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2007年10月23日 (火)

ヒューマニズムと微温

『君のヒューマニズム宣言』(高田求、学習の友社、1983年)
パラパラと読みかえしています。

最近、私たちの運動には、「サイエンスとアート」が必要だ、
ということをいろいろな場所で語ってきました。

ここでいう「アート」とは、
さまざまな内容をふくんでいるのですが、
「ヒューマニズム」もこの「アート」の内容に
ふくまれると、最近考えています。

で、高田さんはこの本の冒頭で、
「何事も一口でいってみてみることの大切さ」を強調されています。
そこで、私がもし、「ヒューマニズムとは何か一口でいってみろ」と
言われたら、何というか…。


さしあたり、「微温(びおん)」と答えようと思います。

「微温」とは、「ぬくもり」「あたたかさ」とも言い換えることができます。

この「微温」という言葉に出会ったのは、
医師である徳永進さんの著書、
『話しことばの看護論』(看護の科学社、1988年)を
読んだときのことです。

ぼくはケアの本質のひとつを、“微温”と書いているんです。
ぬくもり。暖かいということはすごく大事です。ぼくたちは微
温湯で胃洗浄をしたりして、“微温”という言葉をもっていま
す。微温というのはすごく大事な言葉だと思うんです。それ
は末期でいえば、おふろ、タオルあるいはガーゼのぬくもり
です。あるいはぼくたちの手を取ったときのぬくもり。…
そう
いうぬくもりを何かの方法で届けることは、とても大事なケア
だと思います
」(P208)

肌と肌がふれあうときの「ぬくもり」。
やさしい言葉をかけあうなかでの「あたたかい人間関係」。
ちょっとした相手への気づかい、心づかい。
非人間的なことを許さないという「あたたかい連帯感」。
文化や芸術を大切にした「人間らしさ」への共感。

「微温」を大事にするということは、人と人との
つながりを大事にする、ということでもある、と思います。

県学習協の前事務局長に教えられたことで、
いまでもはっきり覚えていることがあります。
それは、「人は理論(正しさ)だけでは動かない、そこに
ヒューマニズムがなければだめだ」ということでした。

寒い冬であれば、人は、ストーブの暖気に
「ぬくもり」を感じ、そのまわりに自然と集まってきます。

私たちの運動も、自然と人が集まってくるような、
「あたたかさ」「ぬくもり」を持つ必要があると感じています。

そう感じるのは、
ピリピリ、またはヒンヤリとした空気が
流れる事務所(人が寄りつかない事務所)、
笑顔のあいさつさえできない人、
「ありがとう」のひと言がいえない人・・・。
こういう実態にしばしば出会うからなのです
(自分もあまり人のことは言えませんが)。


ヒューマニズムとしての「微温」を私たちの運動に!


…とりあえず、最近考えていることを書いてみました。
もちろん、ヒューマニズムの土台には、サイエンスがある、
ということも押さえておく必要がありますが。
またしっかりと整理したものを県学習協の会報に書くかもしれません。

ちなみに、社会科学としてのヒューマニズムには、
ちゃんとした定義がありますので、
これはあくまで私流の表現ということで、
おことわりをしておきます。


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コメント

長久さんの言葉には、いつも深いものを感じます。学習と思考の賜物と言うべきでしょうか。
医学が発達していない時代、また多くの人が医学の恩恵をうけられなかった時代、「手当て」とはまさに患者の患部に手を当ててあげることだったと、以前聞いたことがあります。相手の痛みに心を致す、本当に血の通った労働、また人生を送りたいものですね。先日の「なごみ」の席上、ひろし君の心中も考えずに、厳しい発言をしたことに後悔を感じつつ。

投稿: S本Y郎 | 2007年10月24日 (水) 06時08分

S本さん、ありがとうございます。

たしかに「なごみ」での発言は少し…と思いました(笑)。
まぁ、彼はあんまり気にしてないと思いますが。
彼は私などにはわからないような苦労をしていますので、
そこのところ、ご理解くださいませ。

「あたたかくて、科学的」な運動をつくっていくために、
私もさらにがんばりたいと思います。

投稿: 長久 | 2007年10月24日 (水) 08時45分

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