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2007年7月27日 (金)

同じ時代に生きる仲間

今日(金曜)は、13時からソワニエ看護専門学校へ。
が、今日は授業ではなく、
教務の先生方の学習会で行ってきました。
参加は10名。お忙しいなか、おつかれさまでした。

私が一番年下で、おこがましかったのですが、
要請された内容は、「哲学、ものの見方を中心に」ということでしたので、
「同じ時代を生きる仲間として-学生さんをとらえる哲学的視点」
というテーマで、約1時間半ぐらい話をして、その後30分意見交流しました。

日々学生さんと向きあい、格闘している
教務のみなさんに敬意を表しながら、いろいろと話をしてみました。

では、長いですが、講義内容をそのまま以下、ご紹介します。

一。「人間関係論Ⅱ」の授業で何を学生さんに伝えようと考えたか
 
1。授業に対する私自身の心がまえ(言い聞かせていること)
  
◇学生さんのことを、できうるかぎり、知ろうと努力する
   
*第1講義はすべての時間を自己紹介についやした
    
・長久自身の自己開示、学生さんの人間マップを知る
   
*毎回の感想文を整理し、1人ひとりの特徴をつかむ
   
*講義以外の横道話が学生との距離を縮める

  
◇授業は手抜きをしない(全力でぶつかっていく)
   
*「伝えたいものは何かが、ゆるぎない時、伝わります」
                         (高宮前副校長の言葉)
   
*うれしかった池邊くんの感想文
   
*しかし、失敗の連続でもある

  
◇「あなたに伝えている」-臨場感を大切にする
   
*目の前にいる「あなた」に伝えたい

 
2。学ぶことの楽しさを伝え、学ぶ動機を豊かにする
  
◇読書日記-学ぶ喜びを長久自身が表現する、本の魅力を体で示す
   
*昨年と今年、学生さんに紹介した本
    -この学びで得たことの大きさ
   
*学ぶことへの情熱(パワー)を伝える
  
◇心に響け!「言葉の力」「本と出会う」「人と出会う」「看護のすばらしさ」
   
*考える、感じる材料を提供する-それをつかみとるのは彼ら
  
◇学生さんの反応

 
3。「人間関係論Ⅱ」の基本テーマは、「いのち」と「ものの見方」
  
◇自分と他人の「いのち」の重み、不思議、奇跡、かけがえのなさ。
   
*「いのち」への謙虚さ-「自分の生き方」につながる
   
*生きているということ-矛盾をかかえながら、成長していく
  
◇人間、社会、自分自身にたいする豊かなものの見方を
   
*社会のなかの「わたし」-社会科学の入門書『君たちはどう生きるか』
   
*「いのちの輝き」を奪うものとの対決-たたかう看護師に
    
・9月の「憲法学習」で具体的には語っていく


二。学生さんをどうみるか-哲学的な接近
 
1。対象をありのままに見る-唯物論
  
◇現象することが、そのまま本質ではない
   
*「本質」というのは、簡単にいえばものごとやできごとの本当の
    姿のことで、ものごとやできごとの基礎をなし、その背後にかく
    れていて、表面からは見えない側面をさします。これにたいして
    「現象」というのは、本質のあらわれでた姿のことで、ものごと
    の表面にあらわれた、感覚でとらえることのできる側面をさします。
   
*本質も現象も、まったく別のものではありません。ただ、本質と
    現象がいつも一致しているわけではありません。しばしばはず
    れたり、ゆがんだりして、ときには正反対のかたちをとって現れ
    ることがあります。
   
*さまざまな現実的にあらわれている姿(現象)を手がかりにしな
    がら、その背後にかくれている本当の姿(本質)をとらえようと、
    認識を深める努力をする必要があるのです。

  
◇主観、独断、偏見、経験……ありのままに見ることの難しさ
   
*「看護観察」と「学生観察(人間観察)」は共通

    
ありのままの患者像を観察によって得ようとすることの難しさを
    自覚することから、真の観察は始まる
といってよい。観察のつど
    『今、私の知覚していることは、対象の姿を真に反映しているで
    あろうか』と、自問することを忘れてはならない」
                 
