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2007年7月 7日 (土)

発展のすじ道

きのうは、いつものようにソワニエ看護専門学校へ。
10回目の講義が、全員出席のもと行われました。

「発展のすじ道について」というテーマで話ました。
が、最初の読書日記のところで60分ぐらい時間をとってしまい、
本題の中身は25分ぐらいでしゃべりました(笑)。


以下、講義の

一。長久の「看護・医療」読書日記
 ◇今週読んだ本

二。前回までのおさらい(ものの見方)
 
◇ものごとを「ありのままに見る」ことが大事
 
◇すべてのものごとは「動いている」「変化している」
  
*「どうせ」というのは、ものごとを「変わらないもの」としてみる見方
 
◇「動いている」ということは、「矛盾がある」ということ
  
*相対立している要素がものごとの内部に共存している
  
*矛盾のぶつかりあいの結果、新しい質、より上昇的・前進的な
   変化が生み出された場合、それを「発展」という。

三。発展のすじ道について①-量的変化と質的変化
 
1。質とは何か
  
◇あるものを他のものから区別してそのものたらしめている
   本質的な諸性質の総体の
こと。
  
◇「質」のことを英語でquality(クウォリティ)と言いますが、これはもとは
   ラテン
語で「どんな?」という疑問詞(qualis)を名詞化したものだそうです。
  
◇つまり、「これはどんなものか?」と問われたときに、「これこれこんなも
   のだ」と答
える、その「これこれ」の全体がその事物の質、というわけです。
  
◇たとえば、「看護師とはどんな人のことか?」と聞かれて、「看護師
   とは、これこれこ
ういう人のことだ」という、「これこれ」の部分が、「質」
   というわけです。

 
2。量とは何か
  
◇ある事物、あるいはそれを構成している諸要素のあり方を、
   程度の面からしめすもの
のこと。
  
◇「多い・少ない」「大きい・小さい」「長い・短い」「重い・軽い」
   「広い・狭い」「遠い・近い」「早い・遅い」「深い・浅い」などなど。
  
◇「量」は英語でquantity(クウァンティティ)と言いますが、これももとは、
   ラテ
ン語で「どれだけ?」という疑問詞(quantus)を名詞化したものです。
  
◇つまり、「どれだけあるか?」と問われて、「これこれだけある」と答える、
   その「こ
れこれ」が、事物の量にあたるものです。
  
◇たとえば、「この病院に看護師はどれくらいいるのか?」という問いは、
   質を問題に
しているのではなく、量の程度を問うている。

 
3。質と量のつながり
  
◇質と量はバラバラにきりはなされて存在できるものではありません。
   つねに結びつい
て存在します。つまり、ある質にはかならず一定の
   範囲の量が対応している。
   
*ものづくりの量と質
   
*一流のスポーツ選手の「質」は、必ず、並外れた練習「量」と結び
    ついている。
  
◇たとえ事物の量が変わっても、それが一定の範囲をこえないうちは、
   事物の質は変わ
りません。しかし、量の変化が一定の限度をこえると、
   それは事物の質をも変えてし
まいます。
   
*たとえば、天井が多少低くても、あるいは建坪が多少狭くても、
    あるところまでは
とにかく「家」であることに変わりはありません。
    しかし、それがある限度をこし
て低く、あるいは狭くなってしまう
    と(たとえば天井の高さが1メートルとか、建
坪が一坪とかいうこ
    とになると)、もうそれは「家」とはよべないものになってし
まいま
    す。量の変化が質の変化を引きおこしているわけです。
   
*たとえば、「薬」の質は、かならずその「量」と結びついています。
    適切な「量」
と結びつかない「薬」は、「薬」ではなくなります。まっ
    たく効果のないものにな
ってしまったり、逆に人間にとって「害毒」
    になるシロモノでもあるのです。
   
