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2007年6月15日 (金)

君たちはどう生きるか(6)

きょうの午後は、ソワニエ看護専門学校での第7講義
『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)をつかっての最後の講義でした。


読書日記のあと、以下のような内容で話をしてみました。

【「雪の日の出来事」「石段の思い出」】
 
1。今週の範囲

   
「コペル君は暗い暗い世界へ落ちこんでしまっていました。
  卑怯者、卑怯者、卑怯者。聞くまいとしても聞えて来るのは、
  この無言の声です」

   
「コペル君は、自分がどうしてこんな事をしてしまったのか、
  自分ながらわかりませんでした」

   
「なんといってもコペル君は、友だちを裏切ったのでした」

   
「コペル君は、生まれてはじめて、胸を掻きむしられるよう
  な思いを知りました。…あやまる機会も逃してしまった!」

   
「今までに味わったことのない、苦しい、熱い涙が眼にあふ
  れて来て、三人の姿も霞んでしまいました」

   
「病気なんか、もっと、もっと悪くなれ! 悪くなって、悪くなっ
  て、しまいに自分が死んでしまったら…」

   
「ほんとうに、あのときの自分を思い出すと、コペル君は、自
  分ながら自分が厭になって来ます」

 
2。人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて


  ◇人間だけが感じる、人間らしい苦痛とは?

    →とりかえしのつかない誤り
    →裏切り
    →劣等感、自己嫌悪感
    →むなしさ
    →自分の未熟さ
    →淋しさ

   こうした苦痛は、じつは、「人間らしさ」というものを、教えてくれている

  ◇人間にとって過去のもつ意味

   
「人間にとって、いったん生きられたその過去というものの
  意味は、もう決まってしまってどうしようもない、というものでは
  なくて、それは現在の生き方いかんによって、その意味を変え
  られることができるということです。人間にとって過去と未来は、
  現在によってその意味をえてくるのだからです」
     
(真下信一『時代に生きる思想』、新日本新書、1971年)

  
◇看護という仕事-人間らしい苦痛のなかで

   
*自分自身の「人間らしい苦痛」

   
「私たちに私たちの苦しみをお与えください、心をこめて私たち
  は天に向かって叫びます-無関心よりも苦しみをください-と。
  無からは何も生まれませんが、苦しみからは癒しがもたらされま
  す。麻痺よりも苦痛のほうがずっとましです。努力すること100回、
  そして波にのまれてもよいのです。そうすれば人は新しい世界を
  発見するでしょう。磯辺に無為に立ちつくすよりも新世界への道を
  先触れしながら波にのまれて死んだほうが10倍もよいのです」

   
「満足しないこと自身、ひとつの与えられた特権といえないでしょ
  うか? そのとおりです。あなたの種族、人類のために苦しむのは、
  ひとつの特権です-それは、救世主や殉教者たちだけのものでは
  なくいつの時代でも多くの人々に担わされてきた特権なのです」
        
(F・ナインチンゲール『思索への示唆』、カサンドラより)

   
*患者さんの「人間らしい苦痛」を想像する力

   
「この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対のもの、
  すなわち、自分自身は決して感じたことのない他人の感情のただ
  中へ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事はほかに
  存在しないのである」
   
(F・ナイチンゲール『看護覚え書』、補章「看護婦とは何か」より)




以上。


今日は、なんとなく先週よりはうまくいったかもしれません。
これも、私の「人間らしい苦痛」のおかげです(笑)。
「うまくいったー」って講義は、まずありません。
いつも、「しょんぼり」帰っていくんですもん。
だからこそ、悩んだり、試行錯誤して、前進していくのです。

でもやっぱり今週も、「あ、あの大事なことを言い忘れた!」
というのがありましたが。

さて、来週からは、
ものの見方(哲学)を教えます(3回で)。

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