(川島みどり『新訂 看護観察と判断』)

    
「看護記録に書いてある患者さんの状態というのは、ある一断面
    にすぎません。たまたま看護師が見たこと、聞いたことしか書い
    ていない。それ以外の時間を患者はどうしているのかわかりませ
    ん・・・
私たちが知っている患者さんはその患者さんのごく一部なの
    です。私たちは患者さんが24時間どんな思いで、どんな生活をし
    ているかということをほとんど知らない
のです」
                   
(川島みどり著『キラリ看護』、医学書院)

    
「観察の目的は何であるかを見失ってはならない。観察は、雑多
    な情報やめずらし
い事実を積み重ねるためにするものではなく、
    生命を守り、健康と安楽を増進させ
るためにこそ行なう」
                       (F・ナイチンゲール『看護覚え書』)

    
偏見は、生涯を通してたたかわねばならない問題である。如何
    にして曲解した観察がなされるかを理解すれば、偏見は少なくな
    るだろうし、繰り返し自己分析を行うことによって、より少なくする
    ことは可能かも知れない。しかし、残念ながら我々はみな、一度は
    偏見に陥るものである」
(V・ヘンダーソン『看護の原理と実際Ⅱ』)

   
*子どもを愛するということ-無関心とのたたかい
    
<三上満『眠れぬ夜の教師のために』(大月書店、1986年)>より

    
「私は、どの子に対しても、自然な感情で好きになれるという教師
    はまずいないと思います。
子どもは本質的にかなりにくたらしいも
    の
です。素晴らしい側面をもっていると同時にいろいろないたらな
    い側面やゆがみをいっぱいもって生きているのが子どもです」

    
・現代社会ゆえの困難さ、ゆがみを背負った学生たち

    
「私たちが、自然的には好悪の感情をもったひとりの人間だという
    ことをみとめたうえでなおかつ、
私たちは、私たちの前にあらわれ
    るすべての子どもを愛するというたいへん困難なことをやらなけれ
    ばならないのです。それは教師が子どもたちを愛することを義務づ
    けられたプロだからです


    
・看護師が患者へむける目も、同じではないか。
    
・愛は、対象への関心を必然とする。愛そう、愛そうと努力すること
     の中に、私たち自身の成長もあるのだと思う。無関心は差別を生む。

    
「教師たちは、みんなどうも自分の肌にはあわない、気にいらない
    子がいる、とい
う自然的感情とそうとうな格闘をしながら、子どもた
    ちへの愛情をがんばって豊か
にしています。
     
前に、教師を成長させるものは、子どもを愛することができたと
    きの自分自身へ
のこころよさだと言いました。子どもへの愛と、愛
    せた自分への愛とがひびき合っ
てラセン階段のようにのぼっていく。
     
…いままで愛せそうになかった子どもを愛せるようになったとき
    に、教師はそう
いう子どもを愛せるようになった新しい自分を発見
    する」

   
*「教える、教えられる」という関係の以前に、1人の「人間」として、
    また、この
ソワニエの学び舎に集った仲間として、「ともに育ちあう
    関係」を築いていく。
    
・教師自身の「人間観」「生命感」「社会観」が問われる
    
・数万人の看護学生のなかで、ソワニエに集った「同時代をともに
     生きる仲間」「同
じ時間と空間を生きる仲間」として、1人ひとりを
     尊重することから。