*あるいは、「いい看護」をするための「質」を問題にするときにも、
    「量」の問題と
切り離すわけにはいきません。たとえば、働く時間
    が極端に長かったりすれば、そ
れは看護師の疲労をもたらし、
    看護の質に影響します。また、「何人の患者さんを、
何人の体制
    でみる」という人数の問題も、看護の質に関わってくることは、明
    らか
です。「いい看護をする」という質を問う場合には、必ず量の
    側面も問題にしなけ
ればいけません。

 
4。量の変化が、質の変化に転化する(発展)
  
◇ものごとの発展は、まずものごと内部の量の変化からはじまります。
   それはすぐにも
のごとの質を変えはせず、したがってなかなか表面
   にはめだちません。ゆっくりと、
長期間、こうした状態での変化が進行
   していきます。
  
◇そして、それがある段階に達したとき、飛躍的なかたちで質の変化
   がひきおこされる
のです。これが、ものごとの発展過程の法則的すじ
   道です。
  
◇したがって、私たちは、めだたない量の変化をけっして軽視してはな
   りません。その
つみかさねが、やがて質の変化をひきおこすのですから。

   
*患者さんの変化
   
*自分の変化
   
*自分がいる環境の変化


四。発展のすじ道について②-肯定をふくんだ否定
 
1。肯定をふくんだ前進的な否定-「○か×か」「黒か白か」ではなく
  
◇発展とは、古い質が、新しい、よりいっそう高度な質に変化すること。
   
*そのさい、古い質は「否定」されるわけです。しかしそれは、古い質
    のなかにあった、積極的な内容、未来につながる要素を肯定し、新
    しいものに引き継ぐという「否定」となります。ものごとを全面的に否
    定してしまうと、発展はない。

 
2。“中途半端さ”を「耐える力」
  
◇いつも、前進的な要素が勝利するわけではない
   
*ものごとを断面的にきりとって、その瞬間において黒白をつける
    ことはできるが、変化というのは、うねうねと黒も白もふくみつつ
    続くものであり、その中途半端さに「耐える力」を身につけることも大事。

     
「やさしくするということはとても難しいですね。患者さんにもいろん
     な人がいます。決まりを守らない人、酒を飲む人、文句や不満ばか
     りいう人、病気が重症で苦痛が続く人、怒鳴りまくる人、ナースコー
     ルマニア、甘えまくる人、とにかくいろいろいます。何とかやさしくし
     てあげようと思っていても、医療者の良心はすぐに限界に達しちゃ
     うんですね。ばからしくてやさしくなんてできない、と思ってしまうん
     ですね。きっと誰でもそうではないかって思います」

     
「やさしい眼で患者さんを見ることができるかどうか、それが臨床
     では大切な問いですね。臨床に長くいればいるほど、そんな眼で
     患者を見ることができない正当な理由がたくさんでてくるわけです。
     にもかかわらず、やさしい目で患者さんを見ることができるかどう
     か、ということがやはり繰り返し問われていると思うんです」

     
「『成長』というおは、ぼくらのテーマです。成長というのは身長が
     伸びることではなく、年齢が増すことでもないですね。成長とはな
     んでしょうね。ひとつは受容力が伸びることでしょうか。現場でい
     ろんなことが起こっている、そのことの全体がみえて、その人が
     悲しい顔からうれしい顔に変われるようにしていける力というのが、
     ぼくたちの成長でしょうね。
      
成長を可能にするのは何かというと、ほかの人とのかかわりが
     必須ですね。部屋を閉め切って
50年たって自分は成長するのか
     というと、それでは成長しない。人間がヒヤシンスと違うところでしょ
     うね。成長するためには、窓を開けて外に出て人と交わっていく。
     …そのためにずい分傷つき、痛めつけられるということになるかも
     しれない。そしてもうひとつ、成長というのは自分が自分を面白い
     というふうに思えていくことでしょうね。成長というのは医療者のそし
     てケアそのもののテーマなんです。でも、成長とは何かというと、
     やっぱりぼくには全体像がまだとらえられないっていう感じですね」
               
(徳永進『話しことばの看護論』、看護の科学社)

以上。


来週の講義が終わると、学生のみなさんは
夏休みに入るので、私もしばらくお休みできます。

よーし、来週もがんばるぞぉ。


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