規模、作戦など、朝鮮人民軍がソ連の
    事前の承認と援助を受けていた。
   
*これにたいし、アメリカ軍は「北」の「侵略」を非難し、ソ連欠席中
    の国連安全保障理事会の決議をえて、「国連軍」(約
20か国)を
    組織し、反撃を開始する。


      
「しつこい砲声がやんで、人びとの顔には安堵感がありあり
      と見受けられたが、一夜のうちに世の中がひっくりかえってし
      まったのだ。私たちは良かれ悪しかれ一晩にして、大韓民国
      ではない別の国の人間になってしまったのである。
       
・・・街にはすでに赤い旗を振って万歳(マンセー)と叫ぶ人
      がいて、学校のポールには、話でだけ聞いていた人民共和
      国国旗が風にはためいていた。ミアリ峠を越えて東小門(トン
      ソムン)に向かうと、戦車、自動車、馬車が目につき、歩兵が
      群れをなしている。彼らは硬い西北の訛りではなるが、私た
      ちと言語・風俗・血統を同じくする民族であり、見たところなぜ
      か敵兵という感じがしない。どこか遠く家を離れていた兄弟が、
      久しぶりに故郷を訪ねてきたような感じなのだ。彼らが穏やか
      に笑って話をするのを見ると、誰も敵愾心を起こしはしない。
       
これは私が、ただ大韓民国に対する忠誠心が足りないから
      ではないだろう。昨日見た国軍と彼らとどこが違うというのか。
      違うといえば、彼らの服装が少しばかり変わっているだけ。な
      ぜ、一方だけが味方で、もう一方は敵になってしまうのか。い
      つから彼我の間に、そのように憎しみあい、銃剣を取って死
      の場所で相対しなければならなくなったのか。互いに抱き合
      い、兄よ、弟よといい合わねばならぬ立場にいるのに、いまは
      誰のために何のために戦うのか。私は道の真ん中にはたと
      座り込んで、地面を叩いて慟哭したい気持ちだった」
                       ≪
1950年6月28日の日記より≫
      
(『ソウルの人民軍-朝鮮戦争下に生きた歴史学者の日記』
            
金聖七著、李男徳・舘野晢訳、社会評論社、1996年)

  
◇朝鮮戦争の流れ
   
*朝鮮人民軍は、破竹の勢いで南進するが、9月15日のアメリカ
    軍の仁川(インチョン)上陸が戦局の転機となって、「国連軍」は
    一気に北へ押し返す。
   
*ソウルを奪還し、さらにソ連国境付近まで北上。しかし、「北」を
    支援する中国人民支援軍が参戦して、戦線は再び南下。こう着
    状態にはいる。
   
1953年7月27日に38度線の板門店(パンムンジョム)で
「休戦協
    定」が結ばれる。以後、今日まで休戦状態が半世紀
以上続いている。
   
*朝鮮戦争で、アメリカは原爆の使用を検討。が、ソ連による
日本
    への報復核攻撃の可能性、また国際的な反対世論もあり、使用
    はできず。

  
◇朝鮮の人びとの被害
   
*死者200数十万~300万人、離散家族1000万人以上
   
*戦争の勝敗がつかなかったことで、「南北」の分裂は決定的に
   
*同じ民族のあいだでの憎しみの増幅

 
3。朝鮮戦争への日本の協力
  
◇当時、日本占領が任務だった米第8軍を朝鮮に投入することを決定
   
*マッカーサーを国連軍最高司令官に
   
*戦争勃発から1週間で、在日米軍はあいついで出撃。さらに、米

    国から送られくる部隊は、大部分が日本に立ち寄り、訓練を重
ね、
    軍事物資などの補給を受けてから、出撃をしていった。
   
*米軍は、日本政府につくってあった「特別調達庁」をフル活用。命
    令一つで必要なものを日本で調達する機関として、朝鮮戦争への
    協力体制をしいた。

  
◇各分野での戦争協力-占領下での戦争協力
   
≪米軍の出撃と兵站をささえた国鉄の輸送協力≫
   
*朝鮮戦争に出撃する米軍部隊の輸送から、戦争訓練場までの
    往路の輸送、弾薬や軍需品の貯蔵地から輸送港湾間のピストン
    輸送、アメリカ本国からの増派部隊の輸送、戦傷病者の搬送など、
    米軍をはじめとした「国連軍」の国内輸送に決定的な力を発揮した。
   
