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2007年9月14日 (金)

反空爆の思想

最近読み終えた本。

『反空爆の思想』(吉田敏浩、NHKブックス、2006年)

とりあえず目次。

 第1章 空爆による死と痛みをめぐって
 第2章 空爆の歴史、その傷を通して見つめる
 第3章 日本も空爆の加害者だった時代
 第4章 航空宇宙戦力と破壊と殺傷
 第5章 「やむをえない犠牲」論を解体する
 第6章 他者の痛みをどのように考えるか

戦争における空爆の歴史はおよそ100年。
その歴史の検証と、
空爆加害者と空爆被害者の間の圧倒的な距離・隔たり、
それがもたらす結果について考察している本です。

著者は、その「距離・隔たり」を7つに分類しています。
 ①空間的距離・隔たり
 ②心理的距離・隔たり
 ③身体的距離・隔たり
 ④政治経済的距離・隔たり
 ⑤科学技術的距離・隔たり
 ⑥差別意識的距離・隔たり
 ⑦情報的距離・隔たり


さまざまな要素の「距離・隔たり」が、「空爆」という
非人間的な行為を可能にします。
7つの分類のなかでもっとも大きな要素となるのが、
やはり「空間的距離・隔たり」であると、私は思います。

日中戦争時の重慶爆撃のことを描いた『戦略爆撃の思想』(前田哲夫)
という本から引用がされていましたが、それを紹介します。

「空中にある者からは、さらに殺人の感覚は欠落した。
苦痛に
ゆがむ顔も、助けを求める声も、肉の焦げる臭いも、機上の
兵士たちには一切伝わらなかった
。知覚を極端に欠いた戦争、
行為とその結果におけるはなはだしい落差をもつ殺戮
がそこ
にはあった。
 …空からの殺戮につきまとう『目撃の不在』と『感覚の消滅』
という要素は、同時に、行為者の回心の機会をも閉ざしてしま
う作用をもつ。南京大虐殺に従事した兵士なら、罪の意識に
さいなまれないにせよ、一生ほどけそうにない『光景』や『手ご
たえ』をもっているに違いない。これに対し、重慶爆撃に参加し
兵士の記憶に残る感触といえば、爆弾投下装置を作動させ
るさいの『腕一本の感触』と立ち昇る土煙の印象にすぎない

対日都市空襲に従事したB29のパイロットや広島に原爆を
投下したポール・チベッツ大佐と同様、重慶に大量死をもたら
した日本人もまた、行為の結果から疎外されていた。だから
南京の意味が問われるようには、決して重慶は語られてこな
かった」

この「戦争の現場」からの「距離」という問題は、
私たちがイラクやアフガニスタンなどで起こされている
戦争への感覚と共通するものと言えます。

被害者からすれば私たちは明らかに加害者な
わけですが、この圧倒的な「距離・隔たり」が、
その意識をもつことを困難にしているように思います。


『いのちはなぜ大切なのか』(小澤竹俊、ちくまプリマー新書、2007年)

「命の大切さ」についてどう伝えるのか。
なかなか難しい問題ですが、
これまでの「定説」の死角を問うている本、と言えると思います。
もちろん「定説」に共感しつつです。

ホスピス医の著者ならではの視点がなかなか参考になりました。

自己肯定感には2つある、と指摘されています。
 ①自分のことを
とてもよい、と思えるか
 ②自分は
これでよい、という考え方

これも、なるほど、と思いました。


『物語の役割』(小川洋子、ちくまプリマー新書、2007年)

『博士の愛した数式』の原作者が、
人はなぜ物語が必要なのか、について語っている本。

「もし他所の星から来た生物が、本を読んでいる人間を見たら
どう思うだろう、と私は想像することがあります。小さな箱型の
紙の束を手に、ただじっと座っているだけで、あるいは寝転がっ
ているだけで、時折、一枚紙がめくられる以外変化はなく、ただ
静かに時間が過ぎてゆく。いくら辛抱強く待っていても、何か新
しい製品が生み出されるわけでもない。一体何の得があって人
間たちはこんな地味な営みをしているのか? きっとそんなふう
に首を傾げるのではないでしょうか。
 
その時人間の心がどれほど劇的に揺さぶられているか、それ
は目には見えません。効果を数字によって測ることも不可能で
す。だからこそかけがえがないのだ、自分が自分であるための
大切な証明になるのだ、ということを、くどいくらいに繰り返し語
っているのが本書です」(まえがき)

これも、なるほど、と思いました。

さらっと楽しめながら読める本です。


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