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2006年11月 8日 (水)

沖縄での日本軍「慰安婦」

まだ日本軍「慰安婦」問題が国際的な問題になる前の、
貴重なルポタージュを読み終えました。

『赤瓦の家-朝鮮から来た従軍慰安婦』(川田文子、筑摩書房、1987年)

日本軍「慰安婦」の問題に国際的な光があたるのが、
1991年、韓国の金学順(キムハクスン)さんが
「私は日本軍の慰安婦だった」と名乗りをあげてから。

この本で登場するぺ・ポンギさんは、沖縄が1972年に
日本へ復帰するさいに、不法滞在者でないことを明らかにするために、
自分が日本軍「慰安婦」であったことを明らかにしました。

著者の川田さんは、そのポンギさんから粘り強い聞き取りを行い、
ポンギさんがなぜ沖縄に日本軍「慰安婦」として連れてこられたのか、
沖縄に来てからの出来事と、終戦後のポンギさんの苦難の歩み
を通して、「慰安婦」問題への真剣な問いかけを行っています。

日本軍「慰安婦」としてかりだされた朝鮮の若い女性の多くは、
過酷な貧困が広がる農村の出身であること、
そのため、「いい商売がある」「楽園のようなところに行ける」と
騙され、アジア各地へ連行されました。
また、地獄のような「慰安所」での生活から解放されても、
PTSDに悩まされ、本当に安心した生活が送れません。

ポンギさんは沖縄の慶良間諸島にある渡嘉敷島に
連れていかれました。座間味島や阿嘉島にも「慰安所」はありました。
(沖縄全体では134か所の「慰安所」があったことが、現在確認されているそうです)
慶良間諸島であった集団自決や戦争の様子なども
詳細に叙述されています。

最終章には、ポンギさんの故郷である韓国の村に
川田さんが訪れた記録が書かれています。
ポンギさんは6歳のときに、8歳の姉と生き別れました。
その姉には会えたのですが・・・。
あまりにも重い現実に、うちのめされる思いがしました。

ポンギさんは、この本が出版されて4年後の、
1991年に、78歳で亡くなっています。

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