≪傷病兵治療と日赤看護婦動員≫
    
*米軍および「国連軍」兵士のぼう大な傷病者が、続々と日本に
     後送されてくる。
    
*米軍や英軍などは、日本の病院を没収し、自国の医師・看護
     婦を派遣し、基本的には自前病院を持ち対応したが、福岡の国
     連病院などに日赤の看護婦が強制動員されていた事実もあっ
     た。「生きていた赤紙」。
   
≪国連軍の朝鮮上陸作戦を保障した機雷掃海≫
    
*マッカーサー命令で海上保安庁保有の掃海艦艇が朝鮮半島
     に出撃し、元山上陸作戦時の掃海作業で、一隻が触雷・沈没
     し、乗員一人が死亡(
25歳の青年)、重軽傷者18名を出してい
     る(50年10月17日)。
   
≪その他のエピソード≫
    
*佐世保港に潜水艦防衛網の設置
               -日本が戦場になる可能性を示唆している
    
*岩国基地からも毎日のように戦闘機・爆撃機が出撃していた

  
◇朝鮮戦争の時期、日本国内では
   
1950年 レッドパージで共産党および支持者を弾圧
     
警察予備隊の創設し、日本防衛の任務に。
      
52年に保安隊、54年に自衛隊へと改組)
   
1951年9月 サンフランシスコ平和条約(西側の一員として国際復帰)

  
◇確認できること
   
①朝鮮の南北分断は、直接的ではないが、日本の植民地支配
    に原因があること
   
②朝鮮戦争の際、アメリカの出撃基地として日本がフル活用されたこと
   
③朝鮮戦争の際、国内の治安対策として、警察予備隊が創設されたこと
   
④日本もさまざまな形で戦争に参戦していること
   
⑤いわるゆ「朝鮮特需」により、経済復興が急速にすすんだこと

   
*初代駐日アメリカ大使となったロバート・マフィーの回想
    
「朝鮮戦争が起こったのは、日本人にとってまるで、思いがけな
    い幸いであった。というのは、お陰で彼らはアメリカその他の国
    連軍が必要とした補給物資や役務を提供するために、彼らの粉
    々にこわれていた産業を最大速度で再建することができたから
    である。韓国が
1950年6月25日に、ソ連製の戦車100台を先鋒と
    する6万の北朝鮮兵士によって侵略された時、マッカーサーは当
    時日本に駐留していた戦争態勢の軍隊で使えるものはすべてこ
    れを前線に送りだした。元帥は日本政府が安全で秩序整然たる
    基地を提供してくれるものと確信していた。それに日本人は、驚
    くべき速さで、彼らの四つの島を一つの巨大な補給倉庫に変えて
    しまった。このことがなかったらば、朝鮮戦争は戦うことはできな
    かったはずである。
     
日本人は、われわれを助けるために兵隊を補給するよう要求
    されもしなかったし、そんなことは許されもしなかった。けれども日
    本人の船舶と鉄道の専門家たちは、彼ら自身の熟練した部下と
    ともに朝鮮へ行って、アメリカならびに国連の司令部のもとで働い
    た。これは極秘のことだった。しかし、連合国軍隊は、この朝鮮を
    よく知っている日本人専門家たち数千人の援助がなかったならば、
    朝鮮に残留するのにとても困難な目にあったことであろう」
                           (『軍人のなかの外交官』)

   
*占領下ではあったとはいえ、かつて日本の植民地としての悲
    劇を味わった隣国朝鮮のさらなる惨劇に対して、日本人の関
    心は、けっして高くはなかったし、戦争に加担した加害の意識
    も低かった。それが、現在の北朝鮮バッシングにもつながる意
    識を生み出しているように思えてならない。



三。軍事政権下の韓国(1953~1987)
 
