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2006年12月28日 (木)

24時間働けません

きのう、労働政策審議会(厚生労働省の諮問機関)が
「残業代ゼロ・労働条件下げ放題」の労働法制改悪の報告をまとめたそうです。
来年の通常国会で法案提出の方向だとか。

ちょっとまったぁー!!

「ホワイトカラーエグゼンプション」とか、めちゃ言いにくい言葉をつかって
行われようとしていることはすこぶる重大です。

「一定以上の収入や範囲で」なんてものは導入時だけで、
いったん導入されれば、範囲が次々拡大されていくということは
労働者派遣の規制緩和の実績をみれば明らかです。

いくら働いても残業代なしなんて、
よーするに「24時間働けますか?」の世界ですよ。
サービス残業の蔓延で、現実すでにそうなっているところも多いですが、
それを法制化でお墨付きを与えようということです。
規制緩和で企業をしばることをやめれば、どういうことが行われるか。


マルクスは『資本論』の第8章「労働日」のなかで、こう指摘しています。

資本は、剰余労働を求めるその無制限な盲目的衝動、その人狼的
渇望のなかで、労働日の精神的な最大限度のみではなく、その純粋
に肉体的な最大限度をも突破していく。
資本は、身体の成長、発達、
および健康維持のための時間を強奪する。それは、外気と日光にあ
たるために必要な時間を略奪する。それは食事時間をけずり取り、
できれば食事時間を生産過程そのものに合体させようとし、その結
果、ボイラーに石炭が、機械設備に油脂があてがわれるのと同じよ
うに、食物が単なる生産手段としての労働者にあてがわれる。それ
は、生命力の蓄積、更新、活気回復のための熟睡を、まったく消耗
し切った有機体の蘇生のためになくてはならない程度の無感覚状態
の時間に切りつめる。
この場合、労働力の正常な維持が労働日の
限度を規定するのではなく、逆に労働力の最大可能な日々の支出が
―たとえそれがいかに病的で強制的で苦痛であろうと―労働者の休
息時間の限度を規定する。
資本は労働力の寿命を問題にしない。そ
れが関心をもつのは、ただ一つ、一労働日中に流動化させられうる
労働力の最大限のみである」

資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿
命にたいし、なんらの顧慮も払わない。
肉体的、精神的萎縮、早死、
過度労働の拷問にかんする苦情に答えて資本は言う―われらが楽し
み(利潤)を増すがゆえに、われら、かのかん苦に悩むべきなのか?と」


来年の重要なたたかいの一つとして、
学習協としても学習会を広げなくっちゃ!

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