  
◇「対象をありのままに見る」ことなしに、「学生さんたちの変化をとら
   える」ことはできない。

 
2。変化をつかむ-学生さんの矛盾にこころよせる
  
◇ものごとを、運動・変化のなかでとらえる-弁証法
   
*静止・固定は相対的、運動は絶対的
   
*運動とは、物質の存在形態
   
*あるものが運動しているということは、そのものがそのものであ
    りながら、同時にそのものでなくなっていくということ
   
*ひとりの人間も、その人でありながら、同時にその人でなくなって
    いく。つまり、つねに運動・変化している。

  
◇ものごとの中には、つねにその内部に相反する要素や傾向がある
   
*これを難しい言葉で、“弁証法的な矛盾”あるいは、“対立物の統一
    と闘争”、といいます。
   
*自分自身のなかに、相対立する要素が存在する

  
◇この事物内部の矛盾こそが、発展の原動力となる
   
*矛盾があるからこそ、前進・発展のドラマがある

   
<ふたたび、三上満『眠れぬ夜の教師のために』より』


    「子どもは、そんなに簡単にひとすじなわでいくものではありま
    せん。私たちが、いいつけたり注意したりすれば、すっと変わっ
    てくれる、というものではないのです。教育というのは、スライド
    を映しているようなわけにはいきません。悪い子が映っていた
    らカチッとスライドを動かすといい子が映る、というようなもので
    はないのです。
     
子ども自身を成長させるものは、子ども自身の内部に起こる
    矛盾
です。子どもの成長過程というのは自分のなかに、何かあ
    る目当てをつかんでその目当てのためにがんばろうとする自分
    と、『めんどくせえや』と元にもどろうとする自分
、そういう自分の
    内部の矛盾・葛藤の長い過程なのです。新しい自分になろうと
    努力したり、古い自分が顔を出して新しくなろうとする自分をとり
    くずしたり、そういうことをくり返す長い過程です。
     
子ども自身のなかに、自分自身が二重にうつること、目当てが
    生まれ自分の人格が二重うつしになること、これが子どもたちの
    成長・発達の原動力です。私たちの仕事は、とりもなおさず、こ
    の二重写しになることを促してやること
なのです。目当てが生ま
    れ自分が二重写しになることは子どもたちにとって苦しく、不安な
    ことでもある
わけです。
     
そういうふうになれるだろうか、ならなくてはいけないのだ、なれ
    るだろうか、やっぱりだめだ、そいうことのくり返しが子どもたちの
    なかに起こってくるのは当然のことなのです。子どもの内部にいま
    どんな矛盾・葛藤が生まれ、どのような方向に向かって進もうとし
    ているのか、子どもたちの“もがき”のように見える姿のなかから
    も、
その核心をつかむ努力が私たちに必要なのです」

    
・「目当て」を提供し、育てる
    
・そして、葛藤を応援し、ささえる

    
「よく子どもたちは教師を裏切ります。『言っても言ってももとにも
    どっちゃう』『いくら言ってきかせてもむだだ』、などということが、
    教師の口からしばしば語られます。しかし、裏切るというのは、あ
    る意味では子どもの本質だ、と私は思います。ほとんどの場合、
    子どもはよこしまな心で裏切っているのでは決してありません。

    とつの価値を自分にとりこむためには、その価値をとりこもうと努
    力する自分、努力を放棄してしまおうとする自分との、一定の時間
    をかけた矛盾のなかでしか子どもは成長しない
ということなのです。
    そしてそれは、表面上は、『あれほどいったのにもとにもどってし
    まった』という裏切りをともなうものなのです。
     
すぐれた教育者、若林繁太先生は、子どもに10回裏切られたら、
    11回信じろ、と言いました。それは決して教師の心構えを言った
    のではなく、子どもたちや人間に対する科学的な洞察なのです


   
*待てない、されど待つ
    
「教育的指導には、私たちが心しなければならない大切な原則が
    あります。それは…子どもというもののあり方そのものとかかわる
    ことです。私たちが子どもたちに要求するときに、その要求がスト
    レートにすぐに実現するものではないということ、したがって、
子ど
    もの矛盾・葛藤のなかからのジグザグした成長を私たちがじっくり
    と信頼をこめて待つということ
、これが教育的指導においては欠か
    すことのできないものです」

   
*子どもをまるごとつかむ
    
「子どもたちが、リアルな生活を背負って生きているということ、した
    がって子どもたちの行いや行動のなかに一つひとつ子どもたちの
    リアルな生活上の根拠があるということを理解すること」
    