1。李承晩政権時代〔~60年〕
  
◇親日派で政権を固め、徹底した反共政策を行う。それが韓国社
   会の
基本枠組みとなって長い間浸透する。

  
◇経済的には低迷1960年の一人あたりの国民所得は79ドルだった。

  
◇改憲を繰り返して政権を維持。選挙のたびに不正を働く。73~85
   
歳まで、12年間の長期政権となったが、60年に「4・19学生革命」
   によって大統領を辞任、ハワイへ逃亡する。

 
2。朴正熙(パク・チョンヒ)政権時代〔61年~79年〕
  
◇李承晩が大統領を辞任したのもつかの間、61年5月16日、朴正
   熙ら軍部によるクーデターが起こる。朴正熙は自ら創設した国家
   再建最高会議議長に就任し、政権を掌握した。63年には大統領
   選挙で勝利、以来、79年に側近に暗殺されるまで、18年にわたり
   権力の座に居座り続けた。

  
◇「勝共の近道は経済建設だ」-経済再建を重視

  
◇思想・言論弾圧、映画・文化の検閲を強化。あら
ゆる面において、
   軍隊式のやり方で、国民に同じ
ことを反復させた。「勤勉・自助・
   協同」をモッ
トーとした「セマウル運動(新しい村づくり運動)」
で農
   漁村を近代化し、国民生活は向上。

  
◇日韓国交正常化と、あいまいになった過去の清算
   
*大統領に就任した朴正熙は、64年3月から、経済発展に必
    要な外資を確保するために日韓会談を推進した。経済発展を
    優先させたい朴正熙は、経済資金が得られる日韓基本条約
    の締結を急いだ。植民地支配への謝罪と補償を要求する反対
    勢力を押し切って、政治的な決着をはかった。金のために「民
    族の主体」を売ったとして、野党をはじめとする反対勢力から
    「物乞い外交」と批判された。

    
〔韓国政府の思惑〕
     
・経済復興、近代化をすすめることで、
権力基盤を固めたい。
      そのためには
日米からの資金援助が不可欠。
    
〔日本政府の思惑〕
     
・新たな投資先として韓国市場に進出
したい。国交正常化が不可欠。
    
〔米国の思惑〕                
     
・東アジアで確固とした反共体制を構築したい。ベトナム戦争。

   
*日韓基本
条約は7条からなる。第2条では、両国は日韓併
    合(1910)以前に朝鮮、大韓帝国との間で結んだ条約に結
    ばれたもの全てをもはや無効であることを確認し、第3条で
    は日本は韓国が朝鮮にある唯一の合法政府であることを確
    認し、国交を正常化した。
   
*この条約によって国交正常化した結果、日本は韓国に対し
    て多額の経済援助を行った。植民地支配の補償請求につい
    ては、資金供与(無償援助3億ドル、長期低利借款2億ドル、
    民間借款3億ドル)をする代わりにいっさいの請求権を放棄
    する内容で政治決着がはかられる。これがその後、個人補
    償への障害となる。
   
*条約には、日本の植民地支配にたいする謝罪の言葉はなかった。

   
*韓国内で起こった学生を中心とした日韓条約反対運動を力で鎮圧。

  
◇ベトナム戦争への参戦
   
*韓国軍兵士の死者5000人、枯葉剤の被害者は8万人とも。
   
*韓国軍によるベトナム人民の虐殺事件も

 
3。全斗煥(チョン・ドファン)政権時代(80年~87年)
  
◇民主化闘争への弾圧続く。光州事件(80年5月、光州市民への虐殺)。
   
80年~83年は国民を強く抑え、民主化運動を行った学生や、
    運動家を
軍隊に入れて思想改造を行うなど、強く弾圧した。
    しかし、83年から
は、これらの弾圧が一定成功したのに加え、
    5年後に開催されるソウル
オリンピックに向けたイメージづくり
    のために、しだいに軟化していく。

  
87年6月、学生を中心とした民主化闘争は、「ネクタイ部隊」と
   いわれるホワイトカラー層の加勢を受け、ピークに達し、「6・29
   民主化宣言」の発表を余儀なくされる。これにより大統領の直
   接選挙制などの民主化政策が前進していく。



四。変わる韓国-民主化の流れ(1987~2007)
 