子どもを徹底して、発展途上の人としてつかむことです。子どもの
    つまずきもまちがいもゆがみも、何ひとつ発達上の意味を持たない
    ものはありません。教育的働きかけの契機にならないものはありま
    せん
。この両軸をいつも交叉させて、子どもたちを深くつかむ努力を
    したときに、私たちは子どもたちにかぎりない共感をもつ教師になる
    ことができるのではないでしょうか」

  
◇量の変化が、質の変化に転化する(発展)
   
*ものごとの発展は、まずものごと内部の量の変化からはじまる。そ
    れはすぐにものごとの質を変えはせず、したがってなかなか表面に
    はめだたない。ゆっくりと、長期間、こうした状態での変化が進行する。
   
*そして、それがある段階に達したとき、飛躍的なかたちで質の変化
    がひきおこされる。これが、ものごとの発展過程の法則的すじ道。
   
*したがって、私たちは、めだたない量の変化をけっして軽視してはな
    らない。そのつみかさねが、やがて質の変化をひきおこす。

    
「患者のどんなに小さな変化や反応も見落とさない、気づきのアン
    テナの感度を、看護師なら意識的に高めなければならないのです」
                       
(川島みどり著『キラリ看護』、医学書院)

  
◇「経験」は絶対か-経験主義とのたたかい
   
*「今までこうだったから…、こうだろう」
   
*自分や他人の過去の経験を、時、所、条件からきりはなして固定化
    し、その尺度ですべてをはかろうとする


三。つながりあって、ハッピーになる
 
1。いろんな個性をもつ教務集団として-ベクトルはつねに学生さんを向いて
  
◇「どんな看護師に成長してほしいか」
   
*それがゆるがなければ、しっかり学生さんには伝わる
  
◇そして、豊かな人間集団であってこそ、教育力が増す

 
2。つながりあって、ハッピーになる-葛藤を支えあい、助けあう仲間づくり
  
◇弱さを表現できない-自己肯定感の低さ、「自己責任」という風潮
   
*自分の弱点や悩みを他者に表現することが困難になっている
  
◇「人間はだれもが不完全」ということ、だからこそ、つながりあう
  
◇連帯こそが、個性と能力を育て、自立と自律を育てる
   
*「あてにし、あてにされる」関係づくり
    
・学生⇔学生、学生⇔教務、教務⇔教務
   
*学生と教務がソワニエ看護専門学校に集っているのは、みんなが
    「つながりあって、ハッピーになる」ため。

 
3。同時代を生きる仲間として-ナイチンゲールの精神を受けついで

   
「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさなどを適切
   に整え、これらを活かして用いること、また食事内容を適切に選択し
   適切に与えること-こういったことのすべてを、
患者の生命力の消耗
   を最小にするように整えること、を意味すべきである」
                             (『看護覚え書』序章より)

   
*患者の生命力を消耗させるのは、病気だけではない。
    
・無知や貧しさ ・政治の貧困
    
・長時間労働 ・生活と労働の場でのストレス
    
・医療労働者の労働条件 ・居住環境 ・戦争

   
*ナイチンゲールがもし現代に生きていたならば、「生命力の消耗」
    を進行させる、こうした問題について、きっと「たたかい」を挑んでい
    たと、私は思います。

   
*学生さんは、みなさんの同志(志しを同じくする人)です。ともに「育
    ちあい、学びあう仲間」として、手をつないでいきましょう!(私もその
    1人に加えてください)


以上。



終了後の感想交流・意見交換も面白かったです。
9月の憲法講義もがんばりまっす。


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コメント

先生方相手に講義されてる!すごい!カッチョエー(昭和45年前後に私が使っていた「かっこいい」)!しかも世界に一つのレジュメと講義ですよ。

投稿: 坪中 明久 | 2007年7月27日 (金) 23時24分

坪中さん、ありがとうございます。
カッチョエー、は結構いまの人も使うのでは?

ソワニエでのこうした機会は、
私の修行の場でもあり、成長させてくれる
貴重な経験となっています。
ありがたいことです。

投稿: 長久 | 2007年7月29日 (日) 10時31分

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