1。盧泰愚(ノ・テウ)政権時代〔88年~92年〕
  
◇この人も軍人出身。はじめて直接選挙で選ばれた大統領。

  
88年のソウル五輪。高度成長、海外旅行の自由化、社会

   義国との国交樹立ラッシュ、南北朝鮮の国連同時加盟な
ど、
   時代の変化が伝わりはじめる。

 
2。金泳三(キム・ヨンサム)政権時代〔93年~97年〕
  
32年ぶりの非軍人出身の大統領に。「文民政府」を強調。
   
*政治腐敗の追求などで積極的政策
   
*「歴史の立て直し政策」。光州事件の見直しなど。
   
97年の金融危機で韓国経済は大打撃

 
3。金大中(キム・デジュン)政権時代(98年~02年)
  
◇民主化闘争のシンボル的存在。
   
73年に日本で拉致、殺害されかける。
   
*金融危機によるIMFの規制緩和政策を受け入れ、
    貧富
の格差の拡大をまねく。

  
◇対北朝鮮への「太陽政策」
   
*経済的協力
   
2000年に初の南北首脳会談

  
2002年のサッカーW杯の成功、日本文化の解禁

 
4。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代(03年~)
  
◇韓国現代史の見直し
   
*真実・和解のための過去史整理委員会が2005年12月に始動。
   
*日本の植民地支配から、盧泰愚政権までの間に行われた、
    抗日
独立運動、朝鮮戦争前後の民間人の集団虐殺事件、
    不当な公権力
による人権侵害、国家の正当性を否定する
    テロ行為など、韓国現
代史全般に対する真相究明をするこ
    ととなる。現在も進行中。



さいごに:韓国現代史の底流には、いつも人びとの“たたかい”があった。
      
過去の歴史の共有は、21世紀の課題として残っている。

【韓国を知るためのオススメの文献】
 
『なるほど!これが韓国か』(李泳采/韓興鉄、朝日新聞社、2006年)
 
『変わる韓国』(面川誠、新日本出版社、2004年)
 
『となりの韓国人-傾向と対策』(黒田福美、講談社文庫、2006年)




以上。


受講生の感想。

「知らなかったことが多かった。民衆の人々のたたかい
があったのだと初めて知った。隣の国の事をもっと知ら
なくてはと思う」

「やっぱり日本がかつておこした戦争はとんでもない犯
罪だと思った。この教室ではいろいろなことを教わる。
ありがたい。韓国の大統領は7人しかいないことも知ら
なかった」

「おとなりの国なのに、知らないことばかりでした。という
か、日本の歴史もよく知らず、外国の歴史はほとんど
知らないと気づきました。勉強します!」

「韓国のこと本当に知りませんでした…。すごくパワーの
ある国民性だと感じました。韓国だから…、北朝鮮だか
ら…と決めつけたり思いこむ前にもっと知らなきゃいけ
ないことがありますね。日韓条約の問題点が分かって
スッキリしました」


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2007年11月 1日 (木)

154.4時間!

今日、岡山高教組に行ったら、学習協常任理事でもある
F先生から、「ブログのネタに」と、1枚の紙をもらった。

「私の超勤実態の手当換算表」というものである。
全日本教職員組合(全教)がつくったツールで、
超過勤務の時間データを入れると、
実際の手当て額(時間額のわずか4%)と、
労基法での割増率(時間額に25%を割りまし、など)の
差額が一目瞭然にわかる仕掛けとなっている。

教員の先生方は、「勤務時間」の境が難しいこともあるが、
どれだけ超過勤務をしても時間額のたった4%しか払われなんて。

そんでもって、なんといっても驚くのは、
岡山の県立高校のある先生(20代男性)の
月の超勤時間
な、なんと、あんた、
154.4時間ですよ。
見ると、休日出勤が月に9日。ほとんど学校行ってますね。
平日でも、7時間残業とか、8時間残業とかふつうにある。

まさに、燃え尽き・過労死へご案内コースである。
心も病気もふえますがな。
若い先生はこのぐらいの時間が多いそうです。

で、その超過時間で、超勤手当額を計算すると、
 *教職調整額(4%)だと、17,888円(時給換算、約116円)
 *仮想される超勤手当額は、516,516円!!(約29倍)

なんですって!

こんな実態を、県民のどれだけの人が知っているのでしょうか…。
教員の大幅増を!
労働時間に見合った賃金を!


と、そんな私も、明日の労働学校の講義準備が
まだ3割ぐらいしかできておらず、
久しぶりに事務所で日が変わりました…。

うーむ。



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